ロンソ村にて、農村と煉獄《ソラ》
《ソラ》
目に見えるものほとんどが真っ黒だった。
焼け落ちた建物と、そして人の形をした炭。
ロンソ村は、夜の闇と絶望の黒に染まっていた。
強烈な匂いがして、吐き気がする。洞穴を出てすぐ、俺は膝をついてしまった。
「大丈夫か?吐いたほうが楽じゃぞ。」
訛りのひどい男が俺の背をさする。俺は何の抵抗もできないまま、そのまま地面に吐いてしまった。あんなに美味かった昼飯が無駄になっちまったと、こんな状況なのにケチ臭いことを考えた。
吐き切って少し楽になった。訛りのひどい男が水筒を差し出していた。
「ほら、これで口をゆすぐんじゃ。」
俺は水筒を手に取り、口をゆすいだ。
「あ、ありがとうよ。」
力無く礼を言いながら水筒を返すと、訛りのひどい男が微笑んで、俺の肩をポンと叩いた。
「どうだい?」
すぐ近くで、カイと、笛を吹いていた女、魔道士の男が死体の様子を見ていた。
「…ダメ…。私以外、みんな死んでいる…。」
女が声を振り絞って答えた。あの豊かな演奏をしていた劇団ブロタールは、この女以外、死んでしまった。岩の下敷きになった者もいれば、武器でやられたであろう者もいる。
女は指揮者の死体から指揮棒を取った。そして、少しだけ大きく呼吸をした。
「…ごめんなさい。時間をくれてありがとう。他のところの様子も見ないといけないわよね。」
あんなに泣きじゃくっていたとは思えないほど、女は心を持ち直し、立ち上がった。
カイがリュックから簡易ランプを出し、マッチでランプを灯す。
「ソラも、ランプを点けられるかい?」
「あ、ああ…。」
カイに言われて、俺も簡易ランプとマッチ箱を出す。マッチを擦るが、手が震えて火を点けられない。
「あ、あれ…。」
ティアのランプには、ユージーンの屋敷では点けられたのに、手が震えてうまくできない。
「貸してごらん。」
カイが俺の手からマッチをそっと取り、ランプを灯した。まるで自分が自分じゃないような、そして、世界が世界でないような、経験のない息苦しさでいっぱいだった。
次に、カイと魔道士の男がある死体を見ている。それは、俺を守るためにカイが首を切った男だった。死体の横に、俺を殺そうとした槍が転がっている。二人はその死体と槍を少し見て、立ち上がった。
「次は君の同行者を見に行こう。宿にいるんだっけ?」
カイが淡々と言う。カイは両手に持っていた簡易ランプの片方を、俺に渡した。
「ああ、頼む。」
訛りのひどい男がそう言って、カイを案内しようとした、そのとき。
「おかしらぁーっ。」
俺たちの背後から、男の大きく野太い雄叫びが聞こえた。振り返ると、カイが切った槍の男の死体の上に、半透明になった槍の男が立っていた。
女が悲鳴を上げ、俺たちも声を上げて後ずさる。
「おかしらぁ、すまねぇっ、せっかくの仕事だってのに、ガキなんかに殺されちまったっ。俺は【煉獄】へ行く、痛ぇ、苦しい、苦しいっ。助けてくれっ。」
「死者が、しゃべっているっ。」
女が悲鳴のような声を上げる。
半透明の槍の男が、死んだはずなのに泣き喚いている。ただでさえ混乱しているのに、ますます事態がおかしくなる。
「…れ、【霊体】…?」
魔道士の男が呟く。
「レイタイ?」
俺が問うと、魔道士が額の汗を拭った。
「詳しくは、この場を離れてから説明する。不気味だが、害はない。」
魔道士の男は一見冷静な説明をしているように見えるが、額の汗が止まらない様子だ。
「じゃあ、宿へ行こう。五人で、離れずに。」
半透明の槍の男を目にし、さすがにカイの表情が少し強張って見える。俺たちは宿を目指すことにした。
宿までの道は、頭が割れるような道のりとなった。
先ほどの槍の男のような、泣き喚く声が辺りから止まないのだ。
「お母さーんっ。」
「やめてーっ。」
「助けてくれーっ。」
助けを乞う、恨めしい声が耳を裂くように止まない。そして視界に入らないようにしてはいるが、槍の男のような半透明の人間が、あちらこちらで苦しんでいる。
カイが指示した通り、五人で離れずに移動している、というよりも、離れてしまったら最後、死者たちに連れていかれそうな、恐ろしい気持ちに侵されているのだ。俺たちは身を寄せ合い、震えながら歩いた。
「こ、ここじゃ。」
どうやら宿に着いたようだ。しかし、宿は他の建物同様、焼け落ちてしまっている。
「サギ、ミツヤ。」
訛りのひどい男が、死体に向かって呟く。聞き慣れない言葉だが、名前だろうか。死体は俺たちよりも一回りか二回りは年上の男だ。まだ冷静にはなっていないが、観察してみると、この訛りのひどい男と二人の死体は、見たことのない服装をしているのに気づいた。それに、死体はこれまた見たことのない形状の武器を手に倒れている。
「神王陛下、栄光あれっ。」
「メウィティカ神王国よ、永遠にっ。」
二人の霊体というものは、そんな言葉を繰り返している。他の霊体と違って助けを乞うような様子はない、それが何とも異様で、かえって恐ろしい。メウィティカ、聞き覚えがあるけれど、今は置いておこう。
訛りのひどい男は、二人の死体からそれぞれ装飾品のようなものを取り外した。
「サギ、ミツヤ…。ヌシの魂は必ず、祖国へ連れ帰るからのぅ…。」
そう言って、訛りのひどい男は手を合わせた。これもまた、見たことのない祈りの姿勢だった。
「待たせてすまん、あとはどうする?」
「村の中心の姫神教会を見たいんだ。」
カイが冷静に言った。
「お前は信者か?俺は今すぐここを立ち去ったほうが賢明だと思う。もう、頭がおかしくなりそうだ。」
魔道士の男が、限界とばかりに言った。やはり、額の汗は止まらない様子だ。
「詳しい説明は、まとめて後でするよ。確かめたいことがあるんだ。」
この混乱のなか、冷静さを失わずに先頭を歩いて導いてくれたカイの言葉に誰も反論できなかった。カイもそれを察して、ごめんよ、と一言言って、俺たちは歩き始めた。
宿から少し歩くと、村の中心にたどり着いた。辺りは変わらずに、泣き喚く声で満ちている。この声にも、焼け焦げた匂いにも、何もかもに慣れない。
教会は壁も屋根も崩れ落ちていた。周りに植えられていた花々もぐちゃぐちゃだ。
「…やっぱり…。」
カイが呟く。そして、簡易ランプで教会の瓦礫を少し観察しているようだった。ランプの灯りは、扉の跡らしい木材を照らした。
「やっぱりって、何かあるの?」
女が問う。
「いや、ここを確認できただけで充分だよ。襲撃からかなりの時間が経った。そろそろ、ここを離れよう。」
カイがそう言った。襲撃、その言葉が頭に引っかかった、そのとき。俺は足を掴まれた感覚がした。背筋がゾッと凍る。下を見ると、血だらけの手が足を掴んでいた。
「うわああぁっ。」
俺は大声を上げて飛び退き、尻もちをつく。手にしていた簡易ランプが地面に転がり、火が消えた。
「ソラっ。」
カイが剣を抜いて俺に駆け寄る。俺は恐怖で立ち上がれない。魔道士の男が俺の足元を照らす。
その手は、しわくちゃの老人の手だった。老人の顔が照らされた。その顔は、頭から大量に流れた血で真っ赤だ。
「し…に、た、く…ない…。」
老人は、確かにそう呟いて、息絶えた。
死にたくない。それは魔道士の男のいう霊体のものではなく、生きていた人間の最後の一言だった。
立て続けに起きた事態に混乱し、トドメを刺された気持ちだった。この老人は、あるいは岩の下敷きになった劇団員、あるいは焼死体は、俺だったかもしれない。そんな考えに震え、何も見えなくなっていたとき、女が呟いた。
「…静かになった…。」
静寂。痛いほどの静寂。先ほどまで耳を裂くほどに満ちていた喚き声が止んでいた。
声が止んで、ますます焦げた匂いが気になる。それに、冬とは思えない暑さだ。辺りが焼け焦げているせいだ。
「ソラ、立てる?」
カイの差し出した手を掴むが、上手く立ち上がれない。足が自分のものじゃないみたいだ。訛りのひどい男も支えてくれて、ようやく立てた。
それぞれ疑問は止まらない。何か吐き出さないとおかしくなりそうだった。しかし俺たちは、一刻も早く離れたかった。この、【煉獄】から。
俺たちは疲れた体を引きずって草原の道を歩いた。魔道士の男は【魔力】が尽きるからと、光を止めた。魔力というものもあるのか、そんな疑問が湧いた。
灯りはカイが持つ簡易ランプだけになった。俺のランプはリュックにしまってある。カイが言うには、灯りが多くても盗賊の標的になってしまうから、これで良いとのことだ。
ロンソ村からほんの数十分、俺たちは街道に出た。
「あと一時間ほど歩けば、旅籠があるみたいじゃ。」
「リョカゴ?」
「旅人たちが使う、小さな宿のことじゃ。」
訛りのひどい男が、看板を指差して説明する。
「つ、疲れた…。」
女が座り込むのと同時に、俺も力が抜けて尻をついてしまった。
「俺も、魔道で体力を使ってしまった。」
魔道士の男が疲れた様子で呟く。
「ひとまず、街道に出たから一安心だよ。さっきまでの小山や林道と違って、見通しもいいしね。」
カイがそう言うと、訛りのひどい男も腰を下ろした。
「確かに、一休みするかのぅ。」
一休み。その言葉を聞いて、全員が大きく息を吐いた。村に異変が起きてから数時間、やっと気持ちが緩んだのだ。
「…。」
「…。」
全員、無言のまま顔を見合わせた。
「えーと、皆さん、名前は?」
女が問う。それを聞いて、男たちが確かにー、と声を揃えた。
「僕たちは、まず自己紹介しないとだね。」
カイがようやく穏やかな表情に戻った。
星々が瞬く晴れた夜空の下、俺たち五人は出会った。




