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【太陽物語】 夜明けへ進む少年は  作者: 立花ハル
《第八章 西方諸国、弱者たちの声》
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ルムーシュク、薄氷に立つ少年2《ソラ》

《ソラ》


 あの、落ちていく感覚だ。荒く塗りつぶされた黒いペンキと、煌(きら)びやかな星々。もはや見慣れた光景だが、やはり複雑な思いで眺めている。

 やがて、足元が確かになった。


 足元が確かになると、そこは質素な家だった。と言うよりも、かなり貧しそうな家だ。家具は古く、布団はツギハギだらけだ。

 痩せた女が糸を紡いでいる。どうやら内職をしているらしい。

「母ちゃん。」

 そこに、五歳かそこらの少年が帰ってくる。テッドだ。痩せてはいるが、茶色い瞳と丸い頬に面影がある。

「テッド、お帰り。」

「今日は薪(たきぎ)拾いの仕事だったよ。はい、報酬。」

 テッドは母親に、わずかなコインを渡す。

「あら、頑張ったね。お疲れ様。」

 母親は、テッドの丸い頬を撫でる。

「そうそう、テッド。今日はお母さん、姫神教会へ行ってお守りをもらったの。」

「お守り?」

 母親はテッドの右手を取り、赤や黄色の紐で編まれた紐飾りを巻いた。

「いつも頑張って仕事をするテッドを、姫神様は見守っていらっしゃるよ。」

 母親がまっすぐな瞳で言うと、テッドは満面の笑みを浮かべる。

 すると、またも扉が開く。

「帰ったぞー。」

「父ちゃん。」

 テッドは帰ってきた男の足に抱きつく。

「今日は大物だ。ほら。」

 男はそう言って、手に吊るした大きな鴨を見せる。脂肪がたっぷりで、かなり美味(うま)そうだ。

「すげえ。さすが父ちゃんだ。」

「ね。今日はご馳走だね。」

 テッドと母親は手を叩いて笑い、父親は胸を張って言う。

「精霊戦争で地位も領地も無くしたが、俺たちは支え合って生きていける。貧しくても、これでいいじゃないか。」

 鴨の処理をする母親の横で、父親がテッドを抱きかかえる。テッドは微笑(ほほえ)んで、父を抱き返す。

 俺は、何を見ているんだ。あんなにも憎らしかったヤツの幸せを、俺の知らない家族の姿を見せられるだなんて、湧(わ)き上がる黒い感情が揺らめく。

 すると、落ちる感覚がした。


 次に足元が確かになると、記憶にある街並みだった。それは、グランディエの商店街だ。

 しかし、雰囲気は賑わいとはかけ離れており、多くの人が恐れ、悲鳴を上げている。

「母ちゃん、母ちゃん。」

 テッドが、横たわる母親をゆすっている。

「けっ、なんだよ。貧乏人か。」

 そう言う少年は、横たわる母親の近くに立っている。足が水色だ。精霊の形代(かたしろ)だ。

「母ちゃん、死なないで。」

 テッドの母親の胸には、氷柱(つらら)が刺さっている。

「ははっ、弱いヤツは死ぬだけだ。」

 形代の少年は、母親から奪ったであろう財布を手にして吐き捨てる。

「このやろうっ。」

 テッドが泣きながら少年に殴りかかる。

「雑魚(ざこ)がよっ。」

 少年の手のひらから放たれる分厚い冷気によって、テッドは後ずさり尻もちをつく。

 形代の少年は高笑いを上げながら、貧民街へと去っていく。

「母ちゃん、誰か、助けてっ。母ちゃんっ。」

 テッドの声は、昼間の商店街に吸い込まれる。誰もその声を受け止めなかった。

 やがて、死体となった母親が、姫神教会に運ばれていった。テッドと、狩りから帰ったであろう父親は、空っぽの表情のまま、母親を見送った。

 そして、また落ちる感覚がした。


 次に足元が確かになると、またあの貧しい家だった。しかし、以前よりも荒れている。ささやかな家具類は倒れ、カーテンは破れ、酒瓶が転がる。

 部屋の隅で、テッドが膝を抱えている。父親は、床にだらしなく眠り、荒い呼吸で寝息を立てている。途中途中、寝言なのか恨み言を上げている。

「…ちくしょう、国も、戦争も、ぜんぶ…、クソ喰らえだ…。」

 テッドは明らかに、眠る父親を警戒している。父親の寝息や寝言、一つ一つに過敏に反応している。

 部屋に漂う緊張の糸がピンと張り詰めたとき、父親がのそりと起き上がる。テッドの顔色が、恐怖に染まる。

「…てめえ、何、仕事もせずによお…。」

 父親は、呂律(ろれつ)も回らない、正常でない様子でテッドを睨む。そして近くの酒瓶を取り、テッドに投げつける。テッドは慣れた手つきで酒瓶を受け取り、なんとか割らずに済ませた。

「早く働いて、酒買って来い。」

「で、でも、金も仕事も無いよ、父ちゃん…」

「黙れっ。」

 父親はふらつきながらも、体重に任せてテッドをたたく。一発、二発、日常のように慣れた風に張り手を降らせる。

 諦めたテッドは、酒瓶を手に外に出る。しかし、すぐにしゃがみ込んで、呟(つぶや)く。

「母ちゃん…。」

 少しの間、涙を流し、立ち上がる。ヨロヨロとした足取りでたどり着いたのは、貧民街のゴミ山だ。そして、他の浮浪者を差し置いて、まだ新しい、食べられそうな生ゴミにがっつく。しかし、テッドの目は暗い。食欲か、何を満たしているのか分からない、空虚な行動だった。

 満たされたか分からない表情で、テッドはゴミ山を後にする。その後、井戸で酒瓶に水を入れ、さらに木に実った適当な実を潰して入れる。そうして酒と偽って、家に帰るようだ。

「父ちゃん…。」

 父親は、床で寝ていた。

「と、父ちゃん。」

 テッドは酒瓶を放り、父親の顔を覗き込む。

「父ちゃん、父ちゃん。」

 何度ゆすっても、少しも瞼(まぶた)が動かない。息をしていない。

「と、父ちゃ…。」

 消えいるような、テッドの声が残る。

 そして、また落ちる感覚がした。


 次に足元が確かになると、グランディエの貧民街だった。先ほども見たゴミ山が見える。

 何年か経ったのか、テッドは俺の覚えのある、あのふくよかな姿になっていた。そして、ゴミ山で見つける生ゴミを、貪(むさぼ)るように食べる。まるで自身の欠けた何かを満たすように、空っぽの目で。

「触らないでよっ。」

 テッドに注目していると、よく知る声が聞こえた。そちらを見ると、俺がいた。

 まだ貧民街に流れ着いたばかりの、汚いことも知らない幼い俺だ。しかし、水色の足を無防備にさらしている。

「お前、女みたいな顔だな。」

「なあ、可愛いじゃん。」

「ちょっと遊んでやろうぜ。」

 少し年上の少年たちが、幼い俺の服を引っ張る。俺は抵抗している。

「嫌だ、やめてっ。」

 それを見たテッドが、立ち上がり言う。

「おい、やめ…。」

 しかし、幼い俺が泣き叫び腕を振る。

「やめてよっ。」

 すると、黒く細い氷柱が少年たちの手や腕をかすめる。

「こいつ、氷の形代だっ。」

「氷の形代は、形代狩りにやられたはずじゃ…。」

「馬鹿、他のヤツだよ。」

 幼い俺を虐(しいた)げようとしていたヤツらが、途端に怯(ひる)む。しかし、テッドはヅカヅカと幼い俺に近づく。そして、俺の首を引っ張り、頬を叩いた。

「な、なんで…。」

 幼い俺が、呆気に取られる。

「お前らがいなければ…、くそっ、くそっ。」

 テッドは俺を突き飛ばし、立ち去った。

 思えばこの瞬間から、テッドは俺を【青いの】と言って蔑(さげす)むようになった。俺が仲間を作ろうとしても疎外し、食糧や金銭を奪ってきた。

 それには、氷の形代による母親の死と酒に溺れた父親の存在が、影にあったのだ。

 でも、俺に何を求める?俺の何が悪い?

 俺はヤツに同情なんて、絶対に出来ない。それが俺の感情だ。ヤツの記憶を見たところで、俺が受けた仕打ちは、生温かい感情として残っている。

 そして、また落ちる感覚がした。


 次に足元が確かになると、記憶の最後となる白い空間だ。グランディエの城下町だ。

 しかし、俺の知るグランディエと違う。ところどころ建物が破壊され、死体の山が出来ている。

 テッドは、貪欲な孤児として、死体から金品を漁っている。しかし、ヤツの視線は、ある者に奪われる。

 セーラだ。あの冷たい美貌の女が、黒い装束で荒れたグランディエを歩いている。テッドはすっかり、その美貌に見惚(と)れているようだ。

 セーラがその視線に気付き、問う。

「あら、何か?」

「あ、いや、えっと、珍しい服装だなって…。」

 テッドが苦し紛れに言う。すると、セーラはお得意の、余裕たっぷりの上品な微笑みで言う。

「ええ、私、希望教に所属する殉教の魔道士ですから。」

「え、希望教?」

「ええ、今回のブランジェの侵攻を機に、堂々とグランディエを歩いてみようと思いまして。」

 どうやらこの記憶は、俺たちがグランディエを旅立った後の、ブランジェによって荒らされた城下町らしい。カイに何と説明すれば良いのか分からない。

「あなた…。」

「え。」

 セーラがテッドの顔を覗き込む。テッドは顔を真っ赤にして戸惑った。セーラは言う。

「魔道に興味はありません?」

「ま、魔道?」

 テッドは嫌悪感をあらわにした。

「いや、無い。形代と同じような生き物に成り下がりたくない。」

 なんだ、その言い方は。まるで形代が、人間でないような言い方に、俺は感情のままに掴(つか)みかかりそうになる。

「形代の方も魔道を操りますが、私の魔道はこれです。」

 そう言ってセーラは、殉教の魔道士の刺青(いれずみ)を見せる。テッドはその凶々しい模様に、眉をひそめる。

「希望教は、得た力を自由に使って良いのです。もちろん、死後の世界に責任は伴いますが。」

「…怪しいな。」

 テッドは浮浪児らしく、警戒心を強める。貧民街で生き延びる浮浪児は、疑り深いのだ。

「ええ、怪しいでしょう。ですが、あなたはこの怪しい魔道に才能がありそうですよ。」

「才能?」

「ええ、復讐をすることも、人を救うことも、人を罰することも、殉教の教えには無限の可能性が許されています。あなたには、その才能を感じます。」

 その言葉に、テッドの目の色が変わった。

「復讐、罰…。」

 テッドが、母親に結んでもらった紐飾りを見つめる。だが、それは皮肉にも、姫神教会のものだ。

「話を聞かせてくれよ。綺麗な魔道士さん。」

「ええ、喜んで。」


「ソラ、ランプを消して…。」

 あの謎の声だ。俺は迷わず問いかける。

「なんで、ヤツの記憶を見せた?」

「これも一つの、悲しい記憶だからです。そして彼も、歴史の犠牲者だからです。」

「犠牲者?」

 俺は何も見えない空間を睨んで言う。

「何が犠牲者だ。ヤツは自分で魔道の道を選んで、自分で爪を捧げて死体兵を作った。生きてる人だって、その死体兵で襲ったって聞いたぜ。そして、恨みを買って殺された。どんなに悲しい過去があっても、俺には自業自得ってヤツにしか思えない。」

「…それも、悲しいではないですか。」

 俺は、それを言われて少し黙ってしまった。

 しかし、やはり感情には、テッドに対する個人的な恨みがある。俺はその暗い感情のまま、叫ぶ。

「そんなこと言ったら、悲しいって何なんだよ。人を傷つけて、罰を受けたように死んだ人間にまで悲しんでいたら、もう全部が悲しいものに見えるじゃないか。」

「あなたがそう思うなら、世界は悲しみに満ちているのでしょう。」

「なに?」

 俺は謎の声の、突然の強い言い切りに戸惑う。

「なんだよ。お前、いつも答えはあなたが出せって言うのに…。」

「…悲しみの先に、ある答えを出してほしいのです。」

 俺は、予想出来ることを問いかける。

「で、その答えは、何の問いに対するものだい?」

「それは、言えません。」

「やっぱりな。別に期待はしてなかったけどよ。」

 俺は火を消そうとする。

「私は、変わらずあなたを信じています。」

「え?」

「あなたの力は、成長しています。銀の糸の記憶を見る力です。」

「…だから、あの屋敷で、前よりもヒューの記憶を見れたのか。」

「あなたが、たくさんの悲しみを解き明かすのを、信じています。」

 まるで、ディーン皇王(こうおう)の言葉のようだ。

 俺は火を吹き消した。


 戻るときはまた、あの感覚がした。水面へ一気に浮き上がる感覚だ。

 しかし、俺はふと、違う予感に気付く。

「見つけて…。」

 いつもの鈴のような声がした。

「私を、見つけて…。」

 もしかして、これは海かもしれない。俺は川の中しか知らなかった。けれど、死体兵によって沈められた海。ここは、海に似ている。

 底の知れない深い海。死すら覚悟させる、一瞬の油断も出来ない深い深い青。

 あんたは、こんなに空虚なところにいるのか。こんなに心細いところに、きっと一人でいるのか。いつか会えたなら、一緒に海の上に行こうぜ。

 良い世界とは、はっきりとは言えないけれど。


 


 銀の糸から戻ると、ルークは鼻先で、俺の頬を撫でるような仕草をした。なんとなくこのままには出来ないので、俺は浜辺から少し歩いたところにある草むらに、テッドの死体を埋めようと思った。そこは土が柔らかく、ナイフとルークの腕で、すぐに墓穴を掘ることが出来た。

「夜明けだ。」

 崖を見上げると、街の向こうに朝の光を感じる。西方諸国の一番西にあり、高い崖の下にあるルムーシュクの港は、まだ朝日が届かない。

「ルーク、一晩中ありがとよ。」

〈おう、ソラ坊。お前もよく頑張った。〉

「アッシュもさ。助かったぜ。」

〈途中で戻ってごめんね…。〉

 ルークも魂となり、俺の胸へ戻った。

 それを見て気付いたが、俺の服はテッドの血で汚れていた。早く教会へ戻ろう。四人のところへ戻ろう。


 ひと段落つくと、疲れは一気に襲ってくる。俺は体が重く、さらには服が海水で重く、足が重い。

 少し歩くと、防壁で隔(へだ)たれた港にたどり着く。昨晩はあちら側から防壁を乗り越えて、こちらにいた異形の死体兵たちに挑んだ。

 だが今は、あちら側のほうが違う世界のようだ。

 あちら側にいる大人たちが、俺を見ている。それぞれの目には、嫌悪感、拒否感、不快感などが浮かび、誰も俺を人間として見ていない。しかし、どこか俺に対する恐怖感も漂っている。

 昨晩、死体兵の間を駆け抜けて抱いた万能感は、俺のちっぽけな勘違いだったのかもしれない。やはり俺は、貧民街の浮浪児で、形代で、誰からも求められないような、汚らわしい存在なのかもしれない。

 俺の内側を支える自信が揺らぐ。あんなにも大勢の、敵意剥(む)き出しの大人たちのほうへ歩く気力が、もう失せてしまった。

「ソラっ。」

 俯(うつむ)いた俺を、誰かが呼ぶ。

「マキ…。」

 マキだけじゃない。四人ともいる。疲れた足を、何かが弾くように俺は走り出した。

「よく頑張ったね。」

「ああ、よう戻った。」

 カイとカスガが、俺を防壁越しに引っ張り、【あちら側】へと戻してくれる。俺はもう力が抜けて、彼らに全体重を預けてしまう。カイとカスガが、俺を抱えたまま後ろへ倒れた。

「あれ、なんだかソラ、重くなったかい?」

 カイがのん気な声で言う。

「まあ、背も伸びてるしよ。」

 俺は顔まで力が抜けてしまい、表情がにやけてしまう。マキとユフィが、俺の両脇を抱えて立たせてくれる。

 この瞬間も、大人たちの視線は、敵意を持ったまま俺たちに降り注ぐ。

 しかし、俺はこのとき、本当の万能感に満ちていた。昨晩の万能感も、たぶん間違いじゃない。魔道も召喚獣も、旅で得られた俺の力なのだ。

 でも一番は、俺を信じてくれる仲間がいる。俺が揺らいでも、戻って来られる場所はここだ。形代でも、青いのでもなく、俺の名前を読んでくれる人がいる。そして俺はここにいる。そう信じられる。それがどんなに頼もしいことか、俺は今、湧き上がる感情が溢(あふ)れそうで、叫びたいくらいだった。


 気付いたら、夜明けの光は港に届き、遠くの水平線を照らしていた。不思議なことに、水平線は真っ黒で、空と海の境界線がはっきりとしている。

「この港を出て、あの水平線の向こうへ行けば、メウィティカにたどり着けるんじゃがのう…。」

 カスガが呟く。

 敵は退(しりぞ)けたが、問題は解決していない。俺たちは、海を渡る手段を思案し、水平線を見つめたまま黙ってしまう。すると、少しずつ明るくなる水平線に、小さな影が見えた。影はこちらへ近づいてくる。

「砲撃の準備をしろっ。」

 ガルブの者が叫び、大砲が運ばれる。

「勝手な真似をするなっ。」

 シャルグの者が掴みかかり、小さな抗争が始まった。大人たちが殴り合う。

「マズイ、少し離れよう。」

 カイが俺たちを、港から少し離れた階段上へと導く。しばらく、俺たちは物陰からその抗争を見ていた。


 カスガたちは、ガルブ家が思うよりも、いろいろ考えていると言っていた。しかし俺には、この抗争の狙いは分かっても、意味は分からない。結局、どちらかが財産や地位で優位に立つことが最終目的なのだろう。俺はこの戦いによって、ルムーシュクが良い街になる予感がまったく持てない。


「砲撃準備っ。狙いを定めろっ。威嚇砲撃だっ。」

 数で勝るガルブの者が、大砲の向きを調節する。

「やめろっ。どこの船か分からない。」

 シャルグの者が、なりふり構わず止めに入る。

 しかしガルブの者は、火を手に叫ぶ。

「うるせえっ。ルムーシュクは、西方諸国は、ガルブのものだぁ。」

 そう叫んで、大砲の導火線に火が近づく。

 撃たれる、俺たちは轟音に備え、耳を塞いだ。

 その瞬間、けたたましい鐘が鳴り響く。誰もが驚き動きを止める、嫌な音だ。

 火を持つ男の動きも止まる。

「…すごく立派な船だ。帆は、緑色…。」

 カイが目を凝(こ)らして、海を見る。言う通り、これまでの港町で見てきたどの船より大きく、帆柱(ほばしら)もいくつも立っている。格の違いは、一目で分かる。おそらく使われている木材も、相当質の良いものだろう。何よりも、美しく深い緑色の帆が、風格を纏って風を孕(はら)む。帆には、見たことの無い鳥と植物が描かれているようだ。

 そして、あの緑色には見覚えがある。俺は、立ち上がったカスガを見上げる。

「…ここまでじゃ。残念じゃのう。」

 カスガは、海を見つめて呟いた。

 

 カスガに着いて、船着場へ近づく。大勢の大人たちが、近づいてくる船を見守っている。

「か、カスガ様っ。」

 振り返ると、街のほうから何人もの身なりの良い大人たちがやって来る。

「様?」

 俺はカスガを見上げるが、彼は俯いている。

「覚えておいでですか。シャルグ家当主、イスティオでございます。」

「ああ、久しぶりじゃな。」

 カスガがそう答えると、シャルグの当主は周りの大人に命じて、大人たちがどんどんひざまづいてゆく。

「やめとくれ。余は今、ただの旅人じゃ。」

 カスガはひざまづいたイスティオの肩に手を置く。しかし、イスティオは姿勢を低くしたままだ。

「お前、イスティオ…っ。」

 またも、身なりの良い大人たちがやって来た。共通していることは、どいつも人相が悪いことだ。

「アヴィドめ、お前まさか、カスガ様がいらっしゃるのに港を封鎖していたのか。」

 イスティオが一人の男に掴みかかる勢いで話す。この男が、カスガが一人で対面したガルブの当主か。アヴィドは返す言葉を失ったまま、俯いている。

「このお方に何かあったら、ルムーシュクの貿易が終わるぞ。」

 イスティオは半分、自分を見失いそうなくらいアヴィドに向けて叫ぶ。俺は状況が掴めずカスガを見るが、彼は見たことないくらい冷めた目をしている。そして、イスティオはカスガに話す。

「カスガ様、どうぞ一緒に船を…。」

「良い。余と友人とで迎える。そなたらは関わらんでくれ。」

「いや、そんな…。」

 イスティオとアヴィドたちの顔が青ざめていく。その様子を苦々しい表情で見つめたカスガが呟く。

「安心せよ。シャルグもガルブも、悪いようには伝えん。」

 カスガのそのたった一言で、大人たちは大きくため息をついた。イスティオなんかは、命が繋がれたかのような安堵感だ。

 カスガはずっと冷めた表情のまま、港の先へ歩く。俺たちも、彼のあとに着いてゆく。


 緑色の帆の、格式が高そうな船は、どんどん近づいてくる。カスガは何かを諦めるように、腕を組み、心からのため息をついた。

「カスガ…。」

 俺が声をかけても、彼は海を見たままだ。

「カスガ、船が来るぞ。ちょうど良く、話すときなんじゃないか。」

 ユフィが静かに言う。俺は問う。

「は、話すって何をだい。」

「お前は普段、勘だとか言っておいて、ここまで来て何も分からないのか。」

 ユフィが躊躇(ためら)うように言う。

「そうじゃのう…。」

 カスガが俯いて言う。

「ワシが何者であっても、変わらず友人でいてくれるかい?」

 俺以外の三人は、少し考えたあと、それぞれが言う。

「まあ、俺はだいぶ前から気付いていたしな。」

 ユフィが冷静に言う。

「改めて考えると、ちょっと緊張しちゃうけれどね。」

「うん、そうね…。でも、カスガが誰でもあっても、あなたの良いところを、私たちは知っているわ。」

 カイとマキが微笑んで言う。カスガは三人の言葉を受け、俯きながら何回か瞬(まばた)きをした。

 俺は、分からないながらも言う。

「カスガはカスガだろ。なあ、お前の口から、その何者かを聞かせてくれよ。」

 すると、カスガは額を掻(か)いたあと、船を指差して言う。

「あの船は、メウィティカの船じゃ。緑色に、生き物は龍、植物は松。永遠の権力と幸福を象徴する、王族の印じゃ。」

「王族。」

 俺は驚く。

「ワシゃ、カスガ=メウィティカ。王位継承第五位についておる。」

 王位継承五位。俺にはその権威が、ピンと来ない。しかし、カイがのん気に言う。

「五位かあ。薄々勘づいてはいたけれど、思ったより高くてびっくりだなあ。」

「なんじゃ、人のことを物価のように言いよって。」

 俺以外の四人は軽く笑う。俺は、思った以上にすごいヤツと旅をしていたのかもしれない。

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