メウィティカ、龍が棲む伝統国《ソラ》
《ソラ》
俺は、もしかしたら人生で一番、緊張しているかもしれない。
メウィティカの神王が、この扉の向こうにいるという。王族とはこれまで、グランディエのティアや、アリアレジスのディーン皇王などと会ってきたが、この国は、やはり歴史が違うのかもしれない。
扉自体が大きく、見たことのない植物が描かれている。思い返してみると、初めて会ったとき、カスガの服装も初めて目にする意匠だった。メウィティカは、独特な文化を築いてきた国なのだ。
この扉までも、壁から天井まで豪華な装飾がされた回廊を歩いてきた。床は、なんとなく良い香りの木材だ。
そして、回廊ですれ違う者全てが平伏して挨拶をしてくる。それだけで、俺はとんでもない場違いさを感じ、体がガチガチに固まる。
もう少しさかのぼると、この宮廷に入るとき、俺たちは男女に分かれ、身を清める儀式をさせられた。俺たちは汚れた衣類を預け、代わりとなる衣装を着ることになった。ユフィ曰く、世界最高級の絹素材だそうだ。ちなみに俺たちは、武器類も取り上げられた。
そんなことばかりなので、俺の緊張感は最大だ。
何よりも隣に立つ男、カスガだ。
カスガは王族の衣装を纏っているようで、それは光沢のある絹素材なのはもちろん、何重にも衣を重ね、裾も長く重そうだ。マルジャーナ家で借りたあの贅沢な衣装も、かすんでしまうほどの豪華さだ。さらに髪や、肌の露出した部分には、いわゆる天然石で作った装飾品を着けており、後で本人が言うには、腕輪一つで屋敷が一件建つらしい。
締めは化粧だ。三人の女官がかりで顔も指も、赤い紋様などが施された。
しかし、カスガはそのどれもを着こなし、一つとして違和感や無駄な派手派手しさは無い。自然でかつ、荘厳な建物に負けない風采の良さを見せた。
対面したときは、俺だけでなく、カイもマキもユフィもその別人ぶりに驚き、言葉遣いに迷った。だがカスガらしく、気さくな笑みを浮かべたので、俺たちもいつも通りの笑みを返した。
そして、神王の間の扉前だ。緊張で固まる俺に、カスガが耳打ちする。
「なに、神王というても、ただの爺さんじゃ。気を抜いて行け。」
いや、それを言うお前がそんな姿では、とても無理だと思いながら、俺は軽く頷く。
扉を開く前に、話はルムーシュクの朝へさかのぼろうと思う。
緑色の帆の大きな船は、船着場へ着くと、一層の存在感を放った。そして、カスガが言っていた、着物という民族衣装を着た数人のメウィティカ人が降りてきた。誰もが振る舞いに無駄がない。
一人の年配の男が言う。
「王子殿下、お久しぶりでございます。お迎えに上がりました。」
本人から打ち明けられていたとは言え、改めて王子だと聞くと、やはり驚く。俺たちは静かに顔を見合わせる。
カスガは腕を組み、無言を貫く。
「トキヤ殿下から書簡を受け取っておりました。殿下が見聞の旅の途中、グランディエで苦難に遭われたと。再びお会いでき、何よりでございます。」
年配の男と、他の者たちが深く礼をする。おそらく召使いにあたる人物だろうが、アリアレジスで出会った情の深い執事メルヴィンとは違う雰囲気だ。言い方は難しいが、こちらのほうがヨソヨソしい。
ついでに、カスガの兄のトキヤも、王位継承者にあると自然と納得する。
カスガは、召使いに対し無言で頷く。
「そして、書簡には西方諸国を進まれるとも書いておいででした。そのなかで、ルムーシュクの抗争の話を聞き、我々も穏やかでいられず、こうしてお迎えに上がりました。」
カスガは変わらず、無言で頷く。
年配の男の話は、穏やかでいられないと言いながら淡々としており、その本心が掴めない。
そして俺たちは目の端で、他の召使いがシャルグ家とガルブ家の者に話をするのをとらえた。シャルグもガルブも、緊張感で姿勢を整え、さらには頭も下げている。
年配の男はさらに話す。
「さあ、殿下。メウィティカへ参りましょう。神王陛下も殿下の帰りをお待ちです。」
その言葉の終わりと同時に、他の召使いがカスガの荷物を無言で持つ。カスガは何も言わずに荷物を渡す。
「…殿下、後ろにいらっしゃる方々は、どのようなお連れ様でしょうか?」
年配の男が、俺たちを探るような目で問う。
「余の友人じゃ。余と同様に扱え。」
召使いたちが降りてきてから、カスガが初めて声を発した。それは少し低く重い声で、彼らしくない強気な口調だった。
年配の男が答える。
「かしこまりました。ところで、お召し物ですが、お言葉は悪いですが、平民のものです。早速、船で…」
「必要ない。これは友人が選んでくれたものじゃ。祖国まで着替える気は無い。」
着替えの提案を遮るように、カスガが強く言う。年配の男は、大人に叱られた子どものように萎縮し、頭を下げる。
そして、俺たちはカスガを先頭に船に乗り込む。船員も召使いも、カスガを前に平伏して挨拶する。年配の男に案内されるまま、俺たちは船室へと入る。
船だというのに、まるで一つの城のようで、どこも丈夫で豪華だった。
船室に五人で入ると、カスガは召使いを部屋の外へ出す。召使いは抵抗することなく、部屋の外へ出ていく。
「あー、嫌じゃ嫌じゃ。まったく、ワシゃ、こういうのが誠、嫌なんじゃ。息が詰まってしょうがない。」
扉が閉まった瞬間、カスガが船室に寝転がり、大の字になる。俺たちは少しの間、何も言わずに、そんなカスガを見ていた。
「なんじゃ、ヌシらもワシを、ああいう尊いものとして扱うんか?」
カスガが起き上がって言う。その彼の顔は、先ほどまでの無表情で無感情なものでなく、いつもの気さくで人間味のあるカスガだった。
「いや、あまりにも自分の生活と離れていて、驚いた。」
ユフィが、戸惑いの余韻を持ったまま言う。俺も、カイとマキも頷く。
「じゃから嫌なんじゃ。ワシゃ、ただの人間じゃ。カスガ=カルナギじゃ。」
カスガは近くの枕を抱いて転がる。俺たちも床に座り、彼の様子を少し微笑ましく見ていた。
俺は疑問を口にしてみる。
「なあ、なんでカスガは、あの召使い?とかに、言葉をかけないんだい?頷くばかりでよ。」
「ああ、そりゃ、王族のしきたりじゃ。」
「しきたり?」
「ああ、尊い身分の者は、下の者に無闇に声を掛けてはならぬという…。王族のつまらぬ見栄を保つための、つまらぬ決まりじゃよ。」
そう言うカスガは、たまに見せる自虐的な彼の姿だった。
「でも、それを破ってまで、ユフィの選んだ服にこだわったのね。」
マキが微笑みながら言う。
「ほんの、反抗期じゃよ。」
カスガは枕を抱えたまま、壁際まで転がる。
俺たちはそんな会話をしながら、船が海原を進む振動を感じ取る。
「しかし、トキヤのアニ様、良い機転というか、悪い気を遣うというか…。まあ、今回は救われたわけじゃが。」
カスガがぶつぶつと呟くのに、カイが問う。
「ねえ、トキヤさんも王族なんだよね?どうしてアリアレジスの小さな診療所にいるんだい?」
すると、カスガが俺たちのほうを向き、答える。
「トキヤのアニ様は、人質じゃ。」
「人質?」
俺たちは意外な言葉に驚く。そして、ソロの母リヤも、ソクアヴェスタからアリアレジスに人質として嫁入りをしたことを思い出す。
「ああ、メウィティカは精霊戦争中、鎖国をしたと言うたじゃろう?メウィティカとアリアレジスで、その鎖国を攻めさせない、攻めないという約束のために、トキヤのアニ様は、ほんの十歳でアリアレジスへ取り引きとして渡ったんじゃ。」
カスガは天井を見つめて言う。ユフィが問う。
「ちなみに、トキヤの継承順位は?」
「第三位じゃ。」
「…なるほど。失礼かもしれないが、それだけの取り引きの人質としては、必要な身分なのかもしれないな。」
ユフィが俯いて呟く。カスガは、ユフィの沈んだ顔を取っ払うように話す。
「じゃが、アリアレジスに渡ったことで、今の奥方のカヤ様と許嫁になったんじゃ。カヤ様は初めてお目にかかったが、なかなかのメウィティカ美人じゃ。性格もさっぱりしておられる。アリアレジスで家族四人幸せそうに暮らすアニ様を見て、ワシゃ安心したぞ。」
その言葉に、ユフィは少し安心した表情を浮かべた。
「なあ、そのケイショージュンイって何だい?」
俺の質問に、四人は少し驚く様子を見せた。俺はどうやら、世間知らずな面を見せてしまったらしい。しかし、カスガが起き上がり丁寧に説明してくれる。
「簡単に言うと、次の王様になる順番じゃな。メウィティカでは王は神王と呼ばれておるんじゃが、今の神王は、ワシの祖父に当たるソウシ陛下が即位していらっしゃる。」
「え、カスガの爺ちゃんって王様なのかい?」
俺の今さらな質問に、ユフィがそれはそうだろう、と少し呆れた顔をする。
「そうじゃ。じゃが、祖父は娘しか授からなかった。メウィティカは男子しか王位につけん。そこで、その娘たちが産んだ男子たちが、次の神王になるわけじゃ。」
俺はどこかでそんな話を聞いた気がしつつ、新たな疑問を口にする。
「カスガはその継承権が五位ってことだよな。じゃあ、王位継承権のある四人がいなくなったら、カスガが次の神王になるのかい?」
その質問をした途端、カスガ以外の三人が、それぞれ俺のどこかを叩いた。
「いってえっ。」
「ソラ、さすがに無神経すぎる質問だよ。」
普段は温厚なカイが、かなり鋭い目を向ける。俺は反省し、正座をして座る。
「まあ、間違いではないのう。じゃが、継承権一位のスバル様は立派なお方じゃ。つまりは神王陛下の孫のなかで一番に生まれた男子なわけじゃが、継承権一位に恥じない、武勇と人格に優れた方じゃ。」
俺たちはへえ、と声を上げる。要するに、カスガのいとこに当たる人物なのだが、彼がそのスバルという人物を説明する表情に翳りはなく、心から敬意を持っていることを感じる。
船旅は意外と長く、一週間ほどを要した。
しかし、船上だというのに、俺たちは何の不自由もしなかった。食事は豪華だし、潮風でベタつく体を洗う水すらも確保されている。王族のような特別な地位にいる者が、何の不満も抱かない、もてなしが徹底された海上の屋敷とも思えた。
食事のとき、俺たちは初めて箸というものを持った。二本の棒を上手く使わねばならず、かなりの苦戦を強いられた。器用なマキは、すぐに使いこなしたが。
また、カスガが空になった自分の茶碗に、茶を注ごうとした時のことだ。すると、女官たちが飛ぶように、カスガの手に持たれた急須というものを奪い茶碗に注ぐ。その女官たちの目は、微笑みを浮かべながら重圧を抱えているように見えた。
その食事のあと、俺は便所で用を足そうと廊下を歩いた。すると、年配の女官が、若い女官を叱責する場面を見てしまった。
「ヌシは役立たずじゃな。殿下に茶を注がせる隙を与えるなんぞ、女官失格じゃ。もっと王族の方やお客人の行動に気を払わんか。」
叱られた女官は、泣きそうになりながら唇を噛み締めていた。
その場面を見て以来、俺は食事のたびに居心地が悪くなった。俺は王族ではないが、何かの手違いで誰かが叱られるのではないか。
食事は船上とは思えないほど豪華で、また、メウィティカの珍しい食材が揃い、美味いはずなのに、妙に砂のような味に感じた。
カスガは船室に引きこもったが、俺たちは外の空気を吸いたくて、甲板に出た。なんだかんだ言っても、冒険を感じさせる潮風は、海の無い城下町で育った俺には心地よい。
しかし、船員も召使いも、俺たちを見るなり頭を床まで下げ、これでは仕事にならなそうだ。俺たちはすぐに船室へ戻った。
俺は呟く。
「俺たち、別に王族じゃないのにな。」
すると、カイが答える。
「誰かにお仕えすると分かるよ。その方の大切にしていらっしゃるものにも、自然と敬意を表したくなる気持ちが。」
騎士であるカイの、説得力のある言葉だった。
そして、メウィティカにつくまでの船旅は、ほとんどを船室で過ごした。寝心地の良い布団や絨毯に寝転び他愛の無い話をしたり、すごろくという遊びをしたりと、五人でいれば楽しかった。すごろくでは毎回、カイが一番に上がり、ユフィが最下位だった。サイコロという、知識が通じない相手にユフィは苦戦する。
また、船室には胡弓という弦楽器があり、カスガはそれを弾きこなした。伝統音楽は、王族のたしなみというものらしい。
カスガの胡弓と、マキのエルターニャ笛。異国を思わせる楽器の音色は不思議な居心地で、船の揺れと相まって気持ちが安らいだ。
もう明日にはメウィティカには到着するであろう夜、俺たちはなかなか寝付けずに、答えを求めるでもない話をした。そのなかで、俺はカスガに一つ問うてみた。
「なあ、これからカスガはメウィティカで、王族として過ごすのかい?」
うーん、という声が聞こえ、しばらく波音だけが聞こえる。カスガは、やはり答えが固まらないまま話し出した。
「何も分からんし、決まらん。ロンソ村を出たときは、祖国へ帰ることだけを考えておったが、今は明日や一週間先の自分すらも思い当たらん。少しだけ、ギリギリまで考えてみるよ。」
そうか、と俺は返事をした。何までのギリギリかは聞かなかったが、カスガも旅のなかで様々なことを感じ、自分の人生を考えている。それは、バードで強く感じたことだ。
そして、俺たちは船旅を経て、メウィティカへ降り立った。船着場は古さはあるものの大きく、たくさんのメウィティカ人が行き交っていた。
俺たちは普通の服装をしているが、身なりが良く隙の無い動きの召使いに囲まれたカスガは注目を集めた。そして、船と同じような緑色で、上品な装飾をされた馬車に乗り込む。馬車の周りは多くの騎兵が囲み、警備が厳重だ。
カスガは、船がメウィティカに近づくほど、そして船着場に降り、馬車が進むほどに表情から感情が失われていった。
そして、やはり何も言葉を発さない。
マキが興味深そうに馬車の外を見るので、俺も見てみる。建物は、アリアレジスのメウィティカ郭で見たのと同じような見た目で、独特な歴史を思わせる趣だ。
しかし、俺が気になったのは民だ。馬車が通る道にいる民が、馬車を見るなり急いで、地面に頭をつけて平伏している。
俺はここまでの権威を目にするのは、初めてだった。




