エルコトル、金色の春風《ソラ》
《ソラ》
「火の精霊、俺は学んだぜ。」
俺は夢のなか、自分の内側にいる。エルコトルを目指す道中の野宿だが、すっかり慣れて、熟睡できるようになっているのだ。
〈ああ?形代、何を言い出すんだ?〉
相変わらず喧嘩腰の火の精霊だが、俺は自信を持って話す。
「必殺技の火山攻撃、それに必要なのは、地の精霊だろう?」
俺がそう言うと、俺の内側に広がる泉に波紋が広がる。
〈へぇ、お前にしてはいい線いってるじゃん〉
ネグルが小馬鹿にするので、俺は睨む。しかし、ただの結晶を睨んだところで虚しいだけだ。
〈形代、お前はどうやってそう考えたんだ?〉
火の精霊が問う。正直、拙い知識だが俺なりに説明を試みる。
「仕事や修行の合間に、スベルニアの図書館に行ったんだ。って言っても、難しい本はまだ分からないからよ、子ども向けの地質学の本を読んだんだ。俺が想像する以上に、噴火するってのは複雑な力が何重にも働いている。」
俺の説明に、火の精霊にしては珍しく静かに耳を傾けている。
「火と石だけじゃなく、地球の奥に眠る力が関わっている。必殺技とは言ったが、できるまでに何年かかるか頭を抱えたぜ。」
〈ふーん、まあ、形代にしては頑張ったな。誰かの入れ知恵か?〉
火の精霊が問うので、俺は自信を持って答える。
「俺は、学び方や調べ方を教わった。索引とか目次とか、そんな初歩的なことも知らなかった。けれど、地質学の本に目をつけたのは俺だぜ。」
俺の言葉を受け、火の精霊は大きく笑って言う。
〈少し見直したぜ、形代。言っておくが、火の力は偉大だぜ。人を導く灯りになれば、人を殺す火炎にもなる。その調子で俺を使いこなせるよう、せいぜい頑張りな。〉
火の精霊はそう言うと、存在感を消した。姿は見えなくとも、感覚で分かる。
〈今度は俺の相手はどうだい?ソラ。〉
ネグルが妖しく煌めき、声をかけてきた。
「寂しいんだろうが、悪いけれど俺はお前に用は無いぜ。」
〈姫神教への鬱憤なら聞いてやるぜ?〉
そう言われ、俺はチラリとネグルを見る。
「お前、俺の敵なんじゃなかったっけ?」
〈だから聞いてやるってんだよ。〉
ネグルの黒い結晶が、鈍く光る。
〈お前、本当にアリアレジスの姫神教会を目指すのかい?〉
「またそれかい。」
〈お前を揺さぶるのが楽しいんだ。お前は素直だからな。〉
ネグルがあざ笑うようにチカチカ光る。
「あらゆることを、様々な角度から考えろ。」
〈なに?〉
「先生に教わったんだ。俺はまだ、知らないことばかりだからな。乾いた布だ。いろいろなことを知って、考えていくさ。」
〈傷つかないといいな?〉
ネグルが煽ってくる。だが、俺はブライトから学ぶなかで、一つ確かなことがあった。
「俺ぁ、思うぜ。貧民街でただその日暮らしだった頃よりも、今のほうが生きてる実感あるってな。」
〈へぇ、新しい感情が生まれてるじゃねぇか。〉
「ネグル、お前もそんな結晶のかたまりになって意地悪言ってねぇで、他に目を向けろよ。俺ばかりじゃ飽きるだろ。」
少しの沈黙のあと、ネグルは言う。
〈それは、俺の役割じゃない。〉
「役割ねぇ。お前も大変そうだな。」
〈そろそろ目覚めだ。また遊ぼうぜ。〉
ネグルの言葉とともに、視界が明るくなる。
新しい一日が始まる。
スベルニアを出発して一週間ほど、俺たちは途中にある旅籠や街に立ち寄りながら街道を歩いた。
旅の途中も、俺は魔道の勉強や鍛錬を忘れなかった。むしろ、以前よりも楽しく取り組めている。前は分からないことばかりで教えを受けるだけだったが、ブライトの教えを受けて以来、自分で疑問や課題を見つけ、質問をできるように努力した。
また、アッシュは大きな力となりそうだ。スベルニアと次の目的地であるエルコトルの間も、盗賊や影の襲撃にあった。その際にアッシュを召喚すると、彼は震えながらだが、強力な結界魔道を展開する。これによりマキの負担が減り、マキは補助魔道に専念できるようになった。
しかし、召喚魔道は弱点もある。アッシュの力を借りると、魔力の消費が激しく、あまりにも頼ってしまうと、その日は鍛錬ができないほど疲れ切ってしまう。また、異常に腹が減る。俺はブライトからもらったベーゼの手記を読む。
【召喚獣は生前の性格、習慣を持っている。】
【私は辛い物が嫌いだったが、リベリア国出身の召喚獣と契約してから、辛い物を好むようになった。】
【私は内向的で、口よりも筆で思いを伝える性格だったが、女好きの召喚獣と契約してから愛の言葉がスラスラと出るようになり、結婚をした。】
【主の力量を上回る召喚獣と契約すると、その召喚獣の性格や習慣が、主を乗っ取るようだ。】
俺はなかなか恐ろしい魔道に、足を踏み入れてしまったのかもしれない。確かにアッシュと契約して以来、皮を剥いたリンゴが食べたくて仕方ない。
そんな旅路を経て、俺たちはようやく新たな国エルコトルへたどり着いた。
「なんか、結構離れている割にはスベルニアとあまり雰囲気の変わらない街だな。」
俺がエルコトルをキョロキョロ眺めていると、カイが答えてくれた。
「クルエルでユフィが言っていたけど、スベルニアとエルコトルは元々一つの国だったからね。きっと元の文化や歴史は一緒なんじゃないかな。」
そう言えば、そんなことを言っていたな。スベルニアとは似た景観の建物ばかりだが、一点違うところと言えば、この街は坂が多い。俺たちは坂道をひいひい言いながら上る。
そして、宿を探した。坂の途中で、ユフィが少し待て、と立ち止まる。どうやら限界らしい。他の四人で少し後ろのユフィを振り返った、そのとき。
「わーっ、すみませんっ。拾ってくださーい。」
明るく焦った声が、坂の上から聞こえた。そして、次々とリンゴが転がってくる。
「な、なんじゃ、なんじゃ。」
「とりあえず拾おう。」
俺たちは大慌てでリンゴを拾う。五人とも、両腕に抱えるほどのリンゴを拾った。幸い、拾い漏らしはなさそうだ。すると、声の主が下りて来た。
「あ、ありがとうございますっ。すみません。」
坂道を転びそうな勢いで下りてきた声の主は、若い女だった。ユフィたちと同じ年頃だろう。
「さっき市場で買ったらたくさんオマケをもらったんだけれど、紙袋が破けちゃって…。」
若い女は破けた紙袋の代わりに、布の袋を広げた。俺たちはそこにリンゴを入れて行った。女は一人一人に律儀に礼を言った。
「でも、こんなに多くてもな…。あ、皆さんいります?」
女の提案に、俺はいるっ、と即答した。アッシュに皮剥きのリンゴを食べさせてやれる。すると、女は喜んで、と言って、俺たちに一つずつ渡していく。
そして、俺の手にリンゴが載った瞬間だった。久しぶりに感じたのだ。
銀の糸だ。
しかし、今までとは何かが違う。もっと強く太い、ずっと前から出会っていたような予感だ。
そんな予感に考えを沈めて、気づいたら、女は坂の上へ軽やかに歩いていた。
「ありがとねっ。」
女はくるりと振り返り、ニコニコと笑って言った。俺はしばらく、その後ろ姿を見ていた。
「なんだか明るくて、春風のような女の子ね。」
マキが言う。俺は銀の糸の予感のせいで、まだぼんやりと、女が上って行った坂道を見ていた。
「なんじゃ、ソラ。見惚れたんか?」
カスガに頭を掴まれる。ちげぇよ、とその手を振り払った。
俺たちは坂の上に宿を見つけた。スベルニアと同じく、定食屋が一階にある宿だ。
「やっと座れる…。」
ユフィはげっそりとしている。普段、体を動かし慣れていないユフィに、坂道だらけのエルコトルはしんどいようだ。
「マキは音楽家なのに、なぜ俺よりも体力があるんだ。」
「劇団ブロタールは巡業で旅することもあるからね、歩き慣れてるし…。あと意外と笛とかって肺活量使うから、体力はついているのかもね。」
椅子に深く腰掛けるユフィに、マキが答える。
「ユフィ、僕の剣持ってみる?」
カイがそう言って、腰に掛けた剣を片手で渡す。ユフィが疑わしそうな目で剣を手にする。しかし。
「おっもっ。」
ユフィは両手で受け取ったはずなのに、危うく手が床に着きそうな勢いで、剣が重くのしかかった。
「そんなにかい?」
カスガが興味深そうに剣を持つ。
「おお、確かに重いのぅ。よう、こんなもん振っていられるのぅ。」
そう言うカスガは片手で持っているが、確かにカイほどは軽々と持っている感じではない。
「僕たち騎士は、鎧兜を身につけた敵を相手することもあるからね。剣自体に重さが無いと負けてしまうんだ。」
カイの説明に俺とカスガはほー、と感心する。ユフィとマキは、あまり関心が無さそうだった。
「しかし、なぜこの街はこんなにも坂だらけなんだ。」
ユフィが不貞腐れたように言う。
「たぶんこの街は、元々は砦の役割を持っていたんじゃないかな。」
カイが説明する。
「スベルニアには立派な王城があるようだけど、エルコトルには城らしき建物がなさそうだよね。おそらくだけれど、このエルコトルは敵の侵入を防ぐために作られた砦だったんじゃないかな。下から攻めてくる敵を、上から抑えられるように…。街のあちこちに、弓兵が潜伏できる壁の名残が見られたよ。」
なるほど、俺は再び感心する。俺には坂道だらけのレンガ造りの家としか思わなかった街が、戦場の経験があるカイにはそう見えるのか。
〈あらゆることを、様々な角度から考えろ。〉
ここで、ブライトの言葉を思い出す。俺一人でも多角的に考えることはもちろんとして、四人の考えからも学んでいく必要があると感じた。
「なあ、カイ。今度、時間があるときにでもよ、戦場の話を聞かせてくれよ。カイの強さの手がかりがある気がするんだ。」
俺は学びたい一心で、それを願い出た。しかし、俺以外の四人の表情は少し強張る。そして、カイが答える。
「うーん、あまり、話したくないかな。ごめん。」
いつもの微笑みに、少し困り顔が浮かんでいた。
夕飯の時間になり、俺たちは宿の下の定食屋へ下りた。港町から遠く離れてしまったので、海鮮メニューは見当たらない。それでも、野菜や肉類など、美味そうな料理がありそうだ。それぞれ好きなメニューを頼む。
「この街の滞在はどのくらいにしようか。」
カイが話題に出すと、ユフィが地図を広げる。
「次の街バルセールまでは、二週間は歩くな。」
「二週間っ?」
結構な長さに、俺たちは驚く。
「バルセールまで旅籠や村はあるが、いかんせん遠い。途中で馬車を拾えるといいが…。」
ユフィが先々のことを考えていると、料理が運ばれてきた。いかにも街の定食屋という見た目だが、口にすると濃い味付けがちょうどいい。俺たちが料理に夢中になっていると、店主が声をかけてきた。
「みなさんは旅人かい?」
そう問われたので、カイが代表してスベルニアから来たことを答えた。
「へぇ、ちょうど良かったね。あと少し滞在していたら、旅人さん、スベルニアから出られなくなっていたよ。」
「どういうことですじゃ?」
カスガの問いに、店主が新聞紙を持って来た。
「開かれし党っていう学生団体が王政を覆そうと計画していたらしくてね、その資金稼ぎに強盗を繰り返していたのさ。」
俺たちは頷いて聞く。ちょうど、滞在していたときがその状況だった。
「しかし学生団体の中心人物が逮捕されて、尋問の末に次々と仲間が逮捕されたらしくてね。今のスベルニアは、そうした反体制派を外へ出さないよう厳戒態勢となっているってよ。疑わしくは即逮捕らしい。」
店長の話に俺は食いつく。
「その厳戒態勢をとっているのは王かい?それとも…。」
そこまで言って、両隣のカイとマキに口を抑えられる。ここでも姫神教の名を簡単に出すのは危険らしい。
「カイ、これを見ろ。」
ユフィが、新聞紙の一面となっていない小さな記事を指差した。そこにはこう書いてあった。
《ブランジェ、グランディエ、平和条約、締結。》
「つまり、これが意味することは…。」
カスガが言うと、カイが短く呟いた。
「グランディエの負けさ。」
負け。ユフィとマキが記事の内容を説明をしてくれたが、敗戦国であるグランディエが戦勝国であるブランジェに多額の賠償金を払い、広範囲の領土も渡すという。さらに、グランディエの各街、各村に希望教会を建てることになるらしい。
「長く続くとは思っていたけれど、想像よりは早く終結したな。」
「それはいいことなんじゃないのかい?」
ユフィの意見に、俺が疑問を言う。ユフィは答える。
「とは言え、グランディエの傷がでかい。それでも、傷を最小に収めようと、何かしらの判断があったんだろうな。」
カイは一連の流れを静かに聞いていた。目は伏せて、遠くの自国を思い描いているように見える。しかし、いきなりパッと顔を上げて言う。
「まぁ、僕たちは進むしかないからね。情報に目は向けつつも、引きずり込まれてはいけないね。」
そう話すカイの顔は、いつもの穏やかで柔らかい青年の顔だった。そして、店内をぐるっと見渡す。
「あ、あった。マキ、あの楽器を弾いてくれないかい?」
そう言ってカイが指差したのは、十二本の弦が張られたギターラだった。マキは店長に確認し、快く許可を得た。
「カイ、リクエストはある?」
マキに尋ねられ、カイは少し悩んで答えた。
「うーん、故郷、かな。」
マキは軽く返事をして、調子を試すように弦を弾いた。切ないメロディに乗せて、そして、歌う。
追憶よ 幾千の夜を越えて 届け
今は褪せた あの花や緑の鮮やかさ
私は忘れない あなたと見た景色を
そして追憶する 白い肌の温かさ
果てない旅 道なき道を進み
いつかたどり着く 始まりの地へ
ゴトっ。マキの終わりかけの歌が、重い音で中断された。音のほうを見ると、定食屋の入り口に若い男が立っていた。カイと同じ年頃の、陰気な男だ。足元には、リンゴが転がっている。
「またリンゴ?」
俺が驚いていると、あの若い女が、陰気な男の後ろからひょっこりと現れた。
「あっ、リンゴをいっぱい拾ってくれた親切な人たち。」
「あら、春風の子。」
女とマキが笑顔を交わす。陰気な男は、ぼんやりとこちらを見ている。目に光が無く、何を考えているか分からないが、時が止まったかのような、遠くを見るような目だった。
「ちょっとお兄ちゃん、どうしたの?」
「あ、ああ…。」
女に袖を引っ張られ、男は正気を取り戻したかのように返事をした。そして、足元のリンゴへ目を向けるが、カイが既にそれを拾い、男へ差し出した。
「どうぞ。」
「ああ、ありがとう…。」
男の暗い、紅い瞳はカイの顔を見つめている。そして、問いかけて来た。
「僕はソロ=ティエリア。君は?」
突然の問いに、カイは少し驚きながらも答える。
「僕はカイ=クアロラルシュ。」
「クアロラルシュ…。」
ソロと名乗った男は目を一瞬伏せて、こちらを見てさらに問いかけて来た。
「そちらの君たちは?」
陰気なソロの不思議な間に、ユフィはほんの少し首をひねりながら答えた。
「俺はユフィ=ルナセフだ。」
「ワシはカスガ=カルナギじゃ。」
「私はマキ=アルタンジェリンよ。」
「俺はソラ=セルカナデ。」
俺たちが名乗ると、ソロは返事もなく、切れ長の目を丸くし、口を少し開けて驚いている表情だった。
「どうしたの、お兄ちゃん。お兄ちゃんから自分のこと言うなんて、珍しいね。」
女もソロの顔を、不思議そうに覗き込んだ。
「あなたは?」
マキが尋ねると、女はニッコリ笑って答えた。
「私はオルハ=ティエリア。私たち、兄妹で旅をしているの。」
ソロとオルハ。兄妹と言ったが、そう言われないと全く兄妹と思えない。
ソロは長めの黒髪で、腰に剣を下げている。何度も言うが、暗い目で陰気な雰囲気を漂わせている。重たい前髪が、その雰囲気を強めている。
一方のオルハは肩下の長さの明るい金髪を、カチューシャのように編み込みをさせている。ニコニコと愛嬌たっぷりで、声も明るい。
ただ一つだけ、宝石のような紅い瞳が兄妹の共通点だ。
「君たちは、しばらくこの街に滞在するのか?」
ソロの質問に、俺たちは顔を見合わせた。
「そう言えば、ちょうど決めているところだったね。と言っても、路銀はあるし、そんなに滞在する予定は無いよね?」
カイの意見に、他の四人で頷いた。
「そうか…。」
「でも、私たちもそんなものだよね。滞在している間、機会があったら一緒にご飯しようね。」
ソロが暗く返事をし、オルハが笑顔で声をかけ、二人は宿の部屋へ入って行った。
「なんじゃ、兄妹と言っても対照的じゃのう。」
「俺も思った。」
カスガと俺で、顔を合わせて頷く。そして、マキも言う。
「でも同世代の旅人ってなかなか見ないから、興味あるわ。」
「オルハの方は、治癒魔道の使い手だな。」
ユフィが言うので、俺がなんでだい?と問う。
「腰に姫神教会が認める、治癒魔道士の証を下げていた。旅をしながら多くの人を助け、姫神教会の良い名を世間に広める役割がある。」
俺たちがへー、と声を上げると、カイが続く。
「ソロの方は、かなり経験のある剣士かもしれない。」
これにも、俺が疑問を口にする。
「腰に下げた剣、かなり使い込まれているように見えた。あとは、まあ、勘かなぁ。」
「ほーん、じゃが同じ道を行く者の勘は当たるからのぅ。」
カスガが感心していると、意外と遅い時間となったしまった。俺たちも部屋へ入り、休むことにした。
次の日は、旅支度をすることにした。
元は砦であった街を改めて見ると、確かに学術都市のスベルニアと違い、街を囲む壁が分厚いように感じた。さらにその壁に登るための階段やハシゴがあちこちにある。敵の侵攻を見張るためのものだとカイが言っていた。それに、スベルニアにあった噴水や街路樹といった景観がなく、少し殺風景に感じた。
しかし、そんな街の景色に似合わない、何枚もの貼り紙が街中に見られるのが気になった。貼り紙はそれぞれ、人を宣伝する謳い文句が書かれていた。
「どうやらこの街は、選挙期間中のようね。」
俺は耳慣れない言葉を聞き返した。
「グランディエは王制だから、馴染みが無いわよね。選挙は、その国や街を治める人を、市民が選ぶ制度のことよ。」
「ほう、そりゃあ良い制度じゃなぁ。」
カスガが感心する。そう言えば、カスガの出身のメウィティカは、ずっと一つの王家が政治を担っているって言ってたっけ。
「だが、選挙制度には課題もある。俺の国ジオリダムは選挙で首相を選ぶが、女性に投票権が無い。それに、人種…まぁ、エクラ種にも投票権が無い。」
「えーっ、そんなの不公平じゃん。」
ユフィの説明に、俺は不満を漏らす。
「ワシからすると、女性でも王位につけるグランディエのほうが珍しいと思うがのぅ。メウィティカは、男しか王位につけん。まあ、時代遅れじゃとワシも思うがな。」
久しぶりに、カスガの自虐めいた言葉が出た。俺たちはそんな会話をしながら、旅支度のために市場を目指した。
市場はかなり賑わっていた。それは、買い物客の賑わいとは少し違う、熱のこもった賑わいだった。広い市場だが、人は買い物のために散らばっているわけではなく、何ヶ所かで人だかりができている。
「なんだなんだ?」
俺は人だかりの中心を、覗いたり背伸びしたりして見ようとするが、なかなか見えない。しかし、大きな声は聞こえてきた。
「私、セラム=フォントは赤き党より出馬しました。姫神教会の後援を受けております。私が大統領となりましたら、スベルニアとの独立問題に決着をつけます。そのためにアリアレジス、ジオリダムといった大国と交流を深め…。」
聞いてはみたが、難しいことを言っていてよく分からない。
「この人は選挙の立候補者だね。今、演説をしているんだ。スベルニアとエルコトルの独立問題は、こちらはこちらで大変みたいだね。」
カイが言う。俺は説明を求めた。
「たぶん、両国が分かれる前はスベルニアが政治や文化の中心だったんだろうね。だから、スベルニアには王がいる。」
「まあ、そっちはそっちで、王政を覆そうとする問題が起きていたがな。」
ユフィが付け加え、カイがさらに続ける。
「こちらのエルコトルは、王がいない側だったんだね。だから、国として認められるための大統領選びで今、選挙活動が行われているんだね。」
「大統領が決まったら、エルコトルは一つの国になるのかい?」
俺が問いかけると、カイとユフィが顔を見合わせて、ユフィが答える。
「それは、おそらく姫神教会が決める。」
「なんだい、また姫神教会かい。」
俺の声に演説が止まり、何人もの大人の目が注がれる。その目は鋭い。しまった、どうやら大きな声を出しすぎたらしい。
カイとカスガに両脇を抱えられ、その場を足早に去った。
「馬鹿野郎。」
走り去った先の露路裏で、ユフィに頬をつねられ、俺は謝る。
「すびばせん。」
「ソラ、これまでも何度かあったけれど、姫神教は強い影響力があるのよ。強く信じている人もいるし、大っぴらに批判するのは危険なの。それに、批判をすると信仰している人に失礼になるわ。」
マキに鼻先をつままれて叱られる。さすがに反省するが、俺にはまだ、スベルニアを出発した朝の違和感が残っている。実際、スベルニアの市民は不満と不信感を口にしていた。
「私、ロバート=アルティアは蒼き党より出馬しました。」
大きな声が聞こえ、俺たちは露路裏から顔を出した。先ほどと同じように、演説中のようだ。しかし、先ほどと比べ聴衆は少ない。
「私たちエルコトルの民は、長年スベルニアからの独立問題に苦しめられていました。精霊戦争が終結するよりも以前からです。このままスベルニアの支配下にいるままで良いのでしょうか?」
演説する立候補者の声に、聴衆からいいぞっ、と力強い賛同の声がする。
「ありがとうございます。姫神教会は独立問題に介入しています。しかし、状況は良い方へ動いているでしょうか?結局のところ、姫神教会は自分たちが支配しやすい国を、スベルニアとエルコトルに作ろうとしているだけなのです。」
その言葉に、聴衆はさらに盛り上がる。人数は少ないが、熱意はこちらの方が強いようだ。
「だからこそ、希望教会の存在が必要なのです。姫神教会の後援を受けた大統領がこの国に生まれたとして、結局はスベルニアの属国であることに変わりません。本当に一つの国として、エルコトルが一つの国として自立するには、希望教会が必要なのです。皆様、私を信じて投票してください。」
演説が終わり、聴衆から大きな拍手が起きた。
俺たちはつい、その演説に聞き入ってしまった。別に俺たちは、旅をともにして分かってきたことだが、どちらの宗教を信仰しているわけではない。
しかしこのときは、何だかその演説が持つ緊迫感から目を離せなかった。同時に、日陰者とされてきた希望教が存在感を持ち、聴衆の熱意に囲まれている光景に、日常が脅かされている、そんな気味の悪い感覚を覚えた。
ふと、聴衆のなかにソロがいるのが見えた。
ソロは昨日と変わらず、暗い目を向け、聴衆の熱気に乗る様子もない。そして、何も言わずに立ち去った。




