ジオリダム、血と絆1《ユフィ》
《ユフィの独り言》
自分で言うのもなんだが、俺は理屈でものを考える性格だ。と言うよりも、あらゆる結果、結論に理屈や理由が伴っていないと納得ができない。
だから、その瞬間の俺には何が起きたのか分からなかった。
十一歳のとき、学院の奉仕活動で訪れた孤児院で大きな瞳の少女を目にしたとき、自分に無い感情の芽生えに動揺した。その感情には覚えが無かった。今まで読んできた本を通じて、体験したことも無かった。
他の子どもに勉強を教えながらも、目の端でその少女を捉えてしまう。先輩たちが少女に勉強を教えようと声をかける姿を見ると、衝動的に止めてしまいたくなった。それがなぜかは、理由なんて分からない。
しかし、先輩たちは降参するように少女から身を引いて言った。
「困ったな、あの子、古代ユリフユ語なんて勉強してる。」
「しかも、かなり難しいな。せっかく可愛い子だから話したかったんだけどな。」
俺はそれを、耳をそばだたて聞いた。その日の奉仕活動は、六歳くらいの子たちに計算を教えるので終わった。
学生寮に帰り、俺はつい、一番にカレンダーに注目した。次の奉仕活動は、来週の土曜日だ。
それから俺は、授業の合間を縫って古代ユリフユ語を勉強した。森羅魔道で必要になるから、いずれは勉強するつもりだった。
しかし、なぜ今、ユリフユ語を学ぼうとしているのか、自分を突き動かすものが何か分からなかった。目的も理由も分からず勉強するなんて、初めてだ。
勉強時間以外も、あの少女の大きな瞳が頭にチラつく。自分は妙な魔道にかかったのかもしれない。とにかく、次の土曜日が待ち遠しい。
そして、土曜日を迎えた。孤児院を十人ほどの学生で訪れ、無償で勉強を教える。普段、食堂として使われているであろう広い部屋の、窓際の席に少女はいた。先週と同じ席で、あの大きな瞳で。
先輩の何人かが、吸い込まれるように少女に声をかける。しかし、前回の先輩たちのように、すぐに撤退をする。
俺は思い切って、窓際の席を目指す。なぜか胸が高鳴る。初めて精霊の声を聞いた瞬間の、胸の鼓動を思い出す。
「ユリフユ語の勉強、してるのか?」
学院の入学試験以上の緊張感で、声がうわずる。
「うん、ユリフユ語の詩を読めるようになりたいの。」
少女は大きな目を細め、微笑んだ。そうか、この少女は人をおかしくするくらい、造形が美しいのだ。俺はその神秘的な造形を相手に、高鳴る鼓動を抑え、口を引き締めて言う。
「俺も、勉強してるんだ。」
「ほんと?教えてほしいな。」
「俺、ユフィ。」
「私はアンナ。よろしくね、ユフィ。」
平日は学院の授業をこなし、成績は上位。週末は奉仕活動にも参加するなどし、十三歳のときには模範学生として表彰された。それによって、返済無しの奨学金も得られた。
実家には長期休みでも帰らない。十歳のときに実の子でないことを告げられたとき、俺は正気でいられなかった。父と母、弟のセエレと血の繋がりが薄いという事実を前に、俺は何を頼りに生きれば良いか、急に心細くなったのだ。
しかし、俺が優秀であるほど憎いと言うその言葉には、かえって諦めがつく理由を見出せた。もう、家族のために勉強を頑張らなくて良いのだと。
俺とセエレは、父が教員として働く街の学校に通っていた。試験でセエレが九十点、俺が百点をとることが、よくあった。そのとき父母は、俺の百点には一切触れず、セエレが取りこぼした十点を責めた。そして、俺たちに言う。
「ジオリダムは、今のラスタ党になって温くなった。ラスタ党が政権を握る前、我がルナセフ家は学校経営で栄えていた。何が才能ある者に可能性を、だ。少し才能があるだけで、貧しい人間がつけ上がれる国になってしまった。まあ、いい。お前たちには期待している。政治がそう言うなら、お前らが成り上がるんだ。」
そう強く語る父の目に、俺たちは映っていなかった。結局、養父母にとって俺は、経営悪化で落ちぶれた家が政治に復讐をする道具に過ぎなかった。
俺は、父の肩車に乗った記憶が無い。幼い頃に眠るのが怖くて母のベッドに入っても、母は一度も一緒に寝てくれなかった。セエレにはする眠る前の絵本の読み聞かせを、俺は自分のベッドから眺めるだけだった。
そんな全てに、理由があったのだ。俺は実の子じゃない。耳がとがっていない、汚らわしいハーフエクラなのだ。
学院生活は、自分を守る殻を身につけるのに夢中になれた。幸い、俺は学ぶことが好きだった。知らないことをそのままに出来ないし、それが理解できたときの達成感に、ずいぶん救われた。
実家とは、変わらず距離を置いた。しかし、十三歳までは学費を出してもらっていたので、新年の祝いくらいは家に顔を出した。十二歳で実家に顔を出した際、帰り際、養母に声をかけられた。
「あなたの産みの母親、学院の教員になったそうよ。リサ=セイフレイ。」
それだけだ。一瞬でも労いの言葉を期待した自分が、虚しくなった。
家族というものに失望した俺だったが、その教員の研究室の前には、フラッと立ち寄ってしまった。なぜかは分からない。家族というものに、諦めはついているというのに。
扉を叩こうか、長い時間悩んだ。そして、叩くのをやめた。会ったところで、何を話すのかなんて決まっていない。それに、もう家族を理由に心細くなるのが嫌だったのだ。
しかし、扉は向こうから開いてしまった。俺は心臓が飛び出そうになった。目の前に、エクラ種の女性が立っている。女性は、無言のまま俺を見て立ち止まり、なぜか少しずつ泣きそうな顔になった。
「扉の前で邪魔をして、すみません。失礼します。」
俺は立ち去ろうとした。
「待って。」
女性が俺の肩を掴む。振り向くと、女性は目に涙を滲ませていた。
「あなた、名前は?」
「ユフィ。ユフィ=ルナセフです。」
女性は唇を噛み締め、涙をごまかすように瞬きをした。そして、言う。
「私の研究室で良ければ、いつでもいらっしゃい。」
俺はその涙で滲んだ目を、初めて見たはずなのに、どこか知っている気がした。それはきっと、俺が産まれた瞬間、産声を上げながら目に映った記憶かもしれない。そんな根拠のない神話のような説を、拠り所もなく信じてしまう。
学院生活は順調で、孤児院への奉仕活動は変わらずに続けた。子どもたちに勉強を教えるのは、意外にもやり甲斐を感じた。自分が何かを理解するのと同じように、子どもたちのできたっ、と笑う顔に達成感を抱くのだ。
十三歳の頃には、アンナとは外で会うくらい仲が良くなっていた。金が無いから図書館で一緒に勉強をしたり、公園で門限ギリギリまで話したりした。
それに、この頃よりもずいぶん前に、俺は自分の感情を自覚していた。俺は、すっかりアンナに惚れ込んでしまっていたのだ。
学院や学生寮では、年頃の男が異性の話をすることもある。そんな話のなかで、いつからかアンナへの思いが特別だということに気づいた。異性の話は、だいたい周りが盛り上がり、俺は聞くだけだ。お前は勉強ばかりだな、とか、女の子に興味ないの、とか聞かれたが、俺は適当にかわした。
そこそこ親しい友人であっても、俺がアンナに焦がれていることを話すのは抵抗があった。初めて経験する感情だからこそ、簡単に言葉にしたら何かが損なわれてしまうような、丁寧に扱いたい気持ちがあったのだ。
十三歳のある日、約束した時間よりだいぶ遅れてアンナが公園に現れた。その目は泣き腫らしたように真っ赤だ。俺はベンチから立ち上がり聞いた。
「何かあったのか?」
「…お母さんが、亡くなったって。」
「お母さん?アンナ、孤児院の子じゃ…。」
「お母さん、エクラだから一緒に暮らせなかったの。」
俺は衝撃を受けた。アンナの母がエクラとか、それを俺に打ち明けたとか、一度に整理できない事実に戸惑った。
しかし、何よりも放っておけないことがあり、俺はアンナをベンチに座らせた。そして、少し待ってろと言って走った。
「これ、食えよ。」
「わあ、クリームの入ったワッフルだ。」
アンナの大きな目が、さらに大きくなる。
「いいの?ユフィは?」
「俺、甘いもの苦手なんだ。」
アンナはいただきます、と言って、ワッフルを食べる。そして、微笑みながら頷いた。
「美味しい。ありがとう、ユフィ。」
「そうか。やっぱり、アンナには笑っていてほしい。」
俺は言ってしまって、ハッと体が熱くなる。いろいろ考えることはあるが、泣いているアンナをそのままにしておけないのが一番だった。それにしても、何だか、らしくないことを言ってしまった。アンナも少し驚いた顔をしている。
「ユフィ、私の話、聞いてくれる?」
「ああ。」
アンナは自分の生まれの話をした。俺と同じように、父親が人間、母親がエクラ種のハーフエクラだと言う。耳がとがっていないため父の元に引き取られたが、アンナには魔道の才能が無かった。父親は魔道を扱う軍人らしいが、跡目を継ぐ能力の無いアンナを孤児院へ預けたという、随分と身勝手な話だった。
母親は娼婦だと言う。後になって写真を見せてもらったが、アンナは母譲りの美貌なのだと納得した。学もありユリフユ語も読めたらしいが、家族の借金のせいで、娼婦に身をやつしてしまったらしい。
アンナと母親は、ずっと手紙のやり取りをしていた。しかし、あるときから手紙が途絶えてしまい、娼館の主人からの手紙で母の死を知った。その手紙は、最低限のことしか書いていない、冷たい文だったという。
「ごめんね、仲良くしてくれてたのに、ずっと秘密にしてて。」
アンナがまた、泣きそうになりながら言う。
「謝る必要は無い。それなら、俺も同じだ。」
それを聞いたアンナが、驚いた顔で俺を見つめる。俺は、初めて他人に打ち明ける。
「俺も、ハーフエクラだ。」
それから、俺たちは以前よりも会う時間を大切にした。同じ秘密を、唯一共有する友人なのだ。それに、浅ましい自覚があるが、学生の間で噂になっているアンナを独占できている、優越感じみたものを抱いていた。
しかし、俺は十四歳である決断をする。留学だ。俺の森羅魔道に必要な精霊との契約を増やすこと、その精霊の力を借りるのに必要な神話や童話を充実させることが目的だ。
学院の教員の推薦もあり、留学費用の援助を受けられるという、願ってもない機会だ。俺は喜んで留学を決意した。
一応、実家には伝えた。事後報告だ。しかし、父親がこう言っただけだ。
「どこへ行こうと構わない。しかし、己の生まれだけは知られるなよ。」
セエレは扉の隙間から、憎らしそうに俺を睨んでいた。国立魔道学院に、三度目の不合格をしたばかりだった。
他にも、授業などで世話になった教員に挨拶をした。どの教員も、期待を込めて送り出してくれた。
少し迷ったが、リサ先生の研究室にも挨拶に行った。いつでもいらっしゃい、とは言ってくれたが、リサ先生のところを訪れたのは、最初と、ほとんど二年ぶりとなる、この挨拶のときだけだ。
「ユフィ…、背が伸びましたね。見違えました。」
微笑むリサ先生に留学のことを伝えると、他の教員と違う反応が返ってきた。
「…その留学は、一人ですか?安全な国を回るのですか?」
リサ先生の反応に、俺は戸惑った。何の迷いも無く旅立つつもりだったからだ。
「一人です。グランディエを中心に船で国を回り、アリアレジスの学院を最終目的地とします。」
「あなたは優秀です。ですが、まだ十四歳です。焦る必要などないでしょう。」
「焦ってはいませんが、一日でも早く、独り立ちしたい気持ちがあります。私はアリアレジスで、研究者として生きていきたいのです。」
「それを、世間では焦りと言うのです。それに…、ジオリダムでも…、私の目の届くところでも良いでしょう。」
リサ先生の、思わぬ言葉に一瞬の躊躇が生まれる。しかし、俺は覚悟をして言った。
「ジオリダムでは、ハーフエクラである限り飼い殺されるだけです。俺は、アリアレジスで自分の力で生きていきたいのです。」
俺がそう言うと、リサ先生の目から涙が溢れ出た。アンナの泣き顔を見るのと同じように、バツが悪い。
「ユフィ…、ごめんなさ」
「やめてください。俺は、謝られたくありません。」
リサ先生は、少女のようにしゃくり上げて泣いた。そして、やっとのように話し出す。
「ユフィ、あなたの父親は…。」
「やめてください。それも聞きたくありません。」
失礼します、と俺は研究室を出ようとした。
「待って。」
初めて会ったときのように、肩を掴まれる。そして、リサ先生は自分の手首のブレスレットを外し、俺の手に渡してきた。
「お守りです。」
リサ先生はそれ以上、何を言おうか迷っている様子だった。俺は、リサ先生が俺に向ける感情を、これ以上受け止められる自信が無く、研究室を出た。
俺にはもう一人、誰よりも留学を伝えたい相手がいた。俺は研究室を飛び出した勢いで、市場へ走る。
日が傾いた市場は、仕事終わりの人々で賑わっている。人波の向こうに、アンナを見つけた。最近働き始めた花屋の仕事は、美しい花に囲まれ、親子連れの接客が多く楽しいらしい。口説いてくる厄介なヤツも多いらしいが。
「ユフィ。」
アンナはいつも、俺を見つけると微笑んで名前を呼んでくれる。ちょうど夕方の鐘が鳴り、アンナが仕事を終えて、こちらへやって来た。
「どうしたの?平日のこの時間に市場にいるなんて、珍しいね。」
「アンナに伝えたいことがある。公園まで行かないか。」
アンナの顔に、不安の影が落ちる。リサ先生から逃げるように去った俺の顔に、何かゆとりの無い様子があったのだろう。
俺たちはいつも来る公園へ来た。少し高台になっていて、青い化粧レンガの街並みや港が見える、アンナの好きな場所だ。
「ユフィ、どうかしたの?」
ほんの一年前、母の死に泣いたアンナを慰めたベンチに座る。俺たち以外、人はいなかった。
「留学をすることに決めた。」
「留学?どこかへ行っちゃうの?」
にわかに、アンナの眉が下がる。
「船で異国を回る。最終的には、アリアレジスの学院で学ぶことになる。」
アンナが俯いて、先ほどよりも小さな声になる。
「いつ、帰って来るの?」
「分からない。帰って来るかも決めていない。」
アンナがゆっくりと顔を上げる。その瞳は涙で揺らいでいる。彼女のこんな顔を見たくなんて無いのに。
「俺はいつか、アリアレジスで研究者として自立する。アリアレジスなら、ハーフエクラとしての自分を恥じる必要が無いと聞く。」
アンナは今にも泣きそうな顔で俺を見る。そして、俯いた。ほんの少しだが、永遠にも感じるような時間を感じ、アンナが手で握り拳を作って言う。
「うん、ユフィなら、きっと大丈夫だよ。あんなに勉強もできて、人に教えるのも上手だし、立派な研究者になれるよ。」
そう言うアンナの声は震えていた。そして、俯いたアンナは、膝の上に涙を落とした。
「アンナ、ここからが大事なんだ。」
俺が言うと、アンナは顔を上げる。その顔は、涙でぐしゃぐしゃだ。
「俺は絶対に、アリアレジスで自分の力で生きられるようになる。そのとき、アンナを迎えに来たい。」
俺の決死の言葉に、アンナは目を丸くした。
「いきなりすまない。別に一緒に生きるとか、そう言う話だと思わなくていい。でも、アンナには幸せになってほしい。アンナが笑って生きる姿を見ていたい。」
自分の言葉なのに、何を言っているのか分からない。結局、俺は何を伝えたいのだろう。
「だから、他にいいヤツがいないなら…いや…、何と言うか…。」
とうとう伝えたい思いが分からなくなり、片手で額を抑える。すると、アンナ側に置いていた手を、アンナの細い指が包んだ。俺は驚いて顔を上げる。
「ユフィ、一緒に生きるでいいよ。私、それがいい。」
そう言って笑うアンナに目を奪われて、固まってしまった。そして、彼女は続ける。
「ユフィ、私ね、ユフィのこと…。」
「待て。俺が言う。」
そして俺は、俺の手を包むアンナの手を、更に包んで、勢いを殺さずに言う。
「アンナが好きだ。一目見たときから、ずっと。笑顔とか、頑張って勉強や仕事をする姿とか、いつも俺はアンナに力をもらっていた。」
少し、息を整えて、続きを言う。
「ずっと、大人になってからも一緒にいたい。必ず、アンナに相応しい人間になる。そして、アンナを迎えに来る。俺はそのためにも、留学をして、いくつも大きな人間になる。」
アンナは大粒の涙をこぼした。しかし、微笑みを絶やさずに何回も頷く。
「ユフィ、私も頑張る。一人でも勉強は続けるよ。仕事も頑張る。離れていても、一緒に頑張ろう。」
アンナはきっと、俺がいなくとも生きていけるだろう。こんなにも美しく、純粋で聡明な女性を、周りが放っておくわけがない。
しかし、俺は欲が出た。アンナの隣に誰かいるなら、それは俺がいい。もちろん、アリアレジスで自立すると言うのは、純粋な俺の目標だ。だがやはり、そこにはアンナがいてほしい。迷ったとき、辛いとき、嬉しいとき、アンナの笑顔がそばにあってほしい。
俺は確かな目標を持って留学の旅に出た。
ジオリダム発、グランディエの港町ハーリー行きの船。実家の者は当然、見送りに来ない。鐘も鳴らない早朝の出発なので、友人も見送りに来ない。ふと、リサ先生の姿を探すが、その姿は見えない。
寒い冬の朝、白い息を吐いて港を見ると、アンナがいた。厚いコートを着て、寒さで鼻を真っ赤にして、立っていた。大きな旅客船なので、声など届かない。しかし、俺たちは手を振り合った。姿が見えなくなるまで、ずっと。
船が港を離れしばらくし、海を見ると水平線だけが目に入る。この向こうには可能性が広がっている。
俺は決意を新たにする。何があっても、必ず今以上の自分になる。そして、自分の手で生きる道を掴む。




