ジオリダム、血と絆《ソラ》
《ソラ》
開放感に惹かれて入った飯屋は、港街らしい魚介類を売りにしたメニューだった。手頃な値段なこともあり、店は俺たちとそう変わらない年頃の若者で賑わっていた。
「バルセールの殺伐とした雰囲気と比べると、ほんの一週間も歩かない距離の街とは思えないわね。」
マキが料理を選びながら言う。確かに、ここ最近の街は、雰囲気にどこかトゲがあった。
バルセールは言わずもがな、スベルニアとエルコトルは、政治の話で妙な熱気に溢れていた。それはそれで健全なのかもしれないが。
だが、この店の若者たちは頬杖をつきながら、笑顔でデザートを食べ、ナッツをつまんでいる。
「この国は本当に戦争を仕掛けるんかのう?」
カスガも注文を選びながら、ぼやくように言う。そこに、カイが答える。
「意外と、優位にある国はそうかもしれないね。僕もグランディエで騎士になるまでの数年は、何の不安もなく生きていたよ。その間も、ブランジェや紫の紛争地帯との衝突はあったけれど、どこか遠い世界のようだった。」
カイの話に、貧民街と言えど同じ国で育った俺も同じ感覚を抱く。確かに、旅に出てロンソ村の惨劇を目にするまで、戦争は、遠目に眺めた紙芝居の英雄譚の話だった。
「ちょ、待てぃ。」
メニュー表を見ていたカスガが、いきなり顔を表で隠す。俺は驚いて聞く。
「な、なんだよっ。」
「後ろじゃ、後ろ。」
カスガが声を潜めて指を差すので、こっそりと後ろを振り返ると、店の入り口がパッと華やいだ。
アンナだ。目にするのは二度目、絵はがきも含めると何度目かなのに、見るたびに驚く美しさのアンナがそこにいた。アンナは店員に、二本の指を立てている。後ろにユフィがいた。
「きゃー、やっぱり。」
「やるのぅ、ユフィ。」
マキとカスガが、小声で興奮する。
「あ、なるほど。あれっていわゆるデートだね。」
さすがに鈍感なカイも、何かを感じたらしい。二人は、俺たちから見てアンナは後ろ姿、ユフィは表情が見える位置に座った。
俺たちは店員に注文をしながら、二人の様子が気になって仕方ない。周りの客は、アンナに目を奪われているのか、明らかに視線を集中させている者もいる。
アンナ本人は、注文を何にしようか迷っている様子だ。ユフィは、そんな彼女を頬杖をついて見守っている。いつも俺たちが注文に迷っていると、急かしてくるのに。
料理が運ばれてきた。魚介とトマトが混ざったスープパスタは、見るからに美味そうだ。大きな期待を抱き、口にする。
「う、美味ぇっ、」
俺は驚いて声を上げるが、三人にしーっ、と静かにするよう注意される。この店は大当たりだ。安くて美味い。
しかし、それよりも二人の様子が気になる。ユフィとアンナも何かを注文し、会話に夢中になっているようだ。
「いつものユフィよりも、口数が多い…。」
マキが俺たちに、秘密ごとを共有するように呟く。確かに、普段のユフィよりも積極的に話しているように見える。
「それに、なんとなくなんじゃがの、ユフィってあんなに優しい顔をするんじゃな…。」
カスガの呟きに、俺たちは何回も頷く。あんなにも柔らかいユフィの顔は、見たことがない。元々、つり目で切れ長の、少し神経質そうな顔立ちのユフィだが、アンナを見る目はとても穏やかだ。俺に魔道を教えるときの、妥協のない目とは大違いだ。
「あ、アンナにトマトを分けてあげてる。」
カイが目ざとく気づく。旅のなかで感じたことだが、トマトはユフィの好物の一つだ。しかし、この騎士はさっきまで興味無さげだったのに、一度嗅ぎつけると鋭い。
「待って、何か渡してるっ。」
マキが小声で、甲高い声を上げる。
「ありゃあ、クルエルで買うとった何かじゃっ。」
カスガもつられて、小声なのに圧のある声を上げる。そう言えば、俺の新しい服を買った店でユフィは何かを買っていた。
「あ、開けるっ。」
気づいたら、俺も二人の様子に夢中になっていた。これが人の恋路か?どうしてこんなに興味を惹かれるのだろう。
アンナが小さな紙袋を開けると、細い鎖の輪が出てきた。
「ね、ネックレスじゃない、あれ。」
マキが両頬を押さえて、小さく叫ぶ。
「ねっくれすって何だい?」
「いいから、見てて。」
俺が問うと、マキにそう促される。アンナがその鎖の金具を外し、首に巻きつける。そして、首を傾げてユフィに微笑む。ユフィは目を右へ逸らしながら、小さく頷いた。
「ああやって首につけるヤツかい?」
「そうよっ。」
俺が問うと、マキが俺の肩をバシンと叩いて答えた。痛い。
「ねえ、これって僕たちが見てていいのかな?」
「ぐぬぬ…、しかしのう、場所としてはワシらが先に出ては、こうして見ているのが知られてしまうではないか。」
カイが水を飲みながら疑問を口にするが、カスガは苦悶の表情で答える。しかし、その視線は二人から外れなかった。
その後も俺たちは、わざわざデザートまで頼んで店に居座った。しかし、意外にもユフィとアンナは早く店を出て行った。
「会計は、いわゆる割り勘じゃな。」
「まあ、若い恋人ならそうよね。」
カスガとマキが、会計まで目を見張っていた。
…俺もジッと観察していたが。
「恋人とは決まったわけじゃ、ないじゃない?」
カイがそう言うと、マキとカスガが、えっ、と驚く。
「あの様子を見たのに、そんなこと言える?」
「ありゃ、どう見てもそういう仲じゃろう。」
さすがに鈍いカイも、二人の妙な迫力に負けてしまい、黙って水を飲んだ。
俺たちは宿へ戻った。テーブルを囲んで座っているが、何だかいろいろ気になることがあり、ソワソワとする。
「の、のう、ヌシらは今までいい仲の者はおったんか?」
カスガが恥ずかしそうに、しかし興味深そうに聞いてくる。
「俺は孤高の身だぜっ。」
俺が元気よく立ち上がると、カスガが微笑みながら頭をポンポンと撫でてくる。
「私はいないわよ。でも、いつか音楽のこととか一緒に話し合える、素敵な人と出会いたいわ。」
マキが遠い未来を思い描くように言う。確かに、マキの音楽に対する情熱に応えられる者で無いと、彼女は満足しなさそうだ。
「僕もいないよ。」
カイが出店で買ったローストナッツを齧りながら言う。
「ほーん、カイなんか身分の確かな騎士じゃし、言い寄ってくる者もおりそうじゃがのう。」
「そう言うカスガはどうなの。」
カイに問われ、カスガが頬を赤らめる。
「ワシか?ワシは…。」
「帰ったぞ。」
ちょうどいいタイミングでユフィが扉を開けた。俺たちはカスガの話をそっちのけで、ユフィを一斉に見た。
「な、なんだよ。」
ユフィが戸惑いながら席に着く。
「まあ、ナッツでもどう?」
マキが勧めると、ユフィはひょいと口に入れる。
しばらく、五人でナッツを食べるだけの時間が流れた。ナッツが砕けるカリカリと言う音と、時計の秒針の音だけが鳴る。その沈黙を、カスガが破った。
「…昼間の、あのアンナとはどうなんじゃ?」
五人がナッツを齧る音が、止む。
「どう、とは?」
そう言うユフィの視線は、ナッツの乗った皿を見つめる。
「ほら、いろいろあるじゃない。知り合いとか、友達とか、いろいろ。」
マキが俺を見て言う。何か話の糸口を見つけろと言う圧を感じる。俺は迷いに迷って、言葉を続ける。
「ああ、なあ?ユフィにも、仲のいい友達がいたんだなって。」
俺がそう言うと、カスガとマキが明らかに違う違う、と首を横に振る。
「つまりさ、ただの女友達にネックレスなんてプレゼントしないよねってことを気にしてるんだよ。」
カイが何の緊張感も無くサラリと言った。その瞬間、ユフィが椅子を倒す勢いで立ち上がった。
「…見ていたのか?」
ユフィの急所を突かれたかのような表情に、場の空気が一気にピリつく。
「見ていたと言うか、見ちゃった。たまたま入った店にユフィとアンナが入って来たからさ、びっくりしたよね。」
張り詰めた空気などお構いなしに、カイがナッツを齧りながら言う。こう言うとき、図太い人間は強い。ユフィは息を吸って、椅子を起こし、席に座り直す。
「…で、二人は、あれじゃ、その。」
「なんだ。ハッキリ言え。」
カスガのもじもじとした態度に、ユフィの頭に血が上っている。そこで、カスガは思い切った。
「つまりは、いい仲なんか?」
その一言の後、俺たちは一瞬の間を置いて、ユフィ以外がゲラゲラと笑った。
「さっきも思ったけれど、その言い方おじさん臭いのよ。」
目に涙を浮かべるほど笑うマキに、カスガが戸惑う。ユフィはテーブルに肘をつき、顔を隠して何かを考える。マキは呼吸を整えて言う。
「まあ、言う言わないはユフィの意志よね。」
「でも俺たち、一緒に旅する仲間だぜ?」
「いやいや、ソラ。人の内面に、無理に踏み込むのは野暮だよ。」
少し残念がる俺に、カイがそう説く。野暮と言えば、宿を探している途中にカスガも言っていたことだ。気が効かない、いい男でないことを表す野暮。俺は、そうはなりたく無い。
しかし、ユフィが決意をしたかのように、思わぬことを口にする。
「アンナとは、将来にある約束をしている。」
その言葉に、俺たちは言葉もなく驚いた。
「約束って、結婚?」
俺が聞くと、ユフィが俯いて答える。
「違う。一緒にアリアレジスへ行くことだ。」
「それ、ブライト先生のところでも言ってたよな。なんでアリアレジスなんだい?」
俺が聞くと、ユフィは窓をチラッと見た。窓が閉じられているのを確認したかのような視線だ。そして、話す。
「アリアレジスは、エクラ種への差別があまり無いと聞く。多くの人種や異国の者が集まって成立している国だからな。ジオリダムにいても、時勢によっては強制的に兵士として徴収されるかもしれない。アリアレジスならば、ハーフエクラの俺たちでも、実力で職業を選び、生きていける希望がある。」
「なるほど。確かに生まれた身分や職業に左右されないのは、アリアレジスの良さだよね。」
カイが同感し、ユフィはさらに続ける。
「アリアレジスは、国籍を変えられる条件も他の国に比べると容易だと聞く。俺はアリアレジスで魔道の研究職につき、ジオリダムから自立するつもりだ。」
「しかし、ヌシは誠、立派じゃのう。若くしてそんなにも将来のことを考えておるとは。」
カスガが感心し、俺たちも頷く。
「いや、必要に迫られて、アンナと一緒に調べただけだ。」
「でも、ユフィも一緒なら心強いわよね。」
マキが言うと、ユフィは腕を組んで答える。
「いや、アンナはエクラの血を引きながら魔道の才能には恵まれなかっただけで、かなり賢い。古代ユリフユ語なんてかなり複雑な言語だが、独学でそこら辺の学生よりも読解できる。女性でも、独り立ちできるだけの力があるはずだ。」
ユフィの言葉に、俺たちは感心しながら驚く。やはり、アンナを相手にするユフィはとても素直だ。
そんな話をしていると、もうすっかり遅い時間となってしまった。マキは別の部屋で、女の旅人たちと相部屋で寝る。俺たちはランプの火を消し、それぞれベッドに入った。
「あっ。」
カイが珍しく大きな声を上げるので、俺たちは体を起こして声をかける。すると、彼はこう言った。
「ねえ、ユフィ。やっぱり普通の女友達にネックレスはプレゼントしないと思うんだけど、そこのところはどうなの?」
その言葉に、カスガが確かにっ、と反応する。ユフィは言う。
「うるさい。寝ろ。」
朝起きて身支度を済ませ、宿のロビーへ降りた。他のみんなは起きているようで、挨拶を交わす。
「あれ?ユフィは?」
いつも一番早起きのユフィがいない。
「ワシらが起きたときには、もうおらんかったよ。」
「もう朝ごはんの時間なのにねぇ。」
カスガとマキが時計を見て言うと、宿の扉が開いた。ユフィだ。どうやら外出していたらしい。カイが問いかける。
「ユフィ、どこへ行ってたの?散歩?」
「実家に挨拶をしてきた。」
ユフィは短く答えると、ロビーのソファに座った。マキが問う。
「こんな朝早く?」
「父親が、街の学校の教員で朝が早い。その出勤前に、十分程度顔を合わせれば充分だ。」
ユフィが淡々と話す。
「何か話したかい?」
俺が問うと、ユフィは何事も無いかのように、こう答えた。
「お前の正体は知られてないかと聞かれた。だから、知っている四人と旅をしていると答えたら、花瓶を投げられた。それだけだ。」
ユフィはあくまでも淡々と話す。それだけ、と言うが、きっとユフィの中で、自分の生まれを知った十歳の頃から、何かしらの折り合いをつけて導いた諦めなのだろう。
俺たちはまず、港を目指した。船の状況を確認するためだ。港は広く、立派な船が並んでいる。しかし、違和感を抱く。カイがそれを呟く。
「…人が少ないね。」
その言葉の通り、大きな船が何隻か並んでいるというのに、荷物の運搬などをする水夫が見当たらない。俺たちは旅客船の乗車券売り場へ行ってみた。
「旅客船かい?アリアレジス行きなら、一週間後の予定だよ。…あくまでも、予定で未定だけど。」
売り場の係員が、退屈そうに言った。さらには意味深な終わり方に、俺たちは不安げに顔を合わせる。
「一週間ですか。以前より便の数が少ないですね。」
ユフィが言うと、係員はため息をついて答えた。
「何せ、これから戦争だろう?国が武器や物資の輸入船を優先させているんだ。しかし、困ったことにさ、ジオリダムに輸出しようって国が見当たらなくてね。あんな立派な船たちも、立ち往生ってわけさ。」
「どうして輸出しないんだい?」
俺が問うと、係員はさらに大きなため息をついて答えた。
「貿易商たちに聞くと、どの国もアリアレジスを警戒してるって話だ。おそらく、今のジオリダムだけの国力でも、バルセールは制圧できるだろう。しかし、それで調子に乗ったジオリダムとアリアレジスが敵対したら、ジオリダムに支援したことのある国の立場が危うくなるってね。」
「一週間したら、アリアレジス行きの船は出るのかい?」
話の雲行きが怪しくなり、俺は焦ってカウンターに乗りそうな勢いで聞いた。しかし、係員は大きなため息とともに、首をひねるだけだった。
俺たちは、街の通りへ戻った。賑やかな通りだが、また路頭に迷った気分だ。これならいっそ、クルエルのように船が出ないと宣言されたほうが楽だ。
「レシオまで行くかのう…?」
カスガが頭を掻きながら呟く。
「まあ、レシオなら、ほぼ確実に船は出ると思うよ。アリアレジスとは同盟とまではいかないけれど、友好関係にある国だし、貿易で保ってる国だから港の封鎖は無いはず。」
レシオ出身のカイが話す。しかし、マキが心配げに問う。
「でも、レシオってだいぶ遠いわよね?」
「歩きだけだと、一か月は見ておきたいな。」
ユフィの答えに、俺とカスガが大声で驚く。周りの人が振り向く。
「途中で街や村、旅籠はあるがな。運良く馬車を拾えればいいが…。」
ユフィもあまり気乗りしない様子だ。
情報を集めがてら、俺たちはユフィが在籍する国立魔道学院に寄ることにした。
「ワシらみたいな部外者が入ってもええんか?」
「国立の学院だからな。図書館などは、一般にも開放している。制服も無いから、別に浮きはしない。」
ユフィの答えに、カスガはワクワクしているようだ。俺も正直、興味津々だ。
「僕たち、剣を下げてるけれど大丈夫かな?」
カイが問いかけると、ユフィが振り向いて言う。
「そうだ、下げているのは別に構わないが、絶対に抜くなよ。抜いた瞬間、教員の誰かしらに燃やされる。」
それが冗談でも脅しでもなく、本当だろうからゾッとする。
学院への道の途中、アンナが働く花屋の前を通った。昨日と同じく、男性の客が押し寄せている。
ユフィが近寄り、一人の若者の肩を叩く。
「げっ、ユフィ、帰って来たのか。」
「ああ、久しぶりだな。こんなところで油売ってるなら、自習室で勉強しろよ。」
ユフィが嫌味たっぷりに言うと、同じ年頃の若者たちが肩を落としてボヤく。
「ユフィがいない間に、アンナちゃんにアピールしようと思ったのに。」
「お待ちよ、花の一本でも買って行きな。」
立ち去ろうとする若者に、店長が強気に声をかける。若者たちはなんとなく花を選び、アンナが会計する。ガッカリしながらも、その瞬間は鼻の下を伸ばしていた。
若者たちが去ったあと、ユフィとアンナは軽く挨拶を交わして、ユフィがこちらへ戻ってきた。そして、再び学院を目指す。
「美人も苦労が多いのね。」
マキが言うと、ユフィが軽くため息をついて言う。
「やはり十二星座の乙女のモデルになってからだな。あの絵はがきがジオリダムで流行って、あちこちの雑貨屋で売り切れが続出したんだ。」
「分かるわ。グランディエでも流行ったもの。自分の星座の絵はがきを買うのが定番だったわ。」
マキがそう言うと、カイはそうなの?と驚く。妙に鈍くて妙に目ざとい騎士は、もう置いておこう。
「じゃあ、ユフィは絵はがき持ってないのかい?」
俺が何気なく問うと、先頭を歩くユフィが立ち止まった。そして、後ろにいる俺たちが分かるくらい耳を赤くして答えた。
「…アンナ本人から、もらった。」
「…何座?」
「…蠍座。」
俺たち四人は、ニヤニヤして顔を合わせた。ユフィは早足で歩き出す。
「ねえ、ユフィ。アンナがつけてたネックレス、君があげたやつ?」
カイがのん気に問うが、ユフィは無視をした。
やがて、立派な建物が見えてきた。青い化粧レンガの街並みと違い、真っ白な建物だ。
「すごいのう、これが学校かぁ。」
カスガは深緑色の目をキラキラさせて言う。
「まだ設立から二十年ほどだからな。建物が新しいんだ。」
ユフィの説明を受け、俺たちは学院へ入る。学院は中も広く、あちこちで学生らしき若者たちが本を読んだり魔道の練習をしているのが見えた。また、グランディエの学校を覗いた際に見かけたのと同様に、黒板を使って何かを説明する様子も見られた。
ユフィが歩いていると、何人かの学生が声をかけて来た。カイと同じ年頃の若者だ。俺は言う。
「ユフィも友達いるんだな。」
「…どう言う意味だ。」
俺はへへっと笑って誤魔化した。ぶっきらぼうなユフィが友達と笑顔でいる姿は、なかなか想像できない。
吹き抜けの中庭は広く、建物のなかとは思えないほど自然が豊かだった。様々な植物が植えられているのはもちろん、背の高い木や大きな岩、さらには池まである。
「いい雰囲気ね。一休みしたいときには、ここで過ごしたいわ。」
マキが大きく息を吸って自然を味わうと、ユフィが言う。
「ここは、森羅魔道の適性がある学生のための庭だ。俺もこの庭で、多くの精霊と契約した。」
「確かに、そこら中で精霊たちが喋ってて賑やかだな。」
「教員たちの手によって、精霊が呼び寄せられているからな。精霊の居心地がいいように、専門の庭師たちが常に管理している。」
俺とユフィでそんな会話をするが、精霊に対してすっかり耳が良くなってしまった俺たちには、少し騒がしいくらいだ。
「ここに寄らせてくれ。」
ユフィが扉の前で立ち止まる。扉には、【リサ=セイフレイ】と書いてある。俺は問う。
「誰かの部屋?」
「…俺の産みの母だ。」
小声でユフィが言うが、つい俺たちは少し声を上げて驚いてしまった。ユフィは扉を叩く。中から、女性にしては低めの、落ち着いた返事がした。
「リサ先生、ユフィ=ルナセフです。」
「…どうぞ。」
「失礼します。」
ユフィが扉を開けた。扉の隙間から、薬品のような、しかし華やかな匂いがした。
「久しぶりですね。」
「お久しぶりです。」
二人は実の親子とは思えない、他人行儀な挨拶を交わす。俺たちも部屋に入り、扉を閉める。
窓際に、三十代半ばくらいの女が立っていた。顔はユフィとあまり似ていない。母親がエクラ種と言っていた通り、リサの耳は尖っている。
「留学から帰ったのですね。お帰りなさい。」
「…ありがとうございます。」
ユフィと母であるリサの間には、どこかぎこちない雰囲気が漂っている。お帰りに対してただいまと返せない、埋められない距離があるのを感じてしまう。
「お友達ですか?」
リサに問われ、ユフィが俺たちを紹介する。俺たちも一人一人挨拶をする。
「こちらは学院のリサ先生。薬品や植物と、それに宿る精霊の研究をしていて、将来的には、多くの病に対する特効薬を開発することを目指していらっしゃる。」
ユフィの固い紹介だが、カスガが感心して頷く。
「ほー、それは興味あるのう。ワシはメウィティカで、薬草を使った医療の勉強をしております。」
「まあ、メウィティカが発展させた医療には、とてもお世話になっています。私の研究に、メウィティカの論文や実験成果は欠かせません。」
そう言って微笑むリサは、物腰柔らかで優しそうな先生だ。カスガはさらに問う。
「すごいのう。では、リサ先生はメウィティカ古語もご理解されるんですか?」
「ええ、とても難しいけれど、メウィティカ古語は情緒のある素敵な響きですね。勉強中は、あなたのように少し訛ってしまったけれどね。」
リサはふふっと口元に手を添えて、笑って答えてくれた。ユフィの母と言うことを除いても、教員だというのに親しみやすい雰囲気だ。
「リサ先生、お見せしたいものがあるのです。」
ユフィはそう言うと、懐から学生手帳を出し、リサに開いて見せた。
「これは…、ブライト様のサイン?」
リサが銀色の目を丸くして驚いた。学院の先生ですら様をつけて呼ぶなんて、どうやら俺はすごい先生の世話になったらしい。ユフィが言う。
「スベルニアで暮らしていらっしゃるところに、偶然お会いできました。」
「それは…、良い縁に恵まれましたね。旅の道中でも、こんなにお友達に巡り会えるなんて、良い経験ができましたね。」
リサが微笑んで言う。その目は、先ほどカスガに向けられたのと同じような優しさを宿しているが、どこか周りを見ていないような、ユフィだけに注がれる何かを感じさせる。
「リサ先生、こちらをお返ししたいのです。」
ユフィはそう言うと、左手首のブレスレットを外した。旅の間、ずっと付けていたものだ。
「私はこれからアリアレジスへ行きます。そうなると、なかなかお会いできないと思うので。」
ユフィがそう言いながらブレスレットをリサへ差し出すと、リサの眉尻が下がった。そして、リサはブレスレットを持つユフィの手を包み、こう言った。
「迷惑でなければ、持っていてちょうだい。これは月の祝福と言われる石でできたブレスレット。どんなに暗い夜も、あなたの行く先を照らしてくれるはずです。」
ユフィは、そう話すリサから目を離さなかった。そして、続ける。
「…だから、留学に出る私にくださったのですね。」
「ほんの、願掛けです。研究者らしくありませんが。」
リサはユフィを見て微笑む。お互いに血が繋がっているというのに、耳の形だけで親子だと言えないなんて。こうして顔を合わせることができても、かえって悲しみが増すだけなんじゃないか。
ユフィとリサは、それだけの会話で部屋を出た。
「…もう、いいの?」
マキが心配そうに、ユフィに問う。
「ああ、俺とリサ先生では、研究分野が違う。あまり近づいても、不自然になるだけだ。」
ユフィはリサから返されたブレスレットをつけながら、淡々と答えた。
「やっぱりここに寄ったか。ユフィ。」
リサの部屋から出てすぐ、若者が声をかけてきた。ユフィが若者に答える。
「…セエレか。何の用だ。さっき実家で顔を合わせただろう。」
セエレと呼ばれた若者は、ユフィと同じ年頃で、銀色の髪と、吊り目で切れ長な目がそっくりだった。目だけは、ユフィと違い、少し青みがかった銀色だ。
「留学から戻ったと思ったら、お友達ごっこにママに甘える時間かい?」
セエレの目がより吊り上がり、敵意に満ちる。
「何とでも言え。一応、紹介する。ヤツはセエレ=ルナセフ。俺の双子の弟だ。」
ユフィの紹介に、まあ表向きはな、とセエレは吐き捨てる。ユフィが俺たちのことを紹介しようとしたが、セエレが興味ない、と一蹴し、言う。
「そいつらが、お前の生まれを知ってるヤツらなのか?何の得も無いのに、よく打ち明けたな。お前は馬鹿だな。」
「四度目の入学試験でギリギリ合格できた、不出来な弟がよく言うな。俺はもう、アリアレジスへの留学も視野に入れているぞ。」
ユフィがそう言うと、セエレは一番の敵意を込めてこちらを睨んだ。思わず俺たちが間に入るくらい、一触即発の雰囲気となった。セエレを抑える俺は、彼の小さな恨み言を耳にした。
「…はん、やっぱり血が汚いと、根性も汚くいやがる。」
俺はそれを聞き、一気に怒りが湧いた。
「なんだい、その言い方。血と根性に関係なんかあるかよっ。」
「あるよ。育ててもらった恩を忘れて、自分の都合で奨学金や留学の手続きを進めて、ルナセフ家に何も貢献しない。」
セエレは有りったけの憎しみを込めて言うが、その目には卑屈さが滲み出ていた。そして、セエレは問う。
「お前、今後は家に帰るのか?」
「いや、もう関わらない。」
ユフィが答えると、セエレは満足そうにそうか、と言って、俺たちはその場を後にした。
「セエレってのは、どうにも捻くれとるのう。」
中庭で少し休憩がてらベンチに座って、カスガが言う。
「セエレも魔道の才能が無いわけではない。突出したものがあるわけでもないが…。やはり分岐点は十歳のときだ。学院に、養子である俺だけが合格し、実子であるセエレだけが不合格となった。それまでは兄弟として遊んだり、一緒に勉強したりもしていたがな、セエレがあの目で見てくるようになった。」
なるほど、点と点が線で結ばれる。ユフィの養父母が、ユフィが優秀であるほど憎いと言ったのには、実子であるセエレのつまづきにヤキモキする思いがあったのだろう。
「魔道学院に、そんな嫉妬は日常茶飯だ。十歳で入学したときに、敬語を間違えたら先輩から張り手を食らったし、先輩の課題であるはずの論文を徹夜で書き写すのはザラだ。設立してから二十年ほどだが、既に悪しき風習は広まっている。」
ユフィが淡々と言う。なんとなく、建物の美しさも相まって楽しげな学院生活を想像していたが、こんな小さな世界で、人間に歪な上下関係が生まれてしまうなんて。賢い人間にも、弱さがあるのだと思ってしまう。
それから俺たちは、ユフィとともに学院内を回った。ユフィは何人かの教員と会い、学生手帳のブライトのサインを見せた。どの教員も大きく驚き、ユフィの留学の成果を褒め称えた。
そして、ユフィはアリアレジスへ渡る宛てが無いかも尋ねた。国立の学院ということもあり、教員のなかには政治家と繋がりがある者も多いらしい。しかし、どの教員も曇った顔をした。
その顔の理由を、あとでユフィが言うには、ジオリダム、バルセール、さらにはアリアレジスと、言い方は悪いが、どこに味方するのが旨みがあるのか迷っているからだと、彼は受け取ったらしい。
俺たちは学院を後にし、夕飯を食べるために市場の店を見て回った。すると、昼までは無かった貼り紙が、あちこちにあるのが目に入った。
【明日十二時より、ジオリダム軍、出征パレード、大通りにて】
貼り紙を目にした人たちは高揚感と驚きで、市場は熱狂に溢れていた。
俺たちは異様な熱気の市場を抜け、昨日の飯屋に入ることにした。




