アリアレジス、青年までのはざまで《マキ》
《マキ》
アリアレジスは、夕飯時にはどこかから音楽が流れてくるような街だった。それも移民の国らしく、多彩な歌声や楽器の音色が私たちを楽しませてくれる。そのなかに、故郷リベリア国に伝わる曲が混ざっていた。
故郷のリベリア国を離れたのは、私が十歳のときだった。ロブロイ家のお手伝いさんと傭兵に連れられて、私はグランディエへ渡った。そのとき港町ドークを経由したけれど、アリアレジス城下町に立ち寄ることはしなかった。
私の思い込みかもしれないが、お父様もお手伝いさんも、早く私を手放したかったのだと思う。グランディエまでの旅路は寄り道もなく、私は何の意志もなく大人に着いて行き、ただ知らない景色が通り過ぎるのを眺めるだけだった。
そんな私がロンソ村で四人と出会い、トール大陸を北上し、まさかアリアレジス城下町にたどり着いているなんて。十歳の私がそれを知ったら、どう思うだろう。
旅は楽しいことだけでは無かった。むしろ、苦しいことや辛いこと、自分の無力さに打ちのめされた出来事のほうが多かったように思う。
私は今でも、ふとした瞬間にキーエール村のローズとダフィを思い出す。彼女らの死の瞬間が、頭から離れない。あんなにも残酷で無情な現実があることに、ただただ衝撃を受けたのだ。救えなかったと嘆くことは、思い上がりだろうか。結局、私は後衛で誰かの支援をするだけの、弱い人間なのだ。
ただ、私は一つ役割を果たせた気がする。風瓏の民が奏でられる、魂を神海へ送る鎮魂曲。自分自身で忌まわしく思っていた力で、ローズとダフィを美しい神海へ送ることは出来たと、自分を励ますように言い聞かせた。いつか私が神海へ行ったとき、幸せに過ごす彼女らに会えるだろうか。
いろいろなことはあったが、私はいつか大人になったときに、この旅をきちんと整理できる気がする。それは、ともに旅をした四人の存在が大きい。彼らはそれぞれに、事情や重い過去を抱えて戦っている。カスガはよく分からないけれど、時折見せる卑屈な表情と言動には、どこか傷ついた少年時代を引きずる様子を感じる。
何より、私はソラの存在に救われた。あのクルエルで見た悪夢で、彼は言ってくれた。私からの大好きと大切という言葉を彼なりに受け止めようとし、一緒に生きていこうと。
劇団ブロタールには、いろいろな子が所属している。私のように実家から見放された者もいれば、形代や孤児、罪を犯して流れついた子もいる。
私は、自分がかけて欲しかった言葉をその子たちに言う。大好きも大切も、私がかけて欲しかった言葉だ。ときには一晩中、隣で寄り添い声をかける。
もちろん、上っ面の言葉では通じない。子どもは他人の本音に敏感だ。最初はそっぽを向いていた子も、粘り強く向き合えば分かり合えるときが来る。ただ、やはり相性はあるのか、最後まで通じ合えない子もなかにはいた。
旅を始めてすぐは、五人での旅に不安しか無かった。まだ全員未成年なうえ、生まれた国も育った環境もバラバラだ。四人が異性であることは、共同生活が当たり前な劇団の環境に慣れているぶん気にならない。
けれど、私は私らしく生きるだけでは、故郷でそうだったように見捨てられてしまう。自分勝手に演奏をしては止められるのと同じだ。なるべく明るく振る舞おうと、気を遣っていかなきゃいけないと、どうにも気持ちが重かった。
さらに本音としては、ソラとの向き合い方が分からなかった。初めは劇団にいるような、事情を抱えた子と似ていると思ったが、ソラはなんだか自分だけの闇が深いように感じた。そして当然のように、傷ついて生きてきた子特有の、人を試す目をしていた。
好奇心たっぷりに笑ったかと思えば、トゲの生えた小動物のような言動で悪態をつく。礼儀作法は、全く身についていない。彼は頭が良いぶん、考える力がある。そして、他人は信用できないものだと学習してしまっていた。
しかし、根は純粋で傷つきやすい。だからこそ、力を手に入れて、人を傷つけようとしていた。そして、かえって傷つく。
私はソラと向き合うのが怖かった。自分の度量が試されている気がしたからだ。その不安は、ヴェーゼンで的中した。ソラは盗むことが日常になっていたことをあらわにし、カイに酷いことを言ってしまった。私はその瞬間、ソラに後悔の表情が見えた。しかし、下手に頑固で、後に引けなくなった姿は痛々しかった。
でもソラは、アルデールで本当の姿を見せてくれた。支離滅裂に叫んで、ぐしゃぐしゃに泣いて、悪ぶっている不良少年の鎧が剥がれた。それは彼が、なんとか生きようと身につけたツギハギの鎧だった。いったいどれだけの涙を、その不恰好な鎧の裏に隠して生きていたのだろう。
私は彼がその鎧を捨てて泣き、綺麗事も正しいことも嫌いだと、一人で生きると叫ぶ姿が、独りぼっちでさまよい、誰かの温もりを求める迷子に見えた。でも、彼がそう言わなくては生きられないのも、孤高を求めたのも、天の邪鬼にならなくては生きていけなくした周りのせいなのだ。
そんな彼をこの腕に抱きしめたとき、私のなかでくすぶる少女の私も泣き叫んでいた。もう一人じゃないと、私はソラにも、私にも言い聞かせた。
そんなことも経て、私たち五人は、アリアレジス城下町を目指して旅をして、ようやくたどり着いた。あんなに最初は気まずく、劇団が恋しかったと言うのに、今は旅の終わりを少し寂しく思っている。
広い世界で、私たちは大人になっていく。けれど、手紙でもなんでも、どこかで繋がっていけたら良いと、私は願っている。
「マキ?ボーッとして、どうしたんだい?」
隣に座るソラに、声をかけられる。その夏の空や海を思わせる、美しい青い瞳は、旅立ちの頃よりも柔らかい光を宿している。
なんでもないわ、と答えて、紅茶をすする。
「ねえ、マキ。良かったら、マキの笛を見せてくれない?」
オルハが純粋な表情で言う。私たちは今、アリアレジス滞在初日の夜で、ソロとオルハと夕飯後の紅茶を楽しんでいる。
「ええ、いいわよ。」
私は興味を持ってもらえたのが嬉しくて、オルハにエルターニャ笛を渡す。
「意外と重いかも。でも刻印が細かくて綺麗。」
そう言ってオルハは、笛をじっくりと観察する。彼女は私より一つ年下で、クリクリとした紅い目が可愛らしい。同じ年のユフィが落ち着いているせいか、オルハは少し幼く見える。
笛を興味深く眺めるオルハを、隣に座るソロが見ている。彼は、両手が空いているときは、必ずと言っていいほど腕を組んでいる。彼の陰鬱な雰囲気と相まって、私は分厚い壁を感じてしまう。
「マキ、僕も見ていいかい。」
私はソロのその言葉に驚いた。なんとなく、他人に興味を持つように見えないからだ。しかし、この宿を紹介したのもソロだし、私にはこの人物が掴めない。
私がどうぞ、と言うと、オルハがソロに、丁寧に笛を渡した。彼はほんの少しの間だけ笛を見る。光の宿らない瞳は、どこか遠くを見ているように感じる。
「ありがとう。」
「いいえ。」
ソロはすぐに笛を返してきた。そう言えば、エルコトルでオルハが誘拐されたときも、彼はこの笛に興味を示した。
「君たちは、これからどこへ旅に行くんだ?」
ソロが尋ねてきた。私たちは顔を合わせて、代表してカイが答える。
「僕たちの旅は、明後日で終わるんだ。」
「え、なんで?」
オルハがすすっていたティーカップを口から離し、驚いて聞いてきた。
「元々、アリアレジスがみんなの共通する終着地だったんだ。僕とマキは、いずれ所属するところに戻るし、ユフィも新しく学ぶ場所を探す。カスガは、メウィティカを目指して船に乗るんだよね?」
「ああ、そうじゃな。」
カイの説明に、カスガが頷く。
「ソラは?」
オルハが少し心配そうな目で、ソラを見る。
「うーん、決まってない。最初は姫神教会を頼るはずだったけど、今は希望教会も、どっちも信用ならねえ。」
ソラは、小さな体を踏ん反りかえらせて言う。
「明後日と言うのは、どうしてなんだ。」
ソロが私たちに問いかける。私は彼が、殉教の教えを使ったり、圧倒的な力で傭兵を制したりした姿を見て以来、その声に圧迫感を感じる。声質的には柔らかく、高めの声のはずなのに。
「そうだ、ソロのメモのおかげでディーンに会えて、それでオディオに行くことになったんだよ。それが明後日の朝なのさ。」
ソラが思い出したように、前のめりになって言う。確かにディーン皇王にお会いできたのは、ソロのメモのおかげだ。
「そうか。オディオに…。」
ソロはそう言って、意味深に俯く。オルハは何か気まずいのか、もう空っぽのティーカップを口に添えるフリをした。兄と違って、オルハのほうは感情が顔に出やすい。
「ソロの言う通り、ディーンは俺を試すらしいんだ。何が起きるか分からねえけど、明後日以降、道が決まって無い身だ。なりふり構わず、何かしらやってみるよ。」
ソラはそう言って、椅子に浅く腰掛けて言う。姿勢が悪いので、隣に座るユフィに膝を叩かれている。
「まあ、俺の人生において、太陽物語を見つけると言う目標が出来たのはデカいな。たとえば冒険家になって、それを探すのも悪くねえと思うんだ。ヒントをくれて、感謝するぜ。ソロ。」
椅子に深く座り直し、ソラが言う。太陽物語がどのようなものかは分からないけれど、ソラに一つ目標ができたのは嬉しい。
「…太陽物語は、僕の悲願だ。」
ソラの前向きな発言と正反対の温度感で、ソロが呟く。オルハは兄の横顔を見て言う。
「お兄ちゃん、太陽物語って…。」
「何も分からない。だが、何もかもを知れるものだと、僕とディーンは認識している。」
オルハが振り絞った疑問を、ソロは遮る。それには妹を厄介ごとに巻き込みたくない、兄の意志を感じる。しかし、大国の主を呼び捨てにし、悲願を共有しているなど、ますますソロへの謎は深まるばかりだ。それはオルハも同じようで、不満気に紅茶をカップに注ぐ。
「オディオには、五人で行くのか。」
ソロが問いかける。私たちは、皇王との謁見に同席しなかったカスガを見る。すると、彼は少し悩んでこう言う。
「そうじゃな、最後じゃし五人で行こうかね。」
カスガが改めてそう言って、明後日が旅の終わりであることを再確認する。他の四人にも、少しでも寂しい気持ちがあればと思ってしまう。
「そうだね。あとは、あの話ぶりだと、皇王陛下も同席される様子だったね。」
カイが言うので、私は頷く。一見すると強面の皇王だけれど、短時間ながら、情の厚さや誠実さを感じられる方だった。
「…オディオはたった一夜で、廃墟ですら無くなった呪われた地だ。どうか、怨嗟の声に飲み込まれないように気をつけてほしい。」
ソロは強く腕を組み、目下の者に注意するように言う。なんだか、どこか血の通っていないような、彼らしくない。
「それはどう言う意味だい?」
ソラは問うが、ソロは、そのままの意味だと言って会話を終わらせた。
ティーポットが空になり、ソロとオルハは部屋へ入る。私たち五人は、話すたびに兄妹の謎がまた深まることを確認し、眠ることにした。
アリアレジス滞在二日目は、分かれて行動することにした。私が劇団ブロタールに顔を出したいからだ。今日は水曜日。劇団の休演日だから、ゆっくり話すのにちょうどいい。
ソラとユフィは、魔道書や媒介となる道具を展示する国立博物館に興味があるらしく、カスガもせっかくだからと、そちらに着いて行くようだ。
「カイは、そちらに行かなくていいの?」
「ああ、博物館とかはどうも眠くなってしまうんだ。それに、アリアレジスは地域によっては、昼間でも女性一人だと危険そうだからね。」
私の問いに、カイはいつもの呑気な口調で答える。さらには、迷惑でなければとも言ってくれた。
「迷惑なんてとんでもないわ。一人だと退屈だし、話し相手がいるのはありがたいわ。」
私はそう言って、異邦郭へと向かう。
異邦郭は、メウィティカ郭と違い様々な国の人が集まっており、多彩な具材を入れた鍋料理のような区域だった。なかには共通語を話せない人もいて、他人事かもしれないが、その人の生活が心配になる。
アリアレジスにたどり着いたものの、私に劇団の居場所の見当は無かった。巡業はトール大陸が中心で、アリアレジスに来たことは無かったのだ。そこで異邦郭で情報収集と思ったのだが、そこはそう都合よくいかない。
「わっ、ごめんよ。」
劇団の情報を聞こうと道行く人に声をかけようとしたとき、少年とぶつかってしまった。ちょうどソラくらいの年頃だ。
私はよくあることと思い、情報収集に戻ろうとした。すると、カイがすぐに走ってその少年の服を掴んだ。
「なんだよ、離せよ。」
「いや、今ならまだ、イタズラで済ませるよ。」
抵抗する少年を抱き上げ、カイが余裕のある声で話す。
「か、カイ、どうしたの?」
私が戸惑っていると、カイは少年を下ろし、その服を探った。
「あったよ、これはなんだい?」
カイはそう言って、赤い皮の財布を手に持った。それは私のものだった。少年はバツが悪そうに逃げようとしたが、カイは決して逃がさない。
「ダメだ、ちゃんと自分で説明するんだ。」
カイはその金色の瞳で、少年を見つめる。すると、少年は観念して言う。
「…いろいろあって、その女から盗んだ。」
少年の表情は、ヴェーゼンで盗みを咎められたソラとそっくりだった。カイは私に財布を渡し、少年に再び向き合う。
「身なりは綺麗だね。君は、一人で生きているのかい?」
カイの問いかけに、少年は首を横に振る。
「誰かの命令で盗みを働いたのかい?」
少年は、その問いにも首を横に振る。すると、驚きの一言を口にする。
「拾われた劇団で、弟が病気で苦しんでいる。」
私とカイは、嫌な予感をして顔を合わせる。そして、私が問いかける。
「その劇団の名前は?」
「ブロタール。グランディエから来たらしい。」
それを聞いて、カイは反応に困った様子で少年と私を交互に見る。しかし、私はかえって運が良いと思った。
「そう。ちょうどいいわ。私たちをブロタールに案内してくれない?」
少年とカイは、驚いて私を見る。
「姉ちゃん、ブロタールを知ってるのかい?」
「知ってるも何も、私はあなたの先輩よ。私はマキ。あなたは?」
「…ジェイク。」
そう言うと、ジェイクは異邦郭の奥へ早歩きで入って行く。カイは心配そうに言う。
「マキ、知っている子…、ではなさそうだね。」
「ええ。まあ、ブロタールが孤児を拾うことはよくあるから。それから里子に出したりと、人の入れ替えは激しいのよ。」
「入った裏路地で詐欺の罠に、なんてこと無いといいね。」
カイはどこか他人事のように、呑気に言う。
「でも、そうなったら騎士様が助けてくれるでしょ?」
私が冗談ぽく言うと、カイは微笑んで頷いた。
ジェイクに着いて裏路地を進むと、古びたアパートの前で見慣れた顔を見つけた。彼は背が高く、大きな弦楽器の手入れをしているところだった。
「ま、マキ?」
「よかった、見つけられて。久しぶりね、ジョージ。」
ジョージはコントラバスを壁に立てかけ、こちらへ来てくれた。
「本物のマキだよね?本当に無事で良かった。グランディエが侵攻されたことを聞いて、誰も手紙だとかでやり取りができないから、もうダメかと…。」
そう言って、ジョージは泣きそうな顔で私の両腕を掴む。
「心配かけてごめんなさい。団長は?」
ジョージはアパートの二階を指差す。どうやら泣くのをこらえて、話せないみたいだ。
「僕は外で待っているよ。劇団の皆さんと、ゆっくり再会して来るといいよ。」
カイがそう言ってくれたので、私は礼を言って、アパートへ入った。
アパートの通路には、懐かしい顔との再会が待っていた。みんな、私を見てこちらへ来てくれて、無事を喜んでくれた。ただ、何かを察しているのか、ロンソ村で一緒に演奏をした面々のことは、誰も聞いて来なかった。
そして、ほとんどみんなに押されたり引っ張られたりしながら、私は二階の部屋へ向かった。扉を叩くと、懐かしい声がした。私は急ぐ気持ちを抑えられず、勢いをつけて扉を開く。
「団長。」
「マキ、マキなのか。」
団長は開いていた本を閉じ、立ち上がった。カルジェル団長だ。団長は杖を手に取り、精霊戦争中の災害で悪くしたという右足を引きずり、こちらへ来てくれた。狭い部屋だと言うのに、私も駆け寄ってしまう。そして、団長は私を抱きしめてくれた。
「よく無事でいてくれた、本当に良かった。こんなにも、姫神様に感謝した日は無いよ。」
団長は目に浮かんだ涙を拭って言う。私も安心感のあまり、涙が溢れる。故郷のリベリアを離れて以来、私は団長を父のように慕い、敬っているのだ。
そして、私はグランディエでの出来事を話した。
イーサン、サム、メイソン、ミア、メアリィ。
ロンソ村で命を落とした楽団員のことを伝え、イーサン愛用の指揮棒を団長に渡した。団長は彼らの最期に心を痛め、ますます涙を流した。
「マキ、そんなことがあったと言うのに、よく生きていてくれた。頑張ったね。」
「私は本当に運が良かったのよ。それに、一緒に旅をしてくれた仲間もいるの。」
それから、私は旅のことを話した。ロンソ村での惨劇、キーエール村のローズとダフィことなど、エルコトルでオルハには話せなかったような、私のなかでまだ散らばっている出来事も団長には話せた。文脈だったり時系列だったりはめちゃくちゃだったけれど、団長には特別な勇気を出さずとも話すことが出来た。
何より、旅を共にした四人のことや、クルエルの悪夢を乗り越えたことを、団長は喜んで聞いてくれた。
「そうなんだね、マキは素晴らしい縁に恵まれたんだね。」
「ええ、クルエルのことだって、みんなが助けてくれたから、悪夢に打ち勝てたの。」
団長は細い目をさらに細めて、頷く。
「お仲間の力はもちろんあるけれど、マキ自身が強くなったことや、頑張ったことが大きいはずだよ。」
私はなんだか照れ臭くて、そうかしらと首を傾ける。
「これでいつでも、リベリアに帰れるね。」
団長のその一言に、私は一気に現実に戻される。
「マキ、君のお父さんは、リベリアを離れてからずっと君を心配しているんだ。そしてグランディエが侵攻されたときも、すぐに全てのツテを使って劇団の活動場所を探してあてた。私のところに手紙を送って、マキを探すビラも配って…」
「分かってるわよ、ビラだって見たわ。」
これはいけない。感情に任せて、目上の人の話を遮ってしまった。けれど、私は素直になれない。
「情報だけで十万ルピーだなんて、馬鹿げているわ。私みたいな風瓏の民を抱えるハメになって、音楽の名家から不運な死者を出させない、そんな思いなんでしょう。」
私の卑屈な思いを聞いた団長は、眉尻を下げて、近くのテーブルに置いていた手帳から手紙を出した。それは、父から団長に宛てた手紙だった。
そこにはビラを作成して掲示を頼むこと。そして、こう書かれていた。
《かつて愛した、いや、今でも記憶の隅から離れないユノとの間に授かった、私の半身とも思える愛おしい娘だ。どうか、劇団経営の傍らでもいいので、メイカーディア捜索に力を貸してほしい。私が望むのは、彼女が彼女らしく幸せに生きることだ。》
それは久しぶりに目にする、整った字だった。父は譜面に記入する細かいメモも、几帳面な字をしている。
「そこに書かれている通りだよ。マキ、君の父のアドルフィトは、ずっと君を愛しているよ。」
私は返事に困ってしまった。父が私を娘として思ってくれていることは、本当は分かっている。手紙にしたためた願いも、偽りでないだろう。でも、やはり素直になれない。キーエール村で捜索のビラを見たときも、全く嬉しくなかった。
それならどうして、私を手放したの。私は、心から父と顔を合わせたくない。名前の分からない嫌悪感が混ざった複雑な思いに、私は眉をひそめる。
黙ったままの私に、団長は手紙をしまいながら言う。
「分かった。まだしばらくは、劇団にいるといい。君の無事は、私からアドルフィトに伝えておこう。」
団長のその言葉に、私は目を合わせて、しかし無言で頷いた。そして私は、一つ願いを言う。
「団長、明日の朝、旅の仲間たちと最後の約束があるの。でもそれが終わってからも、彼らはしばらくアリアレジスに滞在するわ。一度、公演に招待したいのだけれど、いいかしら?」
すると、団長は微笑んで頷いた。
「ああ、ぜひ招待しよう。いや、させて欲しい。マキを守ってくれた、お礼の代わりになると良いが。」
団長の返事に、私は父のことで絡まった感情が解れ、大きく頷く。最後に一つ、気になったことを尋ねる。
「団長、ここに案内してくれたジェイクと言う子はどうしたの?病気の弟さんがいると聞いたけれど。」
「ああ、アリアレジスへ巡業に来て最初の頃、この異邦郭に孤児でいたところを保護したんだ。もう半年くらいになるけれど、手癖の悪さが直らなくてね。」
それならばつい先ほどに覚えがあると伝えると、団長はやれやれとため息をついて言う。
「ご両親は軍人だったらしくてね、戦死してしまったようだ。アリアレジスは若い国なだけあって、まだ内政は弱いね。戦争による孤児の保護まで手が回っていない。噂に聞いていた以上だよ。」
それを聞き、私はソラの顔が真っ先に浮かんだ。軍人の子ですら、国で保護されないなんて。一体どこに、ソラが安心できる場所はあるのだろうか。私は明日以降の彼を憂い、悪いけれどジェイクどころで無い気持ちになってしまった。
「ジェイクの弟のリンジーは演技の才能がありそうだ。稽古も楽しんでいたし…。ジェイクは、楽器も演技も興味が無さそうでね、世話をされるだけの自分では肩身が狭いのか、街へ出てスリをして薬を買って、叱られてまた肩身を狭くし、の繰り返しだよ。」
私の頭は、ますますソラのことでいっぱいになった。人のために盗みを、という手段を選んでしまうところや、不器用で意固地なところがそっくりだ。
「そのリンジーという子の病気は、そんなに重いものなの?」
「いや、三ヶ月ほど前にアリアレジスで肺の病が流行ってね。随分、多くの人がメウィティカ医師の世話になって落ち着いたのだけれど…。リンジーは元々の体が弱いのか、落ち着いては何度もぶり返しているんだ。」
「そう…。病ばかりは、音楽で救えないものね。」
私たちはそこで会話を終え、週末に行う公演の券を四枚、団長から受け取った。会場は姫神教会本部の礼拝堂だ。数多くある礼拝堂の一室らしいが、かなり広く天井も高いため、充分に聴き応えのある部屋だと言う。しかし、大人数での演奏なんていつぶりだろう。
「久しぶりに吹く曲ばかりだけれど、大丈夫かしら。」
私が不安を口にすると、団長は穏やかな声で言う。
「大丈夫だよ。私が知っているマキは、度胸のある人間だ。旅を経て一回りも二回りも成長した姿を、楽しみにしているよ。」
団長に言われると自分が大きく成長した気がして、私たちは片方の手の平をパンっと合わせた。これは公演前に互いを勇気づける、ブロタールのささやかな儀式だ。
部屋を出ると、他の団員たちも次々と声をかけてくれた。積もる話はあるけれど、そろそろ夕飯の時間が近くなっている。それに、長い時間カイを待たせてしまっている。
アパートを出ようとする私を、みんなが見送ってくれた。たくさんの団員の陰にジェイクが見える。出会い立てのソラと同じ、大人を品定めする目を無言で向けていた。
「やあ、マキ。この騎士様はなかなか面白いねえ。騎士様って、もっと偉そうなもんだと思っていたよ。」
アパートを出ると、ジョージが楽しげな余韻を持って声をかけて来た。二人とも礼儀が身に着いているので、私を見ると壁から離れて姿勢をピンとした。きっと、先ほどまで壁に背をもたれて楽に話していたのだろう。
「へえ、どんな話をしていたの?」
私が問うと、ジョージとカイは首をひねって、互いを見た。
「まあ、そこは、なあ?男の話だよ。」
ジョージが私と目を合わさずに答えると、カイも小さく頷いた。
年頃の男性どうしの秘密話は、劇団の共同生活ではありがちだと、私も気づいている。共同生活で異性どうしの壁はそう厚く無いけれど、やはりどうしても生まれる区別はあるものだ。私も私で、同性だから話せることはある。
しかし、カイもそう言った秘密話に乗るというのは意外だった。なんとなく、剣や戦いの技術のことしか興味を持っていないと思っていたからだ。
ジョージに見送られ、私とカイは宿への道についた。この道を、今までの旅であれば【宿までの帰り道】と言ったけれど、もうそのように呼ぶことは無いのだと、ふと思ってしまった。
「劇団の皆さんとは、きちんと話せたかい?」
「団長とはしっかり話せたけれど、他の団員とは、まだ時間が足りなかったわ。そうそう、週末の公演に四人を招待できるようになったの。みんなとは、それが終わってからゆっくり話すつもりよ。」
私がそう答えると、カイはそう、と柔らかく返事をする。そして、次のことを尋ねてきた。
「劇団は、どのくらいアリアレジスに滞在するんだい?もっとも今は、グランディエに帰るのは難しいけれど…。」
「あっ。」
私は思わず声を上げて驚いた。父やソラのことに気を取られて、とても重要なことを聞きそびれていた。すると、そんな私のうっかりを察してか、カイは微笑んで何も言わずに歩いてくれた。
しばらく他愛もない話をしながら歩くと、噴水のある広場に差し掛かった。噴水には像が建てられており、それは姫神教の神話の一説を再現したものだった。世界を救うために旅をした姫神イヴと、その恋人であり護衛を務めた騎士ノクスの像だ。まだ新しいのか、石材の艶を感じる。
噴水の周りには恋人や家族連れが集まり、のんびりと会話を楽しんでいる。ここもやはり、様々な国や年齢の人が集まっている。
私は像の美しさに目を奪われて、像を見上げながら歩いてしまう。足元は、低いけれど段差が続いている。
「アリアレジスって、やっぱり不思議ね。区画が整理されていないと思えば、こんなに綺麗な広場もあるなんて。」
そのとき、つい段差を踏み外してしまった。さらにはその拍子に、恋人どうしで歩いている女性と肩をぶつけてしまう。私はふらついたところをカイに支えられる。
「す、すみません。」
私は慌てて謝る。
「いいえ、お気をつけて。」
女性は二十歳くらいだろうか。おめかしをしているのもあるが、恋人を横に、幸せな表情で言う彼女は美しく、つい私もドキッとしてしまった。
「マキ、大丈夫かい?」
「ええ、ありがとう。」
すると、カイが手の平を上にして、こちらへ差し出してきた。私は先ほどの女性にドキドキしたままなので、少し驚いて彼の目を見る。その目は優しく、そしてこう言った。
「どうぞ。これなら像を見ながら、段差を降りられるよ。」
それは騎士らしく、自然な所作だった。なんだか演劇の一幕のようで楽しく、私は少し気取ってその手を取った。
カイの手は剣を握って出来たタコでデコボコしていた。柔和な彼の雰囲気と似合わない、分厚い手だ。カイは人生のほとんどで、剣を握って生きて来たのだろう。
私はそんなことを考えながら、像を見て段差を降りた。ふと、カイが立ち止まる。
「どうしたの?カイ。」
「旅は終わるけれど、僕らこうして会えるかな。」
「そうね、五人バラバラの道に進んでも、どこかで繋がっていたいわね。」
「僕もそう思う。それと。」
カイはそう言うと、彼が握る私の手に、少し力がこもるのを感じた。
「グランディエへ帰ったら、連れて行きたい店があるんだ。料理はもちろん、チーズケーキが美味しい店なんだ。」
「えっ、行きたい。私、チーズケーキが甘いもののなかで一番好きなの。」
「じゃあ、約束しよう。」
「ええ、約束ね。ねえ、他にもケーキ好きで誘いたい団員がいるんだけど…」
「いや、二人で。僕は君を連れて行きたいんだ。」
話を遮るほどのカイの口調に、私は目を丸くして驚いた。騎士らしい優雅な柔らかさのなかに、私が知らない青年の、潔い一面が現れた。心なしか顔が熱くなる。その熱さを知られたくなくて、思わず目を逸らしてしまった。
「返事は、グランディエに帰ってからでもいいよ。」
カイは、あくまでも柔らかい表情は崩さない。
「ううん、ちょっと驚いたけれど、ええ、ぜひ。」
私は少しまごつきながらも、きちんと彼の目を見て答えた。カイは一層、優しげな顔で頷いた。
広場は人通りが多かった。もう段差は無いので、カイは私の手を離したけれど、横につき、人とぶつからないように気を遣って、歩幅を合わせて歩いてくれた。
私はまだ顔が熱い。今なら何か、これまでに無い感情の曲が生まれそうだ。




