水色の浮浪児と出会い《ソラ》
《ソラ》
そして十二歳の冬、俺は人を殺そうと思った。
俺の手には、鈍く光るナイフが一本。それは何だか、俺が小汚くなるほど鋭くなっている気がする。
空腹が限界である。味方もなく、何も信じられない。みんなが俺を敵にする。ただただ、全てが憎い。
俺はもう、死んでもいい。とにかく限界だ。
ならば、せめて誰かを殺してやる。少しでもいい暮らしをしている奴を狙う。そして俺も死ぬ。
俺は世紀の大馬鹿者になるだろう。それでいい。
ただ、全てが憎い。
希望教の教会跡の地下室から這い出て、大通りへ出た。日曜日の商店街なんて比べ物にならないくらいの人波だ。人は誰もみな、明るい声を上げている。
「女王様ーっ。」
「ティア様ーっ。」
人波を分けると、大通りの中央が一本道となって開いている。昔、何かを記念したパレードがあったが、それと同じだ。しかし、そのパレードとは人々の熱狂が違う気がした。
「グランディエに勝利をっ。」
「騎士団に栄誉あれっ。」
誰も、こんな汚い浮浪児が紛れ込んでいるなんて気づかないほど、道の中央に気持ちが向いている。さらには、あちこちから威勢の良い楽器の音色が聞こえる。
神なんて信じない。でも、この時ばかりは何かが俺に味方している気がした。
少しでも、いい暮らしをしている奴を殺す。どうやらこの道を、この国の女王が通るらしい。こんな熱狂のなかであればできる。女王までいかずとも、いけすかない騎士でもいい。誰かしら仕留めてやる。
俺は、真っ黒な炎を体中にいっぱいにして、その機を狙っていた。
少しして、周囲の人間がさらに大きな声を上げた。女王だ。女王が少し遠くに目に入った。
俺は見たことも無いその女を、女王だと思った。
説明されなくとも分かる。その女は、真っ白な馬に乗り、煌めく白銀の鎧を着ていた。その姿に、真紅のマントが映えている。身なりから女王だと充分に判断できるが、何よりもスッと伸びた姿勢と、何の汚れもしたことの無さそうな白い肌が、女王だと物語っている。
俺の黒い炎は、さらに膨らんだ。俺はこんなに惨めなのに。腹が減って体中が痛いのに。俺は小さく身を屈め、腰に着けたナイフに手をかけた。
「ティア様ーっ。」
俺の隣に立つ女が、大きく声を上げた。すると、女王がその女に向けて手を振った。女は喜んで倒れそうなくらいにのけ反って歓声を上げた。
あれが俺が殺す女か。ますます距離が近くなり、炎はギラつく。周りは騎士団が目を光らせているが、突破してやる。何もせず野垂れ死ぬくらいなら、大きく暴れてやる。
女王が逆方向を向いた。騎士団も前後を見ている。俺のまっすぐ目の前に女王がいる。
今だ。俺は強く踏み出し、道へ飛び出した。
ナイフの切先は女王へ向いている。俺の足は早い。鋭い悲鳴が辺りから聞こえる。周囲の景色がゆっくりに見える。
女王まであと一歩。その瞬間。金色の影が目の前を塞いだ。ぐるりと景色が転がると、俺の顔はレンガ畳に押し付けられていた。
「離せっ。離せよっ。」
ナイフを握っていた右手は背中の辺りでひねられ、鈍い痛みで痺れる。
「子ども…。」
どこかで聞いた、柔らかい声が頭上で聞こえた。
「そいつを殺せっ。」
「女王様を狙う奴は処刑だっ。」
物騒な罵声が俺に降り注ぐ。何も果たしていないのに、死んでたまるか。あのときと同じように、どす黒い炎が体中から溢れそうになった。
「ごめんよ。」
男の柔らかい声がして、俺は軽く起こされた。すると、首に鋭い一撃が入った。何もかも真っ暗になり、俺は地面に沈んだ。
夢を見た。
俺は馬車に乗って、荷台から夕焼けを眺めている。辺り一面は草原だが、夕焼けによって燃えるように照らされて、煌めいている。
「あの山の向こうに。」
同じ荷台に乗った老婆が山を指差す。
「姫神様が作った、楽園がある。」
「ラクエン?」
小さな俺が問う。
「何の苦しみも無く、誰もが幸せに暮らせるところのことだよ。」
「へー、そりゃいいや。」
今よりも幼い俺は真に受けて、ニコニコ笑う。
「僕、楽園に行ったら、いっぱいご飯食べたい。あと、勉強したい。絵本を読みたい。それで友達と遊んで、ふかふかのベッドで寝るんだ。」
そういや、こんなことを言っていたときもあったっけな。何だか忘れちまっていたよ。
「お婆ちゃんは?」
「私?そうだね…。もう一度、家族と暮らすよ。」
老婆は優しく微笑んで答えた。
「カゾクって何?」
「うーん、難しいね。」
俺の問いに、老婆が真剣に悩む。
「いろいろ説明はできるけど、私にとっては宝ものだね。」
「えーっ、じゃあ見つけようよ、宝もの。」
「私の宝は、もう見つからないよ。」
老婆が悲しげに呟く。
「なんで?洞窟の奥にあるの?ドラゴンが守ってるの?」
「いや、【シンカイ】にいるからさ。」
「シンカイ?」
「坊やなら、これからいくらでも見つけられるよ。家族も、宝ものも。」
「よく分からないけど、すごいや。」
俺はニコニコ笑って、老婆と微笑み合った。
やがて、馬車が停まる。
「奴隷ども、降りろ。」
目が覚めると、白い天井が薄っすらと目に入った。状況を理解しようと、すぐさま考えを巡らせようとするが、体中、特に首が鈍く痛い。
視界がだんだん鮮明になってきた。少し目線を体にずらすと、ふわふわの布団に包まれている。温かい。冬なのにこんなに温かいなんて、久しぶりだ。
「起きたかい?」
男の柔らかい声がした。俺はすぐにそちらへ顔を向けたが、首に激痛が走った。
「いってぇ。」
「あっ、大丈夫?」
首をかばいながら男を見ると、あのナヨナヨした騎士が椅子に座っていた。
「ほら、これを首に当てておいて。」
騎士が水を絞った布を差し出す。俺が触ったことも無いような、高そうな生地だ。俺は何も言わずにそれを受け取り、首に当てた。
「手荒な真似をしてごめんよ。命を奪うことなく、君を保護したかったんだ。」
「あんたが俺の首を落としたのかい?」
柔らかく微笑む、ナヨナヨした騎士からは想像できない鋭い一撃が思い出される。恨めしい気持ちはありつつも、驚きのほうが優ってしまった。
「女王陛下をお守りするのが、僕らの仕事だからね。僕はカイ。君は?」
騎士はそう名乗って、右手を差し出してきた。しかし、俺はそれを無視した。
「ソラ。」
「へぇ、いい名前だね。」
敵意の無いあっけらかんとしたカイの声が、俺をイライラさせる。こんなボケたヤツのせいで、俺は失敗してしまった。それに、先日から感じている自分の無力さを、さらに痛感しているのだ。
「どうして女王様を狙ったんだい?」
迷子に家へのヒントを尋ねるように、カイが問う。
「いい暮らしをしているヤツを殺そうと思ったから。」
「なんで殺そうと思ったんだい?」
「殺したくなったから。」
「何で殺したくなったんだい?」
「全部憎かったから。」
「何で憎かったんだい?」
俺はとうとう我慢できなくなった。
「この時間に何の意味があるんだよっ。いってぇ…。」
イライラして急にカイを向くと、首に再び激痛が走った。
「まぁまぁ、落ち着いて。お茶でも飲むかい?」
俺の苛立ちと裏腹に、のんびりとしたカイの口調にさらに腹が立つ。カイは動作もゆっくりと、見たことのない食器で色の着いた水を注いだ。
「メイドさんオススメの、メウィティカ国産のお茶だよ。どうぞ。」
お茶なんて、初めて飲む。恐る恐る口を近づけると、何だかいい匂いがした。ワクワクして少しだけ口に流し込むと、俺はすぐに吐き出してしまった。
「わっ、大丈夫かい?」
「げっ、なんだこの味、しょっぺぇ。」
夏にかいた汗が、口に流れ込んだときのような不快感がした。
「うーん、僕なりの隠し味で塩を足したのがダメだったのかなぁ。」
このカイって騎士、たぶん変なヤツだ。俺が知っている、偉そうな騎士とはだいぶ違う。悪いヤツでは無さそうだが、なんかズレている。
しかし俺は、こいつに組み伏せられたときの瞬間を覚えている。素早く金色の影にしか見えなかったカイから、本当の殺気を感じた。こいつは変だけど、たぶん強い。俺の勘がそう言っている。
「君は本来、女王様への謀反の罪で、裁判にかけられる。」
カイが俺の吹き出したお茶を拭きながら、突然、真剣な口調となる。
「ムホン?サイバン?」
「偉い方を殺そうとした人が、罪人になるかどうか話し合いをすることさ。」
そう言われて、俺は特に何の驚きも悲しみも湧かなかった。スリや盗み、死体漁り、果ては女王殺し寸前、今さら罪人になると言われても、もはや何でも来いという気さえした。
「はっ、構わねぇよ。罪人になろうが、殺されようが。お偉いさんを道連れにできねぇのだけが残念だぜ。」
何が強さだ、何が優しさだ、何が幸せだ、俺はなぜかシスター・メイの悲しそうな顔を思い出しながら、乱暴に吐き捨てた。
「…君は、ずいぶん苦労して来たんだね。」
カイの口調が沈む。再び俺は、瞬間的に苛立つ。
「俺ぁよ、その同情ってやつが嫌いなんだよ。」
「同情、そうだね。僕は悲しいよ。君みたいな子どもがそんなにも荒んでしまっているのが。」
言う通り、俺を悲しそうに見つめながらカイが呟く。
「そういうガキ扱いも大嫌いだ。さっきはやられたが、俺ぁお前くらい殺せるぜ。俺は力がある。」
「悪かったね。謝るよ。でも、僕は負けないよ。」
カイの金色の瞳が、少し鋭くなる。俺は引くわけにはいかないと腰を触るが、ナイフが無い。
「ナイフなら、当然のことだけど、こちらで預かっているよ。」
カイが余裕そうに言う。俺はその様子にますます腹を立てる。
「俺ぁ、精霊の形代だぜ?」
「もちろん知っているよ。それも、氷の力を使うんじゃないかな?」
言い当てられて、思わず俺は驚く。カイの瞳はますます鋭さを増す。
「君を組み敷いたとき、わずかに冷気を感じた。以前、戦場で戦った魔道士が放つ、魔道と同じ気配がしたよ。」
「せ、戦場。」
目の前の男から信じられない言葉が飛び出した。さっきまでボケた表情を浮かべていたカイが、嘘のようだ。
「ソラが氷を放つのと、僕がこの剣を抜くの、どちらが早いか試してもいいよ。けれど僕は、世界に誇るグランディエ騎士団の一人さ。絶対に負けないよ。」
カイの金色の瞳が、微笑みを浮かべたまま、しかし鋭さを増すばかりだ。まるで小動物を狙う、大きな獣のようだ。
コンコン。扉を叩く音がした。その音がして、俺は随分と緊張していたことに気づいた。まるで永遠のような時間が、ノックの音によって終わった。
「カイ、入りますよ。」
「はい。」
落ち着いた女の声がして、カイが椅子から立ち上がる。扉がゆっくりと開き、二人の騎士が入ると、続けて女が入ってきた。あの女王だ。マントや鎧は脱いで、上品なドレス姿だったがすぐに分かった。
「ごめんなさいね、扉越しに最後のほうだけ、少しお話を聞かせていただいたわ。カイ、あなたは勇敢ですけれど、負けず嫌いが過ぎるのが玉に瑕ね。」
「申し訳ありません…。」
カイが恥ずかしそうに頭を下げた。偉い人たちの上品な会話や服装。俺はやはり苛立ちを抑えられない。
「なんだい?てめぇの首を狙ったクソガキの顔を拝みに来やがったのかい?」
俺の敵意に満ちた発言に、カイを含めた騎士たちが睨みをきかす。
「ええ、まるで黒猫さんのように、可愛らしいお子さんですこと。」
女王が余裕たっぷりに微笑む。
「ガキ扱いすんじゃねぇっ。」
腹が立って手にしていたタオルを投げようとすると、すかさずカイに手を抑えられる。
「どうどう。」
「動物扱いもすんじゃねぇっ。いってぇっ…。」
暴れると首が痛い。首に痛みを抱えていることを、つい忘れてしまう自分に、さらに腹が立つ。
「私はグランディエ王国女王、ティア=グランディエと申します。あなたは?」
偉いヤツに名乗るのに抵抗があり、俺は睨んだまま黙った。
「ソラというようです。」
「てめぇ、勝手に言ってんじゃねぇ。」
「よしよし。」
「さっきからムカつくんだよ、てめぇ。いってぇ。」
カイと俺のやり取りを、女王がクスクス笑って眺めている。
「それで、カイ。話の本題は伝えましたか?」
「あ、忘れていました。」
カイよりも年長らしい二人の騎士が、ため息をついた。
「では、私からお伝えしましょう。」
女王はそう言うと、優雅に椅子に座った。
「いいのかい?てめぇを殺そうとしたヤツの目の前だぜ?」
「ええ、こう見えて私、魔道が得意なの。あなたなら簡単に燃やせますよ。」
女王は上品な笑顔で、恐ろしいことを言った。さっきのカイといい、この国の偉い人たちは、俺が思う、平和で汚れない世界に生きているわけではないのかもしれない。
「ソラ、あなたは姫神教本部に保護されます。」
「あ?」
俺が睨むと、カイが俺の頭を指先でちょんと押した。
「ソラ、あ?じゃなくて、はい?だよ。」
後ろの騎士たちが、それも違うぞと言う。
「今、世界中で形代狩りが頻発しています。誰が、どのような目的でかは各国や姫神教で調査中です。」
「形代狩り…。もしかして。」
「最近、覚えがありますか?」
「ああ、三日くらい前の月夜の晩、影みたいな化け物に襲われたぜ。俺のことを迎えに来たって言ってやがった。」
そのときに死んでしまったアンディの顔が頭に浮かんだが、偉い人相手に何でもかんでも話すのが、俺は何だか嫌だった。
「影を操る魔道、まるで【精霊戦争】を思い出すわ…。」
優雅に振る舞っていた女王が、ふと悲しげに窓辺を見つめた。しかし、俺は気になる単語が出たので聞いてみることにした。
「精霊戦争?」
「ええ、そうね。あなたは知っておくべきことですね。お話しましょう。」
女王の悲しげな瞳が、俺を見つめる。
遠くから、職人たちの仕事終わりを告げる鐘が鳴った。外は直に夕焼け空となるだろう。
女王が、ゆっくりと過去を語り始めた。




