悪夢〜間奏曲〜《ソラ》
《ソラ》
蜘蛛の糸に引っ張られた俺たちは、乱暴に床に叩きつけられた。
「痛えっ。」
そこは、夢とは違う、現実感のある空間だった。時間はマキの夢に入ったのとそう変わらない、夜だと思われる。
「教会…?」
カイが周りを見渡して、そう呟く。
「あ、俺戻ってる。」
手を見ると、人間の手だった。もう黒猫ではない。カスガとユフィを探し、睨みつけたが、今はそれどころじゃない。
「マキ、大丈夫かい?」
カイがマキを抱き起こしていた。
「お、お母さん…。待って…。」
「どうやら、まだ夢の中にいるようだ。」
ユフィは冷静にそう言うが、俺は寝言で母を追うマキが何だか可哀想で、早く助けたい気持ちでいっぱいだった。
「どうやら、ヤツらのせいらしいのぅ。」
カスガが二刀の小刀を構える。その声の先に見えたのは、希望教の十字架。そして、その前に二人の人間が立っていた。
一人は若い男。夜の闇でも分かるくらい、目の下のクマがひどい。
もう一人は、アルデールにいた殉教の魔道士の一人だ。子山羊を捧げ男の命を奪った、あの冷たい美貌の女だ。
「お前たちが、俺の作った夢にいたヤツら?」
「そうだ、マキを苦しめやがって。」
男の問いに、俺が答える。すると、女が男に耳打ちをして、男が話す。すると、敵意に満ちた目が和らいだ。
「は、はじめまして。俺はセオドア。夢の精霊の形代なんだ。」
控えめながら、穏やかに自己紹介してきたセオドアに、俺たちは拍子抜けした。
「君たちは、ソラ、カイ、カスガ、ユフィ、あと、夢に導かれたのはマキでしょ?あ、メイカーディアだっけ…。」
「ユイミヤとアルタビルか?」
ユフィが問うと、今度は女のほうが恭しく礼をして、名乗ってきた。
「二度めまして。私はセーラと申します。その通りでございます。あなたたちのお名前は、ユイミヤとアルタビルからお聞きました。もっとも、ソラさんのことは以前から存じておりましたが。」
「形代狩りか。」
俺が言うと、セーラは長い袖で口元を隠しながら短く笑った。銀色の瞳が細くなる。あくまでも上品で馬鹿にした様子のない笑いだが、それがかえって意味深だった。
「狩り…、と呼ぶ方もいらっしゃるようですが、私たちはただ、導いているだけです。このセオドアさんのように。」
セーラがゆっくりと手のひらを上にし、品良くセオドアを指した。セオドアはそれを受けるように、自分の胸に手を当てて続ける。
「俺は、生まれてからずっと形代だと差別されてきた。希望教の力がそれなりにあって、殉教の魔道士が暮らす街でも差別はあるんだ。ちなみに、両親は希望教徒というだけで、激戦地に送られて戦死したよ。殉教の魔道士だった。」
夜の静かな教会に、セオドアの控えめな声が響く。戸惑う俺たちにお構いなしに、セオドアはペラペラと話し続ける。
「俺は親戚の家や孤児院を転々としたよ。どこへ行ってもいじめに遭った。俺は何度も思ったよ。ソクアヴェスタが精霊戦争に勝っていれば…と。そんなときさ、セーラさんがこの街を訪れたのは。」
セーラがセオドアを見て、柔らかく微笑む。
「孤児院には俺の他にも形代がいてね、すごい美人が来たから見に行こうって言って、普段来やしないこの教会に来たのさ。そのとき、同じような男が何人かいたよ。でもさ、セーラさんは俺たちだけに声をかけてくれたんだ。希望を求めてないかって。」
セオドアは調子がついたのか、よりスラスラと、よく喋る。
「もちろん、最初は何のことか分からなかったよ。でも、こっそり渡してくれたメモの時間にまた教会に来たら、言ってくれたんだ。正しく力を使って、誇りを持って生きる方法を教えるってね。」
アルタビルがローズに言ったのと、似たような言葉だ。どうやらセオドアは、ローズと違って誘惑に負けてしまったらしい。
「そうして街の人々を悪夢で苦しめたんだな。そんなことして楽しいかい?」
俺が問うと、セオドアは純粋な笑顔を浮かべて言った。
「ああ、最高の気分だよ。」
セオドアはふふっ、と笑って続けた。
「セーラさんの助言通り、俺は自分の夢を捧げたんだ。お陰で俺自身、悪夢に苦しむことになったけど、まさか俺を苦しめた街のヤツらが、あんな踊り狂うほど苦しむなんてね…。」
「お前も殉教の魔道士になったのか。」
ユフィがそう言うと、セオドアは見せつけるように袖をまくった。そして、あの刺々しい刺青が見えた。
「何度見ても気味の悪い刺青じゃ。」
カスガの恨み言に、セオドアは鼻で笑って返した。
「ちなみに、一緒にいた形代はどうしたんだい?」
俺が聞くと、セオドアの笑顔が一瞬暗くなる。
しかし、今度は歪んだ笑顔で答えた。
「自分の力に飲まれたよ。友達は水の精霊の形代だったんだけどね。その力を使って、船を何隻か沈めたさ。でも調子に乗って、自分の内臓を捧げて大きな船を沈めて、死んだ。」
俺たちは、笑顔で友達の死を語るセオドアの、その闇の深い感情に一瞬怯む。そして俺は同時に、自分もいつか黒い氷に飲まれるのではないかと、内心震えた。
「いろいろな話を聞いて、君の闇は分かった。」
ここまで無言で話を聞いていたカイが、静かに話し始めた。
「君の人生には、差別も苦労もあったんだろう。ご両親のことも気の毒だ。でも、僕からしたら、君は運命に負けた人間に見えるよ。」
カイの金色の瞳が、セオドアをまっすぐ見つめる。クマの濃いセオドアの、歪んだ笑顔が消える。
「本当に力を正しく使えているのか?僕の剣は、人を幸せにできているのか?僕は剣を持つたび、自分に問いかけるよ。セオドア、君はどうだい?」
セオドアは、しばらく俯いて考える様子を見せた。カイは続けて言う。
「今ならまだ戻れる。彼女を、街の人を救う方法を教えてくれ。頼む。」
暗い教会を、静寂が包む。遠くから、波の音すら聞こえる。
「気が合わないな。」
冷徹な声がした。
「君の考えは、そして要求は、俺の都合に合わないよ。」
セオドアの声だった。控えめだったり歪んだ笑い声だったり、不安定な彼から出たとは思えない、冷徹な声だった。
「都合…?」
やり取りや場にそぐわない言葉に、俺が疑問の声を漏らすと、セオドアが淡々と語る。
「そう、都合。憎いヤツらがいる。俺はそいつらを攻撃する力と知識を得た。だから、攻撃した。そして、これからは同じように差別を受けた者を救う。その希望の輪を広げていく。」
セオドアは淡々と人形のように、しかし揺るぎなく話し続ける。
「力を正しく?人を幸せに?カイ、君の言うことは道理としては正しいだろうね。でも、俺には都合が悪い。だって、俺にはこのやり方がちょうどいいし、この力で幸せにしたい弱者たちがいるんだ。」
そして、セオドアは指を一本立てて言う。
「こういうのはどう?メイカーディアを悪夢から覚ましてあげる。その代わり、ソラが希望教に加わる。これで全部ちょうどいい。」
「はぁ?ふざけんなよ。」
予想外の提案に、俺は大声を上げる。しかし、セーラが一歩前に出て話し始める。
「ふざけてなどおりません。ソラさん、あなた、旅で、そしてこれまでの人生で何を目にしてきたのです?」
「なんだと?」
「世界が、姫神教が、あなたを救ってくれましたか?」
「ソラ、聞く必要ないぞっ。」
「私はソラさんに選択肢を与えているのです。」
会話を止めようとしたカスガを、セーラが強く制止する。そして、セーラは俺の前に立つ。
「アリアレジスの姫神教会本部は、俺を保護しようとしているぜ。」
「その真意はご存知?」
セーラの引かない姿勢に、俺は一瞬怯む。
「姫神教会は、嘘にまみれた集団です。」
「なんであんたに、そんなことが言える?」
「一つ、考えのきっかけを差し上げましょう。」
俺は反射的に、それを聞いてはいけない気がした。しかし、聞かなくてはいけない気もした。
「形代は、ソクアヴェスタが作った兵だとされております。ですが、精霊戦争の終結後も、形代は生まれています。なぜか考えたことありますか?」
嫌な予感がする。皮肉にも、俺の勘は、よく当たるのだ。
「形代とは本来、偶然に、自然と生まれる人間です。ソクアヴェスタは一切関係ありません。」
背筋が凍る。空間が張り詰める。
「それですのに姫神教は、ソクアヴェスタによって形代が作られたと嘘をついたのです。」
セーラは細い指で、俺の鼻をチョンと突く。
「お可哀想に。姫神教がソクアヴェスタと希望教を貶めるためについた嘘のせいで、あなたたち形代は差別されているのです。」
動けない。理解がまだ追いつかない。
「ソラ、惑わされてはいけない。君を誘うための嘘に違いない。」
カイが力強く言う。
「確かに、私の今の発言の裏付けとなる証拠はありません。ですが、ソクアヴェスタが滅びた今も、世界には形代が生まれています。その理由を、説明できますか?」
セーラの整然とした反論に、カイだけでなく、ユフィとカスガも戸惑っている。
「ソラさん、決めるのはあなたです。」
俺が差別されたのは、姫神教のせい。
俺は形代を作ったというソクアヴェスタと希望教を、これまで恨んできた。
「私たちは、あなたの希望です。」
セーラが言う。俺は目を伏せている。
「俺が、希望教に加わる…。」
「ええ、そちらのセオドアさんのように。弱き者の助けとなるのです。」
弱き者の助け。希望。あらゆる甘く、しかもなんだか見てくれの良い言葉が、俺を誘う。しかし、俺は貧民街で、裸足で暮らしていた自分を思い出す。
久しぶりに、俺のなかで黒い感情が結晶となる。
「セーラさんとやらよ、俺のことを教えてやるぜ。」
俺はそう言うと、ナイフの切先をその美しい顔に向けた。
「俺はソラ=セルカナデ。形代で、浮浪児だ。」
そして、口の端を上げて笑う。
「どこかの誰かのものになるなんてよ、ヘソがこそばゆいったらないぜ。」
ナイフの切先を向けられてなお、余裕を崩さないセーラの、俺に向けた指先が黒く光る。
「ふふっ、私の知らない言葉遣いで、よく理解ができませんわ。」
「悪いね。育ちが良くねぇんだ。じゃあこう言うぜ。」
俺は、ナイフの切先を光らせた。そして、言う。
「あなた様のものにはなりませんわよっ。」
ナイフの切先から氷の針が、セーラの指先から血の針が、同時に飛び出す。俺はすぐに横へ飛ぶが、針は頬をかすり、血が出る。
一方、俺の狙いは少し外れ、セーラの頭を覆うフードが裂ける。
そして見えた。
「耳が、とんがってるっ?」
俺は思わず、大声で驚く。
「エクラ種っ。」
カイの声がした。エクラ種だなんて、初めて聞いた。
「やはり、お前はセーラ=ケルペアだな。」
ユフィがその名を言うと、セーラが微笑んで言う。
「あら、私のこと、ご存知?」
「ああ、ジオリダム国立魔道学院で、百年に一人の天才と言われたのがお前だろう。」
「ユフィさん、学生さん?」
「そうだ。俺が入学する前だが、禁忌を犯して学院の枠を超え、国の裁判にかけられたそうだな?」
ユフィの言葉を受け、セーラがふふっと笑い声を漏らす。そして、殻を破るように高笑いした。高く、しかし澄んだ笑い声が夜の教会に響く。それまでの上品な様子が一変し、とがった耳も相まって恐ろしげだ。
「ふふっ、好奇心のまま研究に励んだところ、やり過ぎてしまいました。それだけです。」
「好奇心で何十人も植物人間にしたら、法の前に倫理に反するだろう。」
「少し微笑んで、愛をささやいただけですが。」
ユフィの言葉に、セーラは蠱惑的な笑みで答える。
そう一言で済ましているが、この美貌を前にどのような呪文をささやいたのか、想像するだけでゾッとする。
「私のことは良いのです。ソラさん、もう一度確認しましょう。希望教に加わりませんか?」
「断る。」
「後悔しませんか?」
「しない。俺は俺の精霊に誓った。傷つく人を助けると。」
「それは、希望教でこそ叶いますよ?」
「ほざけ。俺の仲間を悪夢で苦しめておいて。」
俺がそこまで言うと、セーラはそれまで黙っていたセオドアの隣へ歩いた。そして、何かを耳打ちした。
「…はっ…。悪夢を、見ていた…。」
セオドアの額に、ドッと汗が流れる。
「セオドア、お前はセーラの力に惑わされていないか?」
ユフィが問いかける。
確かに今のセオドアの表情は、控えめだったり歪んだ笑顔だったりとは違う、普通の少年のものになっていた。
「セーラさんの…、惑わされ…。」
「そうだ。本来のお前に戻るんだ。」
セオドアは、呼びかけるユフィと、隣に立つセーラを、ゆっくりと見比べた。そして、言った。
「いや、惑わされてなんかいないよ。」
「なに?」
セオドアの深いグレーの瞳は、濃いクマに縁取られながらも確かな光を宿している。
「確かにセーラさんの言ってくれたことは魅力的さ。この差別された力を役立てて、誇りを持って生きられるなんてね。」
そして、セオドアは両腕の刺青を光らせた。
「でも、決めたのは俺だ。復讐をして、弱者を助けるんだ。俺は、俺の意志で希望教に入った。」
そう言ってセオドアが両腕を上げると、俺たちの周りに蜘蛛の糸が生えてきた。
「お前たちも、見るといいよ。優しい夢を。」
セオドアのその言葉とともに、蜘蛛の糸が俺たち一人一人を包む。
そして、夢へ落ちた。




