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【太陽物語】 夜明けへ進む少年は  作者: 立花ハル
《第五章 トール大陸北上、血と争う者》
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ジオリダム、血と絆2《ユフィ》

《ユフィの独り言》


 気づいたら、俺は十五歳になっていた。

 異国とは不思議なもので、発見や出会いもあれば、想像していたものとの格差も思い知る。

 ジオリダムを出て感じたことの一番は、戦争の影の濃さだ。ジオリダムはバルセールを独立させたとは言え、実質は属国のようなものだ。大国アリアレジスと良好な仲とは言えないが、戦争は特に身近でない。ジオリダムは、悪い言い方をすれば平和ボケをした国だったのだ。


 まさか、牧歌的な童話の収集のため訪れたロンソ村で、あんな惨劇に遭うとは思わなかった。

 考えてみれば、俺たちは不思議な縁で旅の同行者となった。

 カイ。グランディエの騎士と言う肩書き通り、腕が立つ。戦場の経験もあり、頼もしい。かと思えば、方向感覚も味覚も、かなりズレていて宛てになるのか怪しい。

 カスガ。メウィティカは長年、鎖国状態にあったため初めてメウィティカ人には会うが、拍子抜けするくらいに気さくだ。しかし、俺はこいつをかなり良いところの坊ちゃんだと思っている。

 マキ。旅の同行者として欠かせない、結界魔道と補助魔道の使い手で、俺が森羅(しんら)魔道を安心して詠唱できるのも、彼女のお陰だ。しかし、いかんせん旅の道中、歌と笛で他の者を盛り上げてしまう。

 一番不可思議なのはソラだ。浮浪児で形代(かたしろ)。世界の枠から爪弾(つまはじ)きにあう、可哀想な存在だと思った。しかも、ロンソ村や異端者の小屋で奇妙な力を発揮する。それでも、魔道のことを教えるのは、いや、教えたくなるのは、こいつの真っ直ぐな好奇心に応えたいからだろう。火の精霊との戦いでは、本当に死ぬかと思ったが生還した。その姿には正直、目頭が熱くなった。


 俺は自分の血のことを、アンナ以外、誰にも言わないと決めていた。それは、自分の血を(けが)らわしいと呪っていたからだ。

 バルセールで毒を盛られたのは予想外で、まさかこんなことで、自分の生まれを暴かれるとは思わなかった。

 惨めだった。全てを嘔吐して、そのまま空っぽになりたかった。そして改めて、自分が嫌悪される存在だと思い知った。

 なぜ四人に自分の生まれを明かそうと思ったのかは、分からない。迷惑をかけたとか、非常事態への備えだとか、理由はいくらでもつけられる。だが、なんとなく、アンナと向き合ったときのような、理屈抜きの対話を(こころ)みてみたくなった。それで外様(とざま)にされるなら、それまでの同行者だ。


 しかし、打ち明ける前と後とで、俺たちは何も変わらずに街道を歩いた。別に誰かが気まずく気を遣うわけでもない、いつも通りの空気だった。


 そして、俺たちはジオリダムへとたどり着いた。様々な国や街を見て、その情緒ある光景に感性は刺激されたが、俺はやはり、この青い化粧レンガの景色が好きだと気づいた。

 俺たちは宿を探すために市場へ向かった。そうなると、自然とあの花屋の前を通る。花屋には相変わらず、勉強や仕事そっちのけでアンナを口説く客が押し寄せていた。俺はその人波を分け、アンナと再会する。

「わあ、ユフィ、帰って来たんだ。おかえり。」

 少し大人びたが、花が咲くような笑顔は変わらない。カイ以外の三人が、アンナに見惚(みと)れているのが分かる。

「じゅ、十二星座の乙女っっ。」

 マキが大げさに叫ぶ。アンナは照れ臭そうにするが、俺は自分のことでも無いのに誇らしげな気分となってしまう。


 そのあとは、六人で昼食をとった。アンナは孤児院で年上にも年下にも慣れているし、仕事で接客をしているのもあり、すぐに打ち解けた。

 特に、同じレノールのモデルとなったソラとは、芸術家の弾ける個性を共通の話題として、よく盛り上がった。

 ジオリダムの、アリアレジスと希望教が関わる情勢の変化を聞き、やはり世界に大きな波が立っていることを感じた。このままジオリダムが戦争へ突入すれば、いずれ俺にも兵役(へいえき)が回ってくるだろう。俺は静かな恐れを抱いていた。

 やがて鐘が鳴り、アンナが仕事へ戻る時間となった。俺は他の四人と離れたところで、アンナを呼び止めた。

「今日の夕飯、一緒に食べないか。あのアンナが前に行きたいと言っていた、青果店の横の店で。」

 我ながら不器用な誘い方だと思う。しかし、アンナはニッコリ笑って、誘いを受けてくれた。


 宿を取り、滞在の準備をした。カイには実家で過ごさないのかと聞かれたが、一度だけ顔を出す、と答えた。あの家は確かに実家かもしれないが、帰る場所ではもう無いのだ。

 やがて、夕飯の時間が近づく。そろそろ、アンナの仕事が終わる時間だろう。俺は四人とは別行動を申し出た。四人が部屋を出てから、俺はカバンからある物を出す。


 夕方になり、傾く日が、青い化粧レンガの街並みを照らす。留学前は当たり前だった光景も、久しぶりに見るとその美しさに驚く。

 市場の花屋へ行き、仕事終わりのアンナを迎える。そして、アンナが気になっているという、青果店の横にある食堂へ向かう。

「いつも仕事終わりに前を通るんだけどね、たくさんのランプがキラキラしていて雰囲気が良さそうなんだ。それに、安くて美味しいって評判なのよ。」

 心なしか、アンナの足取りは軽い。俺はニコニコと微笑(ほほえ)みながら話すアンナの顔を見ながら、一緒に歩いた。


 店に着くと、若い店員が迎え入れる。アンナは店員に、二本の指を立てた。広めの店を見ると、安くて美味(うま)いというだけあり、若い客が多く、日常的な会話で盛り上がっている様子だ。ここ最近の国では、政治の話で熱烈に語り合う客が多い店ばかりだったので、こんなところでもジオリダムの平和ボケを感じてしまう。

 俺たちは入り口に近い席に通された。アンナの言っていた通り、夕方だがランプの火が多く(とも)されており、若い女性が好きそうな雰囲気だと思った。

 周りの客には、アンナに目を奪われているような者もいる。男性、女性問わず、アンナをチラチラと見ているようだ。中には、学院の先輩もいる。先輩は俺を憎らしげに睨んで来たが、気に留めずに水を飲む。

「うーん、何を食べようかなあ。ごめん、ちょっと迷わせて。」

 アンナ本人は、注文を何にしようか迷っている様子だ。俺は、そんな彼女を頬杖をついて見守っている。これがソラだったら急かしているところだが、悩んでいる顔すら見ていられるのが不思議なところだ。アンナは口を(とが)らせて言う。

「パスタの気分なんだけどね、海鮮系にするか、トマト系にするか、決められないの。」

「じゃあ、どちらも頼もう。それを半分にして食べればいい。」

「え?いいの?ユフィは?」

「俺もちょうど、トマトの気分だ。」

 アンナがありがとう、とニッコリ笑い、俺は店員にパスタ二皿を注文した。

 その時。

「う、美味ぇっ、」

 俺は瞬時に嫌な予感がした。アイツの声が聞こえた気がする。思わず店を見渡す。

「どうしたの?ユフィ。」

「いや、何でもない。」

 まさか、この市場だけでも多くの飲食店があるのに、店が被るはずは無い。せっかくのアンナとの夕飯だ。俺は気持ちを切り替えた。


 アンナは俺の旅の話を聞きたがったが、俺は話題に困った。アンナに話すには、痛ましい出来事が多かったからだ。

 ロンソ村での惨劇を始め、紫の紛争地帯の現実、宗教への関心が薄いジオリダムでは目にすることの無い姫神教と希望教の対立など、言葉にするとアンナを心配させることばかりだ。

 それに、俺は魔道で人を殺した。ハーフエクラであるがために毒に苦しんだ。そんな自分の傷を見せたくない。

 しかし、どこかでアンナに全て打ち明けたい、そして、大変だったね、と痛みを共有したい甘えもあった。

 結局、俺は無難な話を選んだ。特にアンナが興味を持ったのは、ソラの一挙手一投足だ。浮浪児として生きてきたというのに、懸命に学びながら、時に失敗をしても笑うヤツの姿を想像し、微笑んでいた。

「アンナ、これを見てくれ。」

 俺は腰に下げている魔道記を開いた。これには、森羅魔道の詠唱で唱える神話や童話などを写している。

「これ、ユリフユ語の詩?」

「ああ、ブライト先生と言う高名な魔道士の元で見つけた。」

「読んでいい?」

「ああ。」


 片恋や 夜もすがら 歌う鳥

 その声に 宛名は無くとも ただ歌う


 いかにせまし 影さえ見れば それで足る

 背を向きて 泣きて摘むは 勿忘草(わすれなぐさ)


「すごい、素敵な詩ね。」

 アンナはうっとりとした表情で(つぶや)く。

「どうやら、俺の水の精霊はこういう恋の詩が好きらしくてな、柄にも無く読まなくてはならない。」

「でも、どっちも片想いの詩だね。」

「ああ、しかも、実際の帳面は何度も書き直していた。」

「きっと、何度も言葉を変えたり組み替えたりするくらい、切実な思いがあったのね。」

 そんな話をしていると、料理が運ばれて来た。

「美味しそう。」

「ああ、半分にしよう。」

 俺は取り皿に、パスタを半分に分けた。ついでに、パスタに添えられたミニトマトを二つ、アンナの皿に乗せた。

「え?トマト、二つとももらっていいの?」

「ああ。」

「なんで?ユフィ、トマト好きでしょ。」

「なんとなくだ。」

 アンナはニッコリ笑って、ありがとう、と言う。

 パスタはどちらも美味かった。アンナも満足気に微笑み、それを見て、俺も頬が緩む。

 留学前は学生寮で、当番制で食事を作っていた。俺は寮生活で料理が趣味になり、俺の当番の日は喜ばれた。

 旅の途中も、最初は不本意ながら料理当番を(にな)うことになったが、やはり誰かが美味そうに笑う顔は見ていて気分がいい。


 料理を食べ終わり、俺はついにアレを渡そうと、(ふところ)に手を入れた。

「アンナ、これ土産じゃないが。」

 俺はクルエルで買った土産を、テーブルに置いた。薄いピンク色の紙袋だ。

「なあに、これ?開けていい?」

 俺は(うなず)く。アンナは目をキラキラさせて、(のり)づけされた紙袋を開ける。

「わあ、綺麗。」

 アンナがネックレスを取り出す。細い鎖が細やかに連なり、中央に星の形の石が繋がっている。

「着けてみていい?」

 俺は頷く。

「どう?似合う?」

 アンナはネックレスを着け、首を(かし)げて微笑む。俺は目線を右へ逸らしながら、小さく頷いた。こう言うときの、気の利いた一言なんて分からない。

 しかし、俺の想像は当たった。ネックレスはいくつも並んでいたが、色白なアンナには金色よりも銀色の鎖だと思った。そして、星の形の石は、紫がかった髪色に合わせて、淡いピンク色にした。おそらく、あの店に合ったネックレスの中で、一番似合うものを選べた自信がある。

「嬉しい、ありがとう、ユフィ。ねえ、なんで星なの?」

 俺は頬杖をつき、目を逸らしながら答える。

「旅の途中、十二星座の乙女の話が出たからだ。」

 そう言うと、アンナは懐かしい、と声を上げる。

「あれは大変だったなぁ。特に射手座。弓矢を構えたまま、ジッとしていないといけなかったから。」

 レノールのモデルをした話を少しだけして、俺たちは出ることにした。会計は割り勘だ。


 店を出てからは、公園へ行った。特別な話をするわけでは無いが、やはりアンナと、この公園には来ておきたかったのだ。

 留学の行方、そして、これからの情勢によっては、もうジオリダムに戻らないかもしれない。二人で公園を一周し、ベンチにかけ、遠くの海を見た。もう夜なので水平線なんて見えない。でも、なんとなく離れがたく、別に話すでもなく二人で海を見ていた。


 帰りは孤児院へ送って行ったが、門限を過ぎてしまったので、母親代わりの院長先生に叱られてしまった。俺が悪いことを伝え、頭を下げたが、院長先生は言った。

「ユフィくん、私はあなたもアンナも信じているよ。でも、アンナを大事に思うならばこそ、時間や規則は守らなくちゃダメ。」

「はい、すみませんでした。」

 院長先生の言葉は正しく、そして思いやりに満ちていた。俺はまだ子どもである自分が少し恥ずかしく、小さく返事をした。院長先生はそれを聞くと、気をつけて帰りなさいね、と肩を叩いて、すぐに建物へ入って行った。俺とアンナは軽く挨拶をして、アンナはまたね、と手を振った。


 俺は院長先生の言葉を反芻(はんすう)しながら、しかし、アンナの笑顔も繰り返し思い出しながら、良い気分が少し上回り、軽い足取りで宿へ戻った。

「帰ったぞ。」

 俺が扉を開けると、ソラたち四人の視線が一気にこちらに向けられた。

「な、なんだよ。」

 妙な空気に戸惑いながら、席に着く。

「まあ、ナッツでもどう?」

 マキがローストナッツを勧めて来たので、ひょいと口に入れる。甘いものは苦手だが、こういう塩気のあるものは好きだ。

 しばらく、五人でナッツを食べるだけの時間が流れた。ナッツが砕けるカリカリと言う音と、時計の秒針の音だけが鳴る。その沈黙を、カスガが破った。

「…昼間の、あのアンナとはどうなんじゃ?」

 俺はナッツを口に入れようとしたところで動きを止めた。五人とも、ナッツを(かじ)る音が止む。

「どう、とは?」

 詮索(せんさく)をされている。こいつらは、良くも悪くも好奇心旺盛だ。

「ほら、いろいろあるじゃない。知り合いとか、友達とか、いろいろ。」

 マキが言う、いろいろと言う単語に、何かを期待する色が滲んでいる。

「ああ、なあ?ユフィにも、仲のいい友達がいたんだなって。」

 ソラが目を泳がせながら言う。俺は目の端で、カスガとマキが首を横に振るのを見た。

「つまりさ、ただの女友達にネックレスなんてプレゼントしないよねってことを気にしてるんだよ。」

 カイの言葉に、椅子を倒す勢いで立ち上がってしまった。

「…見ていたのか?」

 答えなんて分かりきっているのに、人は聞いてしまうものだ。

「見ていたと言うか、見ちゃった。たまたま入った店にユフィとアンナが入って来たからさ、びっくりしたよね。」

 俺の追い詰められたかのような気持ちなどお構いなしに、図太い騎士がナッツを齧りながら言う。憎らしい。しかし、俺は喧嘩などしてもこいつに絶対勝てない。俺は息を吸って、椅子を起こし、席に座り直す。

「…で、二人は、あれじゃ、その。」

「なんだ。ハッキリ言え。」

 カスガのもじもじとした態度に苛立(いらだ)ちを覚える。そして、カスガがチラッとこちらを見て言った。

「つまりは、いい仲なんか?」

 俺は急に体が熱くなる。しかし、一瞬の間を置いて、俺以外がゲラゲラと笑った。

「さっきも思ったけれど、その言い方おじさん臭いのよ。」

 目に涙を浮かべるほど笑うマキに、カスガが戸惑う。俺はテーブルに(ひじ)をつき、顔を隠して言い逃れを考える。マキは呼吸を整えて言う。

「まあ、言う言わないはユフィの意志よね。」

「でも俺たち、一緒に旅する仲間だぜ?」

「いやいや、ソラ。人の内面に、無理に踏み込むのは野暮だよ。」

 少し残念そうなソラに、カイがそう説く。しかし、そもそもの突破口を土足で踏み開いて来たのは、この金髪だ。腹立たしい。もう誤魔化しは効かないと、決意をして話す。

「アンナとは、将来にある約束をしている。」

 俺の言葉に、四人は少し驚いた様子だ。

「約束って、結婚?」

 子どものくせに、マセたことを言うものだ。

「違う。一緒にアリアレジスへ行くことだ。」

 少しだけ、嘘をつく。理由はただ、恥ずかしいからだ。

「それ、ブライト先生のところでも言ってたよな。なんでアリアレジスなんだい?」

 ソラに問われ、窓をチラッと見た。窓が閉じられているのを確認し、少し声を抑えて話す。

「アリアレジスは、エクラ種への差別があまり無いと聞く。多くの人種や異国の者が集まって成立している国だからな。ジオリダムにいても、時勢によっては強制的に兵士として徴収されるかもしれない。アリアレジスならば、ハーフエクラの俺たちでも、実力で職業を選び、生きていける希望がある。」

「なるほど。確かに生まれた身分や職業に左右されないのは、アリアレジスの良さだよね。」

 カイが同意してきた。俺はさらに続ける。

「アリアレジスは、国籍を変えられる条件も他の国に比べると容易だと聞く。俺はアリアレジスで魔道の研究職につき、ジオリダムから自立するつもりだ。」

「しかし、ヌシは誠、立派じゃのう。若くしてそんなにも将来のことを考えておるとは。」

 カスガが感心してくるが、俺は数多くの選択肢から選んだつもりは無い。それに、確実かも分からない可能性に、一縷(いちる)の望みを抱いているだけだ。

「いや、必要に迫られて、アンナと一緒に調べただけだ。」

「でも、ユフィも一緒なら心強いわよね。」

 マキがそう言ってきて、妙に照れてこう答える。

「いや、アンナはエクラの血を引きながら魔道の才能には恵まれなかっただけで、かなり賢い。古代ユリフユ語なんてかなり複雑な言語だが、独学でそこら辺の学生よりも読解できる。女性でも、独り立ちできるだけの力があるはずだ。」

 これは本音だ。古代ユリフユ語の言語学者などそう多くは無い。ジオリダムはもちろん、アリアレジスなどでも通用するだろう。


 そんな話をしていると、もうすっかり遅い時間となってしまった。マキは別の部屋で、女の旅人たちと相部屋で寝る。俺はランプの火をフッと消し、ベッドに入った。

「あっ。」

 カイが珍しく大きな声を上げた。のん気でおおらかなカイらしくない。すると、彼はこう言った。

「ねえ、ユフィ。やっぱり普通の女友達にネックレスはプレゼントしないと思うんだけど、そこのところはどうなの?」

 その言葉に、カスガが確かにっ、と反応する。ソラのベッドからも起き上がる衣ずれの音がした。せっかく忘れていると思ったのに、この騎士は余計なことを言う。

「うるさい。寝ろ。」

 俺は布団を被り、寝ることとした。


 朝の日差しをカーテン越しに感じ、目を覚ます。早起きはもはや習慣で、学生寮でも鐘の前に目を覚ましていた。

 俺は目的があるため、静かに起き上がり、着替えを済ませる。俺以外の男三人はまだ夢の中だ。それぞれ寝相が悪く、布団が落ちそうだが特に直さない。


 俺は朝の仕入れで賑わう市場を通る。さすがにこの時間には、アンナは花屋にいない。しかし、花屋の店長は、店頭に季節の花を並べている。

 俺が目指すのは実家だ。別に顔を出す義理も義務も無い。ただ、後で憎まれ口を叩かれないために、念の為、顔を出すだけだ。


 その家は、街の東にある住宅街にあった。特別、豊かでも貧しくも無い、ごく一般的な家庭だ。俺は実家だと言うのに、玄関扉の鐘を鳴らす。その音は甲高(かんだか)く、懐かしい音だ。

「はい、どちら様?」

「俺だ。」

 一瞬の間の後、扉が開く。

「ゆ、ユフィ…?」

 育ての母が扉を開けた。子を授かるのが遅かったため、十五歳の息子の母にしては、少し老けているように見える。

「留学の途中、帰ってきた。一応、父の出勤前に顔を出そうと思った。」

 母はそう、と言って、スリッパを置いた。来客用のスリッパだった。住み慣れたはずの家を歩き、居心地の悪いダイニングを目指す。

 テーブルには朝食が並んでおり、上座(かみざ)に育ての父が座っていた。登校前のセエレも座っており、俺を睨んでいる。

 父は、新聞紙に目を落としたまま言う。

「留学に出たんじゃないのか?」

「途中、帰国したから、一応顔を出しただけだ。」

 俺がそう説明しても、父は返事をしない。母は紅茶を沸かしている。父はパンを飲み込んで、言う。

「それで?」

「それで、とは?」

「お前の正体は、知られていないんだろうな?」

 その父の一言で、母とセエレの目がこちらを向く。俺は予想していた一言にため息をつき、答える。

「何の縁か、四人と旅をしている。きっかけがあって、その四人は知っている。」

 俺がそう言うと、父親はいきなり立ち上がり、近くの花瓶を(つか)んだ。そして振りかぶり、俺に向かって投げて来た。突然のことに俺は反応できず、花瓶は俺の横を通り、壁にぶつかって割れた。

忌々(いまいま)しい。お前はルナセフ家の名を(けが)すつもりか。」

 そう言う父の目は、まだ朝だと言うのにギラギラと血走っていた。セエレは固まり動かない。

「あなた、落ち着いて。ユフィ、もう行きなさい。」

 母が必死になって、父をなだめる。俺は何も言わずに玄関を目指す。スリッパを履いていなければ、危うく花瓶の破片で怪我をしていたところだ。名前も知らない水色の花が、濡れた床の上であちこちを向いている。


 宿までの帰り道、俺は特別な感情を抱かなかった。寂しさもない。育ての父母の本音など、分かりきっていたことだ。今さら期待も、認められたい気持ちも無い。

 俺はもう、見切りがついているのだ。アリアレジスで自立し、アンナと生きる。そのための旅を、これからも続けるだけだ。


 宿へ帰り、扉を開く。すると、四人がロビーのソファに座っていた。四人はそれぞれ心配そうな顔をしており、カイが問いかけてきた。

「ユフィ、どこへ行ってたの?散歩?」

「実家に挨拶をしてきた。」

 ソファに座りながら答える。すると、マキが問う。

「こんな朝早く?」

「父親が、街の学校の教員で朝が早い。その出勤前に、十分程度顔を合わせれば充分だ。」

 そう、それだけだ。俺にとって実家など、何の感慨も無い。すると、ソラが問う。

「何か話したかい?」

「お前の正体は知られてないかと聞かれた。だから、知っている四人と旅をしていると答えたら、花瓶を投げられた。それだけだ。」

 先ほどの実家でのやり取りを思い返すと、本当にそれだけだった。何の労いも心配もされなかった。冷静に考えれば、花瓶を投げるなど普通じゃない。四人は驚いたあと、少し気の毒そうな顔をした。

 このとき、俺は改めて、外の世界へ旅に出たことの意味を感じた。ハーフエクラとしての生まれは特殊で、気の毒に思えるかもしれないが、不幸にはならないのかもしれない。


 俺は理屈でものを考える。俺はこの四人にとって、一人の人間として尊重されていると仮定している。そこに、俺はいくつかの根拠を見出している。好奇心を抱かれたり、毒の後に手厚い看病を受けたり、俺に向けた感情に同情は混ざっているかもしれないが、同情も情の一つだ。

 アリアレジスまで残り少ない旅路だが、少しは役に立ちたいと、俺は考えている。

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