西方諸国バード、カラクナの歌声《ソラ》
《ソラ》
「いらっしゃーい。空いてる席に座るといいさ。」
店主らしい、明るい男に声をかけられた。男はなかなか体格が良い。
「当たりだな。値段が手頃だ。」
メニューを見て、ユフィが呟く。
「お客さん、見ない顔だね。しかも、いろいろな国の人が集まっている感じだね。」
店主が水を置いて声をかけて来た。表情からも、纏っている雰囲気からも、親しみやすさを感じる。
「うん、それぞれ出身国は違うよ。」
カイが答えると、店主に強く興味を持たれたので、俺たちは名前と出身国を答える。ただ、俺は…。
「ソラ=セルカナデ、出身国は…、そのうち決める予定さ。」
俺は旅を経た今、グランディエと言うのは違う気がする。とはいえ、ソクアヴェスタと答えるには、まだ覚悟が無い。ヴァルクシェンナも得体が知れない。だが、歯切れの悪い俺の答えも、店主は明るく受け止めた。
「いいじゃないか。俺はリーアム。元カラクナ出身、今はバードの国民だよ。」
リーアムはさらりと自己紹介する。そんな複雑な立場を感じさせない、爽やかな表情だ。年は、二十代半ばか後半くらいだろうか。彼はお勧めのメニューを紹介してくれた。俺たちは初めて聞く料理たちを頼む。
料理を待っている間も、食堂中のあちこちで音楽が鳴っていた。店の隅で、叙情的でゆったりとした歌声に涙する人もいれば、陽気に弾むリズムに身を委ねる人もいる。
「なんだか、故郷のリベリアを思い出すわ。」
マキの呟きに、俺はなんで?と問いかける。
「リベリアは音楽の国だからね。店に限らず、路上にもいろいろな音楽が溢れているわ。仲の良い家族なら、誰かが楽器を持てば団欒して歌い出すもの。」
マキは何ということもなく言ったが、クルエルでの悪夢を見る限り、彼女にその団欒は無かったのでは無いかと想像してしまう。
「さーあ、召し上がれ。」
店中の音楽を楽しんでいると、リーアムが料理を運んで来てくれた。俺たちは挨拶をして、フォークを刺す。
「う、美味え。」
俺はその料理の、あまりの美味さに驚いてしまう。外はサクッと揚がっているのに、中はトロリとクリームが溢れてくる。
「それは、俺自慢のクロケットさ。」
「クロケット、美味えよ、これ。」
リーアムの言葉に、俺は食い気味に感想を言う。
「料理はじゃがいもが中心だな。だが、多彩な味付けで、飽きがこない。」
ユフィも頷いて、食べ進める手を止めない。そんな俺たちの様子を、リーアムは微笑んで見ていた。
俺たちは、料理に夢中となり、気づいたら皿がさっぱりとしていた。満腹感と、満足感でいっぱいだ。そんな俺たちに、リーアムが新しく皿を置く。
「え?注文していないけれど…。」
カイが驚いて、リーアムを見る。
「あまりに食べっぷりが良かったからよ、オマケさ。」
リーアムは爽やかに、微笑んで言う。皿にはチーズが並んでいる。チーズと一言でいっても、何種類かありそうだ。
「ありがたいのう。西方諸国は、酪農業も有名じゃから、きっと味は間違いないぞ。」
カスガがそう言うので、俺たちは礼を伝えてチーズに手を伸ばす。牛乳っぽい甘味の強いチーズもあれば、酸味の強いチーズもある。俺は、次のチーズがどんな味か、楽しみながら食べた。
「…早く食べて、出たほうがいいかもしれない。」
突然、マキが顔を強張らせて小声で言う。その目は、危機感を帯びているほどに真剣だ。
「どうかしたのかい?」
「音楽が変わったわ。」
ただならぬ雰囲気を感じたカイの問いに、マキが答える。俺たちは、チーズを口に運ぶ手は止めずに、店内の音楽に耳を傾ける。
神の子らよ、祖国を忘れるな!
血に塗れた旗を、決して忘れるな!
敵は我が故郷を踏み荒らす!
群衆よ、言葉を持て、武器を持て!
そして、侵略者よ、震え上がれ!
我らは選ばれし、カラクナの戦士!
神の威光を背にした神の子!
さあ、侵略者よ、震え上がれ!
それは、今まで耳にした音楽で、一番の勇ましい敵意を感じさせる歌だった。先ほどまで、それぞれで音楽を楽しんでいた客たちが、この歌については団結して声を重ね、複数の音階による和音すら奏でている。どうやら、こんなにも物騒な歌を、彼らは歌い慣れているらしい。
俺たちはせっかくの美味いチーズを、急いで口に運ぶ。
しかし、俺は感じ取ってしまった。
銀の糸だ。
店のなかに、銀の糸の予感がある。
俺はそれを小声で、四人に伝える。四人は動揺し、店内を見る。リーアムは、歌ってはいないものの、勇ましい音楽に体を揺らしている。
「どこからだい?」
カイに問われ、俺は小声で答える。
「たぶんだけど、リーアムのネックレス?って言うのかい?あの首の装飾品さ。」
俺の言葉で、四人がリーアムを見る。
「あれは、ネックレスとは違う。革紐に指輪を通しているようだ。」
ユフィが小声で言う。改めてリーアムのネックレスを見ると、革紐に二つの輪、確かに指輪が通っていた。
「じゃが、この雰囲気じゃと、どうにも話しかけにくいのう。」
カスガの言葉に、俺は頷く。それに、こんなにも勇ましい声で溢れる店内では、上手く集中出来ない。
「…でもよ、ディーン皇王の頼みを考えるとよ、見過ごせないぜ。明日の午前とか昼とか、もう少し落ち着いた時間にでも出直そうぜ。」
俺の言葉に、四人は頷く。とは言え、カイとユフィは慎重な様子だった。ディーン皇王の頼みを聞く前と後とで、考えが変わったのだろう。恐らく、頼みを聞く前だったら、彼らは面倒ごとは避けたはずだ。
俺たちはチーズの皿も平らげ、会計を済ませる。
「若い旅人さんたちよ、また来てくれよ。」
リーアムは最後まで、サッパリとした態度だった。先ほどの勇ましい歌さえ無ければ、晴れやかに店を後に出来ただろう。俺は、リーアムの胸元のネックレスに後ろ髪を引かれながら、宿へ戻った。
観光地バードは、夜ですら賑やかだった。宿までの道も、あちこちで音楽や手品を披露する大道芸人を見かけた。
「たぶんだけれど、歌詞の内容からして、あそこの人もバードへの抵抗運動の曲を歌っているわ。」
神よ、我らの手を取れ
抗う手を、体を引き上げよ
我らは祖国を愛する戦士
復讐の手を導きたまえ
神の加護を得た我らは
巨人となりて、敵を踏み荒らす
マキに小声で言われ、女の歌声に耳を傾ける。俺は、思わず足を止めて聞き入ってしまった。
弱いものは、強いものに飲み込まれる。それをこの国で感じたわけだが、俺はなぜか、弱いものが持つ復讐心や反抗心に想像を働かせている。
すると、弾き語りで演奏していた女が、俺の視線に気づく。
「ん?この曲、気になる?」
女に問われ、俺は頷きそうになったところを、カイとカスガに両脇を抱えられ、一気に宿へと走る。
「な、なんだよ。どうしたってんだい。」
宿の部屋へたどり着き、カイ以外は走って息切れを起こしていた。俺は、両脇を抱えられた驚きをそのままに問う。そして、カイが答える。
「ソラ、ディーン皇王の頼みの元、旅を続ける覚悟はしたけれど、やっぱり危険なことに関わるのは、最低限にしよう。」
唯一息が整っているカイが、落ち着いた様子で話す。そして、息も絶え絶えなユフィが続く。
「同感だ。せっかく銀の糸を感じる力があるんだ。その予感以外、関わらないほうがいい。」
カイとユフィの言葉に、カスガとマキも頷く。
「でもよ、俺はあの歌のこととか、歌ってる女のこととか、知りたいって思ったんだ。」
「それも勘だろう?」
俺の言葉に、ユフィが端的に突っ込む。俺は、どこか反発する気持ちで返す。
「勘じゃダメかよ。」
「ダメに決まっている。」
またも、ユフィが端的に切り捨てて言う。
「俺たちはディーン皇王から、もっと世界の根本に関わる記憶や歴史を紐解くよう、仰せつかっている。道端の抵抗運動一つ一つに揺らいでいたら、身も心も保たない。」
「俺は、大きいとか小さいで、物事の重大さを判断したくねえ。」
俺が言い返すと、ユフィは銀色の瞳を鋭く向けて言う。
「お前のような子どもには、損得勘定のように感じるかもしれないがな。大きな結果を得るには、切り捨てなければならないものもある。」
「が、ガキ扱いすんなよっ。」
激昂してユフィに飛びかかりそうな俺を、カイが羽交締めにして止める。
「落ち着いてよ。せっかく大きな目的を持って旅を再開したのに、互いにいがみ合ってしまっては、やりづらいだけよ。」
マキが、俺とユフィの間に立って仲裁する。
「ほれ、水でも飲め。茶でも淹れるか?」
「いらねえよっ。」
「いらない。」
カスガの心配りを、俺とユフィ、二人同時に突っぱねてしまった。カスガの眉尻が下がった顔に、こちらも口を尖らせて戸惑う。
「今日はもう寝ようよ。それで、明日リーアムの元へ行く。気持ちは切り替えて、ね?」
カイが穏やかな口調で収める。しかし、お互い振り上げた拳の落とし所を見つけられず、俺とユフィは一切口を聞かずに就寝した。
夜が明けて、俺たちは屋台で朝飯をとる。屋台はやはり観光地らしい値段で、見た目は美味そうだ。ただ、味はそれほどではない。それほど、昨晩のリーアムの料理が美味かったのはある。
それ以上に、俺とユフィは昨晩の口喧嘩を引きずってしまい、素直に食事を楽しめない気持ちになっている。
「まあ、時間が解決するさ。」
マキとカスガの気まずそうな表情と対照的に、カイは余裕を持って言う。
朝飯を食べ終え、俺たちはリーアムの食堂を目指す。俺とユフィは無言のままだが、三人は美しい風景への感想を互いに言い合っていた。ここでも、マキとカスガは気まずそうに感想を絞り出しており、カイは素直に感想を述べているように感じた。
本当は、そんな気遣いをさせるなんて、旅の仲間としてあってはならないのに。本音としては、自分が情けない。
俺は、ヴェーゼンでカイを傷つけて、アルデールで謝るまで抱いた、ずっと手を隠しにしまったまま出せないような、居心地の悪さを思い出す。
ユフィは元から愛想の無い顔だが、心なしか眉に力が入っているように思う。
少し歩いて、バードの街の喧騒が遠ざかる区域にたどり着いた。夜は街灯の灯りで、その【元・国境】を確認できたが、日のある時間はそうではない。
「…ここから先の道は、石畳みで整備されてないんだな。」
俺は呟く。元々カラクナだった区域は生命力が溢れんばかりに雑草が生い茂り、人の生活に困らない程度には除去されている。夜の闇では気づかなかった、そんな道を歩き、リーアムの食堂を前にする。扉は閉まっており、営業している様子は無い。三回ほど扉を叩くが、反応も無い。
その時だった。
〈誰か…。〉
「ん?」
〈誰か、リーアムを止めてくれ。〉
俺の鼓膜に、心臓の鼓動が響く。これは三度目だから、覚えがある。
「召喚獣だっ。」
「なにっ。」
俺の声に、ユフィが一番早く反応する。しかし、すぐに気まずい様子で、互いに顔を背ける。
〈聞こえるか?誰か、リーアムを救ってくれ。〉
それは、優しげな男の声だった。
「どこからするんだい?」
カイに問われ、目を閉じて集中し、声と鼓動に耳を澄ませる。
「こっちだ。」
俺は微かな鼓動を頼りに、食堂の裏手へ回る。食堂の裏はよく整理されており、薪木や酒瓶の入った箱などが無駄なく並んでいる。
そのなかで、異質なものがあった。
血塗れの旗だ。
木製の棒が俺の身長よりも長く、それに付けられた旗が、重さによって下にたわんでいる。屋内に置くには大きく、しかし雨には当たらないよう、屋根の下に置かれた旗だ。その旗から、縋るような声がする。
〈声を聞いた人に頼みたい。リーアムを救ってくれ。〉
俺は、恐る恐る、血塗れの旗の端を持ち上げる。それは、どこかの国旗のような柄だった。
「俺は、ソラ。あんたは?」
俺が名乗ると、風が吹いていないはずなのに、旗に少しの振動を感じる。
〈ああ、やっと声が届いた。僕はリューズ。リーアムの姉、アイラの夫だ。〉
俺は、リューズの言葉を四人に伝える。そして、リューズに問う。
「なあ、リーアムを止めるとか救うとか、どういう
意味だい?」
俺の問いのあと、リューズの声は少し止まる。答えを整理しているようだった。そして、ようやくリューズの声が聞こえる。
〈リーアムは、カラクナ奪還を目指す、抵抗組織の指導者だ。〉
「カラクナ奪還?指導者?」
俺の言葉に、四人も驚く。
〈昼は抵抗運動、夜は食堂の店主として仲間と集い、バードからカラクナを独立させることを狙っているんだ。〉
「じゃあ、今も抵抗運動に行ってるってのかい?」
〈おそらく、そうだろう。〉
俺はリューズとの会話の内容を、四人に伝える。
「カラクナがバードに統合されて十数年、まさかこんな身近で、抵抗運動と関わるとはな。」
ユフィが腕を組んで言う。
そして、リューズは現在に繋がる過去を語り始めた。
〈僕は、希望教会に所属する魔道士だった。精霊戦争中で希望教の立場はどんどん悪くなるが、妻のアイラと結婚し、幸せに過ごしていた。〉
俺は、俺にしか聞こえないリューズの声を四人に通訳する。
〈アイラは、弟のリューズと二人で生きてきた。そんな二人と過ごす日々は、精霊戦争の只中だが幸せだった。しかし、ある日突然、バードが西方諸国同盟に、カラクナが加わるよう強要してきたんだ。初めは話し合いでカラクナが同盟に加わるよう交渉して来たが、やがて軍による侵略が始まった。〉
俺はリューズの言葉が間違って伝わることの無いよう、出来るだけ淡々と通訳する。しかし、頭のなかでは侵略国だったアリアレジスと、それによって迫害されたディエヤ族を思い浮かべてしまう。
〈カラクナは徹底抗戦した。姫神教のバードと、希望教のカラクナ、交わることの難しい国だ。僕は、己の国と家族、両方を守るため戦場に立った。自分たちの国の主体性を奪われるわけにはいかない。誇りをかけて戦った。でも…。〉
俺は難しい言葉も、そのまま通訳した。しかし、声色に影が差すのまでは、言い表せない。
〈カラクナは、バードに敗戦した。それも呆気なくね。僕たちはバードに希望教徒として迫害され、その日食べる食料さえ充分に得られなかった。そして…。〉
俺は、通訳することを忘れ、リューズの次の言葉を待った。
〈僕は、殺されたんだ。アイラとリーアムにパンを食べさせたくて、バード軍から食料を盗んで、捕まってそのまま、剣で串刺しにされた。〉
俺は、通訳するのをためらった。オディオやヒューの記憶もそうだが、人の死の瞬間を伝言するなんて、半端な覚悟では出来ないことだ。俺は、必死にリューズの声を四人に伝えた。
心優しいマキとカスガは顔を歪め、現実の辛さを知っているカイとユフィは目を伏せた。
〈ソラと言ったね?君は、リーアムのなんだい?〉
そう問われて、一気に混乱する。なんだいと言われても、ほんの夕飯時に美味い飯を食べさせてくれた、気の良い兄ちゃんと言うところでしかないからだ。
〈…質問を変える。君は、不当に支配や迫害を受ける者たちに、正しく同情できるかい?〉
その質問にも、ますます混乱する。ディエヤ族やリューズたちの悲しい境遇を想像し、それに追いやった者たちへの怒りは、確かにある。それが、俺のなかの反抗心だ。
ただ、正しい同情とはなんだろう?それが可哀想だとか、そう言う哀れみの感情なのは、なんとなく知っている。しかし、正しい同情とは、何がどう正しいのだろう?
〈…今の質問に答えられるようになったら、また来てくれ。これでも、風を中心とした森羅魔道を得意とした魔道士だったんだ。召喚獣として力になれるかもしれない。〉
「ああ、分かった。」
俺たちは、これ以上食堂にいても収穫は無いと、むしろ抵抗組織の寝ぐらであるこの場にいることは危険だと判断し、バードの街へ戻ることにした。
バードはよく晴れ、午前中の穏やかな陽気と観光地の賑わいは相性が良い。カラクナのことを知らなければ、のびのびと居心地も良いだろう。
俺たちは運河を見下ろす橋の柵に寄りかかりながら、リューズの意味深な問いを共有した。
「正しい同情、か…。」
全員、やはりそこに引っかかった。
「同情に、正しいも間違いもあるんかのう?」
カスガも腕を組んで考え、首をひねる。
そのとき、運河から明るい音楽が聞こえてきた。小舟に乗った二人の男女が、弦楽器を弾きながら歌っている。
「あ、リーアムっ?」
俺は橋から落ちそうなほど身を乗り出して、声を上げる。
「おお、昨日の若者たち。」
リーアムは爽やかに笑い、俺たちを見る。振り返った女は、昨日の帰り道で俺が思わず足を止めて、歌を聞き入ってしまった女だ。
リーアムは小舟を櫂で漕ぎ、近くの船着場に停めてくれた。俺たちはそこへ駆け寄る。
「良かったら、運河の散歩はどうだい?今日は晴れて、風も気持ちいいよ。」
俺たち五人は、互いに頷き合った。銀の糸の記憶を見る、絶好の機会かもしれない。ちょうど良く、リーアムの胸元には二つの指輪が煌めいている。
「お邪魔するぜ。」
俺たちは小舟に乗り込んだ。七人でも、意外と余裕があって快適だ。リーアムは、女を紹介してくれた。
「彼女はサリア。俺の友人さ。」
「よろしく。あんた、昨日の夜、私の歌を聞いてた子だよね?」
サリアは俺をまっすぐに見て言う。俺は四人に反対された手前、返答に困ったが頷いた。
「まあ、あの歌じゃそう言う反応だよね。」
サリアは何も気にせず言う。自分の立場を理解し、慣れている口振りだった。
サリアも二十代半ばと言ったところだろうか。リーアムが抵抗組織の指導者だと知らなければ、二人は音楽を楽しむ友人どうし、和やかに過ごしているように見える。だが、リューズの言葉を信じるならば、昼間は抵抗運動をしているはずだ。
小舟が動き出す。運河の水は美しく、小舟に割られて生まれる波は、見ていて飽きない。俺は橋と同じように身を乗り出して川面を見て、落ちないようにカスガが俺のシャツを引っ張っている。
その時、小舟に弦楽器の音が溢れた。リーアムとサリアが、低音と高音を心地よく重ねて歌う。
彼方に見えるは、ファーダルーヴェの峰
峰より流るる清き水
我らを育てし ドレスレアの大地よ
明るいほうを目指して歩まん
希望の轍を残して歩まん
我らは陽射しを目指して
進むべき道を進み
我らの背後に轍を作らん
途中から彼らの弦楽器にマキの笛の音が重なり、小さなバンド音楽となった。その歌詞は昨晩の攻撃的なくらい勇ましいものと違い、前向きな活力を感じさせる歌詞だった。
「おお、素晴らしい笛の音だ。マキ、ありがとう。」
「ね、楽しい演奏だったよ。」
演奏を終えると、リーアムとサリアはマキに微笑んで言う。音楽一つで絆が生まれるだなんて、俺は音楽の持つ不思議な力を改めて感じた。
「いい歌だね。まっすぐに進む力を感じて、僕は好きだな。」
「ああ、俺たちカラクナ奪還組織が大事にしている、故郷の曲の一つさ。」
素直な感想を述べたカイが、目を丸くして返事に戸惑う。俺たちも驚いた。自分たちが反体制側だと、あまりにも自然に言ったからだ。
「そ、そんな開けっ広げに言ってもいいのかい?」
俺が驚いて問うと、リーアムは弦楽器をポロンと鳴らして頷く。
「ああ、君たちはすぐに旅立つ者だろう?言ったところで問題は無い。」
サリアも弦楽器をなんとなく奏でて、リーアムの発言を咎める様子もない。
「…このあとも、抵抗運動をするのかい?」
俺の問いに、リーアムの茶色い瞳が一瞬鋭く光る。そして、答える。
「するよ。今日はバード軍の訓練所の前で抗議活動さ。」
「何について抗議するんだい?」
「バードの侵略の際に、カラクナ国民に行った不当な扱いを認めさせるための抗議だよ。」
「不当な扱い…?」
俺の言葉に、リーアムの胸元の二つの指輪が強く反応した。何かを訴えるように語りかけてくる。それは縋るような、悲しい声に思えた。
「なあ、変なことを言うんだけどよ、リーアムのその指輪…。」
「ああ、これは亡くなった姉と、その夫の結婚指輪さ。俺にカラクナ奪還の誓いを忘れさせない戒めだよ。」
戒め。それは難しい言葉だが、リーアムの強い使命感を感じさせる言葉だ。そして、指輪はリーアムの姉のアイラと、夫のリューズのものだと確信した。
「その指輪に宿る記憶を、見てもいいかい?」
俺の言葉に、リーアムは不思議そうな目をしてキョトンとした。サリアもなんとなく弦楽器を奏でていた手を止めて、俺を見る。
俺は食い下がって、さらに乞う。
「アイラとリューズの過去を知りたいんだ。頼むよ。」
他人が知るはずの無い姉とその夫の名前を言う俺に、リーアムとサリアは互いに丸くした目を合わせる。視線で会話をしているようだった。そして、リーアムがハハっと爽やかに笑い、首から革紐を外す。
「よく分からないけど、俺の大切なものだから、うっかり川に落とすなんてやめてくれよ。」
「ああ、大丈夫さ。」
俺の手のひらに、少し年季の入った銀の指輪が載る。そして、俺はナイフを出した。
「え、なに?怖いんだけど。」
サリアの戸惑う声が聞こえたが、俺は構わずにナイフの切先に火を点けた。
そして、目の前が暗くなる。




