水色の浮浪児と世界《ソラ》
《ソラ》
シスター・メイの言う通り、夜の冷え込みは強烈だった。俺はほとんど眠れず、というよりも、寝たら死ぬという本能が震え、長い時間を過ごした。
腹は減っているが、ホカホカの魔導弾やナイフの存在が、俺を満たしていた。夜は長かったが、俺は手にしたナイフ、そして氷の魔道で敵を蹴散らす想像をあれこれと巡らせた。
俺は絶対に生き延びてやる。飢えや寒さなんかで死んでたまるか。それが【精霊の形代】として馬鹿にされている俺の、世界へのささやかな復讐となる気がしていた。
凍える夜をなんとか越え、朝を迎えた。眠い目をこすりながら、裸足で冷たいレンガ道を歩く。
狙いは死体漁りだ。昨晩の寒波で、きっと多くの死体が転がっているだろう。しかし、俺の狙いは外れた。騎士団たちが死体を回収していたのだ。
ちくしょう、こんな朝早くから仕事しやがって。騎士団は姫神教式の祈りを死者に捧げると、荷車へと死体を積んでいった。死体はまだ剥げそうな衣類や、荷物を身につけている。
騎士団のなかに、あのナヨナヨした若い騎士を見つけた。騎士は悲しそうな顔で死者に祈りを捧げ、丁寧に荷車へと死体を載せていた。あの妙にかっこいい金髪と金の瞳は、淡い朝日に照らされて光っている。
しかし俺は、その尊いであろう仕事ぶりを恨めしく眺めていた。俺の稼ぎを奪いやがって。
他の裏路地へ目をやると、同じように睨む浮浪者たちがいた。国のため働いて良い暮らしをしている騎士様たちに、俺たちの暮らしは想像できないだろう。
そして俺は、同時にこうも思った。
あんな死体になるものか。荷車に積まれた死体は、男も女も、老人も子どもも関係なかった。死んじまえば、全員同じだ。何も残らない。俺は絶対に生き延びてやる。
騎士団はやがて、何両もの荷車を引いて貧民街から去って行った。
平日の昼間は退屈だ。温かい季節なら、川へ工場から流れてきた金属を漁りに行けるが、冬にそれをしては命に関わる。
ゴミ山へ宝を漁りに行ったが、ガキ大将的な孤児たちに石を投げられた。しかし俺は反撃しない。ナイフも氷の魔道も、最後の手段なのだ。
俺は貧民街や住宅街をぷらぷらと歩く。みんな揃えたかのように、汚いものを見る目で俺を睨む。どう見ても浮浪児な身なりと、もう何度もしつこいくらい嫌になるが水色の足のせいだ。
俺の足は、学校へと向いた。もちろん通っているわけではない。窓の外から話を聞くだけで、少しは退屈を潰せるのだ。
窓から教室を覗く。白鬚のジジイ先生の授業だ。よし、これなら退屈を潰せる。メガネの若い教師や背の高い男教師は、俺を追い払うのだ。でもこのジジイ先生は、なぜか俺を追い払わない。それどころか、俺を見ると窓を少し開けて、話が聞こえるようにするのだ。
だが困ったことに、ジジイ先生の話は小難しくて、これはこれで退屈だ。生徒のなかにも、眠そうにしているやつが見える。
今日は、他の国の話のようだ。
「我々グランディエ王国の同盟国、アリアレジス国の軍は、なかなかどうして、勉強になる軍隊である。アリアレジスは比較的新しく興った国であるが、指導者たちに先見の明がある。」
へぇ、アリアレジスか、何度か聞いたことある国の名前だな。
しかし、やはり話は退屈だ。もっと子ども向けの、分かりやすい言葉を使ってほしいものだ。
「アリアレジスは交易によって新たな文化を取り入れ、産業を発展させているが、多くの移民がそれを支えているのだ。武器も魔道も医療も、世界中から集められた知恵でどんどん進化している。」
つまり、アリアレジスって国は、新しくてすげぇってことか。
「しかしだな、アリアレジスはその武力によって多くの国や民族を侵略し、支配してきた。国の発展の裏には、そうした暗い歴史があることも知らねばいけないのだよ。」
暗い歴史ね、なるほど、アリアレジスっていうのは、強くて奪う側の国ってわけだ。嫌いじゃないぜ。
リンリンと眠そうな生徒の目を覚ますような鐘の音がした。授業の終わりだ。ジジイ先生にしては、今日の話はなかなか興味深かったな。
生徒たちはお腹減ったーと、のんきな声を上げて帰って行く。
「よく来たの、青い少年。」
ジジイ先生が窓を開けて、俺に声をかけてきた。
「よう、ジジイ先生、今日の話はけっこう面白かったぜ。」
「ほほう、参考までに感想をおくれ。」
ジジイ先生は深いグレーの目を細め、微笑んだ。
「アリアレジスって国に興味が湧いたね。グンタイって言葉は初めて聞いたけど、強くてかっこよさそうだ。うちの国の、偽善ばかりの騎士団よりもね。」
「ふむふむ、偽善だなんて、難しい言葉を知っておるのぅ。」
「ガキ扱いすんなよ。俺はさ、大人になって、この国を出るんだ。それで自分の力一つで強く生きていく。何となく、アリアレジスってところは俺に向いてそうだね。」
ジジイ先生はニコニコと笑っている。
「確かに青い少年には、格式ばったグランディエよりも、移民の多いアリアレジスのほうが向いていそうだのぅ。」
「カクシキ?イミン?よく分からねえけどよ、アリアレジスでも、どこでもいい。とにかく俺は偉くなって、俺を形代だって馬鹿にしているヤツらを見返すんだ。」
そう言って、俺は水色の足を上げて、足裏を拍手するように合わせた。
「青い少年よ、お前はまだまだ無知の子どもよのぅ。」
そう言って笑うジジイ先生に無性に腹が立ち、俺は立ち上がった。
「あぁ?何がおもしれぇんだよ。」
「あれをご覧。」
ジジイ先生のしわくちゃな手がゆっくりと上がり、教室の壁を指差した。
「ありゃなんだい?」
「世界地図じゃよ。」
それは大きな紙で、いろいろな形の図形が書いてあり、その上に線が引かれている。
「これが世界なわけだが、グランディエはどこじゃと思う?」
よく分からない紙を指差され、よく分からない質問をされたが、俺は一番大きな図形を指差した。
「ふーむ、惜しい。これはトール大陸じゃ。」
「た、タイリク?」
「大きな大きな島みたいなものじゃよ。」
ふーん、と分かったふりをした。
「グランディエは、トール大陸のここじゃよ。」
ジジイ先生は、トール大陸とやらの図形の、さらに小さな図形を指で囲った。
「えっと、どういうことだよ、じゃあ他の図形もタイリクってやつなのかい?」
「そうじゃ、他にもメウィティカ大陸、ハモリア大陸、ウルムナヤ大陸、ドレスレア大陸、全部で五つの大陸がある。」
ジジイ先生はゆっくりと読み上げ、それぞれの図形を指で囲った。
「大陸って、地面なのかい?」
「ふむ、そうじゃよ。」
「じゃあ、大陸じゃないところは何なのさ?」
俺が質問を続けると、ジジイ先生は嬉しそうに答えた。
「ぜーんぶ、海じゃよ。」
「ウミ?」
「大きな大きな水溜まりじゃ。」
えーっ、と俺は大きな声を上げてしまった。
「しかも海は飲めないくらいしょっぱいんじゃ。」
「飲めねぇ水なんか意味ねぇよ。」
「ふふふ、面白いがな、わしら人間は、元々海に住んでおったのじゃよ。」
水のなかで暮らしていたなんて、息なんか続かないと俺がポカンとしていると、ジジイ先生が続けた。
「いかんいかん、話が脱線してしまった。わしの悪い癖じゃ。それで、グランディエはここじゃ。」
ジジイ先生は、再びグランディエを指差した。
「小せぇ…。」
「そうじゃろう、これでも大国の部類だがの。」
「じゃあこんな大きな学校だって、世界からしたらアリみてぇなもんだな。」
俺がそう言うと、ジジイ先生が違いない、と楽しそうに笑った。
「なぁ、先生、アリアレジスはどこだい?」
「ふむ、遠く離れたここじゃ。」
そう言ってジジイ先生の指は、地図上の海を越え、ドレスレア大陸を曖昧に囲った。
「アリアレジスは戦争ばかりして領土を広げておるからのぅ。これは少し古い地図じゃ。今はこの地図よりもう少し広くなっておる。」
「へぇ、アリアレジス、すげぇや。」
俺が感心していると、ジジイ先生から微笑みが消えた。
「なぜそう思うんじゃ?」
「だってよ、他の国と戦って勝って、自分の陣地を広げているんだろ?それって強えってことじゃん。」
「ふむ、まだまだ勉強が必要じゃのう。」
そう言われて俺はまた、ガキ扱いすんじゃねぇと吠えた。
「お前はまだ学び、想像力をつけなくてはいけない。でないと、なかなかの賢さがもったいないぞ。」
「ソーゾーリョク?」
「知らないことについて考えて、成長する力じゃ。」
想像力、力。それは俺が手にしたナイフや氷の魔道より役に立つのか聞いてみたかったが、やめた。ジジイ先生相手でも、手の内を見せたくない。
「なぜお前は【精霊の形代】だからと、一人で生きているんじゃ?」
「え…、なぜって、そりゃ、こんな水色の足、気持ち悪いだろ。だから【青いの】って呼ばれて馬鹿にされるんだ。それに魔道の力も持ってるし。」
こんなこと、考えたこともなかった。俺は生まれてからずっと、形代だからと馬鹿にされてきた。
「大陸は知らないのに、魔道は知っておるのか。なかなか危ない世界に生きておるのぅ。」
ジジイ先生の顔に微笑みが戻り、しわくちゃの手が俺の頭をポンと撫でた。
「みな、知らないからじゃよ。精霊の形代のことを。想像力が足りないから、怖がるしかないんじゃよ。」
「怖がる…?俺を?」
怖いという感情は知っている。俺は死や、冬の夜が怖い。そんな感情を、みんなが俺に向けているだなんて、知らなかった。
「本当はこんなにも好奇心旺盛な、良い少年なのにのぅ。」
ジジイ先生が俺の頭をさらに撫でる。俺はその行動と、良い少年という言葉がやけにむず痒くて、ジジイ先生の手を払った。
「よせやい、俺なんか、何も良くねぇ。」
帰るぜと言って、俺は窓から離れた。しかし、振り返って一言伝えた。
「今日の話はよ、今までで一番面白かったぜ、じゃあな。」
ジジイ先生のまたのぅ、というのんきな声が後ろから聞こえた。
その日は収穫がなかった。スリをしようにも通りには警察が立っているし、いつものパン屋のおばさんは俺を見るなり水を撒いてきた。
腹が減った。昨日の朝に飲んだ、あの貧しいスープから何も食べていない。
不意に、地面に光るものを見つけた。一ルピーコインだ。俺は飛びつくように、そのコインを拾った。昨日の夜にした予感は正しかった。良いことがあると、それは次の日も続くもんだ。
たった一ルピーでは何も買えない。それでも俺は、スキップをするように、ある寝ぐらへと向かった。
その寝ぐらは、教会の廃墟だった。俺が転々としている寝ぐらの一つだが、あちこちが今にも崩れそうなので、あまり使っていない。
大人が言うには、昔世界中で信仰されていた希望教という宗教の教会だったらしい。希望か。綺麗な言葉のわりに、今じゃこんな廃墟になっちまって。
俺は姫神教といい、神だなんて信じない。神がどんなに良いことを言っても、腹は膨れないからだ。
しかし、俺はこの寝ぐらに、ある希望を隠していた。俺は一ルピーを手に、廃墟の裏手へ回った。すると、数人の子どもがいた。五人。あの太った孤児たちだ。
「よぅ、青いの。何かお探しか?」
太った孤児は、片手に汚い瓶を待っていた。それは、俺の希望だ。
「返せよ、デブ。」
「落とし物はよ、届けなきゃいけないって知らないのか?」
青いのが知るわけねぇかと、五人が笑った。
「泣きべそかく前に、そいつを返せよ。」
その瓶には、俺がこの貧民街に来たころから貯めた小銭が入っているのだ。いつかこの国を出るための金。俺の希望と夢のかたまりだ。
「泣きべそかくのはお前のほうだ。」
太った孤児がそう言うと、他の四人が棒切れを片手に殴りかかってきた。どいつも俺より少し背が高い。振り下ろされる棒切れを前に、俺は恐怖で震えた。たちまち棒切れは俺の頭や体を叩き、俺は地面に丸まってしまった。
「言ってみろよ、青いの。返してください、お願いしますって。泣きながらお願いしてみろよ。」
棒切れと蹴りの嵐のなか、太った孤児の声が聞こえた。
負けてたまるか。俺は絶対に負けないし、泣かない。こんなやつらのために、涙など流さない。
俺の内側に、一気に黒い炎が満ちていく。やがてその炎は、まるでどす黒い血を吐くかのように、全身から吹き出した。
「ぎゃーっ」
四人の孤児の鋭い悲鳴が聞こえた。俺が体の痛みをこらえ顔を上げると、四人の孤児の手が、黒い氷に包まれていた。
「な、なんだ、それ…。」
太った孤児が後ずさる。俺も状況を理解できないが、理解なんていらない。今はただ、体の内側で黒い炎が暴走する。
俺はナイフを抜いて、大きく横に振った。
「返しやがれっ。」
孤児たちの悲鳴が響き渡る。俺は体中の痛みなど忘れ、無我夢中でナイフを振り回した。
「奪うなっ、俺から奪うんじゃねぇっ。」
孤児たちは泣き喚きながら、五人一斉に逃げて行った。瓶はあっけなく持ち去られてしまった。
後に残ったのは体の痛みと、地面に何ヶ所もたった黒い氷柱だけだった。
こんな黒い氷柱、俺は作ったことがない。なぜ、黒くなってしまったんだ。怖い。俺は、自分が怖い。
夕暮れの貧民街を、痛む体を引きずって歩く。何も考えたくない。俺の希望と夢は奪われてしまった。
いつのころか、盲目の浮浪者が道端で語っていた。それは、希望教とやらの教えだった。まだ今よりも幼かった俺は、暇つぶしにそれを聞いていた。言っていることはほとんど分からなかった。でも、一つだけ分かったことがあった。
希望の反対は、絶望という言葉。
そうか、これが絶望か。俺は今、言葉だけでなく、芯からその感覚を理解した。そういえば、盲目の浮浪者は、通行者に石を投げられてヨタヨタと逃げて行った。
痛くて、寒い。でも、俺には力がある。
ナイフも氷の魔道もある。黒い氷は自分でも怖いけれども、自分より年上の子どもを負かせるだけの力が俺にはあるんだ。それが、今残された、俺の唯一の希望だ。
痛みが引いたら、あいつらを探し出して瓶を取り返してやる。俺のなかには、まだ黒い炎がくすぶっている。
痛む体を何とか引きずって、俺は寝ぐらへたどり着いた。今日はもう、何も考えられないし、何もできない。
意識がぼんやりとし俺から離れようとしたとき、声がした。
「ソラ、ソラじゃないか。」
力を振り絞ってゆっくりと目を開くと、アンディがいた。俺は何だか泣きたい気持ちを抑えて、アンディの名を呼んだ。




