ソナチネに飛ぶ鴉《ソラ》
《ソラ》
舞踏会の夜が明け、俺たち五人は朝寝坊をした。珍しく、カスガとユフィも俺たちと同じくらいに起きた。そして、それぞれぼんやりと身支度をし市場に出て、小さな食堂で、ほとんど昼飯の時間に朝食をとった。
「昨日のご馳走は美味かったなぁ…。」
俺が呟くと、マキとカイがくすくす笑う。
「な、なんだよ。」
「いや、ヒューを相手に何か影響を受けているのかと思ったけれど、やっぱりソラだなぁって。」
カイが微笑んで言う。
「そんな雰囲気だったかい?」
俺は、カイの言葉が意外で問う。すると、四人が寝ぼけ眼から少し真剣な表情になり、カスガが言う。
「なんちゅうか、かなり聞き入って考え込んでいるようには見えたのう。」
カスガの言葉を聞き、俺はある決意をした。
「あのさ、変なこと言うんだけどよ、聞いてくれるかい?」
「お前の発言はだいたい変だろう。」
「いや、本気だって。」
ユフィはまだ寝ぼけているのか、俺の覚悟は伝わらなかったらしい。
「悪かった。せめて、朝ごはんを食べ終えて、宿に帰ってからにするのはどうだ。」
確かにそうだ。俺はユフィの言う通り、朝飯に集中した。そして、食べ終わった俺たちは宿へ戻る。
「ソラ、どんなことを話したいの?」
宿の部屋でテーブルを囲んで、マキが俺に問う。昨晩フロレットにかけたような、優しげな声だ。
「えっと、俺のなかに、なんていうか脳内?に、ネグルっていう変で失礼なヤツがいるんだけどよ…。」
額を掻きながら話す俺を前に、四人は目をパチパチとする。
「だから言ったろ。変な話だって。」
四人それぞれ、否定はしないが反応に困った様子で、手を顔に添えたり、首を傾げたりしていた。
「ん、ネグルって、でもどこかで聞き覚えが…。」
カイが思い出したように呟く。
「ああ、エルコトルで影に襲われたときに、俺が問いかけた名前さ。」
「おお、あの喋る影か。」
カスガが言うので、俺は思い出して付け足す。
「あ、そうそう、あの影の正体はヒューだったんだけど」
「はあ?」
ユフィが大声で遮る。他の三人もかなり驚いた様子だ。そして、ユフィに叱られる。
「お前はどうして、そんな重要なことを言い忘れていたんだ。」
「わ、悪かったって。」
俺は萎縮しながら、話を続ける。
「で、そのネグルってのが、クルエルを旅した辺りから、俺の夢に出るようになったんだ。」
「えっと、人間なの?」
マキが戸惑いながら聞いてくる。
「いや、黒い縦長の結晶さ。でも喋るし、感情を表すように光る。」
答えたが、マキはますます首を傾げる。
「どんなヤツなんだ?」
ユフィはやはり好奇心旺盛なのか、前のめり気味に聞いてくる。
「すっ…、げえ嫌なヤツさ。」
俺が思いっきり溜めて答えると、ユフィは眉をひそめる。
「なんたって、俺の敵を名乗って現れたからな。いつも嫌味を言って、俺を否定して煽ってくるんだ。」
「困った同居人じゃのう。」
カスガが言うので、だろ?と返す。
「で、なんで今日ネグルの話をしたかって言うと、なんか昨日のヒューの質問攻めが、ネグルと似てたからでよ。あと…。」
俺は続く言葉を考えた。
「アリアレジスでさらわれて、ヒューのことを知ったあと、ネグルと話したんだ。俺のなかには、ヒューに対する同情が確かにある。」
四人は、真剣な顔で俺を見ている。
「そのなかで、ネグルに言ったんだ。真実を知ったら、もしかしたらヒューと一緒に世界に反抗したくなるかもしれないって。」
「やはりな。」
ユフィが腕を組んで言う。
「なんで、やはりなんだい?」
俺が問うと、まっすぐな目でユフィが言う。
「俺だけではなく、みんな感じたはずだ。先ほどの食堂でカイたちも言っていたが。ヒューの話を聞くお前の目は、俺が魔道の指導をしているとき以上に、のめり込むような目をしていた。」
ユフィの言葉に、他の三人も頷く。
「そうね。ヒューの話は説得力もあって、普段は姫神教の神話を音楽劇として演奏する私でも、興味が湧いたわ。」
マキも頬杖をついて、頷きながら言う。
しかし、俺には少しの不安がある。
「ヒューや希望教に興味が湧いている俺を、ダメだと思わないかい?」
その俺の問いに、四人は少し考える様子を見せた。
「正直、心配はしとる。」
カスガが俯きながら言う。こういうとき、率先して意見を言うほうでは無い彼なので、俺は少し驚く。
「ワシゃ、姫神教も希望教も関係ない国で生まれ育ったが、どっちも光と闇の部分を多く感じるんじゃ。」
「光と闇?」
俺が問うと、カスガは頷いて話す。
「姫神教は、やはり精霊戦争後の混乱をおさめただけの力がある。じゃが、アリアレジス王家を上回るほどの権力じゃったり、殉教の教えを使う者がおったり、どうもうさんくさい。」
俺は頷く。
「そして、希望教。実はな、ワシの故郷にいる一番近い友人が、精霊の形代なんじゃ。」
突然のカスガの告白に、俺たちは驚く。秘密の多い彼の、なかなか口にしない自分のことだ。
「鎖国しとったとはいえ、やはり未知の力を持つ形代は、メウィティカでも恐れられておるんじゃ。もちろん、ヤツも周囲から相手にされておらんかった。」
カスガの悲しげな横顔は、同時に友を思いやる優しい男の顔だった。
「ワシは故郷を出て、初めて世界を肌で感じた。そして、形代やハーフエクラ、生まれ持ったもので差別される者たちの苦しみを目の当たりにして、ワシゃ自分の生きておった世界の狭さを知ったよ。そんな苦しみの拠り所となる場所があるなら、それは人でも、宗教でも良いと思うんじゃ。」
そこまで、カスガは俯いて、自分の本音を丁寧に形にしていた。しかし、次の言葉で、新緑色の目が鋭くなる。
「じゃが、ワシゃキーエールのローズやダフィ、クルエルの悪夢。それに、ジオリダムのセーラによる惨劇。希望教にゃ希望教の理想があるかもしれんが、そういった事件の犠牲者のことが頭から離れん。」
それは、強い感情が溢れ出たかのような、潔い言い切り方だった。しかし、傷ついた者を放っておけない、気弱なくらい優しいカスガならではの言葉だと、俺たちは知っている。
「最後に生き方を決めるのはソラじゃ。ワシゃ文句は言えん。じゃが、宗教や教えを盾に人を傷つける人間には、絶対になってほしくないんじゃ。」
カスガは俺に対し、なんの躊躇いもなく、その言葉をぶつけてきた。ヴェーゼンで俺がカイに酷いことを言ってしまったあとの、カスガの言葉を思い出す。
そう、カスガは控えめなだけで、いろいろ感じて、考えている。そして、いざと言うときはユフィとはまた違う種類の率直さで、真正面からぶつかってくれる。
カスガも、成長をしているのかもしれない。他の三人や俺の顔色をうかがうことなく、俺と正面から向き合ってくれた。そして、俺も成長をしている。今なら、彼の俺への思いを受け止められる。
「…分かった。約束する。俺はどんなに強い魔道を得ても、人を守るためにこの力を使う。」
そう言うと、カスガは続けて言う。
「ソラ、最後には幸せにならなきゃいけんよ。」
「幸せ…。」
俺は、頼りなく呟く。そして、四人に問いかける。
「幸せって、なんだい?」
すると、またも四人は悩む姿勢を見せる。
そもそも幸せなんて目に見えないもの、どうやって確認できるんだろう。俺はその幸せとか幸福というものがなんなのか、ずっと分からない。
「私は、なんだけれど。」
マキが口を開く。
「ソラたちみんなが、大切な人と笑顔でいて、穏やかに眠れる日が続けば、それが幸せだと思うわ。」
マキの言葉に俺は少し考えて、返事をする。
「そんなので、いいのかい?」
彼女は頷いて、微笑む。
「そんなのでいいの。でも、普通で簡単に見えて、とても難しいことよ。」
俺はその言葉を、少し時間を取って噛み砕く。でも、やっぱり正体が掴めない。
「いつか、幸せがどんなものか分かるかな。」
俺は誰に向けてでもなく、独り言のように呟く。
「幸せって、人それぞれ形が違うと思うけれど…。」
カイも、少し悩みながら話す。
「ソラが、人のために頑張って生きれば、いつか納得する場所にたどり着けると思う。」
俺はカイを見る。彼の顔は、いつもの優しげな表情だ。そして、人のため頑張って生きれば、という言葉は、彼ならではの説得力があった。
騎士として国や人のために生きることを決め、この旅でも体を張って戦ってくれるカイ。そして、人の幸せを願える優しい人間だ。
俺は聞いてみる。
「カイは、幸せかい?」
カイは上を向いてうーん、と悩む。
「今は幸せだよ。辛いことも多い旅だけれど、みんなに出会えて、僕は騎士として、一人の人間として、成長できている気がするからね。」
今は、という言葉が気になったが、俺はやっぱり、まっすぐに生きるカイが、かっこいいと思うのだ。
「少し話は変わるんだけどよ、ネグルには、こうも言われたんだ。生きていく理由が見つからない限り、お前は夜明けを迎えられないぜって。」
「んー、確かに意地悪な同居人ね。」
マキが言うので、俺はまたも、だろ?と言う。
「お前の名前の意味を使ってそんな煽り文句を言う辺り、相当ひねくれたヤツだな。」
ユフィも頷く。しかし、彼は続けて言う。
「だが、お前にとっては良い哲学の相手かもしれない。」
「テツガク?」
「人が、なぜ生きるのかを問う学問だ。」
俺は顔をつい、しかめて言う。
「なんか、魔道とか剣のほうが分かりやすくていいな。」
カイとカスガが頷く。彼らも、考えるより動くのが合う性分だ。
「でも、なんだか希望教みたいね。」
マキが言う。
「昨日、ヒューがソラにいろいろと問いかけたじゃない。そのネグルという人?と、希望教の姿勢って、なんだか似ている気がするわ。」
確かに、そうかもしれない。俺は問われるたびに、自分の考えが深まっている気もする。
「意外とそのネグルってヤツ、お前の精神的な成長を助ける味方かもしれないぞ。」
ユフィが言うので、俺は顔にグッと力を入れて、反論する。
「それは絶対無いね。俺の内側を見せてやりたいぜ。人を殺しちまったときなんか、あの憎らしい黒い結晶、ようこそ煉獄へ、なんて言って来やがったぜ。」
それを聞くと四人は気まずそうな顔で、カイなんかは、それは良くないね、と同感した。
そんな話をしていると、扉を叩く音がした。カイが扉を開くと、イザベルが挨拶をして来た。
化粧や髪型は元の地味なものに戻っており、ちょっとした菓子類を持って来てくれた。顔には、いつもの微笑みが浮かんでいる。
「このたびは舞踏会への参加、ありがとうございました。おかげさまで、私もいろいろと繋がりが出来まして、助かりました。」
そう言うイザベルに、俺たちはヒューたち希望教について、令嬢マリーと関わるところを伝えた。
「そうですか…。マリー様からのお誘いでしたか…。」
イザベルは、少し心配そうに呟く。
「思えば、ドレスレア大陸に渡る船のなかでも希望教は布教活動をしていたね。」
カイの言葉に、俺たちはその光景を思い出す。
「ヒューたちは言っていたな。自分たちは求められていると。」
ユフィの言葉に、イザベルは悩ましげに俯く。
「なんか、ディーン皇王の頼みで旅には出たけどよ、姫神教と希望教への謎は、ますます深まるばかりだぜ。」
俺は半ばボヤくように言う。すると、イザベルは微笑みを消し、答える。
「それだけ、精霊戦争や二つの宗教の闇が深いということです。」
闇。スベルニアでユフィが言っていたが、精霊戦争のことも、ヴァルクシェンナとソクアヴェスタのことも、そして二つの宗教も、知らないことが多すぎる。
イザベルは続ける。
「ディーン皇王陛下は、姫神教によって口止めの呪いをかけられております。一番近くで長年お仕えしているメルヴィン様ですら、陛下が何を止められてしまったのか分かりません。また、陛下は姫神教や軍部の目があり、自由に動けるお立場にありません。」
軍部、という言葉が引っかかる。ただ、そこまで言うと、イザベルは微笑みを戻して言う。
「そのため、私たち諜報員が世界各地に派遣されているのです。一般人になりすまし、陛下の目や耳の代わりとなって、あらゆる謎を追っているのです。」
「ああ、だからあんなに化けるのが上手いんだな。」
俺がそう言うと、マキに思いっきり頭をはたかれた。
「いってぇ。」
「ほんと、ソラってば、女性に対しての礼儀がなってないわ。」
俺とマキのそんなやり取りを、当のイザベルは笑って見ていた。
「でも、そうなると僕たちも心強いね。宛てのない、味方もいない旅だと思っていたから。」
カイが言うと、イザベルは頷く。
「私たちもメルヴィン様も、皆さんを頼もしく思っています。そうそう、これが今回のお礼です。」
イザベルは、小さな鞄から封筒を出した。それは、約束した二十万ルピーだ。
「本当は、お金以外の支援も出来たら良いのですが…。我々も情報集めや人脈を築くといった活動で手一杯でして…。」
「いや、ありがたくいただくよ。」
カイがそっと封筒を受け取る。俺は問う。
「イザベルは、これからどうするんだい?」
「昨晩の舞踏会で、ここより北の西方諸国ルーソンの王族の御令息から食事に誘われました。そちらへ向かい、姫神教や希望教の動向を探るつもりです。」
「大変そうね。」
マキが言うと、イザベルは今までで一番温かい微笑みを浮かべて言う。
「精霊戦争で孤児となった私を育ててくださった、メルヴィン様への恩返しですから。」
「…イザベルも、孤児なのかい?」
俺が問うと、彼女はなんの躊躇いもなく頷いて話す。
「はい。メルヴィン様と奥様は、精霊戦争の自然災害や国どうしの軍事衝突で、五人のお子様を亡くしていらっしゃいます。その経験から、孤児の保護に力を入れていらっしゃるのです。私はその一人です。」
「…ヌシも苦労をしておるのじゃな。」
カスガが言うと、イザベルは変わらない微笑みを浮かべて言う。
「そんな。メルヴィン様や陛下のお力になれることが、私の幸福ですから。」
幸福。なんと都合よく、その言葉が現れたのか。どうやらカイの言う通り、幸せは人によって形が違うらしい。マキの言う、穏やかに眠れる幸せとは違う気もするが、幸せの価値を決めるのは本人なのだと、俺はなんとなく感じた。
「俺たちはこれからも、精霊戦争とかいろいろ調べるからよ、また会えたときはよろしくな。」
俺がそう言うと、イザベルは満面の笑顔で頷いた。その顔はどこかあどけなく、俺たちが思うより、彼女はまだ若いのかもしれない。
彼女は部屋を出た。しかし、余韻も残り香もない、痕跡を残さない玄人の立ち去り方だった。
「宛てのない…。」
ユフィが俯いて、腕を組んで言う。
それはなんだか心細い声に聞こえ、俺は問う。
「ユフィ、どうしたんだい?」
「この旅の終わりがどこなのかを、少し考えた。」
そのユフィの言葉に、五人ともが押し黙ってしまった。確かに、アリアレジスを目指していた旅路の頃と違い、今は目的地らしいものが無い。太陽物語と悲しみの記憶を解き明かすという、漠然とした目的だけだ。
すると、カイが鞄から地図を出してテーブルに広げる。
「宛てがないなら、一緒に考えよう。」
それは何度も広げ、何度も畳んで、ところどころが傷んだ地図だった。しかし、これも俺たちの轍なのだ。
「そうね。行き当たりばったりと言うわけではないけれど、私たちが行くのは先人のいない旅路だもの。」
マキがそう言って、俺は改めて地図を眺める。グランディエを出発して、随分と遠くまで来たものだ。
「皇王陛下の手紙通りで言えば、次は港町ルムーシュクか。」
ユフィが隣の国を指差す。
「そこからはメウィティカじゃな。」
ルムーシュクから船路をたどると、近くに大陸がある。それは、いくつもの小島を含む、地図上で見ても大きな大陸だった。
「その次は、ウルムナヤ大陸って読むのかい?」
俺が聞くと、マキが頷いて言う。
「ええ。ここに、私の生まれたリベリア国があるわ。他は少数民族が暮らす草原や砂漠、あとは小さな国がほとんどね。」
「砂漠か…、ちょっと見てみたいな。」
そう言うと、ユフィに観光じゃないぞと注意された。
「カスガは、メウィティカで別れるのかい?」
俺は尋ねる。もちろん、否定してほしくて聞いている。
「…分からん。決められんが、ワシゃ、自分で決めたい。」
それ以上、俺は聞かなかった。先ほどの希望教に関する話で感じたように、カスガは成長している。それには、葛藤というのだろうか、たぶん、彼のなかには戦う自分がいる。
俺は、その戦いの答えを見届けられたらと思うのだ。
改めて、地図を見る。
「これが、ハモニア大陸か。」
俺はその、小さくも大きくもない大陸を指差す。そこはオディオ同様、何も国名が書いていない。
「ああ、十一年前、ヴァルクシェンナとソクアヴェスタが存在していたという、幻の大地だ。」
ユフィが言う。俺はそこが気になってしまう。
「幻の大地…?」
「どこかで確認した気がするが、二つの国に生き残りはいない。まあ、ヒューの存在は謎だが…。滅びてしまい、今は誰も立ち入ることを禁じられた大陸だ。」
「誰が禁止しているんだい。」
「姫神教会だ。」
俺は、答えを予想しながら、その質問をした。
しかし、俺は決意を口にする。
「目指すはハモニア大陸だ。」
四人が、俺を見る。ユフィが当然のように問う。
「根拠は?」
「勘さ。」
ユフィは少し息を吐く。ただそれは、呆れるわけでなく、俺の性格を知ったうえでの納得のため息だと感じる。
「でも、滅びてしまった二つの国。悲しみの記憶は、たくさん眠っていそうじゃない?」
マキが言うので、俺は頷く。
「…オディオのときのような、辛い記憶がありそうじゃのう。」
カスガが呟く。メウィティカを経て、ハモニア大陸にたどり着いたとき、その記憶を紐解く場に彼はいないかもしれない。
「でも、ソラ一人じゃないよ。」
カイが力強く言う。
「どんなに辛い記憶を目にしても、みんなでソラを支えて、整理しよう。そして、ディーン皇王にお伝えしよう。」
カイがまっすぐに言うと、なんだか何もかも出来る気がしてきた。
「ああ、俺は必ず真実を解き明かす。そして生きる理由も、夜明けも見つける。」
俺は宣言した。それはたかが十三歳の元浮浪児の、ただの大口だろう。だが、俺にしか出来ないことがある。この旅路の理由は、きっと後からついてくる。
俺は地図を再び眺めた。最大のトール大陸を北上した俺たちなら、道なき道も、先人の導べのない道も、五人で手探りながら歩いて行ける気がした。
それからしばらくは、イザベルからもらった報酬を使い、旅の支度を整えた。
途中、数日間、強い雨が続き、買い出しがままならないときがあった。その持て余した時間で、マキは俺に、宿屋の主人から借りたギターを教えてくれた。
「右手と左手で、違う動きをするのかい?」
「ええ、それに慣れたら、歌って弾き語りも出来るのよ。」
マキは慣れた様子で細い指をこまやかに動かし、音を奏でた。そして、聞いたことのない言語の歌を歌う。
もちろん俺は、そんな歌う余裕なんて無い。左手をぎこちなく動かし、利き手の右手で少し音を鳴らすので精一杯だ。
「うん、いい感じ。音が粒立ってて、聞き応えがあるわ。」
マキは褒め上手で、なんだか自分に才能がある気さえしてしまう。
「ソラ、音楽はね、文字のない心よ。」
その言葉にハッとした。いつかのクルエルで、マキが父親に言った言葉だ。
「私は音楽が大好き。国境も言語も超えて、多くの人と繋がれる。そして、自分のなかの言語化できない思いを音に出来る。」
「ゲンゴカできない?」
「言葉に出来ない思いよ。私たちはまだ若いし、経験も浅い。受け止められない思いや、思いもよらない不運にだって遭遇する。私はそういうとき、ごちゃごちゃした思いを音楽にするの。そうやって自分と対話して、他者と向き合う準備をするの。」
「マキは人を楽しませるために、笛を吹いたり歌ったりしてると思ってたぜ。」
「もちろん、私の音楽で人が喜ぶのが一番幸せよ。でも、途方に暮れて、楽譜のない音楽を手当たり次第に奏でることもあるわ。」
マキは会話中も、ずっと右手と左手を動かし、音の粒を部屋に降らせていた。
「ちなみに、今弾いてる曲は?」
「ん?ふふっ、早く晴れにならないかなあ、っていう即興曲よ。」
マキが奏でる音の粒は、本当の雨粒のようにしとしとと落ちる余韻がある。でもなんだか優しくて、晴れを望みながらも雨を楽しむ余裕があった。
俺はマキが落とす音の粒に、右手だけでポロン、ポロンと音を混ぜてみた。俺の出す音はマキに比べてかなり不恰好だが、なんとなく雨の中飛び跳ねるカエルを想像した。
俺とマキは音の途中、ふふっと微笑みを交わす。
マキも、ごちゃごちゃした思いを整理したり、または、ポッカリと空いた心を埋めたりするために、一人で音楽を奏でたことがあったのだろう。そう言えばクルエルの悪夢のなかでは、母を思って一人泣いて歌う姿を目にしたことを思い出す。
マキがギターを教えてくれた理由が、スッと理解できる。俺がたとえ一人になっても、高い壁を前に苦しんでも、心を整える方法を教えてくれているのだ。
いつか、一人で生きるようになって、たった一人でギターを奏でる日がくるのだろうか。そのとき俺は、どんな感情と向き合っているのだろう。どんな人間になっているのだろう。
未来のことを考えると、過去のことも頭に湧き上がる。
もしも、浮浪児の頃に音楽を知っていたならば、俺は寒くて眠れない夜、ただ震えるだけでは無かっただろう。灯火や暖炉を想像して、何かを口ずさんで寒さを耐えていたかもしれない。それは、ささやかな誤魔化しかもしれないが、俺の支えになっていたはずだ。
そんな日の夜、ちょうど夢を見た。グランディエの裏路地の夢だ。
寒い裏路地で、丸くなりながら震える俺がいる。その俺は今よりずっと幼く、飢えと寒さで死にかけている。なす術を知らずに、ちくしょうと、ただ悪態だけをついて震えている。
そんな死にかけの俺を、一羽の鴉が狙っている。死んだら、喰われてしまう。そんな死に方は嫌だ。
こんな惨めな生まれ方をして、生き方も知らず、死に場所も選べないなんて嫌だ。俺はただ、その気持ちだけだった。死ぬのは怖い。そして、俺の意志も持てずに死ぬのは、心底嫌だ。
満月を背に、鴉が俺を見下ろしている。
夢のなかの俺は、ちくしょうと悪態を繰り返し、鴉を睨みつける。
俺は、絶対にこのままで死なない。鴉と俺の間に、俺は勝手に勝負を決めた。
夜明けまで、耐え凌いでやる。お前なんかに喰われてたまるか。
そのとき、幼い俺は、なぜかあの歌を思い浮かべ、口ずさむ。
生きよ 我は持たざる者 弱き者
しかし 胸に抱くは 愛の花
壊せ 持てる者の 金の盾
ただ手には 同胞の腕 銀の剣
声上げよ 弱き者の 勇気の歌を
やがて見えるは 歓喜の夜明け
生きよ 進め 新たな夜明け
クルエルの悪夢で、マキがセオドアの悪夢を破ったデゼスプワールの行進曲だ。絶望からの行進曲。幼い俺が知るはずの無い曲だが、その歌は俺を奮い立たせた。
震えながら、その歌を繰り返す。満月に羽を光らせる鴉を睨みながら。
やがて、裏路地に朝日が差す。夜明けだ。眩しいくらいに、薄汚れた俺を照らす。
どうだ、俺は生き延びたぞ。体を起こして、一番の力を込めて、鴉を睨む。
鴉は、遠くへ飛び去った。
「勝ったっ。」
俺は飛び起きた。隣のベッドでぼんやりとしているカイが俺を見る。
「え?ソラ?何に?」
「い、いや、なんでもないさ。」
俺は恥ずかしく、また布団を被ったが、ユフィに叩き起こされる。
そして、旅立ちの日を迎えた。次の目的地は、港町ルムーシュクだ。
ラベニクで一番西の門へ行くと、衛兵に呼び止められた。
「旅人さんたち。まさか、ルムーシュクへ行くのかい?」
「そうですけれど、何かあるのですか?」
カイが尋ね返す。すると衛兵は首を横に振って言う。
「今はやめたほうがいいよ。ルムーシュクの街の中で、抗争が起きて港が封鎖されている。」
「なんじゃと。」
カスガをはじめ、四人が驚く。
「コウソウ?」
俺がよく分からず聞くが、それよりもユフィが衛兵に問う。
「どのような抗争ですか?」
「ああ、シャルグ家とガルブ家さ。ルムーシュクってのは元々治安が悪くてね、昔からいろいろな商人が兵を使って利権を争っていたんだ。」
「シャルグとガルブか…。穏やかでない名前が出てしもうたのう。」
カスガが俯いて言う。故郷の近い彼は、やはり西方諸国に詳しいようだ。
「まあ、お兄さんの言う通り、シャルグ家もガルブ家も荒っぽいヤツらさ。商人の皮を被った犯罪者なんて言われるくらいにね。」
「商人で犯罪者?」
俺は驚いて食いつく。市場で目にする商人や、マルジャーナ家とは違う商人がいるなんて。
「ただ、商売人としての腕と、小さな軍隊を持つほどの財力があるのは間違いない。ようやくここ数年で、シャルグ家とガルブ家という豪商どうしが互いに睨みを効かせながら、無理に譲歩しながら、ルムーシュクを表面的には平和に治めていたのさ。」
「それが、崩れてしまったと?」
カイが問うと、衛兵は頷いて言う。
「ああ。理由は分からないけど、二つの家の軍隊が争って、港町はもはや戦場のようだって、逃げて来た商人が言ってたよ。」
衛兵の説明を聞いて、俺たち五人は輪になって考える。しかし、俺がすぐに言う。
「でも、行くしかないよな。」
カイとユフィは、俯いたまま考える。
「まあ、メウィティカへ行く船は、ルムーシュクからしか出とらんしのう。」
カスガが珍しく、積極的な姿勢だ。
「でも、ルムーシュクに着いたところで船に乗ることは出来ないわよね?」
マキが不安気に言うと、カイとユフィも頷く。
「いや、宛てはある。」
カスガが言った。俺たちは驚いて彼を見るが、ユフィは何かを問おうとした。それを遮るように、カスガが言う。
「間違いの無い宛てじゃ。詳しくは聞かずに、信じてほしい。」
そう言うカスガの眼差しと言葉は、頼もしいくらいに力強い。ユフィは腕を組んで、分かった、とだけ呟いた。
俺たちは親切な衛兵に礼を言い、さらに西へ歩き始めた。
俺は信じるしかない。新しい轍が出来ることを。




