西方諸国ラベニク、弱者の問い《ソラ》
《ソラ》
華やかな舞踏会と不釣り合いな、黒い者たちが現れた。俺は自分でも、目が吊り上がるのを感じる。
ヒューがいる。あとは、セーラ、セオドア、テッド、それからもう一人、初めて見る少女、全員で五人だ。
ヤツらは一応、マルジャーナ家の絹素材の、上等な服を着ている。ただ五人とも殉教の魔道士らしい黒を選んでおり、それだけで圧迫感がある。それに、殉教の教えの刺青が見えない服を選んではいるが、顔の独特な化粧はそのままだ。
「青いリボンを、花の形にして着けているのが見えるかい。あれは、希望教信者が象徴として着ける飾りだよ。」
カイが小声で言うので見てみると、確かに胸元や腰に、青いリボンの花が咲いている。それは、少し紫がかった青だった。
招待客たちは、遅れて現れた黒い客を気にしない素振りをする。
ヒューを先頭に、五人が歩いて来る。
その途中、確かにヒューと俺は視線を交わした。俺の目と、ヒューの赤い目が交わる。
しかし、いつもの軽口などは無く、まるで他人のように過ぎていった。
テッドは、俺を見下すようにジトっとした目で見ていた。こういう瞬間、浮浪児だった頃の汚い根性が、ふと蘇る。
希望教の五人はマリーの前に立つと、丁寧に挨拶を交わす様子が見えた。特に、ソクアヴェスタ最後の王子だというヒューの作法は、無駄が無く見えた。マリーは一人一人と握手まで交わし、客人として丁重にもてなしている様子が見えた。
そして五人は、踊りの輪に加わることもなく、料理に手を出すでもなく、会場の隅に立った。周囲の者も、関わろうとしない。
しかし、それは肩身が狭そうなわけではない。ヒューとテッドなんかは壁にもたれ、無駄に華美に飾られた空間を、高みから眺めているように思える。
「あの方々ですか。想像以上に、分かりやすい出立ちですね。」
気づいたら、イザベルが近くに立っていた。
「皆さん、希望教と西方諸国の繋がりを探ることは出来ますか?」
「単純に、マリーとヤツらの関わりを探ればいいのか?」
ユフィが問うと、イザベルが頷く。
「すみません、私は別の任務で、他の方々との繋がりを作らなければならず…。お任せしてよろしいですか。」
俺たちは頷く。イザベルの後ろには、ディーン皇王とメルヴィンがいる。期待に応えたい気持ちが強くあった。俺たち五人はそれぞれ、給仕係から飲み物を受け取り、希望教の五人に近づいた。
「やい、ヒュー。」
俺はわざと、不躾に声をかける。ヒューはゆっくりと俺を見る。
「あれえ?ソラ。どうしてこんなところに?」
さっき目を合わせたというのに、ヒューはわざとらしく、口の端を上げて笑った。
「へへっ、まあ偶然が重なるもんだ。これでも飲めよ。」
俺は給仕係からもらった果実絞りのグラスを差し出す。すると、テッドが無理にそれを奪った。
「あ?なにすんだよ?」
「ヒュー様に変なもん飲ませんじゃねえよ。」
孤児で元浮浪児どうし、互いに敵対心が走る。しかし気になったのは、その言葉だ。
「なんだよ、ヒュー様って。様ってなんだよ。」
俺が問うと、テッドは無理に取った果実絞りを飲んで言う。
「ソクアヴェスタと希望教の、新たな【輝やしき王者】ヒュー様だ。お前みたいな卑しいヤツが近づける方じゃないんだよ。」
そう言うテッドは、浮浪児のときと違う目の色をしていた。自分しか頼れない浮浪児時代と違い、どこか拠り所を見つけ、そんな自分に誇りを持っている、だが、危うい目をしている。
「まあ、せっかくだからグラスを受け取ろうよ。一仕事終えて、喉も乾いたしさ。」
ヒューがそう言うと、既に受け取ったテッド以外が俺たちに手を伸ばす。そして、自然な流れでそれぞれ飲み物を渡した。
「ねえ君たち、クルエルで俺の悪夢を見た人たちじゃなかったっけ。」
ユフィから飲み物を受け取ったセオドアが、ハキハキと話す。ユフィは怪訝な顔をする。なぜなら、船で見た彼は悪夢を操った代償として、自分の悪夢に呑まれていたからだ。船上では、まるで廃人のようにフラフラとしていた。
「あのときは上手くできなくてごめんよ。まだ魔道に不慣れだったからさ。でも今ならもっと望む夢を見せてあげられるよ。」
目の前のセオドアはペラペラと息継ぎもなく喋り、かなり不気味だった。虚ろだった目は、むしろギラギラとしており、ネジの外れたカラクリ人形にすら見える。
俺たちは、セオドアには何も答えなかった。答えても、彼の人間らしさが戻る気がしなかったからだ。
「あなたは、初めましてよね?」
マキは、初めて見る少女に優しげな声で問う。少女は人見知りなのか、セーラに隠れるようにして、グラスを無言で受け取った。
「ほら、自分で挨拶してごらん。」
ヒューが同じ背丈の少女に、まるで兄のように促す。いつかの銀の糸の記憶で見た、ヒューの兄弟を思い出す。
「…フロレット…。」
フロレットと名乗った少女は、その言葉のあと、さらにセーラの背後に隠れた。
俺の勘だが、フロレットにはどこか、孤児の少女独特の隙がある。相手を疑い、試す目。しかし、自分に害が無いと分かると、依存するほどに寄りかかる。孤児の少女と少年には、その辺りにどこか違いがある気がする。
そしてフロレットには、明るい赤毛に似合わない、湿っぽい雰囲気がある。そばかすが幼く、身に纏った絹素材のドレスは、悪いが不釣り合いだ。
「フロレットは西方諸国で新しく僕らの仲間になった、希望教信者さ。こう見えて強い魔道の才能があってね、セオドアの気持ちも明るくしちゃったのさ。」
ヒューは果実絞りを飲みながら、さらりと手の内を明かす。しかし、気持ちを明るく、と言っても、ただ無理矢理に脳をいじったような印象だ。俺はか弱く見えるフロレットに、少しの警戒心を抱いた。
「一仕事終えて、舞踏会に遅刻だなんて、忙しそうだね。何をしていたんだい?」
カイが何気ない口調で問う。すると、セーラがゆっくりと手を上げ、人差し指でカイの鼻先をつつこうとする。それを、カイが指をピッと揃えた右手で防ぐ。
「あら。」
「失礼。職業柄、あなたのように美しい貴婦人と、容易く触れ合うのには抵抗があるので。」
セーラは指を引き、口元を手で覆ってふふっと笑う。カイは柔和な表情のまま、金色の瞳は戦闘時を思わせる光を宿している。
「信者の一仕事と言えば、布教活動だよ。」
ヒューはまたも、あっさりと話す。俺は問う。
「へえ、何を話すんだい?」
「お前なんかに話すかよ。」
テッドがまたも、敵意剥き出しで突っかかるので、俺は負けずに睨み返す。それをヒューとセーラがくすくす笑い、セオドアなんかは手を叩いて大笑いした。
「アルデールでソラ、君に少し話しただろう?希望教は、女神ルイゼを始めとした英雄たちの生き様から、自分の生き方を見つける宗教だって。」
俺は頷く。正直、俺は、その自分らしい生き方を見つけるという希望教の姿勢に、共感を抱く。
ヒューは続けて話す。
「姫神教は、したらダメなことをいくつも決めているんだ。盗みはダメ、不倫はダメ、差別はダメって。戒めってやつだね。姫神教は、戒めに従って自分を正す、周囲にも正しさを求める、窮屈な宗教だよ。でさ、戒めを破ったら煉獄に堕とされるって脅しを準備しているんだ。」
ヒューの説明には、攻撃的なくらいの非難を感じる。ただ、アルデールのときとは違う。ソクアヴェスタ王子として、ヴァルクシェンナや姫神教と戦って犠牲となったヒューの記憶を知った今、俺の頭にはどこか、哀れみがある。
「その点希望教は、選ぶ宗教さ。たとえば、女神ルイゼとともに旅をしたリーエゴは類稀な斧の使い手だった。でも稀代の女好きでね、十人以上の女性と四十人以上の子孫を残した話があってさ。何度ルイゼに叱られても、女遊びをやめなかった。」
「そ、そんな神話があるのかい?」
意外すぎて、俺はつい食いついてしまった。
「ああ、ルイゼの仲間は、みんな長所と短所がほぼ必ず描かれている。でもリーエゴは、どの女性からも子孫からも愛される人たらしの才能があった。そして斧を振るって、ルイゼとともに悪魔メアロを倒した。その戦いでリーエゴは命を落とすけれど、ルイゼの涙による神海で、後に来る妻や子孫と幸せに暮らすのさ。」
ヒューの話に、俺たちは聞き入ってしまった。それは神話だというのに、なんだか人間味のある話に感じたからだ。
「それで、希望教の布教に戻るんだけれど、話を聞いた人のなかにはもちろん、リーエゴに嫌悪感を抱く人もいれば、彼の自由で豪快な生き方、そして戦士としての強さに魅力を感じる人もいる。希望教は、浮気も不倫も禁止していない。そもそも、何も禁止していない。でも、無闇に人を不幸のどん底に落としたり、人の命を奪ったりしたら、煉獄に堕とされる。」
「なんだい、姫神教と一緒じゃねえか。」
俺がそう言うと、テッドが鼻で笑った。腹が立ちヤツを見たが、ヒューが話を続ける。
「全く違うよ。姫神教は、禁止が多く煉獄を脅しにしている宗教。希望教は、禁止が無い代わりに、自分で全て選ぶ宗教。つまり、煉獄に堕ちる覚悟も、自分で選べるのさ。」
またも、俺は希望教の姿勢に共感を抱き、むしろ魅力さえ感じてしまう。煉獄に堕ちる覚悟。それを選ばされたのではなく、自分で選んだのだと、俺は自分に言い聞かせているからだ。
「つまり、姫神教は神による戒めのもと、神に運命を委ねる宗教。反対に、希望教は神話から学び、生き方を選び、自分の運命に責任を持つ宗教ということか。」
ユフィがそうまとめると、セオドアが大げさに感心した。ヒューも言う。
「すごいね。さすがジオリダムの学生さん。まとめるのが上手いなあ。」
そう言われても、ユフィは何の反応もせず、ただ腕を組む。
「ちなみにソラ、あの天井の絵、どう思う?」
ヒューは空になったグラスで、天井を示す。それは、先ほど夢中になって眺めた、姫神教のイヴとノクスの物語だ。
「どうって、悲しい話なんだろうな、としか。正直言って、姫神教も恋人とかも分からねえし。」
俺がそう答えると、ヒューが微笑む。あの、俺を侮るような、歪んだ笑顔だ。
「いいね、ソラ。僕は君のその、無知な純粋さが好きだよ。」
無知という言葉は腹が立つはずだが、俺には自覚がある。面白くはないが、受け入れる。
「太陽神の元に生まれ、世界に平和を広めるため布教の旅をする姫神イヴと、彼女を守る恋人のノクス。二人は互いの愛を支えに、様々な困難を越える。姫神教の神話は、そういう甘ったるい話ばかりさ。」
それを聞くと、希望教の女神ルイゼとリーエゴの話とはだいぶ違う気がする。
「しかしイブは、戦争によって満たされる欲望を求めた人間によって、殺される。不必要なほどの金を得る、分不相応の領地を得る、私利私欲のために争いの種を撒く。姫神教は、そういったことを戒めるためにわざわざイヴを殺すのさ。説教臭いだろう。」
ヒューは淡々と話し、俺たちは特に頷かない。
「そして、復讐神と化したノクスによって、イヴを殺した人間たちは次々と殺される。その死の様子は、細かく語らない。実物の死体はぐちゃぐちゃなのにさ。姫神教の神話は、都合の良いことしか語らないからね。ちなみに、殺された人間は煉獄に堕ちて、イヴを殺したことを後悔して、罪を洗い流しているらしいよ。」
ふと見ると、セオドアとテッドは大きく頷いている。すっかりヒューの、熱心な信者となっているようだ。
「で、最後は神海と煉獄、二人の恋人は引き裂かれる。人を殺したら煉獄に堕ちると、姫神教は戒めているからね。でも、煉獄で罪を洗い流したら、神海で再び結ばれて、二人は生まれ変わる。懸命に生きたイヴとノクスへの、太陽神なりの祝福らしいよ。だから、姫神教徒は罪を犯しても、必死で生きる。己の罪を洗い流すためにね。」
「希望教のくせに、随分と姫神教に詳しいのは分かったよ。それで、何が言いたいんだい?」
俺は、ヒューの皮肉めいた説明の意図が分からない。すると、彼は言う。
「まあ、美しい神話だよね。」
俺は意外な一言に、目を丸くする。しかし、ヒューはすぐに続けて言う。
「でもさ、つまらないよね。」
ヒューは目を伏せて、空になったグラスをユラユラと揺らす。
「なんで、そう思うんだい?」
俺は、心底興味があって聞いた。
「正しく美しく生きられる人間って、いるかい?間違わずに、まっすぐに生きられる人間って、面白いかい?」
ヒューは、出会ってから今までで一番、澄んだ目をして俺に問うてきた。
「姫神イヴは己を犠牲にしながら、世界の平和と人間の幸せを願っていた。ノクスは人を殺したけれど、純粋にイヴを愛していたからこそだ。そして、浄罪を約束された。僕はこんな、美しいだけの神話に何の希望も見つけられない。」
俺は、ヒューから目を逸らせない。
「人間なんて、弱くて、醜くて、欲にまみれて、間違えてばかりの、愚かな生き物だ。そして世の中には、そんな弱い人間を正しくするための教育や法律がある。」
俺はまた、主に前半部分に共感を覚える。でも、頷くのは悔しいから、黙ったまま聞く。
「でもさ、その教育や法律は、姫神教の教えに則ったものばかりなんだ。精霊戦争で勝った姫神教は、教育や法律を利用して、世界を支配している。同じように正しい人間を育て、同じように正しく染まった国を作って、世界を支配しようとしている。」
「お前はそれに、どんな疑問を持っているんだい?」
俺は問う。学の無い俺には、ヒューの説明に対し、姫神教への根拠の無い反抗心はあるものの、間違いや隙を見出せない。
ヒューはますます澄んだ目で、俺に言う。
「僕たち弱者を、姫神教は救わないじゃないか。」
その言葉は、不思議と俺に、スッと入り込む。舞踏会の演奏や賑わいから切り離され、俺とヒュー、二人だけで向き合う気持ちになった。俺は言う。
「でも、姫神教は国際法で、希望教や形代への差別を禁止してるぜ。」
「実情はどうかな。ソラ、君はこの旅で、人生で何を見た?」
それを言われて、俺は無言で俯く。
浮浪児として生きた人生、銀の糸の記憶、アルデールで投げられた石、差別される生まれを持ち、それに抗う仲間。
俺は、弱者を生み出す人間の弱さを、たくさん見てきた。
「ソラ、希望教に入りなよ。」
ヒューは言う。しかし、それは唐突な誘いには感じなかった。ヒューはアルデールで出会ってからずっと、俺に生き方を問いかけてきていた。
「僕は世界を希望教で救ってみせる。希望教の神話は、常に人間に問いかける。それでいいのか?それで自分は、友人は救われるのか?それで幸せになれるのか?それで世界は平和になるのか?」
ヒューは畳み掛けるように、希望教の問いを、俺に投げかける。俺の中心が、揺れる。
「薄っぺらい綺麗事で表面だけ縛りつけて、裏では汚いことばかりをしている姫神教に世界は任せられない。僕は弱くて愚かで、間違えながらも泥臭く生きる人間の底力を信じる。そんな人間に正しさを問いかけて、強く優しいほうへ導くのは、希望教だ。そして、どんな弱者も包みこんで、誰もが生きていける世界を作る。」
俺は改めて思い知る。ヒューは、ずっとぶれない。姫神教を貶める発言はあるが、己の信じる道を進み、それによって弱者を救おうとする姿勢はそのままだ。
「ソラ、何度も言っているじゃないか。僕は、君の希望だよって。さあ、希望教へ、どうだい。」
そう言ってヒューは、俺に手を差し出す。それはカイがマキを踊りに誘ったときのような、優雅な仕草だった。
この手には、何か俺を吸い込む、魔力のようなものがある。それがヒューへの共感なのか、同情なのか、分からない。
こんな中途半端な気持ちで、ヤツとは向き合いたくない。俺は答える。
「まだ、俺は決めない。ヒュー、お前の言う通り、俺は無知だ。俺はちゃんと知って、考えて、答えを出す。」
俺の答えを聞き、ヒューは手をグッと握る。そして、手を下ろさず、またあの歪んだ笑いを見せた。しかしその笑いは、俺を小馬鹿にした笑いではない。歪んでいるのに、どこか子どもの成長を喜ぶような、人間味のある笑いだった。
「やっぱり君は面白いよ。生き延びて、ちゃんと答えを出してくれよ。」
ヒューはそう言うと、他の者を連れて立ち去ろうとした。カイとユフィが動く。
「待て。」
ユフィが声をかけ、続ける。
「マルジャーナ家の令嬢に近づいた目的はなんだ?この舞踏会に参加した狙いはなんだ?」
それは、彼らしい率直な問いだった。ヒューは振り返る。
「僕たちから近づいたわけではないよ。」
「なに?」
俺たちは驚く。
「舞踏会に誘ってくれたのも、希望教に関心を持ったマリー嬢の意志だよ。アリアレジスに留学しているとき、姫神教に疑問を持って、希望教とか他の宗教のことも勉強したんだって。いつか、宗教とか関係なく、様々な人に美しい絹を届けたいって言っていたよ。聡明なご令嬢だよね。」
それだけ聞くと、とても好ましい話に聞こえる。しかし俺には、宗教の持つ影響力に、少しの恐怖感があった。
「君たちが思うよりも、希望教に共感して、求めている人が多くてね、僕たちは忙しいのさ。だから、僕たちは行くよ。人を救うためにね。じゃあね。」
そう言って、今度こそ希望教の五人は会場を後にした。俺たちは、少し沈黙し、互いに顔を見合わせる。
「僕たちは希望教が何かを仕掛けて、世界に影響を広げていると思っていたけれど、それは改めないといけないのかもしれない。」
カイが腕を組んで言う。
「希望教は、自然と浸透していっている。彼らのように、拠り所や救いを求める人が、きっと増えているんだね。」
俺は、あの言葉たちを思い出す。
「精霊戦争は終わっていない。ソクアヴェスタが甦る。」
四人が少し心配そうに、俺を見る。
「いや、思い出しただけさ。ただ、アルデールでヒューが、僕たちはそこへ帰ろうって言っていたことも思い出したんだ。」
「なんじゃ、意味深じゃのう。」
カスガがメガネを外して言う。
俺たちは壁を背に、ヒューの静かな迫力が込められた覚悟を反芻する。マキが何度か踊りに誘われたが、少し体調が悪いので、と丁重に断った。
俺は、改めて舞踏会の会場を眺める。壮大な天井、目の眩むシャンデリア、波のように光る絹の衣装、生涯一度のような豪勢な食事、互いを品定めする、上品な笑みを浮かべる人たち。
そのなかに潜む、少しの悪意。卑しい俺を見下す、ほんのわずかな仕草。
俺は、ヒューの言う弱者なのだ。こんな光景、二度と目にすることは無い。形代で、身無し子で、故郷も無い。
少なくとも、ここに救いは無い。拠り所も無い。そして、俺自身も、ここに何も求めるものは無い。
舞踏会の華やぎは、夜通し続いた。




