ルムーシュク、薄氷に立つ少年2《ソラ》
《ソラ》
あの、落ちていく感覚だ。荒く塗りつぶされた黒いペンキと、煌びやかな星々。もはや見慣れた光景だが、やはり複雑な思いで眺めている。
やがて、足元が確かになった。
足元が確かになると、そこは質素な家だった。と言うよりも、かなり貧しそうな家だ。家具は古く、布団はツギハギだらけだ。
痩せた女が糸を紡いでいる。どうやら内職をしているらしい。
「母ちゃん。」
そこに、五歳かそこらの少年が帰ってくる。テッドだ。痩せてはいるが、茶色い瞳と丸い頬に面影がある。
「テッド、お帰り。」
「今日は薪拾いの仕事だったよ。はい、報酬。」
テッドは母親に、わずかなコインを渡す。
「あら、頑張ったね。お疲れ様。」
母親は、テッドの丸い頬を撫でる。
「そうそう、テッド。今日はお母さん、姫神教会へ行ってお守りをもらったの。」
「お守り?」
母親はテッドの右手を取り、赤や黄色の紐で編まれた紐飾りを巻いた。
「いつも頑張って仕事をするテッドを、姫神様は見守っていらっしゃるよ。」
母親がまっすぐな瞳で言うと、テッドは満面の笑みを浮かべる。
すると、またも扉が開く。
「帰ったぞー。」
「父ちゃん。」
テッドは帰ってきた男の足に抱きつく。
「今日は大物だ。ほら。」
男はそう言って、手に吊るした大きな鴨を見せる。脂肪がたっぷりで、かなり美味そうだ。
「すげえ。さすが父ちゃんだ。」
「ね。今日はご馳走だね。」
テッドと母親は手を叩いて笑い、父親は胸を張って言う。
「精霊戦争で地位も領地も無くしたが、俺たちは支え合って生きていける。貧しくても、これでいいじゃないか。」
鴨の処理をする母親の横で、父親がテッドを抱きかかえる。テッドは微笑んで、父を抱き返す。
俺は、何を見ているんだ。あんなにも憎らしかったヤツの幸せを、俺の知らない家族の姿を見せられるだなんて、湧き上がる黒い感情が揺らめく。
すると、落ちる感覚がした。
次に足元が確かになると、記憶にある街並みだった。それは、グランディエの商店街だ。
しかし、雰囲気は賑わいとはかけ離れており、多くの人が恐れ、悲鳴を上げている。
「母ちゃん、母ちゃん。」
テッドが、横たわる母親をゆすっている。
「けっ、なんだよ。貧乏人か。」
そう言う少年は、横たわる母親の近くに立っている。足が水色だ。精霊の形代だ。
「母ちゃん、死なないで。」
テッドの母親の胸には、氷柱が刺さっている。
「ははっ、弱いヤツは死ぬだけだ。」
形代の少年は、母親から奪ったであろう財布を手にして吐き捨てる。
「このやろうっ。」
テッドが泣きながら少年に殴りかかる。
「雑魚がよっ。」
少年の手のひらから放たれる分厚い冷気によって、テッドは後ずさり尻もちをつく。
形代の少年は高笑いを上げながら、貧民街へと去っていく。
「母ちゃん、誰か、助けてっ。母ちゃんっ。」
テッドの声は、昼間の商店街に吸い込まれる。誰もその声を受け止めなかった。
やがて、死体となった母親が、姫神教会に運ばれていった。テッドと、狩りから帰ったであろう父親は、空っぽの表情のまま、母親を見送った。
そして、また落ちる感覚がした。
次に足元が確かになると、またあの貧しい家だった。しかし、以前よりも荒れている。ささやかな家具類は倒れ、カーテンは破れ、酒瓶が転がる。
部屋の隅で、テッドが膝を抱えている。父親は、床にだらしなく眠り、荒い呼吸で寝息を立てている。途中途中、寝言なのか恨み言を上げている。
「…ちくしょう、国も、戦争も、ぜんぶ…、クソ喰らえだ…。」
テッドは明らかに、眠る父親を警戒している。父親の寝息や寝言、一つ一つに過敏に反応している。
部屋に漂う緊張の糸がピンと張り詰めたとき、父親がのそりと起き上がる。テッドの顔色が、恐怖に染まる。
「…てめえ、何、仕事もせずによお…。」
父親は、呂律も回らない、正常でない様子でテッドを睨む。そして近くの酒瓶を取り、テッドに投げつける。テッドは慣れた手つきで酒瓶を受け取り、なんとか割らずに済ませた。
「早く働いて、酒買って来い。」
「で、でも、金も仕事も無いよ、父ちゃん…」
「黙れっ。」
父親はふらつきながらも、体重に任せてテッドをたたく。一発、二発、日常のように慣れた風に張り手を降らせる。
諦めたテッドは、酒瓶を手に外に出る。しかし、すぐにしゃがみ込んで、呟く。
「母ちゃん…。」
少しの間、涙を流し、立ち上がる。ヨロヨロとした足取りでたどり着いたのは、貧民街のゴミ山だ。そして、他の浮浪者を差し置いて、まだ新しい、食べられそうな生ゴミにがっつく。しかし、テッドの目は暗い。食欲か、何を満たしているのか分からない、空虚な行動だった。
満たされたか分からない表情で、テッドはゴミ山を後にする。その後、井戸で酒瓶に水を入れ、さらに木に実った適当な実を潰して入れる。そうして酒と偽って、家に帰るようだ。
「父ちゃん…。」
父親は、床で寝ていた。
「と、父ちゃん。」
テッドは酒瓶を放り、父親の顔を覗き込む。
「父ちゃん、父ちゃん。」
何度ゆすっても、少しも瞼が動かない。息をしていない。
「と、父ちゃ…。」
消えいるような、テッドの声が残る。
そして、また落ちる感覚がした。
次に足元が確かになると、グランディエの貧民街だった。先ほども見たゴミ山が見える。
何年か経ったのか、テッドは俺の覚えのある、あのふくよかな姿になっていた。そして、ゴミ山で見つける生ゴミを、貪るように食べる。まるで自身の欠けた何かを満たすように、空っぽの目で。
「触らないでよっ。」
テッドに注目していると、よく知る声が聞こえた。そちらを見ると、俺がいた。
まだ貧民街に流れ着いたばかりの、汚いことも知らない幼い俺だ。しかし、水色の足を無防備にさらしている。
「お前、女みたいな顔だな。」
「なあ、可愛いじゃん。」
「ちょっと遊んでやろうぜ。」
少し年上の少年たちが、幼い俺の服を引っ張る。俺は抵抗している。
「嫌だ、やめてっ。」
それを見たテッドが、立ち上がり言う。
「おい、やめ…。」
しかし、幼い俺が泣き叫び腕を振る。
「やめてよっ。」
すると、黒く細い氷柱が少年たちの手や腕をかすめる。
「こいつ、氷の形代だっ。」
「氷の形代は、形代狩りにやられたはずじゃ…。」
「馬鹿、他のヤツだよ。」
幼い俺を虐げようとしていたヤツらが、途端に怯む。しかし、テッドはヅカヅカと幼い俺に近づく。そして、俺の首を引っ張り、頬を叩いた。
「な、なんで…。」
幼い俺が、呆気に取られる。
「お前らがいなければ…、くそっ、くそっ。」
テッドは俺を突き飛ばし、立ち去った。
思えばこの瞬間から、テッドは俺を【青いの】と言って蔑むようになった。俺が仲間を作ろうとしても疎外し、食糧や金銭を奪ってきた。
それには、氷の形代による母親の死と酒に溺れた父親の存在が、影にあったのだ。
でも、俺に何を求める?俺の何が悪い?
俺はヤツに同情なんて、絶対に出来ない。それが俺の感情だ。ヤツの記憶を見たところで、俺が受けた仕打ちは、生温かい感情として残っている。
そして、また落ちる感覚がした。
次に足元が確かになると、記憶の最後となる白い空間だ。グランディエの城下町だ。
しかし、俺の知るグランディエと違う。ところどころ建物が破壊され、死体の山が出来ている。
テッドは、貪欲な孤児として、死体から金品を漁っている。しかし、ヤツの視線は、ある者に奪われる。
セーラだ。あの冷たい美貌の女が、黒い装束で荒れたグランディエを歩いている。テッドはすっかり、その美貌に見惚れているようだ。
セーラがその視線に気付き、問う。
「あら、何か?」
「あ、いや、えっと、珍しい服装だなって…。」
テッドが苦し紛れに言う。すると、セーラはお得意の、余裕たっぷりの上品な微笑みで言う。
「ええ、私、希望教に所属する殉教の魔道士ですから。」
「え、希望教?」
「ええ、今回のブランジェの侵攻を機に、堂々とグランディエを歩いてみようと思いまして。」
どうやらこの記憶は、俺たちがグランディエを旅立った後の、ブランジェによって荒らされた城下町らしい。カイに何と説明すれば良いのか分からない。
「あなた…。」
「え。」
セーラがテッドの顔を覗き込む。テッドは顔を真っ赤にして戸惑った。セーラは言う。
「魔道に興味はありません?」
「ま、魔道?」
テッドは嫌悪感をあらわにした。
「いや、無い。形代と同じような生き物に成り下がりたくない。」
なんだ、その言い方は。まるで形代が、人間でないような言い方に、俺は感情のままに掴みかかりそうになる。
「形代の方も魔道を操りますが、私の魔道はこれです。」
そう言ってセーラは、殉教の魔道士の刺青を見せる。テッドはその凶々しい模様に、眉をひそめる。
「希望教は、得た力を自由に使って良いのです。もちろん、死後の世界に責任は伴いますが。」
「…怪しいな。」
テッドは浮浪児らしく、警戒心を強める。貧民街で生き延びる浮浪児は、疑り深いのだ。
「ええ、怪しいでしょう。ですが、あなたはこの怪しい魔道に才能がありそうですよ。」
「才能?」
「ええ、復讐をすることも、人を救うことも、人を罰することも、殉教の教えには無限の可能性が許されています。あなたには、その才能を感じます。」
その言葉に、テッドの目の色が変わった。
「復讐、罰…。」
テッドが、母親に結んでもらった紐飾りを見つめる。だが、それは皮肉にも、姫神教会のものだ。
「話を聞かせてくれよ。綺麗な魔道士さん。」
「ええ、喜んで。」
「ソラ、ランプを消して…。」
あの謎の声だ。俺は迷わず問いかける。
「なんで、ヤツの記憶を見せた?」
「これも一つの、悲しい記憶だからです。そして彼も、歴史の犠牲者だからです。」
「犠牲者?」
俺は何も見えない空間を睨んで言う。
「何が犠牲者だ。ヤツは自分で魔道の道を選んで、自分で爪を捧げて死体兵を作った。生きてる人だって、その死体兵で襲ったって聞いたぜ。そして、恨みを買って殺された。どんなに悲しい過去があっても、俺には自業自得ってヤツにしか思えない。」
「…それも、悲しいではないですか。」
俺は、それを言われて少し黙ってしまった。
しかし、やはり感情には、テッドに対する個人的な恨みがある。俺はその暗い感情のまま、叫ぶ。
「そんなこと言ったら、悲しいって何なんだよ。人を傷つけて、罰を受けたように死んだ人間にまで悲しんでいたら、もう全部が悲しいものに見えるじゃないか。」
「あなたがそう思うなら、世界は悲しみに満ちているのでしょう。」
「なに?」
俺は謎の声の、突然の強い言い切りに戸惑う。
「なんだよ。お前、いつも答えはあなたが出せって言うのに…。」
「…悲しみの先に、ある答えを出してほしいのです。」
俺は、予想出来ることを問いかける。
「で、その答えは、何の問いに対するものだい?」
「それは、言えません。」
「やっぱりな。別に期待はしてなかったけどよ。」
俺は火を消そうとする。
「私は、変わらずあなたを信じています。」
「え?」
「あなたの力は、成長しています。銀の糸の記憶を見る力です。」
「…だから、あの屋敷で、前よりもヒューの記憶を見れたのか。」
「あなたが、たくさんの悲しみを解き明かすのを、信じています。」
まるで、ディーン皇王の言葉のようだ。
俺は火を吹き消した。
戻るときはまた、あの感覚がした。水面へ一気に浮き上がる感覚だ。
しかし、俺はふと、違う予感に気付く。
「見つけて…。」
いつもの鈴のような声がした。
「私を、見つけて…。」
もしかして、これは海かもしれない。俺は川の中しか知らなかった。けれど、死体兵によって沈められた海。ここは、海に似ている。
底の知れない深い海。死すら覚悟させる、一瞬の油断も出来ない深い深い青。
あんたは、こんなに空虚なところにいるのか。こんなに心細いところに、きっと一人でいるのか。いつか会えたなら、一緒に海の上に行こうぜ。
良い世界とは、はっきりとは言えないけれど。
銀の糸から戻ると、ルークは鼻先で、俺の頬を撫でるような仕草をした。なんとなくこのままには出来ないので、俺は浜辺から少し歩いたところにある草むらに、テッドの死体を埋めようと思った。そこは土が柔らかく、ナイフとルークの腕で、すぐに墓穴を掘ることが出来た。
「夜明けだ。」
崖を見上げると、街の向こうに朝の光を感じる。西方諸国の一番西にあり、高い崖の下にあるルムーシュクの港は、まだ朝日が届かない。
「ルーク、一晩中ありがとよ。」
〈おう、ソラ坊。お前もよく頑張った。〉
「アッシュもさ。助かったぜ。」
〈途中で戻ってごめんね…。〉
ルークも魂となり、俺の胸へ戻った。
それを見て気付いたが、俺の服はテッドの血で汚れていた。早く教会へ戻ろう。四人のところへ戻ろう。
ひと段落つくと、疲れは一気に襲ってくる。俺は体が重く、さらには服が海水で重く、足が重い。
少し歩くと、防壁で隔たれた港にたどり着く。昨晩はあちら側から防壁を乗り越えて、こちらにいた異形の死体兵たちに挑んだ。
だが今は、あちら側のほうが違う世界のようだ。
あちら側にいる大人たちが、俺を見ている。それぞれの目には、嫌悪感、拒否感、不快感などが浮かび、誰も俺を人間として見ていない。しかし、どこか俺に対する恐怖感も漂っている。
昨晩、死体兵の間を駆け抜けて抱いた万能感は、俺のちっぽけな勘違いだったのかもしれない。やはり俺は、貧民街の浮浪児で、形代で、誰からも求められないような、汚らわしい存在なのかもしれない。
俺の内側を支える自信が揺らぐ。あんなにも大勢の、敵意剥き出しの大人たちのほうへ歩く気力が、もう失せてしまった。
「ソラっ。」
俯いた俺を、誰かが呼ぶ。
「マキ…。」
マキだけじゃない。四人ともいる。疲れた足を、何かが弾くように俺は走り出した。
「よく頑張ったね。」
「ああ、よう戻った。」
カイとカスガが、俺を防壁越しに引っ張り、【あちら側】へと戻してくれる。俺はもう力が抜けて、彼らに全体重を預けてしまう。カイとカスガが、俺を抱えたまま後ろへ倒れた。
「あれ、なんだかソラ、重くなったかい?」
カイがのん気な声で言う。
「まあ、背も伸びてるしよ。」
俺は顔まで力が抜けてしまい、表情がにやけてしまう。マキとユフィが、俺の両脇を抱えて立たせてくれる。
この瞬間も、大人たちの視線は、敵意を持ったまま俺たちに降り注ぐ。
しかし、俺はこのとき、本当の万能感に満ちていた。昨晩の万能感も、たぶん間違いじゃない。魔道も召喚獣も、旅で得られた俺の力なのだ。
でも一番は、俺を信じてくれる仲間がいる。俺が揺らいでも、戻って来られる場所はここだ。形代でも、青いのでもなく、俺の名前を読んでくれる人がいる。そして俺はここにいる。そう信じられる。それがどんなに頼もしいことか、俺は今、湧き上がる感情が溢れそうで、叫びたいくらいだった。
気付いたら、夜明けの光は港に届き、遠くの水平線を照らしていた。不思議なことに、水平線は真っ黒で、空と海の境界線がはっきりとしている。
「この港を出て、あの水平線の向こうへ行けば、メウィティカにたどり着けるんじゃがのう…。」
カスガが呟く。
敵は退けたが、問題は解決していない。俺たちは、海を渡る手段を思案し、水平線を見つめたまま黙ってしまう。すると、少しずつ明るくなる水平線に、小さな影が見えた。影はこちらへ近づいてくる。
「砲撃の準備をしろっ。」
ガルブの者が叫び、大砲が運ばれる。
「勝手な真似をするなっ。」
シャルグの者が掴みかかり、小さな抗争が始まった。大人たちが殴り合う。
「マズイ、少し離れよう。」
カイが俺たちを、港から少し離れた階段上へと導く。しばらく、俺たちは物陰からその抗争を見ていた。
カスガたちは、ガルブ家が思うよりも、いろいろ考えていると言っていた。しかし俺には、この抗争の狙いは分かっても、意味は分からない。結局、どちらかが財産や地位で優位に立つことが最終目的なのだろう。俺はこの戦いによって、ルムーシュクが良い街になる予感がまったく持てない。
「砲撃準備っ。狙いを定めろっ。威嚇砲撃だっ。」
数で勝るガルブの者が、大砲の向きを調節する。
「やめろっ。どこの船か分からない。」
シャルグの者が、なりふり構わず止めに入る。
しかしガルブの者は、火を手に叫ぶ。
「うるせえっ。ルムーシュクは、西方諸国は、ガルブのものだぁ。」
そう叫んで、大砲の導火線に火が近づく。
撃たれる、俺たちは轟音に備え、耳を塞いだ。
その瞬間、けたたましい鐘が鳴り響く。誰もが驚き動きを止める、嫌な音だ。
火を持つ男の動きも止まる。
「…すごく立派な船だ。帆は、緑色…。」
カイが目を凝らして、海を見る。言う通り、これまでの港町で見てきたどの船より大きく、帆柱もいくつも立っている。格の違いは、一目で分かる。おそらく使われている木材も、相当質の良いものだろう。何よりも、美しく深い緑色の帆が、風格を纏って風を孕む。帆には、見たことの無い鳥と植物が描かれているようだ。
そして、あの緑色には見覚えがある。俺は、立ち上がったカスガを見上げる。
「…ここまでじゃ。残念じゃのう。」
カスガは、海を見つめて呟いた。
カスガに着いて、船着場へ近づく。大勢の大人たちが、近づいてくる船を見守っている。
「か、カスガ様っ。」
振り返ると、街のほうから何人もの身なりの良い大人たちがやって来る。
「様?」
俺はカスガを見上げるが、彼は俯いている。
「覚えておいでですか。シャルグ家当主、イスティオでございます。」
「ああ、久しぶりじゃな。」
カスガがそう答えると、シャルグの当主は周りの大人に命じて、大人たちがどんどんひざまづいてゆく。
「やめとくれ。余は今、ただの旅人じゃ。」
カスガはひざまづいたイスティオの肩に手を置く。しかし、イスティオは姿勢を低くしたままだ。
「お前、イスティオ…っ。」
またも、身なりの良い大人たちがやって来た。共通していることは、どいつも人相が悪いことだ。
「アヴィドめ、お前まさか、カスガ様がいらっしゃるのに港を封鎖していたのか。」
イスティオが一人の男に掴みかかる勢いで話す。この男が、カスガが一人で対面したガルブの当主か。アヴィドは返す言葉を失ったまま、俯いている。
「このお方に何かあったら、ルムーシュクの貿易が終わるぞ。」
イスティオは半分、自分を見失いそうなくらいアヴィドに向けて叫ぶ。俺は状況が掴めずカスガを見るが、彼は見たことないくらい冷めた目をしている。そして、イスティオはカスガに話す。
「カスガ様、どうぞ一緒に船を…。」
「良い。余と友人とで迎える。そなたらは関わらんでくれ。」
「いや、そんな…。」
イスティオとアヴィドたちの顔が青ざめていく。その様子を苦々しい表情で見つめたカスガが呟く。
「安心せよ。シャルグもガルブも、悪いようには伝えん。」
カスガのそのたった一言で、大人たちは大きくため息をついた。イスティオなんかは、命が繋がれたかのような安堵感だ。
カスガはずっと冷めた表情のまま、港の先へ歩く。俺たちも、彼のあとに着いてゆく。
緑色の帆の、格式が高そうな船は、どんどん近づいてくる。カスガは何かを諦めるように、腕を組み、心からのため息をついた。
「カスガ…。」
俺が声をかけても、彼は海を見たままだ。
「カスガ、船が来るぞ。ちょうど良く、話すときなんじゃないか。」
ユフィが静かに言う。俺は問う。
「は、話すって何をだい。」
「お前は普段、勘だとか言っておいて、ここまで来て何も分からないのか。」
ユフィが躊躇うように言う。
「そうじゃのう…。」
カスガが俯いて言う。
「ワシが何者であっても、変わらず友人でいてくれるかい?」
俺以外の三人は、少し考えたあと、それぞれが言う。
「まあ、俺はだいぶ前から気付いていたしな。」
ユフィが冷静に言う。
「改めて考えると、ちょっと緊張しちゃうけれどね。」
「うん、そうね…。でも、カスガが誰でもあっても、あなたの良いところを、私たちは知っているわ。」
カイとマキが微笑んで言う。カスガは三人の言葉を受け、俯きながら何回か瞬きをした。
俺は、分からないながらも言う。
「カスガはカスガだろ。なあ、お前の口から、その何者かを聞かせてくれよ。」
すると、カスガは額を掻いたあと、船を指差して言う。
「あの船は、メウィティカの船じゃ。緑色に、生き物は龍、植物は松。永遠の権力と幸福を象徴する、王族の印じゃ。」
「王族。」
俺は驚く。
「ワシゃ、カスガ=メウィティカ。王位継承第五位についておる。」
王位継承五位。俺にはその権威が、ピンと来ない。しかし、カイがのん気に言う。
「五位かあ。薄々勘づいてはいたけれど、思ったより高くてびっくりだなあ。」
「なんじゃ、人のことを物価のように言いよって。」
俺以外の四人は軽く笑う。俺は、思った以上にすごいヤツと旅をしていたのかもしれない。




