ルムーシュク、怒りに火を点けて《ソラ》
《ソラ》
教会に戻ると、昨日と同じく怪我人や手当てをする者とが溢れており、俺たち異国人は所在なく、また崖の近くに五人で座った。
「結論から言うと、希望教は関わっておった。」
カスガがガルブ家で話したことを、俺たちに伝える。希望教という予想は出来ていたが、あっさりと答えにたどり着いたのは少し意外だった。
「ガルブ家が茨痲の解禁を求めたのは、痲薬目的ではない。西方諸国に医療を広げようとする狙いがあるからだそうじゃ。西方諸国は医療後進国じゃ。それに、全体としては貧しい国が多い。その西方諸国に怪我の治療としての医療を広めるのに、安く取り引き出来る茨痲が最適じゃとアヴィドが言うておった。」
「なんだか、それだけ聞くと悪い話に聞こえない気がするわ。」
マキが言うので、俺も頷く。それは、医療に携わるカスガやトキヤに、良い印象があるからかもしれない。
「いや、茨痲を用いた医療を広げるということは、戦争や紛争が広がること前提の商売に感じるよ。他にも感覚を麻痺させる薬はいくらでもあるのに、わざわざ安価な茨痲を求めるなんて。」
カイが緊張感を持った声で言う。カスガは頷いて説明を続ける。
「そうなんじゃ。茨痲は怪我のなかでも、かなり重体な場合に必要とした薬じゃ。たとえば、戦争や災害で体が壊死して、その箇所を切り落とすような大きな手術で使うことが多い。カイも言うたが、他にも感覚を麻痺させる薬は充分出回っておる。安価な茨痲が必要となることが増えることに、ワシは悪い予感をしてしまう。」
俺はその説明で、胃がグッと縮こまる思いがした。エシという言葉は初めて聞くが、体を切り落とすだなんて、想像もしたくない。
「シャルグとガルブはずっと商売敵として争っておった。それは、扱う商品が似ておるためじゃ。そこでガルブの当主アヴィドは、医療事業を商売として新たに扱うことを考えたんじゃ。そこに訪れたのが、希望教だそうじゃ。」
希望教の名前が出たことで、俺たちの間に漂う雰囲気が重くなる。
「ちょうどマルジャーナ家の舞踏会の日、アヴィドの元に、希望教の者が来たそうじゃ。具体的に、どのような者かは教えてくれんかったが。そこでアヴィドは聞いたそうじゃ。レカルカの神話を。」
「レカルカ?」
俺がその不思議な名前を問うと、カスガは饒舌に話す。
「女神ルイゼとともに旅をした、希望教における医療の神じゃよ。レカルカという女医で、どんなに貧しい者も無償で救う、メウィティカの医療者にも信仰の篤い者が多い、立派な医師じゃ。」
俺たちは感心の声を上げる。舞踏会で聞いたリーエゴとは違う印象の神だ。
「…まあ、自分や仲間で人体実験を繰り返すものじゃから、ルイゼには何度も叱られたそうじゃが。その話は、ワシら医療者には戒めとして語られる。」
なるほど。希望教の神は長所と短所があると言うが、レカルカの場合はリーエゴと違って過激で、誰も笑えない。
「で、アヴィドはレカルカの話を聞いて、ピンときたそうじゃ。茨痲の活用を。レカルカの神話には茨痲を用いた手術の場面もあるからのう。さらに、茨痲を調合するのに必要な白ウバラの栽培に、西方諸国の土壌は最適らしい。その栽培自体も稼ぎになるし、孤児などの雇用に繋がると、そこまで考えておった。」
「ここまで聞く限り、アヴィドは商才もあり、稼げる根拠もあって姫神教会に訴えたように聞こえるな。しかも、国への還元も考えている。」
ユフィが珍しく前向きに、他人を肯定する。
「でも、戦争の影があること、姫神教会の定めた国際法を破ろうとしていることは見過ごせないね。」
カイが真剣な顔で話すので、俺は彼の横顔を見る。
「特に姫神教会の国際法。これは、精霊戦争中や終戦後の混乱を収めるため、姫神教会が各国に制定したものだけれど、一度制定した法が覆った前例は今のところ無いんだ。茨痲という、ただ一つの薬品に過ぎないかもしれないけれど、国際法が変わる前例を作ったとなると、姫神教会の沽券に関わるよ。」
「そっか、希望教の影響力が強まっているなか、それは姫神教にとって譲れない線になるわね。」
マキが納得して頷くと、ユフィが苦々しい顔で話す。
「それは避けなければいけない。ジオリダムは姫神教の支配から脱却し、禁術に手を出そうとする気配があった。ジオリダムが禁術に手を出すとなると、世界中の国が黙っていない。新たな戦争の火種となる。」
「それは、アヴィドも言っておった。アヴィドはワシが思うより頭が切れる男で、いくつも先を読んでおったよ。じゃが、姫神教の国際法の元では制約が多く、自分たちの商売はもちろん、西方諸国も発展が出来ないと言うておった。他国への影響や批判も覚悟のうえ、訴えを起こしたそうじゃ。」
俺たちは想像以上に複雑で大きな話に、しばらく言葉を失った。しかし、そうでないと、俺なんかは話に着いていけない。
少しして、カイが静かに問いかける。
「シャルグ家は、どういう立場なんだい?」
カスガがカイを見て答える。
「ガルブ側の主観じゃが、とにかく港の封鎖を解こうと、そしてあわよくばガルブ家を潰そうという勢いで攻めて来ておるらしい。で、両家とも歴史の浅い商家でな、他国に後ろ盾などもないそうで、この抗争は長引くことを想定しておったよ。」
俺たちは途方に暮れる思いになった。街の問題を見過ごさないのはもちろんだが、港が封鎖されている以上、旅を続けられない。
俺はふと、疑問を口にする。
「そういえばよ、カスガ。屋敷を出るとき、何を返していたんだい?」
俺は彼が突き返した、分厚い封筒を思い出す。
「…札束じゃ。」
「いくら?」
「百万ルピーじゃ。」
「ひゃくっ?」
俺たち四人は、大声で驚いてしまった。それは聞いたことも、手にしたこともない、とんでもない額だった。
「港を使えないことへの詫びじゃとよ。それから、抗争に関わるなという、ある種の脅しじゃとも思う。」
「脅し?」
俺が問うと、カスガが俺を見て言う。
「ああ、ワシゃ、詳しくは言えんが、シャルグにもガルブにもつけん。怪我人の手当てだけは許されたがのう。」
許された。その言葉は、彼が何かに縛られた立場であることを想像させる。俺たちは、これ以上カスガの事情に踏み入らないこととした。
俺たちはその後、姫神教会に戻り、怪我人の世話や炊き出しの手伝いなどをした。
特に俺は、料理の得意なユフィと一緒に炊き出しを手伝い、彼の作った美味いスープを器によそい、避難民に渡す役割を担った。
「温かいなぁ、ありがとう。」
「お兄ちゃん、ありがとー。」
温かい器を手にした人々は安心したのか、顔や衣服は汚れながらも、柔らかい表情を浮かべた。
俺は浮浪児の頃、炊き出しを受け取る側だった。その頃は、なんでこんな金にもならない慈善活動なんてするのかと疑問を抱いていたが、その疑問は少しずつ薄れていく。単純に、ありがとうと言われるのは嬉しいのだ。
カスガが率先して、金を受け取らずとも人を治療しようと動く理由が、よく分かった。
炊き出しが落ち着き、俺たちも少ないながらもスープを飲めた。もう冷めてしまったが、やはりユフィの味付けなので美味い。
ユフィが夕飯の下ごしらえを始めると言うので、俺は器を洗うことにした。山積みになった器を慎重に運び、井戸へと行く。器を洗っている間、ふと茂みに人がいることに気がついた。
頭が見える。どうやら倒れているようだ。俺は器を置き、駆け寄った。
「お、おい、大丈夫かい。」
声をかけられた女は、髪も顔も薄汚れていているうえに痩せていて、年齢が分からない。ただ、腕のなかに赤ん坊を抱いている。
「あ…、人…?」
「ああ、どうしたんだい?」
「もう、何も食べてなくて、乳が出なくて…。」
女はカサカサになった唇を必死に動かす。俺は赤ん坊を見る。そして、思わず呼吸を忘れてしまう。
赤ん坊は、死んでいる。人形のように動かず、小蝿が飛んでいる。
「私は、教会に入れないから…、この子だけでも…、誰か乳が出る人に…。」
「な、なんで。」
「私…、形代なの…。」
俺は返す言葉が見つからず、必死で呼吸をし、母親と赤ん坊を交互に見る。
「この子…、生かして…。」
母親は赤ん坊を俺に渡してくる。抱き方も分からず、ぐったりとした、しかし柔らかい、その命であったものが、俺の腕に入る。
「だ、大丈夫だ。誰かに、必ず渡すから、安心しろ。」
俺は正解が分からないまま、必死に嘘をついた。
母親は、ほんの一瞬、安心したあと息絶えた。
「ど、どうしよう。」
俺は思わず、戸惑いを口にしていた。
そして、赤ん坊の死体を抱いたまま、ユフィの元へ走った。
炊き出しのところへ着くと、ユフィがジャガイモの皮剥きをしていた手を止め、包丁を置いた。俺の元へ駆け寄る。俺が見たことをそのまま伝えると、待ってろ、と言って、どこかへ行った。
ただ、待っている間もどうして良いか分からなかった。赤ん坊を抱いているのも怖いし、でも、手離してもいけない。俺は、小蝿が飛んでいるのは気にならず、頻繁に瞬きを繰り返しては、周りを見て、ユフィを待った。
すぐにユフィは、シャベルを持って、カイとカスガ、マキを連れて来てくれた。マキは俺の肩に手を置き、大丈夫よ、どこ?、と言うので、俺は母親の死体のある場所へと走る。
母親の死体を前に、マキが俺から赤ん坊を受け取り、母親に抱かせた。そして、五人で祈りの姿勢をとった。
茂みの少し向こうで、俺たちはシャベルで穴を掘る。小柄な母親と赤ん坊が収まる穴は、すぐに掘ることが出来た。穴に二人を入れると、マキは母親と赤ん坊の髪型や衣類を整えた。マキが頷いたのを確認し、穴に土を被せる。
ユフィが呟いた。
「初めにシスターに事情を話したが、形代の墓は用意出来ないと言われた。すまない。」
力無く呟く彼を見上げる。ユフィは何も悪くないのに、悔しそうな顔をしている。
俺は、自分が何を感じているのか分からない。突然の出来事に、悲しみとか怒りとか、まだ頭に浮かぶ感情の名前が分からない。
ただ、柔らかい赤ん坊の感覚だけが、腕と手のひらに残っていた、喉が締められるように苦しい。
うなだれる俺を、四人が何も言わずに肩や背中に手を置いてくれた。そして、俺が立ち上がるのを待ってくれた。
少し落ち着いたところで、マキがあの曲を演奏する。ローズとダフィに吹いた、魂を神海へ送る曲だ。まだ盛ったばかりの土から二つの魂が浮かび、寄り添うように、海へと飛んでいった。
立ち止まっていても、時間は過ぎる。俺たちは怪我人の世話や、夕食の炊き出しの手伝いに戻った。
「美味しそうだ、ありがとう。」
「いやあ、助かるよ。」
昼と同じように、感謝の言葉がかけられる。
しかし、俺は喜べる心持ちじゃない。気持ちの整理がついてないのもあるが、この街が、あの親子を殺したのだという、静かな憎しみが湧き上がる。
これは、黒い感情だ。貧民街に暮らしている頃、しょっちゅう抱いた、負の感情だ。
俺はスープを器によそい、ぶっきらぼうに渡していく。
やがて、日が水平線に沈み、夜となった。俺はなんだか疲れてしまい、器を洗いながらぼんやりとしてしまった。
器を炊き出し用品の棚に戻し、カイたちが一休みしているところへ行く。
「カスガは止まらないわね。大丈夫かしら。」
マキの言う通り、カスガはずっと怪我人の治療にあたっている。薬草を渡し、包帯をかえ、寄り添うように言葉をかけている。
マキも表情に疲労を浮かべ、壁にもたれかかって座っている。礼儀を叩き込まれている彼女らしくない仕草だ。
「カスガは人を救うことが、自分を救うことになっているのかもしれないね。」
カイが言った。そして、戦ったわけでもないのに、剣を磨いている。これは、彼が調子を整えるための習慣だ。
「死体だーっ。」
教会のすぐ外で、悲鳴が起きた。俺たちは飛び上がるように立ち、外へ出る。カスガも、怪我人に一言詫びを入れ、一緒に外へ出た。
「そ、そんな…。」
マキが小さな声を上げる。
あの親子だ。俺たちが埋めた親子が、ゆらりと歩き、近づいて来る。
「ソラっ。」
ユフィの制止も聞かず、俺は親子に駆け寄る。
「なんで…、目覚めたんだ…。」
俺は、自分とほとんど身長の変わらない母親を見て言う。
すると、甲高い声が聞こえた。
「おい、青いの。」
「えっ。」
俺は思わず、一歩後ろへ下がった。
その声は、母親が抱いた赤ん坊から発せられた。状況がまったく理解できず、嫌な汗をかいて赤ん坊を見つめる。
赤ん坊は、さらに声を発する。
「青いの。俺からの挑戦だ。港の奥、ナティア浜辺へ来い。青いの一人でな。」
「お前…、テッドか…。」
「そういうことだ。そうそう、他のお仲間は、セーラさんたちが直々にお相手してやる。そいつらは街の西、旧教会跡へ来い。今からだ。」
「てめえ、こんな魔道、許さねえぞ。」
俺は、ごちゃごちゃになって溜まっていた感情が爆発した。しかし、この親子の死体に、何をする術もない。
「お前の許しなんか必要ない。待ってるぜ。」
赤ん坊がそう声を発すると、親子は崩れるように倒れた。周囲の人が悲鳴を上げ、後ろへ引いていく。
「汚らわしい…。」
俺はその声を聞き、反射的に叫ぶ。
「うるせえっ、何が汚らわしいんだよっ。」
「ソラ、やめるんだ。」
カイが俺を止める。しかし、俺の肩をつかむ手には力が入っていた。
俺たちで再び親子を担ぎ、墓へ戻すことにした。周囲の人々は、冷たい目で見ていた。
「誰かが掘り起こしたというよりは、自分で目覚めたような土の様子だな。」
ユフィが観察する。
「どっちにしても、許せねえ。」
俺たちは昼間と同様に、親子の死体を穴に入れた。マキが再び、髪型や衣類を整える。
「魂は送ったはずなのに、どうして…。」
マキは少し泣きそうな声で呟く。そして、暗いなかで苦労しつつ、土を被せた。
「抗争に関わるつもりは無かったけれど、こんな暴挙は見過ごせないね。」
カイが、金色の瞳を鋭く光らせて言う。
「まったくだな。俺たちは、人の尊厳を弄んだ殉教の魔道士たちと戦う。それだけだ。」
ユフィも頷いて言う。普段、慎重な彼らがこうなると言うことは、相当な怒りを抱いているということだ。
俺も、彼らの怒りに同調する。
「俺はあいつの挑戦を受ける。テッドの野郎。グランディエからずっと、人を馬鹿にしやがって。ケリをつけてやる。」
「でも、ソラ一人だなんて、何か罠でもあったら…。」
マキが心配気に言う。
「いや、俺は行くぜ。絶対に負けない。ヤツを捕まえて、この墓に謝らせてやる。」
俺が、親子の墓を指差して訴えると、ユフィが言う。
「マキ、ソラももう経験を積んだ魔道士だ。一人前とはまだ言えないがな。召喚獣もついている。俺は、ソラを信じていいと思う。」
俺は驚いてユフィを見上げる。少し彼らしい皮肉はありながら、その信じるという言葉が、誇らしいくらいに嬉しい。
「ワシも…。」
「いや、カスガはダメだ。」
カイが強い口調で遮る。カスガは俯いて、何かを考えている。
「強い言い方をしてしまって、ごめん。ただ、君はこの街の事件に関わってはいけない。教会で怪我人の手当てを頼む。それは、僕らには出来ないから。」
「…ああ。」
カイが配慮を込めて言うと、カスガは俯いたまま返事をする。ただ、その顔には悔しさが滲んでいた。
俺たちは装備を整え、指定された場所を確認する。その間も、人々が俺たちを見る目は冷ややかだった。
「ソラ。」
マキが俺の手を取り、親指に手を添える。そこには、マキからもらったアメジストの石が埋め込まれた指輪がはまっている。
「無事に帰って来られるように、私たちで約束よ。」
「ああ、心配するなって。」
俺たちは互いに頷き合う。カスガに見送られながら教会前の坂を降りると、街は不穏な雰囲気があった。防壁の裏から死体が飛び出して来そうだ。
やがて、それぞれの目的地の分かれ道に着いた。俺たちは簡単な挨拶だけをして、それぞれの道へ進む。夜明けには、必ず会うと信じているからだ。




