メウィティカ、桜の揺り籠《ソラ》
《ソラ》
「お帰りなさいませ、殿下。」
桜の離宮に入るなり、十人ほどの召使いがひざまづいて頭を下げる。光景としては見慣れたが、感覚としては慣れず、背中がむず痒い。
「余の留守の間、心配をかけてすまぬ。」
カスガは無表情でそう言って、女官たちの手伝いの元、履物を脱いだ。
玄関だけでも何人か住めてしまいそうな、広く立派な建物だ。しかしカスガは、どんなに豪華な装束も建物にも慣れた様子で振る舞う。
ふと、考える。自分をワシと呼ぶときと、余と呼ぶとき、どちらが本物のカスガだろう。ただ、俺はなんとなく、俺たちに向けるワシという一人称や、あの気さくな笑顔が本物のカスガだと、根拠のない自信を持っている。
靴を脱ぐと、俺の水色の足にはやはり視線が集まった。しかし、誰も何も言わなかった。
「カスガ、カスガか。」
離宮のなかで居間にあたる部屋に入ると、カスガそっくりの男が立ち上がり、声を上げた。
「アニ様。」
カスガも男の声に応えるように、嬉しそうな声を上げる。おそらく、カスガの二番目の兄に当たるカザトだろう。
しかし、アリアレジスで医師として働く長男トキヤや、共に旅をした三男カスガとは違い、カザトはかなり筋肉質で体も大きい。
気さくなカスガと似たカザトに、俺は少し親近感を覚える。
しかし、カザトの深緑色の目はすぐに鋭くなり、こう言った。
「ウヅキから聞いたぞ。陛下に無礼な態度を取り、護衛もつけずに勝手な振る舞いをしたそうじゃのう。」
カスガは一拍、間を置いて答える。
「なんじゃ、弟が帰るなり説教ですか。」
「王族の一人として、弟の考えを正すのは兄の務めじゃ。それに、その者らも…。」
カザトは俺たちを疑うように一瞥する。特に、俺の足にはチラッと目を向けた。
俺は直感する。カザトは神王側だ。俺だけでなく、他の三人にも緊張感が走るのを感じる。
カスガは言う。
「アニ様、紹介いたします。ワシの友人じゃ。」
「良い。ウヅキから簡単に聞いておる。」
カザトが遮る。顔はカスガにそっくりだが、その気位の高さは王族のものだ。
しかし、カスガは食い下がる。
「いや、ワシの言葉で紹介させてください。まず、彼がカイ。ワシらのなかでは年長者で、グランディエの騎士を務める、剣の名手じゃ。彼に勝てる者は、メウィティカにもそう居ますまい。」
カイは少し照れ臭そうに、頭を下げる。
「次に、マキ。ブロタールという劇団の一員で、楽器も歌も、相当な器量の持ち主じゃ。結界魔道や補助魔道で、ワシは何度も助けられました。」
カスガの紹介を受け、マキが微笑む。これにはカザトもぎこちないながらも頷き、女の持つ愛嬌の強さに驚く。
「次に、ユフィ。ジオリダム出身の才能ある魔道士じゃ。勉強熱心で、ワシの知らぬことを何でも知っております。料理の腕まで一流じゃ。」
ユフィについての紹介は少しとっ散らかっていて、彼も反応に困っている。
「最後に、ソラ。見ての通り、いわゆる精霊の形代です。」
カスガが俺の肩に、手を置いて言う。
「じゃが、天邪鬼ながら、素直で純粋な男です。旅のなか成長するソラを見て、ワシも強い刺激を受けました。ワシゃ、一人の人間として、この男の友人であることを誇っておる。」
そのあまりにもまっすぐな評価に、俺は目頭が熱くなった。しかし、そう言ってくれるカスガに恥じないよう、胸を張った。
カザトは額を掻きながら呟く。
「人間か…。じゃからのう、ワシら王族を、そもそも人間と称するのが、王家の考えに反しておるんじゃと何度言えば…。」
その悩ましげな兄の姿は、自分たち王族を人間でないとしながら、聞き分けがない弟に悩む、むしろ人間味のある姿だった。
「失礼いたします。」
気まずい雰囲気のなか、ちょうど良くウヅキが居間の入口から声をかけてきた。
「積もる話もお有りでしょうが、カスガ殿下もお疲れでございましょう。まずはお召し物を着替え、夕餉といたしましょう。」
そう提案するウヅキの顔は、宮殿の玄関で見せた余裕の無い老人とは違った。カザトとカスガ、二人の兄弟をよく知りつつ、ちょうど良い頃合いに、良い提案をする、やり手の教育係に見えた。
カスガは部屋へ行き、着替えることにした。カザトは俺たちとでは気まずいのか、縁側というところで中庭を眺めていた。
そのとき、チリンと鈴の音がした。
「あ、猫。」
俺はつい手を伸ばし、その毛艶の良い三毛猫を撫でた。
「この離宮で、精霊戦争終わり頃から飼っておるメス猫じゃ。名前はコマチ。」
背中を向けたまま、カザトが言う。
なんだか猫まで品がある。貧民街に住んでいた俺よりも良いものを食べて育ったんだろうな、と思ってしまう。
少しして、着替えを終えたカスガが戻ってきた。化粧も落とし、出会った頃のような服装をしており、少し懐かしい気持ちになった。ただ、いろいろ知ったあとだと、その素材の上質さに気付く。
「本日の夕餉は、カスガ殿下のお好きなものを揃えました。」
ウヅキの一言で、女官たちが食事を次々と運んでくる。船でもかなりのもてなしを受けたが、やはり城下町となると食材も揃えやすいのか、比べ物にならないくらい豪勢な食卓となった。
俺はマルジャーナ家の食事が、俺の人生における生涯で一度の贅沢と思っていたが、まだこんなにも見知らぬ贅沢があるなんて。単純な俺は、これだけで生きていて良かったと思ってしまう。
「なあ、これなんだい?」
俺はクルンと渦になった、不思議な食材を指差した。
「ああ、こりゃタコじゃよ。タコの入った桜飯じゃ。」
「出た、海の悪魔。」
マキが顔をしかめて言うので、カスガが答える。
「なんじゃ、食感が良くて美味いぞ。」
「リベリアでは、古くから魔物と伝えられているのよ。海の底で獲物を待ち構えて、長い手足と吸盤で旅人を食べる魔物よ。」
マキが、いかにも忌々しそうに話す。
「ジオリダムでは、タコは海の賢者とされているぞ。」
ユフィが言うと、マキが大げさに驚く。
「瓶の蓋を開けるほど知能が高いからな。さらには頭と手足それぞれに脳が九つあるらしく、タコの紋章を好んで身につける学者もいるくらいだ。」
「へえ、面白いねえ。」
ユフィの説明に、カイが感心する。
「なあ、これ綺麗だな。」
俺は真っ黄色な、平たい筒のような食べ物に興味を惹かれる。
「おお、嬉しいのう。卵焼きじゃ。」
「え、卵?オムレツとかの?」
「おう、素朴じゃが、この巻くのにコツがいるんじゃ。ちなみに、ワシはダシを効かせる派じゃ。」
「へー、早く食べたいな。」
カスガの説明に、俺はワクワクしてしまう。
「殿下、とっておきはこちらでございます。」
そう言って、ウヅキが赤い肉を運んできた。
「ば、馬刺しじゃ。」
カスガの目が、薬草を選別しているときのように輝いた。俺は聞く。
「バサシ?」
「馬肉の刺身じゃ。馬肉を生で食べるんじゃよ。ワシの一番の好物じゃ。」
カスガが満面の笑みで答える。しかし、肉を生で食べるなんて、俺には信じられない。
「僕は食べないよ。」
珍しく、カイが強い拒否感を示す。
「騎士の親友である馬を食べるだなんて、僕には出来ない。」
「そう、リベリアでは馬肉のステーキがご馳走だけれど。」
マキが言うと、カイはゆっくりと目を瞑る。どうやら、珍しく感情的になった自分を、必死で抑えているらしい。
「…ヌシらは食事一つで、こんなに騒がしくなるのか?」
少し呆れた様子で、カザトが言う。
「まあ、毎回ではありませんが、それぞれ育った国や文化が違うからか、食事だとかいろいろな場面で、情報は交わしますのう。」
呆れ顔のカザトに対し、カスガは微笑んで言う。
そして挨拶をして、俺たちはそのご馳走を食べることにした。どれも美味く、食べる手を止められない。しかし、やはり箸が難しく、思うように食べ進められない。
俺のそんな様子をカスガは微笑ましく見て助言をし、カザトは少し苦々しく見てきた。
マキが勇気を出してタコを食べると、食べられるのは嫌だけれど、食べるのはあり、と頷く。
カイは決して、馬刺しに手を伸ばさなかった。
食事が終わると、女官たちが茶を運んでくれた。紅茶と違う、優しい香りがする。
「うん、落ち着く味だ。俺は好きだ。」
なかなか褒めないユフィが、素直な感想を述べる。そこで、俺は思い出す。
「なあ、カイ。ユージーンの屋敷で、カイは俺に茶を飲ませたよな?」
「うん。メイドさんお勧めの、メウィティカ産のお茶だよ。」
「カイ、それに塩を入れてたよな?」
それを聞いた全員が、はあ?と声を上げる。
「僕としてはアリだったんだけれど。」
「…のう、これも文化の違いか?」
カザトが眉をひそめて聞く。
「…いや、これはただの個人差ですじゃ。」
カスガが、困った様子で答えた。
そして、話は明日以降の話に移る。
「そうじゃのう、ワシとしては友人を連れて行きたいところがあります。」
「旅人な。」
カスガが口にする友人という言葉に、カザトは訂正を入れる。しかし、カスガは譲らない。
「いや、友人を、友人に紹介するんじゃ。」
カザトは、ため息を吐きながら問う。
「蒼華の民へ行くんか?」
「そうじゃ、どうせ、セイもおるじゃろうし。」
蒼華の民、セイ、新しい名前が出て来た。しかし、兄のカザトは変わらず気に食わない表情で言う。
「ヤツらと関わっても、何も有益な時間とならんじゃろう。」
「なんじゃ、友人との時間を、損得でワシは考えません。」
再び、兄弟の間に火花が散る。先ほどよりも強い火花だ。俺たちは何も言えず、気まずく茶をすするだけだ。
「カスガ、ヌシも早よう王族として、大人になれ。ワシら王子は国の発展のためにおる。そうじゃ、ワシゃ、チセ姫との結婚が決まったぞ。」
「お、そうか、アニ様ももう十八じゃもんな。」
カスガの顔がパッと明るくなる。火花が散ったと思えば、めでたい話が飛び出し、俺たちも静かに安心する。カザトは言う。
「ああ、チセ姫の生まれた皐郁の民は強力な騎馬隊を有する、メウィティカきっての武人の民族じゃ。ワシゃその皐郁の民を率いて、メウィティカ国内の民族をさらに強く治めていくぞ。ワシゃ、良い許嫁に恵まれた。」
カザトは誇らしげに言うが、俺はその複雑な話に、つい疑問を口にしてしまう。
「ん?よく分からねえ。カザトは、誰と結婚するんだい?」
居間にピリッと緊張感が走る。カイたちの厳しい視線を感じる。しまった、妙な質問をしてしまったようだ。カザトの鋭い瞳が、俺を見据えて言う。
「形代の坊主、まずは、ワシを殿下と呼べ。」
俺は少し、口を尖らせる。しかし、王族のカザトには、神王にも感じた理屈でない迫力がある。
「ワシら王族の婚姻に、ヌシら平民が抱くような恋だの愛だのは必要ない。個人と個人の婚姻ではない。王家と民族の婚姻じゃ。必要なのは、王家と国に繁栄をもたらす利益だけじゃ。」
カザトはそれを言うと、茶をグイッと一気に飲んで、さらに続ける。
「たとえば、トキヤのアニ様の婚姻は失敗じゃ。まあ、人質として異国で過ごされ、価値観が卑賤に染まったのじゃろうが。何がきっかけかは分からんが、結局、奥方の民にしか利益の無い縁を結び、女子しか産まれていないとも聞いておる。せっかく継承権三位にあるというのに…。」
独り言のように、そして平気で兄を貶すカザトを、理解出来ない。あんなに懸命に怪我人の手当てをして、微笑ましく暮らすトキヤを前にしても言えるのだろうか。
ただ、俺は神王と対面し、そしてカザトと接し、察した。というよりも、諦めた。この人たちは、生まれるよりずっと前から、俺たちとまったく違う魂を持って生きている。俺は形代の浮浪児として育ち、今までも多くの場面で人に対する隔たりを感じてきた。しかし、神王やカザトに感じた隔たりは、天地がひっくり返っても埋まることが無い。
「なあ、デンカ。」
俺はわざとらしく、デンカと大きく呼んだ。あとでユフィたちに叱られてもいい。俺は今、隔たりを埋める気は失せても、反抗する気持ちでいっぱいだ。カザトは俺の挑発的な言い方に、眉を上げて反応する。
「トキヤは少し口は雑だけどよ、腕は確かで慕われている、いい医者だったぜ。俺たちにも親切だしよ。カヤも美人で子どもも可愛くてよ、仲のいい家族だったぜ。」
「形代の坊主、トキヤ殿下と呼べ。して、何が言いたい。」
「あんたも、ああいう綺麗な嫁さんと、いい家族になれたらいいなってだけだよ。」
カザトの目元がピクピクと動く。相当、頭にきたようだ。しかし、ハッと乾いた笑いのあと、吐き捨てるように言う。
「案じてもらわんで結構。チセ姫は愛らしい姫君じゃ。ワシゃ、メウィティカ武人として、そして王子として、武勇に長けた民と王家の縁を結ぶことを誇りに思う。」
そう言うと、カザトは立ち上がり言う。
「あとは数多ある民族を治め、少しでも早く、多くの男子を産んでもらう。それがワシの定めじゃ。」
カザトは王族の矜持を保ったまま、迷いの無い口調で言う。しかし、俺は卑しい思いを止められない。
「王族の皆さん方よ、神の血を引くとか人間で無いとか言いながら、定めとやらに縛られて、一番人間らしく見えるぜ。」
すると、さすがに怒りが頂点に来たのか、カザトが俺の首元に掴みかかって来た。茶碗が派手な音を立てて転がる。
「アニ様っ。」
カスガたちが止めに入り、カザトが俺を突き飛ばす。そして、呟く。
「…ヌシら平民に、何が分かるんじゃ。」
ウヅキたちがただならぬ物音を聞き、居間を覗きに来た。カザトは居間から出て行く。
「気分を害した。ワシゃ寝る。」
女官が数人、慌てて追いかける。
居間には、かなり重い空気が残った。四人が、もしかしたら旅でも一番なくらい、険しい表情を俺に向ける。叱られてもいいとは思ったが、あまりにも後先を考え過ぎなかったと、かなり強い後悔に襲われる。
「ウヅキ、片付けを頼む。余も部屋へ行く。さあ、ヌシらも。」
カスガに促され、俺たちは彼の部屋へ行くことにした。




