西方諸国ラベニク、絹が踊る世界《ソラ》
《ソラ》
その空間は、屋敷の外観と同じく、この世の豪華さ全てを閉じ込めたような異世界だった。
大きな扉を開くと、高い高い天井。アリアレジス姫神教会本部でブロタールの演奏を見た礼拝堂にも圧倒されたが、一歩踏み込んだだけで、それ以上だと感じた。
天井は高いだけでなく、美しい絵が描かれている。どうやってあんな高いところに描いたのだろう。そして、こんなにも広い空間を隅々まで照らす、立派なシャンデリア。それはあまりに眩しく、煌びやかな装飾をよく観察したいのに、目を細めてしまう。
「天井には、姫神教のイブとノクスの物語が描かれているようだね。」
カイが天井を見て言う。俺は問う。
「それって、マキたちが演奏したやつかい?」
「うん。イブもノクスも、ヴァルクシェンナ出身だから、明るい金髪が特徴だと言われているんだ。それに、ノクスは銀の鎧に、金でヴァルクシェンナ軍の紋章が刻まれている。」
そう説明されて、改めて天井をよく眺める。ブロタールの演奏と同じく、神の遣いであり、恋人同士でもある二人が手を取り合い、ときには高波を越えて、燦々と輝く太陽のもと旅をする様子が描かれていた。
しかし、途中で暗い背景のもとイブが横たわり、ノクスが頭を下げている場面がある。イヴが人間に殺されて、ノクスが嘆いている場面を思い出す。イブとノクスは平和を望んでいたと言うのに、なぜ殺されたのだろう。二人は言っていた。人間は平和よりも、欲望の達成を選んだと。
そして、次の場面になると、天井でそこだけが異質な雰囲気を放っていた。ノクスが血のように赤黒い背景のもと、銀の鎧と剣を赤く染め、泣いている。彼の周りには、かなり美化されているが、血を流す死者が描かれている。
俺は思う。ああ、そうか。これが煉獄か。
たとえ復讐だろうと、生きるためだろうと、人を殺したらここにたどり着くのだ。
神海は、その名の通り海だろうと簡単に想像出来る。実際ローズたちも、神海は美しい海だと教えられたと言っていた。
ただ、煉獄はあえて想像をしていなかった。難しい言葉だったし、やはり恐ろしさがあった。それなのに、天井の絵を見たことで、妙に近しい風景となってしまった。煉獄は俺が思うより、生々しく足元に存在しているのかもしれない。
次の場面は、夜空だ。月は隠れており、星々が瞬いている。イブの後ろには美しい海が煌めき、ノクスの後ろには赤黒い川が流れている。二人がそれぞれ、神海と煉獄へと向かう場面だ。足先はそちらへ向いているが、顔は互いの顔に向いている。離れがたく、しかし、生まれ変わって再会することを誓う、複雑な表情だ。
「なあ、カイ。なんで、最後は月が無いんだい?」
俺はなんとなく、そこが気になってしまった。
「それはね、月の無い新月の状態が、新しい始まりを意味しているからだよ。」
「新しい始まり?」
「イヴとノクスは命を落とし、それぞれ神海と煉獄へ行った。けれど、平和のために戦った二人を、二人を産んだ太陽神は見捨てなかったんだ。罪を洗い流したノクスがいつか神海へたどり着き、再びイヴとともに生まれ変われるよう、願いを込めた。だから、月を照らさずに隠して、新しい始まりを迎えられるように、いろいろな宗教画では新月が描かれているよ。」
そう言われて、再び天井を見る。その説明のあとだと、イヴとノクスの表情に少し、希望が色濃くなった気がする。
そして、カイの学んできた教養というものが、こういうところで生かされていることを感じた。俺がカイに感じるかっこよさは、剣の腕とか生き様だけでなく、こうした人間としての深みにもある気がした。
そろそろ見上げる首が痛くなってきたころ、控えめだが、華やかな音楽が流れてきた。
「皆さま、このたびは我がマルジャーナ家の舞踏会にお越しくださり、ありがとうございます。」
音楽を背に、周囲に比べても一段と豪華な身なりの、五十歳ほどの男が挨拶をする。首も指も宝石だらけで、せっかくの絹の光沢が台無しになっている気がする。
「本日は定期的に開催しております舞踏会に加え、勝手ながらお披露目の場を持たせていただきたいと思います。」
男がそう言うと、若い女が横に立った。
「私の後を継ぐ新たな当主、マリー=マルジャーナです。」
女は二十歳くらいだろうか。恐らく男の娘だと思うが、高い鼻がよく似ている。しかし、マリーは宝石も髪型も慎ましくまとめ、白い絹のドレスが映えている。
「初めまして。マリーと申します。この度はご多用のなか、こんなにも多くの方にお集まりいただき、とても喜ばしく思います。本日は当家専属の音楽隊による演奏と、ラベニクで腕利きの料理人たちによるお料理をお楽しみくださいませ。」
そう言われて良い匂いのほうを見ると、見たことないほど大きな肉の固まりが見えた。思わず唾が出る。
「なるほどのう。」
「カ…じゃなくて、リュウ、何がなるほどなの?」
腕を組むリュウに、マキが尋ねる。
「こりゃ、あの女性当主の花婿探しの舞踏会じゃろう。白いドレスがそれを表しておる。」
俺たちは驚いてリュウを見る。ユフィの言う、いわゆるボンボンならではの観察だろう。
「確かに。俺たち若い学生が呼ばれても違和感の無い舞踏会だな。」
ユフィの言葉通り、俺たち以外の参加者も若者が多い。もしくは、その若者の親やお付きらしき人々。皆、新しい女当主を品定めするように、興味深く見ている。
「舞踏会は、上流階級の出会いの場でもあるからね。」
カイが言うので、俺はなんだか背中がむずむずする。たださえ服が堅苦しいのに、俺はさらに場違いな気しかしない。
「熱心な姫神教信者のマルジャーナ家が、希望教の者を招待するなんて驚きましたが、一人娘のマリー様の意向なのですね。」
イザベルが顎に手を当てて、頷いて言う。
「マリー様は、アリアレジスへ留学された経験のあるお嬢様です。お父上と違う価値観をお待ちなのかもしれません。」
豪華な空間と、美味そうな飯に目を奪われて忘れていた。俺たちがここに来たのは、希望教のヤツらを見つけ、ラベニクでどういう位置にいるのかを調べるのが目的だった。
マリーの挨拶が終わると、音楽がさらに大きく、高らかに流れた。周囲の若い男がスッと動き出し、女に手を差し出している。
「え?なんだい?」
「舞踏会では男性側が女性を誘うのが礼儀なんだ。ちなみに、初めと終わりに同伴者を誘うのも礼儀の一つだよ。」
戸惑う俺に、カイが説明する。そして、カイはマキの前に立ち、白い手袋をつけた右手の平を上に、姿勢よく言う。
「よろしければ、私と一曲いかがですか?」
マキは微笑んで、手を重ねて答える。
「ええ、喜んで。」
そんな優雅なやり取りをした騎士とリベリアの令嬢は、踊る若者たちに混じって行った。
「えっと、俺たちはどうすれば?」
完全に周囲から浮いてしまった俺たちは、途方に暮れた。
「魔道は分かるが、こんなところでの振る舞いなんて勉強したことない。」
ユフィは腕を組んで、素直に白旗をあげる。気づいたら、イザベルも若い男に誘われて踊っている。そうなると、頼りになるのはボンボンと思われるリュウだ。俺とユフィはリュウを見る。
「…なんでワシが、こんな着物に袴の衣装を選んだか分かるか?」
その服、着物って言うんだ、なんて思いながら、俺たちは首を横に振る。
「踊らないためじゃ。ワシは壁の一部になる。」
リュウは目を閉じて言う。俺たちは迷子の子どもになった気分で顔を合わせる。
「飯、食いに行っていい?」
「…ほどほどにな。」
俺とユフィは、食事が並ぶテーブルへと進んだ。
そのテーブルは、俺にとって宝の山だった。どんな宝石や絹よりも価値が高い。見たことないほどのご馳走だ。良い匂い、したたる肉汁、きらきら光る果物。もし神海にこの山があるなら、俺は神海に行きたいと安易に考えてしまう。
俺はテーブルに置かれていたフォークを手に取り、肉を刺そうとした。
「馬鹿馬鹿、待て。」
ユフィが両手で俺を止める。
「な、なんでだい?」
「料理皿から直に食べるんじゃない。皿を持って、トングで取ってから食べるんだ。」
「と、トング?」
慌てた様子のユフィが丁寧に教えてくれる。すると、テーブルの向こうに立った給仕係二人が、互いに片方の眉を上げて、俺をチラッと見た。
まただ。俺は小馬鹿にされた。恥ずかしさとともに、敵意が湧いてくる。
「気にするな。」
ユフィが耳打ちする。
「あんな風に二人で目を合わせて見下すような素振り、招待客をもてなす側としての意識が低い。雇い主の品格を下げる仕草だと、自覚がないんだ。」
ユフィが料理を皿に取りながら言う。俺はそう言ってもらえて、胸がスカッとした。なんと言っても、俺の魔道の師匠だ。放つ言葉はいつも率直で、間違いが無い。それに、いつも態度に素直さは無いが、自分や相手の立場を無闇に貶めることは、決してしない。
「へへっ、やっぱりユフィといると、勉強になるぜ。」
「トングをカチカチ鳴らすな。」
俺は右手のトングを止められ、料理を取り分けてくれた皿を受け取る。
すると、思いも寄らない再会があった。
「そ、ソラくんかい?」
振り返ると、そこには分厚いメガネのオッサンが立っていた。
「れ、レノールっ?」
世界的画家、レノールだ。ヴェーゼンで絵のモデルをして以来、半年以上振りの再会となる。
「いやあ、驚いた。ずいぶん見違えたね。背も伸びたし、顔つきも大人びた気がするよ。」
「へへっ、そうかい?」
先ほどから大人の冷ややかな態度を気にしていた俺には、まっすぐに褒めてくれるレノールの言葉が嬉しい。
「そちらは?」
「旅の仲間のユフィだよ。」
ユフィは軽く頭を下げ、挨拶をする。
「あれだぜ、十二星座の乙女と将来の約束をしてる男だぜ。」
調子に乗っていらないことを言うと、ユフィに頭を叩かれる。痛い。周りの坊ちゃんや令嬢の視線を感じる。
「ああ、アンナさんの。絵を描いている途中の休憩時間で、よく君の話を聞いたよ。」
「え?」
ユフィが驚く。
「頭が良くて、勉強を教えるのが上手くて、孤児院の子からも好かれてて、優しくて…とか。もう聞いているオジサンのほうが照れちゃったよ。」
レノールは、少し若者をからかうように話す。ユフィは腕を組んで顔を逸らしている。
「おうし座のモデルをするときは、その彼のことを想像するんだよって僕は言ったんだ。」
「へえ、なんでだい?」
レノールのからかいに乗るように、俺は聞く。
「十二星座で唯一の恋物語だからさ。僕のなかでは、一番良い表情を描けた手応えがあるよ。」
「へえ、さっすが。」
そこまで話すと、なぜかユフィが俺の頭を叩く。
「いってぇ。なんでだよっ?」
ユフィはふん、と顔を逸らし、耳まで赤くしている。
「ソラ君たちは、なぜこの舞踏会に?」
「あー、まあ、いろいろとね。レノールは?」
「僕は絵のモデルが着る衣装を、いつも提供してもらっているからね。それと、マルジャーナ家の服の宣伝ポスターとかもよく描いているから、年に一回くらい招待されるのさ。」
「へえ、やっぱりレノールってすげえ画家なんだな。」
「いや、ソラ君のようなモデルがいるおかげで、僕は食べていけるのさ。そうそう、大人になった君を描くという約束、僕は覚えているからね。楽しみにしているよ。」
レノールはそう言うと、助手の小柄な女に呼ばれた。軽く挨拶を交わしたあと、別の者へ話をしに行った。
俺とユフィは、しばらく食事を楽しんだ。踊るカイとマキが目に入ったが、とても軽やかで、なんだかレノールの絵になりそうな光景だった。
俺は料理にがっつき過ぎて、ユフィに少し叱られた。でも、こんなに豪華なものを食べられるなんて、俺の生涯でこれっきりかもしれない。少しして、俺は後ろ髪を引かれる思いで、ほとんどユフィに引きずられるように、リュウの元へ戻った。
リュウは、三人の若い令嬢に囲まれていた。俺とユフィで目を合わせて驚く。俺たちの知っている彼らしくなく、あんなに着飾った、年頃の女三人を相手に堂々と話している。
どうやらメウィティカの衣装について聞かれているらしく、上着の柄を指差すなどして令嬢たちの質問に答えている。
「ちょうどいい。あいつのボンボンぶりの正体が分かる機会かもしれない。」
ユフィはそう言い、俺たちは大きな花瓶の陰からリュウを見る。このときの俺たちは目的を忘れていたし、会場で一番怪しいはずだ。
すると、マルジャーナ家の女当主、マリーがリュウに声をかけて来た。先に話していた三人の令嬢は、恐れ多そうに引き下がる。
「何を話してるんだ?」
「さっき言っていただろう。花婿探しの舞踏会だと。」
俺は驚きで声を上げそうなところを、ユフィに口を抑えられる。
しかし、少し話したところで、マリーが明らかに目を丸くして口元を覆い、そして、ドレスをつまんで深く礼をして、引き下がった。上流階級の令嬢らしからぬ、余裕の無い一連の仕草だった。
「ん?何が起きたんだい?」
俺がポカンとしていると、ユフィが呟く。
「なんとなく察してはいたが…、あいつ」
「なにしてるの?」
突然マキに声をかけられて、俺とユフィは固まる。どうやら踊り終わったらしく、カイがマキに連れ添って歩いてきたようだ。
「覗き見は紳士じゃないなあ。」
カイにやんわりと釘を刺され、俺たちは気まずく、リュウの元へ行った。
「おう、美しい舞いじゃったぞ。」
リュウがカイとマキに言う。言われた二人はありがとう、と微笑む。
「ヌシらは、もう少し上手く隠れんかい。」
俺とユフィはごめん、すまない、と素直に謝った。
「どうやらこの衣装が珍しいようでのう。」
リュウが衣装を指差して言った。
話をしていると、給仕係が俺たちの近くに来て、飲み物の入ったグラスを差し出してきた。俺たちは礼を言って、飲み物を受け取った。
「美味しい。こんなに濃い味の果実絞り、初めて。」
マキが目を輝かせたので、俺とリュウも頷いた。
「僕のも美味しいけれど、なんだか不思議な味がするよ。」
カイは言葉通り、首をひねって言う。そのグラスを、リュウが取って一口飲んだ。
「なんじゃ、こりゃあ、酒じゃぞ。」
「え、どうしよう。まだ未成年の騎士なのに、法を破っちゃったよ。」
カイの表情に珍しく、動揺の色が浮かぶ。
「でも、美味いんだろ?いいじゃん、呑んじまえば。」
「ダメだよ。僕の騎士道精神が許さないよ。」
悪い提案をする俺を、カイがまっすぐに否定した。思わず、俺は口を尖らせる。
「給仕係の方に返しましょうよ。ほら、あそこにいるし。」
「じゃあ、俺が返してくるよ。」
俺はそう言って、カイから少し力ずくでグラスを取って、グイッと呑んだ。甘くて美味い。それに、喉や首が熱い。
その瞬間、マキが俺の頭を引っ叩いた。
「いってぇ。」
「馬鹿っ。成人するまで、お酒なんて呑まないの。」
周りの上品な人間たちが、俺たちをチラリと見て、すぐに見ないフリをした。ユフィは恥ずかしそうに腕を組み、カイは気まずそうにマキを制し、リュウは慰めるように俺の頭をポンポン叩いた。どんなに浮世離れした空間にいても、結局俺たちは、俺たちなのかもしれない。
俺たちは空になったグラスと、まだ入っている酒を給仕係に返した。給仕係は酒をあんず酒だと言って、前髪を上げたカイが成人に見えたことも言って、謝ってきた。
そのとき、会場の空気が変わったのを感じた。
演奏や踊りが止まることは決して無い。それに、上流階級の者たちは品が良く、簡単には動揺を見せない。それでも、その異様な姿に、何か一瞬、訝しむ感覚が会場全体に小さな波のように広がった。
ヤツらが扉を開けて入って来た。
希望教だ。




