ジオリダム、水平線に背を向けて《ソラ》
《ソラ》
朝を告げる鐘が、遠くから聞こえる。あんな混乱のあとも、教会は時間通りに鐘を鳴らすのだなと、寝ぼけながら考えた。
身支度を終えた俺たちは、情報を集めるため二手に分かれた。カイとユフィは国立魔道学院へ、俺とカスガとマキは市場の方へと向かう。集合は、昼を告げる鐘を目安にする。
大通りは昨日と変わらず、死体の山と死臭、虫の音やすすり泣く声と、大きな悲しみを残していた。俺たちが泊まった宿が、ほとんど損壊が無いのは奇跡のようなものなのかもしれない。
市場へたどり着くと、商売人たちが自分の店を立て直そうと懸命に片付けをしている。アンナが働く花屋も同じだ。あの元気のいい店長が、壁の破片や花びらをほうきで掃いている。俺たちは声をかけた。
「ああ、ユフィくんの友達かい?見ての通り、商売まで時間がかかるよ。…まあ、花なんて、必要無い国になるかもしれないけどね。」
店長は目を伏せて店を見る。そして、ご覧、と街を指差して言う。
「ジオリダム自慢の、青い化粧レンガの街並みが台無しだよ。私たちの大切な景色がめちゃくちゃだ。誰のせいか分からないけれど、よっぽどこの国に恨みがあったのかね。」
店長の言う通り、遠くに海があり手前には美しい青い化粧レンガ、と言う洗練された景観が失われてしまっていた。旅人がわざわざ訪れて見る街並みは、過去のものとなってしまった。
「まあ、私たちは生活をしないといけないからね。這いつくばってでも立て直していくよ。」
店長が気丈に言う。そこに、カスガが言う。
「もし戦争が始まっても、薬品が足りなくなって、次は薬草ですじゃ。花屋の知識を生かして、薬草を扱うのも良いと思いますぞ。」
それを聞いた店長は、大きく笑ってそりゃいいね、と言った。すると、それを聞いていた近くの市民が声をかけたきた。
「すみません、あなた、メウィティカの方ですか?薬品や医療の知識はありますか?」
それはエプロンを赤黒く染めた、若い女だった。カスガがそうです、と返事すると、女は顔を明るくして言う。
「私は医療所の者なのですが、人手が足りなくて…。よろしければ、お手伝いいただけませんか?」
女はそう言って、頭を深く下げた。カスガは何も言わず俺たちを見るが、顔も体もうずうずしているのが見て取れる。
「大丈夫さ、カスガ。夕飯までには宿で集合しようぜ。」
俺がそう言うと、カスガは顔をパッと明るくして、女に着いて行った。
「ああ言うところが、カスガのいいところよね。」
マキがそう言うのに、俺は大きく頷いた。
「号外っ。ラスタ党から発表だっ。」
突然、大きな声が市場に響いた。新聞屋が掲示板横に木箱を積み重ね、その上に立ち、大声で叫んでいる。市場の人々は、そこへどんどん集まる。俺とマキははぐれないように手を繋ぎ、少しでも掲示板に近づこうとする。しかし、あまりの人波になかなか前へ進めない。
「確認した者は後ろへっ。復興活動へ戻れっ。」
新聞屋はそう指示するが、人々はどよめき、なかなか俺たちは掲示板へたどり着けない。
「なんで、この前みたいにビラにして配んないんだい?」
「たぶん、それだけの資源も時間も余裕が無いのよ。」
俺の疑問に、マキがそう答えた。そして、こう言うときのマキは強い。キーエール村で、ダフィの死骸に最初に手をつけたように、強い行動力でぐんぐん前へ進む。俺は彼女に引っ張られながら、掲示板へたどり着いた。その内容はこうだ。
【徴兵令:十八歳以上の男子、徴兵検査を受けよ。期日:…】
もう一枚はこうだ。
【徴兵令:エクラ種、ハーフエクラ、徴兵検査を受けよ。対象:十五歳以上。期日:明日。】
俺とマキは、そのあまりにも急で予想外な展開に顔を合わせた。新聞屋は掲示板を見るように叫んでいる。
俺たちは、掲示板以上の情報を得られずに宿へ戻った。帰りの道中、マキと一緒に、ユフィにどう伝えればいいのか必死に話したが、どう考えても良い伝え方が見つからなかった。
先に宿に着いたのは、俺たちだった。席に着き、カイとユフィの帰りを待ちソワソワとする。同時に、明日にはユフィが旅の仲間から外れてしまう現実を想像できず、何度も頭を掻きむしってしまう。
昼の鐘が鳴るのとほぼ同時に、扉がノックされ、カイとユフィが戻って来た。俺たちは思わず立ち上がり、引きつった顔で迎えてしまう。
「…まあ、情報を共有しよう。」
ユフィは冷静に言い、水差しからカップに水を注ぎ、四人分テーブルに置いた。カイにカスガのことを聞かれ事情を伝えると、カスガらしいね、と言った。そして、ユフィが一番に驚きの名前を出した。
「昨日の騒動だが、原因はセーラ=ケルペアだ。」
俺たちは驚いて、その名をおうむ返しする。ユフィは続けた。
「セーラは百人弱の人間を植物状態にして、罪に問われたことは前に話したな?それは五年前、俺が魔道学院に入学する直前のことだったらしい。そして先ほど、カイとともに学院へ行き、セーラを教えた教員の、助手を務めていた方に話を聞けた。」
そこまで言うと、ユフィは小さな帳面を開く。彼がメモを書き入れる帳面だ。
「セーラは、いわゆる禁術に手を出した。その内容は明らかで無いが。そして、その禁術によって、百人弱の男を植物状態にした。その男たちが、昨日騒動を起こした魔道士たちだ。」
それを聞き、俺たちは、昨日戦った男たちのギョロリと開いた目と薄ら笑い、そして、ソクアヴェスタが甦ると言う言葉を思い出す。
「じゃあ、昨日セーラは国のどこかにいたの?」
マキが問うと、ユフィは首をひねって言う。
「それは分からない。しかし、助手の方によると、セーラを教えていた教員も植物状態となった一人らしい。しかし、パレードの開始とともに突然起き上がり、外へ飛び出して魔道を手当たり次第に放ったと、その教員の妻が言っていたらしい。」
「他にも言っていたのは、セーラは、言い方は悪いけれど半端な魔道士を植物状態にしなかったって。そういう魔道の先生とか、戦場で活躍した経験のある軍人、いわゆる実力者を選んでいたみたいだよ。」
カイが説明を付け加え、納得する。ほんの数時間で、城下町に大打撃を与えるほどの騒動が起きたわけだ。ユフィは続ける。
「昨日騒動を起こした魔道士の大半は、軍人によってその場で処罰された。なんとか拘束した魔道士も、同じことを繰り返しているらしい。」
「ソクアヴェスタが甦る、か。」
俺が言うと、ユフィとカイが頷く。ユフィは言う。
「おかげで、首謀者も、何をきっかけに魔道士が目覚めたのか、そもそも狙いはなんなのか、全く分からないらしい。」
ユフィは俯いてしまったが、俺には心当たりがある。どこかで触れないようにしていた、あの嫌悪感ある出来事を打ち明けようと思った。
「実はその、ソクアヴェスタが甦るってヤツ、ヒューが言っていたんだ。アルデールで初めて会ったとき。」
三人が俺を見る。そして、ユフィが言う。
「繋がったな。やはり、裏には希望教が関わっているわけだ。」
「…五年前から、セーラが希望教として罠を張っていたと言うこと?」
マキが不安げに問いかける。だが、誰も答えられず、沈黙の時間が流れた。
希望教と殉教の魔道士は、十年前の精霊戦争終結以降、日陰者や異端者の扱いを受けてきたと言うのは、何度も聞いた通りだ。そして、ここ最近で姿を見るようになり、強い違和感を抱かせたのだが。
「…異端者扱いを受けながらも、着々と何かしらの計画を進めていた、と考えるべきかもしれない。」
ユフィは自信なく呟く。情報は集めたものの、謎が深まったばかりだった。
「それで、そっちは。」
ユフィに問われ、俺とマキは一瞬ためらい、互いに顔を見合わせた。
「気を遣わなくていい、掲示板を見たんだろう。」
ユフィがそう言い、俺たちは返事もなく頷いた。
「僕たちも見たんだ。学院近くの掲示板でね。学生には対象となる人が多いみたいで、動揺している人も多かったよ。」
カイが説明し、俺たちはその様子を想像する。確かに、若者が多い学院近くでは目にした者の反応も違うだろう。マキが問いかける。
「でも、どうして急に?それだけ余裕が無いと言うこと?」
「ああ、学院でもう一つ分かったことだが、昨日の被害は相当なものだったらしい。パレードの列が被害を受けたこともあり、軍の人手が欲しくなったのだろう。」
ユフィは冷静に答えるが、俺は思わず、少し声を荒げて言う。
「それにしても、明日には兵士になるだなんて、人をなんだと思ってやがる。」
しかし、当の本人は冷静なまま、俺を見つめて言う。
「言っただろう。これがこの国での、エクラやハーフエクラの扱いだと。」
そう話すユフィは冷静だった。そして、その瞳を見て、俺は彼のなかにある覚悟を感じた。しかし、それは将来、アンナとともにアリアレジスへ行くと語った純粋な覚悟とは違う、諦めが混ざった感情に思えた。
そのとき、扉を叩く音がした。カスガが戻るには早い。一番扉に近いカイが扉を開く。すると。
「父さん。」
ユフィが目を丸くして驚いた。カイとマキはえっ、と声を上げる。入り口には、腹回りに少し肉のついた銀髪の男が立っていた。
俺はこの男を知っている。銀の糸の記憶で、リサと産まれたてのユフィを、道具を見るような目で扱った男だ。俺は腹立たしさを思い出す。ユフィは冷たく言う。
「一応、宿は教えてはいたが、何をしに来たんだ。」
ユフィの銀色の瞳は、とても家族に向けられた目とは思えない。
「その前に、旅の同行者の方を紹介するのが礼儀だろう。はじめまして。私はユフィの父です。旅ではユフィがお世話になったようで、お礼を申し上げます。」
ユフィの養父は、丁寧に、しかし威圧感を保ったまま挨拶をする。それに応え、カイとマキも礼儀正しく名乗る。しかし、俺はそんな心持ちにはなれず、無愛想に名乗った。
「…ソラ。」
俺の敵意を込めた目を察した養父は、一瞬、眉に力を入れるが、すぐに表情を直す。そして、ユフィに問う。
「もうお一方は?」
「街の医療所に手を貸しているらしい。」
ユフィは養父と目を合わせずに答える。すると、養父は懐から半分に折った紙をユフィに差し出して言う。
「…これは?」
「お前をアリアレジスの知り合いに、養子として出していた。」
養父はなんのためらいも無く、ユフィの人生に関わる出来事を口にした。ぶっきらぼうを貫いていたユフィも、さすがに目を大きく開けて養父を見る。
「街の教員をしていると、国の情勢には敏感になるものでな。…我が家からハーフエクラを出兵させるわけにはいかないからな。」
紙を受け取ったユフィの顔が歪む。俺は怒りが頭に届き、テーブルを叩いて怒鳴る。
「なんだよっ。親父なのに、ユフィを捨てるって言うのかっ。」
「…どう捉えても構わない。そうだ、皆さん、ユフィの生まれのことをご存知のようだが、内々のこととしてください。くれぐれもご内密に。」
養父はそう言うと、扉へ向かった。
「父さん。」
ユフィが呼び止める。養父はゆっくりと振り向く。
「一応言っておく。育ててくれたことには感謝している。母さんにも伝えてくれ。」
養父はああ、と言うと、扉を開けて出て行った。
俺たちはユフィが気になり、彼を見た。ユフィは紙を開き、その内容を読む。
「カーター=ソエリフ。アリアレジス国立魔道学院教授。あとは住所が書いてあるな。どうやら俺は、新しくユフィ=ソエリフになるらしい。」
俺たちはまたも、かける言葉が見つからず俯く。しかし、ユフィはなるほど、と紙を帳面に挟んで言う。
「この手があったか。アリアレジス国籍を得る方法だ。まあ、徴兵ギリギリまで黙られていたのは、腹立たしいが。」
そう言うユフィの表情は、俺たちの心配をよそに晴れやかさすらある。カイは言う。
「でもきっと、国籍の変更だなんて時間がかかることだし、お父さんはユフィのことを考えていたんじゃないかな。」
「ルナセフ家からハーフエクラを出さないためにな。あの親は、俺が自分の家に役立つかどうかでしか考えてない。」
ユフィは頑なにそう意見する。ここについては、俺たちが想像してもたどり着けない、家族の事情があるのだろう。
「しかし、困ったな。俺はもう魔道学院の学生としての資格を失ったことになる。」
「じゃあ留学は中止かい?」
ユフィの呟きに俺が問うと、ユフィは顔を上げて答える。
「中止になってしまうな。しかし、新しくアリアレジスで学ぶ場所を見つければいい。いや、見つけてみせる。幸い、ブライト先生のサインや、新しくカーターと言う人の伝手がある。」
ユフィは憑き物が落ちたような顔で、未来を語る。俺たちもつられて、微笑みながら頷く。
「ただ、リサ先生とアンナのことは心配が尽きない。カイ、女性が軍属になることの注意点はあるか?」
ユフィの問いに、カイは少し悩んで、マキを見た。マキは何かを察して言う。
「私、席を外すわ。隣の部屋にいるから、話が終わったら呼んでね。」
カイはすまない、と言って、部屋を出るマキを見送った。そして、カイは落ち着いて話し始めた。
グランディエはまだ、騎士は男性だけで、比較的簡単な試験で入団できる兵士に女性が一部いるのみだと言う。女性はやはり、立場が弱いらしい。
一番は男性から、暴力的な扱いを受ける心配があることだと言う。カイはそれを言い淀んで話し、俺とユフィは、嫌悪感で顔を歪ませる。前衛に立つ戦闘員でも、炊事兵や医療班と言った非戦闘員でも、その危険はあり得るという。他にも体力の差異や、身体的な健康被害が出ることもあると言う。
話を聞き終えると、ユフィなりの答えが出たのか立ち上がった。そして、カイに礼を言い、すぐに外へ出かけた。
「ユフィってすげえな。自分が辛くても、アンナたちのことを考えて、将来のこともちゃんと考えて…。」
俺は心からそう感じた。まだ自分のことしか考えられず、アリアレジスに着いてからのことも何も分からない俺に、ユフィは大きく立派に見える。
「それは僕も感じるよ。年上の僕から見ても、ユフィはとても立派だよ。」
カイがそう言うのが、俺は意外で彼を見上げる。
「カイは、騎士になるのを選んだわけじゃないのかい?」
「そうだなぁ、剣で生きていきたいとは子どもの頃から考えてきたけれど、気づいたらクアロラルシュ家の養子になって、気づいたら騎士になってたなあ。」
俺は驚いた。カイは、と言うよりも騎士は、言い方が悪いが偉そうと言うか、誇りを持って働いているように感じたからだ。それに、人生ってそんなものなのか、とも思ってしまった。
「カイは、今の自分に満足かい?」
俺がそう問うと、カイは少し悩んで言う。
「不満は無いよ。でももっと強くなって、国や人に貢献できる騎士になりたいね。以前話したと思うけれど、僕の死んだ父が、そういう人を守れる強さを持った人だったんだ。僕はこれからも、鍛錬に励むさ。」
カイはそう言うと、マキを呼びに行った。
もっと強い騎士に、とカイは言ったが、俺は昨日、彼が話した煉獄のことを思い出した。人を殺める罪を重ねている自覚とともに、強い騎士になりたいとを語るカイは、何だか違うカイが二人いるように感じた。
しかし、カイも彼なりに自分と向き合って、何かを諦めたり乗り越えたりして生きてきたのだと想像した。
すぐにマキが戻って来たので、俺たちは三人でカスガとユフィのために夕飯のことを考えた。しかし、市場はまだ商売を始めておらず、また教会から昨日と同じ炊き出しを恵んでもらった。これだけでは足りないので、俺たちは宿屋のキッチンを借りて何かを作ることにした。ちょうど良いことに、カスガが野草や香草を分かる位置に置いていてくれていた。俺たちはそれを拝借し、料理をすすめる。
主導権を握ったのはマキだ。何かスープを作っている。
「うん、いいかも。私史上、最高傑作っ。」
味見をしたマキがにっこり微笑んで言う。期待をして、俺とカイも味見をする。
しかし、俺は愚かにも忘れてしまっていた。この二人の煉獄の味覚を。辛い。辛すぎる。自分では見えないが、俺の顔はきっと今、真っ赤だろう。
「本当だ、これはカスガもユフィも、絶対に喜ぶよ。」
カイが満面の笑みで褒め称える。二人は期待に満ちた目で俺を見たので、俺は必死に顔面を動かして笑った。
やがて夕方の鐘が鳴り、カスガとユフィが帰って来た。カスガは服を汚していたが、多くの人の役に立てたのか清々しい顔をしていた。
そして、話もそこそこに食卓につき、挨拶をする。カスガとユフィはスープに口をつける。マキがニコニコと見守っている。すると、二人の顔はにわかに真っ赤に染まった。額には汗も見える。
「どう?」
マキが少し前のめり気味に聞く。
「うむ、うむ、刺激的な味じゃ。口の中で武器を投げ捨てた武人が肉弾戦をしておる。」
カスガが無理に笑っておおげさに手を叩いて言うが、全く意味が分からない。
「昔、雷の精霊がイタズラをしてきて体が痺れて、俺の体のなかで水の精霊と喧嘩をし始めたことを思い出す。」
ユフィも意味の分からない感想を口にする。マキがそれって褒めてる?と聞くと、ユフィは頷き、こう言った。
「型破りな才能を感じる。」
ユフィは顎まで汗を流している。
「ユフィも料理上手だけれど、マキの料理も美味しいよね。おかわりっ。」
カイは早々にスープ皿を平らげた。俺たち三人はそれを見て目を見開く。
「いいわねー。ほら、鍋いっぱいに作ったから、遠慮しないでっ。」
マキが鍋を傾けて中を見せてきた。カスガとユフィが天を仰ぐ。カイは嬉しいなぁ、と喜んだ。
俺は、なぜか分からないが、内側の世界に助けを求めた。しかし、どうやらスープを口にした俺の内側は荒れているようだ。アッシュが泣き、火の精霊が笑い、水や雨の精霊が文句を言っている。俺は目を閉じて、頼む、力を貸してくれ、と心から願った。
夕飯を食べ終えた俺たちは、かつてない達成感を共有していた。そして、同じ過ちを二度と犯さないよう、無言で約束しあった。カイは満足そうに食器を洗っている。
五人揃い、俺たちはカスガに不在時にあったことを伝えた。特にユフィの養父の話に、カスガは複雑そうな顔をしたが、ユフィの表情を見て、その新しい覚悟を感じ取ったようだ。俺は問いかける。
「リサ先生やアンナは大丈夫そうかい?」
「ああ、リサ先生には軍から直接、軍医として務めるよう命令があったらしい。そして、俺の新しい国籍のことを話したら、新しくブライア=ツェベリ教授への紹介状を書いてくれた。」
「そうか…、軍医も決して、安全な立ち位置とは言えないからのう。ご無事でいられると良いが。」
ユフィの言葉に、カスガが心配そうに話す。医療を知るカスガの、説得力のある言葉だった。
「アンナは、どう?」
マキが問うと、ユフィは俯いて話した。
「俺には笑って、別れを交わした。それから、軍属になったら必ず同性といるように伝えた。ただ、アンナは顔に出やすくてな、不安が滲み出ていた。」
「別れっ?」
俺がその言葉に驚くと、ユフィはすぐに話す。
「お前たちが俺たちをどう考えているかは想像に任せるが、一時的に離れるだけだ。いずれアリアレジスで会うことは改めて約束した。」
それを聞き、俺たちは安心のため息をつく。
「ユフィ、あのブレスレットは?」
妙なところで目ざといカイが気づく。
「…アンナに渡した。リサ先生の了承は得た。」
ユフィは少し照れ臭そうに言い、俺たちはおー、と声を上げる。ユフィが眉をしかめて言う。
「…なんだよ。」
「じゃあ、いつか本当にアンナを迎えに来ないとな。」
「当たり前だろ。」
俺の言葉に、ユフィは潔く言った。
「アンナの、ユリフユ語の翻訳者の夢も叶えてほしいものね。」
マキが優しく話すと、ユフィは素直に頷いた。
そして、俺たちは明日以降の話をした。
頼みの綱であった港は、戦時下に備えて旅客船の運行を止めたらしい。武器や食糧の輸入に苦労しているとの話だったが、普段、貿易の表舞台に出ないような、紛争地帯やアリアレジスへの反感が強い国と交渉をしていると、旅客船の係員がボヤいた。
カイやユフィいわく、ジオリダムは魔導士たちの暴走で相当な打撃を受けており、もう相手を選べる余裕が無いらしい。通常の貿易よりも、かなり高い価格で輸入することもやむを得ないほどだと言う。
俺たちは、早朝に出発することを決めた。正直、買い出しをしたい気持ちはあったが、市場はまだ混乱していたし、何よりも徴兵されるエクラやハーフエクラを見たくなかったのだ。
夜が明けて、太陽が水平線から顔を出すと同時に、俺たちは街の門へ向かった。ジオリダムへ来たときは、青い化粧レンガの街並みの美しさに感動したものだ。しかし、朝日を受ける街は、瓦礫の下にその美しさを閉じ込めてしまっている。
結局、魔導士たちの暴走は、何を目的としていたのだろう?セーラの真意は何なのだろう?俺たちは新たな疑問と疑念を胸に歩いた。
門を出るのには、入国のときよりも念入りな検査をされた。特にユフィは、多くの質問をされていた。俺たちは門番とユフィの問答を長い時間、見守った。やがて、ユフィは解放された。しかしそれは、ユフィがもうジオリダムと縁の無い人間だと言う証明だった。
俺たちは運良く、旅の商人の馬車に乗ることができた。金銭のやり取りはあったが、商人はマキの奏でる音楽を喜んだ。最近、不穏な空気が漂うこの辺りで、こんなにも優しい音色に安らぐのは久しぶりだと言っていた。
馬が走り、あの不思議な形の外壁が遠ざかっていく。あれほどの騒動があったというのに、外壁に大きな損傷は無いように見えた。魔道大国としてのジオリダムの権威を感じる。
あの外壁の向こうには、見知ってしまった人々が生活をしている。ユフィはどんな気持ちで、この馬車の荷台に乗っているのだろう。
ジオリダムはあの外壁を出て、バルセールへ侵攻する。何週間、何日かすれば、今走っているこの草原も戦場になるのだと、俺は戦争の予感に震えた。
馬車は途中の旅籠まで俺たちを運んでくれた。旅籠はジオリダムやバルセールから逃げた人々、特に、耳のとがったエクラ種が多く押しかけていた。
しかし少しして、それぞれの国の軍人がそれらの人々を連れ戻しに来た様子を、俺たちは陰から見ていた。なかには引き裂かれるようにされて泣く、家族や恋人の姿も見られた。その姿の全てに反応していては、とても自分を保てないほどに旅籠は悲しみで溢れた。
軍人たちが去った旅籠は静かになった。陰から見ていたであろう旅人や商人が現れ、何事も無かったような日常の風景を取り戻す。俺たちは食糧を買い、夕飯をとった。ユフィが作る飯は、やはり美味い。夕飯を終え、食器などを片付ける。
ふと、夜空を見上げると、満天の星空に目を奪われた。カイが指を差して説明する。
「あそこに、琴座が見えるね。」
「コトザ?」
俺が問うと、カイは説明する。
「うん。遠い過去の神話でね、妻を亡くした夫が、煉獄へ妻を迎えに行くと言う話がある星座なんだ。」
カイの落ち着きのある声に耳を傾けていると、優しい音色が聞こえてきた。マキのエルターニャ笛だ。夏の始まりの夜空に、音色が優しく響く。カイは神話の続きを語る。
「夫は煉獄の試練を乗り越え、妻を助け出す。そして、煉獄の奥底で、元の世界へ戻るまで妻の顔を見ないと言う約束をするんだ。つまり、振り返らないと言うね。」
気づいたら、カイの語り口と、マキの音色に、多くの旅人が耳を傾けていた。
「けれど、あともう少しで元の世界というところで、夫は振り返ってしまったんだ。そして、見てしまった。妻の、煉獄で痛めつけられた顔をね。」
マキの奏でる音色は、悲壮の色を濃くした。
「妻は焼けただれた自分の顔を恥じて、夫が引き留めるのを聞かずに煉獄へ戻った。あまりの後悔に、夫は自分で命を断ち、星になった。そして、生前得意だった琴の形を描き、今も初夏の夜空で輝いているんだ。」
その話を聞いた旅人たちは、悲しげな表情を浮かべながら、しかし満足げにカイとマキに金を差し出した。二人はそれを快く受け取った。旅人たちの投げ銭が落ち着き、ユフィは夜空を見て呟く。
「振り返らない、か。俺にできるだろうか。」
その銀色の瞳は夜空を見つめ、瞬く星々の光をとらえていた。そして、少しため息をついて言う。
「…いや、できる、できないじゃない。俺はやってやる。アンナもリサ先生も、必ずアリアレジスで暮らせるように、俺は学び続ける。」
ユフィは独り言のように呟く。しかし、俺たちは一人の魔導士の、そして仲間の、大きな決意の証人となるのだ。ユフィならば、必ずやり遂げる。
俺たちは一つの大きな国を旅立ち、新たな道を切り拓いていく。




