メウィティカ、戦火を燃やす者《ソラ》
《ソラ》
「ソラ、大丈夫?」
銀の糸の記憶から戻った俺の肩を、マキの手が優しくたたく。俺は長く重い記憶を見て、体力的にも精神的にも疲れてしまい、前のめりになって床に伏せてしまった。
まだ、カスガに伝える言葉が見つからない。見たままを言えば済む話だが、なんだか俺は、単純な気持ちでいられなかった。
「ソラ、ゆっくりでええよ。」
カスガの声が聞こえた。彼の明るく穏やかな声は、やはりあの若い夫婦を思わせる。
「そうじゃ。ちょいと茶でももろうて来ようかのう。寝る前でも飲める、美味い茶があるんじゃ。」
そう言って彼が立ち上がり、部屋を出る音が聞こえた。残ったカイたちも、俺が言葉を整理するのを待つように、ただ黙って側にいてくれた。
やがて、再び戸が開き、茶の匂いが部屋に漂う。
「香ばしい匂いだな。」
「クワンソウの茶じゃ。別名、ネムリソウと言われておる。」
ユフィとカスガの会話が、俺の耳に入る。
「クワンソウ…。」
俺は、その言葉をきっかけにゆっくりと顔を上げる。すると、眉を下げたカスガが言う。
「ああ、精神的に打ちのめされた母上が処方されておった、薬草の一つじゃ。キリノ様からな。」
その名前に、俺たちは顔がこわばる。そして、俺は勢いで話してしまった。
「サクノは…、自分で死を選んでいた。キリノから渡された薬だけど。最後の手段で、追い込まれたら息子たちと飲めって渡された薬で…。グレンに謝って、その薬を飲んだ。」
言葉を飲み込みながら、みんなが驚いた。カスガは呟く。
「なんとなく、そうじゃろうと思うたよ。」
「え…。」
「言うた気がするが、母上のご遺体には、蓄積された毒と、強い毒が残っておった。どちらもワシは、時間をかけて調べたんじゃ。そして母上が自ら神海へ逝かれた事実に、旅に出る前、たどり着いたんじゃ。」
まあ、いずれ弱い毒でじわじわと死に向かったじゃろう、とも小さく呟いた。
そう語るカスガは、今までに見たことの無い彼だった。自虐的なわけでも、王子として感情を殺すわけでもない。たくさん傷を負った少年と、その傷を必死に飲み込んで背を伸ばす青年と、両方の顔を持つ複雑な顔をしていた。
「死の直前、ワシは六歳じゃった。じゃがな、そんな子どもから見ても、母上は普通で無かった。一日中、布団の中で泣いたかと思えば、ワシやセイを抱いて歌ったり踊ったりする日あった。ほんの一日でも、朝は機嫌良く出かけたと思えば、帰って来て泣いたり怒ったり…。もうの、イオ姫も比べ物にならないほどの荒ぶり方をしとったよ。」
そして、カスガはため息を一つ吐いて言う。
「もう、死ぬことしか救いが無かったのかもしれん。あちらで父と会えておれば良いが…。」
カスガの顔には、優しさも諦めも無い。むしろ、どこか割り切った、良い感情も悪い感情も浮かんでいない顔だ。
カスガが腰を据えて落ち着いているのもあり、俺は少しずつだが、記憶で見たことを伝えることが出来た。俺の下手な伝え方でも、きちんと受け取ってくれるだろう。弱気なくらい優しいカスガは、優しいだけでなく、強い人間になっている気がした。
長い時間をかけて、俺は拙くも必死に話を伝えた。人権を無視されたという形代兵の存在など、カイたちはもちろん、カスガもところどころ、やはり驚きを抑えられない様子だった。
サクノとグレンが紅蝉の民についた理由が、カザトを人質にされたことだと初めて知ったカスガは呟く。
「母上は、どんなに気持ちが弱ってもそれは言わんかった。きっと、アニ様の心を守りたかったんじゃな…。」
そして、サクノの心が死に傾いたきっかけを話す。トキヤがアリアレジスへ、自分の意志で人質として渡ったことだ。カスガは、これには驚かなかった。
「この前、アリアレジスでトキヤのアニ様に会ったとき、父と母上への恨みはおっしゃっていたよ。母上にそこまでの打撃を与えたとは、アニ様にはとても言えんがのう。」
そう話すカスガの顔は、驚きは無くとも、どこか誠実な悲しさをたたえていた。
そして、ヨサリのことだ。俺は下手くそながら、彼女については、あえて最後に話すことにしていた。
「ヨサリは樹の形代で、ものすごい強さだった。そして今、召喚獣となってシュリの部屋にいる。」
「なんじゃと。」
これは予想外だったようで、平静を保っていたカスガも大きく驚く。
「それでシュリの部屋に入っていたわけなんだけどよ、ヨサリが言っていたぜ。セイとシュリに、希望教が近づいているって。」
四人は目を丸くして、互いの顔を見る。
「なぜ、どうやって、このメウィティカに…。鎖国が解けたとは言え、まだ数年。希望教が入る余地などないはずじゃが…。」
カスガは頭を抱える。俺は、さらに大切なことだと思い、ヨサリの言葉を伝える。
「ヨサリは言っていたぜ。この国の、何が正しいか間違いか分からないって。希望教と王家、何からセイやシュリを守ればいいかとも。」
俺の言葉のあと、四人は沈黙してしまった。それぞれ目を伏せ、頬に手を当てるなどして、深く考える表情に見える。そこに俺は、思い切って声を出す。
「でも正直、紅蝉の乱を起こしたヤツらの気持ちが、少し分かる気がするんだ。」
四人は俺を見る。しかし、その目は責める様子もなく、ジッと俺の声を聞く目をしている。
「形代兵や民族…。紅蝉の民は、支配される方に寄り添ってるように感じた。俺は、紅蝉の乱が他人事とは思えない。」
すると、ユフィが片手で目を覆って言う。
「…弾圧される者の立場は、俺も分かる。乱を起こすという手段は別としてな。」
俺たちは、ユフィが自分の主観で思いを語るのを、意外に思い驚いた。しかし彼も俺と同じく、ハーフエクラとして差別されかねない、ギリギリの立場にいる者だ。
「ワシは…。」
カスガは両手で顔を覆い、か細い声を出す。
「ワシは、セイとシュリが希望教につくとなったら、どうすればいいんじゃ。自分らの考えに沿わない人間を平気で傷つける人間に、セイたちがなってしもうたら…。」
俺は、カスガがセイたちを拠り所としていることを、この一日で強く感じた。逆賊の息子、王子殿下、そして自死した母の息子。あまりの重い影で自分を見失いそうななか、きっとセイとシュリは、カスガの支えだったのだろう。彼が本来持つ優しげな笑顔を守ったのは、セイとシュリなのだろう。
「…明日、セイに問いにゆく。」
カスガが決意をあらわに告げる。
「それがいいと思う。兄弟のように育った友人なんでしょう?本音でぶつかるのが一番だよ。」
カイの言葉に、カスガが頷く。
セイが世話になっている道場は、都の外れにあるという。剣技を習うセイの元へ、朝一番にカスガは向かうつもりだ。
俺たちは眠りにつくことにした。しかし、この国に来てから、もっと言うと、あの緑の帆の船に乗っているときから、俺は上手く眠れない。眠った途端、何か得体の知れないものに飲み込まれる気がしてしまっている。
眠ろうとしていると、布団がずれる音がした。ふと見ると、カスガが体を起こしていた。
「…カスガ?」
「すまんのう。起こしたか?」
「いや、起きてた。」
俺たちは、小さな声を交わした。
「クワンソウの茶を飲んだのにのう。やはり、どんな薬も、気の持ちようには勝てんのかもしれん。」
暗闇だが、カスガの横顔は目を伏せているように見えた。これまでの旅で薬剤師として人を助けてきた彼に似合わない、現実に打ちのめされていることが分かる一言だった。
「カスガ、銀の糸の記憶で、サクノが言ってたぜ。」
俺がそう言うと、カスガがこちらを見た。
「カスガの名前の意味は、春の朝日だって。冬を耐えて、新しい春を迎える朝日だって。カスガは自分の希望だとも言ってた。」
「…そうか。ウヅキから聞いておったが、ヌシから聞くと、誠らしさが増すのう。」
「なんかさ、夜明けへ進む俺と、春の朝日のカスガ、ちょっと似てるよな。」
「そうじゃな。…ワシの名は、神海へ逝った者が迎えられなかった春を、喜ぶ名前なんじゃな。」
カスガはそう呟くと、少しだけ沈黙して、こう言った。
「ソラ、新しい夜明けを迎えるために、ワシに力を貸してくれ。頼りにしておる。」
「当たり前だろ。明日、セイに会いに行こうぜ。」
俺の答えを聞くと、カスガは礼を言って、再び横になった。その後は、互いに言葉を交わすことなく、気づいたら眠りに落ちていた。
まぶたの向こうに、わずかな光を感じる。朝だ。瞬間的にそれを感じるが、肌で感じる雰囲気が妙に重い。まだ目は開けないが、耳は物音をとらえる。
鎧や武器といった、金属の音が忙しなく鳴っている。桜の離宮の中央から離れた部屋だというのに、その音は伝わってくる。
「ソラ、起きろ。」
ユフィが少し乱暴に、俺を揺り起こす。俺は重い体を、ゆっくりと持ち上げる。
「あいつらだ。ローズとダフィを殺した、殉教の魔道士だ。」
「えっ。」
俺は予想外の言葉に眠気も吹き飛び、一気に体を起こした。名前は確か、アルタビルとユイミヤ、そして、その人形のカダベル。
俺のなかに、黒い感情が灯る。
ユフィについて玄関先に行くと、カザトが完全武装をして立っていた。鎧の色は銀色だが、その堂々としたたくましさには、グレンの面影を感じる。
「アニ様、何が起きたのですじゃ。」
急いで身支度を済ませた様子のカスガが問う。すると、カザトが答える。
「この国史上、おそらく一番の乱が起きる。ワシは親王陛下の孫として、その護衛に当たる。」
一番の乱。それは、あの紅蝉の乱を凌ぐものなのか、周囲に緊張が走る。
「何が起きたのじゃ。」
カスガが問うと、カザトは鉢巻をして言う。
「スバル殿下の謀反じゃ。」
「スバル殿下が…っ。」
それは、カスガにとって信じられない言葉のようだった。スバルとは、確か継承第一位にある、武勇にも人格にも優れた人物だとカスガが言っていた。継承第一位にある人物が、謀反を起こす必要があるのだろうか。カザトは言う。
「しかも、卑怯にも奇襲を仕掛けておる。王家に仕える軍の飲み水に毒を仕掛け、多くが戦闘不能に陥った。スバル殿下はというと、王家に不満を持つ民族や形代兵を引き連れて、狗潤の里に立てこもっておるそうじゃ。」
カスガの顔が青ざめる。それはかつて、紅蝉の乱が起きたという戦地だ。何か意味があるのだろうか。
「宣戦布告もせずに奇襲を仕掛けるだなんて、国際法で禁じられているはずでは…。」
カイが戸惑いながら問う。
「分からぬ。そうまでして王家に刃向かうだなんて…。しかもスバル殿下の弟君ホクト殿下は、兄君と逆方向から都を攻めてきておる。」
昨日まで強気な姿勢を見せていたカザトが、こわばった表情で言う。
「軍勢はどのくらいですか?」
カイの問いに、カザトのお付きであろう軍師が答える。
「スバル殿下、ホクト殿下、合わせて三万は越えるかと…。対して王家の軍は、かろうじて動ける者でなんとか二万。それを二つに分けねばなりませぬ。」
それは絶望的な数字だった。しかし、カザトは緊張感は漂わせているものの、怯む様子は一切見せずに言う。
「カスガの友人らよ、まだ港は異国からの民の避難用に開放されておる。ヌシらは早よう港へ向かえ。」
俺は驚いた。カザトが自然と俺たちのことを、カスガの友人だと言ったからだ。そんなことを言われては、俺の気持ちは決意で燃える。
「カザト殿下、俺たちは残って戦うぜ。」
「何を言うんじゃ、坊主。」
「希望教のヤツらが裏で悪さをしている。俺たちはアリアレジスのディーン皇王から、希望教とかの動向を探るように言われているんだ。」
ディーン皇王の名を聞いたカザトは、意外そうな顔を見せた。
「そうじゃ、それにセイが…、いや、なんでも無い。」
カスガが言い淀む。俺たちに分かるのは、希望教がセイとシュリに近づいていることだけだ。彼らがどのような判断をしたかは分からない。
「…分かった。して、ヌシらはどう動くのじゃ。」
すると、ユフィが懐から紙を出して言う。
「朝、希望教に所属する魔道士たちから手紙が届いていました。都の外れにある鶴駕の道場に来るようにと。」
それを聞いたカザトは、怪訝な顔で俯く。
「なぜじゃ。鶴駕の道場は、王家に仕える武人の稽古をする、由緒正しき道場のはずじゃ。」
それを聞き、俺たちの間に一つの予感が生まれる。希望教が、この国を侵そうとしている。
「…いや、ワシはワシの使命として、神王陛下をお守りするのに集中しよう。道場はヌシらに任せる。して、カスガ、ヌシはどうしたい。」
カザトは潔く構え、カスガに問う。問われたカスガは、思いがけなかったように問い返す。
「え、ワシですか。王家からの命は…。」
「ワシが兄として、ヌシの行動を決めるよう仰せつかった。ヌシは武人としても医師としても、二兎を追っておるぶん半端者じゃ。じゃが、旅で少しは成長もしておるじゃろう。」
戦争前の緊迫感漂う空気のなか、カザトの目に、どこか温かさが宿る。そして、再び問う。
「今のワシには、カスガの実力はまだ測れん。じゃから、ヌシが決めよ。どうしたいんじゃ。」
決断を託されたカスガは、強い眼差しで答える。
「…申し訳ありませぬ、アニ様。おっしゃる通り、ワシは半端者じゃ。じゃから、王家や国のためでなく、自分のことで今は走りとうございます。」
「そうか。悔いなく行け。」
「ありがとうございます。」
兄弟はそう会話し、カザトは離宮を出た。その背中は武人らしく大きく、ますますグレンを思わせた。
兄を見送ったカスガは、俺たちに言う。
「鶴駕の道場は、母上が神海に逝かれてから、セイが世話になっておる道場じゃ。」
「そこに呼ばれたということは…。」
俺が問うと、カスガは頷いて言う。
「セイは、希望教側についたのかもしれん。」
それはどこか、予想にあったことだ。カイが問う。
「セイの武器や、戦い方は?」
「一振りの刀じゃ。先ほどのアニ様が持たれたものよりも短く、ワシの小刀よりも長い刀を、体術も交えて素早く振り回す。」
「刀か。メウィティカ独自の片刃の剣だね。切れ味に注意しないと。」
カイが冷静に呟く。カスガの身軽な体術を考えると、かなり強そうだ。ユフィも問う。
「ちなみに、形代としての力は?」
「分からぬ。…聞いて良いか、踏み込んで良いか、ずっとためらってしもうて。」
「いや、それでいいと思う。」
ユフィが短く返す。
しかし、ここで俺はふと思う。
「え、セイと戦うのか?」
すると、四人が目を丸くして俺を見る。俺は繰り返し言う。
「セイと戦うのか?だって、カスガの友達だろ?大切なヤツなんだろ?なんで、戦う前提の話になってるんだよ。」
俺の問いに、カイとユフィが目を泳がせて、サッと逸らす。もしかしたら、彼らにとって戦いと、それへの思案は普通になってしまったのかもしれない。
カスガは手にかいた汗を、服で拭いて言う。
「セイが何か間違えてしまうなら、人を不幸に陥らせるならば、ワシが止める。そのときは、四人は止めんで見ていてくれ。」
彼の表情は緊張感で張り詰めながら、一皮剥けた、覚悟の固い顔をしていた。
「カスガ殿下…。」
ウヅキが声をかけてくる。もう老体で背も小さくなっているというのに、昨日よりもさらに小さく見える。
「行ってしまわれるのですか。」
「ああ、案ずるでない。」
「もう、老人が見送る立場になるのは嫌でございます。どうか、どうかご無事で…。」
「おう、留守を頼む。ウヅキ。」
そして俺たちは、カスガの案内で都へ出る。
都は警戒態勢なのか、店も家も厳重に戸締まりがされ、人通りもなく静寂に包まれている。
セイは、何を思い、どんな行動をしているのだろう。そして、カスガはどんな決断をしなくてはいけないのだろう。
俺の心は波立っている。旅の仲間であるカスガはもちろん、その友人である形代のセイのことも、他人事と思えないからだ。
しかし同時に、黒い炎が、心に燃えている。
アルタビルとユイミヤ、そしてカダベル。平気で命を奪ったあいつらを、必ず後悔させる。
俺たちは鶴賀の道場を目指して、ひたすらに走った。




