クリスマス・イブ(2)
「智ちゃん! ペンギン! ペンギン! めんこーい!」
大はしゃぎしてペンギンを見る柴原に青木はニコニコと笑みを浮かべた。何だか保護者にでもなった気でいた。
そうだ。柴原梨恵というペンギンが大好きな女の子の面倒を見ている。そんな気がした。デートと言うよりも、まるで親戚の子供を連れてきた気になっている。
「わー……なんて名前なのかなあこの子。めんこいなあ……」
「そうだね、可愛いね。でも、動かないねえ」
青木は笑いながら言った。そうなのだ。ペンギンは基本的に動いてくれず、じっとそこに佇んでいる。だが、柴原は動こうが動くまいがどうでも良いらしく、そこにペンギンたちがいるという事実だけで満足しているらしい。
運の良いことに、ちょうどペンギンへ餌をやりに一人の飼育員がやって来た。
柴原はもう目をキラキラとさせて、他の子供たちに混じってペンギンたちが魚を食べる姿をじっと観察し、「めんこーい!」とか「美味しい?」とか、ガラス越しに話し掛けていた。
そんな彼女を見てか、恐らく彼女よりも若いであろう女性の飼育員は笑みを浮かべながら、柴原のいる方へペンギンを誘導してくれて、柴原はキャッキャと喜び、飼育員も「良かったですね」と言う表情で柴原と、後ろで見守る青木を見た。
青木も連れてきて良かったと思った。他の魚たちやアザラシやカワウソを見ても彼女は喜んでくれたが、ペンギンを見守るだけでもう十分に堪能しているようだった。
(僕はペンギンにそんなに興味ないけど、これを言ったら梨恵は怒るだろうから黙っていよう……)
青木はそう思った。こんなにペンギンペンギンとはしゃぐ子に、「僕はそんなに興味ないよ」なんて言ったら「なによ、智ちゃん!」と文句を言うだろう。それはそれで可愛いだろうが、せっかくご機嫌な彼女を興ざめさせる必要はない。
どれくらいペンギンの前にいるんだろうか。他のお客さんはみんな動いているのに、柴原はじっとペンギンたちを眺めて動かない。
ご飯が終わったペンギンたちは再びじっと佇んだり、よちよち歩いて奥に行ってしまったり、各々自由に過ごしていた。柴原はそんなペンギンたちの動きにいちいち感動しているらしく、「ペンギン歩きだあ」とか、「泳いでる! めんこい!」とか、一人で感想を漏らしていた。
隣で青木は「そうだね」と相槌を打っていたが、多分相槌なんか打たなくてもこの子はペンギンを見ているだけで満足するんだろうなと感じ、ちょっとだけペンギンに嫉妬したのだった。
自分がいるだけで、果たしてこの子は満足してくれるだろうか?という疑問が生じたからである。柴原はペンギンを見るだけでこんなにも満足して、ペンギンだけを数十分も平気で眺め続けて、彼らの動作の一つ一つに感心し、「めんこい」だとか「すごい」だとか言っているが、自分を見ても、それだけじゃ「智ちゃんカッコいいね」なんて言わないし、「智ちゃんすごいね」とも言ってくれない。
何かしら彼女を感心させることができれば「智ちゃんありがとう!」とか言ってくれるけど、ペンギンほど彼女を感動させることはできないんじゃないかと、青木は思った。ううむ……とペンギンを見て考える人のような仕草を見せたが、柴原は全然気付いちゃいないし、ペンギンに夢中になっている。
「智ちゃん」
ペンギンから視線を逸らさず柴原が口を開いた。
「なんだい?」
「ペンギンって、なしてこんなにめんこいんだろう?」
不思議なことを聞いてきた。なんて答えろと言うのだろうか。
「ううん……なんでだろうねえ」
苦笑いを浮かべるしかなかった。なぜこんなに可愛いかと聞かれても、ペンギンたちを見て可愛いと思うのは柴原のセンスというか感性だろうし、この子を長崎ペンギン水族館に連れて行ったら大はしゃぎなんてもんじゃないだろうな……と青木は思った。
彼は以前、縁があって長崎ペンギン水族館を訪れたことがあったのだが、名前通り館内のほとんどがペンギン一色で、恐らく柴原をそこへ連れて行ったら一日中ペンギンたちを眺めているだろう。閉館時間まで居座るかもしれない。
デジカメのSDカードが一杯になるまで写真を撮り続けるのを想像すると、青木はぷっと笑いそうになった。
「なあ梨恵」
「なあに?」
ペンギンから視線を逸らさず柴原は返してきた。青木はそんな彼女を見て笑みを浮かべる。
本当にペンギンに熱心である。無趣味だからと執筆を始めたらしいが、この子の趣味は小説を書くことではなくてペンギン観察なんじゃないか?とすら思えた。
「長崎ペンギン水族館って知ってるか?」
「ながさき……ペンギン!? ペンギンの水族館なんてあるの?」
ペンギンから青木に視線を変え、柴原は聞いてきた。
目がキラキラとしている。こんなに嬉しそうな彼女は見たことがないかもしれない。
「あ、ああ……僕は何年か前に行ったことがあるんだけど、ペンギンが沢山いる水族館が長崎にあるんだよ」
「わあ! 長崎に! ちゃんぽんとかハウステンボスとかしか知らなかったけど、長崎にはそんなところがあるんだ! 行ってみたい!」
(そうだね。新婚旅行はそこにしようか)
青木は笑いながらそう思った。柴原はまたペンギンたちに視線を戻していたが、ペンギンというワードは彼女を元気にさせるらしいことはよく分かったのだった。
もう一時間近くいるんじゃないか……と思い始めた頃に、柴原はようやく「はーめんこかった……また来たい。行こ、智ちゃん」と動き始めた。一体何分に渡って、この子はペンギンを見ていたんだろうと思った。
その後二人は売店へ行った。お土産が並んでいる。イルカだったりクジラだったりペンギンだったり、可愛らしいぬいぐるみやグッズが並んでいた。
柴原は一つ一つを丁寧に眺めていた。恐らく何かを買いたいのだろう。ここで財布を出すのはちょっと無粋な気もしたので、彼女が何かを買うのなら黙って見ているかな……と思うことにした。青木としては、特別欲しい物はなかった。
ペンギンの絵が描かれた定規。ペンギンのフィギュア。ペンギンが付いているボールペン……柴原はペンギンの物ばかり見ている。彼女はどうしてこんなにペンギンが好きなんだろうか。それも、不思議とデフォルメされたペンギンよりも、リアルなペンギンを好んでいる様子である。シュールな感じがして、青木は彼女に悟られないようにクスッと笑った。
結局柴原はじっくりと店内を見渡したものの何も買わず、「行こ、智ちゃん」と言ってきた。
なんだそりゃ、と思ったが悩んで悩んで結局買わないのはいつもの光景だし、目ぼしい物と言うか、欲しそうな物は沢山あったと思うが、「これだ!」と思える出会いはなかったのだろう。青木はイルカのデザインがされた定規なんかを片手にしていたが、売り場に戻して彼女の言葉に従い、退館する運びとなった。
サンピアザ水族館は広くないはずなのに、かなり長く居座ってしまったらしい。時計を見ると十三時近かった。お昼ご飯だってまだだ。サンピアザの中を眺めながら考えようとの案に、柴原は同意した。冬休み中のクリスマス・イブとはいえ、一応平日である。そこまで店内もごった返していなかった。
「ここ、イオンになったんだね。昔はダイエーだったのに」
柴原が食品売り場を眺めて言う。そう言われてみると、確かにここは昔ダイエーだった気がするが、いつの間にかイオンになっている。そうか、時代の流れと言うか、サンピアザもどんどん変わっているんだな……と思わされた。
他にもカテプリだったり、デュオだったりと懐かしい名前はフロアマップにあったが、古い記憶が確かならばここは違う店だったはずだとか、二人でクスクス笑いながら言い合った。
サンピアザの中央に位置する光の広場には、大きなクリスマス・ツリーが飾られていて綺麗だった。多くの人々が足を止め、スマホで撮影している。柴原も同じように撮影していて、青木はその姿を見守った。
子供の遊び場も昔と遊具は変わったが、懐かしい雰囲気を味わえた。
柴原は「昔ね、ここの近くに私のお婆ちゃんが住んでいたから、冬休みとか遊びに連れてってもらったの!」と笑顔で話していた。そうか。柴原にとってサンピアザは思い出深い場所だったのかと青木は嬉しく思ったが、自分にとってここは本当に遠く、たまに遊びに来る程度の場所に過ぎなかったことも知った。
だが今日、柴原と二人で訪れることにより、店内もすっかり様変わりしているが、新しい思い出を作ることができた。「柴原と訪れた場所」という思い出を持ったのだ。だからもう、サンピアザは遠い場所ではない。
二人は昼時を迎えて空腹を感じたが、青木が「この後、食べる機会が沢山あるから、まとまった昼食はここでは摂らないでおこう」と提案し、柴原も頷いた。
青木がどこへ行くつもりなのかは知らないが、食べたり飲んだりできるのなら焦る必要もないと判断したのと、彼が選ぶクリスマス・イブのデートコースに興味があったのだ。最初に水族館、次にサンピアザで、その次はどこへ連れて行ってくれるのか。柴原は静かに胸を躍らせた。
青木は青木で、自信満々とまではいかずとも、今日に懸ける思いは強かったので、自分の選んだ道に自信を持つことに決めたのだ。
その後、せっかく来たんだしとサンピアザの店内を歩いた。様々なファッションショップや雑貨屋、書店、眼鏡屋、喫茶店……入っている店は変わっても、雰囲気は昔のまま、サンピアザは二人を暖かく迎えてくれた。一休みしたスターバックスでコーヒーと軽いお菓子を食べた。
青木は遠い記憶を辿り、柴原は祖母の家に泊まりに行っていた頃の記憶を辿り、二人とも懐かしみ、新しい物に触れ、楽しんだ。古くて新しいサンピアザが二人を歓迎してくれている気がした。
気が付けば十五時を回っていた。水族館を満喫し、お店を散策して楽しみ、相当堪能した気がする。青木は柴原に「そろそろサンピアザを出ようか?」と提案した。
「うん、いいよ。どこか行くの?」
柴原が興味深そうに聞く。
「ああ。大通にでも行かないか?」
「大通? いいけど、なんかあったっけ?」
柴原は不思議そうにした。
確かに大通になんて滅多に行かないし、二人で行った記憶もなかった。
「ほら、クリスマス市やってるじゃん」
青木がそう言うと、柴原の目がまた輝いた。そうなのだ。札幌の中心部である大通公園では、この時期になると毎年、ミュンヘン・クリスマス市が開催されている。
これは、札幌市とドイツのミュンヘン市が姉妹都市協定を結んでいるから実施できているらしく、独り身だった青木は興味もなかったし混んでいるだろうから……と毎年敬遠していたのだが、今年は柴原も一緒だし、せっかくクリスマス・イブにそんな良いイベントが開催されているのならば、そちらに足を運んでも良いだろうと考えていた。
サンピアザには札幌市営地下鉄・東西線の新さっぽろ駅が直結されており、東西線に乗れば大通公園まで行ける。サピカを二人とも持っていなかったので、また券売機と格闘することになった。
青木はどうも券売機という機械が苦手らしく、柴原はすぐに大通までの切符を買っていたのに、青木は少し掛かり、その姿が可笑しいのか、彼女は美しく微笑んでいた。
東西線の列車に乗り込む二人。席が空いていたので、隣同士座ることができた。
「地下鉄に乗るのって、すっごく久しぶりな気がするわ」
柴原の言葉に青木も頷いた。
JRは毎日のように使っているが、地下鉄はあまり使わない。発寒南の駅も宮の沢の駅も少し自宅からは遠いし、地下鉄で行けるところに用事があるとすれば札幌ドームだったり、それこそ今から向かう大通公園だったりで、他は基本的にJRを使えば辿り着ける。
それは柴原も同じで、彼女の行動範囲なんてたかが知れているし、ぎんなん通りをうろうろするか、西野に行くか、発寒中央駅から街に繰り出すか、いずれにしても地下鉄に乗るなんて機会は年単位で存在しなかった気がした。
地下鉄が発車する。札幌の地下鉄は独特である。ゴムタイヤで走行するため揺れが少なく、音や匂いも普通の列車とはかなり異なる。JRがガタンゴトンと音を鳴らすのならば、地下鉄はシャーっと不思議な音を立てて走る。
また、中間駅で列車を待っている時は、「チュン、チュン」とスズメの鳴き声のような音がする。これは札幌市営地下鉄の構造上、電気を逃がすために装置が鳴っている音なのだが、そのスズメの鳴き声を聞いた客は「そろそろ列車が来るな」と分かるのである。
「思えばこの地下鉄も新しくなって久しいね」
「そうね。昔の緑の列車も好きだったけど、今の列車は綺麗になったわね」
二人は頷き合った。昔走っていた列車は今とはデザインが異なり、自動放送もなく、車掌がアナウンスしていた記憶が青木にはあったが、今はすべて自動放送に変わり、列車在線位置もLED表示灯で分かるようになった。便利になったものである。
「私ね、地下鉄が好きだったの」
発車し始めた列車に揺られながら柴原が言った。
「どうして地下鉄が? 何も見えないじゃん」
青木が返す。一部区間を除いて、札幌の地下鉄は基本的に地下しか走らないので、景色を楽しんだりはできない。
「うん。そうなんだけど、地下鉄の音だとか、匂いだとか……。私、お婆ちゃんのお家がひばりが丘の近くだったから、いつも発寒南からひばりが丘まで、この東西線に乗って行くのがとっても楽しみだったの。子供の頃は、発寒南からひばりが丘ってすごく遠くに感じたけど、今思えば全然近い距離よね」
えへへ……と、柴原は笑った。だが、青木はそんな柴原が愛おしかったのもあるが、確かにひばりが丘に祖母の家があったのなら、西野に住んでいたと話す柴原にとって、この東西線は思い出深いのだろうなとも感じた。
二人を乗せた宮の沢行きは、ひばりが丘、大谷地、南郷18丁目、南郷13丁目、南郷7丁目、白石、東札幌、菊水、バスセンター前と経て、大通に到着した。
駅に停車する度に多くの人々が行き交い、白石の名を聞いた青木は、ぼんやりと「会社はどうなっているかな……」なんて思った。




