ルムーシュク、薄氷に立つ少年《ソラ》
《ソラ》
俺はナティア浜辺を目指し、崖沿いの港町を駆け降りた。階段や坂は急で、焦る気持ちも手伝って、ほとんど前のめりに走る。途中、棘だらけの防壁に阻まれて少しの怪我をしながらも、俺は転がるように前へ進んだ。
あの親子の死体を操った、ヤツが許せない。俺は、その正義感のような、新しく芽生えた気持ちに動かされている。
やがて、港へとたどり着いた。港は、ガルブかシャルグか分からないが、人相の悪い人間たちでごった返していた。一人の男が俺に問う。
「なんだ、坊主。死体兵を見に来たのか?」
「死体兵?」
そう会話をして、男の指差すほうを見る。長く立てられた防壁の向こうに、異形の者が動いていた。
いわゆる死体兵は、命を落とした兵だ。体のどこかに剣や槍、矢が刺さり、大火傷を負うなどして、息絶えた様子が生々しい。さらに、恨み言を口々にしている。
【殺したい】
【早く神海でも煉獄でもいいから行かせてくれ】
【憎い憎い憎い】
【誰でもいいから殺させろ】
俺は問う。
「なあ、あの死体兵は、シャルグの者かい?ガルブの者かい?」
すると、人相のわりに妙に親切な男が答える。
「どっちもだよ。片付けられないほどの遺体が突然動いて、分別もつけずに人を襲い始めたんだ。」
「ずっと、ああやってウロウロしているのかい?」
「ああ。ただ、この防壁を越えたら、一斉に襲いかかって来るぜ。ただの肝試しなら、早く帰りな。」
俺はその親切な男に礼を言って、防壁に近づく。夜の闇でよく見えないが、死体兵は、百体以上は余裕でいそうだ。
〈ソラぁ、このお化けたちに魔道をかけているヤツは、ずっと奥にいるよ。〉
アッシュが俺の内側から呼びかける。そうなると、この死体兵の軍勢を越えなければならない。
俺は覚悟を決め、ナイフを抜く。周囲の大人がおいっ、と声をかけてきた、そのとき。
死体兵が、一斉にグンと首を回し、俺を見て口々に叫ぶ。
【かかってこい、青いの】
【越えてこい、青いの】
【潰してやる、青いの】
死体兵たちのネジの抜けたような顎が、カクカクと動き、音を立てる。
それは、周囲のイカつい男たちでさえ後ずさる異様さだった。なかには、俺に向けられた【青いの】という言葉に反応する男もいる。
死体兵は武器を構え、俺を待ち構えている。
〈ソラ坊、俺を出せ。〉
〈ソラぁ、僕も。〉
ルークとアッシュが名乗りを上げる。すると、リューズが冷静に話す。
〈ソラ、君の今の魔力だと、召喚獣二体が同時に呼べる限界だろう。死体兵のなかには魔道士もいるようだ。アッシュで結界を張り、ルークの雷で突破するのが良さそうだ。〉
なるほど。さすが、戦場の経験があるリューズだ。確かに守りをアッシュに任せれば、俺自身も攻撃に回れる。
「分かった。」
俺は防壁を片手で飛び越える。大人たちが止める声がしたが、俺は前だけを見据える。
死体兵は一点集中、俺を目掛けて走ってきた。
「頼むぜ、ルーク、アッシュっ。」
俺の呼びかけで、雷鳴が轟く。真昼のような雷光から大きな獅子が飛び出し、死体兵を噛み砕いていく。
〈俺の雷撃で神海に送ってやるぜぇ。〉
ルークは吠えながら巨体で浜辺を駆け回り、死体兵を爪で裂き、雷で黒コゲに焼き払う。
〈ソラぁ、守りは任せてっ。〉
四方八方から浴びせられる矢や魔道を、アッシュは瞬時に判断し、防いでゆく。ほんの数ミリのズレで俺に突き刺さるであろう矢や火の雨は、アッシュの繊細に張り巡らせた結界に弾かれる。
「二人とも、さすがだぜ。」
俺も死体兵の群れに攻め込む。ルークが切り拓き、アッシュが守る道。俺は全幅の信頼を胸に走る。
〈ソラ坊、浜辺が広がった。正面と右方は任せろ。お前は左方を薙ぎ払え。〉
「おうっ。」
ルークの指示通りに見ると、左手には暗い海が広がっている。その海を背に、無数の死体兵が蠢く。弄ばれた哀れな兵たちに、俺はナイフの切先を向けた。
「火の精霊、攻めるぞっ。プロクスっ。」
数体の死体兵に、火柱が立つ。
〈お前の火は弱い。もっと頭を使えよ。〉
久しぶりの火の精霊のダメ出しに、俺の頭はカチンとくる。そして、切先に神経を集中させ、想像力を働かせる。頭のなかには、バードでリューズと作った、火の嵐が思い浮かぶ。
「それならよ、これはどうだ…。プロクス・アネモスっ。」
俺は心は熱く、しかし鮮明な想像で、火と風の精霊の結合魔道を展開させる。想像通りだ。
先ほどよりも高く火柱が立ち、より多くの死体兵を焼いていく。
〈へっ、やるな。〉
火の精霊も納得して、俺の内側でさらに盛んに燃える。
その間もルークは大暴れだ。耳を裂くような雷鳴とともに雷が降り注ぎ、何体もの死体兵が吹き飛んでいく。
そしてアッシュは、怖がりで丸まってしまうハリネズミ姿が嘘のように、的確な結界を展開する。
俺はこの瞬間、敵無しの万能感に満ちていた。
しかし、頭は冷静だ。頭の片隅には、死体として弄ばれたあの親子がいる。そして、死を乗り越えて俺に力を貸してくれる召喚獣たちがいる。さらに言えば、俺を信じて送り出してくれた仲間たちがいる。
俺はもう、貧民街で考えもなく、自分のためだけに力を求めていた浮浪児ではない。俺は、俺と出会った人の深い思いを胸に、見過ごせない悲しみと、それのために生まれた強い怒りを証明するために戦っている。
〈ソラ坊っ。〉
ルークが叫ぶ。進行方向に目を向けると、まるで分厚い城壁のような、死体兵の軍勢が押し寄せていた。それはこれまでの、手当たり次第に武器や魔道を使う死体兵と違い、どこか統制のとれた動きだった。
〈わぁっ。〉
軍勢は俺を押し寄せ、俺の頭に乗っていたアッシュが落ちてしまう。
「ちくしょうっ。」
俺は踏ん張るが、足元は細かい砂で出来た浜辺だ。容易く海へと押しやられてしまう。さらに死体兵は、俺の背後に立ち、俺の服や腕を引っ張る。
【神海に沈めてやる】
【汚れた青いの、感謝しろよ】
「てめえっ。」
十体は越えるであろう死体兵によって、俺は海に沈められた。
夜の海は、まさに闇だった。
浅い川と違う、それは底の知れない黒色だ。月明かりが差して群青色が混じっているはずなのに、人生で目にした黒のなかでも、何か悪意が溶けた漆黒に見える。
マルジャーナ家の舞踏会の天井、そこで見た煉獄を思わせる絵は、強く赤黒かった。
でも本当は、命を無情に飲み込む煉獄は、青く黒いのかもしれない。
そんなことを感じながら、俺は全身を動かして、死体兵を振り払う。死体兵は潮の満ち引きでボロボロと細かく崩れていく。しかし、死体兵の手や歯はしぶとく俺をとらえ、思うように海面へと進めない。
息が保たない。しかし、意志はある。俺は必ず、みんなの元へと戻る。
俺は少しの罪悪感がありつつも、死体兵を蹴り、ナイフの持ち手でその顔を殴りつける。
〈こんなところで負けるなよ、ソラ。〉
それは、憎たらしい声だ。
ネグルだ。俺の内側から声がする。
〈夜明けはまだ先だぜ。〉
言われなくとも、俺は進む。
すると、俺の内側のもっと奥底から、この海の漆黒に負けないほど、純粋な黒い力が湧き起こる。
そして、俺は海水を纏って夜空へと弾き出された。
「な、なんだあれは。」
海中から弾き出された俺は、波打ち際に転がり込む。柔らかい砂浜のおかげで、体が受ける衝撃は弱い。防壁の向こうの大人たちがざわついている。
俺が沈められた辺りを見ると、夜空を突き刺すほど高く、黒い氷柱が立っている。意識して出したのかははっきりしないが、俺はあの氷柱で海中から弾き出されたようだ。
すぐに体勢を立て直すと、ルークが走ってくる。
〈ソラ坊、平気か?〉
「ああ、行けるぜ。」
〈ソラぁ。〉
アッシュがピョンと俺の頭に乗る。
「心配かけたな。」
〈さっきの軍勢を退けたおかげで、一気に道が拓けたぜ。ソラ坊、俺に乗れ。〉
ルークに言われて、俺は彼の背に飛び乗る。すると、全身に静電気が走る。俺は全身が海水まみれなのを忘れていた。
〈少しの痺れは我慢しろよ。飛ばすぜっ。〉
ルークが浜辺を駆け抜ける。アッシュは飛ばされそうなのを、俺の髪をつかんで耐えていた。
夜の浜辺を駆け抜け、岩のアーチをくぐるとヤツがいた。
テッドだ。何体もの死体兵に囲まれて、岩の上で余裕そうに座っている。
俺はルークから降りて、ナイフの切先を向ける。
「青いの、遅かったな。」
「うるせえ、お前を捕まえに来たぜ、デブ。」
「デブじゃねえ、テッドだ。」
「俺だって青いのじゃねえ、ソラだ。」
貧民街育ちの、品性のカケラも無い会話だ。
「俺はお前に殺意がある。その証拠がこれだ。」
テッドはそう言うと、手の甲を向けて、両腕を上げる。自然と袖が落ち、刺々しい刺青が見える。
「今さらなんだい。お前たち殉教の魔道士の媒介とやらだろ?」
「はっ、よく見ろよ。」
そう言われて夜の闇のなか、目を凝らす。すると、俺は思わず眉に力が入る。
テッドの十本の指、全ての爪が剥がれている。剥き出しとなった肉から、血が流れている。
俺は、嫌悪感を込めて問う。
「それが、お前の捧げたものか。」
「そうだ。お前を神海に沈めてやるよ。」
テッドは高く手を挙げ、振り下ろす。それと同時に、死体兵が一気に襲いかかってくる。
〈けっ、死体兵の数といい突然の統制といい、妙に強力だと思ったぜ。〉
ルークが、電気を体に溜めて言う。
〈生爪は呪物として質が高い。何があったか知らねえが、あの魔道士のソラ坊への殺意は強いぜ。〉
そうは言われても、俺にはそこまでの心当たりはない。むしろ、炊き出しのスープを取られたり、コインを貯めた瓶を奪われたり、俺のほうがやり返したい気持ちだ。
ルークが溜めた電気を放つと、何体もの死体兵が黒コゲとなった。アッシュは変わらず、俺を狙う矢や魔道から守ってくれる。
テッドの周囲は、死体兵が何重にもなって守っている。厚い守りを崩すべく、俺とルークは両側から攻めることにした。
そこで、俺はあえて海を背にする。
「また沈めてやろうか?」
テッドが小馬鹿にした笑いを浮かべる。死体兵が、俺を目掛けて走ってくる。
しかし、俺は自分の内側にある泉が、少しも波立たないような、静かな息遣いを心がける。
〈ほほっ、よく呼んでくれたのう。〉
「ああ、頼むぜ。リオート・サモットっ。」
海の精霊が俺に応える。俺の背後に高い波が立ち、さらには氷混じりの津波となって、死体兵を飲み込む。その波は分厚く、テッドまで飲み込んでいく。
〈いいぞっ、ソラ坊。〉
ルークの咆哮が聞こえる。
津波の引き波によって、大量の死体兵が海に呑まれていく。俺はアッシュの結界に守られ、引き波で流される死体兵を分けて、駆け走る。そして氷のつぶてが降り注ぐなか、波で立てなくなっているテッドの元にたどり着いた。
テッドの黒い装束の首元を引っ張り立たせる。俺のもう片方の手には、ナイフが握られている。ヤツの顔に、少しの恐怖が滲む。
しかし、俺はナイフをしまう。
〈ソラ坊…っ。〉
「な…っ。」
テッドが何かを言おうとしたが、俺は拳を振り上げ、ヤツの頬に一発を入れた。
様々な魔道や召喚獣を頼りにした今日の俺の、渾身の一撃だ。俺は、この一撃に全てを込めた。
「お前を姫神教会に連れていく。そして、あの親子の墓の前で、土下座させてやる。」
「お、親子…?」
鼻血を流したテッドは、どうやらピンとこないほど自分の爪を捧げて、多くの死体兵を作ったらしい。しかし、そんなのは関係ない。
「いいから、来い…」
その瞬間、テッドが俺の視界から消えた。俺は勢いで後ずさりながら、吹っ飛んだヤツを目で追う。すると、すぐに数人の大男が、ヤツを覆うように囲む。
「お前が死体兵を作った魔道士かっ。」
「仲間たちを惨めな兵にしやがって。」
男たちが、口々に恨み言を浴びせ、テッドを殴り続ける。俺は必死で止めに入る。
「ま、待てっ。こいつは俺が教会へ…。」
「うるせえっ、お前も不気味な力を使いやがって。」
男の一人がそう叫び、俺は太い腕に振り払われる。アッシュが落ちる。俺の体では、男一人を止める力にさえならない。ルークが小さく呻き、俺に寄り添う。
〈ソラ坊、これは、命をやり取りした者に訪れる審判だ。〉
「し、シンパン?」
〈そうだ。そしてヤツは今、罰を受けている。〉
「罰…。」
俺はただ、テッドに降りかかる罰を見ていることしか出来なかった。これは、暴力とどう違うのだろう。ただ、夜の闇のなか、数人の男が子どもを殴るのは怖い。俺は怯えるアッシュを、魂にして胸にしまう。そのあと俺は、固まって動けずにいた。
ルークは、ずっと俺に寄り添っていてくれた。
夜明けを迎えてしまうと錯覚するほど長い時間、罰は続いた。ようやく満足したのか、男たちはテッドから離れる。しかし去り際、俺に言う。
「気持ち悪いガキめ…。」
「こういうのが形代ってヤツか?」
「胸くそ悪い…。」
俺は、いつ振りかの侮辱に、しばらく息を忘れる。いつもなら悪態の一つでも返すのに、俺はこの瞬間、考えることを忘れていた。
しかし、一つの大切な目的を思い出し、走る。
テッドは元の顔が分からないほど、顔が膨れ上がっていた。目や鼻、口が埋もれている。黒い装束なのに、血で赤く染まっているのが分かる。
「て、テッド。」
俺の声に、わずかに反応を示す。ヤツは少し震えて、血を吐いて、止まった。
「テッド…。」
〈ソラ坊、諦めろ。〉
違う。諦めるとかではなく、まだ理解が届かないのだ。防壁を越えて、死体兵と戦って、海から出て、ヤツと対面して殴って…。そして、ヤツは死んだ。ここまでが、長い夢のように錯覚しながらも、改めて考えると一瞬で、まだ何も腑に落ちない。
しかし、あの予感がしてしまった。
銀の糸だ。
テッドが、語りかけている。
ヤツの右手首に巻いた紐飾りから、予感がする。
〈ソラ坊?〉
息が震える俺に、心配するようにルークが声をかける。見なくてはいけないのか。
正直、抵抗がある。俺のこの力は、ディーン皇王が言うには、正しい未来を作るための力だ。そして謎の声が言うには、悲しみの記憶を解き明かし、それを繰り返さないための力だ。
俺を青いのと言って、蔑んだヤツの記憶を、担わなくてはいけないのか?無視して全部忘れて、また旅に戻ってもいいんじゃないか?
砂浜を強く握ると、指の隙間から細かい砂が溢れる。
そんな俺の葛藤に、旅の記憶がよぎる。
銀の糸で見てきた人々、俺を見送ってくれた人々、力を貸してくれた精霊や召喚獣、それに、四人の仲間たち。
ここで、感情だけでテッドを居なかった者にしては、俺は自分を誇れなくなる。俺を信じて使命を託してくれたディーン皇王に、どんな顔で会えば良いか分からない。
何より、四人と胸を張って、夜明けを迎えられなくなる。形代としてひねくれて生きてきた俺を、四人は受け入れてくれた。人を選んではいけない。俺はそれを教えてもらったはずだ。
俺は、卑屈で弱い自分に揺れながらも、四人に恥じない自分を、息を落ち着けて想像した。
そして、火を点けて、テッドの右手首に手を伸ばす。




