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亜麻色の彼女  作者: 藍月ゆう
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電気工事承ります(1)

 いつものグレーの作業服姿に黒いダウンジャケットを着込み、ダークグレーのブーツを履いた高橋が発寒中央駅へと向かっていたのは年の瀬も迫りつつある、十二月十二日の朝であった。

 けしからんことに街は雪に包まれてしまい、雪道を歩くのだけでも億劫なのに、高橋が住んでいるアパートの周りにはあまり除雪車が入ってくれないもんだから、道は滅茶苦茶になっており、ブーツを履いているのに雪が侵入してきて高橋は「くそったれ」と小さく悪態をついた。

(まったく嫌な季節が来ちまったもんだ。クリスマスに年賀状にお年玉に雪かき。金は掛かるし手間は掛かるし、子供の頃はあんなに楽しみだったのに、大人になると全然楽しみじゃねえや)

 喫茶ロマンでモーニングを食べながら思った。まだ純真だった高橋少年と一つ上の姉はサンタクロースの存在を信じていたし、毎年クリスマス・プレゼントが来るのを心待ちにしていた。十二月と一月は一年で最も楽しみな季節であった。

 雪遊びはできるしお年玉はもらえるし、親戚一同集まって遊んでくれるし、幸せな記憶の方が圧倒的に強いはずの時期なのだが、大人になると立場が変わり、そんなに多くないにしても親戚の子供らにお年玉をばら撒き、息子の大夢にクリスマス・プレゼントをねだられ、妻からは大夢が寝た後に「早くトイザらスにでも行ってきなさいよ!」と小突かれ、年賀状はいったい何枚必要になるのやら試算し、札幌日本電気工業時代より枚数こそ減ったが、大夢の写真を載せた年賀状を、夜遅くにノートパソコンで作り、もううんざりだった。年末年始は、昼から堂々と酒が飲めることだけが楽しみと言えた。

 モーニングを済ませ、のろのろと発寒中央駅南口へ向かう高橋。背中には哀愁が漂っていた。別に会社に文句があるわけでもないし、今の生活は札幌日本電気工業時代より遥かに幸せなんだが、この雪と年末年始の忙しさは彼を憂鬱にさせていた。残念なことに、平成電業の仕事はちっとも忙しくないんだけど。

 手稲方面への普通列車に乗り込む。今日は柴原を見掛けなかったな……と高橋は思った。別に毎日会うわけでもないのだが、たまに彼女は発寒中央駅で誰かを見送ったり待ったりしている。あの様子だと恋人で間違いないだろうけど、献身的というか、何だか青春だねえ……と高橋はおっさん臭いことを思うのだった。

 手稲駅に着き、ピッとキタカ定期券で改札を抜ける。手稲も雪が多い。発寒とそんなに遠くないのだから当たり前だが、どこに行っても雪、雪、雪。路面は圧雪アイスバーン。

 社屋の周りの雪かきすら直轄でやらなきゃならないんだから、若い八木は当然生贄にしても、次に若いのは自分だ。チャラい大下は「俺、ちょっと出てきますわ」とか言って逃げるし、存在感のない石川は「僕、ぎっくり持ちだから」とか言いやがるし、斎藤さんは無言でパソコンに向かって何かをしているし、仕方なく木下社長と八木と高橋の三人でスノーダンプやスコップで雪かきを行うのである。昨日の夜からずいぶん積もってしまったし、今日もライトバンの周りと社屋の周りを雪かきしなければならないだろう。


「おはようございます」


「おはようございます、高橋さん。すっかり雪が積もってしまいましたね」


 ロッカーにダウンジャケットをしまい、事務所に顔を出すと相変わらず坊主頭に縁なし眼鏡で木下社長が迎えてくれた。

 大下はまだ来ていない。石川は何かスマホのゲームをしている。八木は「ねみー」とか言いながら最近切った短い茶髪を弄っているし、斎藤さんは居眠りしている。小林さんはコーヒーを飲みながらパンを齧っている。何だか呑気な会社である。平和だなあと高橋はしみじみと感じた。


「社長、今日の仕事も雪かきっすか?」


 八木が木下社長に問う。確かに最近、雪かき以外の仕事をしていない気がする。もう少しまともな……と言うか、電業と名乗るくらいなんだから電気関係の仕事をしなければならないはずなんだが、雪かき以外の業務といえば、新しいコンビニができるらしいから屋内配線をしたりと、相変わらずショボい内容ばかりで、以前JR関連の仕事を持ち込んできた北海道システムワークスからも、何も仕事が入ってこない。あそこはソフト会社だから、そもそもああいう装置を扱うことが少ないのだろう。


「うーん……一応、この近くに小さな事務所が新しくできるらしくて、そこの屋内配線をやらせてもらえるらしいんだけど、午後からになるみたいなんだよね。まだ大工さんが作業してるらしいから、午前中はちょっと待ってくれって」


「へえ、そうなんすね。したら、高橋さんと社長で行くんすか?」


 ボケーっとしながら八木は聞く。仮にも社長相手なんだからもう少し礼儀をわきまえた方が良いのだが、こいつにはまだ早すぎると言うか、高卒のペーペーだから多少のバカは許してやらなければならないかもしれない。高橋もいちいち叱るのが面倒だったので放置していた。


「うん。私と高橋さんと八木くん、あとは斎藤さんも来られますか?」


「ええ、いいですよ」


 斎藤さんがだみ声で言った。午後から連れて行かなければまたパチンコにでも行っちゃうし、斎藤さんは弱電も強電もこなすから電話の屋内配線なんてお茶の子さいさいだろう。

 久しぶりに雪かき以外のまともな業務が入った気がする。大下は強電の方がメインの男だから、電話関係は疎いというか、あまりやる気がないらしいし、それこそ社長からすれば「留守の間に、道具整理と雪かきをお願いします」とでも言いたいのだろう。やってくれるかは知らんけど。


「うーっす。おはようございまーす」


 チャラい大下がやる気なさげに入ってきた。月曜日のサボり癖は抜けてきたが、だからといってこいつは真面目とはまるで無縁の男である。

 相変わらず長髪だし、グレーの作業服にそのロン毛は全然似合っていないと思うのだが、一応こんなんでも先輩だから高橋は何も言えない。そして社長も年下だから、何も言えないのである。


「おはようございます、大下さん。今日は在所して雪かきをお願いしてもいいですか? 私と斎藤さんと高橋さんと八木くんは、午後から現場に出ますので」


「ああ、いいっすよ。でも、午前中に雪かきしちゃいましょ。八木、高橋、いいだろ?」


(けっ。やっぱりそう言うと思ったぜ)

 高橋は大下の予想通りの言葉にイラっとした。

(午前中に雪かきをするとは言うが、どうせ大下はちっちゃいスコップでちょこっとやるだけで、面倒なスノーダンプは八木と俺に任せるに決まってる。ったく、雪かきなんて外注に任せたいもんだぜ)


「分かりました。じゃあ点呼が終わったら、高橋さんと八木くん、それに大下さんの三名でお願いできますか? 私と斎藤さんは午後からの材料と道具の準備をしておきますので」


 木下社長がにこやかに言う。仕方ない。社長がそう言うならと、高橋は「はい」と短く答え、八木は「へーい」とやる気のない返事をした。大下も頷いたが、こいつは絶対やる気ない。

 朝礼が行われる。今日は七名全員が出社している。小林さんと石川は終日在所。小林さんは事務員だから在所するのは良いとして、石川は何をしているんだろうか。次の仕事が入っているのならお得意の見積作成でもしているのかもしれんが、今はそんなに忙しい気がしないんだけど。

 とりあえず、雪かき班として高橋と大下と八木が、冬用長靴と会社用のアノラック姿で外に出る。また雪が降り始めている。高橋はため息をつき、八木は「よく降りますね~」と呑気に言い、大下は雪かき用のスコップを持ち「俺は玄関付近やるわ」と一番楽なところを選んだ。

 ライトバンが停まっている駐車場に向かう高橋と八木。ううん、積もったなあ。昨日の晩から降りっぱなしだったし、また降ってきているし、長靴でもまだ足りないくらい積もっている。そう思っていると八木が雪玉を投げてきた。


「手前! 何しやがる!」


 怒った高橋が雪玉を投げ返した。「さーせん!」と笑いながら童顔の八木が言う。緊張感に欠けているというか、さっさとやることをやれ。

 どっこいしょっと雪かきを始める二人。まずはライトバンに乗った雪をスノーブラシで落とす。幸いにも寒いから、雪は軽くてふわふわとしている。車体から雪を落とし、次にクルマの周りを雪かきする。社屋付近の、何もない場所がとりあえずの雪捨て場だ。

 中肉中背の高橋と、若い八木が一生懸命駐車場の雪かきをする。大下は玄関の雪かきを終えたのか、タバコを吸いながら眺めている。タバコ吸って一服している暇があれば手伝いやがれと思うが、一応先輩だから「大下さん、それ吸い終わったらちょっと手伝ってもらえます?」としか言えなかった。

 大下は「ういー」と、手伝うのか手伝わないのか不明な返事をして、タバコを携帯用灰皿に入れると、適当にクルマの周りの雪をかいてくれた。

 大下が集めた雪を「それー!」と声を上げながら若い八木がスノーダンプで輸送する。あいつ一人でやれば良いのに……と高橋は思った。大下は二本目のタバコに火を点けている。


「こうも毎日降られたら、やる気も出ねえな」


 ふぅーっとタバコの煙を吐きながら大下は言った。別に雪が降らなくてもお前はやる気がないだろうと思ったが、高橋は適当に相槌を打つことにした。


「そうですねえ。まったく、年の瀬は雪もあるし年賀状もあるし、面倒なイベントが多くて困りますわ」


「なあ。八木なんてまだそんな面倒なことを考えなくて良いから、羨ましいよ」


 大下の言葉に高橋も頷いた。大下は独身だが、こいつはこいつなりに忙しい年末年始を過ごすのだろうし、木下社長にしても斎藤さんにしても小林さんにしても、多分あの存在感のない石川にしても、それぞれがそれなりに忙しいはずである。

 八木はその点、未成年だし、面倒なしがらみとかがないから、気楽なもんだろう。


「俺がどうかしました?」


 スノーダンプを引っ張りながら八木が聞いてくる。額に少し汗がにじんでいた。

 こいつにばかりやらせてしまって、ちょっと悪いことをしたなと思った。雪かきはもう良いだろう。


「いやあ、若いって良いなって話してたんだよ」


 タバコを吹かしながら言う大下に八木は笑った。

 大下が「お疲れさん」と自動販売機で暖かいコーヒーを奢ってくれた。三人でそれを外で飲み、何となく平成電業沿いの道を眺めていた。道行く人はソリに子供を乗せたり、ペンギン歩きをしたり、冬だなあ……と思わせる光景だった。


「午後からの仕事、お前らどこ行くの?」


 大下がタバコを吸いながら聞いてきた。言われてみれば場所まで聞いていなかったな。


「さあ。どこでしょうね。電話の屋内配線って言ってましたけど」


「ふうん。俺は強電の方がメインだから、そっちはあんまり詳しくねえなあ」


 大下はふぅーっとタバコの煙を吐く。八木はスマホを弄っている。相変わらず、ぜんぜん緊張感の欠片もない会社である。

 以前ほど「何もすることがなくて退屈」という、最悪な状況ではなくなったと思うが、だからと言ってこの平成電業が「忙しくて手が回らない」会社とは言えない。大下なんて、今日の業務はあと在所して終わりだろうし、彼なりに別な会社に「何か仕事はないか?」と電話したりはするだろうけど、大下が請ける仕事は赤字ギリギリなのが多いので、石川は見積を作る時に「大下くん、もう少し吹っ掛けようよ」と嘆いていた。

 こいつは案外、律義というか、仕事を紹介してくれる会社に対して「なるべく安く済ました方が良いな」と思っているらしく、割と無茶な仕事も「お得な価格でやりますよ」とか言ってしまう。安くやるのは良いのだが、あまり潤沢と言えない平成電業の財政を支えるにはちょっと怪しい。

 高橋が持ってくる仕事はそれなりに儲かるのだが、高橋は伝が少ないので当然仕事もなかなか見つからず、セールスという面では大下の方が勝っていた。

 高橋は「数は少ないがそれなりに儲けられる仕事を持ってくる」のに対し、大下は「儲けは少ないけど沢山仕事を持ってくる」のであった。


「俺らって、割と良いチームっすよね」


 八木が言った。大下は「何が?」と笑いながら聞く。高橋も何が言いたいのか分からなかったので、真意を知りたかった。


「いや、だって小林さんは事務のプロだし、斎藤さんは職人だし、大下さんと高橋さんは仕事見つけてくるし、石川さんは見積を作るのが上手だし、俺は雪かきとか運転とか雑用やるし、社長はそんなみんなをまとめてるし、結構バランス良くないかなって思ったんすよ」


 なるほどな。まあ悪くねえかもな。高橋は思った。

 確かに木下社長が全員をまとめているとして、高橋と大下がどこかから仕事を見つけてきて、斎藤さんは強電も弱電もこなす職人だし、石川は見積を作らせておけば損はしない程度の物を作るし、小林さんは会社が赤字にならないように経費節減とか考えてくれるし、八木は雪かきだの道具整理だの運転だの、適当な雑用をやらせれば案外無難にこなすから、この七人の内、誰か一人でも欠けるとこの会社は成り立たなくなるだろう。たまに何人かサボるけど。


「そうかもしれませんね」


 思いがけない声が後ろから聞こえた。

 グレーの作業服姿の木下社長だった。社長も自動販売機でコーヒーを買ったらしく、一緒になって飲んでいる。まるで気が付かなかった三人は驚いた。


「社長、いつからそこにいたんすか?」


 大下が苦笑いを浮かべながら言う。

 本当に、すっといつの間にか背後に立たれていた気がして不気味な気がした。


「今、ちょうど来たところですよ。八木くんの言葉を受けて、確かにうちは、私がいなくても回るとは思いますが、斎藤さんがいてくれて技術面で助かっていますし、大下さんが強電の、高橋さんが弱電の仕事を請けてくれますし、石川さんが見積を作ってくれますし、小林さんが事務仕事をしてくれますし、八木くんはいろいろな小さな仕事をこなしてくれます。私は皆さんに感謝しているんですよ」


 ニコニコと笑いながら木下社長は言った。そんな姿を見て、高橋は「この人をもっと大きな会社の社長にしたい」と思った。


「冬のボーナスまで出してくれて、俺らこそ感謝してますよ」


 大下がにこやかに言う。そうだ。こんな零細企業で、全く期待していなかったのに、冬のボーナスを出してくれた。

 金額としては札幌日本電気工業に比べると多くないが、それでも苦しい台所事情にも関わらず、「いつもありがとうございます」と社長直々のメッセージまで添えて、封筒に入れて一人ずつ丁寧に渡してくれたのだ。

 きっと大下も、そして若いなりに八木も、社長に恩義を感じ、「この人を男にしたい」と思っているに違いない。そして、自分もそう思っていると高橋は思った。感謝しているし、木下社長を何とか、札幌の天下を取るのはともかくとして、せめて中小企業の社長くらいにはのし上げたい。


「本当に、私もそう思いますよ。社長、いつもありがとうございます」


 軽くお辞儀をして高橋は言った。もしもこの人が独立して「うちに来てくれませんか?」と言ってくれなければ、今の穏やかな自分は有り得なかっただろう。


「俺もっす。冬のボーナスとか生まれて初めてなんで、インプのパーツでも買いますわ」


 ニコッと八木は笑った。

 こいつは愛車のインプレッサに投資するのだろう。それならそれでも良い。どんな形であれ、冬のボーナスという、全く予期せぬありがたい臨時収入に、八木は喜んでいるのだろう。夏のボーナスも入ったが、冬のボーナスはもう少し多かった。


「はは。そう言って頂けると、社長をやっていて良かったと思いますよ。私は人に恵まれていると思います。大下さん、高橋さん、八木くん。平成電業に入ってくれてありがとうございます。さあ、寒いですし、一度事務所に戻りましょう。雪かきお疲れさまでした」


 木下社長に促されて、ロン毛と中肉中背と茶髪のトリオはストーブが焚かれている社屋に入った。外はまだしんしんと雪が降り続いていた。

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