スベルニアの老魔道士、赤い花《ソラ》
《ソラ》
俺たちは午前中、明るい日の下、クルエルの王都を後にした。今までの村や街は後味悪く出発することが多かったので、久しぶりに前向きに旅立つことができて足取りも軽い。
ただ唯一、ローズの手紙だけが重い。誰もその封を切ることなく、マキが大切に持つことにした。
次に目指すスベルニアまでは、数日間を要する。その数日でも、俺は強くなるための修練に励んだ。
まずは魔道。耳を傾けずとも、精霊から俺に興味を持ってくれたので、俺はいくつかの精霊の力を得ることができた。
まずは風の精霊。前も言ったが、いたずらっ子が多く、その気性は掴みづらかった。まさしく、風を掴むかのような手応えだった。しかし、その気性は俺と相性が良かった。少しおしゃべりをしたり、姿の見えない相手に追いかけっこをしたりするうちに、風の精霊は俺の内側にすんなりと入っていった。
次に、水の精霊。穏やかで上品な口調は、どこかセーラを思わせる。水の精霊は最初、火の精霊がいることに嫌悪感を示したが、雨の精霊がいることで、心がほぐれたらしい。さらに、俺に元から備わっている氷の力に興味を示し、何の苦労もなく俺の内側に入っていった。
火の精霊との命をかけた戦いを経験した俺からすると、こんなものかと拍子抜けする気持ちもあった。しかし、力を借りられるならば、それに越したことはない。
それから、剣術と体術。カイとカスガは手本を見せながら、時には俺の手や足を取りながら、基本を丁寧に教えてくれた。
ユフィ以外は褒め上手で、俺は得意な気分になった。
そう楽天的にしていると、またあの火の精霊がケンケンと吠える。
〈おい、形代。俺の助言は無視かい?〉
「無視なんざしてないさ。全ては縁だよ。」
〈雨だけでなく、水の精霊まで取り込むなんざ、俺を馬鹿にしてやがる。俺は抜けるぜ。〉
火の精霊の突然の決心に、俺は慌てる。
「ええ、いや待てよ。お前の力は必要なんだよ。」
〈本当にそうかぁ?〉
「ああ、お前を生かした必殺技だって考えているんだ。」
もちろん、これは苦し紛れの嘘である。しかし、俺は強大な力を持つ火の精霊を手放したくなかった。
〈へぇ、どんな必殺技なんだい?〉
ここまで来たら、攻めるしかない。俺は口から出まかせを言う。
「石の精霊の力を借りるってどうだい?」
俺がそう提案すると、姿の見えない火の精霊の興味深そうな声がした。
〈へぇ、石の精霊でどうするって?〉
「火山の噴火さ。」
俺は手短に答え、続けた。
「溢れ出す火と石の力を合わせて大噴火っ。どうだい?」
俺は自信満々でそう言った。出まかせの割には良い案だと思ったのだ。しかし、火の精霊の高笑いが聞こえた。
〈お前は勉強不足だ。火山のことを知らねえな。〉
「し、知ってるさ。溶岩と一緒に石が飛んでいくんだろ?」
〈街の紙芝居を遠目に見れば、そんな知識しか身につかねえよな。〉
バレた。俺は火山の噴火なんて見たことがない。火の精霊の言う通り、街の紙芝居を遠くから見て、その絵の派手さだけを覚えているのだ。
〈魔道を使うには、精霊の力と魔力だけじゃ足りねえ。自然に関わる知識も持ってねぇとな。〉
ぐうの音も出ない俺に、火の精霊は続ける。
〈形代、お前は生まれ持った血がいい。精霊に好かれる体質をしている。〉
まあ、俺は気に食わないがな、と火の精霊は余計な一言を加えて、さらに続ける。
〈でもよ、それで多くの精霊の力を得ても、活用するための知識がねえと宝の持ち腐れだぜ。〉
「悔しいが、ありがたい助言だと思って受け止めるぜ。」
そうしてくれよ、という火の精霊の声がして、俺は目を覚ました。
朝起きるのは、ユフィ、カスガ、マキ、カイ、俺の順だ。
ユフィは俺が起きたときには身支度を済ませて、本を読んでいる。カスガは大体姿が見えず、森や林から野草を持って現れる。マキは朝が苦手らしく、ノロノロと長い髪を結ぶ。カイはマキと同じくらいに起きるが、起きたあとボーッとしているので、寝ているのと区別がつかない。
五人揃うと、ユフィが簡単な朝ご飯を作ってくれる。今日はカスガが摘んだ野草が主役のスープだ。
「いただきますっ。」
野草が主役とは言え、ユフィの味付けにかかればどんなものも立派な料理になる。
しかし、だいたい途中でカスガが、これが合う、と怪しげな薬や草を出してくる。俺たちは初め、疑いながら加えていたが、不思議なことに本当に美味くなるのだ。ユフィは自分の味付けを崩されることに抵抗していたものの、今ではカスガが出す不思議な調味料を渋々ながら受け入れるようになった。
「精霊の声?」
俺の質問に、四人が聞き返す。俺は続ける。
「ああ、俺のなかの精霊があれこれうるさいんだ。使いこなせる気がしねえよ。」
「私の場合は、結界魔道だから、土地によって精霊の性格も話し方も変わるわ。その話し方や、土地の雰囲気を感じ取って演奏曲を決めて、結界を作るわね。」
俺の知らない感覚を、マキが教えてくれた。俺は続けて聞いてみる。
「じゃあ、補助魔道は?」
「補助魔道は…、うーん、言いづらいけれど、かける相手の気質に合わせて曲を選ぶわね。」
「えっ、気質って性格?」
カイが驚いて聞く。マキは気まずそうに頷く。
「補助魔道は、かける相手に宿る精霊に力を与える魔道だからな。補助魔道を扱う者には、呪い師や占い師も多い。」
ユフィが説明すると、カスガが不安そうに尋ねる。
「わ、ワシの精霊はどんなヤツらじゃ?」
「うーん、カスガはあまり本人と精霊にズレが無いかも。私に対して、頼みます、とか、不安じゃ、みたいなことを言ってくるわね。だから、励ますような曲を選ぶかしら。」
マキが言葉を選んで言うと、カスガは顔をしょんぼりさせた。
「なんじゃ、ワシゃそんな弱気なのかい。」
まあ、想像通りで誰も突っ込まない。
「カイは…、うーん、何て言えばいいのかしら…。」
マキは首をひねり、悩みに悩んで言う。
「こう、血の気が多いとは違うんだけど、戦っている間は、負けないっ、とか、やってやるって、ずっとケンケン吠えてる感じね。だから激しい行進曲とかを演奏するわね。普段は温厚なんだけど…。」
マキの説明を聞き、カイ以外は納得をする。
「ええ?僕ってそんな感じかい?」
「俺は今も覚えてるぜ。カイが俺の首を落として、俺が目を覚まして反抗しようとしたら、絶対に負けないって目がギラついてやがったんだ。」
俺がそう言うと、みんなが驚く。
「なんちゅう荒っぽいやり取りをしとったんじゃ。」
「まぁ、そのくらいの気概が無いと、グランディエの騎士は務まらないか。」
カスガとユフィがそう言うと、なぜかカイは照れくさそうにしていた。
次に俺は、ユフィの精霊について尋ねてみる。
「ユフィの精霊はどんな感じなんだい?」
「俺に力を貸す精霊は…、なぜか分からないが、幼い。」
俺の質問に、ユフィは首を傾げながら答えた。
「どの精霊も幼く、神話や童話を聞かせてほしいとせがんでくる。だから、俺の詠唱は神話や童話をいろいろな言語で聞かせる形となった。」
ユフィは不思議そうにしているが、俺たちは納得した。
「ユフィって面倒見いいもんね。」
カイがそう言うと、他の三人も頷いた。しかし、俺はある疑問が湧く。
「もしかして、俺って精霊からナメられてる?」
俺の呟きに、四人はうーん、と顔を見合わせる。
「まあ、まだ若いしのぅ。」
「でも、ユフィとは二つしか変わらないぜ。」
カスガは優しく言ってくれるが、疑問と言うか、モヤモヤとした気持ちは強い。
「こうも考えられる。精霊の主張が強いと言うことは、意志も力も強い精霊がお前に宿りやすいと。だからこそ、その精霊たちを抑え、正しく力を借りられるようになれば、お前は強力な魔道士となれる。」
ユフィの説明に、俺は顔をパッと明るくする。
「えっ、じゃあ俺って才能あり?」
「そのぶん、暴走の危険もあるし、使いこなせない心配もある。学びを怠るな。」
俺は釘を刺され、萎縮する。しかし、ユフィは続ける。
「クルエルで船に乗れなかったのは不運だったが、次に行くスベルニアは学術都市で有名だ。お前も新しい魔道書を手にしてもいい頃だろう。」
「え、本当かい?ちょうどキイナの小屋でもらった魔道書を読み終えたところだったんだ。」
そう、あの埃を被っていた魔道書は初級編で、俺はもう二度ほど読み終わっていた。そのおかげで、精霊のほうから声をかけてくれるようになった実感はある。
「治安の良い街だったら、少し滞在してもいいかもね。そろそろお金を稼がないといけないし。」
カイがスープの皿を片付けながら言う。その言葉を聞き、新しい服と靴を見て、少し心苦しくなる。絵のモデルで稼げたのはたまたまで、本来の俺に、金を稼ぐ力は無いのだ。
クルエルを出発して数日、俺たちはスベルニアへたどり着いた。学術都市というだけあり、本屋が多いように感じた。街行く人が、老若男女問わず本を携えている気がする。さらには国が運営する図書館や学校、その上に上級学校なるものもあるらしい。
「上級学校って何を勉強するんだい?学校は何となく、グランディエの街の学校を盗み聞きしてたから想像つくけどよ。」
俺が聞くと、ユフィは少し考えて答える。
「まあ、上級学校によるが、街の学校で学ぶことをさらに深く、専門的に学ぶところだな。歴史や文学、化学だとか…。」
「ふーん、役に立つのかい?」
俺は馬鹿にするつもりはなく、純粋な気持ちで尋ねた。四人は少し考えて、マキが答える。
「なかには生活に役立つものもあるわよ。カスガが学ぶ医術や薬学のようにね。でも、たとえば私が生業としている音楽は、無くても生きていけるわ。」
「あ、いや、俺はそんなつもりじゃ…。」
焦る俺に、マキは大丈夫、と言って続ける。
「無くても生きてはいけるけど、あればもっと豊かに生きていける。心の癒しや拠り所になったり、誰かを励ます力になったり…。人間がより、人間らしく人生を豊かにするために、文学や芸術があると、私は思うわ。」
マキの考えに、俺以外の三人は頷いた。俺も覚えがあった。遠目にでも紙芝居をのぞいたり、ブロタールの演奏で遠くの景色を思い浮かべたり。レノールの絵には、神秘的な星空を想像させられた。
「なるほど。確かに、芸術ってのは知らない景色を見せてくれるものかもしれないな。」
俺がそう言うと、マキは良い言葉ね、と笑ってくれた。
俺たちは宿をとった。下の階に定食屋があり、朗らかな家族で経営している、質素だが温かみのある宿だった。
次に俺たちは、街役場へ行った。
「ここで何をするんだい?」
「役場では仕事を探せるんだ。グランディエの役場にはあまりその窓口が無いんだけど。さっきの宿の女将さん曰く、この街に訪れた旅人や留学生は、役場の紹介で路銀を得ているらしいよ。」
カイの説明にへー、とキョロキョロしていると、役場にはいろいろな人がいた。老人から赤ん坊、健康そうな人から怪我をした人、旅人や貧しそうな人。何となく、人々のためになる場所なのだと思っていると、怒鳴り声が聞こえた。
「私のどこが時代遅れだと言うのだっ。」
長い白髪を束ねた老人が、役人相手に怒鳴っている。老人と役人は、何かを巡って言い争っている。
「何度も言っているでしょう。この手当てを受けるには、医師の診断が必要だと。あなたはまだ元気が良すぎます。」
「元気が良くても金は無いっ。」
「働いてください。」
「魔道の教室を開いても人が来ないっ。」
「だから最初に言った通り、あなたの魔道は時代遅れだと…。」
「もう良いっ。」
老人はそう言うと、杖を持っているのに、それを使うことなくドカドカと歩いた。老人は体格が良く、顔立ちも岩のように堅苦しい。その迫力に圧倒されていると、老人が俺たち五人の前で立ち止まった。そして、俺とユフィをじっくりと見てくる。ギョロギョロした大きな目が獣のようで、思わず立ちすくむ。
「お前と、お前。」
老人が、俺とユフィを指差す。
「なんだい?じいさん。」
「名前はなんという。」
「俺はソラさ。」
「俺はユフィ。」
「今夜九時、ローバー通りのアパートの一室に来い。お前らが本物なら、たどり着けるはずだ。」
老人はそう言うと、ドカドカと人波を分けるように去って行った。
「なんだい、あのじいさん。」
「分からない。しかし、ただものではない。」
ユフィが眉間にシワを寄せて言った。そして続ける。
「ソラ、今の老人の言う通り、夜に仕事は入れるなよ。」
「え?信じるのかよ?」
ユフィは俺の目を見て、深く頷いた。
老人の迫力に負けつつも、俺たちは気持ちを切り替えて、仕事の斡旋窓口へ行った。
マキはバーの演奏者、カイは銀行の警備、カスガは病院の手伝い、ユフィは街の学校の学習支援と、滞在中の仕事がすぐに見つかった。
俺はと言うと、意外なことにすぐに仕事が見つかった。街の雑貨店の手伝いだ。どうやら店主が年配で、人手が必要らしい。俺は絵のモデル以外での初めての仕事にワクワクしていた。
「銀行の警備なんて、物騒な仕事じゃのう。」
「急遽、国が募集をかけたみたい。先週だけで、三件も強盗事件が起きたらしいよ。」
カイの言葉に、俺たちは驚き、心配もした。
「だ、大丈夫なの?」
「まあ、命を落とすことは無いと思うよ。犠牲者も出ていないし。強盗は数人で、みんな逃げているらしいけれど。僕以外にも、何人か雇っているみたい。」
カイはのんきにサラッと言うが、心配しかない。
夜は宿の定食屋で夕飯を食べた。港町のクルエルが遠くないからか、スベルニアも海産物のメニューが豊富だ。とは言え、口にすると新鮮さが違うのを感じた。また、保存するために酢漬けされた魚などを食べたが、この酢と言うのは、どうも俺の口に合わない。
少し前まで浮浪児だったというのに、贅沢になってしまったなと、自分に少し、嫌悪感に近い違和感を抱く。
俺とユフィは、老人の言う通りローバー通りを目指すことにした。他の三人は明日からの仕事に備えて、早めに寝ることにしたらしい。
「さあ、行くぞ。時間までに老人を見つけるため、早めに出よう。」
ユフィはやる気満々だ。新しい帳面まで用意している。
ただ、本音としては不信感しか無かった。あんな大勢がいる場所で大声で怒鳴る老人。魔道士らしいが、役人に時代遅れと言われるわ、金が無いと怒鳴るわ、なんでユフィがこんなに前のめりなのか、不思議だ。
ローバー通りは、中央広場や大通りよりも遠く離れており、多くの都市にある、いわゆる貧民街というものだ。酔っ払いや浮浪者も多く、街灯は立っているものの火が点いていないので暗い。
「あのじいさん、アパートって言っていたよな。」
そう言って通りを見るが、そこそこ距離のある通りはアパートだらけである。どのアパートも薄汚れており、灯りの点いた窓からは喧嘩する声も漏れている。
「せめて、名前くらいは聞いときゃ良かったなぁ。」
「いや、あの老人は何の手がかりも与えないだろう。」
「ユフィ、あのじいさんにアテでもあるのかい?」
俺が聞くと、ユフィは少し迷いながら、まぁ、と答えた。俺はいくつかのアパートの窓を見上げるが、まったくピンと来ない。
「俺たち、あのじいさんの鬱憤晴らしに使われたんじゃないかい?」
「いや、俺はもう見つけた。」
ユフィがあっさりと言うので、俺は思わず大声で驚いてしまった。近くの酔っ払いに、うるせぇ、と怒られ、俺は、悪いね、と返した。
「どうやって見つけたんだい?」
俺が聞くと、ユフィは懐中時計を見た。
「約束の九時まで、あと十五分ある。ギリギリまで自分で考えてみろ。」
俺はえー、と声を漏らす。ユフィは面倒見が良いが、基本的には厳しい。しかし、そう言われると挑戦したくなるものだ。
改めて俺は、アパートを観察してみる。もう夜だというのに洗濯物を干しっぱなしの部屋や、赤ん坊の泣き声がする部屋もある。
そのなかで、とある部屋が目に入った。花を飾っているのである。花なんて、普通のことに思うだろう。しかし、貧しい家に花を飾る余裕なんてない。あったとしても、あんなに鮮やかで立派な花を飾る貧民街の住人なんて、俺は見たことがない。
「ユフィ、あの部屋かい?」
「なぜ、そう思う?」
ユフィに聞き返されたので、先ほどの理屈を説明した。しかし、ユフィは首を横に振り、言う。
「考えてみろ、ソラ。わざわざ俺たち魔道士に声をかけた、老人の真意を。」
「真意ってぇ言われてもよ…。」
待てよ。魔道士。俺たちは精霊の力を借りる者。
俺は、耳を澄ましてみた。貧民街らしい、汚れた水や灯されない街灯に宿る精霊の、悲しげな声が聞こえる。
そのなかで、やはりあの窓に飾られた花から声がした。
〈ヴァルクシェンナよ、永遠に〉
〈ヴァルクシェンナに勝利の栄光を〉
「ユフィ、やっぱりあの赤い花の部屋だ。花がヴァルクシェンナのことを言っているのが気になるぜ。」
俺がそう言うと、ユフィは深く頷いた。そして、その部屋を目指して階段を登った。
扉をノックする。しかし、反応が無い。もう一度、少し強くノックする。すると。
「静かに開けろっ。聞こえているっ。」
あの老人の怒鳴り声だ。
「正解だな。」
俺が苦笑いで言うと、ユフィが失礼します、と言って扉を開けた。
「よく来たな。」
老人が椅子に座っている。窓辺に飾られた赤い花は、他にもベッド脇やテーブルの上など、あちこちに飾られている。
「ああして声をかけて訪れた若者は何年ぶりかな。」
老人が言うと、ユフィは一歩前へ出て尋ねる。
「あなたは魔道士、ブライト=カジエル様ですね?」
「そうだ。よく勉強しているようだな。ユフィ=ルナセフ。」
俺は驚いた。ユフィの様付けの呼び方もそうだが、名乗っていないはずの苗字を言ってきたからだ。
「お前のほうは少し手こずったな。ソラ=セルカナデ。」
俺は悔しいながらも、昼間の迷惑ぶりが嘘のような風格の老人から目が離せなかった。
「お会いできて光栄です。ブライト様。」
「様はよせ。そうだな、私のことは先生とでも呼んでくれ。」
ユフィは素直にはい、と答える。
「ブライト先生、いろいろ聞きたいんだけどよ、なんで俺たちに声をかけたんだい?」
俺がそう尋ねると、ユフィが俺の頭をはたく。
「ソラ、この方は偉大な魔道士だ。口の利き方に気をつけろ。」
「良い良い。昔はこのくらい生意気な子どもを教えたものだ。」
そう言って、ブライトは愉快そうに笑う。
「ソラ、この花から、どんな声を聞いた?」
ブライトは、ギョロギョロした目で俺に問いかける。
「ああ、ヴァルクシェンナのことを言ってるぜ。永遠に、とか勝利の栄光を、みたいな。」
俺が答えると、ブライトは満足そうに頷いた。そして、言う。
「私はブライト=カジエル。二十年前まで、ヴァルクシェンナで教鞭を執っていた。」
「キョーベン?」
「魔道を教えていらっしゃったということだ。」
俺はまたも驚いた。本当の先生だということと、ヴァルクシェンナという国の名前が出たことに。
「ソラ、ヴァルクシェンナについて知っていることを言ってみろ。」
ブライトに言われ、俺はティアの話を思い出した。ソクアヴェスタと希望教のことばかり頭にあって、正直、ヴァルクシェンナのことは薄い記憶となっている。
「えっと、十年前、精霊戦争でソクアヴェスタに勝ったんだろ?でも、滅びちまったって。」
俺が頭を絞るようにして答えると、ブライトは深く頷いた。
「ブライト先生は、ヴァルクシェンナの最後をご存知でないのですね。」
ユフィがそう言うと、ブライトのギョロっとした目が少しの間伏せられた。そして、答える。
「ああ、私は激戦下にあったヴァルクシェンナから逃げたからな。」
「どうしてだい?」
俺が聞くと、ブライトはさらに暗い表情となった。そして、少し迷ったあと、口を開こうとした。
しかし。
「ぐ、ひ、が…。」
「ぶ、ブライト先生っ?」
俺たちは驚く。話そうとしたブライトの口が奇妙に歪み、言葉にならないのだ。
「…ふぅ…、やはり、ダメだな。」
ブライトが大きく息を吐いて、歪んだ口元を戻すように撫でる。
「口止めの呪いですか?」
ユフィの問いに、ブライトは頷いた。
「希望教ですか?」
今度は首を横に振った。
「…姫神教ですか?」
今度は、首を縦に振った。
「な、なんで姫神教がっ。」
俺が思わず声を出すと、ユフィに口元を止められた。そして、ユフィが問う。
「滅びたとは言え、僅か十年前。ヴァルクシェンナもソクアヴェスタも、あまりにも記録が残っていません。…姫神教が隠しているのですか?」
ブライトは頷いた。
「何を、なぜ隠しているか、言うことを止められているのですね?」
ブライトは、再び頷いた。
俺とユフィは、静かに目を合わせた。
「なぁ、ブライト先生。精霊の形代は希望教が作ったわけじゃないって、姫神教のせいで差別されているって本当かい?」
「…そこは、いろいろ言われているが、真実は誰にも分からないのだ。」
ブライトの答えに、俺は少し落胆した。
「私たちに声をかけてくださったのは、なぜですか?」
ユフィが問うと、ブライトは静かに顔を上げた。
「単純に、お前たち二人から魔道の才能を感じたからだ。それに、ソラ、お前にはヴァルクシェンナ人の血が流れているな?」
俺は驚きつつ、戸惑った。根拠はセオドアの夢だけだからだ。首を横にも縦にも振ることなく、俺は黙った。
「ユフィ、…お前のことは、私からは言わない。」
見上げたユフィの全身から、張り詰めた緊張感が漂っているのを感じた。平静さを失った俺たち二人に、ブライトは言う。
「老人の、寂しい戯れに付き合ってもらいたい。なに、損はさせない。」
「戯れだなんて…。ブライト先生の教えを授かれるなんて、願っても無いことです。」
ユフィの緊張感が、少し解けた。
「お前らのような若者に、時代遅れでも知識を与えられるだなんてな。…私に許された、数少ない罪滅ぼしだ。」
昼間、怒鳴り散らしていたブライトの姿は、何だか小さく見えた。
少しの間だが、俺たちの修行と、ブライトの罪滅ぼしが始まった。




