メウィティカ、そして、桜は散った《ソラ》
《ソラ》
次に足元が確かになると、そこは火が燃え盛る戦場だった。
戦場は紅い鎧の武人と、銀の鎧の武人とが入り乱れ、この世の煉獄を思わせる光景だった。
グレンは紅い鎧を身に纏い、槍に似た武器で、何人もの敵を薙ぎ倒してゆく。重い鎧など着ていないかのような力強さで、軽やかに相手の首を突き刺す。しかし、その表情に血の気はなく、心を殺して、人形を壊すように戦っている。
さらには、ヨサリの姿も見えた。暗く引きこもっていた少女期が嘘のように、堂々と魔道を操っている。樹の形代と言っていたが、その力は想像以上だ。樹の枝を何本も生えさせたかと思うと、波のようにして敵を飲み込んだり、鋭い枝先で串刺しにしたり、彼女の周囲の敵もまた、人形のように神海へ送られてゆく。
別のところでは大勢の形代たちが、銀の鎧を着た武人たちを倒し、数で劣るはずの紅の鎧の武人たちが、戦況で優位に立ち続ける。
紅蝉の乱は、きっとメウィティカで起きた内乱のなかでも、屈指の危機だろう。グレンを始め、紅蝉の武人たちは破竹の勢いを保ったまま、都近くまで攻め入っている。
戦の間、サクノは走り回り、怪我人を手当てする。だがサクノは、紅い鎧も、銀の鎧も、関係なく治療をしている。手当てをされた者は、治療者がサクノだと気付くと泣きながら感謝を告げる。
「サクノ姫に助けられるなんて、煉獄に落ちても自慢話に出来ますぜ…。」
「何を言うの、生きて頂戴な。」
なかにはサクノを、逆賊の姫、偽善者と言って去る者もいた。
やり切れない状況が続くなか、サクノたちは家族で過ごす時間が、数少ない安らぎとなった。
「カザト、父上様が起きられたよ。」
サクノは少し大きくなったカザトを抱いて言う。グレンは起き上がり、無言で妻と子を抱きしめる。彼は傷だらけで、婚礼装束のときの明朗な空気感は無い。武人らしいたくましさは増しているが、悲壮感を纏ってしまっている。
「グレン、ヨサリがのう、子を授かったようじゃ。」
「ああ、それはめでたいのう。」
サクノの報告を受けながらも、グレンは心ここに在らずという反応だ。
「実はの、あたしもなんじゃ。」
「なんじゃと。」
ようやく、グレンの顔に青年らしい人間味が戻る。そして、顔を覆って涙を流す。
「こんな、逆賊として何人もの武人を神海に送って…。ワシは…。」
「グレン、あたしたち夫婦で支え合っていくんじゃ。どのみち、同じ煉獄へ行く者じゃ。このお腹の子を始め、子どもたちが笑って生きられる国のため、一緒に戦おうぞ。」
サクノは明るさを装って、グレンを励ます。
「そうじゃのう。ワシはもう一度、家族で暮らすために戦うぞ。都でトキヤも待っておる。」
グレンは涙を拭ってサクノに答える。
「今まで終わらなかった戦なんて無かったでしょう。必ず、家族五人で暮らすんじゃ。」
サクノは母として、妻として、強く振る舞う。
そして、暗転の後、産声が聞こえた。
「姫様、おめでとうございます。王子殿下でございます。」
少し遠くには、戦場の音が聞こえる。どうやら乱の最中、戦地で産まれたようだ。
サクノが産まれた王子を抱きしめる。
「よう産まれたねえ。ありがとう。」
まだ産まれたてでクシャクシャの赤ん坊に、サクノが涙を流す。
「坊やの名前はね、男の子ならカスガと決めていたんよ。春の朝日という名の意味じゃ。冬を耐えて、新しい春を迎える朝日じゃ。坊やはね、あたしたちの希望じゃ。」
戦場からは、武人の叫び声が聞こえる。
俺は、カスガの産まれた瞬間を見て、喉が苦しくなった。ここまで、この記憶はあまりにも辛いことが多かった。俺はカスガに、何をどう伝えるか迷っていたが、この瞬間のサクノの言葉だけは、必ず伝えようと思った。
またも暗転するが、今度は悲痛な声が聞こえる。
「ヨサリっ。ヨサリっ。しっかりせえ。」
サクノの必死な声が聞こえる。サクノは服を血だらけにし、真っ白な顔のヨサリに声をかける。傍らには、弱々しい産声を上げる赤ん坊がいる。
「ヨサリ、あんたが生きなきゃ、この子が一人になるぞ。」
「アネ様…。子を…。」
ヨサリが消えそうな声で、わずかに腕を上げる。サクノはその腕を拾い、赤ん坊を抱かせる。
「ヨサリ、王子殿下じゃよ。」
「小さいのう…。」
「あんたがこれから、大きく育てるんじゃ。」
「アネ様…、この子の名は…、セイ…。」
「ええ、分かった…、ヨサリ、ヨサリっ。」
ヨサリの腕が落ちる。サクノは赤ん坊を抱き止め、妹の死に顔に涙を落とす。ヨサリの帯には、シュリの部屋にあった、青い安産祈願のお守りが着いている。
そして、また落ちる感覚がした。
次に足元が確かになると、戦場を離れ、人だかりが目に入った。人々は、何かに罵詈雑言を浴びせている。その声の先を見ると、ボロボロの着物姿の者が二人並び、後ろ手を縛られて正座の姿勢で座っている。二人とも布を被っており、誰か分からない。
人だかりにサクノが紛れている。サクノも質素な服装をして、布で顔を隠して、その二人を見ている。
すると二人の横に、メウィティカ独特の長い剣を持った男が立ち、叫ぶ。
「この者らは王家に対し紅蝉の乱を起こした、許されざる逆賊。グレン=カルナギ、そして、弟のハクマ=カルナギ。神王陛下の定めにより、二名を斬首の刑とする。これは、首の無い罪人は転生を出来ないという、メウェスティア神の教えによるものである。」
その声で、ますますの雑言が浴びせられる。
「この逆賊どもが。」
「グレンめ、王家の名を汚しおって。」
刑の執行人は、続けて叫ぶ。
「なお、乱に与した紅蝉の民、及び、狗潤の民は、武人はもちろん、老人、女子どもに至るまで、全て火罪の刑とする。では、刑を執行する。」
執行人は、無感情に長剣を振り翳す。人だかりが息を飲んでその様子を見て、長剣が一気に降りる。首は、紙を切るかのような切れ味で落ちた。首からは、血が脈を打つように溢れる。それが、まるで歓声のような盛り上がりのなか、もう一人続く。
俺は、目の前の光景にもちろん嫌悪感を抱き、同時にヒューの最期を思い出し、胃から何かせり上がる感覚になった。
サクノは耐え切れず、人だかりを抜けて走る。そして、かつて住んでいた緑の絨毯の家に、転がるようにたどり着く。サクノは玄関で伏せて、泣いている。
「サクノ姫…。」
泣き濡れるサクノに、一人の男が声をかける。少し若いが、ウヅキだろう。まだ髪が茶色い。それに、優しげで情の深い表情が、彼らしい。隣には、彼に少し似た、サクノより少し上の年頃の女性が立っている。二人とも、赤ん坊を抱いている。
「ウヅキ、ユリ…。」
ユリと呼ばれた女性が、赤ん坊を抱きながら、サクノに声をかける。
「サクノ姫、少しお部屋で休まれては…。」
「ユリ、いや、大丈夫じゃ。さあ、カスガをこちらへ。」
サクノは気持ちを立て直し、カスガを抱く。
ウヅキは泣きながら言う。
「神王様もなんと残酷な…。王族の血を引く者は刑に処さず、しかし、サクノ姫にグレン様の斬首を見るよう命じるとは…。」
ウヅキが代わりに泣いてくれたぶん、サクノはさらに強がって、背筋を伸ばす。緑の絨毯の上でカザトは寝ており、トキヤは母親を、知らない女のように眺めていた。
それからのサクノの暮らしは、王族としての品位を保っているように見えて、おそらく一人の女としてはドン底だった。
彼女は、ヨサリの忘れ形見であるセイを引き取り、息子三人と、ウヅキやユリといったわずかな召使いと桜の離宮に移り住んだ。それだけだと、刑を免れているだけマシに見えるかもしれない。
しかし実際は、彼女たちを逆賊だと罵る民が昼夜を問わず窓を破り、外を出ることが叶わなかった。衣食住の心配はいらない。しかし、常に心が脅かされる生活を強いられていた。ウヅキは雑言を浴びせる民を、ほうきで追い払う。
そんな生活のなか、ユリが神海へ逝った。産んですぐに死んだ娘を追いかけるように。ユリは自分の健康が許す限り、カスガとセイに乳を与えた。
サクノは日に日に痩せていった。しかし、息子たちの前では気丈に振る舞って、勉強や薬学を教えた。メウィティカの神話や童話も読んで聞かせた。
弱る妹を心配して、二番目の姉キリノが離宮へ顔を出した。
「サクノ、顔色が悪いのう。随分と痩せたし。」
「ええ、そうじゃのう…。」
すると、サクノは姉を前に何か気持ちが緩んだのか、滝のように涙を流して言う。
「…もう、ずっと眠れんで、辛い…。グレンも、ヨサリも死んでしもうて、何故あたしが生きておるんか…、笑うのも辛い。生きとる理由が分からん…。あの乱で死んだ者や、戦地の景色がずっと頭から離れんの。生きるのが辛い。あたしも早く、グレンの元へ行きたい…。」
サクノは痩せて、骨の浮いた両手で顔を覆って、思いの丈を吐き出した。それは体も声も、少しの風で消えてしまいそうな、か細いものだった。
キリノはサクノの背を丹念にさすり、懐から何かを出して言う。
「そんなんじゃろうと思うて、これを持ってきたんよ。」
それは紙に包まれた、薬草に見えた。キリノは言う。
「クワンソウの薬じゃよ。葉はお茶に、花や茎は食事に混ぜてもらいなさい。」
「ええ、自律神経を整えて、眠りの助けとなるという…。」
力無く薬草を手に取るサクノの手を、キリノは両手で包み、力強く言う。
「今は薬でも何でも頼りんさい。あたしはあんたの姉で、これでも優れた薬剤師の自負がある。時間とともに、民の関心も薄れるじゃろう。今は自分を守るんじゃ。そして、ウヅキたちの力を借りて、息子たちを守りんさい。それからでも、婿殿のところへ行くのは遅くなかろう。」
姉のまっすぐな言葉に、サクノは少女のように泣き喚く。そして、キリノはもう一つ、布を解いて大きな瓶を出した。
「これは?」
「ナツメの果実を焼酎で漬けたものじゃ。滋養強壮、精神安定の効果がある。」
「…良い香りじゃ…。」
フタを開けて匂いを嗅ぐと、サクノの顔が安らいだ。
「それから、これも。」
「これは…?」
「これはね、最後の手段じゃ。もう誠に追い込まれたときに飲みんさい。じゃがね、一人じゃダメよ。息子たちとみんなで飲みんさい。いいね。みんなで、じゃよ。」
キリノの瞳は、どこか鋭さを帯びていた。まるで、紙芝居に出てくる狐のようだ。
サクノは何かを察しながら、無表情でその小さな包みを懐へしまった。
「これからも、あたしは顔を出すからね。ちゃんと姉に頼りんさいよ。」
「あ、ありがとう…、アネ様…。」
その瞬間のサクノの顔は、あの乱以来、久しぶりに晴れ晴れとしていた。
しかし、事態は好転しなかった。サクノの不眠症は治らず、一晩中息子たちの寝顔を見て、なんの光を感じない朝日を迎えた。ふっくらとしていた頬は、ますます白く薄くなった。
カスガとセイ、二人の幼な子を召使いとともに育て、サクノの顔には快活さのかけらも失われた。カザトの泣き顔には、あんなに笑顔を向けたのに。
戦が、一人の女の全てを変えてしまった。
四人の男子それぞれに教育をし、宮殿が学問や武芸の稽古を施し、サクノは王子を育てようと必死だった。せめて、逆賊の息子と言われぬよう、一人前にしなくては。
サクノは見ていて、明らかに正常で無かった。昼夜を問わず泣き暮れる日もあれば、異常な活発さで息子たちと接する日もあった。乱高下する気持ちに、本人も周囲も、本当のサクノを見失っていた。
やはりサクノはまだ若く、弱さもあった。一人で心が千切れそうな夜は、姉に勧められた睡眠に効く薬草を飲み、精神安定の果実焼酎を飲んだ。そして、そんな夜を越すごとに、サクノの艶やかな髪は、色褪せていった。
そんなギリギリで心を保っていたある日、サクノの身を裂く出来事が訪れた。トキヤの、アリアレジスへの人質取り引きである。
サクノは父である神王に、必死に訴える。
「お願い申し上げます…。全てを間違えたのは私です。私への罰なら何でも受けます。トキヤから故郷を取り上げんでください。私から家族を取り上げんでください。」
このときの神王は、もう俺の知る、あの神の代弁者のような威厳に満ちていた。人を寄せ付けない壁を、娘相手にさえ築いている。
「図々しいにもほどがあろう。ヌシらを生かしただけでも、ありがたく思え。」
「じゃが…。」
「人質候補に名乗り出たのは、トキヤ自身じゃが?」
「え…。」
その言葉を受け、サクノは家へ急いだ。
「トキヤっ。」
「なんじゃ。」
トキヤは仏頂面で、サクノの顔を見ない。
「なぜ、人質になんぞ名乗り出たんじゃ。」
「それは私が、必要ない人間だからじゃ。」
サクノの顔から血の気が引く。
「以前、神王陛下からお聞きしました。紅蝉の乱では、私はあなたと、逆賊である父から捨てられたと。」
「捨ててなどいない。ただ王家として保護されてほしく…。」
「じゃが、その間もカザトとカスガとは共におったのでしょう?」
「そう、じゃが…。」
「アリアレジスは移民の国と聞きます。私は一人、強く生きて参りますので、ご心配せず。」
トキヤは一度もサクノの顔を見ることなく、立ち去った。
その夜、サクノは空っぽの顔をして、眠る息子たちを眺めていた。痩せた手で髪や頬を撫でる。部屋を出て、中庭の見える廊下へと歩く。そこで懐から、婚礼装束の写真を出し、暗い瞳で見つめる。
「グレン…、ごめんなさい…。」
そう呟くと、懐からあの包みを出した。キリノから最後の手段だと渡された包み紙だ。その包みを開くと、頬に涙を流しながら、静かに中身を口にする。そのあと、裸足のまま中庭をフラフラと歩き、倒れ込む。すぐ近くの池には、蓮の花がわずかに開いていた。
そして、また落ちる感覚がした。
次に足元が確かになると、白い空間だ。どうやら長い記憶の終着地点らしい。
布団に、真っ白な顔のサクノが横たわっている。痩せ細って、まるで骨のようだ。婚礼装束を着たときのふわりとした若々しさが、もう露と消えている。
「母上様。」
「逝かないでください。」
布団を囲って、カザトとカスガ、セイが声をかける。子どもたちも、ウヅキたち召使いも泣いている。
「すまぬのう…。弱い、母で…。」
サクノは天井をぼんやり眺めて言う。
「ああ、グレン、ヨサリ…。」
サクノは最期、腕を長く伸ばして呟く。そして、その腕が落ちたとき、皆がその哀れな終わりを感じた。それは、逆賊や偽善者と言われながらも、人を助けて生きた女の、寂しい最期だった。
突然、カザトが泣きながら立ち上がり言う。
「ワシは、こうはならぬ。」
悲しみに沈む誰もが、その王子を見上げる。
「父のような逆賊としての死も、母上のような惨めな最期も、ワシは選ばん。ワシは王族として、強く生きてゆく。死ぬならば、武人として華々しく散る。」
まだ六歳くらいのカスガは、何も理解出来ず、呆然としていた。
「ソラ、ランプを消して…。」
俺は、しゃがみ込んでいた。もう頭がぐちゃぐちゃだ。
「長く深い悲しみの記憶を、よく見届けましたね。」
「そんな励まし、珍しいじゃねえか。しかし、随分と濃い記憶だったな。…正直、四人のところに戻りたいのに、戻りたくない。何をどう言えばいいか分からねえ。」
「国を巻き込んだ、壮大な記憶ですから、仕方ありません。ですが、どうか向き合ってください。」
「…答えを出すためかい?」
「そうです。」
「相変わらず何の答えか知らねえが、俺はこの国が好きじゃねえ。人間らしくねえのに、嫌なところは人間らしい。正直言えば、この記憶と向き合うのが辛い。」
俺は立ち上がれないまま、俯いて弱音を吐く。
「…どうか、この悲しい記憶を、悲しみのままにしないでください。お願いします。」
「…それで、誰が救われるんだい?ディーン皇王たちがいう、正しい未来を作ることに意味があるのかい?」
なんだか俺は、自分の芯が揺らいでしまった。人のため強く在ろうと生きていても、歴史の大きな波に飲まれて悲しい結末を迎えた今回の記憶に、相当参ってしまったらしい。
「それは、あなたが答えを見つけてください。」
「…分かったよ。」
俺は、ランプの火を消した。
戻るときはまた、あの感覚がした。水面へ一気に浮き上がる感覚だ。
あの青く深い、果てには黒を思わせる海だ。
「見つけて…。」
いつもの鈴のような声がした。
「私を、見つけて…。」
なあ、あんた、本当、どこにいるんだい?
今は、誰でもいいから言葉を吐きたいんだ。四人に、カスガに会う前に、ちゃんと整理したい。言葉も気持ちも。
なんだか頼りない、弱々しいあんたの声でも縋りたい。今回目にした記憶は、俺にはちょっと、重すぎるんだ。




