水色の浮浪児《12歳》
《12歳》
そして十二歳の冬、俺は人を殺そうと思った。
俺の手には、鈍く光るナイフが一本。それは何だか、俺が小汚くなるほど鋭くなっている気がする。
空腹が限界である。味方もなく、何も信じられない。みんなが俺を敵にする。ただただ、全てが憎い。
俺はもう、死んでもいい。とにかく限界だ。
ならば、せめて誰かを殺してやる。少しでもいい暮らしをしている奴を狙う。そして俺も死ぬ。
俺は世紀の大馬鹿者になるだろう。それでいい。
ただ、全てが憎い。
俺の話かい?十二歳の俺は、さっき言ったような、真っ黒で汚い感情でいっぱいの、どこにでもいる浮浪児だったよ。
それでも聞くってんなら、拙いけど話そうじゃないか。眠たくなったら寝ればいいさ。
じゃあ、始めるぜ。
「泥棒ーっ。」
グランディエ国の貧民街に、中年女性の金切り声が響き渡る。俺は両手に少しカビたパンを持って、全力で走っていた。靴もなく裸足だが、すっかり慣れて足裏は分厚い。どうせ安い小麦粉で粗末に焼いたパンだ。しかも売れ残りのパンを選んでやったんだ。盗人にしては親切だろう。
全力で走るうちに、俺は寝ぐらにたどり着いた。寝ぐらと言っても、建物と建物の間にある、ゴミ捨て場の影だ。意外と大人に見つからないし、ゴミ箱からは、たまにまだ食べられる食いかけが見つかる。浮浪児に打ってつけの寝ぐらだ。
俺はこんな寝ぐらをいくつか抑えていて、転々と移動しながら、夜になると小さく丸まって眠る。布切れや新聞紙を見つけたときはラッキーだ。少しは寒さをこらえられる。
カビたパンを二つガッついて、横になる。そして、嫌でも目に入る、水色に染まった足を見る。俺は大人を出し抜いて、上手く浮浪児をやっているつもりだが、この水色の足がある限り、社会とやらの底辺でしかない。
朝になった。今日は日曜日で、教会がある地域で炊き出しが行われるので、その恩恵に預かりにいく。地域では出店のように多くの炊き出しが行われていた。教会で働く人、貴族の令嬢、騎士団の兄ちゃん。どれも温かそうで目移りする。熱いスープなんて、いつぶりだろう。
俺は貴族の令嬢の炊き出しに注目した。キラキラとしたドレスを着て、上品な笑みを浮かべた令嬢たちの手に、これまたキラキラとした器がある。器からは美味そうな匂いがしているし、何よりも肉の切れ端が浮いている。口の中にヨダレが溢れる。しかし、貴族の令嬢は俺の水色の足元をチラリと見ると、オレを無視し、他の孤児にスープを与えた。
こんなことは慣れている。俺はめげずに他の炊き出しを見に行った。次は騎士団の炊き出しだ。男の料理という感じで、野菜がゴロリと浮かんだスープだ。これはこれで美味そうだ。俺は列に並んだが、あと少しで俺の番というところで、太った孤児に突き飛ばされた。
「あぁ?何しやがんだ。」
すぐさま俺は敵意を向けた。
「お前みたいな【青いの】が飲んでいいスープじゃねぇんだよ、騎士団様のスープはよ。」
太った孤児とその仲間がゲラゲラ笑う。孤児のくせに太りやがって、余計に腹が立つ。騎士団はというと、俺なんていないかのように炊き出しを続けている。
「けっ、何だい、騎士団様ってのはダセェヤツらの集まりだぜ。」
俺がそんな悪態をつくと、白いハンカチが目の前に差し出された。
「大丈夫かい?」
差し出してきた男は、騎士団のなかでも若そうで、騎士のわりには何だかナヨナヨしていそうだ。しかし俺は、その騎士の金髪と金色の瞳が何故だかかっこいいと思ってしまったのだ。俺はそのハンカチを乱暴に取ると、豪快に鼻をかんだ。
「けっ、ありがとよ。騎士様。」
俺はそのナヨナヨした騎士にハンカチを投げつけて、教会の炊き出しへ向かった。
結局、俺がありつけた炊き出しは教会のスープだけだった。しかも他の二つと違い、野菜の切れ端や豆が浮かんだ質素なスープだ。
ちくしょう、炊き出しひとつ取っても、俺にはこの水色の足が邪魔をする。肉やゴロゴロ野菜のほうが美味そうだ。ちくしょう。
「ソラ、今週も来てくれたのですね。元気にしていますか?」
教会で働くシスター・メイが柔らかい微笑みで声をかけてきた。
「まぁ、俺が食えるのはここの炊き出しくらいだからよ。あと、冬を過ごす浮浪児に元気にしてる?は的外れじゃないかい。」
「まぁ、私ったら、ごめんなさい。」
シスター・メイは申し訳なさそうにハンカチを出すと、俺の汚れた頬や額を優しく拭いた。
「ソラ、今日の夜は一段と冷え込むそうですよ。今夜は教会に泊まってはどうです?他の孤児たちもそうしますよ。」
「よしてくれよ、精霊とやらを信じる姫神教会だろ。俺にとっちゃ、牢屋に捕まった罪人の気分だぜ。」
しかも他の孤児と一緒だなんて絶対に嫌だ。同じ孤児といっても俺にとっては敵だ。さっきみたいに食い扶持を奪ってきやがる。
「でも、寒さで死んでしまっては何も残りませんわ。」
「残るはずなんて無いさ、俺は何も持たない浮浪児だぜ。裏路地に死体が転がるだけさ。」
教会の炊き出しにありつくのは、これだから嫌だ。シスター・メイが姫神教の教えとやらで説教してきやがる。早く抜け出したくて、俺は残ったスープを大きな音を立てて一気にすすった。
「ありがとよ、まずかったぜ。」
空になった質素な器とスプーンをシスター・メイに渡し、俺は走り出した。シスターが呼んだ気がしたが、俺は振り返らなかった。
日曜日の商店街を歩く。休日の商店街は買い物する市民であふれ、どいつもこいつも楽しそうだ。
俺には買い物するような金なんて、もちろん無い。狙いはカバンやポケット、要はスリを働くのだ。浮かれた顔の市民が全員、標的に見える。
「おい、そいつを捕まえろっ。」
人混みの向こうから、男の大声がした。そして人の波をかき分けるように、薄汚れた痩せた男が走って来る。痩せた男は俺の後ろの、裏路地に逃げ込んだ。
「おい、小僧、逃げてきた男はどこへ行った?」
警察が偉そうに聞いてきた。こいつらには普段、世話になってやがるもんで、俺は大通りを指差した。警察たちはそれをすっかり信じて、走って行った。ざまぁみろ。
「よぅ、少年。ありがとうよ。」
痩せた男が裏路地からひょっこりと顔を出した。
「ほら。」
俺は男に片手の手のひらを差し出した。
「なんだ?」
「タダで助かると思ったのかよ、オッサン。」
するとオッサンは、まいったね、と言いながらポケットに手を入れた。そして、荒い加工をされた小さな宝石を俺の手に置いた。
「ダメだね、宝石なんて売ったところで、俺みたいな孤児じゃあ怪しまれる。売ったが最後、お縄についちまう。」
「へぇ、少年。賢いじゃないか。ちょっとこっちへ来いや。」
オッサンに誘われ、裏路地へ一歩踏み込む。
「俺はアンディ。少年は?」
「ソラ。」
「珍しい名前だな、年は?」
「十二才。いいから礼をよこせよ。」
「まぁ、待て。これを見ろ。」
そう言うと、アンディは片方の靴を脱いだ。俺と同じ、水色の足だ。
「俺も少年と同じ、【精霊の形代】さ。」
俺は驚いて、アンディを見上げた。
「へぇ、久しぶりに見たよ。この辺りの形代は、俺以外ほとんど【狩られ】ちまったからよ。」
「十二歳でまだ逃げ切れているなんて、少年はずいぶん逃げ足が早いんだなぁ。」
アンディが靴を履きながら、感心して言った。
「簡単な話さ、狩られるくらいなら狩る。そして逃げる。俺は俺の力を正しく使っているのさ。」
俺は得意気に、だが吐き捨てるように言った。
「まぁ人身売買をするようなヤツらに狩られたら俺らは終わりだからな、貧しくても浮浪者をやっているほうが楽だよな。」
アンディがどこか寂し気に、ボソリと呟いた。
「ちなみに少年の得意な【魔道】は何だい?」
「マドウ?」
「特別な力さ。形代なら使えるだろう。」
「あぁ、これのことか。」
俺は指を鳴らすと、一本の鋭い氷柱が地面に立った。なるほど、この力を大人たちは【魔道】と呼ぶのか。
「へぇ、すごいな。その年でそんなに大きな氷柱を出せるなんて。」
「子どものころは、細くて小さな氷柱しか出せなかったけどよ。ちなみにオッサンは?」
「俺はこれさ。」
そう言うと、アンディが人差し指をまっすぐに立てた。しかし何も見えない。
「あ?何もねぇじゃねぇか。」
「そう見えるだろ、でも見てくれよ。」
アンディは何も無いはずの人差し指を、勢いよく振った。すると、俺が立てた氷柱がスパッと切れたのだ。
「えぇ、なんでっ?」
「俺は風の精霊の加護を受けていてね、風の力をうまく圧縮して鋭い刃にするのが得意なんだ。」
「あ、あっしゅく…?」
「ふわふわした風をグッとまとめて、シュッとした剣を作るのさ。」
「へー、よく分からねぇけどカッコいい。」
俺はこれまで適当に、勢い任せで使っていた力に、何だか新しい可能性が見えた気がしてワクワクした。
「これで宝石店の窓を切って盗みを働こうと思ったんだけどよ、いいところで警察に見つかっちまった。おかげで安くて小さな石ころしか盗めなかったよ。」
「へぇ、その安くて小さな石ころを俺に渡そうとしたわけだな。」
俺が意地汚く言うと、アンディがわざとらしく謝るポーズをした。
「悪かったよ。じゃあこれをやろう。」
アンディは上着のポケットから、今度こそただの石を出してきた。
「ちっ、子ども騙しもいい加減にしろよ。」
「まぁ、持ってごらんよ。」
そう言うと、アンディは俺の両手にその石を置いた。すると、石はまるで、さっきまで焚き火の近くにあったかのようにホカホカとしている。
「何だい、これ?」
「【魔道弾】さ。魔道の力を込められる石でさ。昔、俺の相棒だった男は炎の精霊の加護を受けていたんだ。そいつが炎の力を込めてくれた、忘れ形見さ。」
「形見ってことは…。」
「まぁ、盗みの途中でヘマをして死んだ。よくある話さ。」
アンディは魔道の説明をするように、淡々と語った。俺は手の中の温かい魔道弾を見た。ただの石に見えるそれは、何だかずっしりと重い。
「そんな大切なもの、もらっていいのかい?」
「あぁ、俺はもう一つ持っているからね。」
そう言って、アンディはもう一つ魔道弾を取り出した。
「それによ、何だか少年のことが気に入ったんだ。同じ形代ってのもあるが、ギラギラした目をして賢くて、意地汚い。でも、それがいい。この世の中、馬鹿は死ぬだけだ。生き延びようぜ、ソラ。」
アンディはニカっと笑って、裏路地の向こうへ走って行った。
商店街の屋根や窓が、夕焼けに染まっていく。日曜日のため立てられていた出店も片付けられ、人もまばらだ。
俺は何度かスリを試みたが、今日は狙いをことごとく外した。三回成功したものの、子どものおもちゃのような指輪が入った皮袋、ハンカチとちり紙の入った薄い布、さらには空っぽの皮袋が今日の成果だ。どうも世の中は結構な不景気らしい。
俺はスリに見切りをつけ、貧民街へ帰った。そして、一番卑しい仕事に取りかかることにした。
死体漁りだ。行き倒れた死体は、意外にも収穫が多い。特に今は冬だ。歩いていれば、すぐに死体が見つかる。
こちらはなかなかの成果を得られた。少し大柄な男が行き倒れていた。食べ物や金はない。しかし、粗末だが大きなコートを剥ぐことができた。
また少し歩いて、裏路地を覗く。すると、建物の影に、痩せた男が行き倒れていた。俺はアンディではないかと思い、急いで駆け寄った。細い体は俺の力でも軽く転がり、顔が見えた。アンディではなかった。俺はホッと一安心したのを感じた。
不思議だ。アンディは今日、少し話しただけの、ただの大人なのに。でもアンディが俺に魔道のことを説明してくれたり、魔導弾を渡してくれたりした、その少しの時間が、どうやら俺は嬉しかったようだ。
俺は死体がアンディで無いのを確認でき、獲物を探す。
すると、俺の心臓が高鳴った。
ナイフだ。死体は腰に、ナイフを装備していた。
俺はドキドキした。今日一番、いや、この冬一番の収穫だ。俺は高鳴る鼓動を感じながら、慎重にナイフを抜いた。古そうだが、切れ味は悪くなさそうだ。建物の影だというのに、その刃は煌めいて見えた。
俺はナイフを納める鞘を、それを引っ掛けたベルトごと死体から外した。そして自分の腰に付けた。ナイフは俺の体に不釣り合いなくらい重い。でもそんなの関係ないほどに、俺は腹が膨れたときのような、満ち足りた思いだった。
これで俺は、奪う側になれる。脅されても脅し返せる。俺は力を得たのだ。浮浪児だ、形代だと下に見られても、俺にはこのナイフがある。
一気に自分が大人になった気がした。俺は腰に下げたナイフを、ブカブカの上着で隠し、寝ぐらへ駆け出した。
やがて、夜になった。俺は寝ぐらのゴミ捨て場の陰に、大柄な男から剥ぎ取った粗末なコートで身を包み、寒さに震えていた。コートは俺の体を包むのに充分な大きさだが、いかんせん地面が冷たい。冷え切ったレンガ石が憎たらしい。
こんな寒い夜は、何もかもが憎くなる。炊き出しに来た令嬢や騎士団は、どうせ温かい部屋で美味い飯を食っているんだろう。それどころか、商店街にいた一般市民ですら、屋根のあるところで温かいスープを飲めるのだろう。
俺は一人だ。他の孤児たちは仲間となって、寒さや飢えを凌いでいる。でも、俺は一人だ。それは俺が【精霊の形代】で、そのせいで水色の足をしているからだ。
だが、今日は教会のスープを飲めた。そしてアンディと出会い、魔導弾をもらった。炎の力が込められた魔導弾は、俺の腹を温めている。
何より一番は、やはり腰のナイフだ。俺はもう、弱者じゃない。氷の魔道の知識とナイフを得た俺は、間違いなく、この辺りじゃ一番強い浮浪児のはずだ。
少しだけ、いつもとは違う日曜日だった気がして、俺は夜空を見上げた。空は曇っていて、星は見えない。星が見えたところで腹が膨れるわけではない。けれど何となく、俺の過ごした今日一日が、この寒い夜を越えて、明日へ繋がっているような、そんな気がしたんだ。




