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【太陽物語】 夜明けへ進む少年は  作者: 立花ハル
《第五章 トール大陸北上、血と争う者》
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ジオリダム、煉獄のパレード《ソラ》

《ソラ》


 出征パレードは熱狂の渦で沸き立っていた。

 もう少しで夏を迎えようとしているジオリダムは、まだ心地よい涼しい風が吹いていた。しかし今、この瞬間は、蒸し暑いくらい汗ばむほどの熱気を感じられる。

「ジオリダムはやっぱり、魔道兵が多いんだね。」

 人波の先を見ようと背伸びしたカイが言う。

「グランディエに騎士が多いのが特徴なように、ジオリダムは魔道兵を積極的に育てているのが特徴だ。前衛は攻めよりも厚い守りで時間を稼ぎ、魔道兵の攻撃で一気に叩くのがジオリダム軍の定石(じょうせき)だ。」

 ユフィの説明を聞き、カイはなるほど、と呟(つぶや)く。

 そのとき、一際大きな歓声が沸き起こった。

「バイル元帥(げんすい)っ。」

「すごい、本物よ。」

 その歓声の行方を知りたくて俺は背伸びをしたり、人波の隙間を覗いたりするが、全く見えない。しかし、人波の向こうに他よりも大きく、細かな刺繍で仕上げられた、立派な国旗が見えた。俺は聞く。

「元帥って?」

「軍の頂点にいる方だよ。戦場における、最高責任者になるのかな。」

 カイの説明を聞き、大きな歓声の理由に納得した。バルコニーや屋根にいる人々は、紙吹雪を降らせている。

 少し前の俺なら、すごい、と手放しで感心しただろう。しかし、隣に立つユフィを見上げると、とてもそんな気持ちになれない。ユフィは腕をグッと組んで、無言で人波を見ている。

 

「…音がズレているわ。」

 マキが小さく呟く。どうやら、演奏隊の行進曲が乱れたようだ。マキは議事堂の方向にその乱れを感じ、耳を澄ませている。しかし、辺りの歓声が大きくうまく聞こえないようで、顎(あご)に手を添えて集中している。

「…悲鳴が聞こえる。」

 マキの呟きに、俺がえっ、と小さく声を上げた。その瞬間。


 議事堂側のパレードの隊列に、複数の雷が落ちた。昼間の青空を引き裂き、雷鳴が人々の歓声をかき消す。

「議事堂のほうから、精霊の力を感じる。」

 そう言って、ユフィが本を取り出す。演奏隊の行進曲は、完全に止まった。周囲の人も異変を察知し、露路裏に逃げる人や動けなくなっている人と、混乱に包まれている。

「軍が状況を把握し、指示を出すっ。勝手に動くなっ。」

 近くの軍人が声を張り上げるが、人々は全く聞いていない。

「マキ、ソラ、いつでも結界魔道を出せる準備を頼む。」

 カイが剣に手を添えながら言う。俺たちは返事をして、議事堂の方を見る。しかし、思いがけない方向からも悲鳴が聞こえた。

 街の門に近い方だ。さらに、それとも違う方向からも悲鳴がした。俺たちは悲鳴のたびにそちらを見るが、追いつかない。

「強い魔道が、あちこちで展開されている。」

 ユフィが言う。そして、俺はそれを見て叫ぶ。

「火が竜巻になっているっ。」

「火と風の結合魔道だ。かなりの使い手たちだ。」

 ユフィの言葉に、警戒心と緊張感が強まる。周りの軍人たちも混乱し、統制が取れていない様子だ。すると、周囲で悲鳴が上がる。

「ゆ、揺れているっ。」

 今までに経験の無いほどの地震に、俺は恐怖心に襲われる。立てなくなり地面に膝をつく俺を、カスガが上から覆ってくれた。近くで軍人たちが乗っているであろう馬のいななきが聞こえる。

 すぐ近くの建物が倒壊したのを目(ま)の当たりにする。それにより、何人かの人が下敷きとなった。俺は体が固まり、目を離せなくなってしまった。

 揺れが収まり、隣で姿勢を低くしていたカイがいち早く立ち上がり、倒壊した建物へ走る。

「カイっ。」

 マキが呼ぶが、カイは止まらずに瓦礫(がれき)を力強く乗り越えた。そして、一人の人間を瓦礫から引きずり下ろし、地面に組み伏せた。

「国家への反逆かっ。首謀者を言え。」

 カイは組み伏せた男に問う。倒壊した際の砂埃(すなぼこり)が少し晴れ、男の顔が見えた。その男は、目をギョロリと大きく開け、口元に薄い笑みを浮かべていた。

 そして、こう叫んだ。

「ソクアヴェスタが甦るっ。」

「な、何…?」

「ソクアヴェスタが甦るっ。」

 男を抑えるカイも、その異様な様子に顔を強張(こわば)らせる。俺は背筋が凍る思いがした。

 ヒューの言葉だ。アルデールでヒューが呟いた、謎の言葉。

「ソクアヴェスタが」

 男が繰り返し叫ぶのを、一人の軍人が槍を突き止めた。男は目をギョロリと開き、薄ら笑いを開けたまま止まった。まるで、操り人形の糸が切れたようだ。カイは男から離れて、瓦礫へ向かう。

「皆さん力を貸してくださいっ。人が下にいます。」

 カイが大通りの人々に向かって叫ぶ。俺たちはすぐに駆け寄り、力を合わせて瓦礫をどける。他にも何人かの市民が力を貸す。

「皆さんもこちらへっ。」

 カイは軍人に叫ぶ。しかし軍人は何も反応せず、周囲の悲鳴や、あちこちの魔道の被害に右往左往しているばかりだ。カイはすぐに見切りをつけ、再び瓦礫をどかし始めた。瓦礫の下から声がする。

「助けて…。」

「大丈夫よ。すぐに助けるから。」

 すると、マキは思い出したように笛を構え、補助魔道を奏でた。瓦礫をどかすための力が、体中に溢(あふ)れる。

「すごいのう。さすがじゃ。」

 俺たちは悲鳴や、魔道によって何かが壊れる音を聞きながら、目の前の命に集中した。やがて、腕が痺(しび)れる頃には、何とか瓦礫の下敷きになった全ての人を助けることができた。救出された人々は、何度もお礼を言う。そして、一緒に協力して救出した同士で、笑顔や握手を交わした。


 怪我をした人は、動ける人の力を借りて、門の方へ歩いて行った。とは言え、どこが安全なのか分からない。街の人々は、走り回っている。

 すると、少し離れたところで耳を張り裂くほどの叫びが聞こえた。振り向くと、立派な国旗の下で、一人の人間が火に包まれていた。その黒い影からは、苦しむ叫び声がする。

「バイル元帥っ。」

 周囲の軍人たちが上着を脱いで、火を消そうと叩く。どうやら燃えているのは、バイル元帥らしい。

「ソクアヴェスタが甦るっ。」

 露路裏に目をやると、一人の男がそう叫んでいた。先ほどの男のように、目をギョロリと開き、薄ら笑いを浮かべている。カイが問う。

「ユフィ、詠唱を止めるには?」

「単純に、猿ぐつわでもすれば止められる。」

 カイはそれを受けて、男へ駆け寄る。男は迫るカイに何も抵抗せず、カイは懐(ふところ)から出したハンカチで猿ぐつわをした。

「バイル元帥…っ。」

 振り返ると、一体の焼死体があった。周りの軍人が泣いている。カイは猿ぐつわをした男を引きずり、軍人に声をかける。

「この人を、拘束してください。」

 しかし、軍人は泣くばかりで反応をしない。カイがもう一度、少し強く声をかける。すると、軍人が立ち上がり言う。

「お前が元帥様を殺したのかっ。」

 軍人は男の頬を殴る。男の腕を抑えていたカイごとよろけた。しかし、男の顔はギョロリとした目で薄ら笑いを浮かべたままだ。

「みんな、やれっ。」

 軍人たちが男に群がり、次々と殴ったり蹴ったりした。そこにカイが巻き込まれそうになったのを、カスガが引っ張り助ける。軍人たちは恨み言を口々にし、暴行を止めなかった。

「…行こう。ここにいても、僕たちには何もできない。」

 カイがそう言い、俺たちも頷く。すると、ユフィが言う。

「自分勝手な願いで悪いが、アンナのいる孤児院へ行っていいか?」

 それを言うと、ユフィは俯(うつむ)きながら続けた。

「一人では、俺だけではたどり着けない。一緒に来てくれるとありがたい。頼む。」

 俺たち四人は顔を合わせ、大きく頷く。

「なぁに、他人行儀な言い方をしとるんじゃ。喜んで行こうぞ。」

「そうよ、もうアンナだって友達だもの。」

 カスガとマキが明るく言うと、ユフィは顔を上げ、小さな声でありがとう、と言った。


 孤児院は、市場を通り街の西側に位置している。市場は荒れ果てていて、あちこちに死体が転がっている。俺たちは何人かの異様な男と戦った。カイとカスガはやむを得ず、向かって来る男の命を奪った。カスガはエルコトルで人を殺して以来、ためらいが薄れたように感じる。

 俺たちは横目に、アンナが働く花屋を見た。扉や壁が破られ、中の花はぐちゃぐちゃになっていた。


 市場を抜け少し長い坂道を進むと、白い壁の建物が見えた。

「あれが孤児院だ。良かった。まだ被害が無さそうだ。」

 ユフィの言葉に一安心し、俺たちは一気に坂を走った。

 孤児院にたどり着き、ユフィは扉を強く叩いて声をかける。

「院長先生、ユフィです。いらっしゃいますか。」

「ユフィくん?ユフィくんなのかい?」

 中から女の声がし、ユフィは大きな声で返事した。そして、ガタガタと何かを動かす音がして、扉が開いた。

「ユフィくん…、来てくれたのね。」

 女が疲れた顔で現れた。どうやら扉を、椅子やテーブルで塞いでいたらしい。ユフィが問う。

「子どもたちは?」

「奥にいるよ。」

 俺たちはユフィを先頭に、奥へ案内された。

「ユフィっ。」

「アンナっ。」

 広い部屋で、アンナが座っていた。その周りには泣き喚(わめ)く子どもたちがおり、アンナはその子たちを守るように抱きしめていた。

「みんな、ユフィお兄ちゃんたちが来てくれたわ。もう大丈夫よ。」

 アンナがそう言うと、子どもたちが泣き顔でこちらを見て、お兄ちゃんと言った。ユフィが駆け寄る。

「怪我は無いか?」

「うん、私もみんなも大丈夫。」

 その瞬間、院長の悲鳴がした。一気に緊張感が増す。

「ユフィはここにいるんだ。僕たちで対応する。」

 カイがそう指示をする。ユフィはその言葉の裏の意図まで察し、頷いた。カイは扉を閉めて、剣を抜いた。


「ソクアヴェスタが甦るっ。」

 男は孤児院の入り口に立ち、両手で魔道を展開していた。片手に風、もう片手には氷の精霊を宿している。

「院長先生も奥へ。」

 マキは怯える院長先生の背中を押し、子どもたちがいる部屋へ入れた。

「ソクアヴェスタが甦るっ。」

「なんじゃ、もう。話が通じる相手ならいいんじゃがのう。」

「本当にね。」

 カスガとカイが前衛に立ち、武器を構える。

「できるなら、建物の外に出して退治しよう。孤児院に死体や血の跡を残してはダメだ。」

 カイが俺たちに言う。だからユフィを奥の部屋に残して、扉を閉めたのか。

「ソクアヴェスタが甦るっ。」

 男は手を合わせると、魔道を放った。風と氷の魔道が合わさり、氷つぶてが混ざった強風が襲いかかる。マキが結界魔道を展開し、氷つぶては砕け散った。風の止んだ隙を突き、カスガが走る。男を外に出そうと、体当たりをしようとする。しかし。

「ぐっ、結界じゃとっ?」

 男の前に、半透明の壁が立ちはだかっていた。

「外にもう一人いるっ。」

 俺は指を指して叫ぶ。外には同じギョロ目に薄ら笑いの、長髪の男が立っていた。

「ソクアヴェスタが甦るっ。」

「何人いようが、言うことは一緒じゃのう。」

「マキは結界を頼む。ソラは、外にいる男の結界魔道を封じられるか?」

 カイに問われ、俺は反射的に頷く。しかし、それは人を殺すことになるんじゃないかと言う、臆病な葛藤が生まれた。

 目の前の男は再び、風と氷の魔道を展開する。

「くっ、またか。なんでこんなにも、魔道を連発できるんじゃ?」

 カスガの言う通りだ。先ほどの風と氷の結合魔道の威力は強大で、大した詠唱も無く展開できる魔道とは思えない。カイとカスガが男に攻撃を仕掛けるものの、強力な結界に阻(はば)まれる。

「結界魔道のほうも、かなりの使い手だ。」

 結界に弾かれたカイが、痺れた手を振りながら言う。俺はその様子を見ながら、氷の魔道を展開する。鋭く、貫く、氷。ナイフの切先(きっさき)に精霊の力を集め、想像する。

〈お?お前、びびってるな?〉

「うるせぇっ、黙れっ。」

 俺の中の精霊が、俺を揺さぶる。

〈人の命を奪うのは怖いこと、無理もありません。〉

「怖くねぇ、俺に力を貸してくれ。」

〈覚悟があるの?〉

「ある…っ。」

〈無理するなって、手、震えてるぞ。〉

 精霊の言う通り、俺のナイフを持つ手は震えている。なんで以前は、人を殺せるだとか、奪う側に回るだなんて考えていたんだろう。

 エルコトルで、人の命を奪ってしまった後のカスガとユフィの顔が忘れられない。殺してしまえば、俺の全てが変わる気がする。後戻りできない場所へ立たされるような、なぜだか、エルコトルで火罪(かざい)にあった男を思い出す。

 その間も、氷つぶてが襲い来る。横殴りの強風を、マキの結界が防ぐ。

「マキ、あと何回防げる?」

「三…、いえ、四回は防ぐわ。」

 カイとマキのやり取りを聞き、決断を迫られているのを感じる。

〈君はまだ、守られるべき子どもだよ。〉

「それじゃ、ダメなんだ。」

〈あんたみたいな子どもが人殺しの罪を背負うだなんて、誰も望んじゃいないよ。〉

「違う、違う、違う。俺だって、誰かを守りたい。」

 俺の手はさらに震える。

「ソクアヴェスタが甦るっ。」

 そして、三度目の氷つぶてが襲い来る。風は勢いを増し、もはや嵐のようだ。

〈どうするの?ソラ。やるの?やらないの?〉

「…っ、や、やる。やってやる。」

 俺は震える手を止めようと、手に力を入れる。しかし、かえって手が震えてしまう。

「ちくしょうっ。」

 俺はもどかしく、情けなく叫ぶ。嵐が止んだ。すると、俺たちは目を疑った。

 外で結界魔道を展開していた長髪の男が、全身をツタで縛られ、喉を貫かれていた。口から血が流れている。

「今だっ。」

 カイとカスガが走り、目の前の男を押しやり、外へ追い出す。

「悪いのう。」

 カスガはそう言って、男の首を切る。エルコトルの時と同様、カスガは血しぶきにまみれる。

 カイは長髪の男を確認すると、無表情のまま、こちらを見て頷いた。

 すると、奥の部屋からユフィが静かに出て来た。そして、部屋にいる子どもたちに声をかける。

「みんな、いいな?悪いヤツらがいなくなったか確認するから、院長先生やアンナから離れるなよ。俺がいいと言うまで、出て来るなよ。」

 子どもたちの返事が聞こえた。ユフィが扉を閉じ、俺は問う。

「外の男、ユフィがやったのかい?」

 ユフィは頷き、話す。

「鳥の精霊の力を借り、外の様子を見た。初めての試(こころ)みだったし難度の高い魔道だが、何とかなった。そして、鳥の精霊の魔道を使いながら、樹の魔道を使った。」

 ユフィは淡々と説明するが、同時に違う魔道を使うなんて、かなり難しいことだろう。俺や先ほどの男のように、二つの精霊を合わせる結合魔道も難しいが、ユフィがやったことは相当複雑な芸当だ。

「子どもたちには、悪いヤツらを追い払うおまじないだと言って詠唱した。そうしたら、子どもたちも復唱したから精霊もいい気分になったようだ。」

 ユフィはそう言いながら、カスガにハンカチを渡した。そして、続ける。

「まあ、そんな御託(ごたく)よりも言いたいことがある。四人のおかげで助かった。礼を言う。」

 俺以外の三人が、静かに頷く。俺は、とてもじゃないが頷くことも返事することもできなかった。


 そして俺たちは、二人の男の死体を、孤児院から少し離れた樹の陰に隠した。これで、子どもたちが目にすることは無いだろう。

 気づいたら、街のほうが静かになっていた。行進曲が乱れてから数時間、騒ぎは収まったのだろうか。

 その様子を受け、ユフィが奥へ行こうとしたところを、カスガが呼び止める。

「のう、悪いが、先に宿へ戻っていいか?こんな姿で子どもたちに会(お)うのはのう…。」

 カスガは俯き、軽く両腕を広げる。顔や手は拭けたものの、服は血で真っ赤だ。

「それを言うなら僕もだね。そうしようか。」

 カイも服の埃(ほこり)を払いながら言う。カスガほどでは無いが、血の跡がついている。ユフィは分かった、と頷いて、カイとカスガは先に帰って行った。

 ユフィが扉を開くと、子どもたちがわっとユフィに押し寄せた。そして、怖かったよと泣いた。ユフィは一人一人の頭を撫でて、頑張ったなと声をかける。アンナが院長先生を支えながら出て来た。

「ユフィ、ありがとう。」

「いや、他の四人のおかげだ。」

 アンナが微笑(ほほえ)み、ユフィが答える。俺はまた、居心地の悪い気持ちになった。そして、孤児院のみんなに見送られ、俺たちも宿へ戻ることにした。ただ、情報を集めるためにも大通りに立ち寄ることとした。


 大通りは、昼間のパレードの賑わいが嘘のように荒れていた。建物が壊れ、汚れた国旗や花などが散らばっている。あちこちに死体が山となって積まれており、何かが焼ける匂いや血の匂いが鼻をさす。そして、悲鳴こそはしないが、代わりにすすり泣く声が辺りから聞こえる。

 ユフィに指を指されてそちらを見ると、軍人によって猿ぐつわをされた男が連行されていた。ギョロリとした目で薄ら笑い、改めて、不気味な共通点だ。


 家が壊された者のために教会や学校が開放されること、医師や薬が足りていないこと、教会で炊き出しを行うことなどを軍人が呼びかける。しかし俺のなかには、建物の下敷きとなった人を助けなかったことへの、軍人に対する不信感が蘇ってきた。

 宿へ戻ると、疲れた顔のカスガと、剣と靴を磨くカイがいた。夕飯について相談するが、店がまともに開いているはずが無いと、誰もが想像できる。そこで、俺は一人で教会の炊き出しを、五人分取りに行くことを提案した。戦闘で何もできなかった埋め合わせを、少しでもしたかったのだ。しかし、カイがこう言った。

「街は非常事態だからね。ソラ一人では行かせないよ。僕も行く。」

 他の三人にもそうするように言われ、渋々ながら承諾した。そして、行列が出来ることを想定し、早めに出発した。


 教会へ向かうには、大通りを抜ける必要がある。死体の山を、また見なくてはいけない。いや、見なくとも、嫌でも匂いが漂ってくる。さらには、虫が飛ぶ音まで聞こえる。

 俺は、ずっと心に引っかかっている、あることをカイに尋ねる。

「なあ、カイ。人を殺すって、どんな感じだい?」

 この質問が、とても無神経で思いやりのないものだと分かっている。エルコトルで戦場の話をしたがらなかったカイ、人を殺し、その気持ちが分かったと言ったカスガ。

 いくら学の無い子どもとは言え、今ならその心情を考えることはできる。俺たちは立ち止まることなく歩いた。そして、少しの沈黙のあと、カイがうーん、と悩んで話し始めた。

「僕が初めて人の命を奪ったのは、十四歳、初めて戦場に出たときだよ。紫の紛争地帯から、ある国が侵攻して来たのを止めるための戦争だった。」

 俺はカイを見上げる。十四歳と言えば、俺の一つ上のときだ。目の前の十七歳のカイは、いつも通りの柔らかい表情をしている。

「そのときはまだ騎士になったばかりで、前線には配置されなかった。けれど、指揮官が戦況を読み違えてね、本来、来るはずの無い僕らの部隊まで敵が迫って来たんだ。」

 そこで、俺が道につまづく。死体の手を踏んでしまったのだ。ゾッと固まる俺に、カイが大丈夫?と手を差し伸べる。俺はその手を取り、体勢を立て直して再び歩き始める。そして、話の続きを聞く。

「その時のことは、忘れられないよ。友人や先輩が次々と殺されていってね。僕は生きるために命を奪った。何人かは、全く覚えていない。」

 ふと、その瞬間を思い出すカイの金色の目が暗くなる。西日が強く差しているのに、その光を一切受け付けない。

「無我夢中だったよ。他の部隊が駆けつけたときには、僕の部隊に生き残りはほとんどいなかった。僕は救助されたけれど、戦場の匂いとか、人を斬った感覚が生々しくて、その場で吐いてしまったな。ユフィを前には言えないけれど、直接、刃(やいば)で肉を斬らない魔道が、少し羨ましいときがあるよ。」

 これは内緒だよ、とカイが微笑(ほほえ)んだ。

「戦争が終わって、城下町に帰ると英雄扱いされたよ。不思議だよね。人の命を奪ったのに、戦場だと勲章がもらえるんだ。家に帰ると、養父母が生きてて良かったって泣いていたよ。そして、元騎士の養父は僕の勲章を見て、素晴らしいって僕を褒めた。」

 そこで、カイはピタリと足を止めた。

「ごめん、話が逸(そ)れていたかも。ソラ、人の命を奪ってから僕はね、自分は煉獄へ行くと思っているよ。」

「煉獄…。」

「そう。と言うよりも、生きている今も、僕は煉獄にいる気分なんだ。夢には自分が命を奪った人が出てきて、僕を崖から突き落とそうとしている。そして、僕に問うんだ。なぜ自分を殺したんだ?って。僕には説明するための言葉が無くて、崖から落ちそうなところで目が覚める。」

 カイは俺の目を見ない。どこか遠くを見て話しているようだ。

「カスガとユフィは、気の毒な経験をしてしまった。でも二人は、これから医療や研究で多くの人を助けると思う。だから、きっと神海(しんかい)へ行けると僕は信じているよ。」

 まあ、僕は無宗教なんだけど、とカイは付け加える。しかし、その言い方では、カイに救いが無いようだ。俺は、歩き出したカイの袖を掴(つか)んで言う。

「カイ。カイはそんな言い方をするけどよ、俺たちをここまで体張って守ってくれたのはカイだぜ。いつもカイが、真っ先に敵に立ち向かってくれるから、俺たちは生きて来れたんだ。年の順番で言えば、カイの方が先に死ぬかもしれない。でも、俺はカイが神海で笑ってくれてるって信じるぜ。」

 俺は必死でそう呼びかけた。銀の糸の後、ユフィに対しても思ったが、自分の奥底にある言葉を、相手が受け止められるように伝えるのは、なんて難しいんだろう。

 春を迎えるよりずっと前、ヴェーゼンを旅立つ朝、俺はカイに本音をぶつけてしまった。振り返ってみれば、随分と酷いことを言った。今だって本音をぶつけたわけだが、ヴェーゼンのときとはまるで違う。

 カイは、たくさん傷ついて十七歳になったのだ。その傷をさらすことなく、戦いでは矢面(やおもて)に立っていた。そんなカイに、ほんの少しでも何か、感謝や救いを伝えられたらと思うのだ。

 カイは微笑んで、袖を掴まれていないほうの手で俺の手を包んで、ありがとう、と言った。


 教会にたどり着くと、案の定、行列ができていた。姫神教の者や、奉仕活動の者らが懸命に炊き出しを行っている。ようやく順番が回って来ると、積まれたパンが少なくなっているのが分かる。

 俺たちは二人なのに、五人分の食糧を求めるのに少し後ろめたさがあった。しかし、必要だと割り切って、きちんと宿に仲間がいることを説明して、五人分のパンと、クルミを始めとしたナッツ類の包みを受け取った。


 行きはあんなに重い話をしたと言うのに、帰り道は特に足取りが重く感じることは無かった。死体の山や崩れた建物、人のすすり泣く声は気になるが、俺とカイは、グランディエの話をして帰った。

 カイは辛い物が好きだと言う。生まれたレシオ国は寒い地域で、辛い物で暖を取ることが多かったかららしい。グランディエ城下町の西通りに美味(うま)い料理店があり、そこは辛い物好きにとって楽園のようだと語る。

 そう言えば旅が始まったばかりの、まだ料理当番がユフィで固定されていないとき、カイとマキが強烈に辛い料理を作ったことを思い出し、俺は身震いした。


 宿へ戻ると、ロビーには良い匂いが充満していた。宿のキッチンを借りて、カスガがためていた野草や香草を使い、ユフィがスープを作ってくれたようだ。パンとナッツとスープ。本音としては物足りないが、俺たちは力を合わせてこの糧を得たことを互いに感謝し、ありがたく頂戴した。


 いろいろ気になることはあるが、情報が明かされるのは明日以降だろう。俺たちはどんな展開にも対応できるよう、すぐにベッドに入った。

 しかし、俺はまぶたが重くなりながらも祈った。

 カイや、カスガやユフィ、人を殺してしまった罪悪感から、せめて眠っている間は逃れられるように。

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