アリアレジス、紡がれるものたち《ソラ》
《ソラ》
宿に戻り、俺たちは定食屋で夕飯を取ることにした。移民の国というだけあり、アリアレジスの定食屋はメニューが多彩だ。特に、まだ市場の屋台でしか口にしていない、メウィティカ料理は興味深い。
みんなの希望でカスガが選び、メウィティカ料理を注文した。次々と運ばれる料理はどれも珍しく、香りも良い。
「美味しそうだね。」
カイがそう言って、俺たちは食事の挨拶をした。
しかし、おかしい。全く食欲が湧かない。いつもならガッついてしまい、誰かしらに注意を受けるくらい、自分で言うのもなんだが、俺は貪欲だ。
なのに、手にしたスプーンを料理に運ぶ気が起きない。カスガ一押しの肉じゃがと言う料理は、こんなにも美味そうなのに。
俺の様子を見て、カスガがスープを俺の前に置いた。それは薄茶色に濁って、いくつかの具材が浮いたスープだった。
「これ、何だい?」
「味噌汁じゃ。旨味があるし、この店はごま油を隠し味にしておるようじゃ。香ばしくて飲みやすいぞ。」
そう言われ、ゆっくりと啜る。柔らかい、初めての味が口に広がる。
「う、美味え…。」
結局、俺はこの日、味噌汁しか飲めなかった。しかし、温かいそのスープは体にじわりと染み、俺の気持ちがいくらか解れたのを感じた。
食事が終わり、俺たちは宿の一室の扉を叩いた。ソロとオルハの部屋だ。
「どうぞ。」
ソロの声が聞こえて、扉を開く。
「わざわざ来てもらって、すまない。」
「いや、こちらこそ大勢で失礼するよ。」
ソロとカイが言葉を交わし、俺たちは自分たちの部屋から持って来た椅子を置いた。テーブルを囲み、狭い部屋には窮屈な人数となった。
ソロとオルハは、一通り体を洗ったのか、見た目はさっぱりとしている。しかし、オルハの顔から疲労感は消えていない。
「オルハも疲れているので、手短に済ませたい。ソラ、君の糸は、何を見るんだ?」
ほとんど前置きも無く、ソロに問われる。
「俺は、銀の糸の記憶を見る。人々の悲しみの記憶さ。そして、その悲しみを繰り返さないのが、俺の宿命だと言われた。」
俺が答えると、ソロは頷き、さらに問われる。
「では、屋敷で僕の過去も見たね?」
単刀直入なソロの姿勢に、俺も躊躇いなく頷く。俺以外の四人は、興味深そうに俺とソロを見た。
「僕の本名は、ソロ=アリアレジス。父は先代のアリアレジス皇王、母はソクアヴェスタ王族の一人。ディーンと僕は、腹違いの兄弟だ。」
これまでの秘密主義とは打って変わって、包み隠さず話すソロに、俺たちは驚く。見ると、オルハも正直に打ち明けるソロに驚きの表情をしていた。
「母がアリアレジスに嫁いだのは、いわゆる人質だ。ソクアヴェスタが直接、アリアレジスを攻撃しないように。また、どこかの国がソクアヴェスタを攻めることになった時、その支援をアリアレジスがしない約束として。ソクアヴェスタが世界に向けて宣戦布告した裏で、そんな取り引きがあったんだ。」
そう言って、ソロは一枚の写真を手帳から出す。
「…綺麗な方ね。」
マキが呟く。嫁入りだろうか。俺が記憶で見たときよりも、美しく着飾った、表情の柔らかいリヤが写っていた。
「父は、人質にすぎない母を溺愛していたと、ディーンから聞いた。しかし、ソクアヴェスタの人間である以上、城下町では暮らせない。」
「だから、あんな遠い屋敷に暮らしていたのかい?」
俺が問うと、ソロが頷く。
「しかし、父は足繁く通い、僕が生まれた。僕の記憶の父は、ディーンそっくりの強面だったけれど、いつも僕に本を読んでくれたり肩車をしてくれたり、可愛がってもらった記憶がある。」
ソロはもう一枚の写真を出す。赤ん坊を抱くリヤと、その二人を抱きしめるように身を寄せる、ディーン皇王そっくりの男が映っていた。
「幸せそうな親子じゃな。」
「しかし、母に愛は無かった。」
カスガの言葉をひっくり返すように、しかし、あくまでも無感情な声で、ソロが言う。
「母の目的は、アリアレジスを内部から侵略することだった。僕を次のアリアレジス国王にし、国を希望教で支配することだった。」
淡々と、ソロは話す。俺以外の四人は驚いて、ソロから目が離せなくなっている。しかし、俺とオルハは、あの屋敷の図書室で、母に頬を叩かれたソロを目にしている。
「僕の背中には、殉教の教えの刺青がある。腕では、父に知られてしまうから。これは、母の命令で彫られたものだ。」
ソロは何の感情も無く、ただ言葉を落としていく。話の内容は、母の情を感じられない残酷なものなのに、ソロは別に、誰かに悲しさや虚しさを分かってほしいわけでも無さそうだ。
俺たちは、反応と言うか、寄り添い方が分からない。語るソロの内側に潜む、心の輪郭が全く掴めないからだ。
「そして、冬の夜。オディオが滅びた。ソクアヴェスタの魔道で。」
部屋の中に、緊張感が張り詰める。俺とオルハは親子の結末を、俺たち五人はオディオの結末を知っているからだ。
「ソクアヴェスタがオディオを滅ぼした報告が入り、屋敷中の女中や衛兵が自ら命を絶った。みんな、ソクアヴェスタから、母に着いて来た者だったから。」
ソロは淀みなく話す。
「母は、僕を抱いて、冬の川に飛び込んだ。」
ソロはずっと、目を伏せたまま、声に何の変化も無く話す。
「今でも覚えている。冬の川は寒さを通り越して、刺すように痛い。僕は必死で上を目指すけれど、母に抑えられて、どんどん沈んで流れていった。」
ソロが淡々と話すほどに、俺たちはどう受け止めて良いのか分からない。ただ、冬の凍てついた水を想像するだけだ。
「奇跡的に、僕は助かった。オディオのことを聞いたディーンが、僕たちを心配して来てくれたところを、偶然見つけてくれた。母は、海まで流れたのか、遺体も見つかっていない。」
そこまで話して、ソロは一呼吸おいて言う。
「おそらく、この辺りが二人の糸で見た記憶だと思うけれど。」
オルハは黙って俯いたまま、頷く。俺は躊躇いながら問う。
「なあ、どうしてオディオが滅んだことで、その、リヤやソロが?」
「姫神教会を恐れたからだ。」
俺は顔をしかめる。また、姫神教会だ。
「母は、僕が言ってはいけないのは分かっているけれど、世間知らずの王女だったんだ。まさかソクアヴェスタが世界を支配するなんて、出来るはずがないのに。」
そのとき、恐らく初めて、ソロの表情に呆れる様子が見えた。
「祖国がオディオを滅ぼすことで、ソクアヴェスタ人である自分たちの立場が悪くなると、事前に想定していたのだと思う。そして、姫神教会に圧殺されるくらいなら、自分たちで命を絶とうと判断したんだ。短絡的な判断だと思うけれど。」
これも、恐らく初めて目にする、ソロの自虐めいた表情だった。ただ、悪いけれど、彼の陰鬱な雰囲気と自虐は、少し似合う。
「しかし、先代の皇王には大切にされていたのだろう?姫神教会から守られたのでは?」
ユフィが問いかけた。
「アリアレジス王族は、姫神教会の傀儡だ。王族の権力が姫神教会を越えることは無い。それに。」
ソロはそう言って、顔を俯かせた。
「父は結局、母しか愛していなかった。生き残った僕は、王城に引き取られることは無かった。」
それを聞くと、もう何も、問いかけることは出来なかった。しかし、オルハは踏み込んだ。
「お兄ちゃんは、その後、どう生きたの?」
オルハは紅い瞳を涙で揺るがせ、問いかける。
「屋敷で見たお兄ちゃんは、まだ小さな子どもだった。それなのに、王城に引き取られなかったなんて、酷い。お兄ちゃんは、どうやって生きたの?」
それは、ただの問いでは無かった。自分を守って生きてくれた兄を、残酷な道へ追いやった者たちへの怒りが込められていた。
妹のまっすぐな視線から目を逸らして、ソロが答える。
「…すまない。言わない。」
「…姫神教会の、口止めの呪いかい?」
「いや、僕の意志で、言わない。」
俺の問いに、ソロが力強く答えた。
「…すまない。まだ、誰であろうと話せるほど、僕は自分の過去に、整理も覚悟も出来ていないんだ。」
ソロは目を伏せて答える。それは、いつものソロらしくない、弱々しく、隙の多い姿だった。
「なあ、空気を読んでいないかもしれないけどよ、もう一つ、あの屋敷で見た記憶があるんだ。」
俺が思い切って切り出すと、みんなの視線が俺に集まった。
「ヒューの記憶さ。」
それを聞いたみんなは、ソロでさえも小さく驚いた。そう言えばオルハは、二人で見たソロの記憶と違って、ヒューの記憶は俺しか見ていない。
「エルコトルにいた、殉教の魔道士か。」
ソロの言葉に、俺は頷く。そして、話す。
「ヒューは、自分をソクアヴェスタ最後の王位継承者だって言っていた。」
俺の言葉に、みんな、先ほどよりも驚いた。それはそうだろう。もう滅びた国の王族だなんて、信じがたいはずだ。しかし、俺は、実際に目にしてしまった。
そこから俺は、ヒューの記憶を語った。
父、母、弟と妹二人で、笑い合っていたこと。
戦場で父の隣に立ち、ソクアヴェスタの勝利を信じていたこと。
姫神教会への敵意をあらわにし、世界を希望教で支配しようとしていたこと。
そして。
「最後は、ヒューが断頭台に立っていた。民衆は【ソクアヴェスタに永遠を】とだけ呟いていたんだ。父親は、ヒューを少しも見なかった。ヤツは、ヒューは泣きながら抵抗した。でも、ギロチンの刃が落ちた。」
それを聞いた、マキとカスガ、そしてオルハが、顔を恐怖や嫌悪感で歪める。
「ヒューは、元々、俺と同じ黒髪に青い目だった。けど、吹き出す血で、全部染まっていった。」
俺の言葉で、先ほどの三人はさらに顔を歪め、マキは口元に手を当てた。カイとユフィも口元を結び、嫌悪感を抑えている。俺は続ける。
「ヒューは言ってた。もう、未来だけを見ている、姫神教会の呪縛から解き放って、世界を希望教で、弱者が当たり前に生きられる世界にするって。」
「呪縛?」
ユフィが問う。俺は頷いて答える。
「ヒューはこうも言ってた。精霊戦争は、ヴァルクシェンナと姫神教会が卑怯な手段を使って勝ったって…。」
「それはっ。」
ソロが、聞いたことのない大きさと圧を持った声で、俺の言葉を遮る。俺たちは、彼の意外な一面に言葉を失う。その目は、いつもの暗い影を手放し、青年らしい反抗心を宿しているように見えた。
「…すまない。何でもない。」
ソロは少し速く顔を俯かせ、両腕を固く組んだ。
「でもヒューがそう言うなら、なおさら皇王陛下の頼みに力を入れないとね。明かされていない歴史を紐解いて、正しい未来に繋げるって。」
「頼み?」
カイの言葉に、ソロが反応する。俺は思い出して、前のめり気味に話す。
「そうさ。ディーン様から直々に頼まれたのさ。オディオに行ったとき…、それで…。」
「呪われた大地に眠る、悲しみの記憶を見たのか。」
勢いよく話しておいて、オディオの惨劇を思い出して言い淀む俺に、ソロが問う。俺は、無言で頷く。
「私も、お兄ちゃんとおじ様と、オディオに行ったことがあるよ。」
オルハが言うので、俺は問う。
「ランプを灯して、金の糸で記憶を見たのかい?」
「うん。私は喜びの記憶を見るから…。シャグラン王子が生まれてから成人の儀式を迎えるまでとか、周辺諸国との戦争に勝利した戦勝祝いとか、街の発展とか…。あとは、シャグラン王子とフロイデが出会った瞬間を見たよ。」
「へえ、どんなだったんだい?」
俺はなんとなく興味があり、聞いてみた。
「シャグラン王子は身分を隠して、一人で街を散歩するのが好きだったみたい。それで、街の食堂で同世代の労働者とお酒を飲んだり話したり、楽しそうにしていたよ。」
「ほう、若い割には威厳もあって、隠せない高貴な雰囲気を感じたがのう。」
カスガの言葉に、俺たちも頷く。銀の糸で見たシャグランは、美しい鎧を纏った気品のある若者だった。
「でも、お酒が好きで、食堂では酔っ払って、他のお客さんと手やテーブルを叩いて歌っていたよ。」
「身分の高い方にも、親しみを持てる一面はあるものだ。」
オルハの説明に、珍しくソロが言葉を加える。しかし、確かに俺たちは、馬車のなかでディーン国王と親しげに話すことがあった。
「フロイデは、その食堂で働いていたの。ある日、酔っ払ったお客さんに腕を引っ張られていたのを、シャグラン王子が助けたのが出会いだと思う。」
「へえ、素敵ね。」
オルハとマキが、ね、と互いに頷く。
「シャグラン王子の一目惚れだったみたい。食堂に行くたびに、花束やお菓子をプレゼントしていたよ。」
「すごい、積極的ね。」
オルハとマキが再び、ね、と頷く。二人はこの手の話が好きそうだ。
「少しして、シャグラン王子が自分のことを打ち明けるところまでは見たよ。フロイデがびっくりして急に敬語になったから、シャグラン王子は落ち込んでいたよね。」
オルハが言うと、ソロは静かに頷いた。
そこまで聞いて、俺は改めてオディオの最期を思い出す。最期まで心を通わせていたのに、痛みに苦しんで、風の前に崩れた二人が、頭のどこかにいる。
「その表情を見ると、オディオの最期はやはり、悲惨なものだったようだな。」
ソロの問いに、俺たちは何も言わずに頷いた。
「オルハ。僕たちの旅路は、また彼らと交わるだろう。」
ソロは、オルハをまっすぐに見て言う。
「それは、どういうことだい?」
俺が問うと、ソロは少し考えて、紅い瞳を向けて話す。
「ディーンと同じく、僕も歴史は正しく存在し、そして、正しく未来へと繋がってほしいと思っている。精霊戦争、そして、姫神教と希望教の謎は、明かされなければならない。オルハの金の糸は、その力となるだろう。だが、それだけでは足りない。」
「栄光だけでなく、悲しみの記憶も必要ってことかい。」
俺が確信を持って言うと、ソロは頷く。
「でも、それだったらソラたちと、ソロとオルハ、全員で旅するわけにはいかないのか?」
ユフィがソロに問う。ソラたち、と言う言葉に、自分は含まれていない。
「喜びの歴史と、悲しみの歴史は、いつか一つの大きな歴史となるだろう。しかし、それらの歴史は、それぞれ違うところだからこそ、見ることが出来ると、僕は思う。」
ソロの返答に、俺たちは納得する。確かに、俺たちはこれまで違う旅路を進み、それぞれで違う記憶を見てきたはずだ。
「それじゃあ、また会えるんだな。」
俺が問うと、ソロとオルハは互いに顔を合わせる。しかしそれは、いつもオルハが兄の顔を窺うのとは違う。何か、二人の狭い世界に、新たな余白が生まれるのを確認しあう時間に思えた。
そして、兄妹が答える。
「ああ、僕は、そう願う。」
「私もだよ。たぶん、私とソラは、何か不思議なものを持ってしまっていると思う。あの声は、宿命と言っていたけれど。でも、そういうのを超えて、私はまた、みんなに会いたい。旅立ってから、こんな気持ちになるのは初めてなの。」
オルハのあまりに真っ直ぐな言葉に、俺は少し照れ臭く、頭を掻く。
「選べ、その先に暁がある。」
ソロが呟く。
「僕が子どもの頃、耳が不自由な母に代わって、ディーンが読み聞かせてくれた冒険譚の一説だ。僕はアリアレジス古語で、暁に立つ者。ディーンは、東雲に立つ者。僕たち兄弟は、迷いながらも夜を越えられるよう願いを込めて、名前を付けられたんだ。」
ソロは俯いて、視線はテーブルをぼんやり見つめていたが、どこか何かを懐かしむ目をしていた。そして、続ける。
「それぞれの旅路の果てで、共に夜明けを迎えられると信じている。」
夜明け。俺は、原点に立ち返った気持ちで言う。
「それを言うなら、ソロ。俺はソクアヴェスタ語で、夜明けへ進むって意味なんだ。」
ソロとオルハが、俺を見る。
「一緒に夜明けへ進む仲間が出来て、嬉しいぜ。」
俺がそう言うと、オルハは優しく微笑んだ。
「仲間。そうか、仲間、か…。」
ソロは、少しの間、独り言を呟いて、俺を見る。
「仲間。懐かしい、いい言葉だな。」
そう言って俺たちを見るソロは、今までで一番、人間味のある表情をしていた。




