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【太陽物語】 夜明けへ進む少年は  作者: 立花ハル
《第六章 トール大陸北上、下から海へ》
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レシオ、戦士たちの誓い《ソラ》

《ソラ》


 滞在三日目の朝ごはんは、カイの提案で外で食べることにした。またあの美味(うま)いホットサンドを買ったが、カイに言われ、近くの広場で食べる。広場とは言え、建物の外観同様に整備されているわけではなく、花壇などがあるわけでは無い。


 カイは淡々と、俺が銀の糸の記憶で見て伝えた内容を、他の三人にも伝えた。俺はカイのその選択に驚き、三人も反応に戸惑っている様子だ。

「…なぜ、俺たちに父親のことを?」

 ユフィが俺と同じ疑問を口にした。カイは言い方を少し選んだあとに説明する。

「今、姫神教会は世界の中心にある。精霊戦争でヴァルクシェンナが勝って以来ね。僕はこれまで、特別信仰はして来なかったけれど、疑問を抱くこともなかった。でも、それがこの旅で揺らいでいるんだ。」

 カイの言葉に俺も頷(うなず)く。三人は俯(うつむ)いて何かを考えている様子だ。カイは続ける。

「ついには、ソラが残された記憶を明かしてくれた。まさかヴァルクシェンナへ連れられていたなんて…。僕たちが知らない、姫神教会の姿が多くある気がしたんだ。」

「確かに、俺も同感だ。ブライト先生は、姫神教会によって、秘密を明かせない呪いをかけられていた。ヴァルクシェンナ勝利の裏に、何か表に出せない工作があるように考えている。」

 ユフィは力強く言い切った。

「でも、ソクアヴェスタは世界に宣戦布告をして、多くの国を侵攻したわよね。希望教徒が一般人を襲ったり、自然災害を起こしたりしていたのも事実よね。…何を信じればいいのかしら。」

 マキは食べ終わったホットサンドの包みを畳んで、力無く言う。

「わしゃ、恥ずかしながら世間知らずでのう。じゃが、ソクアヴェスタによる自然災害は、メウィティカも相当な打撃を受けた。うーん、じゃが、カイの話を聞く限り、どちらも勝つために、なり振り構っておらんかったように感じて…。結論は出んのう。」

 カスガは頭を掻(か)いて、優柔不断に首をひねる。

「ブライトは言ってたよな。精霊戦争は終わってないって。」

 俺が言うと、マキとカスガは驚く。ユフィは頷き、カイも同意して言う。

「僕も、そう感じた。ブランジェの脅威的な侵攻の速さ、ヴェーゼンからよく目にするようになった殉教の魔道士。精霊戦争がまた始まるんじゃないかという予感がした。でも、実際は終わってなかっただけなのかもしれない。」

 マキとカスガは俯く。それは深く考える表情で、これまでの旅を振り返り、頭を整理しているように見えた。

「…確かに、今考えりゃ、精霊戦争の終結、ヴァルクシェンナの勝利、しかしソクアヴェスタ含む両国とも滅亡じゃなんて、姫神教会の一方的な発表を受け取っただけじゃしのう。」

 カスガが一息ついて言った。

「僕がソラに教えてもらった父のことを伝えたのは、これから何が世界に起きるか分からないと思ったからなんだ。」

 カイの言葉に、マキが不安気な目を向ける。カイはさらに続ける。

「希望教が勢いを増していること、謎の多い姫神教。僕たちはいずれ、自分たちの立場を決めるときが来るかもしれない。」

「どっちの宗教につくかってことか?」

 俺が問うと、カイは頷いて言う。

「そのときに、決めるのはそれぞれの判断だ。けれど、僕の父のような人がいたことも、知っておいてほしかったんだ。」

 出勤の挨拶や井戸端(いどばた)で洗濯をする主婦の話し声で賑わう街だが、俺たち五人には沈黙が漂う。何かを決めようと言うわけでも、否定しようと言うわけでも無い。ただ、新たな事実が明確に示され、それも一つの家族の運命を変えた大きな事実であることに、自分に問いかける言葉が見つからないのだ。


「ソラは、どうするの?」

 マキが沈黙を、優しい声色で破った。

「アリアレジスの姫神教会本部を目指しているのよね?なんだか今の流れを考えると、それで本当にいいのかしら。」

 マキがその紫の瞳を曇らせて言う。俺以外の三人は返答を見つけられず、悩む様子を見せた。

「…太陽物語。」

 俺は呟(つぶや)く。四人の視線が、俺に向いたのが分かる。

「ソロが教えてくれた太陽物語。それに真実が書いてあるって言ってたよな。」

 俺は、エルコトルの定食屋でソロと交わした会話を思い出す。


「その真実に、近づく覚悟はあるか?」

「真実?」

 俺が問い返すと、ソロは他の四人の顔を一べつして言った。

「世界を変えてしまうほどの、真実だ。」

「それは、姫神教と希望教のことかい?」

 俺が踏み入るように問うと、ソロはゆっくりとまばたきをして言う。

「おそらく。」


「俺は、ちゃんと知ったうえで、自分の生き方を決めたい。」

「しかし、存在するのかも分からないものだろう。」

 俺の言葉に、ユフィが意見する。さらに続ける。

「それに、彼らを悪く言いたくないが、ソロとオルハは日陰に生きている者だ。あんなにも強力な傭兵たちに狙われ、戦う日々に生きている。」

「その二人が関わるものだから、危険だって言うのか?」

 俺が問うと、ユフィは頷き言う。

「関わらないほうがいい。」

 俺は口を尖(とが)らせて言い返す。

「でもよ、ソロがメモをくれたように、アリアレジスの皇王(こうおう)だって関わってるんだぜ。太陽物語が眉唾(まゆつば)だとは思えねえよ。」

「アリアレジスは建国以来、周囲の国を侵略して成長した国だ。今は皇王が代わり、戦争は少し落ち着いていると聞くが。だが、俺はアリアレジスだって、大国と言うだけで本質は野蛮な国だと思っている。その国に信憑性(しんぴょうせい)など…」

「なんだよ、ユフィ。ユフィはそこで生きていくって言ってたじゃねえか。」

「それは話題が変わるな。」

 俺は気づいたら冷静さを失い、立ち上がってしまっていた。

「ちょっと二人とも、落ち着いてよ。」

 隣に座るマキが、俺の背中に手を添える。

「俺は落ち着いている。」

 ユフィはそう言って腕を組み、足を組んだ。しかし、地面に着いているほうの足は忙(せわ)しなく貧乏ゆすりをしている。

「まあ、ソラ。ユフィはね、君を心配してくれているんだよ。」

 カイが穏やかな声で、俺たちを制する。カスガは困り顔で、俺たちを交互に見ていた。

「私は、ソラの意見を尊重するべきだと思うわ。」

 マキが俺の服を引っ張り、座らせながら言う。

「何だかんだ言っても、私たちは所属する団体も、帰る家もあるわ。ユフィも新しくお世話になる方がいらっしゃるでしょう?でも、ソラにはそれが無いわ。」

 マキは先ほどまでの不安気な表情から一転、力強い眼差(まなざ)しで話す。

「それであれば、ソラがアリアレジスに着いてから誰を頼るか、どう生きるか、決めるのは彼自身じゃない?もちろん、悪事に手を染めてはいけないけれど。」

 カスガは納得した顔で頷く。ユフィは、少し迫力のあるマキに負けじと反論する。

「しかし、たかだか十三の子どもがどうしようって言うんだ。」

「それはアリアレジスの大人が考えなくてはいけないことよ。そもそも、グランディエでは外で暮らしていたこと自体おかしいのよ。ソラは独り立ちするまで、どこかで保護されなくてはいけない。なんなら、アリアレジス皇王がその面倒を見てもいいと思うわ。」

 最後のほうは少し大げさなくらいの考えを、淀みなく言うマキに、ユフィはたじろぐ。グランディエのことを言われ、思わぬ飛び火がきたカイは少し小さく見える。

「私は劇団ブロタールで、しばらくアリアレジスに滞在するわ。その間、ずっとは無理だけれどソラがきちんと保護されるまでを見守る。決めたわ。」

 マキは腕を組み、力強く宣言する。

「こう言うとき、女性は強いのう。」

 カスガが感心して言う。

「違うわ。ソラはもう、私の大切な友人だからよ。」

 そう言って、マキは微笑む。

「…って、私は勝手に決めちゃったけれど、ソラはどうしたい?」

 マキの言葉に、俺は頭を掻いて考える。そして、少しずつ話す。

「正直よ、分からないことばかりで決めきれねえ。今となっちゃ、姫神教も希望教も、どっちも怪しい。ただ、俺は太陽物語に、妙に惹かれるんだ。何か分かるんじゃないかって。」

「根拠は?」

 ユフィが問う。

「勘さ。」

 俺の返事に、四人はそれぞれ笑ったり、首をひねったりした。ユフィはやれやれと言わんばかりに、ため息をついた。

「まあ、アリアレジスに着いて初めて分かることもあるかもしれない。僕はソラの生きていく道に、興味があるよ。」

 カイは微笑んで言う。

「ワシもじゃ。ワシゃ、メウィティカへ帰ってしまうが…。そうじゃのう、友人でいれたらのう…。」

 カスガはどこか、自信なさげに俯いた。俺たちは彼の謎に、踏み入る覚悟をまだ持てていない。別れの地となるアリアレジスは、もうすぐ近くに迫っているというのに。


 なんとなく話に区切りがつき、俺たちはカイの家に帰った。今日はセシルが学校で、エレンは一人でソファに座っていた。エレンは俺たちに気づくと、優しくお帰りなさい、と迎えてくれた。

 目の見えない世界はどんな世界だろう。俺は視力に頼って生きてきた。パンのカビを見て食べられるか判断したし、スリをするときも、油断している大人の隙を目で判断した。今だって、文字を読んだり美しい景色を見たり、五感のなかでも視力に大きく頼っている。

 しかし、エレンは少しも可哀想な様子もなく穏やかで、今日も指で編み物をしている。

「なあ、何を作っているんだい?」

 俺が目線を合わせて尋ねると、エレンは微笑(ほほえ)んで答える。

「これはね、セシルのマフラーですよ。冬になると、レシオは寒いから…。間に合うといいのですけれど。」

「綺麗な色ですね。セシルの瞳に似た、鮮やかな緑色。」

 マキも目線を合わせて言う。

「そう、緑色なの。毛糸はセシルが買って来てくれたのですよ。」

 マキは口元に手をやり、ごめんなさいと言った。

「謝る必要ありませんよ。それよりも、色を知られて良かった。そう、あの子は緑色が好きなのね。」

 それを聞いて、マキは安心した表情を浮かべる。

「今は単純なマフラーしか編めませんけれど、視力を失う前は、刺繍も編み物も出来たし、子ども服も何でも作れたのですよ。」

 エレンはマキを気遣ってか、自慢げに話す。

「カイに聞きました。セシルをおんぶして働いていらっしゃったと。」

 エレンとマキが微笑みを交わす。

「なんだよ、それ。初耳だぜ。」

「あなたたちが食欲に負けてたからね。」

 俺が声を上げると、マキが俺の頬をつついて言った。


「そうそう、カイ。もし時間があったら、オスカーさんの家に伺ってちょうだい。」

 エレンが少し大きく声を出す。カイはソファへ寄り、目線を合わせて言う。

「確かにお会いしたいですね。奥さんは元気でしょうか。」

「ええ、たまに手作りのお菓子を持っていらしてくれるのよ。」

「オスカーさんって?」

 俺が問うと、エレンが俺へ顔を向けて言う。

「アストールさんの一番の友人でいらっしゃった、ルーク=オスカーさんと言う方でね、アストールさんが亡くなってから、私たちを気遣ってくれた優しいご夫婦ですよ。」

 それを聞き、俺たちは途端に居心地が悪くなった。アストールが姫神教会へ連れられたことを知らずに、エレンは死んでしまったと思っているからだ。

「ルークさんも、アストールさんを追うように戦死されてしまったけれど、奥様のアデラさんとは今も仲良しなの。ご夫婦にお子さんはいらっしゃらなかったから、カイやセシルをご自分の子のように思ってくださっているのです。」

「今日の午後にでも伺おうかな。アデラさんは、お花と紅茶がお好きでしたよね。」

 カイがそう言うと、エレンは嬉しそうに頷き言う。

「きっと、カイと会えることに、アデラさんも喜ぶと思いますよ。」


 俺たちは、カイに着いて行くことにした。家にいても、アストールの事実を知った今、エレンとどういう顔でいれば良いのか分からなかったからだ。

 カイは雑貨店や花屋に寄り、マキや店員の助言を受けながら手土産を選んだ。

 そして、階段を登る。またあの長い階段を登るのかと気が引けたが、意外にも早く到着した。つまり、オスカー家も【下の方】出身の人々なのだろう。家は他の建物と同じように、有り合わせの材料で補修されていた。しかし、庭先には季節の花が植えられており、質素ながらも穏やかな生活がうかがえる。

 カイが扉をたたく。

「どちら様?」

「アデラさん、アストールの息子のカイです。」

 すると、扉の向こうから駆けるような足音が聞こえ、勢いよく扉が開かれた。

「か、カイ君…?」

「はい、突然すみません。お久しぶりです。」

 アデラと言う女は、エレンと同じ年頃でエプロン姿の、よくいる主婦と言う感じだ。

「驚いた。顔も声も、アストールさんが生き返ったのかと思ったよ。」

「たくさん言われました。」

 アデラは目を涙で滲ませ、カイの姿をじっくりと見た。カイは照れ臭そうにしている。

 アデラは、家に俺たちを通してくれた。夫を亡くし子もいないと言うが、とても広いテーブルと、十脚ほどの椅子が並んでいた。

「普段はね、ここで花の教室を開いているの。私、ブルート制度のころは花屋の下働きだったから。」

 アデラは階級制度のことを、何事もないように言ったので驚いた。

 部屋を見渡すと、色合いの揃った統一感のある花束から、違う色の組み合わせなのに自然とまとまりのある花束と、様々な花束が、まるで語りかけるように並んでいた。なるほど、階級制度で得た技術を使って、誇らしく生きているのだと、俺は感心した。

 アデラは席に案内してくれた。

「お花の先生に、これは恐縮なお土産だったかもしれませんね。」

 カイが恥ずかしそうに、花束と紅茶を渡した。しかしアデラは微笑み、感激しながら受け取った。

「何を言うの。どんな花かじゃなくて、誰からもらうかが大切なんだよ。あんなに小さかったカイ君から、花束をもらえるなんてね…。夫にも見せてあげたい。」

 カイは俺たちを紹介し、それぞれ挨拶をした。アデラは、我が子のように大切だと言うカイの仲間である俺たちに、気さくに微笑んでくれた。そして、部屋中の花束に負けないくらい良い香りの紅茶を淹(い)れてくれた。

「わあ、美味しい。こんなにいい香りの紅茶、初めてです。」

 マキが目を輝かせて言う。すると、アデラは得意気にティーポットの蓋を開けて言った。

「なんて言ってもホラ、バラの花びらを入れたお茶だからね。」

 俺とマキとカスガは覗き込んで、感心した。

「バラの花びらっちゅうことは、老化予防にも効くのう。」

 マキがカスガの頭を叩く。しかしアデラは、朗らかに笑って流した。


〈カイ…。〉

「うん?」

〈カイじゃねえか。〉

「おい、誰かカイを呼んでるぜ。」

 俺の一言で、場が一気に静かになる。どうやら、他のみんなはその声が聞こえないようだ。

「え?なんだい、お化けでもいるの?」

 アデラが冗談ぽく、しかし顔を強張(こわば)らせて言う。

〈違うぜ、アデラ。こっちだ。〉

「アデラのことも呼んでる。」

 俺がそう言うと、アデラはいよいよ顔をしかめる。他も不思議そうな顔をしている。

「まさか。」

 唯一、ユフィだけが俺に反応した。

「召喚獣だっ。」

 俺は立ち上がる。

「え?ショーカン…?」

 アデラは俺を見て、困惑している。

 俺はスベルニアで、アッシュと出会ったときのことを思い出す。耳を澄まし、その声と鼓動を探る。

〈坊主、お前はカイのなんなんだ?〉

 それは野太い、たくましい声だった。俺はアデラに、隣の部屋へ入って良いか尋ねた。アデラは疑わしそうに俺を見る。

「アデラさん、僕からもお願いします。」

 カイも立ち上がり、扉の横に立つ。カイに言われては、とアデラは扉を開く。扉の向こうは寝室だった。庭先と同じく、よく整理された部屋に俺とカイが入る。

〈おい、こっちだよ。カイも来いよ。〉

 声と鼓動の先を見ると、革製の輪があった。

「これは…、ルークさんとアデラさんが飼っていた、ニケの首輪ですか?」

 カイが振り返り尋ねると、アデラが頷く。彼女はあくまでも疑わしいようで、部屋に入ることなく俺たちを見ている。

〈カイ、でっかくなったな。アストールとは髪の色が違うだけじゃないか。〉

 その声は野太くたくましい声だが、カイに向ける優しさを感じさせる。俺は、俺しか聞こえないその言葉を、カイに伝えた。カイは何か、おぼろげな記憶を思い出すように首輪を見る。

〈それで、お前はカイのなんなんだ?〉

 その声の主(あるじ)は、俺に疑問を向ける。カイに対するものと違い、少し試すような声をしている。

「俺は…。」

 俺は思い悩んで俯く。何かと問われても、浮浪児として生きた俺は、相応(ふさわ)しい言葉を知らない。

「俺は、カイをすげえって思ってる。腕っぷしだけじゃなくて、心も強い。いつも笑顔で、真剣なときは剣みたいに鋭い。俺は男として、カイをかっこよく思っている。そんなカイと一緒に旅をして剣を教えてもらって、それもすげえって思うよ。」

 たぶん、ちゃんとした受け答えになっていない。俺は子どもで、言葉をそう多くは知らないが、精いっぱいに表現した。これがカイへの、精いっぱいの敬意だった。

〈お前は、カイの幸せを願うか?〉

 そう問われて、俺は少しためらう。

「幸せ…が、俺には分からない。ずっと孤児で、路上生活だったしな。でも、カイは前に、俺の幸せを願ってくれた。」

 そう言って、俺は自分の腰に下げたナイフに手を添える。

「カイは、俺がどうしようも無いころからずっと優しくしてくれた。ダメなことは、ちゃんと怒ってもくれた。俺は、カイに嫌なことがあったら嫌だ。」

 俺がそう言うと、首輪から伝わる鼓動は途端に速くなる。

〈お前の名前は?〉

「ソラだ。」

〈お前は、カイが不幸になるときは、一緒に不幸になれるか?〉

 鼓動はどんどん速くなる。俺は試されている。皮膚がピリピリと痺(しび)れる。不幸だなんて、幸せも分からないと言ったのに、分からない。しかし、俺は論理だとか理屈だとかを気にせずに答える。

「なれる。カイが傷ついたり悩んだりしたら、俺も一緒に何かを考える。」

〈約束できるか?〉

「できる。」

 俺の一言で、首輪が眩(まばゆ)い光を放つ。誰もが目を瞑り、しばらくして光が落ち着く。まぶた越しにそれを感じて、目を開く。

「わ、わあっ。」

 俺は思わず尻もちを着く。見たこともないほどの大きな獣が目の前にいたのだ。爪も牙も鋭く、迫力に怯(ひる)んでしまう。

「し、獅子っ?」

 カスガが叫ぶ。獅子と呼ばれた獣はグルルと唸(うな)り、大きな足を前に進め、俺とカイに近づく。

「な、名前は…?」

 俺が立ち上がり問うと、獅子は答える。

〈ルークだ。よろしくな、ソラ坊。〉

「ルーク…。」

 俺がその名を呟くと、カイとアデラがえっ、と声を上げる。ルークはその大きな体をカイに寄せて、頬を擦り寄せる。

「ルークさん…。」

 カイはその立て髪を撫でて呟いた。

〈この坊主とともに、戦友の息子を守れるなんてな…。魂だけでも留まった甲斐があったな。〉

 ルークは目を閉じて唸る。

「ルーク…?」

 アデラが、恐れながらも部屋に入って来た。ルークはその琥珀色の目を向ける。それは猛獣の眼のはずなのに、親しい人へ向ける柔らかな眼差しだった。

〈アデラ…。苦労をかけて悪いな。〉

 俺はルークの言葉を、アデラに伝える。アデラはルークの鼻を撫でる。

〈子どもを授からないまま、寂しい思いをともにしたな。しかし、俺が戦死したあとも、たくましく生きているようで安心した。〉

 俺がそれを伝えると、アデラは目を閉じて、息を震わせた。

〈俺の死の間際は…。いや、ソラの坊主。これはアデラに伝えないでくれ。〉

 ルークは力無く唸り、俺はそのたくましい顔を見る。

〈俺は、戦死しそうな間際に、姫神教会にヴァルクシェンナへ行くことを命じられた。だがな、そのときアデラの腹に子が宿っていた。俺は姫神教会に背き、命からがら戦場から逃げた。〉

 俺はその言葉に、緊張感を持って息を呑む。ルークの声は、俺以外に聞こえていない。

〈ただ、残念ながら子は流れた。俺もアデラも泣き暮らしたぜ。俺はその空虚さを埋めたくて、戦場に立った。そして、死んだ…。〉

 ルークは目を瞑り、低く唸る。

「ソラ、ルークさんは何て言っているんだい?」

 カイは俺に問うが、俺は答えられない。

〈ソラの坊主、カイに言ってくれ。俺は戦友の息子を守るため、再び戦場に立つ覚悟だとな。〉

 そう言うルークの瞳に迷いは無く、声は力強い。俺はルークの言葉を伝えた。カイはどこか幼い表情を見せ、何よりもアデラは崩れそうなほどに泣いた。そして、言う。

「いくら階級制度が無くなっても、戦士は戦士なんだね。私は誇り高いあなたが夫で、鼻が高いよ…。」

 アデラのその姿を見て、ルークは魂となった。羽の生えた光が、俺の胸に溶ける。その瞬間、俺の脳裏に凄まじい雷鳴と黒雲が浮かぶ。体の芯から痺(しび)れるようだ。

「あ、アデラ、ルークって一体…。」

 俺は、その激しい光景に戸惑いながら聞く。

「ああ、夫はね、雷の形代(かたしろ)だったんだ。雷を帯びた斧を、戦場で振り回していたよ。」

 アデラは頬を濡らしながら、しかし胸を張って答える。奇(く)しくも、ローズと同じ精霊の加護を受けた形代だ。俺の手のひらに、微弱な電流が走る。それは俺を鼓舞するような、頼もしい電流だった。


 思いもよらない出会いに、俺たちは感謝しながらアデラの家を後にした。カイの家に帰り、アデラの家で話したことを報告する。召喚獣のことは伝えなかったが。

 エレンは嬉しそうに、アデラが元気なことを聞いた。そして、またセシルとともに、花の香りを嗅ぎに行こうと話していた。


 残りの日数も、俺たちは旅の支度を整えながらのんびり過ごした。カイとカスガは、マルティンの手で剣を鍛え直してもらった。長旅で少し劣化した刃(やいば)が、鋭さを取り戻した。カイとカスガが感心する。

「すごい。さすが、おじいちゃんですね。」

「まあな、ブルート制度廃止後、この腕一本で工房を守ったんだからな。」

 マルティンは孫に褒められ、腕に力こぶを作る。

 一方、マキとセシルはほんの数日だと言うのに、すっかり仲良くなったようだ。同じ年と言うのもあるが、不思議と気が合うらしい。俺たちを置いて、二人で買い物や飯屋に出かけるほどだ。どうやらセシルは音楽が好きらしい。二人は様々な国の音楽の話で盛り上がっていた。


 やがて、旅立ちの朝が来た。港の旅客船を前に、気持ちを新たにする。行き先は港町ドーク。アリアレジスがあるドレスレア大陸の玄関口となる、大きな港町だ。

 エレンは階段が危険なので留守番をし、見送りにはセシルとマルティンが来てくれた。マルティンは滞在中、何度も涙を流しカイの成長を喜び、最後は別れを惜しんで泣いた。祖父と孫で抱き合い、また会うことを約束する。

「お兄ちゃん…。」

 セシルが心細そうにカイを呼ぶ。カイはセシルの両手を取って、力強く語りかける。

「セシル、お母さんを頼んだよ。僕も頑張る。セシルも頑張ってくれ。でも、辛いときは手紙を送るんだよ。僕たちは、たった二人の兄妹なんだから。」

 セシルは言葉こそ出なかったが、カイの手を強く握り返し、何度も頷いた。


 やがて、船の出航時間となった。別れは悲しいが、初めての船旅にワクワクする気持ちもある。船上で受ける潮風は、地上で受けるよりも湿っぽいが、なぜか爽やかに感じられる。

 ガラガラと大きな音とともに錨(いかり)が上がり、これまた大きな帆が張られる。強い風を受け、船が波を分けて進んで行く。想像以上の速さだ。

「トール大陸との別れだな。」

 ユフィが呟く。考えてみれば、初めてトール大陸を離れるのは、俺とユフィだけだろう。

 ふと船尾を見ると、花びらを海に撒く人が見えた。それはどこか幻想的で、別れにはどこか似合わない祝いのように見えた。

 グランディエを逃げるように旅立ってから半年以上、季節は冬の終わりから夏へ変わっていた。世界最大の大陸を北上した俺は、妙な達成感が湧き上がり、周りに人がいなければ叫びたいくらいだった。

「…いるね。」

 俺の高揚感を、カイにしては低い声が制す。その視線の先を見ると、それは集団で固まっていた。

 殉教の魔道士だ。黒い装束に独特な化粧、そして刺々(とげとげ)しい刺青(いれずみ)。六人で固まる姿は、大きな生物のように見えた。


 どうやら、俺たちの旅に安息は無いらしい。殉教の魔道士は、俺たちを見ていた。それは過剰な自意識ではない。確かに、俺たちを獲物として捉(とら)える、獣じみた目だった。

 船は波を分けて進んでいく。その水音は荒々しく、新たな旅路を雄大に切り拓(ひら)く。しかし、どこかに暗い火種を予感させる、海の白波だった。

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