旅人は海路を進む《ソラ》
《ソラ》
船は波に揺れ、心地よいさざなみの音が聞こえる。俺にはそんな記憶がないが、揺りかごと言うものがあるとしたら、こんな感じだろうかと、その優しい揺れに身を委ねた。
〈おい、のん気に旅してんじゃねえぞ。〉
夢の中、俺の内側の泉に、あの憎らしい結晶が浮かんでいる。船は揺れているのに、俺の内側の泉は何も波立たない。
「うるせえな。せっかくの船旅に水を差すなよ。」
俺は恨めしく、黒い結晶を見る。
〈まあ、大きなトール大陸を、よく旅したもんだ。〉
「へえ、お前も俺のことを褒めるんだな。」
〈それよりも良かったな。〉
「何がだい?」
〈あの騎士も、俺たち側だったな。〉
ネグルのその一言に、俺は一気に機嫌を悪くする。
「お前、本当に性格が悪いな。」
〈ありがとうよ。〉
「そろそろ、本気でお前を割ってやりたいぜ。」
〈まあまあ、この【内側】では、平和に対話しようぜ。〉
「煽ってんのはお前だろ。」
ネグルはあざ笑うように煌めいた。
〈人間ってのは愚かだな。わざわざ制度を作って、上中下だなんて自分たちを縛っていたなんてな。〉
「それについては同感だぜ。でもそこから這い上がったカイは、ルークにも言ったけどすげえヤツだ。」
〈ああ、浮浪児のお前からしたら、眩しいだろう?〉
俺はネグルのその言葉から、新しい感覚を得た。他人が眩しい。確かに旅の道を進むなかで、四人が人として、俺よりもずっと優れているように感じている。実際、戦闘で俺は彼らに頼りっきりだ。
〈そんなヤツらといると、自分がちっぽけに見えないかい?劣ってみえないかい?醜くみえないかい?〉
「勝手に言ってろ。しょせん俺は、形代の浮浪児だ。」
〈いいね。そういう言葉を待っていたよ。〉
「何だと?」
〈俺たちは日陰で生きてきた、世間の爪弾き者だったじゃねえか。それを思い出してくれて良かったよ。〉
それを言われて、俺は途端に弱気になった。世界最大のトール大陸を北上し、文字や魔道を学んでも、俺はどこまでも俺でしか無い気がしてしまう。
〈お前、本当に太陽物語を探すのかい?〉
「…前も言ったし、レシオでもあいつらに探すって言っただろ。」
〈お前を思って言ってやる。太陽物語は、お前の孤独を癒やしてはくれないぜ。そして真実は、酷いものだぜ。〉
「お前は本当に、俺の敵なんだな。お前の言葉全部が憎たらしくて仕方ねえ。」
〈核心をついちゃうからだろ?〉
ネグルはまた、あざ笑うように、さらに何度も煌めいた。
「いつか、全身全霊を込めてお前をカチ割ってやる。」
〈できるといいな。待ってるぜ。〉
さざなみのなかに、俺を起こすマキの声が聞こえた。俺は、不思議と頑なさを増した孤独感とともに、目を覚ました。
「ドレスレア大陸は、港町ドークが玄関口だね。」
何人もの客で賑わう客室の片隅で、俺たちは地図を眺めて、カイが言う。客室と言っても一番安い部屋なので、いわゆる雑魚寝部屋。自分たちの寝床を確保して、男女問わず横になって眠る部屋だ。俺たちは運良く部屋の隅を確保できたので、交代で壁に寄りかかりながら話す。
「それじゃあ、ドークからアリアレジス城下町までは歩くのかい?」
俺が問うと、カイは地図を指差す。
「アリアレジスはここ。大陸の内陸にあるだろう。元々アリアレジスは、もっと北にあるイルニアから独立した国だから、こんなに内陸にあるんだ。ドークで馬車を拾えると楽なんだけど。」
カイが丁寧に指差して説明する。
「これは余談だけれど、今の時代、貿易は国の発展に欠かせない。昔、アリアレジスは南下して、港町ドークを含む小国や大国を侵略して、貿易も武器輸入もやりやすいようにしたんだ。」
その説明に、学の無い俺でも頷く。確かに港町を抑えるのは、戦争においても国の発展においても欠かせないのだろう。
しかし、改めて地図を見ると、アリアレジスの国土の広さに驚く。元々独立した国で、多くの国を侵略したとなると、いったいどれほどの戦争をしたのだろう。そして、それによって、いくつの国の名が地図から失われたのだろう。
俺はグランディエで浮浪児として暮らしていた頃、奪う側に憧れていた。そして、ジジイ先生の話を聞き、アリアレジスを偉大な国のように考えていた。果たして、実際はどんな国なんだろうか。
そのとき俺は、ふと地図上の空白に気づく。それはアリアレジスの領土と隣接しながら、大陸の一部だと言うのに国名が書かれていない。俺は興味深く、聞いてみることにした。
「なあ、この真っ白いのはなんだい?」
俺は指を指して聞くが、四人は説明をためらう様子を見せた。互いの顔を見て、一番説明が淀みなくできそうなユフィが話す。
「その空白は、草木が生えない呪われた大地だ。」
「呪われた…?」
「ここには元々、オディオという国があった。ドレスレア大陸でも歴史が古く、強大な軍事力を持った侵略国だった。アリアレジスにとっては宿敵だった。」
そう言われてもう一度地図を見ると、その空白は広かった。オディオが大国であったことが分かる。俺は聞く。
「でも、どうしてそんな国が無くなっちまったんだい?」
「ソクアヴェスタの魔道だといわれている。」
俺はユフィの口から意外な名前が出て、驚いて聞く。
「なんで、いきなりソクアヴェスタが?」
「オディオは世界一と言われるほどの海軍を擁していたと言う。百年続くヴァルクシェンナとソクアヴェスタの精霊戦争に、第三の国として名乗りを上げたんだ。」
ユフィの説明に、そんな国があったのかと驚いていると、カイが説明を加える。
「その百年のうちに、最後の三十年はソクアヴェスタが世界に対して、宣戦布告をした話は知っているね?それによって、自然災害が増えて、希望教徒が一般人を襲撃をする事態になって…。オディオ以外にも、戦争にうんざりする国は多かったんだ。」
「なるほど、だったら自分たちで精霊戦争にケリを着けようってワケだな。オディオって国、やるじゃねえか。」
俺は感心し、見知らぬオディオにかなりの興味を持つ。
「しかし、オディオは一夜にして跡形も無くなった。」
ユフィは短く言い切った。それは何か教科書のような、他人事のような、そして信じがたいことだった。俺は前のめり気味に問う。
「ソクアヴェスタの魔道で?一夜で?」
「詳細は誰も分からない。いかんせん、生き残りがいないから記録が乏しい。しかし、隣接するアリアレジスの調査によれば、非常に強力な魔道によるものだと言う。」
ユフィは淡々と説明する。そして、続ける。
「大国が一夜にして無くなるほどの魔道。もうお前も見当がついているだろう。」
「殉教の教え…。」
俺が答えると、ユフィが頷いて言う。
「オディオが一夜にして滅ぼされてから二十年近く経つが、草一本生えない荒野のままだと言う。」
「だから、アリアレジスも他の国も、放置したままなのか。」
俺は改めて地図の空白を見る。精霊戦争終結から十一年、まだまだ戦争の爪痕を目の当たりにすることになりそうだ。
そのとき、客室の賑わいを止めるほどの大きな音がして、俺たちは周囲を見る。どうやら、音は甲板からしたようだ。怒鳴り声まで聞こえて来て、嫌な予感しかしない。俺は立ち上がる。
「待て。面倒ごとに巻き込まれたらどうする。」
ユフィが冷静に制する。
「あの殉教の魔道士たちが、何かをしでかしているかもしれねえ。ハシゴから覗くだけだよ。」
そう言って、俺は波で揺れる船の、座っている客の間をすり抜けてハシゴへたどり着く。ハシゴへ手をかけると、四人も追って来てくれていることに気づいた。俺は心強く、ハシゴを握る手に力を入れて、登って行った。
「ゆ、指が、指が…っ。」
甲板に頭を出して、苦悶の声のする方へ目を向けると、十本の指を切り落とされた男が膝をついていた。その横には三人ほどの男が横たわり、うなされている様子だった。
「お前、セーラっ。」
俺はその名を呼び、甲板に飛び出した。それを聞き、あとの四人も急いで甲板に出て来た。カスガは指を落とされた男へ駆け寄る。
「あら、ソラさん。お久しぶりですね。」
セーラはいつも通り、微笑んで優雅に礼をする。
「そちらはセオドアだね。」
カイが剣に手を添えながら言うと、クルエルで戦ったセオドアが立っていた。黒い装束に身を包み、化粧を施し、すっかり殉教の魔道士という様相だ。ただ、目の下のクマは一段と濃くなっていた。
「え?ああ…確か、クルエルで…、誰だっけ?」
セオドアはフラリと俺たちへ顔を向けるが、その目は焦点が合わず、起きているのに夢の中にいるようだった。
「船の上でまで悪さかよ?」
俺はナイフに手を添えながら問う。すると、セーラの横にいた、彼女よりも小柄な、しかし恰幅の良い魔道士が答える。
「はっ、悪さだなんてとんでもない。そいつらが酔っ払ってセーラさんに手を出して来たから、お守りしただけだ。」
「守るにしても、限度があるじゃろう。」
カスガは男の指の応急処置をしながら、叱りつけるように言う。
「いいから、早くこいつらを悪夢から醒ませよ。おい、聞いてるのかよ、セオドア。」
俺はセオドアに向かって大声で言う。しかし、彼はフラフラと足元も不確かに、ブツブツと何かを呟くだけだ。
「相変わらず、チビのくせに態度だけはでかいな。青いの。」
「なんだと?」
俺は恰幅の良い魔道士の一言に、過剰に反応してしまう。それは久しぶりに言われた言葉だった。青いの。俺たち形代を、蔑視する言葉だ。
「俺のことは覚えているか?青いの。」
恰幅の良い魔道士は、深く被ったフードを外す。それは化粧をしながらも、見覚えのある顔だった。
「てめえ…、グランディエのデブっ。」
俺は、その顎が二重になった、憎らしい顔を覚えている。孤児のくせに太った、俺を何かと馬鹿にしてきたヤツだ。俺はコインを貯めた瓶を奪われたことを思い出し、にわかに怒りが湧き上がる。
「相変わらず口が悪いな。俺はテッドって名前があるんだ。改めてよろしくな。」
テッドは軽く顎を上げて、見下すような目を向けてきた。俺は敵意を返す。
「けっ、よろしくなんかするかよ。殉教の魔道士なんかに成り下がりやがって。」
「なんとでも言えよ。俺はもうただの孤児じゃない。ブランジェの侵攻で希望教に出会い、セーラさんとも出会えた。どうやら、俺は魔道の才能に恵まれていたらしいぜ。」
そう言ってテッドは、袖をまくり刺々しい刺青を見せてきた。
「信仰に口を出すつもりは無いが、殉教の教えは安易に手を出すべき魔道では無い。そっちのセオドアのように、代償によって闇へ呑まれるぞ。」
ユフィがセオドアを指差し、釘を刺すように言う。そう、セオドアは人に悪夢を見せる代わりに、自分も悪夢に呑み込まれてしまったのだ。
「ご心配どうも。でもよ、仲間を悪く言うつもりは無いけど、セオドアさんも青いのだろ?そのぶん魔力が強くなって、そのせいで悪夢に呑まれた。俺は孤児として得た勘を使って、賢く生きるさ。」
俺はテッドの一言一言に腹が立つ。それは形代への差別感情が強く感じられるのもあるが、かつて力を手にしたつもりになっていた自分と重なる部分を感じてしまうからだ。
「いけませんよ、テッドさん。仲間を貶す言い方は。」
セーラはやんわりとだが、テッドを制す。言われたテッドは軽く笑って素直に謝るが、そこには下心を感じた。
「先ほどテッドさんが申したように、私たちからは手を出しません。そう、アルデールのときのように。」
セーラは上品な口調だが、ここでアルデールを出して来るのは、意地の悪さを感じた。
「みなさんも私たちに敵対感情や否定的な意見はお有りでしょうけど、ここは逃げ場も無い船上。互いに境界線を引き、関わらないでいるのが一番賢いと思いませんか?」
セーラの言葉に、セオドア以外の殉教の魔道士は小さく頷く。俺たちは、敵対感情、否定的、と言う言葉を特に訂正しなかった。
「同意だね。他の船員やお客さんの迷惑になるわけにはいかない。」
カイはそう言って、敵意が無いと言わんばかりに右手を剣から離した。
「でもよ、誰かを傷つけることがあったら、俺は黙っちゃいねえぜ。」
俺はナイフから手を離さず、敵意を込めて六人の魔道士を見た。
「一つだけ確認したい。」
ユフィも警戒を解かずに聞く。
「セーラ=ケルペア。先日のジオリダムの騒動は当然、耳にしているな?暴走した魔道士は、全員お前によって植物状態となった者たちだったと言う。理由はなんだ?」
俺たち五人に緊張感が漂う。そして、悲鳴と破壊の音や、死体の山を思い出し、セーラの答えを待ち構える。
「…絶望したからです。」
セーラは呟いた。そして口元は微笑みながら、目を伏せた。俺たちは、その銀色の目が暗くなるのを、初めて見た。しかし、すぐにいつもの余裕たっぷりの表情に戻って言う。
「私、ハーフエクラでして。」
俺たちは驚いた。特にユフィは、その切れ長の目を丸くしていた。あまりにも日常会話のような温度感で、セーラは続ける。
「耳が尖っておりましたから、魔道に優れたエクラの父の元、英才教育といいますか、何不自由なく育ちました。天才少女だなんて呼ばれましたし、私は、自分が弱い立場にあると感じたことがありませんでした。」
淀みなく話すセーラが、ここで一瞬目を伏せて、また話に戻る。
「ですが、女性に生まれた以上、私は弱い立場に過ぎませんでした。私は実の父から…、ふふ、ここはご想像にお任せします。」
セーラは表情を変えず、むしろ少しイタズラっぽい微笑みを浮かべて言った。しかし、俺たちを含め、テッドですら、その顔に嫌悪感を浮かべていた。特にマキの顔は哀れみを混ぜて、一層歪んでいた。
「そんなとき、希望教と殉教の教えに出会いまして。この力であれば、どんなに汚れた私でも、この身を犠牲にすることで、美しい世界を作る一助になると思いました。」
セーラは何の迷いも無く話す。
「汚れたなんて…、あなたは被害者でしょう?」
マキは、思わず口にしたようだった。正義感の強い彼女は、止められなかったのだろう。しかし、セーラは微笑みのまま言う。
「同じ立場になれば、分かりますよ。」
そう返されたマキは、何も言えずに俯いた。
「お前の立場には同情する。しかし、それはそれだ。なぜ、多くの魔道士を暴走させた?」
ユフィも本音では、もっと哀れみの思いを抱いているはずだ。俺は旅のなかで、彼の人間らしい部分に触れてきたから分かる。しかし、ユフィは生まれた国をめちゃくちゃにしたセーラに、割り切って問いただした。
「復讐です。」
セーラの答えは、あまりにも明快だった。
「最初に植物状態にしたのは、実の父でした。それから私は、自分を汚そうとする、あらゆる男性の心を止めました。汚れた心を持つ男性に、自ら近づくこともありましたが。」
セーラの微笑みは、そして語り口は一切曇らない。
「ジオリダムは、歪んだ国だと思いませんでしたか?魔道の力で急成長して、いざ戦争となると、成長に貢献したエクラたちを真っ先に犠牲にする。私は女としても、ハーフエクラとしても、国に復讐したかったのです。」
俺は微笑みに隠された、その強い、黒い感情に震えた。そして理解が出来なかった。いや、その深い闇に踏み込むのをためらった。俺たち五人ともそんな様子で、しかし、カイが切り込んだ。
「そのために、多くの一般市民が犠牲になったことはどう思うんだ?」
「お気の毒でしたね。」
セーラの短い答えに、俺たちは思わず、短く声を上げるか、息を飲むかして、あ然とした。カスガが問う。
「なぜ、そんなに他人事なんじゃ?」
「他人ですもの。」
今度は言葉も息も飲むことなく、ただただあ然とした。何もかもが信じられない。テッドも俺と同じ表情をしているし、顔は見えないが、セオドアを除く他の魔道士も、同じ反応をしているように見えた。
「ですが、ジオリダムには逃げ道を与えていたのですよ?魔道士の暴走の合図は、ジオリダムに建国当時から伝わる戦勝祈願の行進曲でした。戦争に踏み切らなければ、世界を美しい形に保つのであれば、あんな暴走は起きませんでしたのに。」
その説明に、俺は悔しいが、少し共感してしまった。ジオリダムが侵攻を選択したことで、犠牲となる者がいるからだ。
それと同時に、俺は感じた。彼女は心が壊れてしまっている。魔道に呑み込まれたセオドアとも違い、もっと奥底から壊れてしまっている。
「全く共感できないし、同情も潰えた。やはり、俺たちは互いに関わらない方がいい。と言うよりも、関わりたくない。」
ユフィが嫌悪感を込めて言う。しかし、そんな感情をお構いなしにセーラが問う。
「ユフィさん、あなたのご家族はご無事でしたか?」
「答えない。」
ユフィの拒絶に、セーラはふふっと笑って言う。
「私は、自分の絶望と好奇心に従い、復讐をしただけです。それはとても個人的な感情です。嫌悪していただいて、結構ですよ。」
「…セーラ、最後に一つ聞きたいんだけどよ。」
俺は問いかける。四人の心配気な視線を感じる。
「あれだけの人数を植物状態にして、暴走させるなんて、あんたは何を代償にしたんだい?」
セーラは上品に小首をかしげて答えた。
「寿命です。」
そうか、と言って、俺たちは客室へ戻った。
俺たちは客室で夕飯をとった。船の上なので、保存食のような味気ないものだ。しかし、味わえないのはそのせいではない。後味の悪さが、ずっと尾を引いているのだ。
夕飯のあと、カスガはあちこちを行き来した。船酔いで体調を崩す者が多く、メウィティカ人の彼を、船員が頼ったのだ。カスガは喜んで、薬草やツボ押しで対応し、人々から感謝されていた。
そして、俺たちは驚く光景を見た。なんと殉教の魔道士の周囲に、十人ほどの人が集まっているのだ。魔道士たちは本を開き、何かを説明しているように見える。十人ほどの聴衆は、熱心に頷きながら、耳を傾けている。
「なあ、あれって…。」
「希望教の教えを伝えているように見えるわ。」
俺の小声の問いに、マキも小声で答える。
「あんな様子、精霊戦争終結以降、見たことが無い。」
「僕もだよ。」
ユフィとカイも、目を見張るようにして呟いた。
「たとえ信仰をしていても、あんなに表立って布教することも、教えを聞くことも無かったのに…。」
カイは言った。
「これは、ドレスレア大陸が近づいているからかい?」
俺は疑問を口にすると、ユフィが答える。
「分からない。少なくとも、俺たちが訪れた国の多くは、希望教を信仰していても日陰者の扱いを受けていたはずだ。アルデールやクルエルなどは別として。土地柄の問題なのか…、それとも…。」
「時代に変化が起きているか、だね。」
カイが小声で言う。
そうしていると、テッドがギロリと睨んできたので、俺たちは話をやめた。
船旅は順調であれば、一週間ほどだと言う。俺とユフィは、彼の提案で甲板に出た。俺は問う。
「何かあるのかい?」
「船だからこその学びがある。いい機会だ。」
「学び?魔道かい?」
「俺たち森羅魔道士は、どこにいても、どんなときも学びがある。」
それを言われて、俺はピンと来た。
「海の精霊かっ。」
俺の言葉に、ユフィが頷く。
「俺はジオリダムからグランディエへの留学の際、船上ですでに出会っている。」
「港町とかじゃダメなのかい?」
「精霊の質が違う。港町で人の癖を知っている精霊よりも、海原で悠々と育った精霊のほうが純粋だ。」
それを聞き、精霊だと言うのに、ますます人間味を感じてしまう。火の精霊との相性が頭をよぎったが、俺は海への好奇心のほうが勝った。
俺は船の舷墻に手を置き、海に耳を傾けた。穏やかな波の音が心地良い。やがて、波の合間に穏やかな、老人のような声が聞こえてきた。
〈何か用かな?〉
「俺はソラ。森羅魔道の勉強をしているんだ。力を貸してほしい。」
〈どれどれ…。〉
すると、大きな波が立ち、俺はモロに海水を被ってしまった。
「しょっぺえっ。」
〈ふふふ…、人生はこれよりも塩辛いぞ。〉
「へへっ、面白いこと言うなぁ。」
〈いいぞ、力を貸そう。〉
「…え?」
〈力を貸そうと言ったのだ。〉
「え?こんなに呆気なく?いいのかい?」
〈ああ、お前の持つ宿命が興味深い。〉
「宿命…。」
俺は、銀の糸の記憶で言われていた、その言葉を思い出した。悲しい記憶を見る、俺の生まれ持った運命。
「そんなに面白いものじゃねえぜ?」
〈いや、よくぞ私を見つけてくれた。お前の宿命を、私も共に見よう。〉
海の精霊はそう言うと、俺のなかに宿った。俺はなんだか拍子抜けしてしまい、ユフィを見る。
「面白くないな。」
ユフィが腕を組みながら、眉をひそめて言う。
「お前の成長を見るのは、面白くて面白くない。」
「どういうことだい?」
俺が問うと、ユフィはため息をついて言う。
「召喚獣といい、精霊といい…。お前も努力をしているのは分かるが、たまに面白くない。」
ユフィの俯いた表情を見て、俺はピンと来た。
「なんだい?ユフィってば、俺に嫉妬してるのかい?」
俺はユフィの顔を覗き込んで聞くが、ユフィはふん、と言って客室へ降りて行った。
船旅は順調で、互いに境界を意識して、殉教の魔道士たちと衝突することもなく、港町ドークへ到着した。
俺は生まれて初めて海を越え、新たな大陸へ渡ったので、船から降りる一歩は、なんだか特別なものに感じた。
ドークを見渡すと、レシオのような城下町ほどでは無いが、遠くに住宅街、そして広い市場が見られた。しかし、様々の国や職業の人が行き交い、これまで訪れた国と違う賑やかさがあった。
アリアレジスの城下町までは、歩きだとかなり日数がかかるらしい。しかし、そこはさすが発展した大国。ドークからアリアレジス城下町へ向かう馬車が、旅人たちを待ち構えていると言う。
「すげえ、便利だな。」
「まあ、これが大国として、周囲を侵略した強みだな。」
俺がただ感心して言ったことに、ユフィが呟く。ユフィも意地悪く言ったわけでは無いのだろうが、レシオでもあらわにしていたように、本音ではアリアレジスに対する疑念があるように、俺は感じた。
カイとマキが交渉して、旅馬車をおさえてくれた。カイがレシオで稼いでくれたぶん、速さが売りの馬車を確保できたようだ。
五人で馬車に近づく。しかし。
そのとき俺は、急に馬と、それを操る御者が憎らしくなった。馬車に乗りたくない強い気持ちが、一気に湧き上がる。馬車までの一歩が重い。
この馬車に乗って、アリアレジス城下町へたどり着くと、旅が終わる。終わってしまうのだ。五人での旅が終わってしまう。
そうか、これが寂しいという気持ちだと、俺は初めて自覚した。何かを失って悲しみを感じたり、奪われて怒りを感じたりしたことはあるが、この胸元を風が通るような、空っぽの感覚は初めてだ。
四人はいつもと変わらない様子で、馬車に荷物を積む手伝いをしている。俺だけが子どもで、こんな気持ちに襲われているのだろうか。それもまた、寂しい。
そのとき、すぐ近くで揉める声がした。嫌な予感がしてそちらを見ると、セーラたち殉教の魔道士を相手に、普通の装いの旅人が声を荒げていた。
俺たちは馬車の陰から、その様子を見る。
「気味悪いな、なんでそんな格好でお天道様の下を歩いているんだ。」
「殉教の魔道士だっけ?お前らがアリアレジスに行くなんて、あの街がますます混沌とする。」
ますます混沌?俺は、その言葉が意外で、気になってしまう。
旅人たちに対し、テッドは反発しようとした。それを、セーラが片手で制して言う。
「失礼ですが、姫神教会が定めた国際法はご存知ですか?それでは、我々希望教徒への差別は禁止されておりますが。」
「なんだ?希望教徒のくせに、姫神教会の法を盾にするのかい?」
上手く揚げ足を取ったつもりの旅人がニヤける。
「ええ、まあ、仕方ありませんよね。国際法ですから。国境を跨いで旅をする以上、従わねばなりませんよね。」
セーラはあっさりと言う。旅人たちは気に食わない様子で、なおも口撃する。
「き、希望教徒はとにかく、殉教の魔道士ってのが不気味なんだよ。アリアレジスに立ち入るな。」
「殉教の教えは禁じられていません。私たちが使用しているものはですが。」
俺は、セーラのその物言いが引っかかった。私たちは、と言うことは、誰かは使っているのだろうか。
「法が禁止しておりませんし、私たちも法を犯しておりません。なぜ、あなたたちが躍起になるのです?」
セーラはなんの悪意も敵意もなく、ただ淡々と説明しただけだった。完全に言い負かされた旅人たちは悪態をついて立ち去り、セーラたちは馬車を探し始めた。周囲の人々は関わりたくない様子で、俺たちを含め、何も言わずに旅立ちの準備をした。
俺は込み上げた寂しさをうやむやにされ、モヤモヤした気持ちで出発した馬車に揺られた。そして、気になったことを聞くことにした。
「なあ、さっきの旅人たちが言った、アリアレジスが混沌としているってどう言うことだい?」
四人は互いの顔を見て、珍しくカスガが説明してくれた。
「ジオリダムで、ユフィが話してくれたことは覚えとるか?アリアレジスにゃ、様々な人種や国の者が集まっとるって。」
俺はグランディエのジジイ先生の話も思い出しながら頷いた。
「ワシの兄が移住して、アリアレジスに暮らしておるんじゃがな、やはり異国から来た者どうし、揉め事は珍しいことじゃないらしい。」
俺は驚いた。アリアレジスの実情もそうだが…。
「カスガ、お兄さんがいたの?」
マキが驚いて聞く。カイとユフィも目を丸くしていた。
「おう、言うとらんかったっけ?」
軽く言うカスガに対し、四人で、無い、と答える。まさか、旅が終わろうとしているときに新しい事実を知るとは。うやむやになっていた寂しさが、またも込み上げてきてしまった。
「で、アニ様が言うにはの、アニ様は医師をしておるんじゃが、国や宗教問わず、何らかの事情で喧嘩して怪我する者が後を絶たんらしい。」
「カスガのお兄さんの名前はアニさん?」
カイが、妙にズレた質問をする。
「いや、兄上のことを、そう呼んでおる。アニ様の名はトキヤじゃ。」
「そう言う丁寧な呼び方、メウィティカの文化なのか、お前がいいところの坊ちゃんなのか、結局どっちなんだ?」
ユフィが好奇心で突っ込むと、カスガは頭を掻いて答える。
「…どっちもじゃと思うてくれて良いよ。」
結局、カスガの正体が分からないまま、俺たちは旅の終着地点に着くことになりそうだ。
「アリアレジスはイルニアからの移民が作った国じゃ。そこには先住民もおった。じゃからこそ、何者も受け入れて、それぞれの知識を合わせてアリアレジスは成長した。ワシのように、共通語に訛りのある人間を、お前たちが受け入れてくれたようにの。」
カスガはそう言って、いつもの気さくな笑顔を向けた。
「なるほどな、あらゆる文化や歴史、宗教を背景に持つ者たちが集まって暮らしているぶん、スレ違いも生じるということか。」
ユフィが端的にまとめる。
「じゃあ、その辺りに気をつけないと…って。」
言いかけて、俺は止まる。気をつけるとして、そのときは五人でいるわけでは無い。そのときの沈黙を、五人は共有した。旅の終わりがこんなにも寂しいものなのかと、馬車が進むごとに実感は深まる。
馬車に乗ったまま、何度か朝と夜を繰り返し、それは見えた。
「アリアレジスだ。」
カイが指を差す。それは外壁も立派で、しかし無骨な、一つの岩山のような都だった。朝日が、草原とアリアレジスを照らす。
別れの都が、近づいて行く。




