五話 キャラバンとの合流
砂海が夜の帳に包まれ、焚き火の爆ぜる音だけが響く。治療を終えた正志の前に、ザルカーンが重々しく歩み寄った。
「マサス殿 あんたがいなければ、今頃私たちは砂の下だった。この礼は一生忘れん」
男の硬い謝辞が空気に溶けかけた、その時だ。背後から、夜の静寂を震わせる鈴の音のような声がした。
「お父様、その方が……私を助けてくださったの?」
正志が振り返ると、そこにはアラビアンナイトから抜け出したような装いの少女が立っていた。褐色の肌に夜を溶かしたような黒髪。先ほど正志が死の淵から引き戻した、ザルカーンの娘だ。
まだ16かそこらだろう。その瞳には大人の色香に混じって、守られることを知っている子供のような幼さが色濃く残っている。だが、彼女が正志に向ける眼差しは、ただの命の恩人に対するそれとは違っていた。
「……あ」
砂漠の夜は冷えるが。だが、正志と視線が交差した瞬間、少女の頬は熱を帯び、薄衣の向こうで心臓が速鐘を打つ。凍てつく夜風も、彼女の熱を冷ますには至らない。
「ありがとう、ございます……。あの、ずっと、見ていました。あなたが私に触れて、温かい光が流れてきた……あの時から、私は・・・・・・」
砂にまみれた少女の声は震えていた。幼い胸元をかき抱く指先が白く見え、何かを必死に堪えている。あふれそうな言葉を冷たい夜空へこぼすのを。
その甘い静寂を切り裂いたのは、父親であるザルカーンの声だった。
「おい、まだ挨拶も済んでおらんぞ」
砂漠の商人は娘の危うい心など気づかぬふりか、あるいは確信犯か。商売人らしい冷徹な声で娘の背中を押す。
娘は父の横に並ぶと、震える唇を一度引き締め、まっすぐに正志を見つめた。
「……アイシャ。私の名はアイシャと申しますわ。お父様のキャラバンを救っていただき、感謝の言葉もございません。騎士様」
瞳には星よりも輝く熱い敬慕が宿る。
正志は短く、冷ややかな声音で「マサスだ」とだけ名乗った。
そのハードボイルドな一言に、アイシャの瞳がさらにキラキラと熱を帯びる。憧れの騎士様を見つけた少女のように。
彼女は意を決したように、片目をつぶり、精一杯のウインクをマサスに投げてみせた。砂漠の夜に似つかわしくない、あまりに無防備で、あまりに決定的なアプローチ。
マサスはニヒルな笑みでそれを受け止めた。
三人と一羽が囲む焚き火の爆ぜる音が、夜の静寂に低く響く。正志は揺れる炎を見つめながら、あえて設定通りの「世捨て人」を演じ、重い口を開いた。
「すまないが……少々事情があってな。長年仕えた主から暇を出され、この砂の海を彷徨っていたところだ。この辺りの情勢には疎い。あんな連中が、そこら中にうろついているのか?」
ザルカーンは苦い酒でも飲み込んだような顔で、顔の半分を占める深い影を揺らした。
「ああ。厄介なことにね。この辺りは『砂漠のハゲタカ』、獰猛な『熱砂の群狼』、そして狡猾な『流砂の蛇』。この三つの大勢力が幅を利かせ、その隙間を数えきれない小悪党どもが埋めている。今日あんたが叩きのめしたのは、『ハゲタカ』のゴロツキ共だ」
ザルカーンはこのしゃべり方が素なのだろう砕けたしゃべり方になっていた。
正志は指先で焚き火の灰を弄びながら、核心を突いた。
「護衛はどうした。この無法地帯を丸腰で渡るほど、あんたも命知らずじゃないだろう?」
ザルカーンから漏れたのは、魂が削れるような重いため息だった。
「……親の代から信じてきた『黄金の髑髏』という傭兵団があった。だが、老兵は去り、後継も絶えた。彼らが消えた後、やむなく雇った新しい連中は……いざとなれば背中を見せて逃げ出しやがった。その結果が、このザマさ」
絶望の影が一行を包み込み、重苦しい沈黙が夜を支配する。それを断ち切るように、正志は静かに、だが鋼のような響きで問いかけた。
「このキャラバン、どこへ向かっている?」
「オアシスに築かれた街、ラズ・ミナールだ。だが、この状況では辿り着けるか……」
ザルカーンの言葉が途切れるより早く、正志は腰の武器を確かめ、視線を上げた。
「わかった。……俺も同行しよう。一人で歩くには、この砂海は少し長すぎる」
その刹那、ザルカーンの目から男泣きの涙がこぼれ落ちた。アイシャは感謝のハグと共に、凶暴なラムの香りがするラム酒の瓶を差し出す。正志はサボテン・ラムを一口飲み、喉を灼く感覚を味わいながら、明日も続く熱い砂海の地獄を想った。
たわいない会話が三人で交わされていたその時、正志の横で、愛鳥のゲイルが顔を擦り付けてきた。油断した。あまりに構わなさすぎたか。
アイシャがキラキラした目で、ゲイルを見て問いかける。
「あ、あの……マサス様、その子は?」
正志はギザールの野菜と角砂糖をゲイルの鞍の袋から取り出し、口元へ運ぶ。
「愛鳥のチョコボ、ゲイルだ。……かわいいやつだろ?」
ゲイルが誇らしげに鳴いた。アイシャがウズウズしながら許可を求める。
「なっ、撫でてもいいですか?」
雰囲気を察したゲイルが、一歩前に出た。
「いいってさ」
「まあ……ゲイルちゃん、ありがとう」
アイシャがゲイルの嘴と、筋肉質の胴体を撫でる。ゲイルは少し、くすぐったそうに羽を揺らした。
殺伐とした砂漠の夜に、刹那の安らぎ。正志は再びラムを一口飲み、ゲイルの頭を優しく撫でた。
「……さて、明日も長いぞ」
誰に聞かせるでもない独り言を吐き捨てると、正志は巨体を丸めて眠りについたゲイルの胴体に、背中を預けた。相棒の体温を革のマント越しに感じながら、ザルカーンとアイシャにことわり、警戒しながら眠った。




