それぞれの聖夜(3)
「あれあれ、雪が降ってきましたなあ」
朝山課長は恰幅の良い背広姿に黒いコートを羽織り、JR北海道の本社ビルから外を見ながら言った。
「課長、そろそろご帰宅ですか?」
通信課長補佐の細い久本が言った。
彼もまた背広にコートを羽織り、マフラーを巻いている。久本は大卒の入社六年目だが、既に本社で課長補佐を務めるエリートである。
「うん。孫がクリスマス・プレゼントを待っているからねえ。ほっほ。久本くん、君の奥さんは?」
「ええ。私も嫁さんが待っているので、そろそろ帰ろうかと。あ、長岡課長」
朝山課長と久本が話していると、信号課の長岡課長もグレーの背広に黒いコートを羽織りやって来た。眼鏡を掛け、口髭を生やし、相変わらずのナイスミドルである。
「どうも、朝山課長に久本くん。これからお帰りですか?」
ニコッと笑みを浮かべながら長岡課長が尋ねてきた。
「はい。我々も帰ります。列車遅れなきゃいいんですが」
久本が笑みを返しながら言った。
「ほっほ。この程度で我が社はびくともしませんよ。ねえ長岡課長?」
朝山課長はそんな久本を見て笑った。三人とも笑顔だった。
「はっは。そうですね」
三人はそのままエレベータの前に着いた。
営業部から背広にコートを着た玉本課長が歩いてきた。相変わらず若々しくキリっとしていたが、本人が穏やかな人物であることを、電気部の三人はよく知っている。
「こんばんは、玉本課長」
朝山課長がゆっくりと話し掛ける。
「こんばんは、朝山課長。それに、長岡課長に久本くんも。皆さんお揃いでお帰りですか」
朗らかに微笑み、玉本課長が返事をする。
「ええ。玉本課長もこれから?」
長岡課長がエレベータのボタンを押して聞いた。
「はい。家に孫が遊びに来ているので」
「えっ!!!」
電気部の三人は素っ頓狂な声を出した。
何と、こんな若々しい玉本課長にお孫さんとは……と驚いたのである。
「はっはっは。そう驚かず。私も五十近いもので、一番上の娘も早くに嫁ぎましたからね。まだ小さいですが、じいじなんて呼ばれて悪い気はしませんね」
玉本課長はそんな電気部トリオを見て、声を上げて笑った。
久本は、そうか、朝山課長にお孫さんがいるのは知っていたけれど、玉本課長もお爺さんとはねえ……と胸の中で独りごちた。
「そう言えば、例のアプリなんですが、年明けに試験列車を増便されるって噂は本当ですか?」
エレベータに乗り込むと、玉本課長が電気部の三人に訊いてきた。朝山課長が答える。
「ええ。千歳線を五本にして、函本は四本にします。札沼線は一本のままですが、これで問題ないならそろそろお客様に公開してもよろしいかと」
「そうですね。私も最初は不可能じゃないかと思いましたが、まさかここまで使えるものにしてくるとは、あのシステムワークスの人たちもなかなかやりますね」
長岡課長も頷いた。久本はそんな上司二人を見て、この人たちと言い、システムワークスって会社の人たちと言い、すごい人たちだよなあ……と感心していた。うんうんと頷く玉本課長。エレベータが一階に着く。
四人はそのまま桑園駅に行き、各々、別な方向のホームへと向かう。皆、帰る道は違うが、同じJR北海道の仲間たちだ。そして彼らが、この冬という季節に正面から向き合い、列車を安全に運行させてくれている。
「ではお疲れさまでした。メリークリスマス!」
小樽方面のホームに向かう朝山課長の言葉に、三人とも笑った。
「メリークリスマス、朝山課長」
長岡課長が笑顔で返す。
「メリークリスマス、課長。お疲れさまでした」
「メリークリスマス」
久本と玉本課長も続いた。皆、笑顔だった。それぞれ、家に帰ってクリスマス・イブを楽しむのだろう。久本は妻と、長岡課長も妻と子供と、そして玉本課長と朝山課長はお孫さんと。
皆が皆、幸せな時間を過ごし、そして明日からも安全に列車を運行させなければならない。久本は、「明日からもJRを支えなきゃ」と決意を新たにした。
「雪が降ってきましたね! お帰りはお気を付けて! 毎度ありがとうございます! おや、ヒナ。こんなところで寒かろうに……店には上げられないけど、すぐに餌をあげるからね」
焼き鳥おみちで店主の尾道が客を見送ると、黒と白のぶち模様を持つ野良猫のヒナが蹲っていた。ヒナは「みゃあ」と小さく鳴き、尾道は嫁さんからキャットフードと猫用の缶詰をもらい、ヒナに差し出した。食べ始めるヒナを眺める。
「すっかりしばれてきちゃったねえ。ヒナや。お前さんも風邪引かないようにな」
尾道は旨そうに餌を食べるヒナを見てニッコリと微笑んだ。ふと、高橋親子の顔がまぶたの裏に浮かんだ。ファイターズのシーズンが終わっても、月に一度は彼らも店に顔を出してくれる。ありがたい常連客だ。
(ヒロくん、大きくなったよなあ……本当に将来、プロ野球選手になったりしてね。野球しているらしいし)
尾道は期待していた。自分の焼鳥を食べてヒロくんはデカくなったんです!と将来は自慢して、店にサインでも書いてもらおう……という呆れた野望を持っていた。
「あんた! そろそろ戻って串焼いて! お客さん待たせないで!」
「ああ、悪い悪い。じゃあな、ヒナ。餌の皿はそのままにしとけよ。メリークリスマス!」
尾道は嫁さんに呼ばれて店に引っ込んだ。ヒナは無言で餌を食べ続け、食べ終えると「ご馳走さま、メリークリスマス」とばかりに「みゃあ、みゃあ」と小さく鳴き、その場を立ち去った。
「やあ、雪が降ってきましたか……ホワイトクリスマスですね」
伊藤先生は独り言のように窓に向かって言った。妻がそれを見て「なんかロマンチックですね」と笑みを浮かべた。
「あなたの患者さんで、気になる方がいらっしゃるとか言ってましたけど……」
ケンタッキーで買ったクリスマス用のチキンを食べながら、彼の妻が言った。伊藤先生は頷いた。
「うん。柴原さんっていう女性なんだけどね。なかなか手の掛かるクライアントさんだったけど、ようやく来月から復職させられそうだから、一安心だよ」
「それは良かったですね。あなたが真摯に向き合ったからですね」
妻が微笑み、伊藤先生も笑みを返した。
「はは。まあ、あの人は多分、私に何も言わないが酒でも飲んでいるんでしょうけど、その辺は大目に見てやることにしたよ」
そう言うと、妻は笑った。伊藤夫妻は自宅で静かなクリスマス・イブを過ごしていた。
三人の子供たちは全員内地に渡り、クリスマス・イブだからといって帰省することもない。大晦日に長男と次男がそれぞれ孫を連れて帰ってくると言っていたので、二人はそれを心待ちにしていた。
「あなた」
「うん?」
妻の優しい瞳を見て伊藤先生が返す。
「メリークリスマス」
「メリークリスマス」
二人はキンと、小さくワイングラスを当てた。老夫婦の静かなクリスマス・イブだった。小さなショートケーキに、少しのチキン。そして小さなサラダ。これだけで十分だった。
伊藤先生は柴原の顔を思い浮かべた。あの人は、あの人なりに幸せや、生きる意味みたいなものを見つけたようだから、恐らく復職後も大丈夫だろう。問題は、彼女のことを間近で見ているであろう恋人がいるだろうから、その人が彼女を傷付けたりしないかだな……と、胸の内で心配した。
妻はそれに気付いていたが、敢えて何も口を挟まなかった。この人は優しい人なんだな……と思うのだった。
「社長~、雪降ってきましたし、そろそろ帰りましょうよ~」
酔っ払ったグレーのダウンジャケット姿の若い男性社員が、酔っ払った井上社長に絡みつく。二人とも、もうべろんべろんである。
「はっはっは! いやいや飯島くん! まだまだもう一軒行こう!」
がはは!と笑う井上社長。禿げ頭が寒いのか、背広姿に黒いコートを羽織り、黒い帽子なんかを被っている。相変わらず細い目で豪快に笑い、福耳を揺らす。忘年会ではなく、「ドキッ!独身男たちのメリークリスマス」と銘打ったこの会に、今年は青木が参加しなかったことに対し社長はご不満の様子で、「あいつだって独身のはずなのに、どうして参加しないんだ!」とぷんぷん怒っていたが、高取が「あいつは彼女とメリークリスマスですよ」と耳打ちし、「なあんだ、なるほどね。かっかっか!」と大変ご機嫌に笑っていた。
「じゃあ、次のお店は社長の奢りでお願いしますよ!」
最年少の高木が言う。井上社長は「わはは! うんうん、いいよお」と笑い、男ども六名は付いて行くことになった。
井上社長だってお孫さんや奥さんがいるはずなのだが、「我が社はファミリーだから」と言って、毎年クリスマス・イブに寂しい男性社員を連れて飲みに行くのが定番となっていた。そして、毎年幹事をやらされていた青木が今年は不在だったので、幹事を探すのに社長は苦労した。
それにしても、何とも侘しい会である。社長はともかく、この会に参加している男どもは、北海道システムワークス社内の若い女性社員たちから見向きもされず、黙々とソフトばかり作っているもんだから女っ気が全くなく、このままでは本当に「お一人様」として生涯を終えてしまうのではないかと社長なりに心配し、そろそろ合コンでも開いてやらんとなあ……と考えているのであった。
(そうだ。青木だ。あいつに、その彼女とやらの知り合いでも紹介させて、適当に合コンを開かせよう。そうすりゃ、うちももう少し独身男が減るだろう。わっはっは!)
井上社長は邪悪な計画を企てた。そんなことを青木は知る由もなく、いずれ社長から切り出された時に絶句するであろう。そしてそんな内容を相談すれば柴原から怒られそうなのだが、そんなことは井上社長に一切関係ないので、青木は途方に暮れて高取なんかは「がっはっは!」と大笑いするだろうが、それもまたこの会社の良さである。
「さあ~次の店行くよお。メリークリスマス!」
井上社長の号令が掛かり、「はい! メリークリスマス!」と男たち六名が続いたのだった。
坊主頭に眼鏡の木下社長主催のクリスマスパーティは、家族がいる寡黙な斎藤さんと中肉中背の高橋を除いたおばちゃん事務員の小林さんと、ロン毛でチャラい大下と、存在感のない石川と、バカで未成年の八木の五名で行われていた。
小林さん以外は全員作業服姿で、大下はしこたま酒を呷り、「メリークリスマス! 今年も独身で終わっちゃうぜー!」と叫び、最近額がますます広くなってきた眼鏡の石川は「ああ……僕も嫁さん欲しいなあ……」と嘆き、木下社長は「まあまあ。お二人ともモテますよ。私なんて、会社が大きくならないと家族なんてとてもとても……」と謙遜し、小林さんはすっかり出来上がって「八木くん可愛い~」なんてくっ付いて、八木は心から「帰りてえ」と呟いた。
平成電業は忘年会も兼ねてショボいクリスマスパーティを近所の居酒屋で行っていたが、結局のところ独身の人たちの集いみたいで、小林さんは旦那さんがいて、大きい息子さんも二人いるそうだが、「私も参加したいわ」とか言っちゃって乗り気だったから、「じゃあ男だけも寂しいし。小林さんに来てもらったら華やかになるんじゃない?」と大下が言って五名になった。
それは良いのだが、小林さんは結構酒癖が悪く、男ども四名で一番若い八木に絡みつき離れようとせず、八木は鬱陶しいと思っていたのだが、パーマの髪を揺らしながら「八木くんってば照れちゃってえ」と言う小林さんに「やめてください、おばさん!」とは言えず、「どうも……」と引き気味に受け入れるしかなかった。華やかも何も、完全に迷惑である。
会場は二次会のカラオケに移っており、北島三郎の「まつり」を木下社長が熱唱し、カラオケ会場でもさらに酒を呷りさらに酔った大下が「よっ! 社長! 日本一!」と叫び、石川は日本酒を飲みながらぶつぶつ「もっとこぶしを効かせないと……」とか言い、小林さんは八木に「八木くんは何歌うの? ねえねえ! 私とデュエットしない?」とウザかった。
(ああ! もう帰らせてくれよ! こんなのに参加するくらいなら、俺も早く彼女作って結婚してえ!)
八木は心の中で叫んだ。未成年だから飲めないし、酔っ払いのおっさん三名と酔っ払ったおばちゃん一名に絡まれまくってうんざりしていた。
平成電業株式会社。どうやら令和元年を無事に終え、令和二年も引き続き楽しく業務ができそうである。問題は、仕事が入ってくるかどうか、なんだけど。
「あなた、雪が降ってきましたよ」
「ああ、そうだな。明日は康太の誕生日か」
「ええ、そうね……。あの子がもしも生きていたら、今頃プロ野球選手になっていたわよ、きっと」
「ははは、そうだな。あいつのことだから、東京のジャイアンツよりも地元のファイターズで野球をしたいとか言いそうだな」
「ふふふ。そうね。梨恵は、どうしてるのかしら」
「ううむ……最近、とんと連絡を寄越さんからなあ。便りが無いのは良い便りとも言うが」
「そうだけど……何だか心配なの。あの子、鬱病なんか患ってるし、変な気を起こさないかなって。楽しいクリスマス・イブを過ごしていると良いんだけど……」
「康太の命日に来た時は、すっかり元気そうだったじゃないか。あまり心配し過ぎるな。お前まで心を病んでしまうぞ」
「そうよね……ありがとう、あなた。天国にいる康太も、きっと見守ってくれているわよね」
「ああ。康太は梨恵のことを守っていてくれるさ」
「あなた」
「うん?」
「メリークリスマス」
「メリークリスマス」
「愛してるわ」
「バカ……」




