自由の国コーダ、祝祭と花《ソラ》
《ソラ》
グランディエとコーダを隔てる国境を越え、俺たちはしばらく歩いていた。
俺は初めて越える国境に、少し心が震える思いもあったが、それよりも空気が重い。先ほどの気まずさが尾を引き、誰も何も話さない。道案内をするユフィが、必要最低限の確認のために言葉を発するだけだ。
俺たちは【紫の紛争地帯】を歩いている。
俺は昨晩、影だとか、子どものころ遠目に眺めた紙芝居に出てきたオニだとか、そういう化け物が出て来るくらいの恐ろしさを抱いていた。
しかし、足元はグランディエと変わらない草原の景色だし、旅人や商人も目に入る。一つ気になるのは、そう言った旅人たちが、しっかりと武装をしていることだ。特に商人なんかは、明らかに商人ではないであろう、武器を持った厳つい男たちを連れている。
いつもの俺であれば、疑問をすぐに口にしただろう。あの男たちは何だと。でも、誰にも何も聞けない。
「見えた。あれがどうやら、コーダの首都、イニングだ。」
ユフィが地図を照らし合わせながら、呟いた。俺は聞き慣れない言葉に思わず、シュト?と口に漏らしてしまった。
「政変前は、王族がいる王都と呼ばれていたけれどね。今は民の代表者が政治を行う中心地となっているのさ。そういうところを、首都と呼ぶんだ。」
カイがいつもの穏やかな口調で説明する。俺の方は気持ちを切り替えられず、ふーん、とぶっきらぼうに返事をした。
首都イニングにたどり着くと、グランディエの城下町やヴェーゼンと比べ物にならないくらい、活気に溢れていた。
日曜日の商店街のように出店が並んでいるし、あちこちから音楽や歌が聞こえる。建物は飾り付けがされ、人々も華やかに着飾っている。
すれ違う人はみんな笑顔で、タナ、と明るく声をかけてくる。
俺たちは立ち止まり、拍子抜けしてしまった。これが、あんなに恐れていた紫の紛争地帯だなんて。それに、先ほどまで気まずくて仕方なかった空気が、街の活気で上塗りされそうだった。
カスガが、声をかけて来た同じ年頃の少年と話している。そして、その内容を俺たちに説明する。
「どうやら今週は、政変によって、王族から民に政権が移った記念週間らしいぞ。王族に禁止されていた服装や音楽を楽しんで、自由に感謝する祭を一週間続けるんじゃと。」
「へぇ、何だかいい時に訪れたわね。ちなみにタナはなんて言う意味なの?」
「コーダの古い言葉で、まぁ挨拶のようなものじゃと。知らないどうしでも気軽にタナ、と挨拶をしあって、民の絆を強めるらしいぞ。」
マキとカスガが会話する。いつもの明るい雰囲気だ。
すると、若い母親と幼い子が、俺たちに笑顔でタナと声をかけてきた。マキとカスガ、それにカイが、明るくタナと返した。ユフィは少し照れ臭そうに、小声で返していた。俺は無言だ。しかし、子どもが俺だけに再びタナと言ってきた。俺は目線を下に向け、口を尖らせながらタナと呟いた。
「祭はいいが、そのぶん外部から人間が入りやすい期間ということだ。まぁ、俺たちもその一人だが。民の気が緩むのもあり、犯罪が起こりやすい。」
ユフィはそう言うと、俺とマキを見て続けた。
「ソラとマキは、絶対に一人行動をしないこと。女性や子どもというのもあるが…。」
「俺が形代だからだろ。」
俺は口を尖らせながら言った。そして続ける。
「ちっ、分かったよ。ちくしょう。」
悪態をつく俺に、マキが両腕をソッと抑え、目線を合わせて語りかける。
「ソラ、今の態度は良くないわ。ユフィはあなたを心配して言ってくれているのよ。それに、朝のことは一度切り替えて、旅を続けましょう?ちょうどよく、お祭に出会えたことだし。」
マキの紫色の目はまっすぐだった。言葉もまっすぐで、最後のほうは微笑みを浮かべながら語りかけていた。シスター・メイや、朝のカスガの目を思い出す。
しかし俺は、朝もそうだったが、こんな思いをどう受け止めて自分のなかでまとめれば良いのか、分からないのだ。
俺はマキの言葉のあと、俯いたまま、無言だった。少しして、カイが行こうか、と背中を押す。
俺たちは宿をとった。ヴェーゼンで泊まっていた宿と比べると質素だが、紫色の花が生けられていたり壁やカーテンも白かったり、明るい雰囲気だった。
宿の女将さんもニコニコと感じの良い人で、やはりタナと挨拶をしてきた。俺たちの反応は、先ほどの親子に返したのと同じようなものだ。
俺たちは街へ出た。出店は見たことのない商品が並び、それぞれに興味のあるものを眺めた。俺の態度は頑なだったが、やはり好奇心には負けてしまい、あちらこちらを覗いてしまう。
後で思うと、このときは四人の誰かしらが、俺から離れずに見守ってくれていた。
マキは花籠を持った若い女に声をかけられ、紫色の花を一本、髪に飾られた。宿に生けられていたのと同じ花だ。マキがお代は、と言うと、女は首を横に振り微笑んだ。
「お代は結構よ。これはこのコーダの自由の象徴で、ピアンという花なの。綺麗でしょう。お祭の間は、どの家庭でももちろん、学校とかの施設でも飾っているのよ。」
女はさらに、あなたの紫の瞳によく似合うわ、と微笑んだ。マキも笑顔でありがとう、と返した。
「おぅ、この花知っとるぞ。根を煎じれば血行や腰痛に効くからのぅ、よく婆ちゃんに処方するぞ。」
カスガがそう言うと、マキが鋭く蹴りを入れた。
「いっでぇ、何でじゃあ?」
「せっかくのロマンチックな気分に水を差された感じよ。」
その様子を見てカイは笑ったし、ユフィですら微笑んでいた。俺はもう振る舞い方が分からず、まだ口を尖らせていた。
やがて小腹が空き、俺たちはいい匂いのする出店に惹かれた。
「わあ、フランタだ。」
カイが声を上げる。どうやらグランディエの出店でもよく見られる、パンに肉を挟んだ軽食らしい。俺たちはフランタを買い、五人で食べようとした。
「いただきま…。」
「う、美味ぇっ。」
四人の視線が俺に集まる。やってしまった。どうして良いか分からず頑なでいたのに、フランタの美味さに気が緩んでしまった。それに、いつもなら挨拶の前に食べるなと叱られる。
しかし、このときは違った。
「ほー、どんなもんじゃろう。はぐ…っ。ふむ、こりゃ美味いのぅ。幸せじゃあ。」
カスガがわざとらしく振る舞う。カイも大げさにそうでしょう、と笑う。
「そ、そうだな。美味しいものを食べていると、いい気分になるな。」
ユフィが彼らしくない下手くそな演技をして、カスガとカイの雰囲気に乗る。
「美味しいもの教えてもらえて良かったわね、ね?ソラ。」
マキが朗らかに話を振るが、俺は無愛想に、別に、と返してしまった。五人の間に、再び重い空気が戻ってしまった。
四人が優しいのは、充分分かっている。そして俺が悪いのも、本当は分かっている。
でも、だからと言って分からないのだ。優しさの受け止め方も、どう振る舞えば良いのかも。俺の人生に存在しなかった優しい人や感情の数々に、固い殻を被りながら、混乱していたのだ。
フランタを食べ終わり、俺たちは再び歩いた。出店が並ぶ通りを抜けそうになると、どこかを目指す人々が多くいた。首都イニングの住人や、旅人らしき人々だ。
そう遠くないところには山が見え、人々はそこを目指しているようだ。
俺は、この景色にどこか見覚えがある気がして、ただの山だというのに、つい立ち止まって見入っていた。
「タナ、旅の人たち。」
興味深そうに景色を見ていた俺たちに、一人の女が声をかけてきた。俺たちより少し年上だろうか。服装はこの国の、よく見かける若い女らしい格好だ。ただ、目を片方、似合わない眼帯で隠していた。
「あの小さな山はね、コーダを知るうえでとても大切な山なの。コーダを愛する人は年に一度は通うし、私たちは旅の人にも紹介しているの。良かったら、私が案内しましょうか?」
女には眼帯という特徴以外、特に怪しいところは見当たらない。
しかし、ユフィが断りを入れる。
「俺たちは旅費に余裕がない。悪いが…。」
「案内のお代なんていらないわ。」
女がきっぱりと言い切った。
「私たちは知ってほしいことがあるだけ。時間は多く取らないわ。お願い。」
むしろ案内を願う女の必死な様子に、俺たちはたじたじとなる。
「道の途中には、お嬢さんが挿してるピアンの花畑もあって、見ものよ。どう?」
そこまで言うなら、と俺たちは山へ行くことにした。一般人も多そうだし、危険があるわけでもないだろう。
しばらく歩くと、女の言った通り、ピアンの花畑が広がっていた。一面の紫色が、陽射しを受けながら風に揺れ、確かに見ものだった。四人も綺麗だ、すごい、と思わず口にした。
そのとき、俺に、またあの感覚がした。
「銀の糸だ。」
四人が立ち止まり、俺を見る。女は不思議そうに、こちらを見た。
「どこにだい?」
「あの山だ。」
カイの問いに、俺は自然と答えた。どうやら、山へ行く理由が見つかったようだ。
山の麓にたどり着いた。実際近づいてみると、山というより丘といっても良いくらい、それは低かった。周りには多くの人がいる。
「この山はね、鉱山だったの。もう取り尽くされて閉山しているけれど。山は低いけれど地下が深くてね、必死で潜って鉱石を掘ったのよ。もう埃まみれだし、空気は薄いし、最悪だったわ。」
女の説明に、違和感がある。
「まるで、あんたが潜っていたみたいだな。」
俺がそう言うと、カイが言葉もなく片手で制止する。
「気づいてなかった?私は元奴隷よ。前の王族たちの時代、ここで働かされていたの。この眼帯が、その証。王族たちはね、逃げ足が鈍るよう奴隷の片目を潰したの。」
俺たちは口調に何の変化もない女の、思いがけない重い過去に、唖然となってしまった。
「そんな顔しないで。今は解放されて幸せよ。元奴隷の夫と結婚して、お金持ちじゃないけど自由に暮らしているわ。」
そう言われて、俺たちは改めて山を見る。この小さな山で、どれだけの人が奴隷となっていたのだろう。
しかし、俺のなかでずっと、何かが引っかかっている。銀の糸だけでない。見覚えのある、記憶に引っかかる何かが。
「…でも、長くは生きられないわ。」
女がポツリと呟く。
「鉱山の地下にはね、有毒なガスが充満していたの。だから奴隷に掘らせたってこと。私も夫も、長く生きられる気がしない。だから、子どもも持たないことにしているの。それでも幸せだけどね。」
女の悲しい告白に、マキが言う。
「で、でも、もう身分から解放されているし、あなたはまだ若いわ。街だって、あんなに活気があったし、良い方向に向かっているんじゃない?お子さんを持って、もっと幸せにだってなれるわよ。」
少し必死なくらい訴えるマキに、女はソッと手を上げ、指を指した。少し遠くに木の棒が並んでいる。地平線で見えなくなるくらい、大量に。
「…墓か。」
ユフィがそう呟くと、女が頷いて言った。
「そう、この鉱山で命を落とした人たち。ガスであったり、飢えや使役者の暴力であったり、理由は様々だけれど。」
その墓は、何も書かれていない。雨や風にさらされて朽ちてしまいそうな、頼りない木だった。女は話を続けた。
「私も夫もね、解放されたときはガリガリで、死にそうだった。でも自由になって、未来が見られると思ったの。…なのに、ずっと、鉱山にいた時と変わらない。体は重いし、毎日吐いたりどこか痛かったり…。だから、近い将来、きっと死ぬわ。」
女の言葉は、嘘のようにも大げさなようにも感じられない。たくさんの犠牲者を看取ってきた過去に裏付けされた、確信に満ちていた。
「こんなこと、知らんかった…。」
女にかける言葉に迷う俺たちの、少しの沈黙の後に、カスガがそう呟いた。
「時間を取らせて、しかもこんな暗い話でごめんなさい。でも、知ってほしかったの。子どもを持たないと決めたぶん、どこかへ旅立つ人に、私たちや、彼らのことを。」
女がそう言ったあと、俺たちは女の願いと、そして彼らと呼ばれた、墓に眠る人々を想像した。
俺は質問をすることにした。
「いろいろ聞けて良かったよ、ありがとよ。あんたの名前は、何ていうんだい?」
すると、女は少し驚いて、笑顔で答えた。
「ありがとう。私はドーラよ。たくさんの人を案内したけれど、名前を聞かれたのは初めてだわ。」
「ドーラ、かっこいい名前だ。あんたのことを知れて、良かったぜ。」
俺がそう言うと、ドーラは少し泣きそうな顔で微笑んだ。それは眼帯が憎らしいくらい、美しい微笑みだった。
ドーラの微笑みに目を奪われていると、何かが語りかけるような、そんな感覚がした。
忘れてしまっていた。銀の糸だ。墓のほうから感じる。俺たちはドーラに理由を言わず、墓のほうへ歩みを進めた。
すると、一つの墓に吸い寄せられる。
「これ…。」
「ええ、シスター・キュリアのお墓よ。」
その墓は他の墓と同じく、何も書いていない粗末な木だった。墓の前には、十字架が一つ置かれている。
「私たち奴隷は読み書きができないから、お墓に名前なんて書けなかったの。代わりに、その人が大切に持っていた遺品や、それがないときは、可哀想だけれど足枷の輪を置いたりしたわ。」
そう言われると、確かに墓の前には何かが置いてある。そして、俺は感じたのだ。この十字架に、銀の糸を。
「あ、しまった。ランプは宿に置いて来てるんだった。」
俺はポケットや胸元を叩いて探してしまう。すると、ユフィが何か詠唱をした。そして、プロクスと唱えると、指輪の石に火の精霊が宿った。
「これはどうだ。」
「やってみるぜ、ありがとよ。」
俺はユフィから指輪を受け取り、その熱さを感じながら、十字架を見つめた。そして…。
あの、落ちていく感覚だ。荒く塗りつぶされた黒いペンキと、煌びやかな星々。こんな空間、誰が作ったか知らないが、良い趣味をしていないと感じた。
やがて、足元が確かになった。




