夜明けへ進む《ソラ》
《ソラ》
「し、死体…?」
「なに、あの人たち…。」
「子山羊…?」
教会前に駆けつけると、人だかりができていた。大人たちが壁となっていて、何が起きているのか見えない。俺の後を追って、カイたち四人も駆けつけた。
「ソラ、宿に戻るぞ。事件も殉教の魔道士も、関わると厄介だ。」
ユフィが小さくささやき俺の肩を掴むが、俺は戻らなかった。隙間を見つけて、人だかりを潜り抜ける。ユフィが俺を呼んだが、止まらなかった。
「街の代表の方はいらっしゃる?」
そう言って、長身の女が人だかりを隅々まで見る。
背筋がスッと伸びた、恐ろしいほど美しい女だ。しかし、冷たい目をしている。
ヒューと同じような殉教の魔道士の服装と化粧をしており、フードを被っている。女の後ろには、ヒューを含めて三人。ヒュー以外は、大人の男のようだ。
ヒューは夢ではなかった。でも、信じられない。あんなに軽やかにキラキラとした表情で話していたのが嘘のように、ヒューは死んだ目をしている。
「街の代表の方…。まだ、お目覚めではないの?」
「わ、私がそうだが…。」
女の呼びかけに、街の代表という中年男性が出てきた。女は地面につきそうなほど長いスカートを少し持ち上げ、令嬢のようにお辞儀をした。
「お呼びだてして、申し訳ありません。こちらの方を神海へお送りしました。」
女は普通のことのように、口調に何の変化もなく話した。こちらの方、と言われた男は血を吐いて死んでいる。周囲の大人はざわついている。
「な、何があったんだ?」
街の代表が問いかける。
「順序だててお話いたしますと、私たち四人、魔道の修養のため旅をしておりまして、こちらには三日ほどお世話になっております。」
女が無表情のまま淡々と話すと、周囲の人からは不気味だ、気持ち悪い、と言う声が小さく漏れた。
「私たちも理解しております。自分の立場というものを。皆さんが、そうおっしゃるお気持ちも。」
そう言って、女はまた、人だかりを隅々まで見た。そして、背筋をスッと伸ばし、顎を引く。凛とした姿勢だ。人々の恨み言に一切怯む様子の無い姿勢に、大勢であるはずの人々の方が圧倒されている。
「ですから、私たちも宿の部屋と希望教会以外へは立ち寄らず、誰とも関わりません。そのようにしておりました。ですのに…。」
女は冷たい視線を、男の死体へ移した。
「この方が、希望教会から出た私の腕を掴んでおっしゃったのです。殉教の教えで本当に人を殺せるのか、と。できるのなら人気の無い夜、教会前に来いとも。」
人々が唾を飲む音だけが、聞こえる。
「ですから、証明してみせました。こちらの子山羊の命を捧げ、この方を神海にお送りしたのです。」
女のその言葉で、人々から小さく悲鳴が上がった。
「ですが、滑稽ですね。ご自分が神海へ行ってしまって、結果をご覧になれないなんて…。」
これまで無表情だった女の冷たいまでの美貌に、小さく笑みが浮かんだ。
「ちなみに、こちらの子山羊は私たちが護身のために連れていた子で、この街から盗んだわけではありませんので、ご安心ください。」
ご安心、と言われても、何がどう安心できるのか理解できない。人々は、どうして良いか分からずに怯えて立ち尽くしている。
女は再び、街の代表の方を向いた。
「ご理解いただけまして?」
「ご、ご理解なんて…、いや、本当に…?」
「本当でございます。」
女は柔らかく笑って答えた。
「ひ、人殺しっ。」
「怖い…。」
「誰か、捕まえろ。」
人々が行動を起こそうとしたその時、ヒューたち三人が音も無く女の横に並んだ。黒づくめの見慣れない魔道士たち。人々はその異様な存在感に、後ずさりしてしまった。
「お下がりください。」
「いーや。」
女はヒューにそう言ったが、ヒューは男の死体へ寄った。そして、乱暴に頭を掴んで起こした。そのまま、死んだ男の顔を、人だかりに見せつけるように動かした。
目や鼻、口から血を流す男の顔を見て、周囲からまた小さな悲鳴が上がる。俺も、その驚きと恐怖に染まった死に顔が恐ろしくて、動けない。
「この死体、まだ使えるんだよねぇ。」
そう言うと、ヒューの赤い瞳が妖しく光る。
「髪の毛、皮膚、爪、目玉、歯、脳、心臓、肺、肝臓、胆のう、脾臓、腎臓とか諸々、あとは骨も。」
ヒューの瞳はギラギラと、何かに魅入られているかのように、しかし確かな殺意を持って、人だかりを捉えた。
「僕らでこの死体、全部使ってさ、子どもから順に呪いをかけてみる?」
ヒューのその一言で、ついに大きな悲鳴が上がった。
普通じゃない。
殉教の教えも、それを操る者たちも。
その時、誰かがヒューに石を一つ投げつけた。石は、ヒューの額に当たって落ちた。
「ば、馬鹿、やめろ。何をやり返されるか…。」
街の代表はそう呼びかけたが、一度始まった狂騒は止まらない。みんな、石こそは投げなかったが、ありとあらゆる恨み言を四人の魔道士にぶつけた。
ヒューの額から血が一筋流れる。彼はその血を三本の指で拭うと、しばらく観察するように見つめたあと、人だかりに見せつけて言った。
「さぁ、この血を使ったら、何が起きるでしょうか?」
「やめろ、ヒューっ。」
俺は思わず飛び出した。人だかりの向こうから、四人の誰かが俺を呼んだが、俺は止まらなかった。
「なんだぁ、ソラ、見てたの?」
ヒューはいたずらが見つかってしまった子どものように笑った。俺はヒューを止めようと試みる。
「魔道を使うな。」
「なぜ?僕は傷ついたのに?」
「魔道で人を傷つけたら、もっと差別されるぞ。」
「そうしたら、差別されなくなるまでやり返すさ。」
ヒューの妖しく輝く目の光は止まらない。
ヒューが手を振りかざし、一気に振り下ろすと、彼の手についた血が、鋭い矢となって人だかりへ飛ぶ。
悲鳴が上がる。
「ダメだっ。」
俺が血の矢を目指して手を伸ばす。
「…。」
「…え?」
「なに、なに?」
悲鳴が、小さなざわめきに変わった。俺は息をするのを忘れ、目の前の光景を見た。
血の矢は氷となって、地面に転がっていた。
「あの子ども…黒い氷の…っ。」
その一言で、背筋が冷たくなる。俺が、バレた。
「なんで、この街にいるのっ。」
「な、なに?なんなの?」
「形代だよ、精霊の形代っ。」
一斉に、人々の嫌悪が、俺へと向き始めた。
「あいつ、前の街の代表を殺したヤツだっ。」
逃げなきゃ。なのに、体が動かない。
「なんだよ、こいつら全員、気持ち悪いっ。」
「出ていけっ。」
憎悪の声とともに、石がいくつも飛んできた。
「魔道士も形代も、人じゃない。」
腕で身を守っても、いくつかの石が頭や体に当たる。
「消えろっ。」
太く大きな声とともに、石がぶつかる。
「やめてっ。」
女の声とともに、俺の体に誰かが被さる。カイとカスガだ。
「やめてっ。ソラに石を投げないで。」
マキが必死に叫んでいる。
「確かにこいつは形代だ。でも、血の矢を落としたのはこいつの力だ。」
ユフィが聞いたことないほどの大声を上げている。
「お前らも仲間か。」
「そうだ。」
「じゃから、守るんじゃ。」
カイとカスガが叫ぶ。
「お前らも出ていけっ。」
人だかりがさらに狂い、石を投げる腕を振り上げるのが見えた、その時。
「待つのだ。」
老人と思わしき、しかし威圧感のある声が人々を制した。
「この件、我々が預かろう。」
人だかりを掻き分けて、二人の老人が現れた。
「だ、誰…。」
「姫神教と希望教、それぞれの司祭だと思う。」
俺の問いに、カイが早口で答えた。
「殉教の魔道士たちよ、こちらへ来なさい。」
希望教の司祭が呼ぶと、四人の魔道士が素直に従う。
「ヒュー。」
俺が呼ぶと、ヒューが振り返った。額からは、さらに血が流れていた。
「…。」
呼び止めたが、なぜ呼び止めたのか、何を言えばいいのか分からない。俺が沈黙してしまっていると、ヒューはゆっくりと口を開いた。
「ソラ、見たよね?人々の弱さを。」
ヒューは顔を血まみれにしながら、あの軽やかな笑顔を浮かべて言った。
「得体の知れない、僕ら殉教の魔道士に投げられた石は一つ。でもさ、止めに入ってくれた君が形代だと分かったら、雨のように石が降ってきたね。」
そこでヒューは、ははっと高い声で笑ってさらに続けた。
「弱いとさ、ああいう弱い人間に殺されちゃうよ?気をつけて、生き延びて、また会おうね?ソラ。」
ヒューはまたね、と言って、希望教会へ入って行った。
何が起きたのか、何を言われたのか理解ができない。いや、侮られた。でも、悔しいとか、悲しいとか、そんな感情は、湧かない。俺はカイとカスガに支えられながら、膝から地面に崩れた。
姫神教の司祭は、俺たちをどうしようということは無かったので、すぐに解放された。
俺が昔、街の代表であった男を殺したことは、相手からの加害があったという証言が既にあったため、罪に問われなかった。
そのやり取りの間、人だかりは少しずつ帰って行った。しかし、俺たちに向けられた嫌悪感はその場に残って漂っていた。
話が終わり、司祭は帰って行った。
「ソラ、宿へ帰りましょう?」
マキがいつもの優しい声で話しかける。
でも、俺は、俺は。
「ソラっ。」
もう、嫌だ。
俺は走り出した。
全部、嫌だ。
すぐに、昼間ヒューと話した野原へ着いた。
夜の野原は暗く、崖下では全てを吸い込みそうな闇が風で震えている。見上げると、月が遠くへ傾いているのが見えた。
俺は、俺の体中から何もかもを放つように、大きく息を吐き出した。喉が痛い。苦しい。
「ソラっ。」
マキの声がした。四人分の野原を踏む足音がする。
「ソラ、もう大丈夫よ。帰りましょう?」
マキが俺の両肩に、ソッと手を置いた。
「…くせに…。」
「え?」
「俺なんか、いらないくせに…。」
声が震えて、でも溢れ出す。
「俺なんか、いらないんだよっ。こんな、形代で、そのくせ役立たずで、弱いっ、頭も悪いっ。何もできないっ。」
俺の中心が張り裂けて、金属が削れるような、悲鳴のような声が溢れ出す。そのまま真下に広がる闇さえも、裂いてしまえば良かった。そして、その闇のなかに飛び込んでしまいたい。
「そんなこと無いわよ、私たちはそんなこと思わない。」
「うるせぇっ。どうせみんな、俺を見下して、馬鹿にするんだっ。」
マキが俺の両肩に置いた手に力を入れるが、俺は自分を止められない。
「カイだって、どうせ姫神教に連れていくためだけに、俺を守ってるっ。誰も、俺じゃなくていいんだっ。」
「そんなことない。」
カイが、横から俺の視界に入る。
「確かに、女王陛下からの命で君を守っている。でも、それ以上に僕は、ソラ、君を守りたいんだ。」
「そんなの知らねぇっ。」
俺の感情も、言葉もめちゃくちゃなのは分かっている。マキもカイも、俺に真剣に答えてくれている。でも、俺は自分をどうにもできない。
「ソラ、私たちは一人の人間として、あなたが大切よ。あなたが大好きよ。そんなに自分を傷つけることを言わないで。」
「うるせぇっ。」
俺は全身を大きく振った。俺の肩に手を置いていたマキが、小さな声を発して大きく後ろへ倒れた。
「ソラっ。」
カイが強い語調で、俺を呼んだ。俺は崖を背にして、四人のほうを振り向いた。四人は静かに俺を見つめる。
「…大切とか、大好きとか、言うな…っ。」
頬が熱い。喉が焼けそうだ。
「…そんなの、分からない、いらない…っ。」
鼻をすすってもすすっても、鼻水が止まらない。目の前の全てがぼやけて、夜の闇が全て溶けそうだ。
「…もう、もう、嫌だ。俺は、俺が、嫌だ。」
俯いた先の雑草に、水滴が落ちる。俺は全身を震わせて、焼けるような喉を、必死で閉じる。それなのに、心の奥底から溢れる何かが止まらない。
「…形代とか、娼婦とか、奴隷とか…。もう、嫌だ。辛い…。」
言葉の間に、小さな息が混ざる。苦しい。頬は熱くて、びしょびしょだ。
泣いている。俺は泣いている。
泣くなんて、いつぶりだろう。
どんな暴力も空腹も、俺は泣かずに乗り越えた。それが、俺のちっぽけな誇りだった。
「…うっ、うぐ、俺、盗みもスリも、やってきた、しかも、人を、こ、殺していた…。」
泣いたところで、弱音を吐いたところで、意味なんてない。
「でも俺は、俺はそれでも、一人で生きるっ。綺麗事も、正しいことも、必要ないっ。お前らも、必要ないっ。」
涙でぐしゃぐしゃのまま、俺は自分勝手に叫んだ。自分の言葉が支離滅裂なのは、分かっている。
「ソラ…。」
マキが、再び両腕を差し出してきた。
「やめろっ。俺に触るな。」
俺は暴れたが、マキの長い腕が、俺を力強く抱きしめた。
「ソラ、私は、盗みもスリも、人を殺めてしまったあなたも、変わらず大好きよ。」
「嘘だっ、離せっ。」
「離さない。」
暴れる俺をマキの両腕が抱きしめ、彼女の胸元に顔を埋めた。マキの細い指と手のひらが、俺の頭を包む。
「間違っているのは周りなのに、ソラは傷ついて泣いてもいいのに、守られなきゃいけないのに。」
そう言うマキの声は震えていた。涙と怒りで震えていた。
「ソラ、あなたも私たちも、みんな弱いの。傷つくし、泣いてもいいの。だから、誰かと一緒に生きていくの。」
「そんなの、嫌だっ。俺は一人で生きる…。」
「私は嫌よ、ソラ、もうあなたと出会ってしまったもの。いただきますが言えないし、スプーンだってちゃんと持てなくても、あなたは頑張って生きている。文字だって覚えたし、これから魔道も勉強するんでしょう?」
「やめろっ、俺に、優しくするなっ。」
「違う、私が、あなたに幸せになってほしいだけ。」
幸せ。そんなの分からない。いらない。そんな感情を向けられても、どうしていいか分からない。
なのに、俺は、俺を抱きしめる腕を解けない。力が出ないわけじゃない。なぜか、この温もりを手放せない。
気づいたら、俺は泣き喚いていた。まるで赤ん坊のように大きな声で泣き喚いていた。
俺を内側から引き裂いて表れる全てが、泣き声になっていた。これ以上、何かを突き放す言葉も、否定する言葉も知らない。そもそも、何が内側から溢れているのかも分からない。
ただ、俺はマキの背中に腕を回して、必死にしがみついていた。なんで彼女を抱き返しているのかなんて、分からない。
でも、溢れ出す涙も声も、全てがその温もりに溶けていく気がした。俺のなかで散らかっていた感情が、そのまま溶けていく気がした。
「夜明けだ。」
しばらく泣き喚いたあと、ユフィが呟いた。
マキに優しく抱かれたまま、顔を上げた俺の視界はぼやけている。俺は服の袖で目を拭いた。
そして、声の方向へ振り返った。
「本当だ…。」
いつ間にか月は沈み、遠くの山際を照らす日が見えた。
新しい太陽が、昇っている。
空を見ると、山際は少し明るい橙色に光り、少しずつ紫色にぼやけていく。山際から離れた空は青黒く、夜の闇がまだ残っていて、星すら瞬いている。
雲はほんの少し浮いていて、まるで影のように暗いが、輪郭は空に溶けるように薄っすらとしている。
「夜明けって、こんなに暗いのね。」
マキが小さく呟く。
「夜明けへ、進む。」
俺がそう呟くと、四人が俺を見た。優しい眼差しだった。
「俺の、名前の意味。よく分からないけど。」
「いい名前だね。」
カイが優しく微笑んだ。
夜明けへ進む。
こんな暗い空へ、進んでいくのか。明かりはわずかで、雲が影のように漂っている。
昔、川に流した草の舟を思い出した。流れは急で、岩にぶつかってすぐに沈んでしまった。俺は今、そんな頼りない舟の気分だ。
でも、今の俺は、草の舟よりも軽い。涙も言葉も溢れたぶん、体が軽くなっている。
俺はこの旅で教わった。
暗い空ならば、灯りをつけよう。マッチの点け方なら、教えてもらった。
読めないでただの景色になっていた文字だって、読んでいこう。
分からない感情の名前も、いつか見つけよう。
そして、新しい自分になって、夜明けの先の太陽が昇るのを待つのだ。
五人で、互いの顔を見た。
「お前まで、なんで泣いているんだ。」
「ふむ、分からん。泣いてもうた。」
ユフィの言葉を受けカスガの顔を見ると、涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。
「ふふっ、宿で借りた寝巻きがびしょびしょ。」
「ご、ごめん。」
マキが言う通り、彼女の服は俺の涙と鼻水で濡れていた。マキは微笑んで、服の袖で俺の涙を拭いた。
「よし、宿に戻って旅の支度をしよう。」
カイがそう言って立ち上がるが、フラフラと倒れてしまった。俺が焦って駆け寄る。
「だ、大丈夫かっ。」
「あはは…、足が痺れちゃって…。」
カイが緩み切った笑みを浮かべる。俺もカスガもマキも、なんだー、と笑った。ユフィはふっ、と小さく笑った。
泣いてぐしゃぐしゃになって、笑って…。
これが、俺の本当の旅立ちの瞬間だった。




