発寒中央駅(2)
どれくらいそうしていたんだろうか。もうずいぶん経った気がする。日はとっぷりと暮れてしまい、雪がしんしんと降り始めている。あーあ。こりゃ帰りは雪だるまか……なんて松岡が思った時だった。
清水が目を覚ます。残っていた缶コーヒーを飲み干し、のろのろとゴミ箱へ捨てに行くと、ベンチに戻る途中、北口方面を見た。松岡もその視線を追った。
柴原さんだった。相変わらず亜麻色の髪を靡かせながら、ダークグレーのロングダウンコートを着て、青いワイドジーンズを履き、深い青の肩掛け鞄を下げている。靴は黒いショートブーツだった。
「梨恵さん!」
清水が声を張り上げるもんだから、柴原さんはギョッとした表情を浮かべてこちらを見た。松岡は何となく気まずくなり、ベンチから立った。
「博樹くん……それに松岡くんも。どうしたの? お出掛け?」
相変わらず透き通った声で柴原さんは言った。何か今日は雰囲気が違った。いつもよりもずっと元気で、きっと良いことがあったに違いない。そんなオーラを松岡は感じた。
「いえ、俺ら、梨恵さんがここに来るんじゃないかなって思って待ってたんです!」
清水がはっきりと目的を告げると、柴原さんは上品に笑った。
俺らって、なんで俺までセットになってるんだよ。勝手に一緒にするなと松岡は憤慨したが、事実自分だって待つという行為をしていたのだから、否定はできなかった。
「あらあら……それはそれは。私なんかを待っててくれたのね。ありがとう」
笑いながら彼女は言った。美しい笑顔だった。
こんな曇天模様、雪の降りしきる中を歩いて来たからか、彼女の頬は少し赤くなり、髪には少し雪が付いていたらしく、溶けてキラキラと輝いている。
「はい! 俺、今日は何だか梨恵さんに会える気がして、それでここで待ってたんです。な、松岡?」
「あ、ああ……」
松岡は「どうも」と軽くお辞儀するしかなかった。別に柴原さんに会える気はしていなかったし、清水の思い付きに付き合っただけなんだが、いざ本人を目の前にすると何を言っていいものやら、軽くお辞儀をするしかできないのだった。
「ありがとう。博樹くん、松岡くん。私なんかを待っててくれるなんて、嬉しいわ」
表情を見る限り本当に嬉しいと思ってくれているようだった。可愛らしい笑みだった。きっとこの人の恋人はあのサラサラな髪を撫でて、細い身体を抱き締めて、大切にしているんだろう。まあコート越しにも、やっぱり胸は小さい気がするけど。
「あの、立ち話もなんですし、そこに座ってください」
出来損ないの超サイヤ人みたいな頭をした清水が、にこやかに柴原さんをエスコートする。
何が「立ち話もなんですし」だよ。俺らはもう「柴原さんに会う」って目標を達成したんだから、さっさと立ち去るべきだろうと松岡は思ったが、柴原さんは「ありがとう」と言ってベンチの端っこに座り、「二人も座りなよ」と勧めてくる。
「え? いいんすか。俺らも座っても?」
「うん。私は今日も恋人を迎えに来たんだけど、まだ来るのに時間があるし、ちょっと退屈だし。博樹くんと松岡くんが迷惑じゃないなら、一緒に座って話そうよ」
柴原さんがそう言うなら……とドカッと図々しく隣に座る清水。松岡も「俺はいいです」とは言えず、仕方なく清水の隣に座った。柴原さんを左端に学ラン姿の清水が真ん中に座り、同じく学ラン姿の松岡が右端に座る。奇妙な光景だった。
(畜生。なんで俺はこんな端っこなんだよ。お前の隣じゃなくて柴原さんの隣が良かったぞ)
松岡は心の中で悪態をついた。清水越しに柴原さんの良い匂いがした。この香りを清水は隣で堪能していると思うと、少し羨ましく思った。
「二人ともコートも着ないで学ラン姿だけど、寒くないの? マフラーは巻いてるけど……」
柴原さんは心配そうに聞いてくる。
まあ確かに松岡の両親だって「上着くらい羽織りなさい」と言ってくるし、それは清水も同様だと思うのだが、彼らには一応ポリシーみたいなものがあるので折れなかった。
「全然寒くないっすよ! 俺、梨恵さんと会えてポカポカと暖かく感じてます!」
意味不明な回答をする清水。そんな清水を見て柴原さんは雅やかに微笑む。本当にこの人はなんて美しいんだろうと松岡は感動すら覚えていた。
そして確かに不思議なのだが、彼女と会ってから先ほどまで感じていた薄ら寒さがなくなった。
(何だろう。一体何がこんなにも暖めてくれるんだろうか。彼女は太陽みたいな人なんじゃないだろうか。いつだって輝いてるし、暖かく照らしてくれる。俺と清水が惑星だとして、柴原さんは恒星なんじゃないか? いや、俺か清水かどっちかが惑星で、どっちかが衛星で、いつだって柴原さんが俺たちを照らしてくれてるんじゃないか? だから俺たちは二人でいる時しか柴原さんと会えないし、会えた時は暖かく照らされて、こうして心まで暖かくなるんじゃないか?)
松岡は想像した。清水と柴原さんが何かあれこれと世間話をしているが、あまり耳に入らなかった。今日見てきた人々にもきっと恒星のような存在がいて、その輝きを求めて生きていたり、暖かく照らされることにより生きている人だっているんじゃないか。そんな不思議な考えが浮かんだ。
「ひろきくんの頭、綺麗な金髪ね。超サイヤ人みたい」
ニコッと笑って柴原さんは言った。柴原さんの口から超サイヤ人なんて言葉が出てくるなんて意外だった。
こんな女性らしい人から、全く無縁であろうドラゴンボールの話題が出るなんて不思議に感じた。
「ありがとうございます! 俺、ちょっと年末に向けてカッコよくしたくて、金髪にしてみました! 梨恵さんの髪もいっつも綺麗っすよね。なんて色なんですか?」
「ふふ。ありがとう。これはね、亜麻色って言うのよ。亜麻色の髪も維持が結構大変なの。博樹くんの学校……琴工では、髪の色とかあんまり言われないの?」
「いや、まあ……言われるっちゃ言われるんすけど、俺そういうの気にしないし、もうちょっとで冬休みだし、俺の相棒の松岡も気にしないでくれるから、俺は自分のスタイルを貫きたいんです」
何が自分のスタイルだ。お前は単にショボいナンパをしたいだけだろう。松岡には清水の本心が分かっていた。
冬休みに向けて髪を染めて、それで他校の女の子をゲットしようとしているのかもしれないが、金髪にしたことによって芋っぽさが増している自覚が足りていない。これでは前の焦げ茶の方がまだマシだ。
「あはは。そうなんだ。博樹くん、カッコいいじゃない。自分がこうしたい!ってのを貫くのって、男らしいと思うな」
柴原さんが初めて大きく笑った気がする。
清水のつまらない話にもこの人は真摯に耳を傾けて、反応を見せてくれる。なんて優しい人なんだろうか。清水がカッコいいかどうかは別だが、こんなに楽しそうで元気そうで、幸せそうな彼女を見るのは、松岡も何だかとても嬉しく思えた。
「マジすか? ありがとうございます! 俺、梨恵さんに褒められるとなまら嬉しいっす! おい松岡、お前も何か話せよ。梨恵さんが相手してくれるのなんて、もうないかもしれないぞ」
そう言われても松岡は別に柴原さんに用があってここに来たわけじゃないし、話題といっても特に何もなかった。
困ったな……と短髪の頭を掻いていたら、柴原さんの方から声を掛けてくれた。
「松岡くんっていっつもクールよね。博樹くんが元気な感じだから、松岡くんがそれを見守ってるって言うか、良いコンビだなって思う」
「はあ……クールですか。あんまり自覚ないですけど、なんか言われて悪い気はしないですね。ありがとうございます」
俺はクールなんだろうか。確かに清水よりかは大人ぶっているというか、もう少し落ち着いているとは思うが、クールと言われても松岡にはピンとこないのだった。
(それにしても、初めて柴原さんとまともな会話をした気がする。いつもは清水がペラペラ喋って、それに対して相槌を打つことはあったり、軽く挨拶するくらいはあったけど、柴原さんと話すってなんか新鮮だな……)
松岡は思った。柴原さんとは何度か顔を合わせているのだが、確かに松岡と柴原さんが直接話すのはほとんどないに等しかった。
「松岡はロボット制御部って部活やってんすよ。こいつ、ロボットの大会で優勝したんです。琴工ヤクルツって名前のチームで、俺が名付けたんですけど、そのヤクルツが優勝したんです」
まるで自分が成し遂げたようにえっへんと胸を張る清水。
お前は名付けただけで何もしていない帰宅部だろと思ったが、黙って聞いていた。
「へえ、ロボット! すごいわね。歩いたりするの?」
「いえ、そんなすごい物じゃないですよ。四輪駆動で走って、輪投げをするロボットです」
松岡は照れ笑いを浮かべながら答えた。柴原さんの大きな目がキラキラしている。ぱっちりとした二重まぶたが可愛い。
「ロボットが輪投げするなんてめんこいなあ。私もその大会を見たかったわ。はっちゃきこいて頑張ったんだよね、松岡くんも博樹くんも」
(はっちゃきこく。こんな美人が、おかんみたいな言葉を使うな。そして俺がはっちゃきこいたのは事実だが、清水は何もしていない)
「もちろん俺も名付けるのに苦労しましたよ! まあ俺はバイトが忙しいんでほとんど手伝ってないんすけどね」
(お前はほとんどどころか名付けしかやっていないだろう。その名付けだって、苦労するも何も「ヤクルツしかねえな」とか勝手に決めやがったくせに、何を出しゃばってやがるんだ)
「そうなのね。博樹くんはバイトかあ。なんか青春って感じね。二人とも」
(青春。ううん、青春なんだろうか……)
松岡は少し悩んだ。確かにロボット制御部でやっていた活動は青春とも呼べるが、女の子の気配なんて欠片もないし、清水がやっているのは単なるコンビニのアルバイトで、こいつが青春を満喫しているのかは怪しい。未だに彼女ができていないし。
「はい! 俺ら、青春満喫してます! 俺、高校卒業したら東京に行くんすけど、東京に行く前に梨恵さんと知り合えて嬉しいです。きっと東京にも綺麗な人とか優しい人は沢山いるんだろうけど、梨恵さんより素敵な人ってなかなかいないんじゃないかって思うんです」
(まあ、縁だよな)
松岡は思った。あの春の日、学校をサボっていなければ柴原さんと知り合うことは絶対になかったし、柴原さんほどの美人とは東京でもなかなか巡り合えないだろう。
こんな高校生の話にも付き合ってくれて、真剣になって聞いてくれて、笑ってくれて、優しい人だと思う。それに春に会った時と違って、どこか元気そうだし。
(いや……俺たちは、もしかしてこの柴原さんという太陽……恒星に導かれたんじゃないか? あの日、清水がサボるって言った時、俺は拒否することだってできた。俺が拒否していたら清水はどうしていたんだろう。一人でサボるか学校に来るかどっちかだったにせよ、一人だったらきっと柴原さんのいた喫茶店へ行くこともなかっただろう。だとすれば、俺と清水は何かの縁があったのかもしれないが、俺も一緒になってサボるかどうかっていう、そんな些細な選択肢で、柴原さんと知り合うという縁に導かれたんじゃないか?)
松岡は考え込んでいた。清水が導いたのか、それとも彼女が導いてくれたのか分からないが、どちらか片方だけでは絶対に知り合うことのなかった人と知り合い、今はこうして顔見知りとして話し、一緒の時間を過ごしている。これは奇跡と言っても良いのではないか? そしてそんな小さな奇跡の重なりが、その人の人生を決定付けるのではないか? そう思案していた。
「ふふふ。なんか良いなあ。若いって感じするもん、博樹くんも松岡くんも。私なんて三十近いからさ。おばさんだよね」
「そんなことありませんよ! 梨恵さんは綺麗なお姉さんです」
清水の言葉に松岡も頷いた。
おばさんなんて響きは全然似合わない。綺麗なお姉さん以外に表現のしようがない。三十近いと言うが、その年齢すら彼女の魅力に変えている気がする。
「綺麗なお姉さん……えへへ。なんか照れちゃうな。ありがとう」
照れて少し頬を赤くする柴原さん。本当に顔に出やすい人なんだなあ……と松岡は心の中で笑った。
多分この人は嘘を吐いたり隠し事をしたり、そういうのができないタイプだろう。
すぐに顔に出るから、何かを隠していても、例えばこの人の恋人なんかはすぐに見抜くだろう。まあ、その恋人が清水みたいな鈍い人間だったら察することもできないかもしれんけど。
「梨恵さんって、マジで可愛い人っすよね」
清水が思ったことを口にする。こいつは思ったことをそのまま口にするタイプの人間だ。
だが案外嘘を吐いたり隠し事をするのも上手い。小西先生に平然と嘘を吐き、平気な顔をしているのだから恐れ入る。
「か、可愛い……あっはっは! この年になって高校生の子に可愛いって言われるなんてねえ。光栄だわ」
柴原さんは哄笑した。松岡は何となく清水に感謝した。
(あの少し影を帯びていたような柴原さんを、こいつは無自覚の内にかもしれないが、ほんの少しだけ明るくしている。柴原さんという輝きを失いつつあった恒星に対して、自分も照り返して見せている。俺は照らされるだけで、彼女をここまで笑わせることはできない。だけどきっと清水も俺と一緒にいなければ柴原さんに会いに、ここに来るって行為はしていなかったと思う。弱った恒星を普段は周りを回っているだけの惑星が、小さな力で助けて、恒星は再び煌々と輝き始めている)




