メウィティカ、愛された桜の記憶《ソラ》
《ソラ》
あの、落ちていく感覚だ。荒く塗りつぶされた黒いペンキと、煌びやかな星々。見れば見るほど、それは作り物にしか見えない。
やがて、足元が確かになった。
足元が確かになると、そこは豪華なメウィティカ独特の建築物だった。しかし、やはり引き算の美学で設計されており、品のある空間だ。
耳飾りをした少女が、草を摘んでいる。この少女がおそらく、カスガの母サクノだろう。彼と似た、優しげな表情をしている。
「サクノ。」
「父上様。」
サクノが呼ばれて駆け寄ると、あの神王がいた。気品はあるが、だいぶ若く、微笑みすら浮かべている。あの神の化身のような迫力は無い。
神王はサクノの目線に合わせて問う。
「何を摘んだんじゃ?」
「クロモジという、良い香りの野草です。キリノのアネ様に教わりました。ヨサリの気持ちが晴れると思いましたのじゃ。」
少女のサクノはニコニコと笑って言う。神王は、どことなく複雑な表情で言う。
「ヨサリの…。そうじゃのう。姉として、寄り添ってやっておくれ。」
言われたサクノは、微笑んで頷いた。
続けて彼女は、宮殿の隅の、ひっそりとした部屋へ行く。そして戸をたたき、声をかける。
「ヨサリ、サクノじゃ。入って良いか。」
「アネ様、どうぞお入りください。」
サクノは戸を開けて、部屋に入る。それは日当たりの悪い、湿っぽい部屋だった。
ヨサリは膝を抱えながら、本を読んでいる。その足のつま先は水色だ。顔立ちは息子のセイと似ており、翳りのある青い瞳までそっくりだ。
「ヨサリ、クロモジじゃ。部屋に飾ると良いぞ。ほら、良い香りじゃろう。」
サクノはそう言って、窓辺の棚にクロモジを置いた。
「ああ、良い香りですのう。」
「たまには共に、庭を散歩せんか?花も樹も、生き生きとしておるぞ。」
サクノは明るく誘うが、ヨサリは俯いて首を横に振る。
「いいえ、アネ様。あたしはこの足がある限り、お天道様の下を歩きたくないんじゃ。」
「そんな、足袋と履き物でどうにでもなろう。」
「じゃが、メウィティカ神王の娘が形代だなんて知られては、あたしは恥ずかしさで死んでしまう。」
ヨサリは頑なで、サクノはそんな妹を抱きしめて言う。
「なんじゃ、おかしい話じゃ。ほんのつま先が水色なだけじゃのに…。」
しかし、抱きしめられたヨサリは言う。
「…アネ様には、分からぬよ。」
サクノはこわばった顔で、ヨサリから離れる。
そして、落ちる感覚がした。
次に足元が確かになると、サクノは成長していた。今のユフィやカスガくらいの年頃だろう。薬品や包帯を持って、怪我人の手当てをしている。
「いだだだだ、なんじゃ、女子なら、もう少し優しく手当てせんかい。」
「うっしゃいのう。治療に女子も男子もあるかい。」
メウィティカ国内で起こる内乱だろう。怪我人の様子から、激戦地であることが見て取れる。まさかこんなところに王女がいるとは思えないだろう。
「これからこの者の足を切断する。猿ぐつわをし、体を抑えよ。」
医師が冷徹な声で言う。サクノもその手術に加わり、数人がかりで怪我人を抑える。怪我人は、半狂乱となって泣き叫ぶ。医師たちは、それを無感情に、あるいは感情を殺して、怪我人を抑えている。どちらにしろ極限状態で、俺には怪我人、医師たち、それらの抱える痛みを想像出来ない。
一息ついて、地面にサクノが座り込む。大きく息を吐いて、自分を整えているようだ。
「のう、そこに、誰かおるんか…?」
男の声がする。男は血だらけの顔を布で抑え、顔立ちが分からない。
「頼む、水をくださらぬか。自分では動けん。」
「ええ、少し待って頂戴。」
サクノはそう言って、水や清潔なタオル、包帯を持ってきた。そして、その男の手当てを数日がかりで担った。時には手を握り、死の淵を彷徨う男を励ました。ある日、男は言う。
「なあ、顔も見えない看護師様よ。ヌシは、良い声じゃ。朝を告げる小鳥のようじゃ。もしもワシが生き延びたら、都で団子でも食わんか?」
「ええ、いいのう。ちゃんと生きて、とっておきの店を教えて頂戴。」
そして、また落ちる感覚がした。
次に足元が確かになると、見覚えのある光景だった。カスガの父グレンと、母サクノが婚礼装束で写真を撮っている。サクノは白く長い装束で、赤い糸で鳥や花が刺繍された、一目でめでたさが分かる装束を纏っている。
グレンはそんなサクノを見つめて言う。
「いやあ、ワシは幸運じゃ。声と献身さに惚れ込んだ女子が、こんなに愛らしい花嫁だったとはのう。」
サクノは照れ臭そうに微笑んだ。
グレンは体格が良く顔にも向こう傷もあるため、いかにも武人という風貌だ。しかし、気さくで明るい話し方に、三兄弟の父親らしさを感じる。
写真撮影が終わると、親族による宴が始まった。そこで俺は驚く。あの神王が、娘の花嫁姿に少し目を潤ませているのだ。そして、神王が親族に向けて晴れやかな声で言う。
「このたびは三女サクノに、紅蝉の民長の長男グレンが婿入りするという、我が王家に明るい未来の種が撒かれた。グレンは若いながらも武功に優れた、立派な武人。また、紅蝉の民長キョウヤ殿は、朕にとっては長年の信頼を置く家臣。王家と強力な武家が結ばれた、めでたい婚礼じゃ。感謝申し上げる。」
その言葉を受け、親族は湧き立つ。神王はすぐ隣に座る男に酒を注ぐ。この男が、グレンの父キョウヤだろう。カスガたちとも、よく似ている。
紅蝉の乱について聞いた俺からしたら、神王と紅蝉の民長キョウヤが、肩を組んで酒を交わす様子は信じられない。
そして都からは、祝賀の歌も聞こえてくる。二人の男女の結婚がこんなにも国を沸かせるなんて。俺は驚きながらも、カスガに似た二人の若者の幸せが、率直に嬉しい。
隅にはひっそりとヨサリも座り、姉の幸せを微笑んで眺めている。
しかし、覚悟は必要だ。これは銀の糸だ。結末には、何かが待っているのだ。
そして、また落ちる感覚がした。
次に足元が確かになると、鮮やかな緑色の絨毯のうえ、サクノとグレンが座っている。小さな男の子がグレンに捕まって立っているが、きっとトキヤだろう。サクノは小さな赤ん坊を抱いている。こちらはカザトだろう。カザトは大きな声で泣いた。それを見たトキヤがびっくりして父親に抱きつき、サクノとグレンは笑ってあやす。
若い夫婦は、すっかり親の顔となっていた。
あまりにも明るい家族の光景に、俺は目が眩む。
そこに、グレンの父キョウヤが一人でやって来た。グレンが明るく迎え入れる。
「父上、突然どうされましたか。孫の顔でも見にいらっしゃいましたか。」
「突然すまんのう。今日は武人として、話をしに来たんじゃ。」
グレンとサクノが不思議そうな顔で見合い、サクノが言う。
「あたしは席を外しましょうか?」
「いや、姫君も聞いてくだされ。」
キョウヤは難しそうな顔で座り、言う。
「国内におる精霊の形代が徒党を組み、王家への反乱を起こしておるんじゃ。」
「なんですと。」
グレンが驚き、サクノも目を丸くして夫を見る。
「近ごろ、野盗による都の者への襲撃が続いておるじゃろう。それが形代たちによるものなのじゃ。」
キョウヤは俯いたまま説明した。
「では、すぐに鎮圧に向かいましょう。父上、ワシに大部隊をお任せください。火は小さなうちに消さねば。」
グレンはためらいなく申し出る。戦を生業とする武人らしい頼もしさだ。
「いや、火はすでに、燎原の火と化しておる。野に広がり、一気に都を飲み込むであろう。」
グレンは何も理解できず、父親を見つめる。すると、キョウヤは顔を上げて告げる。
「我ら紅蝉の民は、その名も無き徒党に合流した。紅蝉の民は、王座を簒奪するのじゃ。」
「な、なんでじゃ、父上。」
グレンは驚きのあまり立ち上がる。サクノも、言葉を失っている。
「この国は歪み、世界から遅れを取っておる。鎖国なんて続けおって…。世界は精霊戦争で苦しんでおるというのに、救済の手を施さぬ。医療と武人の国としての誇りを手放したようなものじゃ。」
「じゃが、それは国の在り方と文化を守るための、先代の陛下の苦渋の判断です。義父上、ご理解ください。」
サクノは必死に訴えるが、歴戦の武人キョウヤの眼光が、その言葉を遮り言う。
「それにワシは、常々疑問を抱いておった。形代兵の存在に。」
「それは…。」
サクノとグレンが弱腰になる。形代兵。それは俺にとって、嫌な予感に満ちた言葉だ。
「形代の存在を忌避しながら、王家は奴隷同然の扱いで形代を兵としておるのを、ヌシらも戦場で見たじゃろう?こんなこと、姫神教会に知られてみい。メウィティカは人権問題によって、世界から後ろ指を指されるぞ。」
俺の嫌な予感は、衝撃を伴って的中した。形代を人間として見ていない。もしかしたら、その最たる例が、メウィティカにあったのかもしれない。俺は、キョウヤの発言に気持ちが傾く。
「王位に着くのはトキヤ殿下かカザト殿下じゃ。その血筋は守ろうぞ。じゃが、今の陛下につく者は、全員断罪する。そして、国を一新して開き、世界に救済の手を施す。そうして世界における、メウィティカの地位を上げるんじゃ。」
サクノは青ざめた顔で、小声で話す。
「ち、義父上のおっしゃることは、とても理解できます。じゃが、あたしは王家に生まれた者じゃ。義父上たちにつくことは出来ませぬ。」
「そうはいかぬ。姫君には、いずれ国母となっていただく。」
キョウヤは冷然と話す。対して、グレンは怒りをあらわに話す。
「サクノの人生も、トキヤとカザトの人生も、父上のものでない。それに、そんな大きなことを、なぜワシに相談なく…。そもそも、父上は神王陛下に古くからお仕えする家臣ではないか。こんな裏切り、誰からも許されぬぞっ。」
しかし、キョウヤは全く揺るがない。
「ワシは誰からも、後世の者からもどう悪く評価されようが構わん。じゃが、国を思えばこそ、この国と王家の歪みを正したいのじゃ。王家の絶対権力を保つため、多くの民族がもはや隷属しておる。そのために我ら武人が力を奮い、形代兵という人権の無い者まで生まれておる。それを隠すために鎖国をしておるのではないか?どうじゃ?」
キョウヤに問われ、グレンとサクノは返す言葉を見失っている。キョウヤはさらに言う。
「ちなみにじゃが、狗潤の民は、我ら紅蝉の民についたぞ。」
「えっ。」
サクノが一番の驚きを示した。
「狗潤の民長の長男ソウヤ様の元に、妹君のヨサリ姫が嫁がれたときは驚いたぞ。なかなか表にお姿を見せない姫君だったからのう。じゃが、ソウヤ様もヨサリ姫も、形代じゃったんじゃな。先日お会いして、お二人のこの乱への強い思いを感じたぞ。」
「乱…。」
サクノは自分の立場を見失い、もはや泣きそうになっている。グレンは変わらず、怒りをぶつける。
「父上、どこまで卑怯なんじゃ。そうして周囲の堀を埋めて、サクノを追い詰めるでねえ。」
「言うたじゃろう。どう思われようと構わんと。して、ヌシらはどうする。」
「答えは一つじゃ。ワシとサクノは王家につく。」
グレンはまっすぐに答える。
「そうか。残念じゃ。」
すると、武装した男たちが部屋に入って来た。
「紅蝉の武人っ。いつの間に。」
そして、キョウヤはサクノが抱くカザトを強引に奪う。
「カザトっ。」
「父上っ。」
グレンはすぐに、槍のような長物の武器を持ち、キョウヤに攻めかかる。しかし、数人の武人に取り押さえられてしまう。
「離せっ。」
カザトの泣き声が響く。グレンは数人の武人を振り払いながらも、頭に強烈な一撃をくらい、倒れ込む。サクノが彼を呼ぶ。
「グレン、グレンっ。」
「おじじ様。」
トキヤがキョウヤの後を追うが、キョウヤは振り返らずに歩いていった。
そして、少し暗転した後、サクノとグレン、若い夫婦が一枚の手紙を読んでいる。
【神王陛下に告ぐ
主張するは、
開国をし困窮する国への救済活動をすること、
王家による一方的な多民族支配を刷新すること、
形代兵の地位改善(一兵と同等に扱うこと)
我らは武勇でもって王位を簒奪する
しかし、カザト殿下を頂に立て、
数千年に渡る王家の血筋は継続させる
尚、乱の中心は紅蝉の民長キョウヤ=カルナギが
責を担う】
手紙を読んだサクノは青ざめた顔で膝から崩れ、それをグレンが支える。
「そんな、カザトを利用するなんて…。」
「父上…、どこまでも卑怯な…。」
そんな二人を、冷たい目で見下ろす若い男がいる。男は言う。
「して、兄上。どうなさるか。この手紙は、明日には神王陛下に届けますぞ。」
「ハクマ、なぜこうなったんじゃ。」
男はグレンの弟、ハクマというらしい。グレンとよく似た顔をしながら、冷たい目で淡々と話す。
「兄上たちが平和ボケしておるんじゃ。王家は何も知らぬ。戦場でどれほどの民族が弾圧され、形代が不当な扱いを受けておるか。父上がおっしゃった通り、ワシらがカザト殿下を王位につけ、新しいメウィティカ国を作るんじゃ。」
「赤子を人質にしてまで起こす乱か。」
グレンがハクマに掴みかかり、続ける。
「ヌシらが誠に欲しいのはサクノじゃろう。成人した王族が、自分たちについておるという事実じゃろう。」
「そうじゃ。世間に姿を現さず、王族から外へ嫁いだヨサリ姫では弱い。」
グレンとハクマの問答を聞き、サクノは瞳から光を失った。それは、まだ少女らしさを残す若い母から、何か希望が失われた瞬間だった。
ハクマは容赦なく夫婦に告げる。
「カザト殿下は、常に父上の元にいらっしゃる。乳母が世話をしとるのでご心配せず。じゃが、赤子など、いくらでも拾って来られる。」
「貴様…っ。」
グレンがハクマを掴む腕を強くすると、サクノが彼らに割って入る。
「分かった。あたしは紅蝉につく。」
「サクノっ。」
サクノの目は涙が滲みながらも、覚悟の固まった表情をしていた。王族の姫は希望を失い観念し、代わりに母として腹を決めたのだ。
「あたしはカザトの母親じゃから、たとえ煉獄に落ちても、あの子の側におる。」
「気持ちは分かる。じゃが、トキヤはどうするんじゃ。」
グレンがサクノの肩に手を置き問う。
「ウヅキに預ける。あの子は、王家の子のままでいさせる。逆賊にはせん。」
「逆賊…。」
サクノの発した逆賊という言葉に、ハクマが皮肉な笑みを浮かべて言う。
「よう決断してくださった、義姉上様。カザト殿下も義姉上様も、紅蝉の武人が必ずお守りいたします。して、兄上はどうされる。」
「ワシは…。」
グレンの表情が、様々な表情で歪む。王族の婿、父、息子、武人。若いグレンが背負うには、あまりにも重い肩書きだ。
「サクノがそう決めたら、ワシもついてゆくしかなかろう…。サクノのいない王家に、ワシがおっても仕方なかろう。」
グレンが力無く言うと、ハクマが冷たく言い放つ。
「では、トキヤ殿下は紅蝉の者がウヅキ様の元へお連れしよう。妙に親心や子心が湧いて、心変わりをされても困るからのう。」
「そんな、別れくらい…。」
「もうお立場が変わったことを自覚していただきたい。義姉上。」
グレンが再び、ハクマを掴んで言う。
「ヌシにも子が生まれたじゃろう。人の心が無いんか?」
「…娘を授かり、親心がワシにも湧いたからこそじゃ。」
それを言って、ハクマは初めてグレンの手を振り払った。そして、言う。
「逆賊の歴史を、この国の正史にいたしましょうぞ。兄上、義姉上、力を合わせましょう。」
サクノとグレンは、黙ってハクマを見送った。
そして、また落ちる感覚がした。




