アリアレジス、少年の通過儀礼《ソラ》
《ソラ》
もう遅い時間だったので、俺たちは兄妹の部屋を後にした。そして、部屋へ戻ると開口一番、ユフィが宣言をする。
「考えを変えた。俺も、今後の旅に同行する。」
あまりに突然の言葉に、俺たちは持っていた椅子を雑に手放して驚く。
「な、なんだよ、ユフィ。どうしたんだい。」
「正直、ずっと迷っていた。もちろん、将来は研究職で身を立て、アンナとリサ先生を安心させる。だが…。」
ユフィは椅子に座り、俺を見て言う。
「今ここで、旅を離脱したら後悔する。オディオの惨劇を見て、ソロの話を聞いて、世界の真実を知りたい気持ちが強くなった。探究心は、魔道士の性分だ。」
ユフィらしい言い回しに、俺たちは微笑みを交わす。
「素直に、ソラが心配だって言えばいいじゃない。」
「それは全く無いな。」
マキの言葉を、ユフィは突っぱねる。
「じゃあ、また五人で旅が出来るね。」
「そうじゃな、賑やかな旅路になりそうじゃ。」
カイとカスガが椅子に浅く座り、気を抜いて言う。
本音としては、とても嬉しくて、頼もしい。人数とかの問題でなく、俺はこの四人と旅をしたいのだと、温かい空間で噛み締めた。
しかし、俺には一つの影がある。俺一人で抱えるには、重く大きな影だ。俺は、覚悟を決めて話すことにした。
「なあ、聞いてほしいことがあるんだ。」
和気藹々とした部屋に、俺は緊張感を持って声を放つ。四人は、すぐにその声色を察して、真剣な目を向ける。
「今回、さらわれて、ソロが子どもの頃に過ごした屋敷に、その、行ったんだけどよ。」
カイとマキが、うん、と頷く。
「希望教のヤツらに、襲われた。三回、だったっけな。」
俺は、シャツの裾を握って話す。
「詳しくは言えないけどよ、最初、オルハが守ってくれた。でも、そいつは生きていたんだ。」
少しずつ、俺の中心が、奥底から震える。喉が、焼けるように痛い。
「その、生きていたヤツに、後ろから襲われて、それで…。」
俺は何度も瞬きをして、何度も息を吸った。しかし、吸うだけで吐けない息は、やがて俺の内側をいっぱいにして、震えて溢れる。そして、精一杯、息を整えて言う。
「お、俺、人を、殺した。」
整えたはずの息が、震えて声になる。本当に自分の声なのか分からない。あまりにも、不確かで頼りない声だった。浮浪児の頃、敵無しだと大股で歩いていた俺が、遠い他人のようだ。
「ナイフで、横腹を刺して、その後、何度も。」
目だけでなく、顔全体が熱い。握りしめた拳が痛い。覚悟をしたはずなのに、四人の顔を見るのが怖い。
「俺、何も見えなくて、ただナイフで刺した。何度も。ほとんど、覚えていない。」
精一杯すぎて、状況の伝わらない言葉を、繰り返し吐き出す。でも、誰も言葉を遮らない。擁護も説明も加えない。しかし、突き放しているわけでは無い。ただただ、俺の告白に耳を傾けてくれた。
俺は、深く息を吐いて、問いかける。
「こんな俺でも、一緒に、旅をしてくれるかい?」
四人は、俺が言葉を言い切るのを待たないくらい速く、深く頷いた。
俺は見くびっていた。四人は、自分が痛むことも、恐らく、人を傷つける不安も知っている、根っからの優しい人間だ。
俺は体から力が抜け、椅子の背もたれに身を預けてだらしなく座って、天井を仰いだ。それは、上を向かないと涙が流れそうだからだ。
「俺、煉獄に行くのかなあ?」
そう溢す俺の鼻を、カイがハンカチで拭く。
「ソラが煉獄行きなら、僕は煉獄の底行きだよ。」
カイは呑気に言うが、ちょうど良く笑えない。
「みんなが煉獄に行ったら、私が笛で呼び戻すわ。そういう、人を慰める曲もあるから大丈夫。」
マキも笑って言うが、これも笑えない。
なのに、気づいたらなぜか、全員が笑っていた。
煉獄はどんなところだろうね。自分の国の昔話では、魔王という者の裁きを受けるらしい。針の山に刺されるらしい。火あぶりの刑に遭うらしい。でもたまに、神海の家族と会えるらしい。かと思えば、冷たい水に沈められるらしい。煉獄で飼われている犬に、食いちぎられるらしい。
俺たちは笑いながら、煉獄の冗談を言い合った。
そのとき、ふと、俺の体から力が抜けた。
「ソラ、大丈夫か?」
先ほどまで煉獄ジョークで笑っていたカスガが、俺を支える。
「ね、眠い…。」
俺の気の抜けた一言で、四人はまた笑った。
「ちょうどいい。明日、魔道士の儀式をするぞ。」
「ギシキ…?」
ユフィの言葉に、俺はぼんやりと反応する。
「詳しくは明日だ。今日はもう寝ろ。」
ユフィがそう言って、カイに抱えられた俺は、ベッドに沈む。やがて、心地の良い夢を見た。それは、旅籠でユフィの料理を囲む夢だった。
しかし、そんな夢も、俺の内側の光景に切り替わって終わる。
〈よう、ソラ。〉
「おう、ネグル。」
俺の内側の泉には、相変わらず黒い結晶が煌めいていた。
〈煉獄へようこそ。気分はどうだい?〉
「最悪だけど、落ちぶれちゃいないぜ。」
〈へえ、なかなか迷いの無い、いい表情じゃねえか。一皮剥けたな。〉
ふと、内側の空間を見渡すと、ルークとアッシュが座っていた。ルークはゆったりと座り、アッシュは眠そうに転がっている。
〈あの獅子が、お前を煉獄に堕としたようなもんだぜ。〉
ネグルが煌めいて言う。ルークの瞳も、負けないくらいに鋭く煌めく。
〈どう言われようと構わねえ。俺はソラ坊に、戦士としての在り方を覚悟させただけだ。戦士として、戦友を守る意志を固めたソラ坊に、俺ぁ着いて行くぜ。〉
ルークは低く唸りながら、強気に言う。
「ルークの言う通りだ。俺は、俺の意志でオルハを殺そうとしたヤツを殺した。」
〈そして、四人はそんなお前を受け入れたと。〉
「そうさ。」
すると、ネグルは小馬鹿にするように煌めく。
〈本当に、受け入れているのかい?〉
「なんだと?」
〈形代で浮浪児で、スリに死体漁り、果てには殺人。煉獄行きの切符だらけじゃねえか。〉
「…お前、本当にかち割りたいぜ。」
〈かち割ってどうぞ。人殺しさん。〉
俺は頭に血が昇る。辛うじて残っている理性が、ナイフに手を伸ばすのを止めた。
「…俺は、形代や精霊の力を、人を守るために使うと決めた。それを実行したまでさ。」
〈へえ、立派だね。〉
ネグルは小馬鹿にする声色で言う。
〈あとよ、やめろって言ったのに、あの兄妹と関わっちまったな。アリアレジス皇王にも。もうお前に逃げ道は無い。早いうちに、路上生活に戻れば良かったのによ。〉
「黙れよ。俺は、俺の道を選んだんだ。」
〈選ばされたの間違いじゃないのかい?〉
「つくづくよ、お前は性格がひねくれてやがる。」
〈褒め言葉として受け取るぜ。〉
「俺は必ず、この力を使って真実を見つける。」
〈俺の言葉を忘れたか?真実を知ったら、生きていかなきゃなんねえぜ。醜い世界で、孤独に震えながら。〉
俺はそれを聞き、孤独と言う言葉がより、存在感を増した。アリアレジスにたどり着き、旅の終わりに寂しさを覚えたのは事実だからだ。
〈そう言やよ、お前のなかにある、朧げな感情を確認しようぜ。〉
「…なんだよ?」
〈姫神教会への不信感と、希望教会への同情さ。〉
ネグルのその言葉に、俺は黙る。ただ、それは図星をつかれて何も言えないだとか、そんなのではない。
〈…と言うよりも、あの殉教の魔道士への同情だよな。〉
ネグルの一言に、俺は、この黒い結晶相手には少し悔しいが、素直に頷いた。
銀の糸の記憶はどれも忘れられないが、ヒューについては、過去の出来事だと区切りをつけられない。…いや、ただ単に、敵だと言うのに特別な感情を抱いてしまっている。
「…俺は、レノールの絵のモデルをしたことがある。それは、断頭台に立つ前のヒューだった。」
〈ああ、内側から見てたぜ。なかなか様になってた。〉
「レノールは、俺に装飾がたくさんされた短剣を持たせた。模造刀だけどよ。それは、世界へ反抗するための短剣だった。」
〈へえ、絵のモチーフとしては、なかなかドラマチックだが、俺の知ったことではないね。〉
「いや、関係しているさ。俺が探す真実の先で、もしかしたらヒューと共に、世界へ反抗することがあるかもしれない。」
〈面白そうな展開じゃねえか。〉
「姫神教会の呪縛って言葉だとか、アリアレジス皇王を上回る権力だとか、やっぱり俺は、真実を知りたい。」
〈ははっ。〉
ネグルがあざ笑うように煌めく。
「何がおかしいんだよ。」
〈ソラ、お前はやっぱり、素直なヤツだよ。すぐに人の影響を受けちまう。ソクアヴェスタ王子に、アリアレジス皇王に、黒い剣士に…。〉
「…かもな。」
〈なんだい、今日のお前は、イジメ甲斐がないぜ。〉
「俺はまだまだ、いろいろなことを知っていかなきゃならねえと思っただけさ。」
〈一つ、学んでいるうちは世界一の未熟者と思い、扱うときは世界一の熟練者だと思うこと。〉
それを言うネグルは、妖しく煌めく。
〈いい言葉だぜ。〉
「そうだろ。俺の師匠が教えてくれた言葉だからな。」
俺は誇らしく、胸を張って言う。
〈だがよ、ソラ。〉
ただの結晶で表情の無いネグルに、真剣さを感じる。
〈生きていく理由が見つからない限り、お前は夜明けを迎えられないぜ。〉
「…肝に銘じるぜ。」
〈とは言いつつ、現実は朝を迎えるぜ。じゃあな。ご機嫌よう。〉
真剣さを帯びたかと思えば、最後は小馬鹿にした声で、ネグルが言う。
そして、俺は目を覚ました。
朝食は、いつも通りパンが喉を通った。ベーコンの浮いたスープが美味く、口の脇から溢すほどがっつく俺を、カスガが制する。
そして、俺たちは職人街へと向かった。
「なあ、ユフィ。今日は魔道士の儀式をするんじゃ無かったのかい?」
「する。そのために、必要な物がある。」
ユフィを先頭に、俺たちは歩く。鍛冶屋が多いようで、あちこちの店や工場から煙が漏れている。カイが店頭に飾られている剣に見惚れてはぐれそうになるのを、マキとカスガが何度か止めた。
「…ここは、良さそうだな。」
ユフィが、一つの店の前で立ち止まる。それは煙が漏れていない、小さな装飾品屋だった。
「…いらっしゃい。」
カウンターの向こうに座る、神経質そうな店主が顔も合わさず迎える。小さな店には、棚だけでなく、壁にも装飾品が飾られている。
「…三人、ですかな?」
俺たちが所狭しと並ぶ装飾品に圧倒されていると、店主が言ってきた。
「いや、ワシらは五人…」
「はい、魔道士は三人です。」
ユフィがカスガを遮って答える。
「…ウチは、ピアスがお勧めだよ。」
それだけ言うと、店主はまた、細かな作業に戻った。指先を器用に使い、細い指輪に刻印を彫っている。
「そっか、そろそろソラにも必要よね。」
マキがユフィに言う。
「え?何をどうする儀式なんだい?」
俺が問うと、ユフィが自身の耳を指差す。
「魔力制御の装飾品を選ぶ。」
それを聞き、俺の胸はポンと弾んだ。ユフィやカスガのピアスを見て、それはかっこよく、心のどこかで憧れがあったからだ。
「昨日、お前が糸が切れたように眠くなったのは、疲れもあるだろうが、魔力を上手く制御できていないのもあるだろう。魔道を学んだ今、お前は以前よりも魔力が増えている。ただ、魔力を制御出来ないと、常に全力疾走するような疲労感に振り回される。」
「なるほどね。確かに、座っているだけでも体が重いときはあるな。」
ユフィの説明に、俺は納得する。
「俺たち森羅魔道士は、契約をし、体内に宿る精霊の力を借りる。体を直接通るピアスは、相性がいい。」
俺は感覚的にその説明を理解し、頷く。そして、尋ねる。
「なあ、ピアスってどうやって着けるんだい?」
「耳に穴を開けるに決まっているだろう。」
ユフィの返答に、俺はげっ、と声を上げる。
「うわぁ、痛そう。」
カイまで声を上げる。しかし、その声は呑気なものだった。
「ピアスを選んだら、ケイトの元へ行く。ケイトは学生の耳に、何回も穴を開けて来たらしい。」
ユフィの言葉に、俺はますますゾッとした。なんとなく、あの破天荒なケイトの手で穴を開けられるのは抵抗がある。
「覚悟を決めて選べ。この店の装飾品は、全て間違いなさそうだ。お前の好みで選んで構わない。」
ユフィに背中をポンと押される。そして、彼の言葉を聞いた店主は無愛想な小さな声で、ありがとよ、と言った。
俺は視界一杯に並ぶ装飾品を前に目移りする。憧れてはいたが、何がいいかなんてピンと来ない。
そんな俺をヨソに、ユフィとマキ、カスガは自分好みの装飾品を物色している。カイは大あくびをして、そんな三人を見ている。
そのとき、一対のピアスが目に入った。直勘で、それを手に取る。それは、輪の形をした銀色のピアスだった。
「あら、いいじゃない。」
マキが俺に声をかけ、小さな鏡の前へ導く。
「着けるとしたら、こんな感じよ。」
そう言って、俺の耳たぶにピアスを当てる。
「これって、ぷらぷらする感じかい?」
「そうね。グランディエでも、若い男の子なんかがよく着けているわよ。」
俺の問いに、マキが答える。カイがそうなんだ、と他人事のように言う。
「良い意匠じゃな。輪は、円じゃからな。人との縁をもたらす、いわゆる縁起ものじゃ。」
カスガが指で円を描きながら言った。
「縁…。」
俺は、その言葉の重さが身に染みている。四人と出会いアリアレジスへ来て、ディーン皇王やソロ、そして金の糸のオルハとの出会いを経て、また新しい旅に出る。
「俺、これがいい。」
「では、決まりだな。」
俺とユフィで、無愛想な店主に声をかけて会計をする。
「…いい精霊を連れている。」
店主は会計が終わるとそう呟き、また作業に戻った。
店を出て、店主の一言について、ユフィに聞いてみる。彼は答える。
「装飾品や武器、あとはマキの笛などと言った魔力制御の装備は、普通の職人では作ることが出来ない。精霊と語り合えるような、研ぎ澄まされた魔力の持ち主が、微細な調整をして作るものなんだ。」
「ほう、そんな特別なものじゃのに、普通の装飾品とそう値段は変わらんがのう。」
カスガの言葉に、マキも頷く。
「まあ、言葉を選ばず言うと、少し変わり者の店主に感じる。本来なら、もっと値段が高くても良さそうだ。そのくらい、この店の装飾品は質がいい…」
そう言いかけて、ユフィの言葉が、窓を開く音と共に途切れる。窓から、あの無愛想な店主がこちらを見ている。俺たちは気まずく、息を呑む。
「…褒めてくれて、ありがとよ。」
店主はそう言うと、窓をバタンと閉める。
「どうやら、耳も研ぎ澄まされているみたいだね。」
カイが微笑んで言う。俺たちは、フーッと息を吐き出す。
職人街を後にして、俺たちはケイトの家へ向かう。ケイトが居を構えるエルミタ通りは、相変わらず日陰が濃く、物騒な雰囲気だ。
「開いてるよ。」
ケイトの家の前に立った瞬間、声がした。
「失礼する。」
ユフィは何の疑問も抱かずに扉を開けた。扉を叩かずとも、ケイトには気配が分かるようだ。そして、それにユフィも慣れている。
ケイトが相変わらずの赤い衣装と派手な化粧で、俺たちを迎える。
「ん?あんた…。」
ケイトが深く身を預けていたソファから、少し前のめりになって、俺を見る。
「この数日で、随分変わったね。」
「そんなにかい?」
「まあ、良くも悪くもね。大丈夫。煉獄を感じた魔道士を好む精霊もいるよ。」
俺は驚いた。同時に恐ろしくもなった。それは俺を励ます言葉だろうが、見透かされた感覚が、単純に決まりが悪い。
「ケイト、頼みがある。」
そう言って、ユフィは先ほど購入したピアスをケイトに手渡した。
「ああ、これ。職人街のティザンの店の物だね。ウチの学生にも、ここのを勧めているよ。」
店さえも一目で当てるケイトに、俺たちはもう驚かない。
「こいつの耳に通してほしい。」
ユフィが俺の肩に手を置いて言う。俺は耳に穴が開く、と言うことに、少し緊張して縮こまる。
「ああ、いいよ。むしろ、まだ魔力制御の装飾品を着けていないのが不思議なくらい、その子は魔力が溢れているよ。」
ケイトは快諾し、手を洗うと言って、キッチンへ行った。俺は、最初ユフィに指導することを渋ったケイトを見ているので、その快諾が意外だった。それを小声で、ユフィに耳打ちする。
「ケイトは、才能ややる気を認めた学生には、むしろ面倒見がいいらしい。彼女は見た目などから誤解を招いてしまうが、教育者としての熱意を持っている。」
「え、つまり、俺に才能を感じたってことかい?」
「そう言うことだよ。」
ユフィの信頼を寄せるがゆえの説明と、俺の喜ぶ声を受けて、胸を張ってケイトが戻って来た。
「ほら、座んな。」
ケイトが指を空中でくるりと回すと、俺の前に椅子が歩いて来た。俺たちはユフィ以外、声を上げて驚いてしまう。
そして、俺はドキドキしながら椅子に座る。心なしか、浅く腰掛けてしまう。
「つめてぇっ。」
急に耳たぶが冷える。何も言われなかったので、俺は飛び上がるように驚く。だが俺は、すぐに察した。氷の魔道だ。
「我慢しな。痛みを軽減するためだからさ。ほーら、痛いの痛いの飛んでけー。」
「ガキ扱いすんなよ。」
俺の生意気な態度を、ケイトはくすくす笑う。
そして、耳たぶに鋭さを感じる。俺は緊張のあまり、手足をピンと伸ばしてしまう。
「うわっ、きたっ、きたっ。」
「静かにしな。」
ケイトがよく冷やしてくれたので痛みはそんなに感じないが、何か突き刺さる感覚が気持ち悪い。
「よちよち、良い子でちゅねー。もう片方でちゅよー。」
「だからガキ扱いすん…、うあー、きたきたっ。」
ケイトの小馬鹿にした態度と、悪態を返しながら首から下をぞわぞわと暴れさせる俺を、四人が笑いをこらえて見ている。ちくしょう。
「ほら、これでどうだい。あそこの鏡見な。」
ケイトに後ろ頭を突かれて、俺は化粧品が並ぶ鏡台の前に立った。両方の耳に、円環のピアスがぶら下がっている。
「うん、似合っているわよ。」
「のう、黒髪に銀色がよう合うとるのう。」
マキとカスガも鏡を覗き、褒めてくれた。
「へへっ、ありがとよ。ケイト。」
俺が礼を言うと、ソファに座ったケイトは口の端を片方だけ上げて、微笑む。
「ケイト、実は伝えたいことが…。」
「ああ、行って来るといいさ。」
ユフィが話を切り出すと、ケイトは肘掛けに頬杖をついて頷く。
「なんでもお見通しか。」
ユフィが言うと、ケイトはまた頷き、言う。
「あんたが言葉にするでもなく、あんたの精霊がずっと叫んでいるよ。世界の真実を知る旅をしたいって。」
ユフィが銀色の瞳をまっすぐに向けて、ケイトに頷く。
「私も興味があるよ。その世界の真実とやらに。いつか、私にも教えてよ。まあ、旅が終わったら、研究で死ぬほどコキ使うけどね。」
ケイトも緑がかった茶色の瞳を向ける。ただ、ケイトの言う死ぬほど、とは、本当にその通りそうで、ユフィに少しの同情が湧く。
ケイトはサラサラとメモを書いて、ユフィに渡す。彼はそれを、噛み締めるように読み上げる。
「明暗を見極めよ、明は新たな道を拓き、暗はまだ見ぬ世界を見つける想像力となる。」
そして、ユフィはケイトを見る。
「私と、あんたの両親が師事したファーブ先生の言葉さ。明に立ち新しい道を突き進む力、暗に立ち人が目を向けない陰から手がかりを模索する力、似ているようで、違う力だよ。明暗の境界は、研究が進めば、そして己が成長すれば、常に移り変わる。私たち研究者は、その境界を敏感に注視する目を持たなければならない。」
それは俺にとって、難しく壮大なものに聞こえて、理解が及ばなかった。それはユフィ以外もそうだったみたいで、みんな難解そうな表情をしていた。
しかし、俺は悲しみの記憶、オルハは喜びの記憶、二つから正しい歴史にたどり着こうとするのと、少し近いものを感じた。まあ、恐らく、厳密には違うと思うが。
ユフィだけが、何かを感じて深く頷いた。
「あんたの父親のライブもさ、好奇心旺盛な精霊ばかり連れていたよ。いつか、世界中の魔道士が嫉妬するほど、大きくなって帰っておいで。」
ユフィは、ケイトが書いたメモを帳面に挟み、俺たちは宿へ戻った。
そして、旅支度をして数日を過ごし、いよいよディーン皇王の遣いがやって来た。俺たちは、一般の若者に扮した軍人から、手紙を受け取る。封筒を開けると、便箋には丁寧な文字でこう書いてあった。
【西方諸国を進み、メウィティカを目指すと良い。西方諸国は一つ一つが小さいが、バードを中心に同盟を結ぶ国だ。しかし、文化の違いや信仰宗教の違いがあり、決して一枚岩とは言えない。
同盟主のバードを経て、ラベニク、港町ルムーシュクを目指すと良い。願わくば、その国々で悲しみの記憶を紐解いて欲しいと思う。期待している。】
ディーン皇王らしい、無駄の無い手紙だった。
「これって、なんか紫の紛争地帯を思い出すな。」
「いや、似ているようで違うぞ。元々は、アリアレジスの侵略に対して、小国どうしで同盟を結んだ西方諸国じゃ。互いにいがみ合っているだけの紛争地帯と違って、同盟国が攻撃を受けたときには支援をし合う、盟約を結んでおる。」
カスガの説明を聞き、俺はアリアレジスとグランディエが同盟国であることを思い出す。そう言えば、グランディエの危機を、なぜアリアレジスは支援しなかったのだろう。疑問は湧いたが、俺は言葉にしなかった。なんとなく、もう過ぎたことのように感じてしまったからだ。
「しかし、旅路としては平坦なものでは無さそうだ。例えば、西方諸国で一番力があり同盟主も務めるバードは、隣国カラクナを強引に統合したことで、それに対する抵抗運動が起きていると聞いたことがある。」
ユフィが腕を組んで言った。
「でもよ、だからこそディーン皇王は、俺にそこを通るように伝えたんだろうな。銀の糸の記憶は、悲しみに触れるものだからな。」
俺がそう言うと、四人は目を丸くしながら俺を見た。
「な、なんだよ。」
「いや、ソラの覚悟の強さと言うか、本気を感じたんだ。」
「なんだか、頼もしくなったわ。」
カイとマキが微笑んで言う。俺は照れ臭く、頭を掻く。
出発は明日にした。ディーン皇王は会えないが、トキヤ家族、ケイト、そしてソロとオルハ。それぞれと別れを交わしたいからだ。
別れは短く済ませた。必ず、また会えるという願掛けを込めて。
そして、俺は夜、内側の夢を見た。しかしいつもと違い、俺の意識はぼんやりとして、ネグルの声を一方的に聞くだけだった。
〈人を殺したり、ピアスを開けたり、まるで生まれ変わったかのようなひと時だったな。〉
〈もう一度言う。真実を知っても、それは残酷で、孤独を思い知るだけだぜ。〉
〈それによ、生きていく理由が見つからない限り、お前は夜明けを迎えられないぜ。〉
俺は気だるい体に力を入れ、ようやく口元を動かして反論する。
「でもよ、朝は来ちまうぜ。」
すると、ネグルの乾いた笑い声が聞こえた。
〈ああ、嫌でもな。せいぜい良い朝を迎えられるように頑張れよ。〉
俺のこれからの旅は、太陽物語を探すこと、悲しみの記憶を解き明かすことが目的となった。
さらに俺はもう一つ、静かに覚悟した。
いつか、この憎たらしい黒い結晶をかち割ってやる。そして、深い眠りに落ちた。




