アリアレジス、夜を共に《ソラ》
《ソラ》
いよいよ、週末がやって来た。
劇団ブロタールの公演だ。
マキは練習のため、日中のほとんどを劇団の拠点で過ごした。しかし、夜は宿へ帰って来て、五人での時間を選んでくれたように感じる。
週末まで、俺はユフィから魔道の教えを受けた。ユフィはまるで時間を惜しむように、これまで以上に熱心に教えてくれたように感じる。
教えてくれたのは、今までユフィが唱えていたような相手を攻撃する魔道だ。教えのなかで、ユフィには繰り返し、あることを確認させられた。
「一つ、学んでいるうちは世界一の未熟者と思い、扱うときは世界一の熟練者だと思うこと。」
魔道を教わり始めた頃に言われたことだ。もはや、懐かしくなっていた言葉だった。確認のたびに、俺は大きく頷く。
「いいな。常に謙虚に学べ。そして、お前が学んでいる魔道は、マキの結界魔道や補助魔道と違い、人を傷つける…、いや、命を奪うほどの魔道だ。特にレシオで契約した召喚獣ルーク、彼の力は桁外れだろう。もう、お前のなかには可能性がある。魔道の使い方によって、人を守れもするし、人の命を奪うこともできる。それを絶対に忘れるな。」
「ああ、絶対に忘れない。」
ユフィの言葉に、俺は確認という以上に、覚悟を固めた。
「ちなみに、この教えはリサ先生から教わったことだ。お前に伝えることが出来たのは、本音としては誇らしい。」
俺は、心のどこかでリサの教えだろうと思っていたので、特に驚かなかった。それよりも、別れが決まってからと言うものの、ユフィが妙に素直なので、たまに調子が狂う。
ところで、不思議なことがある。いや、無いと言うべきか。宿を紹介してくれたソロと、妹のオルハに全く会わないのだ。前のめり気味に、旅の話を聞きたいと言っていたソロ。そして、エルコトルでは兄の帰りを退屈そうに待っていたオルハ。
同じ宿に泊まっているというのに、こんなにも会わないものだろうか。オディオでのこと、そして俺たちのこれからのことを伝えたいと思ったのに。
なんとなく、あの紅い目の兄妹がまた、危険な橋を渡っている気がして、ふとした瞬間に心配になる。
あと、週末までに起きたことと言えば、カイがメルヴィンに頼んで、グランディエに休暇願いを出したことだ。この騎士は、決めたとなると行動が速い。もっとも、敗戦処理で慌ただしいグランディエで、いつ、どう受け取られるかは分からないが。
そんなこんなを経て、週末を迎えた。
本番の前日、マキは劇団の拠点で過ごすことにした。彼女以外の俺たち四人は、会場となる姫神教会本部を前にしている。
「で、でっけぇ…。」
その見上げるほど立派な建物に、俺は圧倒されている。アリアレジスの王城も大きく、像による装飾やステンドグラスなど、目を見張る迫力だった。しかし、目の前の姫神教会は、王城と比べてしまえば正直、教会のほうが立派だ。おそらく教会のほうが新しいのもあるだろうが、言い方を選ばずに言えば、金がかかっていそうだ。大きさといい、装飾の細かさといい、何もかもが洗練されている。
建物の美しさに感動するとともに、ディーン皇王よりも権力を持つ姫神教会の存在を思い知らされ、心のどこかで捻くれた気持ちが沸いてくる。
「あれ、ソラ?」
声のしたほうを向くと、なんとソロとオルハがいた。宿屋では全く会わなかったのに、こんなところで会うなんて驚きだ。
「もしかして、ソラたちもブロタールの公演?」
「ああ、マキが誘ってくれたんだ。マキはブロタールで笛を吹いてるんだよ。」
オルハの問いに俺が答えると、彼女はすごい、と驚いた。
「ブロタールと言えば、世界でも有名な劇団だよ。その一員だなんて、マキってすごいね。」
オルハはニコニコと笑って言う。一方、隣に立つソロは、公演の前だと言うのに浮かれた様子は一切無い。
「ソロとオルハは、券を買ったのかい?」
カイが尋ねると、オルハはソロを見て、ソロが答える。
「…買ったわけではない。」
まあ、予想の範囲内の答えだ。この兄妹は、隠し事は多いが、嘘はつかない。オルハがソロの様子を見て、打ち明ける話を選ぶのも、予想の範囲内だ。
オルハは素直で人当たりもいいが、兄の顔を見て、慎重になることが当たり前となっているようだ。なんとなく、彼女は不自然な生き方をしている気がする。
「時間だな。入るぞ。」
鐘の音を合図にユフィが言う。公演を待ち構えていた客が、続々と入って行く。
俺は、ユフィとはこれで最後と思うと、公演は楽しみだけれど、少し恨めしい、複雑な気持ちだ。
案内に従って教会へ入ると、内部は外観以上に煌びやかだった。特に、パイプオルガンはグランディエの姫神教会の何倍も大きく、その迫力に目を離せなくなってしまった。
しかし俺は、パイプオルガンよりも、巨大な十字架の下にある肖像画に目がいってしまう。
なぜ、あんなところに肖像画があるのだろう。
「なあ、あの絵、誰だい?」
俺が問うと、カイが答える。
「ああ、あの肖像画の方は姫神教会の教皇、メーティア様だよ。」
「キョウコウ?」
「姫神教を信仰する人のなかで、一番上に立つ人だよ。」
へえ、と返事をしながら、俺は考える。この女がディーン皇王よりも権力を持っているのか。しかし、肖像画を見れば見るほど不思議だ。
「…一番上っていうのに、随分若いんだな。」
そう、肖像画に描かれた女は、三十歳になるかどうかの若さだ。ディーン皇王より、もっと言えば世界全体で信仰される姫神教の頂点だとは、信じ難い。カイは言う。
「姫神教の教皇は、襲名制なんだ。世界中の信者のなかでも、特に魔道に優れた若い女性を教皇にする決まりでね。今のメーティア様は、五十二代目だよ。」
「ほう、そんなに続いとるんか。」
カスガが驚いて言う。俺にはそれが、どれだけ長い歴史なのか想像つかないが、きっと驚くようなことなんだろう。
「おい、列がつかえるぞ。」
ユフィに急かされて、俺たちは会場に入る。
会場は大聖堂ではなく、いくつかある礼拝堂の一室だが、そこすらも、つい縮こまってしまうほど立派だった。天井が高く、席もかなり多い。天窓やステンドグラスも大きく、日差しがたっぷり降り注ぐ。ちょっとした王都の大聖堂と比べても、勝ってしまうくらいだ。
「この辺りだね。」
カイが券に書かれた列を確認し、俺たちは席に着く。四人横並びになり、周囲を見渡すと、少し後ろにソロとオルハが座っていた。オルハはキョロキョロと礼拝堂を眺めている。彼女もその美しさや壮大さに感動しているのが、表情にハッキリと現れている。ソロは、そんな妹の様子を、いつもの暗い瞳で見ていた。
しばらくして、演奏者たちが控え室から出て来て、持ち場に着く。
「ん?あれ、マキか?」
俺はつい口に出してしまう。いつも一つに束ねているクセのある長い髪を丁寧に編み込み、顔の左側に流している。衣装は落ち着いた紺色のワンピースで、化粧をしているのか、いつもより大人びて見える。
「そうだね。見違えちゃうなぁ。」
カイが呑気に答える。いつも近くで見ていた、もっと言うなら、抱きしめてくれたり、手を繋いだりした彼女が、少し遠い人間に見える。
「いいか、指揮者の礼のあとは、喋っちゃいけんぞ。」
隣に座るカスガに言われ、少し緊張する。旅籠や定食屋で演奏され、他の旅人たちと賑わいながら聞く演奏とは、格が違うのを感じた。
演奏者たちが持ち場に着き、台の横で四十歳かその辺りの指揮者が礼をする。客が一斉に拍手をし、俺もそれを見て真似をし、拍手をする。
指揮者は拍手が落ち着くのを確認し、余裕のある仕草で台に上がる。そして、演奏者たち一人一人と目を合わせ、パッと両手を上げる。同時に、演奏者が楽器を構える。その一糸乱れぬ動作は、まるで統率の行き届いた軍隊のようだ。
そこからは、まるで夢の世界に誘われたかのような時間だった。
一曲目。それは例えるならば、レシオで船に乗り海に出たときのような、始まりに相応しい曲だった。指揮者に合わせて、ゆったりと波をかき分けて道が開かれる、心をワクワクと刺激する音が空間に鳴り響く。
クルエルで見たマキの悪夢のような、人形の楽団が奏でる音楽とは全く違う。揃っているのは同じだが、音の厚みと、脳に直接届いて想像力を揺さぶる説得力が、まるで違うのだ。
二曲目。次はテンポが速く、音の粒が目に見えるような、弾む心地がとても良い。最高の旅日和の日差しのなか、目的地へと足取り軽く進んだ日を思い出す。歯切れの良い音に、つい体を揺らしてしまう。
三曲目。今度は打って変わって、穏やかな曲調だ。とは言え、悲しい曲ではない。旅人に寄り添ってくれるような、温かい月夜を思わせる曲だ。特に、マキを含む、繊細な笛たちの音色が優しい。眠れない夜にこの曲を聞いたら、良い夢を見られそうだ。
三曲目が終わると、四曲目、音楽劇が始まった。三曲目の月夜から連なる曲を背景に、上品な衣装を纏った美形の男女が、指揮者よりも手前、客側に現れた。男のほうが女の手を取って、膝をついて言う。
「イヴ様。このノクス、姫神様の旅路へお供しましょう。あなた様の行く先を阻む者、全てからお守りいたします。」
そのノクス役の男は役者らしく、とても通る澄んだ声で語る。イヴと呼ばれた女も客に伝わるよう、大きく微笑んで答える。
「ノクス、あなたが一緒なら、私はどんな夜も怖くないわ。世界は混乱と戦争に満ちています。私たちで太陽神様の教えを広め、世界を平和へと導きましょう。」
そう言うと、イヴ役とノクス役の男女は抱き合った。すると、マキが立ち上がり、体全体を使って、伸びやかに笛を響かせる。真剣でまっすぐな、集中力のこもった眼差しだ。そして、恋人の旅路を祝福するような、煌びやかな音の波を奏でる。楽器だというのに、人間のように歌っている。そのくらい豊かな、情緒のある音色だった。やがて、演奏者たちの音が静かに収縮し、マキも席に座り、音が止む。
イヴとノクスは、音が止んでいくのに合わせて体を離し、互いに見つめ合う。
五曲目。突然、指揮者のキレの良い振りに合わせ、激しく重い音が、客席を飲み込むように響く。俺の内臓が、鈍く揺さぶられるような衝撃をぶつけられる。
その引き裂くように重い音に、イヴとノクスは引き離され、二人とも舞台の端へと追いやられる。イヴ役の女は頭を抱え、泣く演技をしている。よく見ると、本当に涙を流しており、痛ましい姿にこちらの胸も絞られる。
ノクス役の男が模造剣を掲げ、激しく叫ぶ。
「なぜ、なぜだ。イヴ様はただ、平和を望んでいるだけなのに、なぜ邪魔するのだ。誰も戦争で命を落としたいわけでは無いだろう。」
その声を受け、演奏はさらに激しさを増し、俺は瞬きすら忘れてしまう。イヴ役の女も、膝をつき、泣きながら叫ぶ。
「私は太陽神様の遣い。人々に平和をもたらすために生まれた姫神。しかし、この世界は平和を望んでいない。戦乱の果ての、己の欲望が満たされることだけを望んでいるのです。」
そのセリフを言い終わるのと同時に、打楽器の轟音が、一撃だけドンと響く。あまりの迫力に、俺は体を少し後ろに引いてしまう。
イヴ役の女は、その音と共に、糸が切れたように倒れる。それは演技のはずなのに、本当に終わりを迎えたかのような、臨場感に満ちていた。
舞台にはほんの数秒か、十数秒か、沈黙が流れる。イヴ役の女を見つめるノクス役の男の、震える息遣いがこちらまで届く。それはあまりにも張り詰めた、消え入りそうな息だった。
「イヴ様…。」
ノクス役の男が、倒れた女に駆け寄る。そして、男が女を抱き抱えた瞬間、か細く震える、弦楽器の音が静かに鳴る。
「なぜ、イヴ様が、人間たちに殺されなければならない。ただ、太陽神様の命の元、いや、世界の平和を望んで、自らの思いで純粋に生きたというのに…、なぜ…。」
忠誠を誓った姫神の死を前に、ノクスの悲痛な思いが、弦楽器の神経質な音と重なる。ふと周囲に耳をそばだてると、すすり泣く声が聞こえた。
やがて、力無く腕を垂らす、イヴの胸元に顔を伏せるノクスの動きとともに、楽団の音が静まる。
そして、六曲目。ノクスの悲しみを表すような、ギリギリに震える弦楽器の音を、何重もの重い音が支え、聞き手の脳を引き裂く緊迫感に襲われる。
「いいだろう。世界が平和を拒むならば、私は全てを壊そう。イヴ様を否定した世界などいらない。平和を否定した世界などいらない。私はこんな世界など、決して愛さない。」
ノクス役の男は、もはや心からノクスに成り切っていた。ノクスは再び剣を高く掲げ、一番の声で叫ぶ。
「イヴ様を殺した人間に、復讐をっ。平和を否定した世界など、滅ぼしてやるっ。」
そのセリフに合わせ、演奏者たちの音が団結し、ますますの迫力を持って、重い音を轟かせる。
ノクスはイヴを横たわせると、見事な殺陣を披露した。まるで本当に誰かを斬っているような臨場感に、息を飲んで剣筋を目で追ってしまう。
「どうだ、これが太陽神様と姫神様の加護を得た、本物の騎士の力だ。恐れ入ったか。」
音楽劇は復讐の一幕を持って、地の底から勢いよくマグマが湧くような瞬間を迎えた。ノクスは高らかに、礼拝堂の隅まで届く笑い声を上げた。
しかし、音楽は徐々に密度を収縮し、弱々しくなる。同時に、ノクスも膝から崩れる。そして、ノクスは天を仰ぎ、笑いながら涙を流す。
再び、演奏者は沈黙し、笑い声を絶やしたノクスの悲痛な叫びが空間を震わせる。
「これが、私の望んだ世界か。イヴ様もいない、人間を殺し復讐に燃えた、こんなにも色の無い世界が、私の望んだ世界か…。」
ノクスのセリフが終わると同時に、大きな弦楽器の重い音が響く。それは分厚く、天高い空間よりも、地面を這いずるような、足元から絶望を伝えるような音だ。ノクスは拠り所もなく、すすり泣く。
そのとき、笛による優しく温かい音が、天から降るように響く。その音色とともに、横たわっていたイヴが身を起こし、すすり泣くノクスの背に手を添える。
「イヴ様…。」
「ノクス。」
再び出会えたはずの二人なのに、またも舞台の両端に、悲しみを表情にたたえたまま引き裂かれる。
「イヴ様、私は煉獄へ参ります。己の復讐心のまま、多くの命を奪いました。私にあなたをお守りする資格などありません。」
ノクスが剣を自身の首に添えて、高らかに言う。
「ノクス。私は死に、神海に流れ着いた身。けれど、あなたと再び巡り会えるまで、決して生まれ変わりません。煉獄を乗り越えて、いつか神海へ来て。私は何百年、何千年と、あなたを待ち続けます。」
イヴのセリフとともに、音楽は高らかに空間いっぱいに響き渡る。それはマキの奏でた伸びやかな祝福とは違う。大きく壮大に、打楽器も派手に、何度も轟く。
これは、フィナーレと言うものだろう。神海にたどり着いたイヴと、煉獄へ堕ちたノクスの隔たりが、音楽が壮大であるほど大きく感じられる。
すすり泣く声は、より増えている。いわゆる悲恋に、人間は弱いらしい。ふと隣を見ると、カスガも鼻をすすっている。
イヴとノクスを演じた役者は、ゆったりとした音楽に違和感なく、舞台袖へ去って行った。演奏者たちの集中力は途切れることなく、最後の一音に向けて、音が積み重なっていく。指揮者の動きも大きく、打楽器の重く厚い音が連続し、終わりを目指してどんどん強くなる。
これこそが最高潮だ。指揮者の一振りごとに、大きく迫り来るような音が、空間を支配する。そして、指揮者が指揮棒を振り切り、演奏は終わりを告げる。指揮棒は天に向けて高く振られたため、演奏者は音を断ち切らない。あえて余韻を残し、床から天井まで、イヴとノクスの祈りが残響する。
しばらくして、残響さえも消え、礼拝堂に静寂が帰る。しかし、余韻は体に染み渡っており、俺を始め、客たちはしばらく言葉を失っていた。
「ぐ、グートっ。グートっ。」
静寂を裂いて、一人の客が立ち上がり拍手する。それを皮切りに、次々と客がグートと言って立ち、拍手を送る。
「グートってなんだい?」
「分からないけれど、演奏を讃える言葉なのは間違いなさそうだね。」
俺の問いにカイが答え、彼も立ち上がり拍手を送る。カスガとユフィも立ち、拍手をしていた。
気づいたら、俺も同じく立ち上がり、拍手を送っている。みんながしていたからでは無い。心から讃える気持ちを表すのに、これが一番だと思ったからだ。
ふと、後ろを見ると、ソロとオルハも立ち上がり拍手をしている。ソロはいつも通り無表情だが、オルハは涙でぐしゃぐしゃだ。
客の拍手の間、指揮者は台を降り、演奏者も立ち上がっていた。イヴ役とノクス役の役者も舞台袖から現れ、本当の恋人のように隣に立っている。
そして、指揮者の礼に合わせ、演奏者たちが頭を下げる。
そのときだった。
突然、時間が夜になった。礼拝堂の天窓やステンドグラスから光は届かず、暗闇に包まれる。辺りの客はざわめく。
「な、なんじゃ、まだ午前中じゃぞ。」
カスガが警戒し、辺りを見る。
ユフィはすぐにエードルムを唱え、指輪から強い光を発する。舞台上の演奏者も同じように、魔道によってあちこちに明かりを灯す。どうやら、旅慣れた劇団だけあって、非常事態に強いようだ。
すると、礼拝堂の扉が大きな音を立て、司祭たちが入って来て言う。
「全員、席に着け。これは希望教の攻撃だ。」
司祭の言葉に、客たちは不安を煽られ、返ってざわめく。
俺は何かの予感から、天井を見る。すると、暗闇がわずかに揺れるのを見て、そこから悪意がこぼれるのを感じ取る。
「いやいや、司祭ごときじゃ無理だから。帰っちゃってくれない?」
天井から聞き覚えのある、人を小馬鹿にする声が降ってきた。
あの声だ。アンディを殺し、グランディエやエルコトルで俺を飲み込もうとした影の声。俺はすぐにナイフを抜き、先ほどの演奏や役者に負けない声で叫ぶ。
「てめぇ、影っ。降りて来やがれ。」
カイ、カスガ、ユフィもそれぞれの武器を構え、戦闘態勢を取る。周囲の客は逃げ惑い、入り口に人が殺到している。司祭たちは、その対応で手一杯だ。
「だめだよ、ソラぁ。ここは姫神様のおわす、神聖な場所だよ?」
影は相変わらず、こちらを煽るように渦を巻く。
そのとき、演奏者たちの奏でる迫力ある音の波が、礼拝堂いっぱいに鳴り響く。
「エードルムの曲だ。」
ユフィが目を丸くして呟いた。礼拝堂いっぱいに光が満ちる。その演奏は、光の魔道を曲を媒介に展開しており、燦々と輝く真夏の太陽を思わせる、敵を飲み込もうとするほど攻撃的な音楽だ。
「や、やめてくれよ。眩しいよぅ…。」
掴みどころの無い影も、燦ざめく音楽の波に弱々しく揺らぐ。
「…ふははっ、なーんてね。」
影は揺らぎをピタリと止めると、己の一部を鋭い槍にした。そして、天窓を割って、指揮者を目がけて槍が疾走し、突き刺さる。指揮者の鈍い悲鳴が聞こえ、その場に倒れ込む。
「ドルケっ。」
演奏者は指揮を失い演奏を止めると、何人かの団員が指揮者の名を呼び、駆け寄る。指揮台は赤く染まる。
「あーはっはっ。そんな曲じゃあ、僕の影は消せないよ。」
影は高笑いし、余裕たっぷりに揺らめく。
「てめぇ、何をしやがるっ。」
俺は空間を影に支配された恐怖心で、ほとんど喚くように叫んだ。
「ソラぁ、君を迎えに来たんだよ。」
「形代狩りか。」
「違うよ、希望が君を迎えに来たのさ。」
「けっ、何が希望だ。人を小馬鹿にして、傷つけやがって。」
「心配しないで、一人じゃないから。」
「なんだと?」
そう言うと、影がグンと伸びて、天窓を割って走って来る。そして、太い影が俺の体をグルリと巻き取る。
「ソラっ。」
カイたちがすぐに俺の体を引っ張るが、あまりに強い影の力に、一気に天へと引き上げられる。
「お兄ちゃんっ。」
声のほうを見ると、オルハも同じように影に引っ張り上げられていた。ソロが彼女に向かって伸ばした腕は、宙をさまよっている。
「安心してね。抵抗しなければ、傷つけないから。抵抗しなければね。」
宙に浮いた俺とオルハは、影にそう言われて、脅威に襲われる。そして、影が俺たちの目を覆うと、ゆるりと眠りに落ちた。
遠くから、俺を呼ぶ声が聞こえる。




