異教徒の小屋《ソラ》
《ソラ》
「希望教の…十字架…?」
俺は、信じたくない言葉を聞いてしまった。小さな小屋に不釣り合いな、大きな十字架。円の上に十字を乗せた形をしており、木で作られていた。
「…あ、あれ…。」
マキが震えた声で指を指すと、十字架の下には骸骨が転がっていた。身に纏っている衣服はボロボロで、死んでしまってから長い期間が経っていることが分かる。
「気の毒じゃのぅ。ソクアヴェスタの世界に対する宣戦布告や敗戦以来、こうした人里離れたところに隠れ住み、命を落とした希望教徒は珍しゅうない。」
そう言って、カスガは骸骨へ歩み寄ると、静かに様子を見た。
「ふむ、見たところ三人じゃな。小さな骨も混じっておる。どうやら子どもも亡くなっておるようじゃ。」
カスガはそう結論を出すと、祈りの姿勢をとった。他の三人も同じように祈った。
俺は祈り方を知らない。それよりも、目の前の十字架に目が釘付けになっていた。
四人はやがて、祈りの姿勢から戻った。
「なぁ、あれは希望教の十字架なのかい?」
「そうさ。グランディエは姫神教への信仰が盛んな国だからね、精霊戦争が激しくなるにつれて、街に住めなくなってしまったんだろうね。」
カイがいつもの穏やかな口調で説明してくれたが、俺の耳には入らなかった。俺は震える手で、懐からあるものを取り出し、ジッと見つめた。そして大きな十字架と見比べる。
同じだ。信じたくないが、同じ形をしている。
「ソラ、それは…。」
俺の様子に気づいたマキが声をかける。
「お、俺さ、本当はただの浮浪児なんだ。気づいたときにはグランディエの城下町にいて、自分がどこで生まれか、親の顔も知らないんだ…。」
マキが優しく相づちをしながら、俯いた俺の顔を覗くようにしゃがんだ。
「なのに、俺は名前と生まれた年だけは知っていた。それは、気づいた時には大事に持っていた、これがあったからなんだ…。」
震える俺の手には、白い木で作られた小さな十字架。それは、小屋に大きく立てられた希望教の十字架と同じ形をしていた。
「本当は、字だって読めない。いつか、誰かも忘れたけど、とにかく読んでくれた人がいて、俺は知ったんだ。自分がソラ=セルカナデだって…。」
声も手も震えて、顔を上げられない。
ユフィが冷静に話す。
「薄々、感じてはいたよ。ソラという名前も、セルカナデという名字も、ソクアヴェスタ語の響きに似ていると。それにお前の黒髪と青い目は、ソクアヴェスタ人によく見られた特徴だと聞いた。」
淡々と突きつけられた現実に、今にも走りたくなった。何も知らなかった、貧民街の寝ぐらで気楽に過ごしていたころに戻りたい。
ずっと恨めしかった、自分が精霊の形代である事実と水色の足。そして、自分をそうしたソクアヴェスタ。憎い、ソクアヴェスタが憎い。
それなのに、俺がソクアヴェスタの人間だったなんて、希望教の元に生まれていたなんて。何も受け止められない。俺は、顔を上げることができない。
「しかし、だからどうした。」
ユフィが変わらず、淡々とした口調で言った。そして、本が並んだ棚に被った埃を払って続けた。
「どこに生まれようと、どう生まれようと、今生きているのは自分だ。自分に責任を持って生きていくのは、お前だ。うじうじしている暇なんてない。」
「そうだけど、そんな冷たく言わなくても…。」
マキが言うと、ユフィが少し口調を強めて言い返す。
「お前はさっき旅籠で言ったな。ソラはこれからも、生きていかなくてはいけないと。それと同じことを言っただけだ。違うか?」
「そ、そうだけど…。」
マキが怯むと、ユフィは本棚へ視線を戻した。
「悪い、強い言い方をした。とにかく、過去に何があろうと、生きていく必要がある。俺たちはアリアレジスへ行かなくてはいけない。そのために。」
そう言うと、ユフィは本棚から古びた薄い本を取り、俺に渡した。
「これは?」
「入門用の魔導書だ。生きていくために、旅のためにも力をつけろ。」
「でも、俺、字なんて…。」
「学べ。字だろうが魔導だろうが。俺も時間を見つけて教えてやる。」
ユフィから渡された魔導書を少しめくると、字というものが大きく書かれており、絵や図らしいものも多く載っているようだ。
「なんかさ、なんだかんだユフィって優しいよね。」
「確かにのぅ、説明も分かりやすいしのぅ。」
カイとカスガが微笑んでいると、ユフィがふん、とそっぽを向いた。
力。俺は貧民街で、ナイフと氷の魔導を得て強くなった。しかし、それはただの勘違いだった。世界は広くて深くて暗い、知らないことばかりだ。昨日から、知らなければ良かったと思ったことすらあった。
それでも俺は、知っていかなければいけない。強くならなくてはいけない。
俺のなかに、小さな炎が灯った。それは覚悟か、好奇心か、新しい自分を見つけるための種火が灯ったのだ。
本をリュックに入れ、俺はあることを思い出した。カイも同じようだ。
「ソラ、ユージーン様の館で感じた銀の糸はどうだい?」
「うーん…。」
俺が見えない銀の糸を探して小屋を見渡していると、カスガが尋ねた。
「のぅ、銀の糸とは何じゃ?」
「それが不思議なんだけど、もう亡くなってしまって、僕もお会いしたことが無い女王陛下のご子息の声を、ソラが聞いたんだ。」
「げーっ、また霊体の類いかいっ。」
カスガが嫌悪感丸出しで声を上げると、マキが蹴りを入れた。霊体や禁術に敏感になっている俺を思ってくれたのだろう。
しかし、俺はあるものに目を奪われていた。
それは、一体の骸骨のすぐ横に転がる、古びた髪飾りだった。
「銀の糸だ。」
四人が息を飲んで見守っている。俺はその髪飾りをジッと見つめ、恐る恐る突つきもしたが、何も反応がない。
「なんでだい。ユージーンの剣みたいに、何かを語りかけているのに。」
髪飾りは、確かに何かを訴えかけている。そして、ユージーンのときのことを思い出す。
《ソラ、ランプを消して…。》
あの謎の声を思い出し、俺はリュックから簡易ランプとマッチ箱を取り出した。
「なんじゃ、まだ朝じゃぞ?」
カスガは疑問の声を漏らすが、俺はどこかに確信があった。一発でマッチに火を点けて、ランプに灯りが灯る。
そして、ランプを手にした、その瞬間。
あの、落ちていく感覚だ。荒く塗りつぶされた黒いペンキと、煌びやかな星々。目にするのは二度目だが、まるで子どもの落書きのように思える。
やがて、足元が確かになった。
「お父さーん、見てー。」
俺より少し年下くらいの、元気の良さそうな女の子がはしゃいでいる。黒い髪の毛に、あの髪飾りが美しく光っていた。
「おお、キイナ、似合ってるじゃないか。」
キイナと呼ばれた女の子は父親らしき男の膝の上に座る。すぐ側に、キイナと似た顔立ちの女が、髪ブラシを持って微笑んでいる。
「ねえねえ、キイナ、お姫様になれるかな?」
「キイナ、お姫様もいいけど、ルイゼ様のように身も心も美しい女性になるんだよ。」
父親がそう言うと、キイナは口を尖らせた。
「お父さんって、そればっかり。すぐ女神様、ルイゼ様って。あたしは大きいお城で、綺麗なドレスを着たお姫様になるのっ。」
俺はその光景を、物珍しく眺めていた。それは俺の知らない、家族というものだった。
「ねぇ、お兄ちゃんもそっちの方がいいよね?」
突然、キイナが俺に聞いてきた。
「えっ、俺?」
俺が驚いていると、キイナたち三人は俺を微笑んで見つめている。
「そうだな…。俺は女神とか分からねぇけど…。」
少し悩んだあとで、俺は少しの自信を持って言った。
「でもよ、そうやって家族三人、仲良く暮らしているのが、俺はすごくうらやましいぜ。」
俺の答えを聞くと、キイナたち三人は互いを見つめ合って、にっこりと笑った。
そして、また落ちる感覚がした。
次に足元が確かになると、キイナと女はベッドで横になっていた。ベッド脇にはランプが点いており、キイナの髪飾りも置いてある。
女はキイナに、本を読み聞かせているようだ。
「そして、女神ルイゼは戦いの果てに、人々の夢を黒く染めた悪魔メアロを倒しました。しかし、ルイゼと仲間たちは戦いに傷つき、倒れてしまいました。ルイゼは仲間を思い、涙を流しました。やがてその涙は、深く美しい海になり、それは良きことをした者たちが死後、たどり着く【神海】となりました。ルイゼや仲間たち、そして美しい魂のまま亡くなった者は、神海で幸せに暮らしました。」
おしまい、と言って女は本を閉じた。
「お母さん、もうこの本飽きたー。」
「だめよ、キイナ。私たち希望教を信仰する女は、女神ルイゼ様を目指すの。そのために毎日お祈りをしているのよ。そして…。」
「そして死後は、神海で幸せに暮らすって話でしょ。あたしは明日のことと、大人になってからのことで想像がいっぱいなのっ。」
母親が穏やかに説くが、キイナは不貞腐れて、ゴロンと寝っ転がった。すると突然、扉が大きな音を立てて開いた。
父親が肩で息をして入ってきた。
「あなた、まさか…。」
起き上がった母親の顔が真っ青になる。
「ソクアヴェスタが、負けた…。」
父親はそれだけ言うと、崩れるように膝を床についた。
そして、また落ちる感覚がした。
次に落ちたのは、あの真っ白な空間だった。ユージーンの死に顔を目にし、伝言を受け取ったのと同じ空間だ。嫌な予感がする。
今回は戦場ではない。先ほどまでいた、あの小さな小屋だ。希望教の十字架があり、俺たちが入ったときよりも埃もなく綺麗だ。
キイナたち三人の家族は、十字架の下でしゃがみ、向かい合っていた。
「街の教会は次々と壊され、抵抗する希望教徒は残らず殺されている。もはや、私たちに残された信仰の証明は、これだけだ。」
父親はそう言うと、母親とキイナに紙で丸められた包みを渡した。母親は静かに涙を流した。
「お父さん、これは…?」
「私たちが神海へ行く手段だ。」
それを聞いたキイナは、青ざめて必死に声を上げた。
「嫌、嫌だっ。あたし、死にたくない。お父さんもお母さんも、死なないでっ。」
「逃げたところで、殺されるだけよ…。姫神教の者たちに殺されるくらいなら、自分たちでルイゼ様のところへ行きましょう。」
母親は涙を流しながら、しかし、迷いのない様子だった。
「嫌だぁ、あたし、まだ死にたくない、まだ生きたい…っ。」
キイナは顔を涙でくしゃくしゃにして叫ぶが、父親は包みを解いた。そして泣き叫ぶキイナに、その中身を無理矢理飲ませた。
「…っ。お父さぁん…。」
キイナは、何かを飲み込んでしまった。
「心配するな、キイナ。眠るように死ねる薬だ。お父さんたちも、すぐに行く。」
父親は薬をためらいなく飲んだ。
「私たちは、神海でも三人一緒よ。」
母親もためらいなく包みを解き、一気に飲んだ。
そこからしばらくは、目を覆いたくなる光景だった。
キイナたち三人が、血や泡を吹いて苦しみ悶えている。あんなに仲良く幸せそうだった三人が、嘘のようだ。俺は苦しい胸を抑え、勇気を出してキイナに近づいた。
「キイナ、キイナっ。」
「お、お兄ちゃ、ん…。」
キイナが真っ赤に見開いた目で俺を捉えた。
「あた、し、お姫様じゃ、なくて、いい。ふつう…で、いい。生き、たい…。な、ん、で…。」
それが、キイナの最後の言葉だった。キイナはその小さな体で前のめりに、父親と母親の死体の上に倒れた。髪には、あの髪飾りが光っていた。
「ソラ、ランプを消して…。」
脳内にあの声が響く。
「またお前か。」
俺は恨めしそうに辺りを見回す。
「なんで、キイナはこうなった。なんで俺にこれを見せた?」
「この少女は、歴史の悲しい犠牲者。あなたはこの世界にさまよう、悲しい記憶を見る力がある。」
「このランプの灯りでか?」
「そう。そして、それはあなたの宿命なのです。」
宿命だなんて言われて、この妙な力に納得できるわけではない。しかし、俺はキイナのことを放っておくことができなかった。
「それで、今度は誰に何を伝えればいい?」
キイナからは、ユージーンのときのような、伝言らしいものはなかった。
「忘れないであげてください。」
「え?」
「あなたが忘れなければ、そして悲しい記憶を繰り返さなければ、この少女の犠牲は無駄になりません。」
「繰り返さないなんて、どうやって…。」
キイナという一人の少女から、いきなり大きな話になってしまった気がして、俺は戸惑う。
でも、キイナは生きたいと叫びながら死んでしまった。俺はキイナのような子どもを、もう見たくないと思ったのだ。
「話は分かったけどよ、俺はあんたにうさんくささを感じてるぜ。それに、この力にも、自分自身にも。」
「いずれ、全て分かります。」
「あんたが、俺に全てを教えればいいだろう。」
俺は食ってかかるが、手応えがないのは目に見えていた。
「あなたが自分で出会い、知っていくことに意味があるのです。」
「けっ、分かったよ。じゃあ帰るぜ。」
俺はそう悪態をついて、ランプの火を吹き消した。
戻るときはまた、あの感覚がした。深い川の底から、水面へ一気に浮き上がる感覚だ。
「見つけて…。」
ユージーンのときと同じように、鈴のような声が聞こえた。
「私を、見つけて…。」
あんたも俺と同じ力の持ち主で、こんな宿命に生まれたのかい?じゃあ、ユージーンやキイナのような悲しい記憶を見ているんだな。いいさ、見つけてやる。そして、ユージーンやキイナを一緒に思い出そうぜ。
ハッと大きく息を吸って、俺は目を覚ました。
いや、世界に戻った。目の前には、キイナたち三人の骸骨が重なっている。そして、キイナの髪飾りが、かすかに光っているように見えたが、語りかけてくる感覚はない。
俺のすぐ後ろに、四人がしゃがんでいた。振り返ると、心配そうに俺を見ていた。
「ソラ、またユージーン様のように…?」
カイが尋ねてくるが、伝言らしきものはないので、俺は下手くそながら説明した。
骸骨はキイナとその父親、母親。三人は仲の良い家族で、髪飾りはキイナのお気に入りだった。三人はソクアヴェスタが負けて、この小屋に逃げてきた。父親が中心となって、自ら命を絶った。キイナは最後まで泣いていた。
本音を言えば、話すのはとても苦しかった。口に出すと、喉が鈍く痛むような感覚がした。幸せそうな三人の姿を知っているぶん、最期に苦しんだ三人の姿、特にキイナの死に顔が、あまりにも痛々しい。
でも、こうして説明しないと、キイナたちがいなかったことになってしまう。力だとか宿命だとかはどうでもいい、俺はキイナの顔を忘れないために、必死で説明した。
「…俺の説明で、伝わったかい?」
俺は心細く尋ねた。
「ええ、よく伝わったわ、ソラ。」
マキがまっすぐに俺を見つめて頷いた。
「…伝わったんじゃけれども、何というか、ソラを疑うわけじゃないんじゃが…。信じがたい力じゃなぁ。」
「疑ってるじゃないか。」
混乱するカスガに、ユフィが突っ込む。
「でも、僕はユージーン様の館でソラの力を目にしている。そして、女王陛下が唯一作れるアップルパイの話までしたんだ。」
カイがそんな丸秘情報を口にしたところで、ユフィが続く。
「信じる、信じないでいうと、俺は今の時点では判断はできない。しかし、魔道や霊体をはじめ、世界には説明し尽くせない現象はいくらでもある。俺は非常に興味深いな。」
ユフィらしい言葉ですらすら話すと、マキがキイナたちのほうを見て呟いた。
「どんな力で、どんな現象かは分からないけれど、私は信じるわ。そのほうが、キイナたちもきっと救われるもの。」
その言葉にカイが頷いた。そこで俺は、あることを思い出してあっ、と声を上げた。
「なぁ、【神海】ってなんだい?」
俺の突然の質問に四人は驚きつつ、カイが説明してくれた。
「神海というのはね、人々が死後、たどり着く世界のことさ。姫神教でも希望教でも伝わる教えでね、良い生き方をした人がたどり着けるのさ。」
俺はへー、と返事をしつつ、姫神教と希望教に共通点があることが不思議だった。しかし、それよりもやりたいことを思いついた。
「もう一つ、教えてほしいんだけどよ…。」
俺は、祈りの姿勢を教えてもらった。キイナたちへ体を向けて、膝をついて、指を組んだ。そして、目を閉じた。
俺は神なんて信じない。それに、祈ったところで腹は膨れない。
でも、キイナたちに思いを届ける方法なんて他に思いつかなかった。死んでしまった人に、俺は何もできない。
けれど、この祈っている、キイナたちを頭に思い描いている間は、三人が生きている気がした。父親の膝にキイナが座って、母親が微笑む姿を、必死に想像した。
そして、神海なんてところも、俺は特に信じるつもりはない。
でも、もしもあるならば。キイナたちが幸せだったころの、キイナが最期に望んだ普通の生活ができているように、そんなことを思い、初めての祈りを捧げた。




