レシオ、戦士たちの誓い《ソラ》
《ソラ》
滞在三日目の朝ごはんは、カイの提案で外で食べることにした。またあの美味いホットサンドを買ったが、カイに言われ、近くの広場で食べる。広場とは言え、建物の外観同様に整備されているわけではなく、花壇などがあるわけでは無い。
カイは淡々と、俺が銀の糸の記憶で見て伝えた内容を、他の三人にも伝えた。俺はカイのその選択に驚き、三人も反応に戸惑っている様子だ。
「…なぜ、俺たちに父親のことを?」
ユフィが俺と同じ疑問を口にした。カイは言い方を少し選んだあとに説明する。
「今、姫神教会は世界の中心にある。精霊戦争でヴァルクシェンナが勝って以来ね。僕はこれまで、特別信仰はして来なかったけれど、疑問を抱くこともなかった。でも、それがこの旅で揺らいでいるんだ。」
カイの言葉に俺も頷く。三人は俯いて何かを考えている様子だ。カイは続ける。
「ついには、ソラが残された記憶を明かしてくれた。まさかヴァルクシェンナへ連れられていたなんて…。僕たちが知らない、姫神教会の姿が多くある気がしたんだ。」
「確かに、俺も同感だ。ブライト先生は、姫神教会によって、秘密を明かせない呪いをかけられていた。ヴァルクシェンナ勝利の裏に、何か表に出せない工作があるように考えている。」
ユフィは力強く言い切った。
「でも、ソクアヴェスタは世界に宣戦布告をして、多くの国を侵攻したわよね。希望教徒が一般人を襲ったり、自然災害を起こしたりしていたのも事実よね。…何を信じればいいのかしら。」
マキは食べ終わったホットサンドの包みを畳んで、力無く言う。
「わしゃ、恥ずかしながら世間知らずでのう。じゃが、ソクアヴェスタによる自然災害は、メウィティカも相当な打撃を受けた。うーん、じゃが、カイの話を聞く限り、どちらも勝つために、なり振り構っておらんかったように感じて…。結論は出んのう。」
カスガは頭を掻いて、優柔不断に首をひねる。
「ブライトは言ってたよな。精霊戦争は終わってないって。」
俺が言うと、マキとカスガは驚く。ユフィは頷き、カイも同意して言う。
「僕も、そう感じた。ブランジェの脅威的な侵攻の速さ、ヴェーゼンからよく目にするようになった殉教の魔道士。精霊戦争がまた始まるんじゃないかという予感がした。でも、実際は終わってなかっただけなのかもしれない。」
マキとカスガは俯く。それは深く考える表情で、これまでの旅を振り返り、頭を整理しているように見えた。
「…確かに、今考えりゃ、精霊戦争の終結、ヴァルクシェンナの勝利、しかしソクアヴェスタ含む両国とも滅亡じゃなんて、姫神教会の一方的な発表を受け取っただけじゃしのう。」
カスガが一息ついて言った。
「僕がソラに教えてもらった父のことを伝えたのは、これから何が世界に起きるか分からないと思ったからなんだ。」
カイの言葉に、マキが不安気な目を向ける。カイはさらに続ける。
「希望教が勢いを増していること、謎の多い姫神教。僕たちはいずれ、自分たちの立場を決めるときが来るかもしれない。」
「どっちの宗教につくかってことか?」
俺が問うと、カイは頷いて言う。
「そのときに、決めるのはそれぞれの判断だ。けれど、僕の父のような人がいたことも、知っておいてほしかったんだ。」
出勤の挨拶や井戸端で洗濯をする主婦の話し声で賑わう街だが、俺たち五人には沈黙が漂う。何かを決めようと言うわけでも、否定しようと言うわけでも無い。ただ、新たな事実が明確に示され、それも一つの家族の運命を変えた大きな事実であることに、自分に問いかける言葉が見つからないのだ。
「ソラは、どうするの?」
マキが沈黙を、優しい声色で破った。
「アリアレジスの姫神教会本部を目指しているのよね?なんだか今の流れを考えると、それで本当にいいのかしら。」
マキがその紫の瞳を曇らせて言う。俺以外の三人は返答を見つけられず、悩む様子を見せた。
「…太陽物語。」
俺は呟く。四人の視線が、俺に向いたのが分かる。
「ソロが教えてくれた太陽物語。それに真実が書いてあるって言ってたよな。」
俺は、エルコトルの定食屋でソロと交わした会話を思い出す。
「その真実に、近づく覚悟はあるか?」
「真実?」
俺が問い返すと、ソロは他の四人の顔を一べつして言った。
「世界を変えてしまうほどの、真実だ。」
「それは、姫神教と希望教のことかい?」
俺が踏み入るように問うと、ソロはゆっくりとまばたきをして言う。
「おそらく。」
「俺は、ちゃんと知ったうえで、自分の生き方を決めたい。」
「しかし、存在するのかも分からないものだろう。」
俺の言葉に、ユフィが意見する。さらに続ける。
「それに、彼らを悪く言いたくないが、ソロとオルハは日陰に生きている者だ。あんなにも強力な傭兵たちに狙われ、戦う日々に生きている。」
「その二人が関わるものだから、危険だって言うのか?」
俺が問うと、ユフィは頷き言う。
「関わらないほうがいい。」
俺は口を尖らせて言い返す。
「でもよ、ソロがメモをくれたように、アリアレジスの皇王だって関わってるんだぜ。太陽物語が眉唾だとは思えねえよ。」
「アリアレジスは建国以来、周囲の国を侵略して成長した国だ。今は皇王が代わり、戦争は少し落ち着いていると聞くが。だが、俺はアリアレジスだって、大国と言うだけで本質は野蛮な国だと思っている。その国に信憑性など…」
「なんだよ、ユフィ。ユフィはそこで生きていくって言ってたじゃねえか。」
「それは話題が変わるな。」
俺は気づいたら冷静さを失い、立ち上がってしまっていた。
「ちょっと二人とも、落ち着いてよ。」
隣に座るマキが、俺の背中に手を添える。
「俺は落ち着いている。」
ユフィはそう言って腕を組み、足を組んだ。しかし、地面に着いているほうの足は忙しなく貧乏ゆすりをしている。
「まあ、ソラ。ユフィはね、君を心配してくれているんだよ。」
カイが穏やかな声で、俺たちを制する。カスガは困り顔で、俺たちを交互に見ていた。
「私は、ソラの意見を尊重するべきだと思うわ。」
マキが俺の服を引っ張り、座らせながら言う。
「何だかんだ言っても、私たちは所属する団体も、帰る家もあるわ。ユフィも新しくお世話になる方がいらっしゃるでしょう?でも、ソラにはそれが無いわ。」
マキは先ほどまでの不安気な表情から一転、力強い眼差しで話す。
「それであれば、ソラがアリアレジスに着いてから誰を頼るか、どう生きるか、決めるのは彼自身じゃない?もちろん、悪事に手を染めてはいけないけれど。」
カスガは納得した顔で頷く。ユフィは、少し迫力のあるマキに負けじと反論する。
「しかし、たかだか十三の子どもがどうしようって言うんだ。」
「それはアリアレジスの大人が考えなくてはいけないことよ。そもそも、グランディエでは外で暮らしていたこと自体おかしいのよ。ソラは独り立ちするまで、どこかで保護されなくてはいけない。なんなら、アリアレジス皇王がその面倒を見てもいいと思うわ。」
最後のほうは少し大げさなくらいの考えを、淀みなく言うマキに、ユフィはたじろぐ。グランディエのことを言われ、思わぬ飛び火がきたカイは少し小さく見える。
「私は劇団ブロタールで、しばらくアリアレジスに滞在するわ。その間、ずっとは無理だけれどソラがきちんと保護されるまでを見守る。決めたわ。」
マキは腕を組み、力強く宣言する。
「こう言うとき、女性は強いのう。」
カスガが感心して言う。
「違うわ。ソラはもう、私の大切な友人だからよ。」
そう言って、マキは微笑む。
「…って、私は勝手に決めちゃったけれど、ソラはどうしたい?」
マキの言葉に、俺は頭を掻いて考える。そして、少しずつ話す。
「正直よ、分からないことばかりで決めきれねえ。今となっちゃ、姫神教も希望教も、どっちも怪しい。ただ、俺は太陽物語に、妙に惹かれるんだ。何か分かるんじゃないかって。」
「根拠は?」
ユフィが問う。
「勘さ。」
俺の返事に、四人はそれぞれ笑ったり、首をひねったりした。ユフィはやれやれと言わんばかりに、ため息をついた。
「まあ、アリアレジスに着いて初めて分かることもあるかもしれない。僕はソラの生きていく道に、興味があるよ。」
カイは微笑んで言う。
「ワシもじゃ。ワシゃ、メウィティカへ帰ってしまうが…。そうじゃのう、友人でいれたらのう…。」
カスガはどこか、自信なさげに俯いた。俺たちは彼の謎に、踏み入る覚悟をまだ持てていない。別れの地となるアリアレジスは、もうすぐ近くに迫っているというのに。
なんとなく話に区切りがつき、俺たちはカイの家に帰った。今日はセシルが学校で、エレンは一人でソファに座っていた。エレンは俺たちに気づくと、優しくお帰りなさい、と迎えてくれた。
目の見えない世界はどんな世界だろう。俺は視力に頼って生きてきた。パンのカビを見て食べられるか判断したし、スリをするときも、油断している大人の隙を目で判断した。今だって、文字を読んだり美しい景色を見たり、五感のなかでも視力に大きく頼っている。
しかし、エレンは少しも可哀想な様子もなく穏やかで、今日も指で編み物をしている。
「なあ、何を作っているんだい?」
俺が目線を合わせて尋ねると、エレンは微笑んで答える。
「これはね、セシルのマフラーですよ。冬になると、レシオは寒いから…。間に合うといいのですけれど。」
「綺麗な色ですね。セシルの瞳に似た、鮮やかな緑色。」
マキも目線を合わせて言う。
「そう、緑色なの。毛糸はセシルが買って来てくれたのですよ。」
マキは口元に手をやり、ごめんなさいと言った。
「謝る必要ありませんよ。それよりも、色を知られて良かった。そう、あの子は緑色が好きなのね。」
それを聞いて、マキは安心した表情を浮かべる。
「今は単純なマフラーしか編めませんけれど、視力を失う前は、刺繍も編み物も出来たし、子ども服も何でも作れたのですよ。」
エレンはマキを気遣ってか、自慢げに話す。
「カイに聞きました。セシルをおんぶして働いていらっしゃったと。」
エレンとマキが微笑みを交わす。
「なんだよ、それ。初耳だぜ。」
「あなたたちが食欲に負けてたからね。」
俺が声を上げると、マキが俺の頬をつついて言った。
「そうそう、カイ。もし時間があったら、オスカーさんの家に伺ってちょうだい。」
エレンが少し大きく声を出す。カイはソファへ寄り、目線を合わせて言う。
「確かにお会いしたいですね。奥さんは元気でしょうか。」
「ええ、たまに手作りのお菓子を持っていらしてくれるのよ。」
「オスカーさんって?」
俺が問うと、エレンが俺へ顔を向けて言う。
「アストールさんの一番の友人でいらっしゃった、ルーク=オスカーさんと言う方でね、アストールさんが亡くなってから、私たちを気遣ってくれた優しいご夫婦ですよ。」
それを聞き、俺たちは途端に居心地が悪くなった。アストールが姫神教会へ連れられたことを知らずに、エレンは死んでしまったと思っているからだ。
「ルークさんも、アストールさんを追うように戦死されてしまったけれど、奥様のアデラさんとは今も仲良しなの。ご夫婦にお子さんはいらっしゃらなかったから、カイやセシルをご自分の子のように思ってくださっているのです。」
「今日の午後にでも伺おうかな。アデラさんは、お花と紅茶がお好きでしたよね。」
カイがそう言うと、エレンは嬉しそうに頷き言う。
「きっと、カイと会えることに、アデラさんも喜ぶと思いますよ。」
俺たちは、カイに着いて行くことにした。家にいても、アストールの事実を知った今、エレンとどういう顔でいれば良いのか分からなかったからだ。
カイは雑貨店や花屋に寄り、マキや店員の助言を受けながら手土産を選んだ。
そして、階段を登る。またあの長い階段を登るのかと気が引けたが、意外にも早く到着した。つまり、オスカー家も【下の方】出身の人々なのだろう。家は他の建物と同じように、有り合わせの材料で補修されていた。しかし、庭先には季節の花が植えられており、質素ながらも穏やかな生活がうかがえる。
カイが扉をたたく。
「どちら様?」
「アデラさん、アストールの息子のカイです。」
すると、扉の向こうから駆けるような足音が聞こえ、勢いよく扉が開かれた。
「か、カイ君…?」
「はい、突然すみません。お久しぶりです。」
アデラと言う女は、エレンと同じ年頃でエプロン姿の、よくいる主婦と言う感じだ。
「驚いた。顔も声も、アストールさんが生き返ったのかと思ったよ。」
「たくさん言われました。」
アデラは目を涙で滲ませ、カイの姿をじっくりと見た。カイは照れ臭そうにしている。
アデラは、家に俺たちを通してくれた。夫を亡くし子もいないと言うが、とても広いテーブルと、十脚ほどの椅子が並んでいた。
「普段はね、ここで花の教室を開いているの。私、ブルート制度のころは花屋の下働きだったから。」
アデラは階級制度のことを、何事もないように言ったので驚いた。
部屋を見渡すと、色合いの揃った統一感のある花束から、違う色の組み合わせなのに自然とまとまりのある花束と、様々な花束が、まるで語りかけるように並んでいた。なるほど、階級制度で得た技術を使って、誇らしく生きているのだと、俺は感心した。
アデラは席に案内してくれた。
「お花の先生に、これは恐縮なお土産だったかもしれませんね。」
カイが恥ずかしそうに、花束と紅茶を渡した。しかしアデラは微笑み、感激しながら受け取った。
「何を言うの。どんな花かじゃなくて、誰からもらうかが大切なんだよ。あんなに小さかったカイ君から、花束をもらえるなんてね…。夫にも見せてあげたい。」
カイは俺たちを紹介し、それぞれ挨拶をした。アデラは、我が子のように大切だと言うカイの仲間である俺たちに、気さくに微笑んでくれた。そして、部屋中の花束に負けないくらい良い香りの紅茶を淹れてくれた。
「わあ、美味しい。こんなにいい香りの紅茶、初めてです。」
マキが目を輝かせて言う。すると、アデラは得意気にティーポットの蓋を開けて言った。
「なんて言ってもホラ、バラの花びらを入れたお茶だからね。」
俺とマキとカスガは覗き込んで、感心した。
「バラの花びらっちゅうことは、老化予防にも効くのう。」
マキがカスガの頭を叩く。しかしアデラは、朗らかに笑って流した。
〈カイ…。〉
「うん?」
〈カイじゃねえか。〉
「おい、誰かカイを呼んでるぜ。」
俺の一言で、場が一気に静かになる。どうやら、他のみんなはその声が聞こえないようだ。
「え?なんだい、お化けでもいるの?」
アデラが冗談ぽく、しかし顔を強張らせて言う。
〈違うぜ、アデラ。こっちだ。〉
「アデラのことも呼んでる。」
俺がそう言うと、アデラはいよいよ顔をしかめる。他も不思議そうな顔をしている。
「まさか。」
唯一、ユフィだけが俺に反応した。
「召喚獣だっ。」
俺は立ち上がる。
「え?ショーカン…?」
アデラは俺を見て、困惑している。
俺はスベルニアで、アッシュと出会ったときのことを思い出す。耳を澄まし、その声と鼓動を探る。
〈坊主、お前はカイのなんなんだ?〉
それは野太い、たくましい声だった。俺はアデラに、隣の部屋へ入って良いか尋ねた。アデラは疑わしそうに俺を見る。
「アデラさん、僕からもお願いします。」
カイも立ち上がり、扉の横に立つ。カイに言われては、とアデラは扉を開く。扉の向こうは寝室だった。庭先と同じく、よく整理された部屋に俺とカイが入る。
〈おい、こっちだよ。カイも来いよ。〉
声と鼓動の先を見ると、革製の輪があった。
「これは…、ルークさんとアデラさんが飼っていた、ニケの首輪ですか?」
カイが振り返り尋ねると、アデラが頷く。彼女はあくまでも疑わしいようで、部屋に入ることなく俺たちを見ている。
〈カイ、でっかくなったな。アストールとは髪の色が違うだけじゃないか。〉
その声は野太くたくましい声だが、カイに向ける優しさを感じさせる。俺は、俺しか聞こえないその言葉を、カイに伝えた。カイは何か、おぼろげな記憶を思い出すように首輪を見る。
〈それで、お前はカイのなんなんだ?〉
その声の主は、俺に疑問を向ける。カイに対するものと違い、少し試すような声をしている。
「俺は…。」
俺は思い悩んで俯く。何かと問われても、浮浪児として生きた俺は、相応しい言葉を知らない。
「俺は、カイをすげえって思ってる。腕っぷしだけじゃなくて、心も強い。いつも笑顔で、真剣なときは剣みたいに鋭い。俺は男として、カイをかっこよく思っている。そんなカイと一緒に旅をして剣を教えてもらって、それもすげえって思うよ。」
たぶん、ちゃんとした受け答えになっていない。俺は子どもで、言葉をそう多くは知らないが、精いっぱいに表現した。これがカイへの、精いっぱいの敬意だった。
〈お前は、カイの幸せを願うか?〉
そう問われて、俺は少しためらう。
「幸せ…が、俺には分からない。ずっと孤児で、路上生活だったしな。でも、カイは前に、俺の幸せを願ってくれた。」
そう言って、俺は自分の腰に下げたナイフに手を添える。
「カイは、俺がどうしようも無いころからずっと優しくしてくれた。ダメなことは、ちゃんと怒ってもくれた。俺は、カイに嫌なことがあったら嫌だ。」
俺がそう言うと、首輪から伝わる鼓動は途端に速くなる。
〈お前の名前は?〉
「ソラだ。」
〈お前は、カイが不幸になるときは、一緒に不幸になれるか?〉
鼓動はどんどん速くなる。俺は試されている。皮膚がピリピリと痺れる。不幸だなんて、幸せも分からないと言ったのに、分からない。しかし、俺は論理だとか理屈だとかを気にせずに答える。
「なれる。カイが傷ついたり悩んだりしたら、俺も一緒に何かを考える。」
〈約束できるか?〉
「できる。」
俺の一言で、首輪が眩い光を放つ。誰もが目を瞑り、しばらくして光が落ち着く。まぶた越しにそれを感じて、目を開く。
「わ、わあっ。」
俺は思わず尻もちを着く。見たこともないほどの大きな獣が目の前にいたのだ。爪も牙も鋭く、迫力に怯んでしまう。
「し、獅子っ?」
カスガが叫ぶ。獅子と呼ばれた獣はグルルと唸り、大きな足を前に進め、俺とカイに近づく。
「な、名前は…?」
俺が立ち上がり問うと、獅子は答える。
〈ルークだ。よろしくな、ソラ坊。〉
「ルーク…。」
俺がその名を呟くと、カイとアデラがえっ、と声を上げる。ルークはその大きな体をカイに寄せて、頬を擦り寄せる。
「ルークさん…。」
カイはその立て髪を撫でて呟いた。
〈この坊主とともに、戦友の息子を守れるなんてな…。魂だけでも留まった甲斐があったな。〉
ルークは目を閉じて唸る。
「ルーク…?」
アデラが、恐れながらも部屋に入って来た。ルークはその琥珀色の目を向ける。それは猛獣の眼のはずなのに、親しい人へ向ける柔らかな眼差しだった。
〈アデラ…。苦労をかけて悪いな。〉
俺はルークの言葉を、アデラに伝える。アデラはルークの鼻を撫でる。
〈子どもを授からないまま、寂しい思いをともにしたな。しかし、俺が戦死したあとも、たくましく生きているようで安心した。〉
俺がそれを伝えると、アデラは目を閉じて、息を震わせた。
〈俺の死の間際は…。いや、ソラの坊主。これはアデラに伝えないでくれ。〉
ルークは力無く唸り、俺はそのたくましい顔を見る。
〈俺は、戦死しそうな間際に、姫神教会にヴァルクシェンナへ行くことを命じられた。だがな、そのときアデラの腹に子が宿っていた。俺は姫神教会に背き、命からがら戦場から逃げた。〉
俺はその言葉に、緊張感を持って息を呑む。ルークの声は、俺以外に聞こえていない。
〈ただ、残念ながら子は流れた。俺もアデラも泣き暮らしたぜ。俺はその空虚さを埋めたくて、戦場に立った。そして、死んだ…。〉
ルークは目を瞑り、低く唸る。
「ソラ、ルークさんは何て言っているんだい?」
カイは俺に問うが、俺は答えられない。
〈ソラの坊主、カイに言ってくれ。俺は戦友の息子を守るため、再び戦場に立つ覚悟だとな。〉
そう言うルークの瞳に迷いは無く、声は力強い。俺はルークの言葉を伝えた。カイはどこか幼い表情を見せ、何よりもアデラは崩れそうなほどに泣いた。そして、言う。
「いくら階級制度が無くなっても、戦士は戦士なんだね。私は誇り高いあなたが夫で、鼻が高いよ…。」
アデラのその姿を見て、ルークは魂となった。羽の生えた光が、俺の胸に溶ける。その瞬間、俺の脳裏に凄まじい雷鳴と黒雲が浮かぶ。体の芯から痺れるようだ。
「あ、アデラ、ルークって一体…。」
俺は、その激しい光景に戸惑いながら聞く。
「ああ、夫はね、雷の形代だったんだ。雷を帯びた斧を、戦場で振り回していたよ。」
アデラは頬を濡らしながら、しかし胸を張って答える。奇しくも、ローズと同じ精霊の加護を受けた形代だ。俺の手のひらに、微弱な電流が走る。それは俺を鼓舞するような、頼もしい電流だった。
思いもよらない出会いに、俺たちは感謝しながらアデラの家を後にした。カイの家に帰り、アデラの家で話したことを報告する。召喚獣のことは伝えなかったが。
エレンは嬉しそうに、アデラが元気なことを聞いた。そして、またセシルとともに、花の香りを嗅ぎに行こうと話していた。
残りの日数も、俺たちは旅の支度を整えながらのんびり過ごした。カイとカスガは、マルティンの手で剣を鍛え直してもらった。長旅で少し劣化した刃が、鋭さを取り戻した。カイとカスガが感心する。
「すごい。さすが、おじいちゃんですね。」
「まあな、ブルート制度廃止後、この腕一本で工房を守ったんだからな。」
マルティンは孫に褒められ、腕に力こぶを作る。
一方、マキとセシルはほんの数日だと言うのに、すっかり仲良くなったようだ。同じ年と言うのもあるが、不思議と気が合うらしい。俺たちを置いて、二人で買い物や飯屋に出かけるほどだ。どうやらセシルは音楽が好きらしい。二人は様々な国の音楽の話で盛り上がっていた。
やがて、旅立ちの朝が来た。港の旅客船を前に、気持ちを新たにする。行き先は港町ドーク。アリアレジスがあるドレスレア大陸の玄関口となる、大きな港町だ。
エレンは階段が危険なので留守番をし、見送りにはセシルとマルティンが来てくれた。マルティンは滞在中、何度も涙を流しカイの成長を喜び、最後は別れを惜しんで泣いた。祖父と孫で抱き合い、また会うことを約束する。
「お兄ちゃん…。」
セシルが心細そうにカイを呼ぶ。カイはセシルの両手を取って、力強く語りかける。
「セシル、お母さんを頼んだよ。僕も頑張る。セシルも頑張ってくれ。でも、辛いときは手紙を送るんだよ。僕たちは、たった二人の兄妹なんだから。」
セシルは言葉こそ出なかったが、カイの手を強く握り返し、何度も頷いた。
やがて、船の出航時間となった。別れは悲しいが、初めての船旅にワクワクする気持ちもある。船上で受ける潮風は、地上で受けるよりも湿っぽいが、なぜか爽やかに感じられる。
ガラガラと大きな音とともに錨が上がり、これまた大きな帆が張られる。強い風を受け、船が波を分けて進んで行く。想像以上の速さだ。
「トール大陸との別れだな。」
ユフィが呟く。考えてみれば、初めてトール大陸を離れるのは、俺とユフィだけだろう。
ふと船尾を見ると、花びらを海に撒く人が見えた。それはどこか幻想的で、別れにはどこか似合わない祝いのように見えた。
グランディエを逃げるように旅立ってから半年以上、季節は冬の終わりから夏へ変わっていた。世界最大の大陸を北上した俺は、妙な達成感が湧き上がり、周りに人がいなければ叫びたいくらいだった。
「…いるね。」
俺の高揚感を、カイにしては低い声が制す。その視線の先を見ると、それは集団で固まっていた。
殉教の魔道士だ。黒い装束に独特な化粧、そして刺々しい刺青。六人で固まる姿は、大きな生物のように見えた。
どうやら、俺たちの旅に安息は無いらしい。殉教の魔道士は、俺たちを見ていた。それは過剰な自意識ではない。確かに、俺たちを獲物として捉える、獣じみた目だった。
船は波を分けて進んでいく。その水音は荒々しく、新たな旅路を雄大に切り拓く。しかし、どこかに暗い火種を予感させる、海の白波だった。




