レシオ、赫灼のアストール《ソラ》
《ソラ》
レシオ滞在の二日目は、よく晴れた日となった。とは言え、街の下の方にあるこの下層に、なかなかその日差しは届かないが。
俺たちは、この地域に暮らす者たちのために建てられた姫神教会の横にある、墓地に来ていた。そこは一段と薄暗く、目的が無ければ決して立ち入る気が起きない場所だった。
「ここに、カイのお父上の墓があるんか?」
朝早いと言うのに、カスガが明るく問う。昨晩、あんなにも酔っ払っていたのが嘘のようにカラリとしている。
「うん。遺体も遺髪も無いけれど、墓石だけはね。」
カイは、朝一に市場で買って来た花束と小さな酒瓶を持って言う。遺体も遺髪も無いと言うところに、俺たちは踏み入ることが出来なかった。
墓地は薄暗いものの、余分な雑草はなく、手入れが行き届いているように思えた。カイは一つの墓石の前で立ち止まる。その石には、【アストール=エルキエフ】と刻まれていた。カイは墓石をハンカチで軽くはたいて、花束と酒瓶を供えて言う。
「お父さん、ただいま帰りました。お母さんとおじいちゃん、そしてセシルを見守ってくれて、ありがとうございます。」
そして、祈りの姿勢を取った。俺たち四人も、祈りの姿勢を取る。俺は頭の中で語りかける。
〈カイの親父さん、俺はカイのおかげで、ここまで来れたよ。カイと出会わせてくれて、ありがとう。〉
そして、目を開く。カイは俺たち四人よりも、少し長く祈っていた。祈り終えたカイは目を開き、立ち上がる。
「こんな墓参りまで付き合ってくれてありがとう。みんなのことを、神海の父にも紹介したかったんだ。」
カイは穏やかな様子で言う。俺たちは何てこともないように、それぞれ頷いた。
「か、カイ…さん?」
声がした方を向くと、ヒゲの伸びた猫背の老人が立っていた。手袋をし、雑草を抜いていたように見える。
「あ、もしかして、セムさん。」
カイはにこやかに、老人に歩み寄り言う。
「お久しぶりです。いつも父の墓を…」
「や、やめてください。騎士様と話すなんて、俺にはできねえ。」
カイの話を遮ったセムと呼ばれた老人は、恐れるように墓地の奥の暗がりへ走って行った。カイは、その背を寂しそうに見送って言う。
「…行こうか。」
「今のじいさんは?」
俺が問うと、カイは言う。
「…墓地を出てから話すよ。」
「さっきのセムさんはね、墓守をしていらっしゃる方なんだ。」
墓地を出てすぐ、カイは呟いた。俺以外は、何かを察したようだ。
「ブルート制度は、上層、中層、下層…。その下に、実は最下層があるんだ。」
カイが声を小さくして言った。そして、腕を組んで難しい顔をして言う。
「奴隷とか、墓守とか…。多くの人が避ける仕事を担って来た方たちなんだ。」
そう話す声は、重く暗い。
「でも、カイは仲良さそうに声をかけてたな。」
俺が言うと、カイは俯いて言う。
「僕がまだ養子に行く前、母の眼が悪くなった頃なんだけれどね。セシルと一緒に、よく父の墓に来ていたんだ。そのとき、セムさんが優しく励ましてくれたんだけれど…。」
けれど、の先は、俺は言われずとも分かった。下層よりもさらに下、底辺に生まれた墓守にとって、騎士にまで成長したカイは恐れ多いのだろう。おそらく、カイも察してはいるはずだ。
「まあ、言っても仕方ないね。朝ごはんを買って、家へ帰ろう。」
気持ちの切り替えが早いカイの提案で、俺たちは昨日の食堂へ行く。あんなに夜まで賑やかだったと言うのに、店長夫婦はもう元気に朝ごはんを売っている。俺たちはホットサンドを買って、カイの実家へ帰った。
「お帰りなさい。」
「ただいま戻りました。」
鍛冶屋を抜け部屋へ入ると、エレンとセシルが迎えてくれた。今日はセシルの学校は休みらしい。マルティンは質の良い鉱物を求めて、俺たちより早起きして市場へ行っているらしい。酔っ払って寝ていた老人とは思えない元気の良さだ。
セシルが淹れてくれたお茶と一緒に、ホットサンドを食べる。やはりあの食堂は味が確かで、肉や野菜を生かした焼き方はもちろん、チーズがとても美味い。
「あっ。」
カイが何かを思い出したかのように声を上げる。そして、食べかけのホットサンドを皿に置き、自分のリュックから何かを差し出した。
「どうしたの、お兄ちゃん。」
セシルは小さな紙袋を手に、エレンは分厚い布を膝に置かれてキョトンとしている。
「お土産を買っていたのを忘れていたよ。二人にどうぞ。」
カイがそう言うと、セシルとエレンは驚いた。
「え?今?開けていい?」
妙なタイミングに戸惑いながら、セシルが紙袋を開ける。
「わあ、綺麗…。」
それは、細かい作りの装飾品だった。
「これ、お兄ちゃんが選んだの?」
「いやあ、そう言いたいけれど、マキが選んでくれたんだ。」
カイが頭を掻いて言うと、マキがセシルの後ろへ行く。
「セシルは髪をハーフアップにしているでしょう。だから、この髪留めをこう留めたらどうかしら。」
マキは慣れた手つきでセシルの髪留めを外し、カイの土産の髪留めをつけた。ハーフアップなどはよく分からないが、その落ち着いた金色と緑の石で出来た髪留めは、セシルの髪によく馴染んだ。
「ふふ、嬉しい。お兄ちゃん、どう?」
「うん。いいんじゃないかな。」
セシルはニコニコ笑って聞くが、カイは無難な答えを返した。興味が無いわけではないが、男にその良し悪しはよく分からないのだ。
「お兄ちゃんもマキも、ありがとう。」
セシルはニッコリと笑って、礼を言う。
「カイ、これは膝掛けですか?」
エレンは見えない世界で、その分厚い布を丹念に探っていた。
「そうです。お母さんは寒がりだと、手紙に書いていたので。」
「柔らかくてなめらかで、良い手触りですね。」
エレンは膝掛けを、頬に当てて微笑む。
「色も、マキの助言を受けて選びました。」
「色…。」
カイの言葉に、エレンの表情が一瞬曇る。
「赤のなかでも、夜に少し近い、穏やかな夕焼けの赤を想像してください。」
カイがそう言うと、エレンは俯いて言う。
「…懐かしい色ですね。アストールさんの髪の色を思い出します。」
エレンはそう言って、色を失った自分の世界に思いを馳せる。そして、より愛着を持ってその膝掛けを優しく撫でた。
その時だ。
銀の糸が語りかけて来た。
俺は息を呑む。この家のどこかに、銀の糸の記憶がある。しかし、この温かい家族のひと時を邪魔するわけにはいかず、しばらく押し黙った。
やがて朝食を終え、セシルが食器を洗っていた。その隙に、俺はカイに耳打ちをする。
「カイ、この家に銀の糸がある。」
カイは少し驚いて、俺を見る。
「どの辺りだい?」
カイは少しも疑わずに俺に聞く。
「あっちだ。」
このとき俺は、銀の糸を感じ取る力がより正確になっている実感があった。なんとなく予感がして語りかけられていると言うよりも、どこからその声が発せられているか、以前よりも分かるようになっているのだ。
「物置きだ。」
俺とカイは、エレンと談笑するマキたち三人をよそに、物置きへこっそりと入る。物置きは定期的に掃除されているのか、よく整理されている。
「…この槍だ。」
語りかけて来るのは、使い古された槍だった。しかし埃一つ被らずに、大切にされているのが分かる。
「これは、お父さんの形見の槍だ。」
カイが槍の柄をなぞって言う。
「姫神教会の任務で出かけたお父さんの、唯一帰って来た遺品だよ。何があったかは、知らされていない。」
そう語るカイの口調は、緊張感があった。
「…記憶を見ても、いいかい?」
俺は尋ねる。俺は昨日だけでも、カイが語らなかった生まれを次々と知ってしまった。それも、下層だなんて決めつけられていた過去のことを。なんとなく、自分から多くを語らず、飄々としているカイの深い部分に触れてしまう気がして、それは踏み込んで良いものかと、好奇心よりもためらいが勝ってしまった。
しかし、カイは答える。
「うん。僕は知りたい。死後も赫灼として覚えられている父の、死の真相を。」
迷いの無いカイの目を見て、俺は頷いてナイフを構える。火の精霊を呼び、切先に灯りを点けた。そして、目の前が真っ暗になる。
あの、落ちていく感覚だ。荒く塗りつぶされた黒いペンキと、煌びやかな星々。何度見ても、俺でも描けそうなくらい雑な空間だ。
やがて、足元が確かになった。
足元が確かになると、そこは戦場だった。
多くの歩兵が盾を構え、後ろの兵が矢を放つ。そのさらに後方には魔道兵がいて、敵を一網打尽にしようと詠唱をしている。
「前線が崩れるっ。援軍はまだかっ。」
不利な状況に追い込まれた兵が声を上げる。しかし、魔道兵の火の玉が降り注ぎ、大打撃を受ける。素人目にも、戦況は明らかだ。俺は少し他人事で、気の毒なくらいの気持ちになってしまった。
そこに、人間のものとは思えない激しい足音が轟く。大量の騎兵が、有利に見えた軍の横腹を突いて攻め行って来たのだ。
「少しも怯むなっ。」
先導するのは、赤い髪の男だ。俺は、その男がカイの父、アストールだと直感した。金色の瞳や顔立ちといい、あまりにもカイにそっくりだ。
アストールは馬を乗りこなし、槍を大きく振り次々と敵を薙ぎ倒した。他の騎兵もそれに続く。弓兵や魔道兵は、近接武器、しかも高さや機動力のある騎兵には太刀打ち出来ない。形勢は一気に逆転した。
すぐに鐘の音がけたたましく鳴り、追いやられた兵が撤退した。アストールたちの軍勢は勝鬨を上げる。その表情は、戦いの場に立つカイを思わせる、勇ましいものだった。
すると、落ちる感覚がした。
次に足元が確かになると、豪華な屋敷にアストールはいた。鎧姿で、あの槍を持っている。どうやら戦争帰りのようだ。
「アストールさん。」
聞き覚えのある声がした。アストールがすぐに振り向くと、翡翠色の瞳の女がいた。
「エレンさん。」
どうやら、その女はエレンらしい。まだ視力を失う前で、優しげな瞳をしている。カイとセシルは、アストールのタレ目を受け継いだようだ。エレンは若く、少し恥じらう様子でアストールにタオルを渡して聞く。
「お怪我はありませんか?」
「ええ。手間取ってしまいましたが、無理にでも山を越えて良かった。相手の意表をつけましたよ。」
アストールはタオルを受け取り、腕の返り血を拭いて言った。
「おい、そこの下層兵士。」
階段の上から、身なりのいい男が声をかける。下層と言う言葉を使うところから分かるように、人を見下す嫌な目をしている。
「なんでしょうか、スラッド様。」
アストールの目にも、少しの敵意が宿る。
「その女中は、我々貴族が雇っているものだ。お前のような下層兵士のために働くものではない。」
アストールの金色のタレ目が少し吊り上がる。しかし、エレンは慌てて頭を下げる。
「申し訳ありません。」
その様子に、偉そうな男は満足げに微笑んで言う。
「エレン、夜になったら私の部屋にブランデーを運んで来れよ。君一人でね。」
その表情は卑しさに満ちていたが、エレンは小さく返事をするだけだった。その間も、アストールは静かに、しかし鋭い目で男を睨みつけていた。
そして、また落ちる感覚がした。
今度の空間は、割れたグラスが床に飛び散っている空間だった。鼻血を流すあの偉そうな男と、その襟を掴むアストールがいた。
「アストールさん、やめて。あなたの立場が悪くなるわ。」
エレンは必死で止めるが、アストールは手を離さない。よく見たら、エレンの衣服は乱れている。
「なんだよ、お前たち下層の人間が、私たち上層の人間に逆らうのか?」
男は半べそをかいて言う。
「僕は下層だとか上層だとか関係なく怒っています。一人の女性に対して、手荒な真似をしたことに怒っているのです。」
アストールの目は本気だ。柔らかい雰囲気と打って変わって、戦士の目をしている。男は震えて、とても言葉を発することなんて出来ない。
「何事だ。」
「…旦那様。」
旦那様とエレンに呼ばれた男は、部屋を見渡して瞬時に事態を理解したようだ。そして、一瞬乾いた笑いを見せた。
「アストール、エレン、お前たち二人は今日限りで解雇だ。」
アストールとエレンは、思わぬ言葉であっただろうに、冷静な表情で受け止めた。それに対し、息子である男が喚くように声を上げた。
「なぜです、お父様。下層の者が上層階級である私を殴ったのですよ?裁判にかけて、厳罰を科すべきでしょう。」
その言葉に、父親は鋭い目を向けた。
「馬鹿者。議会が立ち上がり、ブルート制度に変化の兆しが見えるなか、女性に狼藉をはたらきおって。おかげで優秀な兵と、働き者の女中を失ったわい。」
男は父親の、そのあまりにも威厳溢れる姿に縮こまってしまった。
「とは言え、このことが知られては我が家の汚点になる。悪いが、今夜中に屋敷を出てくれ。これは退職金だ。」
父親はそう言うと、いくつもつけた指輪を一つ外し、アストールに握らせた。それは大きな赤い石がはめられた、高価そうな指輪だった。
「旦那様…。」
「いいから早く去れ。」
アストールとエレンは深く頭を下げ、部屋を後にした。アストールは兵の詰所で少ない荷物をカバンに詰めて、すぐに支度を終えた。
そして、屋敷の門の横に一人立つ。背中には、あの槍を装備している。
「あ、アストールさん…。」
エレンの荷物は、アストールに比べて少し多そうだった。
「エレンさん、あなたを待っていました。」
それを聞いたエレンは少し驚いて、顔を伏せた。
「エレンさんは、帰る場所はあるのですか?」
「ええ、街のかなり下層ですけれど、両親が暮らしているので。アストールさんは?」
「僕は、精霊戦争の自然災害と希望教徒の襲撃で、天涯孤独の身です。」
エレンは反応に困り、俯いて、そう、と言う。
「急な申し出ですが、エレンさん、僕と生涯を共にしていただけませんか?」
エレンは、翡翠色の目を丸くして驚いた。
「僕は槍の腕しか、自慢できるものはありません。ですが、あなたを守る覚悟と、この槍であなたを養う力に自信があります。どうか、僕とともに生きてくれませんか?」
アストールはそう言って、エレンの手を取ってひざまづいた。エレンは俯く。しかしそれは、悩んでいると言うよりも、彼の言葉を噛み締めている表情に見えた。
「はい、私、あなたと共に参ります。」
アストールはその答えを受け、パッと表情を明るくした。そして立ち上がり、エレンの荷物と彼女の手を取り、二人で歩き始めた。
そして、また落ちる感覚がした。
次に足元が確かになると、見覚えのある部屋だった。エレンたちの家だ。しかし、無駄なもののない今と比べて、男の子が遊ぶ馬の人形や積み木が転がっている。
そこに、ヨチヨチ歩きの金髪の男の子がいた。きっと、カイだ。まだ見ていて危なっかしいくらいの歩き方で、アストールの槍に触ろうとしている。
「こーら、カイ。」
アストールが、後ろからカイを抱き上げる。
「これはお父さんの大切なものだよ。危ないから触ったらダメだって言っているだろう?」
アストールは微笑みながら、両腕に抱き上げたカイに話しかける。
「とーたん、ん、ん。」
「これかい?」
カイが指差すものを、アストールが拾う。それは木で出来た剣だった。受け取ったカイは、嬉しそうに剣を振った。
「カイは剣が好きだねえ。将来は剣士かな?」
そのとき、赤ん坊の産声がした。アストールはカイを抱きながら、飛び跳ねそうなくらい驚いた。
「産まれたっ。」
「だ?」
アストールはカイに言うが、カイはキョトンとしている。アストールが産声のした方の扉を見つめる。すると、扉が開き、エプロンを血で赤くした女が出て来た。
「おめでとう。元気な女の子だよ。」
アストールは涙ぐみながら、カイを見た。
「カイ、お兄ちゃんだよ。妹だって。」
「もーと?」
「奥さんに会ってやんなさい。」
そう言われ、アストールは慌てて部屋に入る。
「エレンっ。」
「アストールさん。」
疲れた表情のエレンの横には、産まれたての赤ん坊がいた。赤ん坊はピクピクと手を動かしている。
「エレン、ありがとう。お疲れ様。」
アストールが涙を流しながら言うと、エレンは微笑む。
「ほら、カイ。妹だよ。可愛いね。」
片手に木剣を持ったカイは、空いた手で赤ん坊を指で突く。柔らかい頬に、指が弾かれる。そして、カイはニコニコと笑った。
俺はその、見たことの無い光景になぜか居心地を悪く感じた。それは俺の記憶に無い、家族の姿だった。強い光が放たれているわけでも無いのに、目がくらくらとする。
同時に、ユフィが産まれた光景を思い出す。あのとき、リサは孤独だった。誰の祝福も労いも無かった。俺はいっぺんに頭に流れ込む情報に心が追いつかず、頭を抱えた。
そして、また落ちる感覚がした。
次に足元が確かになると、あの真っ白な空間だった。どうやら、アストールの死の瞬間らしい。俺は、見るのが怖くなってしまった。仲間であるカイの父、それも、顔や声もそっくりなアストールの死を、過去の出来事とは言え受け止められるだろうか。
それは、雨の中、泥だらけの地面に、複数の死体が転がる光景だった。死体のなかには、姫神教会の十字架が刺繍された司祭の姿も見られた。また、驚くことに、希望教会の司祭もいるようだ。
アストールは、傷だらけで槍を支えにして膝をついていた。彼の前には、雨に濡れながらも、泥の汚れを一切受けていない者が三人立っている。三人とも、姫神教会の十字架を衣服や鎧に刻んでおり、フードで顔を隠しているため異様な存在感だ。
「希望教徒の襲撃から守りきれず、司祭様を犠牲としてしまいました。申し訳ありません。」
アストールが三人に向かって言う。改めて死体を見てみると、希望教徒のほうが多勢で、アストールが生き延びているのが不思議なくらいの状況だ。彼がいかに、実力のある戦士なのかが分かる。
「…我々は、戦力を求めています。」
三人のなかの一人が言う。声からして、女のようだ。アストールは、その意外な一言に顔を上げる。
「アストール=エルキエフ。あなたは今、この場で死にました。これからあなたは、ヴァルクシェンナ軍の兵となります。」
「ヴァルクシェンナの…?」
女の言葉は一方的で、アストールはもちろん、俺にも理解ができない。女はなおも続ける。
「あなたはこれより、ヴァルクシェンナ軍に加わり、ソクアヴェスタと戦う兵となるのです。」
「ま、待ってください。私はレシオに家族がいます。家族はどうなるのですか?」
アストールは必死に主張する。
「言ったでしょう。あなたはこの場で死にました。遺品は、その槍で良いでしょう。」
女は何の温度も無い口調でそう言うと、指をクイっと動かし、アストールから槍を取り上げる。支えを無くしたアストールは両手を地面につき、槍は地面に刺さった。
「な、なぜヴァルクシェンナに、僕が…。」
アストールが顔を真っ青にして言うと、女は言う。
「この精霊戦争で、ソクアヴェスタに負けるわけにはいかないのです。世界を続けるために。そのために、あなたのように腕の立つ戦士が必要なのです。」
女は手で、後ろに立つ兵に指示を出す。二人の兵はアストールの両脇を抱える。
「待ってくれ、僕は行かない。家族がいるんだ。僕は…」
女がアストールの顔に手をかざすと、糸が切れたようにアストールは眠った。
「ソラ、ランプを消して…。」
「…。」
「ソラ…。」
「うるせぇなっ。」
俺は座り込みながら、大声を出す。声は虚しく反響した。
「お前はなんなんだよ?ソクアヴェスタ側か?ヴァルクシェンナ側か?」
「それは、私が出す答えではありません。」
「だから、その答えってなんなんだよっ。こんな嫌な記憶ばかり見せられて、そのうえあんたの曖昧な態度に、俺はイライラしてんだ。」
「…ごめんなさい。」
俺はその意外な一言に、言葉を失う。怒りのままに感情を散らかしたかった俺は、思わず固まってしまった。
「…私に出せない答えを、あなたに出してほしいのです。」
「…なんで、何を、どうして。」
俺は喧嘩で振り上げた拳の行方を見失ったような、心許ない言葉をこぼす。
「あなたの目で、答えを出して。」
結局、何も分からない。しかし俺は、早くカイの元へ戻りたかった。カイに、アストールのことを伝えなくては。
気持ちを掻き乱されながらも、俺は、ナイフの切先にフッと息をかけた。
戻るときはまた、あの感覚がした。深い川の底から、水面へ一気に浮き上がる感覚だ。
「見つけて…。」
いつもの鈴のような声がした。
「私を、見つけて…。」
俺はその頼りない声にすら、縋りつきたくなった。いろいろな考えだとか、生き方だとか、人々の姿を見て、俺は何を目指して生きていけばいいんだろう。あんたの声を目指せばいいのかい?
でも、あんたはどこにいるんだい?早く、会って話がしたいよ。
ハッと大きく息を吸って、俺は世界に戻った。元いた物置きだ。目の前に、アストールが勇ましく振るっていた槍が立てかけられている。
「ソラ、大丈夫かい?」
カイが俺の背中に手を添える。俺は深呼吸をして、カイへ告げる。
「カイ、アストールは死んでいなかった。」
カイの目が少し細くなる。それは、これから告げられる事実を受け止めようと、何か準備をするように見えた。
「希望教徒に襲われて、アストール以外が死んでいた。そこに姫神教のヤツが現れて、ヴァルクシェンナへ連れて行ったんだ。」
「ヴァ、ヴァルクシェンナ?」
心の準備はしていただろうが、予想外の言葉にカイが目を丸くする。
「どうして、ヴァルクシェンナへ…。」
「戦力が必要だって言っていた。ソクアヴェスタに負けないために。世界を続けるためにって。」
カイは信じられない様子で、視線を宙にさまよわせて言う。
「それじゃあ、徴兵ということかい?なぜ、それを家族に知らされずに…。」
「詳しくは分からない。けど、連れて行ったヤツは、アストールをこの場で死んだことにするって言っていた。アストールが何度も家族のことを言っても、何も聞き入れずに連れて行った。」
カイは額に手を当てて、無言のまま俯いた。言葉は無くとも、こんなにも取り乱す彼を見たことがない。
「…ごめん、しばらく一人にしてくれないか?」
ようやくカイがその言葉を振り絞り、俺は黙って物置きを出た。
「ソラ、どこへ行っていたの?」
マキが微笑んで尋ねてくる。部屋は和やかな雰囲気で、皿洗いを終えたセシルも加わってお茶を飲んでいるようだった。
「カイと探検してたのさ。」
「え?物置きを?やだ、散らかってたでしょ。」
俺の言葉に、セシルが恥ずかしそうに言う。
「いや、カイが懐かしいって言っててさ、カイはまだ探検してるよ。」
俺はそう言って、空いている席に座った。そして、テーブルに置かれた一枚の写真を見る。
「これは?」
「それはね、セシルが産まれたときの写真ですよ。うちにある、唯一の家族写真なんです。」
エレンの説明を受け、俺はその写真を見る。それは先ほど、銀の糸の記憶で見た光景を切り取ったものだった。まだ視力があり、目を細くして微笑むエレン。その腕には布に包まれた、産まれたてのセシル。横には満面の笑顔のアストールと、彼に抱かれてそっくりな笑顔を浮かべるカイ。写真でも、木剣を持っている。
写真は白黒だが、俺は記憶のなかで、赤く燃えるような髪色のアストールを見た。そして、その勇ましい戦士姿も、優しい父としての姿も目にした。
俺はやっぱり、この写真を見て、眩しくて喉が熱くなった。そして、これはアストールが守りたかったものなのだと、苦しくなった。
「…ソラ?どうして、そんなに悲しそうなの?」
セシルに言われて、ハッとする。本当は微笑ましく眺める家族写真なのに、俺には悲しい過去の、もう手に入らない宝物としか思えないのだ。
しかし、俺は調子を取り戻して言う。
「いや、こんな小さい頃から、カイって剣が好きだったんだなって。」
すると、マキがそこ?と微笑む。
やがて、物置きからカイが出て来た。俺は彼の様子が心配だったが、カイは昔、セシルの描いた絵を持って、笑顔で現れた。
「問題です。これは何の絵でしょう?」
ジャン、とカイが明るく言う。セシルはやめてよっと大声を上げる。
「…じゃがいも?」
「いや、ひまわりだな。」
「どう見てもひよこじゃな。」
俺、ユフィ、カスガと答えるが、カイは首を横に振る。セシルの顔は真っ赤だ。
「分かった、お兄ちゃんでしょ?」
マキが指を差して答えると、カイが正解っと笑う。俺たちは思わず拍手した。
「ほー、よう分かったのう。」
「ちょっと、どう言うこと?」
セシルに睨まれて、カスガが身を小さくする。
滞在二日目はこうして、和やかに終わった。
俺はやはり、カイを強いと思った。腕っぷしだけでなく、その気持ちの保ち方だ。何も感じないわけじゃない。本当に鈍いわけではない。何かに傷ついても自分のなかでケリを着けて、みんなの前では笑顔で振る舞うのだ。
俺は何を目指して生きれば良いか、正直何も分からない。けれど、カイの姿は、俺がこう在りたいと感じる【かっこいいヤツ】だった。




