発寒中央駅(3)
松岡と清水。この二人が惑星と衛星、或いは二人が惑星となり、柴原さんという恒星に対し何らかの影響を与えているのは間違いなかった。
柴原さんが恒星かどうかは別にしても、彼女の人生において、松岡も清水も印象に残る人物になったのは間違いない。
「俺、梨恵さんと知り合えたのって、縁だと思うんです。あの春の日、俺と松岡は学校をサボったんすけど、あの日サボってなければ、絶対に梨恵さんと知り合うことなんてなかったし、松岡は西野だし、俺は宮の沢に住んでるから、発寒になんて用事ないし。何となく通り過ぎるだけの場所だったここに、梨恵さんと会うって意味みたいなもんを見つけた気がするんです」
金髪を弄りながら清水が言った。その通りだと松岡も思った。
彼の考えに一字一句同意していたのだ。
「俺もそう思います。俺は清水からサボろうかって言われた時、少し迷ったんです。でも天気も良かったし週明けで怠かったし、たまには良いかなって思ってこいつとサボって、たまたまそこのビルの喫茶店でコーヒー飲んでたら、柴原さんにこいつが一目惚れして。あれだって清水が話し掛けてなければ、単なる綺麗な人だねで終わってたのに、こいつがナンパしようとしたから、今こうして柴原さんと会うために発寒中央駅に来て、実際に三人で話すって時間を過ごせてると思います」
松岡はなんか感慨深くなった。世の中は縁なんだな……と若いなりに思った。
発寒中央駅という存在は単に列車に乗るための施設であり、それ以上でもそれ以下でもなかったはずなのに、今は違う。柴原さんと会うために来る場所という、もう一つの意味を持った。
これから先、柴原さんと会うことがあるのかどうかは分からない。彼女が発寒から引っ越したりすれば、ここで会うことは二度となくなってしまうだろうし、卒業すれば清水は東京に行ってしまうし、松岡だって発寒中央駅に、列車に乗る以外に一人で来る用事はないだろう。
「そうなのね。そっか縁か……。そうかもしれないわね。私だって博樹くんから話し掛けられてなかったら、多分あなたたちのことは普通の高校生の子なんだな、くらいにしか思わなかっただろうし、博樹くんの名前も松岡くんの名前も、きっと一生知らなかったと思う。今付き合ってる人だって、彼から声を掛けられてなければ、一生名前も知らなかっただろうなって思うと、ちょっと考えさせられるわね」
ニコッと笑みを浮かべて柴原さんは言った。三人はしみじみとしていた。
自分たちがかけがえのない時間を過ごしている気がしたのだ。
柴原さんがどう思っているかは知らないが、清水もきっと同じだろう。こいつはこいつなりに、自分が心底惚れ込んだ女性を相手にアプローチをして、付き合う可能性は絶対にないにしても、知り合って仲良く話す程度の関係にはなれた。
(この時間は絶対に永久じゃない。あと一年ちょっとすれば俺たちは卒業してしまい、清水は上京するだろう。そして俺は大学に入るかなんかで札幌に残るだろうが、この辺りには用事がなくなる。仮に柴原さんが発寒に住み続けたとしても、どこかで偶然出くわすようなことがない限り、こうして目的を持って会いに来るって機会はなくなる)
松岡は、清水と二人でいられる今だから柴原さんと知り合うことができたのであり、清水が札幌にいる内……つまり、高校生の内じゃないとこの人には会えないのだと確信を持った。
そして清水にほんのちょっぴり感謝した。こいつがナンパとも呼べないショボい声掛けをしていなければ、柴原さんと再会したり、こうして会話を交わすことは絶対になかった。
「俺、あの時なまら緊張してチャックも全開でしたけど、梨恵さんに話し掛けて良かったです」
清水は言った。松岡は「俺もです」と言うのをぐっと堪えた。
「あはは。私あの時、なんか高校生の子がチャック全開で話し掛けてきたなあ……なんて思ってたけど、それからまた会うことがあって、もう一度会って今日も会って話してるなんて、なんか不思議ね」
美しい声だと松岡は思った。清水も同じく感じた。そしてこんなに麗しい人と知り合えた奇跡に感謝したいと思った。
人生であと何回、この人と会えるかは分からない。もしかすれば今日が最後かもしれない。
それが運命ならば受け入れるしかないし、また清水が「梨恵さんに会いに行く」とか言い始めて、ここで会えるかもしれない。未来は読めないが、この時間は宝石のようであると松岡は感じるのであった。
「柴原さん」
気が付けば松岡は声に出していた。「ん?」とこちらの顔を見る柴原さん。二重まぶた。綺麗な亜麻色の髪。可愛い仕草にずっと聴いていたくなる声。こんなに美しい人が世の中にいて良いのだろうか。
「俺、上手く言えないんですけど、あなたみたいに綺麗な人と知り合えたこともそうですけど、柴原さんが今日、すごく元気そうにしていて嬉しいんです。もしも今日を境に二度と会えなくなったとしても、俺は柴原さんが幸せそうに生きててくれたら、それだけで嬉しいです。だから、今日も待ってる人とずっと仲良くしていてください。俺、柴原さんと会うと、いつも元気なさそうだなとか思ってたんですけど、今日の様子を見て安心しました。きっと柴原さんは幸せなんだなって。なので、そのままの柴原さんでいてください。俺は清水みたいに会いに来ようとか考えたことないし、多分これからもないけど、柴原さんが元気に幸せに、穏やかに暮らしててくれたら、それだけで満足できる気がするんです」
自分で何を言っているんだろうと松岡は思った。
何か今日、こうしてゆっくりと話す時間が取れて、松岡は松岡なりに柴原さんに抱いていた思いをぶつけたいと思った。清水も大きく頷いていた。彼もきっと同じ思いなんだろう。自分が惚れた人が幸せでいてくれるなら、彼も幸せなんだろう。
清水はバカだしチャラいしトラブルメーカーだが、優しい一面だって持っている。例えフラれたとしても、その人を想う気持ちは変わらない一途な男だ。
「……博樹くん、松岡くん、ありがとう」
柴原さんは震え声で言った。
驚いて松岡と清水は柴原さんの表情を見ると、彼女の大きな目には涙が浮かんでいた。
とんでもないことをしてしまったと松岡は後悔した。自分が彼女を酷く傷付けてしまったのではないかと思ったし、清水も「何やってんだ!」って顔で睨んでいる。
「す、すみません、柴原さん。俺、なんかまずいことを言っちゃいました?」
松岡は立ち上がって平謝りした。清水もそれに続いた。
ハンカチで涙を拭う柴原さん。その仕草すら美しく愛おしかった。
「私、あなたたちと知り合えて良かった。あなたたちは私と知り合えて良かった。ありがとうって言ってくれるけど、私こそありがとうだよ。私はいろいろな事情があってここに来たりしてたけど、なんか博樹くんも松岡くんも、私に対して何の下心もなく接してくれて、心から心配してくれてたんだなって思うと泣けてきちゃって。いい年したおばさんがごめんね。みったくないね」
言い終えると、少し赤くなった目で柴原さんはてへっと笑った。
もう泣いてはいなかった。松岡と清水は安心した。恒星が輝いているのを感じた。もうこの恒星は心配要らない。きっと輝き続ける。美しい色を放ち、煌々と輝き続けるだろう。
「そろそろ彼の来る時間だわ。博樹くん、松岡くん。今日は本当にありがとう。またね」
柴原さんは立ってお辞儀をしてくれた。二人はお辞儀を返した。
松岡は思った。またきっと会えるはずだと。そう信じたかった。また柴原さんに会いたいと思った。清水の気持ちが少しだけ分かった気がした。
「梨恵さん。俺、きっとまた梨恵さんと会えるって信じてます。松岡が余計なことを言ってごめんなさい。でも俺も梨恵さんが幸せでいてくれれば、それで良いです。だから元気で笑顔でいてください。今日はこの辺で帰ります。松岡、行こうぜ」
「ああ。柴原さん、長々とすみませんでした。いつかきっとまた会いましょう。では、失礼します」
二人はそのまま南口へと向かった。
別れ際、柴原さんがバイバイと手を振ってくれたので、清水は大きく振り返し、松岡も少し照れ臭かったが小さく手を振った。
「お前、梨恵さん泣かせるんじゃねえよ!」
駅から出ると、バシッと肩を叩かれた。
うぜえなと思ったが、実際に泣かせてしまったのは事実であるし、「すまん」としか返せなかった。
本降りとなった雪の中、二人は無言で南へ歩いた。喧嘩をしたからではない。余韻に浸っている感じがした。柴原さんから感じ取った幸せなオーラとか、優しい雰囲気とか美しい音色だとか、良い香りだとか、そう言ったものに対し、二人は不思議と無言になった。
桑園発寒通りの交差点に着いた。ここで清水は宮の沢方面へと方角を変えるだろう。明日の十二月三日、普通に何事もなかったかのように彼らは登校するだろうし、柴原さんだって普通に生きているはずだ。
彼女の言っていた「いろいろな事情」が何であるかは二人には想像も付かないが、それでも彼女だってこの札幌の街で生きている。その事実は揺るがない。
「俺、思ったんだけどよ」
交差点で立ち止まっていると、清水が口を開いた。
「柴原梨恵って名前、なまら良いよな。あの人にすげーぴったりな気がする。清水梨恵でも松岡梨恵でもダメな気がする。柴原梨恵だから、あの人はあんなに輝いている気がする」
柴原梨恵。
そうだよな。柴原さんは柴原梨恵だ。そしてその柴原梨恵に恋人がいて、その人とこの先結婚すれば、何になるか分からないが苗字は変わるだろう。
「柴原さんは柴原さんだけど、仮に田中さんになっても山田さんになっても、お前の言う梨恵さんって名前は変わらないんだから、良いじゃねえか。梨恵って素敵な名前だと俺は思うよ」
松岡は返した。
そうだ。彼女には梨恵という名前が似合っているんだ。
柴原梨恵が一番しっくりくるかもしれないが、仮に田中梨恵になっても山田梨恵になっても、彼女の梨恵という名前は不変だ。そしてその名前が最も似合っている人物だと思う。
「そうだな。梨恵さんは梨恵さんだよな。人妻になったとしても俺は梨恵さんのことが好きだし、きっとお前も梨恵さんのこと、好きだろ?」
「さあな。だけどまあ、魅力ある人だとは思うよ」
「じゃあ好きってことだべや。俺、あの人が泣くって想像もしてなかったけど、俺らと知り合えて良かったって言ってくれたし、なんか嬉しいな。じゃあな松岡。また明日」
あばよ!と手を振り、降りしきる雪の中を歩いて行く清水。松岡はその後姿を見ながら思った。
(そうだな。俺も嬉しいよ。柴原さんに出会えたことも、お前と仲良くなれたことも。だから俺だってお前みたいに幸せだよ)
松岡は南へ進む。彼の住む西野へ。そしていつかきっと柴原さんにも、また会えるだろう。そう思うことにした。
学ランに雪が積もる。そんなものはもうどうでも良かった。幸せだ。いつか清水が言っていた幸せってもんが、ちょっとだけ分かった気がした。
だから今日、雪だるまになって帰ることも、柴原さんの笑顔に免じて許してやろう。
これから先、俺たちだって柴原さんのように、何か良いこときっとあるさ。




