クリスマス・イブ(3)
相変わらず、大通駅は混雑していた。二人は人混みではぐれないよう手を繋ぎ歩いた。地下鉄大通駅は出口が多く、二人は少し迷子になったが、「どこだろうね?」なんて笑いながら歩いた。楽しかった。この迷子になるという事態ですら楽しかった。
(そうだ。梨恵となら、どんな状況だって笑っていられる気がする)
青木はそう思った。二番出口から外に出た。曇天模様で、既に日の入りが始まっていた。雪深い大通公園が広がっていた。ここは大通公園の五丁目か……と青木は思った。
周囲にはイルミネーションが施されていた。美しいLEDが織りなす輝きを見て柴原は「綺麗……」と呟き、青木も「そうだね」と頷いた。カップルや学生たちが大勢いた。観光客も沢山いるだろう。
大通公園五丁目には、ゴールドに輝くシンボルツリーや、グランドイルミネーションが施されており、ガーデン風のフォトスポットが並んでいた。
二人は大通公園を散策した。五丁目だけではなく、六丁目も見てみるとこちらも見事な装飾がされ、フォレストサークルと銘打たれていた。木々が緑色に輝いている。再び五丁目のトゥインクル・ガーデンを経由して四丁目のジュエリー・パレス。ここも美しかった。柴原はスマホで熱心に撮影している。
「インスタ映えってやつかな」
ははっと青木が笑い、柴原もクスクス笑った。
二人ともインスタグラムとは無縁だが、恐らく世の中の女の子たちは、こういうのを好んで投稿するんだろうなと思った。夕闇に呑み込まれつつある白銀の街を、優しいイルミネーションの光が照らす。雪に反射して美しかった。
特に四丁目のジュエリー・パレスは「女の子が好きそうだね」と青木がこぼすように、ゴールドとブルーグリーンが輝き、いかにもメルヘンな感じが漂っていた。柴原も例に漏れないらしく、「すんごいすんごい綺麗!」と感動して写真を撮っている。
「せっかくだし、二人で撮ってみようか?」
青木の提案に柴原は「えっ」という表情を浮かべた。
自撮り。こういう行為をしたことが、確かに二人にはなかった。だけどすごく綺麗だし、せっかくこんなイベントもやっているわけだから、たまにはそういう行為をしても良いんじゃないかな……と青木はぼんやりと思ったのだ。
「私、やったことないよ。大丈夫かな?」
「大丈夫でしょ。カメラ押すだけだし、撮ってみよ」
カシャっとシャッター音がする柴原のスマホ。どれどれと撮れた写真を見ると二人は大笑いした。
青木の目は閉じ、柴原は向こうを向き、背景のイルミネーションはボケていて、せっかくの「インスタ映え」が台無しである。
「私たちには向いてないね」
あはは!と笑いながら柴原が言い、青木もわはは!と笑いながら頷いた。そうだ。僕らにはどうやら、こういうのは向いていないらしい。
続いて、三丁目。ここはブルーミング・ファウンテンと名付けられ、大きなライラックの花が象られ、その周りにパープルの光が溢れている。ここも美しい。柴原はすっかり虜になっているらしく、カシャカシャと撮影しまくっている。
少し遠くに札幌テレビ塔がはっきり見えた。テレビ塔もすっかりクリスマスカラーに染まり、テレビ塔のある一丁目には大きなツリーがあるようだ。
その前に二丁目に寄ることになり、ここではミュンヘン・クリスマス市の出店が並んでいる。二人はどれどれと見物していた。中央には、ドイツの伝統的なクリスマス・ピラミッドをモチーフにしたオブジェが飾られ、オブジェを中心として可愛いドイツ風の出店があり、ドイツ雑貨や、なぜかロシアの民芸品であるマトリョーシカも売られていて、「ここはどこをイメージしてるんだろうね?」と二人で笑い合った。
可愛いドイツ製の雑貨、綺麗なクリスマス・ツリー、ポーランドから来たという陶器、小樽のガラス細工、クリスマスカード……様々な品物が売られており、どれも愛らしく、綺麗だった。青木も柴原も、買おうと思う物があれば買っても良いな……と思っていた。それくらい、見応えのある物が多かった。
フードブースもあり、ハンバーガーだったり、グラタンだったり、この寒い真冬日にはありがたいものが並んでいたので、二人は「せっかく来たし」と、先ほどサンピアザでお昼を抜いたこともあり、早速ジャーマンポテトグラタンを買った。また、小樽ビールの出店もあったので、ビール党の青木は喜び、「梨恵、飲もうか」と誘うと柴原は嬉しそうに「うん!」と頷いた。
彼女もまた、大の酒好きである。この寒空の下、暖かいグラタンを食べながら美味しいビールを味わう。ううん、幸せだ。
ビール以外の飲み物も沢山あった。ホットアップルワインなんて珍しい飲み物もあり、二人は好奇心で買ってみたが、ワインが苦手な青木でも美味しく飲めた。どうやらドイツのフランクフルト市の名物らしい。
他にも歩き回って飲んでいる内にお腹が空いてきた二人は、ドイツ風牛もも肉ステーキも買い、ソーセージも買い、ドイツビールも堪能した。本場のビールは五臓六腑に染み渡り、寒空だろうが関係なく身体がポカポカとした。何だかビアガーデンにでも来たみたいに、二人はお腹が満たされつつあり、酒も入った。
「智ちゃん、アイスバインだって!」
酔って少し顔を赤らめた柴原が誘ってくる。アイスバインって何だろう?と思いながら柴原に連れられて行くと、どうやら豚肉を煮込んで作るドイツ料理らしかった。
二人はまた食べて、またお酒を飲んだ。物珍しさも相まって、楽しくて仕方なかった。クリスマス・イブに好きな人と美味しい物を食べ、美味しい物を飲む。ああ、なんて幸せなんだろうと青木は思った。去年までの自分なら考えられない過ごし方だ。
勿論、今までの飲食は青木が全額支払っているが、そんなことはどうでも良かった。このかけがえのない時間を楽しみたかった。今日という一日は特別だったのだ。
ひとしきり食べて飲み、すっかりいい気分になった二人は、そのまま二丁目を去り一丁目へ向かった。ここはクリスマス・ツリーが飾られている。赤く輝くハートがモチーフのツリーが会場中央に設置されており、大変に可愛らしかった。ハート型のフォトスポットも設置されており、いわゆる「インスタ映え」だろう。
「へえ、ラブ・ツリーね」
青木は感心して言った。美しく赤く輝くツリーはラブ・ツリーと名付けられ、二人の愛を約束し合う場所らしい。何となく二人は照れ笑いを浮かべ合った。
自分たちには、こういうのは向いていないと分かっていながら、手を繋いで歩いた。柴原の手は暖かかった。
時刻は十八時半近くとなっていて、すっかり満喫していたらしい。お腹も一杯だし、会場も大体見尽くしただろう。時間もいい具合だし、ぼちぼちお暇しても良さそうだ。
「梨恵、そろそろ行くか? 寒くなってきたし」
曇天模様の空からは、雪が降りそうだった。夜空に浮かぶ黒い雲がすぐ目の前まで迫ってきているようだった。
元々真冬日なのもあるが、夜になりさらに冷え込みが増している。
「そうね。そろそろ行こっか。地下で行くの?」
「ああ。とりあえず札幌駅まで行こう」
二人は入口から地下に潜ると、さっぽろ地下街を経て地下歩行空間に入った。人混みの中を歩く。札幌は高いビルといえばテレビ塔やJRタワーくらいしかないが、それは面積が広いからビルを高くする必要がなく、冬場は雪や氷が厳しくなるので地下街が発展しているためでもある。二百万人弱の人口を持つ大都市であるが、札幌という街は、程よく垢抜け過ぎていないのである。
トイレで用を足し、二人は少し酔った足取りで地下歩行空間を散策しながら札幌駅を目指した。「もうちょっと飲んでも良かったかもね」と柴原が言い、青木は笑った。この子はペンギンとお酒があれば、満足できるだろうと思った。
札幌駅の地下に着く。エスカレータで地上に行くと、札幌駅は人でごった返していた。相変わらず駅構内は混雑している。あちらこちらへ観光客と思しき人々が歩き、地元民と思われる人々も、ステラプレイスだったり、大丸の方だったりと、すたすたと歩いて行く。
そしてこの札幌駅を走る列車を、自分が作ったアプリが監視するかもしれない。酔ったのもあるが、そう思うと青木は嬉しい気分になった。そんなチャンスを自分に与えてくれたJR北海道に対し、感謝の念を抱いた。
札幌駅南口にもイルミネーションがあったので、二人は少し外に出て見物した。ここもまた綺麗で、デザインツリーは青白く輝き、木々にも光の装飾が施されており、道行く人は自撮りを行っていて、二人は顔を見合わせてまた笑った。
「もう一度、やってみる?」
「ふふふ。いいよ」
カシャっともう一度撮ってみる。今度は二人とも良い顔をしていたが、やはり背景がピンボケで柴原も大笑いした。やっぱり僕たちには向いていないみたいだなあ……と青木も笑った。
十九時半近くになっていた。「発寒中央に戻るか」と青木が提案すると、柴原も頷いた。もうここに長居しても、これ以上食べられないし、どっちかの家でささやかなクリスマスパーティなんかも良いかも……と柴原は思っていた。
十九時三十五分発の普通列車に乗り込む。列車は札幌駅を発車すると桑園、琴似と来て、相変わらず殺風景な街並みに変わって行った。
「やっぱり札幌って、なんもないねえ」
笑いながら柴原が言い、青木も笑いながら頷いた。帰りの列車は混雑していた。皆、恐らく大通公園や札幌駅付近で楽しんだ帰りだったり、仕事帰りだったりするんだろう。垢抜けないこの街の、静かな街にまもなく到着する。
十九時四十三分。定刻通りに発寒中央駅に着く。車窓から眺めていた街には、雪がちらつき始めていた。静か過ぎるこの街に、音を吸収する雪が降っているのだ。
青木はキタカ定期券で、柴原は切符で改札を抜け、青木は無言で南口へ向かった。柴原もそれに付いてくる。
覚悟を決めていた。もう酔いは覚めていた。ここが勝負どころだと思った。自分の人生を懸けた大勝負だ。
「智ちゃんの家に行くの?」
南口の階段を降りながら、不思議そうに柴原が聞いてくる。
「いや……」
そう言うと、外に出た。雪の降りがだんだん強くなっているようだ。降りしきる雪が列車と踏切の音を掻き消す。青木は迷わずぎんなん通りをまっすぐ南に進むと、いつもの片隅のバーに入った。
頼む。誰もいないでくれと願った。列車の中でも祈り続けていた。
「いらっしゃいませ。おや……?」
マスターがにこやかに迎えてくれる。良かった。誰もいない。
店内はクリスマス・イブなのに全然そんな感じがない。小さな白いクリスマス・ツリーが、カウンターの隅っこに飾られているだけだ。
それがまた、ここらしい感じがした。曇る眼鏡をハンカチで拭く。店内の暖かい空気が、雪で冷えた身体を慰めてくれる。
「智ちゃん、なしたの? 今日は金曜じゃないよね?」
もっともなことを柴原は聞いてきた。だが、曜日なんて関係なかった。
「まあまあ。いつもの席に座ろうよ」
促す青木に、とりあえず……とコートを脱いで、いつもの一番奥の席に座る柴原。コートの下は緑のセーターを着ていた。そしてその隣に、ダウンジャケットを脱ぎ、青木も座った。
「マスター。二人とも、いつものお願いします」
「かしこまりました」
ラズール・モヒートと、柴原の何かは知らないが赤い酒を頼んだ。ここしかないと青木は思っていた。ここ以外は考えられなかった。以前、佐藤と琴似で密談を交わした時に、自分も区切りをつけるのならば、今日、ここしかないと思ったのだ。
柴原はどこか不安げにしている。無理もない。いつもは金曜日にしか来ないここに、今日はなぜか連れてこられている。マスターだってきっと不思議に思っただろう。
青木はカウンター席に座りながら柴原の方に身体を向け、「こっちを向いて」と言った。静かに柴原は、身体ごとこちらを向き、青木と真正面に向かい合った。
「梨恵。とても大切な話があるんだ」
無言でマスターは酒を置いてくれた。何かを察してくれたのだろう。
そして静かに、佇むようにひっそりとしている。青木はマスターに感謝した。彼がいなければ、ここまで辿り着けなかった。始まりの場所であり、終着駅であるここに。
「なあに、智ちゃん?」
きょとんとした表情で柴原は聞いてくる。可愛い顔だと思った。
本当に、可愛くて可愛くて仕方なかった。酒が入り、酔っているせいではない。自分の本心から可愛くて美人だと思っていた。ぱっちりとした二重まぶた。小さな顔。綺麗な亜麻色の髪。こんな美人がいて良いんだろうかとすら思えた。
おもむろに、青木が彼の肩掛け鞄を漁る。白い小さな箱が出てくる。
そっと自分の左手の上に乗せると、柴原の前に差し出し、右手で蓋を開けた。
美しく銀色に輝くリングが入っていた。ダイヤモンドの装飾がされている。ダイヤモンドは、雪の結晶のような形をしていた。クリスマス・イブをイメージして、青木が特注で作った物だ。「2019.12.24」と、リングの裏に刻まれている。冬のボーナスが吹っ飛んだが、そんな金に未練はなかった。この日のこの瞬間のために、ずっと準備してきたのだから。
「あ、あの……! ぼ、ぼ……僕と、結婚してくれませんか? 一緒に、い、生きてくれませんか?」
思ったよりも声が大きくなり、柴原は不思議そうにこちらを見ている。思えば初めて言葉を交わした瞬間も、こうだった気がする。
(何てことだ……ここに来て、大失敗だ。初めて梨恵に話し掛けた時と同じく、思いがけず大きな声になってしまった。マスターが静かにこちらを窺っているのが伝わる。どもってしまったし、恥ずかしい)
青木がそう思っていると、柴原は無言で青木の顔を見、リングを見、マスターを見、少し困ったような顔を浮かべたかと思うと、破顔した。
ぽかんと見つめる青木をよそに、柴原は「あっはっはっは!」と大笑いしだした。
(どうしたんだろう……僕のプロポーズは、大失敗だったんだろうか……)
大声で笑い続ける彼女を見て、青木は呆然としていた。静か過ぎる街の静か過ぎる店内に、ハープの音色が響き渡っていた。




