それぞれの聖夜(1)
高橋は珍しく仕事が入った平成電業での業務を終え、発寒中央駅へと帰ってきたところであった。今日は高橋と斎藤の二人が現場に行っていたのだが、事務所に戻ると他の社員は全員クリスマス・イブのパーティに向かったのか、既にもぬけの殻だったので、二人とも苦笑して鍵を掛け、退社した。
ダウンジャケットを着込み、グレーのブーツを履き、下にはいつものグレーの作業服を着ている。
平成電業は何とか令和元年を乗り切ることができそうで、未だに零細企業には違いなかったが、前よりはほんの少しだけ仕事が入るようになってきている。
それはきっと、木下社長の涙ぐましいセールスもあるだろうし、他にも高橋や大下らが何とか仕事はないか?と様々な会社に売り込んでいるからだろう。
(やれやれ。とりあえず年内は潰れずに済みそうだが、正月休みを終えた後が今度は大変だな。年明け早々に「もう無理です」ってならなきゃいいんだが)
しんしんと雪が降りしきる中、高橋は胸の中で不安を吐露した。
そうである。例え今が少しはマシになったとしても、これからも仕事が入ってくる保障なんてないし、いつ潰れてもおかしくないだろう。石川に至っては「僕、寒いの苦手なんで、ちょっと沖縄にでも行ってきます」とか言って明日から長期休暇に入りやがるし、チャラい大下だってやる気があるとは言えない。未だに遅刻するし。斎藤さんは相変わらず暇だと適当にパチンコに行くし、八木もJRの仕事以外は興味がないのか「へーい」と軽い返事をするだけで、まだまだ半人前だ。小林さんは全く無関心だし、木下社長を俺が支えないと、この会社は潰れてしまうと高橋は改めて気を引き締めた。
さて、ぼちぼち自宅アパートである。彼が背負っているリュックには、愛妻弁当の空箱と一緒に、最愛の息子である大夢へのクリスマス・プレゼントが入っていた。ニンテンドースイッチ用の最新のゲームソフトだ。
「ただいま!」
元気良く高橋が玄関のドアを開ける。
「お帰りなさい」
「お帰り、父ちゃん! サンタさんまだ来ないんだけど、父ちゃん会わなかった?」
妻の綾香とパジャマ姿の大夢が迎えてくれた。大夢はずいぶん大きくなった気がする。
いつか柴原と会った時と比べて、身体も大きくなり、逞しくなった。夏からは野球なんかも始めて、なかなか筋が良いと評判は上々だ。
そういやこの間、柴原が「大夢くんによろしく」とか言っていたな。どう伝えたらいいもんか分からず、そのままになってしまっているが。
「ああ、会ったよ。父ちゃんはサンタさんと友達だからな! サンタさんが、大夢くんは良い子にしてるかな?って聞いてたぞ」
「オレ、良い子にしてたよ! ね、母ちゃん?」
大夢が笑顔で綾香に確認する。高橋も笑顔になった。
「ふふふ。そうね。良い子だったわね」
うんうんと頷きながら綾香が言った。大夢はそわそわしている。
「そうか! したら、どれ、よいしょっと。父ちゃん、サンタさんから大夢へのプレゼントを受け取ってきたから、今渡してやるな」
大夢の顔がパーッと明るくなっていった。「早く早く!」と急かす大夢に「まあ落ち着け」と笑う高橋。ラッピングされたゲームソフトを高橋が差し出す。
「わあ! 新しいゲームだ! ありがとう、父ちゃん!」
大夢は飛び跳ねるようにして喜んだ。高橋はその姿がおかしかった。
「はっはっは。お礼ならサンタさんに言いなさい。父ちゃんが、サンタさんに伝えてやるからな」
高橋サンタは大きく笑った。大夢はなんて可愛いんだろうとしみじみ思った。
「うん! サンタさん、ありがとう! 母ちゃん見て見て! 新しいポケモン!」
「ふふ。良かったわね。さあ、こんな玄関じゃなくて、リビングに行きましょう」
綾香が優しい笑顔で言う。幸せそうな大夢を見て、彼女も幸せに違いない。
「そうだよ父ちゃん! クリスマスのご馳走が並んでるよ!」
「おう、そうかそうか。母ちゃんのご馳走は世界一だからな」
高橋は笑顔で言い、リュックを持って、クリスマスの装飾がされた居間へ向かい、寝間着に着替えた。高橋一家が、「いただきます。メリークリスマス!」と手を合わせて食べ始める。
どれもこれもが美味しかった。高橋は幸せを感じた。クリスマス・イブ。この一年で最も華やかな日とも言える時間を、家族三人で過ごしている。
こんなに幸せなことはないだろう。札幌日本電気工業に在籍していた頃は、こんな暇だって取れなかったかもしれない。俺は間違いなく幸せなんだと高橋は笑顔になり、それを見た妻である綾香も笑顔になり、大夢も満面の笑みでいる。
幸せな時間が流れていた。そしてこれはきっと、ずっとずっと続くだろう。いつか大夢が大きくなり、この家を巣立って行ったとしても、高橋の胸にも、綾香の胸にも、そして大夢の胸にも、今というかけがえのない幸せな時間は、永久に刻まれていくだろう。
柴原はどうしているんだろうかと、ビール片手に高橋は思った。たまに発寒中央駅で見掛ける彼女が、今日はいなかった。恋人とデートだろうか。
そういえば、あの美人の下の名前を知らなかったな……なんて思ったが、幸せそうにシャンパンを飲む綾香を見て、そんなことを考えるのは野暮だった。
(そうだ。今、俺は幸せだ。幸せなクリスマス・イブを過ごせている。それで良いじゃないか。赤の他人のことなんて、どうでもいい。俺は俺の家族を守っていくんだ)
高橋はそう思い、笑顔でチキンを食べる大夢を見ながらエビチリを頬張った。ピリ辛で美味しかった。
「あーもう! なんだってこんなに上手くいかねえんだ! どうなってんだ松岡!」
「知るかよ。お前がナンパ下手なだけだろ」
私服姿の松岡と清水は発寒のイオンモールに来ていた。どうなっているもなにも、紺のジーンズに黒いダウンジャケット姿の清水のショボい声掛け……もといナンパは失敗し続けて、午前から始まった「イブの日ナンパ作戦」は既に三十三連敗を喫していた。
ベージュのチノパンに黒いコートを着ていた松岡は飽き飽きしていた。
冬休みの貴重な一日、それもクリスマス・イブという特別な日に、自分は一体何をしているんだろうと感じていた。
イオンモールに来て買い物をするならまだしも、特別何か買うわけでもなく、せいぜい昼飯を食ったくらいで、それ以外はずっとこいつのつまらんナンパに付き合わされて、しかももう夜である。早く帰って晩飯を食いたかった。
「いい加減諦めろよ。時計見ろよ時計。二十時近いんだぞ。そろそろ帰ろうぜ。俺はもう飽きた」
「まあ待てよ相棒。絶対暇な女の子いるって! その子をゲットしてクリスマスデートしようぜ」
「その呼び方はやめろ。大体クリスマスも何も、イブはもうほとんど終わりじゃねえか。なんでそんなにクリスマスにこだわるんだ?」
松岡が聞くと清水は何か「ふっふっふ」と不気味に笑い始めた。
気持ち悪かったので松岡は少し後ずさりした。
「聞きたいか?」
「あ、ああ……なんだよ、言ってみろよ」
気持ち悪かった。不敵に笑う清水もそうだが、そのふざけた頭もだった。清水の少し伸びた髪は、なぜか金髪だったのが赤くなっていたのである。サンタの帽子でも意識したのだろうか……と、朝に合流した時、松岡は唖然とした。
あの出来損ないの超サイヤ人みたいな頭もふざけているが、赤い髪の毛なんてもっとふざけていて、一周してカッコよくすら感じる。いや、どう見ても芋なんだけど。
「俺は年内に童貞を卒業するためにナンパを続けているんだ!」
どうだ!と言わんばかりに凄まじく下らない内容を、胸を張って堂々と発言する清水を見て松岡は激怒した。
「ふざけんな! お前のそんな下らん目標のために俺の貴重なクリスマス・イブを使いやがって! 手前、飯で済むと思うなよ!」
(何ということだ! こんなつまらない行為のために俺の一日を使いやがって、信じられない神経をしてやがる! 本当に血の通った人間なのかこいつは! 有り得ない! こんなやつには天罰が下るだろう!)
「お、おい待てって相棒!」
あわあわと、帰ろうとする松岡を呼ぶ清水。
「黙れ! お前なんか相棒じゃない!」
そんな清水を松岡は一蹴する。
「あ、可愛い子! すみません、今良いですか?」
けっ!と踵を返して帰ろうとしたが、清水の言う「可愛い子」が少し気になったので見物してから帰ろうと思った。
それにしても、朝からわざわざJRに乗ってまでここに来たのに、清水の下らない目標のために付き合わされていたと思うと無性に腹が立った。
「あら? どこの子?」
大学生っぽい人だった。茶髪のショートヘアに、小さな顔。
ぱっちりとした二重が何となく柴原さんと似ていた。ベージュのコートに、ワインレッドのロングスカートを履いている。
「はい! 俺らは琴工です! 俺は清水博樹って言います! な、松岡?」
「ああ……どうも」
松岡は曖昧に会釈した。女性は「ふーん」と何か考えている様子だった。まさか、清水に気があるとか? まさかまさか。そんな奇跡があってたまるか。
やがて、目が合った。少し照れ臭かった。別にこの人に興味はないが、何かまじまじと見られるとドギマギする。
「松岡くん……だったわね?」
「はい?」
まさか自分が呼ばれると思わず、松岡は驚いた。目の前の女性はニコッと微笑んでいた。柴原さんほどではないが、美人だと思った。
うん、柴原さんより、ちょっと胸も大きい気がする。
「なかなか可愛い顔してるわね、あなた。私、喫茶店でバイトしてる大学生の長澤美穂っていうんだけど、良かったら連絡先でも交換しない? これから帰りだからデートはまた今度で……」
言われるがまま、松岡は半ば強引にスマホを奪われ、長澤さんと連絡先を交換させられた。清水は呆然としてその様子を見ている。
「じゃあね、茂くん。メリークリスマス」
バイバイと手を振り長澤さんは帰って行った。
唖然として見送る二人。少し経って、清水が怒りだした。
「ずりいぞ松岡! お前、何にも努力してないのにあんな可愛い人の連絡先ゲットしやがって! 俺とシェアしろ! つうかお前、茂って名前だったっけ?」
何がずりいのか。お前がダメなのはショボい声掛けとそのふざけた頭のせいだろうと松岡は思った。
おまけに相棒と呼ぶくせに俺の名前を忘れてやがる。
「黙れ。俺だってまさか声掛けられると思わなかったし、連絡先なんて個人情報を勝手に共有できるわけないだろ」
「くっそー! なんでだ! 髪まで染め直したのに、なんで松岡がモテて俺はダメなんだ! 畜生! あー梨恵さんは今頃どうしてるんだろう……幸せなクリスマス・イブを過ごしてるのかなあ」
まあお前よりは絶対に幸せだろうよと、松岡は思った。
そして、思いがけず舞い込んできた良さげな話に対し、どう反応すれば良いのか分からなかったが、とりあえずこの連絡先はキープしておこうと思った。
ううむ、悪い気はしない。あの長澤さんって人が可愛いかどうかは知らんが、清水には勝った。そんな気がした。だからもう、今日がダメな日であっても、こいつが自分のことを「相棒」と呼んでも、そんなことには興味がなかった。ただ、腹は減ったのでそろそろ帰りたかった。
「くそったれー! 俺が声掛けたんだから、そういうのはダメだぞ松岡! そういうのを抜け駆けって言うんだぞ!」
未だに負け惜しみを言っている。女々しい男だと松岡は嘲笑した。そんなに羨ましいのなら自力で女を探すんだな。
「知るか。向こうから声掛けて来たようなもんだろ」
「ダメだ! こうなったら閉店までナンパ続けるから、お前も付き合え!」
信じられないことを口にしやがる。閉店までと言えば二十二時までここにいなければならないではないか。
冗談じゃない。お前はともかく俺は女の子の連絡先もゲットできたし、もうここに用事はない。
「俺は帰るからな」
「ダメだ!」
そう言いながら、清水は手を掴んできて離さなかった。ああもう、ウザってえ。勝手にやってくれよ……と松岡は思った。
清水が再びナンパを始める。松岡はそれを黙って見ていたが、呆気なく三十四連敗目を喫した。
あーあ、もうオーラスでいいよ。どう考えても負け戦だよこんなの……と、ハコテン寸前の哀れな相棒を見守るのであった。




