ロンソ村にて、冬の農村《ソラ》
《ソラ》
「ソラ、起きて。」
男の柔らかい声がした。まぶたの先に眩しさを感じて、俺はゆっくりと目を開けた。
「おはよう、ソラ。よく眠れたかい?」
「よぅ、カイ。いい寝心地だったぜ。」
馬車は停まっていて、冷たい風を感じた。どこからか土の匂いがする。
「ロンソ村に着いたよ。」
毛布をどけ、起き上がる。そして荷台から身を乗り出し景色を見ると、木造の家や土が一面に広がっているのを見た。
「危ないよ。ソラ。」
「ロンソ村、へーっ。家が木でできているんだな。」
「ロンソ村は、いわゆる農村さ。小麦を主に作っていてね、今は冬だから種の状態だけど、夏の収穫時期には黄金の小麦畑が広がって美しいよ。」
「パンはここから生まれるんだな。」
「そうだよ。グランディエ領内には、こうした豊かな農村がたくさんあるのさ。」
そんな会話をしながら、俺とカイは荷台から降りた。そして、二人ともリュックを背負った。
「中身は何だい?」
「もしもの為の水と、非常食、それと簡易ランプにマッチ箱が入っているよ。」
もしもの為と言われると、少し怖くなった。何だかんだ大人の思惑への抵抗感はありつつ、俺は大人に守られてアリアレジスへ行く立場なのだ。
カイは御者と会話をし、数枚のコインを渡した。御者はお気をつけて、と一言かけて馬を走らせ、グランディエ城下町のほうへ帰って行った。
「今は昼過ぎってところかな。」
太陽を見てカイが呟く。すると、俺の腹が大きく音を鳴らした。
「カイ…、腹減っちまった…。」
カイは微笑んで答える。
「そうだね、ちょうど僕もお腹が空いたよ。食事処を探そうか。」
俺は目を輝かせて、カイの隣に着いて行った。
「いらっしゃーい。」
大きめの木造の建物に入ると、客が数人寛いでいた。中年の女性が俺たちを迎えいれる。
「二人です。」
「どこでも座ってちょうだい。」
そう言われて、俺たちは丸テーブルに対面して座った。
「俺、こんなお店初めてだ。何をどうすればいいんだい?」
ワクワクが止まらないまま、興奮気味に尋ねた。
「あそこのメニューから、好きなものを選ぶといいよ。」
そう言って、カイが指差す。何やら文字がたくさん書いてある。ジジイ先生が使っていた、黒板とチョークというものだ。
「カイ、俺…、字、読めねぇ…。」
恥ずかしさのあまり、小声で俯いて言う。
「そうなんだ。じゃあ僕のおすすめを紹介してもいいかい?あのメニューの、上から三つ目に書いてあるものさ。」
カイは何てことないように、サラリと提案してくれた。それでも、俺は顔を上げられず、コクコク頷いた。
「すみません、羊肉のシチューを二つと、冬野菜のサラダを一つ、お願いします。」
店員の元気な返事が聞こえた。ドキドキする。肉を食べるなんて、いつ以来だろう。冬野菜は何があるのだろう。恥ずかしさを好奇心が上回って、俺は店をキョロキョロ見回した。
「僕も故郷を出てグランディエに来たときは、何もかも珍しかったなぁ。」
「え、カイってグランディエの人間じゃないのかい?」
驚いて目を丸くして、カイを見つめた。
「うん、ここからずっと北のレシオという国から来たんだ。グランディエに来たばかりのころは、レシオの訛りが抜けなくてね、ずいぶんからかわれたよ。」
言われてみれば、カイの顔立ちはグランディエの人々と少し違う気がした。それに、こんなに鮮やかな金髪と金色の瞳は珍しい。
「からかわれてムカつかなかったかい?」
「うん、もちろん腹が立ったさ。だから剣の稽古を頑張って、誰にも負けない騎士を目指したのさ。」
そう語るカイの表情は、少しも陰りがなく、いつも通りの微笑みを浮かべていた。
俺も誰にも負けないとか、奪われないという気持ちで必死に生きてきた。騎士はいけすかないヤツらばかりだと思っていたけれど、カイには何だか俺と似ているところがあるような気がした。
「はい、お待ちどおさまっ。」
店員が明るく言って、皿やスプーン、フォークを並べた。シチューはいい匂いがするし、野菜も俺が知っている切れ端じゃない、綺麗な色で大きい。
「こ、これ食べていいのか?」
「もちろん、いただきま…。」
カイが言い終わるより前に、俺はシチューにがっついた。熱い、でも美味い。何よりも肉が美味い。歯応えがある。夢中になっていると、肉がすぐに無くなってしまった。
「ソラ、スプーンの持ち方はこうだよ。」
「口に入りゃ関係ねぇ。」
具材が無くなったシチューの皿を持ち、口をつけた。そしてズズーっと大きな音を立てて飲んだ。空になった皿をドンと置く。
「なんだい、何日ぶりの食事なんだい。」
店員が嫌味を言っているのを気にせず、俺はフォークで野菜を食べた。野菜まで美味い。
「このお店のドレッシング、美味しいですね。」
「ありがとう。ポイントは使っている玉ねぎさ。」
カイと店員の会話を聞きながら、俺は夢中で食べた。結局、サラダはほとんど俺が食べてしまった。
「ごちそうさまでした。」
カイが上品に食器を置いた。
「う、美味かった…。おばちゃん、このシチュー、グランディエで一番美味いぜ。」
俺がそう言うと、おばちゃんは笑って礼を言い、他の客も笑っていた。でもバカにする笑いには感じなかった。
カイが支払いをして、店を出た。こんなに腹がいっぱいになったのは、いつ以来だろう。俺はとにかく最高の気分だった。
次の馬車が夕方前に来ると言うので、俺たちは村を見て回った。ロンソ村は村としては規模が大きいらしく、姫神教会も立派だった。
雑貨屋に入ると、見たことの無いものがたくさん並んでいた。綺麗な瓶や絵ハガキ、木で作られたおもちゃや食器など…。カイが言うには港町ハーリーが近いので、異国の輸入品も多いのだという。俺が店を見て回っている間に、カイが何か買い物していた。
「何を買ったんだい?」
「傷薬さ、念のためにね。」
雑貨屋を出た俺たちは、村のほとんどを見終わっていたので、木陰に座って一休みした。遠くでは村の男たちが冬空の下、大きな木を運んでいる。あの木はやがて薪になったり、女や老人の手で木工品になったりするのだそうだ。
「カイって何でも知ってるな。」
「そんなことないさ。このロンソ村は何度か遠征で泊まったことがあってね。それに、僕はレシオと、グランディエのことしか知らないよ。たぶん、これからも。」
確かに、カイは俺を姫神教会の使者へ渡したら城下町へ帰るのだろう。そして、騎士として生きていくのだろう。これからも、と言うカイの表情は変わらない微笑みを浮かべているが、俺にとっては何だか物足りない生き方のような気がしてしまった。
村の奥から、楽しげな楽器の音色が聞こえてきた。村民たちがはしゃぎながら集まっていく。
「なんだなんだ?」
「行ってみるかい?ソラ。」
もちろんっと返事をして、足早に駆け出した。
村民たちが、見たことのない楽器を持った人々を囲んでいる。
「ロンソ村の皆様、ごきげんよう。私たちは劇団ブロタールです。」
細い棒を持った小柄な男が挨拶をした。
「へぇ、劇団ブロタール。こんなに近くで見られるなんて運がいいよ。」
「カイ、知ってるのかい?」
「うん、グランディエを拠点に世界各地で公演する、有名な劇団さ。」
今日は何だか、すごいことの連続だ。見せ物なら、城下町や貧民街の路上でも見たことがある。でも、何がどうすごいのかよく分からないものばかりだった。有名な劇団だなんて、俺はワクワクが止まらない。
「最初にお届けする曲は、冬の陽射し。この村にぴったりの一曲ですね。」
そう言って、初めに挨拶をした小柄な男が棒を振ると、見たことのない楽器たちから音がした。
「カイ、あの男は何をしてるんだい?」
「ああ、中心の人は指揮者さ。彼の指揮棒に合わせて、みんな演奏するんだよ。」
へーっと、返事も曖昧に、俺は演奏に聞き入ってしまった。何だか走りたくなるような、楽しい曲だ。
その後も何曲か演奏され、その度に人は増え、人々は指揮者の前の箱にコインを入れた。カイも数枚コインを入れた。楽器を使えれば稼げるのかと、俺は新しい発見に驚いてしまった。
「続いての曲は、北国の夕焼け。途中、あちらのマキが吹くエルターニャ笛のソロにご注目ください。」
指揮者が指し示した先にいた、若い女が手を挙げた。笛を片手に持っており、焦げ茶の長い髪を一つ結びにしている。
「そろそろ待ち合わせの時間だ。ソラ、この曲が終わったら行こう。」
カイのその言葉に、俺は素直に頷けなかった。もっと聞きたい。俺は劇団ブロタールの音楽にすっかり魅了されてしまった。
指揮者が指示を出すと、大きな楽器がゆったりと演奏を始め、他の楽器の音色が賑やかに重なる。この曲が奏でる北国は、どんなところだろう。でもこんな風にゆったりと、美しいところなんだろうなと想像する。
賑やかな音色が少しずつ落ち着き、指揮者がゆっくりと棒を振る。すると、先ほど紹介された一つ結びの女の笛だけが鳴った。笛一つとは思えない、立体感があるような、存在感のある音色だ。でもどこか物悲しく、そうだ、この曲は北国の夕焼けという名前だったと思い出す。世界中どこでも、夕焼けはなんとなく悲しいものなのかもしれない。俺が笛の音色で夕焼けを想像している、そのとき。
村のどこからか、何人もの悲鳴が聞こえた。
悲鳴によって、演奏が止まった。
「な、なんだ?」
周囲の人々は混乱している。カイが俺の手を握り、もう片方の手で剣を握った。
誰かの悲鳴がまた聞こえ、遠くに黒い煙が立つのが見えた。それも一つじゃない、あちこちに見える。
「か、家事だ。」
「家が燃える。」
「か、家畜を逃さなきゃ。」
人々は心配を口々に、それぞれ走り出した。
「待ってくださいっ。状況が分からないまま散らばっては危険ですっ。」
カイが大声で呼びかけるが、村民は慌てたまま散り散りになる。
「逃げよう、ソラ。」
「えっ。」
何から、どこへ。疑問は浮かんだが、考えている場合じゃないのがカイの表情から伝わった。一緒に村を見て回ったカイと、同じ人物に思えない。
「きゃーっ。」
また悲鳴がした。しかもすぐ近くだ。振り返ると、劇団ブロタールの何人かが、背にしていた小山から落ちたであろう岩の下敷きになっている。それも、何人も。これは事故じゃない。
人が死んでいる。血が流れている。貧民街でも飢えや寒さによる死体は何人も目にしたが、これは違う。人が殺されているんだ。
俺の体中の血が、一気に冷えた。
「危ないっ。」
カイが俺の手を引くと、俺のいたところを槍が走った。見上げると、槍を手に殺気に満ちた男と目が合った。
恐怖や驚きを感じる暇も無く、カイが男の首を切った。男は低い声を漏らしながら血を吹き出し、すぐに倒れた。死んだのだ。カイが、殺したのだ。
何も考えられない。
悲鳴。焼ける音と匂い。泣き声。死体。黒煙。殺した者。それらを感じとっても、何も考えられない。
「ソラ、こっちだ。」
カイが俺の手を引く。俺は今、この男が怖いが、着いていくしかない。
「君たちも。」
「で、でも…。」
泣き崩れている笛を吹いていた女と、あと生きているであろう誰かと誰かにカイが声をかけた。カイは強引な様子でそいつらを引っ張ると、小山に掘られた洞穴に俺たちを押し込んだ。
洞穴の奥は天井が低い。何も見えない。暗闇だ。
「ソラ、いるね?」
「あ、あぁ…。」
カイの声がすぐ隣に聞こえた。
暗闇のなか、笛を吹いていた女の小さな泣き声がする。
「な、何が起きとるんじゃ?」
「し、静かに…。」
カイとは違う男の声がした。どうやら、この暗闇には俺とカイ、笛を吹いていた女、それとあと男が二人いるらしい。
しばらく、俺たちは息をひそめた。
洞穴の外からは様々な音がする。悲鳴、高笑いする声、金属音、強風の音、燃え落ちる音…。
洞穴内は恐怖に占領されていた。おそらく、カイ以外は。恐怖のなか、ジッと待つしか無い。
冬の洞穴は寒く、震える。けれどこの震えは、きっと気持ちの問題だ。寒いはずなのに、汗が止まらない。
暗闇だというのに俺は目をギュッと閉じて、惨劇が終わるのをただジッと待った。
どれくらいの時間が経ったか分からない。
洞穴の外が静かになった。あんなに聞こえた悲鳴がすっかりと止んでいた。
「ど、どうする…。」
男の一人が小さく呟く。
「待て、灯りをつけよう。」
もう一人の男はそう言い、さらに何かを少し呟くと、洞穴が明るくなった。
五人の顔が照らされた。女の顔は涙でぐしゃぐしゃだ。男二人はまだ若そうで、顔は恐怖で強張っている。
灯りをつけた男の指輪がランプよりも明るく光っている。これは魔道だろうかと疑問は湧いたが、今はそれどころじゃない。
「僕が外を見てくる。」
このなかでただ一人、冷静そうなカイが言った。カイ以外の四人は顔を見合わせた。
「ワシも行く。旅の連れが宿の外にいたんじゃ。」
訛りのひどい男が言った。
「私も…。劇団のみんなに、生き残りがいないか見たいの。」
笛を吹いていた女が言った。
「俺も行こう。俺は旅の魔道士だ。何か役に立てるかもしれない。」
魔道士の男が言った。
カイは少し迷った様子だったが、落ち着いて言う。
「じゃあみんなで出よう。でも僕から離れず、五人で行動しましょう。僕は騎士です。僕が皆さんを守ります。」
カイがそう言うと、三人は少し安心したように顔を見合わせた。
カイを先頭に、灯りを手にした魔道士の男が続いて、五人で外へ出た。
洞穴の外も、夜のせいで真っ暗闇だった。
それは、俺が耳に新しい言葉で例えるならば、まさに【煉獄】というに相応しい光景だった。




