クリスマス・イブ(1)
十二月二十四日。クリスマス・イブ。今日は特別な日になると、青木は思った。先日の風邪はすっかり治っている。
有休を取り、朝は七時に起床し、シャワーを浴びた。髭を剃って髪をセットし、気合を入れる。眼鏡もしっかり洗った。
外はすっかり雪が積もっている。この時期なら根雪だろう。ある程度溶けたとしても、ミラーバーンや圧雪アイスバーンになるだけで、アスファルトまではほとんど見えない。
そんな本格的な冬を迎えた札幌の、発寒中央駅から南へ徒歩五分ほどに位置する彼のアパートで、青木は外を見やった。
(すっかり雪だな……まあ、クリスマス・イブにはちょうど良いか)
今日、有休を取るのは若干気が引けた。JRの列車追跡アプリが順調に動作を続けているのもあるが、店を作るゲームの制作がかなり進んできていて、そろそろ配信予定日とかも決めて良いかもね?というくらいには出来上がっていたからだ。
高取は、「クリスマス・イブに有休を取らせてください」と言う青木を見て「良いねえ、良いねえ」とニヤニヤとシュークリームを食べながら笑い、昨日の高取はゲーム制作そっちのけで「どういうデートすんの?」とか聞いてきて非常に鬱陶しかったのだが、まさか本人に「うるさいですね」とは言えないので、「ベタな感じに行きますよ」と茶を濁すのであった。
柴原とは十時に発寒中央駅で待ち合わせしていた。まだ時間に余裕があったので、今日の服装について改めて考えることとした。
元よりファッションに対して疎い青木は、いつも着ているレノマのフード付きの黒いダウンジャケットは確定としても、他に何を着ればいいのやら……とスウェット姿で悩んだ。
結局、「無難なところで」と決めて、グレーのスキニーパンツに、白いシャツ、その上に紺色のカーディガンを着て、レノマのダウンジャケットを着込み、茶色の肩掛け鞄を下げることにした。いつもの格好とあまり変わらない気がしたが、このダウンジャケットは愛用していたし、好んで着ていたものだったから、今日という特別な日にも、精一杯のオシャレをして、「相棒」に頑張ってもらおうと思った。
ブラウンのブーツを履く。思えばこれも、結構長く履いている気がする。
青木は苦笑した。自分はあまり物を買いたがらない人間だと自覚しているが、三十を過ぎているんだから、相応の格好とか、そういう物事に対してもう少し投資すべきだろう。
柴原だって、本人は「ファッションってよく分かんないんだよね」とか言っているが、きっと彼女なりにオシャレというものと向き合っているはずである。
雪道を歩く青木。気が付けば札幌も、すっかり雪化粧をしてしまったものだ。真冬日を観測することも決して珍しくない季節である。今日も曇天模様だし、天気予報では真冬日になり、夜には雪が降ると言っていた。
(手袋でも履いてくればよかった……)
ダウンジャケットのポケットに手を突っ込んで、青木は思った。そんなに外にいる時間が長くなるプランではないにせよ、歩き回るなら手袋をはめるくらいはしないと、冬の札幌で活動するのはしんどいだろう。
発寒中央駅に着いた。左腕に着けた愛用のSEIKOの腕時計を見ると、まだ九時四十分だった。早く着いてしまったなあと思い、パン屋さんの前のベンチに座る。良い匂いがする。今日も美味しそうなパンを焼いているのだろう。
(思えば、梨恵はいつもここで僕を待っていてくれてるんだよな)
青木は感謝した。柴原はいつだって、朝早くに弁当を作り、このベンチに座って待ち、自分が白石から帰ってくる時だって、いつも先にここで待っていてくれる。
駅舎内はストーブが焚かれているので、それほど寒さを感じないが、夕刻以降の風が冷たくなる時間帯になれば、それなりに室温も下がってくるだろう。
そんな場所で、柴原はいつも朝早くに待ち、「おはよう、智ちゃん」と笑顔を見せ、弁当を渡し、見送ってくれる。そして帰りだって、遅くなる日もあるのに、「お帰りなさい、智ちゃん」と笑顔を見せ、弁当箱を受け取ってくれる。
彼女は既に、主婦みたいな存在になっているのではないかと青木は思った。
まだお互い住んでいる家も違う。だが、先日お邪魔した時は「散らかっててごめんね」とか言いながらも、六月に訪れた時みたいに綺麗な部屋になっていたし、婚姻届けだって書いてもいないが、既に仮の夫婦みたいな関係になっているんじゃないかと、青木は思っていたのだ。
そんなことを考えていると、柴原が北口からやって来た。亜麻色のロングヘアを靡かせ、「遅れてごめん」と笑顔を見せている。可愛かった。
柴原は、フードの付いたダークグレーのロングダウンコートに、ベージュのチノパンを履き、黒いブーツを履いていた。彼女の誕生日に贈った深い青の肩掛け鞄を下げていて、手袋ははめていなかった。青木は嬉しく思った。自分が贈った鞄を大切に使ってくれているのだと。
来月中旬からの復職が決まったこともあってか、表情はどこか晴れ晴れしい。彼女も、知り合った頃と比べるとすっかり元気になってくれたようだ。笑顔を見せてくれる回数も増えて、いつも明るく輝いているように感じる。
「おはよう、智ちゃん。遅くなってごめんね!」
「なんもだよ。僕の方が早く着いちゃったから。ほら、まだ五十五分じゃん。気にしないで」
青木が言うと、「えへへ」と笑い、柴原は右手で髪を触った。今日のデートは札幌駅周辺ではなく、さらに遠い新札幌駅まで向かうつもりだったので、青木も柴原と同じく券売機で切符を買った。
「智ちゃんが切符買うの、なんか新鮮ね」
笑顔を見せて柴原が言う。確かに、キタカ定期券を持っている自分にとって、白石より奥に行くこともなければ、発寒中央より先に行くこともない。
慣れない手付きで券売機と格闘する青木を見て、柴原は上品に微笑んだ。彼女は既に、新札幌までの切符を手にしている。
やれやれと、新札幌までのお金を入れて切符を買う。途中、どうやら札幌駅で、快速エアポートに乗り換えるのが良いらしい。二人が切符を買う様子を見ていた親切な駅員が、優しく言ってくれた。
千歳行きの普通列車に乗り込む。青木はふと、自分が作っている列車追跡アプリを思い出した。この十時三分に発寒中央駅を発車する普通列車に、発信機は搭載していないはずだが、同じような列車に、それこそ乗り換える快速エアポートにだって、自分の作ったシステムの一部がもしかしたら搭載されるかもしれないと思うと、何だか誇らしい気持ちになった。自分がこのJR北海道という大きな会社に対し、何らかの形で貢献できているのではないかと思ったのだ。
雪の積もる線路を普通列車は駆け抜ける。首都圏は僅かな雪でも交通マヒが起こるが、JR北海道はこの程度の雪ではびくともしない。北海道を代表する鉄道会社として、畏敬の念を感じた。
普通列車は定刻通り、十時十二分に札幌駅の八番線に到着した。「六番線に乗り換え列車があります」と発寒中央駅の駅員から聞いていたので、二人はそのまま六番線で待機していた快速エアポートに乗り込んだ。車内は混み合っている。旅行客も多いと見えて、少し早い休暇を取って海外にでも行くのだろうか。巨大なスーツケースを持った家族連れや、出張帰りであろうサラリーマンらしき人もいた。満席のようだったし、次の駅で降りるので、二人はデッキに立つことにした。
「すんごく混んでるねー。それにしても、智ちゃん。今日は新札幌まで行こうなんて、珍しいね」
柴原が混み合う客席を見ながら言う。相変わらずハープのように美しい音色だった。
「うん。たまには、札幌駅周辺ばっかりじゃなくて、向こうの方……サンピアザ水族館にでも行こうかなって思って。梨恵、ペンギンが好きだろ? あそこにはペンギンもいたはずだから」
「わーペンギン! ありがとう智ちゃん。私もサンピアザ水族館なんて何年も行ってないから、楽しみだな。クリスマス・イブに水族館でデートなんて、なんかロマンチックね」
ロマンチックかどうかは青木には分からなかったが、悪くないチョイスだと自分でも思っていた。
リニューアルした青少年科学館のプラネタリウムも観たかったものの、残念なことに休館日だったので、これは諦めざるを得なかった。
ただ、サンピアザにある水族館はかなり昔に行ったきりで、青木もどんな場所だったかぼんやりとしか記憶になく、たまには水族館でデートするのも良いかなと思い、先日スマホのメッセージで新札幌方面へのデートを提案すると、柴原はとても喜んだ様子だった。青木も彼女の喜んでいる感情が伝わって嬉しかった。
「智ちゃん。今日はクリスマス・イブだけど、平日よね。わざわざ休み取ってくれたの?」
新千歳空港行きの快速エアポートは定刻通り十時二十分に発車した。ビュンビュンと過ぎ行く街を眺めながら、柴原が問い掛けてきた。
「うん。明日にたまたま代休振らさってたし、連休にしちゃえ!と思ってね」
青木はニコッと笑った。高取とコンビを組んだ店を作るアプリ開発が順調に進み、このまま年内にある程度形に!と思い土曜日が仕事になったのだが、思いがけず捗ったので土曜日の出番はほとんど意味がなくなり、「じゃあ週の真ん中の水曜日だし、クリスマスだし、二十五日にでも休みを振るか」と適当に高取が決めてしまったので、「それなら僕は、二十四日に休みを欲しいんですけど」と言ったところ、「ふうん、なら連休にしちゃえよ。お前、どうせ有休消化しきれてないんだろ? 俺みたいに適当にサボる癖を付けるためにも、休めよ。彼女とラブラブデートをするんだろ?」と、ポッキーを食べながらニヤニヤしていた。
青木は照れ臭かったが、まあ高取さんがそう言ってくれるなら……とお言葉に甘えることにしたのだった。高取はにんまりと笑い、「良いねえ、青春だねえ」とおっさん臭いことを言っていた。
「そうなんだ。わ、見て見て、百年記念塔!」
柴原の指差す方向に、黒い大きな塔が見えた。曇る窓ガラス越しにもはっきりと分かる。
北海道百年記念塔は野幌森林公園にある、札幌市厚別区のシンボルとも言える建物で、黒い二本の柱のような塔が天高く伸び、少しだけ片側が高い、不思議な形をしている。高さはちょうど百メートルだ。
あれが見えるということは、もうすぐ新札幌である。快速列車のスピードに青木は感心した。各駅停車の札幌市営地下鉄なら、ここまで速くは到着できない。
新札幌駅に着いた二人は、そのまま直結しているサンピアザに入り、店内を軽く見渡し、一旦外に出た。サンピアザの出入口前は雪景色が広がり、目の前には青少年科学館が見える。懐かしい光景だった。柴原もそれは同じだったらしく、二人は少しの間「懐かしいね……」、「変わらないね……」などと話していた。
「智ちゃん。水族館も良いけど、プラネタリウムも観たいな!」
「ああ。僕も観たいと思ってたんだけど、今日は休館日らしくてね……ごめんよ」
「そっかあ……なんか新しくなったって聞いたから、ちょっと観てみたかったなあ」
しょんぼりする柴原が可愛かった。本当に顔に出やすいと言うか、態度を見れば分かる子だよな……と青木は再認識した。
思えば彼女からデータを受け取ったIFという小説についても、「なかなか良く書けてるじゃん! ワタルがカッコいいね。アツヤと良いコンビだし、ミカも可愛いと思うよ」と感想を述べた時は、目をキラキラさせて「ありがとう! 智ちゃん!」と喜んでくれたし、褒められて伸びるタイプと言うか、この人は適当におだてておけば、多分夫婦になってからも問題なく過ごせるんじゃないかと思えた。
二人はその後、サンピアザ水族館の受付でチケットを買った。これは青木が持った。柴原も肩掛け鞄から財布を出していたが制止した。
「もう智ちゃん。そんなに気を遣わないでよ」
「はは。まあまあ、水族館を楽しもうよ」
入口を抜けると、そこは幻想的な水族館の世界が広がっていた。冬休みという時期もあってか、学生たちと思わしき子たちが沢山来ており、カップルだったり女性同士だったり、さすがに男同士はほとんどいない様子だった。
一階では北海道の海からサンゴ礁まで様々な海が再現されており、クリオネなんかもいて、柴原は「クリオネだー! めんこいね」とニコニコと笑っていて、青木はクリオネも可愛いと思ったが、クリオネ以上に柴原が可愛いと思った。
他にも南国の魚や、ちょっと珍しい魚たちが住んでいて、サンゴ礁に住む魚たちは色とりどりで大変に見応えがあった。このサンピアザ水族館は、規模こそ決して大きくないのだが、狭さを全く感じさせない造りで青木たちは「おお……」と感嘆の声を上げた。
回遊水槽は特に見応えがあり、多くの魚たちで賑わい、綺麗なのもいれば可愛いのもいた。様々な魚たちを眺める二人。青木は、そっと柴原を見た。彼女の大きな目が、水槽をじっと見ている。
「智ちゃん」
回遊水槽の魚たちをじーっと眺めながら柴原が口を開いた。
「ん?」
青木はそんな柴原を横目で見て返事をした。
「これ、美味しそうだね」
「ぶっ! 食うのかよ」
思いがけないことを言うもんだから青木は笑った。確かにここで泳いでいる魚は食べたら美味しいかもしれないが、水族館に来て「美味しそう」と漏らす客はあまりいないのではないか。
柴原は「なによう」と頬を膨らませている。いつだってこの子は可愛い。「美味しそう」と言ったのだって、彼女の率直な意見だろう。意見というか、単なる感想だろうけど。
「おお、ウツボだ」
水槽を見て青木が言った。ニセゴイシウツボと書かれていた。石と石の隙間から顔を覗かせていて、可愛らしいと思った。さすがにウツボは美味しそうとは思わないなあ……と青木は感じた。
「私、ウツボ怖い……」
柴原がウツボを眺めながら不安そうな表情を浮かべる。何が怖いと言うのか。こんなに可愛いのに。
「どうして?」
「昔やっていたマリオにおっきいウツボがいて、怖かったの……」
柴原の言葉に青木は笑った。確かに言われてみれば、古いマリオに巨大で不気味なウツボがいた気がする。
それにしても普段ゲームなんてやらない彼女が、マリオをやっていたのか。父親がやっていたのだろうか。
サンピアザ水族館の一階を、二人はじっくりと時間を掛けて満喫した。柴原はスマホでいろいろと写真を撮っている。青木は写真を撮る彼女を眺めながら、「こんなに楽しんでくれるとありがたいね。連れてきた甲斐があった」と思っていた。
青木自身は、スマホで写真を撮るという行為をあまり普段からしないので、魚たちや、それを撮影する柴原を眺めるだけだった。
寒い海の魚たちは色合いが南国とは違った。不思議なもので、確かに北海道の海は深い青をしている。それこそ柴原の肩掛け鞄のように。これは夏場でも変わらないし、真夏に海水浴に行っても、海は冷たく感じたりする。
だけど沖縄など南国の海はもっと淡い青で、魚たちも様々な色を持ち、サンゴ礁の海は美しい。それぞれ違い、それぞれの美しさを持っている。日本は小さな島国だけど、北は北海道から南は沖縄まで、豊かで広い世界に誇れる海を持つ国だ。二人はそんな魚たちやサンゴ礁を見て、感動していた。
「したら、そろそろ二階に上がろうか。ペンギンも二階だったよね」
大体一階を見尽くしたところで青木が提案した。魚たちだけでも相当楽しんでいるが、メインはこれからである。
「わーい! ペンギン、ペンギン見たい!」
柴原は余程ペンギンが好きなのか、「ペンギン」という単語だけでも敏感に反応する。青木はそれがおかしく、ペンギンを見せた時の彼女の反応が楽しみで仕方なかった。
二階に上がると、コツメカワウソがいた。カワウソかあ、可愛いねえ……なんて二人は言いながら眺めていた。
カワウソはイタチの仲間らしい。案内ボードに書いていた。コツメカワウソの見せてくれる可愛らしい表情や仕草に二人は見惚れた。こっちを見たかと思えば奥に引っ込んだり、カワウソは面白い動きをしてくれた。
隣には熱帯魚の水槽もあった。鮮やかで綺麗な熱帯魚たちが悠々と泳いでいる。柴原は「わあ! 綺麗! すんごい綺麗!」と大はしゃぎして、周りの学生たちもニコニコと微笑んでいる。青木は少しだけ照れ臭くなった。自分たちよりも絶対に若い子たちよりも、自分たちの方が……柴原の方がはしゃいでいるからだ。
ネオンテトラなど、鮮やかで可愛らしい魚たちが泳いでいた。さすがにこれを見て柴原は「美味しそう」とは言わなかった。ただ「綺麗!」とはしゃぎ、青木はそんな彼女を見て笑った。そんな二人に目もくれず、色とりどりの小さな宝石たちが、楽しそうに泳いでいる。
他には大きな淡水魚の水槽もあった。イトウやサケと言った見覚えのある魚もいたし、「へえ、こんなのもいるんだ」と全く未知の魚たちも泳いでいた。
アザラシを見て「ゴマちゃんだー!」と柴原ははしゃぎ、面白い姿をした珍しい魚たちを見て「へえー! 何だろう、変なの!」と感心し、デンキウナギは「なして電気が出るんだろう? 自分はビリビリしないのかな?」と心配していた。デンキウナギの水槽にはクリスマス・ツリーが飾られており、デンキウナギが発電すると光る仕組みになっており、クリスマス気分を高めてくれる。
そして、アマゾンを再現した環境の水槽よりも奥に行くと、お目当てのペンギンがいた。案内を見る前に、ケープペンギンだろうと思った。青木は以前ペンギンゲームを作っていたので、ある程度ペンギンの判別は付いた。




