発寒中央駅(1)
十二月二日。
すっかり冬を迎えた札幌は薄っすらと雪化粧を始めてしまい、自転車通学が禁止となっていた松岡と清水は徒歩で登下校を行っていた。手稲山や藻岩山は見事に冠雪して綿帽子を被っている。
宮の沢付近に自宅がある清水はせいぜい三十分程度で家に着くが、西野に自宅がある松岡にとっては一時間弱の道のりで、松岡の両親も「バスに乗って通いなさい」と言ったが、「金が勿体ないし歩けない距離じゃないから。体力も付くし」と松岡は言い、いつもの通学路から西野屯田通りへと出て、途中で清水と合流して琴似工業高校へ徒歩で向かうのが日課になっていた。
今日も無事に授業を終えた二人は、さていつもの道で帰ろうかと思っていたところである。
「なあ、首里城燃えちまったのとか、東京オリンピックのマラソンが札幌でやるのとか、お前知ってるか?」
一ヶ月も前のニュースを清水が動揺した様子で語ってきた。
何を言ってやがる。首里城は遠い沖縄の地だから、何となく「大変だ……」で終わったかもしれないが、マラソンを札幌で開催するのなんてあれだけローカルニュースで大騒ぎしていたのに、お前は未来に迷い込んでしまった過去の人間なのかと松岡はせせら笑った。
「お前、そんなことも知らなかったのか? 世界の国々とやらを調べる前に国内情勢を……つうか、もっと身近なニュースから知っておけよ」
「いや、だって俺、基本的にバイト終わったら帰ってゲームして寝るだけだし、テレビそんなに見ないし新聞も読まないし、昨日たまたまネットニュース見てたらそれを知って、えっ!ってびっくらこいてよ」
浮世離れしているというか、こいつは時事ネタとはまるで無縁らしい。
お前は髪の毛をふざけた色に染めている暇があったら、少しは世の中の動きを知っておいた方が良いと松岡は思った。
清水は焦げ茶だったロン毛が短髪になっていた。
これは良いとして問題は色で、なぜか金髪になっていた。普段は清水に対し注意するのを諦めている小西先生も、さすがにこの頭を見て「黒くしろ」と怒っていたが、清水は「へーい」と適当な返事をするだけで、あまり悪目立ちして他校や先輩方と喧嘩にならなければいいが……と松岡は心配に思った。
二人は琴似工業高校の正門を出た。いつもなら自宅方面に近い裏門から帰るのに、清水は何か違う方向へ向かっているようだった。新川のキャッツアイにでも行くつもりだろうか。
「おい、どこ行くんだよ。キャッツか?」
ショートブーツを履き、学ランにマフラーを巻いた清水がずんずん歩むのを見て、松岡は聞いた。松岡もまたスノートレーにマフラーのみで、これは彼ら流のオシャレであり、「どんなに寒くても上着は羽織らない」という、特に意味のないこだわりだった。
「いや、今日は行かねえよ。バイト代もまだ入ってないし」
地面に薄く積もった雪を踏みながら清水は返す。また雪が降ってきそうな曇天模様だった。
「じゃあどこに行くんだよ。新川の方になんて用事はないだろ」
松岡が返す。そうだ。キャッツアイに行かないのなら、別に新川になど用事はないはずである。
まさか道中のパチンコ店に学ラン姿で行けるわけがないし、こいつはパチンコなんかやらせたら絶対に尻の毛まで抜かれるだろうと松岡は思っていた。
「新川には行かないよ」
意味不明な回答が返ってきた。じゃあどこに行くって言うんだ。新川方面に歩いているじゃねえか。松岡はイラついた。
「だったらさっさと帰ろうぜ。さみいし雪降りそうだし、無駄に歩く距離を延ばす必要ないだろ」
もっともな内容を松岡は言う。本当に清水の行動はわけが分からない。
いつもこいつの行動はわけが分からないから、そんなものに対していちいち気を揉んでいたらこっちの神経がすり減ってしまうので、松岡は敢えて基本的に清水の言動はスルーしているのだが、金髪にしやがったこいつとつるむ俺を見て教師たちはどう思うだろうかと、若干の不安を感じていた。
「発中の駅に行こうぜ」
「はあ? なんで? 街にでも行くの?」
「いや、梨恵さんに会いに行く」
またかよ……と松岡はうんざりした。
発寒中央駅に行きたいなら、このまま進めば確かにぎんなん通りとの交差点はあるので、そこから南下すれば辿り着ける。
だが街に行くのでもなく、単純に柴原さんに会いたいと言う清水に松岡は閉口した。
確かに以前も駅で恋人と待ち合わせしている姿を見たが、彼らがそこにしゃしゃり出たところで迷惑だろうし、暗くなってきているとはいえ、その恋人とやらが帰宅するのはもっと遅い時間だろうし、これから徒歩で発寒中央駅に行ったところで柴原さんがベンチに座っている可能性はほぼゼロであった。
大体がして、何が彼をここまで突き動かすのだろうか。柴原さんは確かに美人だ。以前会った時もそう思ったし、なんかちょっと元気なオーラみたいなものも感じたし、可愛らしい人だった。
(しかし高校二年生に過ぎない俺らが柴原さんと話したって、そんなのは何の意味もない行為だということを、こいつは分かってるのだろうか……)
松岡は至って冷静だった。
「お前なあ。柴原さん柴原さんってうるせえけど、今日だっているかどうか分からねえだろ。この間……いつだっけ。先々週だかの金曜にキャッツから帰る時だって、なんかお前発中の駅に行きたいとか言うから付き合ったけど、いなかったじゃねえか。何の根拠があって発中なんか行くんだよ」
「まあまあ相棒。お前からすりゃ別に家に帰るのと同じ方角だから、良いだろ」
「その呼び方はやめろ。確かに方角は一緒だけど、帰るならまっすぐ帰りてえよ」
やがて交差点に着き、二人はぎんなん通りを南下し始めた。松岡は清水にも聞こえるように思い切りため息をついたが、清水は華麗にスルーしていた。実にマイペースな男である。マイペースというか、そもそも聞こえているのだろうか。
少し歩いていると小綺麗なアパートだったり、コンビニがあった。二人は「寒いしなんか暖かいもん飲もうぜ」と、近くにあったローソンに入った。
ホットコーヒーを買い店の前で飲む二人。松岡はブラックにしたが、清水はミルクと砂糖を入れていた。
「ふうー。旨えな。寒い日に暖かいコーヒー。八面六臂に染み渡るってやつ? 堪んねえな!」
「それを言うなら五臓六腑だ。外でコーヒーを飲むのがそんなにありがたいこととは思わんが。家でのんびり飲みてえよ」
松岡は文句を垂れながらコーヒーを飲み干し、ゴミ箱へ捨てた。清水もぐびっと飲み干すとゴミ箱へ投じた。
雪が舞い始めていた。ああ、やっぱなあ……こんな天気なら降るよなあ……と、松岡はげんなりした。
基本的に札幌市民は雪が降っても傘なんて差さないが、この時期の雪はまだ若干気温が高いのもあって、微妙に濡れるから厄介である。
「さ、発中へ行こうぜ」
やれやれと松岡は清水と一緒に歩き始めた。途中、新道との交差点に差し掛かり、高速道路の高架上は相変わらず多くのクルマが走っているらしく、走行音が聞こえた。
回転寿司チェーン、歯医者、スーパー、銀行……ぎんなん通りにはこんなにいろいろな施設があったのかと松岡は感心した。普段は歩かないし、自転車で走り抜けてもそこに何があるかなんて目もくれないので、新しい発見ではあった。
といっても回転寿司に柴原さんが一人でいるわけはないし、歯医者にもいないだろうし、スーパーで買い物していたとしても彼らは発見できないだろう。
どうしても彼女と会いたいならば、清水の言う通り発寒中央駅に行って、彼女が現れるのを待つしかないだろう。果たして今日も恋人の帰りを待つという習慣をするかなんて分からないが。
二人はそのまま発寒中央駅に着いた。北口から駅舎に入ると美味しそうなパンの匂いがした。考えてもみると、南口から入ることはあるがこっちから入ることって滅多にないよな……と松岡は感じた。
みどりの窓口とパン屋さんくらいしかない狭い駅舎内。下校途中であろう他校の生徒たちが歩いていた。こんな所で人探しなんてねえ。
少しすると、黒いダウンジャケットを着てグレーの作業服のズボンを履いたおじさんが南口へ歩いて行った。どこかで見たことのある顔な気がしたが、松岡は思い出せなかった。
「腹減ったしパンでも食わねえか?」
清水の提案に松岡も頷いた。ちょっと小腹が空いた。お誂え向きにパン屋さんがあるし、この機を逸したら二度と買わないかもしれないし、良い案だと思った。
ベーカリーベルという名前のパン屋さんだった。入ると駅舎に漂っているよりもずっと良い匂いがした。
「おおー。こんな風になってんだな。こんなちっちぇえ駅にも、しっかりしたパン屋さんがあるんだな」
清水は感心した様子で言う。松岡も共感した。発寒中央駅は小さい駅と言えるが、店内はそんな狭さを感じさせなかった。いろいろなパンがずらりと並び、どれもとても美味しそうだった。
松岡はお薦めらしいクロワッサンを一つ選び、清水はクロワッサンと一緒にカナッペという、あまり聞き慣れないパンを選んでいた。明太マヨネーズ味らしく、これも旨そうである。
会計を済まし店の前のベンチに座る二人。ここは以前、柴原さんが座っていた席だよな……と松岡は何となく思った。
クロワッサンを食べてみると、バターの風味がして大変に美味しかった。そうか、発寒中央駅のパン屋さんってこんなに美味しいのかと少し感動した。
いつもは素通りしかしないような駅だし、用があるとしても列車に乗るためだけの存在だったが、駅舎内のパン屋さんにはここで働く人々がいて、その人たちにも人生があって、誰もがみんなそれぞれ生きているんだと、当たり前のことを松岡は思った。
清水は相変わらず「旨い旨い!」と言いながらクロワッサンとカナッペを交互に食っていた。どっちか片方に集中して食えよと心の中で突っ込んだ。
うーん、さっき飲んだコーヒーがあれば満足なんだが、順番が入れ違った感じだな……と松岡は苦笑したが、駅舎内に自動販売機があったので、のんびりとコーヒーを買いに行った。清水もそれを見てか「俺も欲しい」と言い、二人とも今度はホットのブラックコーヒーを買った。
ストーブが焚かれている駅舎内はそれほど寒くないが、とても暖かいとも言い難かった。改札の奥の窓越しに雪が本格的に降り始めたのを見て、松岡はがっかりした。
(これでは帰り道は雪の降りしきる中を歩くことになるな……。こいつが余計な道草を食わなければ、俺はとっくに帰ってお菓子でもつまみながらゲームをしてたというのに)
そう思う松岡に清水が気付くはずがなく、口笛なんか吹きながらベンチで足をバタバタさせている。子供じゃないんだからやめろ。みっともない。
「退屈だなあ」
「お前がここに来たいって言ったんだろ」
「そうだけど。単に人が行き交うのを見ているだけってつまらんな」
「じゃあ帰ろうぜ。雪が本降りになる前に俺は帰りたい」
「いや、まだだ。きっと梨恵さんは現れるはずだ。俺は待ち続ける」
清水は頑として動こうとしなかった。松岡はこのままこいつを置いて帰ろうかなと思った。どうせ待っていたって柴原さんは現れない。そんな気がした。
今日はきっとその恋人の帰りが遅いから、ここに来るとしてももっと遅い時間になるだろうし、そんな遅くまでこんな所で時間を潰すのは無駄である。
発寒中央駅は次々と人が行き交う。小さな駅に過ぎないここでも、様々な人がそれぞれの道を歩んでいく。きっと帰宅したりこれから仕事だったり、各々が何かの目的を果たすため、この小さな駅を使う。
松岡はぼんやりとそんなことを考えていた。そんな当たり前の、いつもなら考えもしないようなことを。そしてその中に自分たちも含まれているのだと知った。
彼らは柴原さんを待つという行為をここでしている。そしてそんなことは行き交う人々にとってどうでもいいことだ。赤の他人が知らない人を待つなんて誰にも注目されないし、「駅で誰かを待つ」なんて行為はありふれた光景だし、それに対して「誰かを待っているんですか?」と尋ねてくる人なんていない。
清水を見ると、缶コーヒー片手にうとうとと眠っていやがる。松岡はそんな相棒を放っておくことができず、空き缶をゴミ箱へ捨てると再び清水の隣に座った。
列車が到着し人が降りてくる。JRの駅員がそれを見守る。ほとんどの人がキタカでピッと改札を通り抜ける。
高校生、サラリーマン、おばさん、お爺さん、お婆さん。いろいろな人がそれぞれ暖かい格好をして、松岡たちになど目もくれず去って行く。北口へ。南口へ。誰もがそれぞれ帰るところへ、行かなければならないところへ歩いて行く。
不思議な気持ちだった。多くの人生を垣間見ている気がした。この人たちと自分は何ら関係のない赤の他人だが、もしかすると自分が何か些細なことをしてしまったがために、誰かの人生を大きく変えてしまうような、そんな可能性だってあるんじゃないかとすら思えた。




