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亜麻色の彼女  作者: 藍月ゆう
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58/70

IF(3)

 八回の表、南北海道大会決勝戦は三対〇で北洋高校リードだったが、西野高校の攻撃で無死満塁となっていた。

 そして迎えるのは兄のワタルだ。ワタルはふふっと笑っているように見えた。

(お兄ちゃん、楽しんでるんだ)

 ミカはとっさにそう思った。間違いなく兄はこの展開を楽しんでいる。

 右打席に入るワタル。独特なフォームだった。すっとバットを前に出し、一度構え直す。兄のルーティンだ。

 初球を北洋のシンノスケが投じる。ボール。ワタルは自信を持って見送っている。二球目はファウル。バックネット裏に飛び込むファウルでワンボールワンストライク。


「お兄ちゃん頑張れ!」


 ミカはいつの間にか身を乗り出して応援していた。

 彼女だけではない。ミカの両親も、そして名も無き公立高校の快進撃を見物に来た観客たちも、身を乗り出して応援していた。三番打者ワタルに注目していた。

 三球目はボール。ハーフスイングだったがワタルは堪えていた。

 四球目は空振り。スタンドはため息が漏れる。ダメなのか……やはり強豪相手には敵わないのか……。そんな空気が漂い始めていた。

 もしも大会打率五割を記録しているワタルが凡退すれば、続く四番は二割五分の三年生アキノリ。彼は一発があるが、今日は既に二打席三振しており、三打席目も詰まったライトフライだった。拙攻が続いている西野打線で、ブレーキになってしまっている。

 五球目、ファウルになった。一塁側のスタンドに飛び込んだ。ワタルは一旦、打席を外した。

 三塁側の内野スタンドをワタルは見ていた。ミカは兄と目が合った気がした。


「今打つから、見てろ」


 兄の目はそう言っていた。ワタルは再び右打席に入る。背番号6が輝いて見えた。

 シンノスケは一球、三塁への牽制を挟んだ。間を嫌ったのかもしれない。

 ワタルは身動き一つせず打席で構え続けていた。独特なフォームを保ちながら、黙って待っていた。

 シンノスケが六球目を投じる。

 カキン!と金属バットの音が響いたと思うと、打球は遥か上空へ昇って行った。北洋の外野手が追う。センターが追う。追って見上げる。一瞬の静寂の中、打球がバックスクリーンに直撃する音が聞こえた。

 大歓声が沸き上がる三塁側スタンド。ミカは信じられないものを見てしまった気がした。兄が神になったようだった。

 ワタルはガッツポーズを見せてダイヤモンドをゆっくりと一周する。ベースを踏み忘れないように確実に一歩一歩走り、最後にホームベースを踏むと三人の走者たちと抱き合った。逆転満塁ホームラン。三対四、西野高校一点リードに変わった。







 沸き上がる三塁ベンチだったが、その後シンノスケもすぐに立ち直って後続を断ち切った。

 流れが西野高校に来たとは言い難い。次は六番打者から始まる。リョウタの右腕に託すしかなかった。

 守備位置に就く選手たち。ワタルは先ほどのホームランの歓喜など忘れている。次は守り切らなければならない。この一点という最少リードを、あとアウト六つ取る必要がある。選手層を考えれば追い付かれると勝ち目はない。逃げ切るしかなかった。

 リョウタが六番打者を三振に取り、吠える。雄叫びを上げるリョウタに審判が注意する。だがリョウタはそんなもの気にしない。

 七番打者。今日二安打している嫌な相手だったが、ショートゴロ……ワタルの前に転がってきた打球を、ワタルは冷静に捕り凄まじい速さの送球を見せる。簡単に二死を奪う。

 八番打者。フルカウントにしたところで、アツヤがマウンドに行った。


「もうどうなっても良い。やれるだけやってやれ!」


 アツヤはそう言うとリョウタの背を押した。あの気弱なアツヤがこんなことを言うとはな……とリョウタはニヤリと笑った。

 捕手のアキラが要求した最後の球はフォークボールだった。リョウタは頷き、見事なフォークボールを投じ、相手打者は空振り三振に倒れた。リョウタは吼えた。

 九回の表。七番のアキラからの攻撃だったが、シンノスケが意地を見せた。癖を修正したのか、一塁を一瞬見る動作がなくなり、変化球で三者連続三振に切って見せた。西野高校の下位打線は、ギアをフルスロットルに上げたシンノスケ相手にお手上げだった。

 九回の裏が始まる前、両校が円陣を組んだ。


「絶対勝つぞ!」


 ワタルが大声で叫ぶ。


「おう!」


 ナインが頷く。

 当然、リョウタがマウンドに上がる。相手は九番打者のアズマだ。アズマは先制した回に四球を選び、選球眼が良い。リョウタが直球を投げるが、既に百三十球近く投じているためか、スピードが出ない。初球、二球目と外れてしまい、ツーボールナッシングとなる。

 甘く入った三球目をアズマが振り抜く。センターオーバーのツーベースとなり、無死二塁となった。一打同点。一発出れば逆転サヨナラの場面で、先ほどホームランを放っている左のイワムラを迎えた。

 内野が集まる。


「どうする? 歩かせるか?」


 捕手のアキラが聞く。ワタルはダメだと首を振る。


「勝負したいだろ? リョウタ」


「ああ。今度こそ打ち取ってやる」


 アキラはそんなやり取りを見て「やっぱりな」と笑った。一塁のソウタもクスクス笑っている。この土壇場で大ピンチなのだが、二塁のテツトも三塁のアツヤもクスクス笑っていた。逃げても解決しない。勝負するしかないのだ。

 全員が守備位置に戻った。一応外野は前進守備を敷いているが、長打が出れば同点になるのは覚悟の上だった。

 初球をリョウタが全力で投げる。「うおおお!」とか吠えながら投げるもんだから、ワタルはクスっと笑った。

 イワムラの打球はファウル。ノーボールワンストライク。二球目は外れてボールとなり、三球目は少し甘かったがこれもファウル。これでワンボールツーストライクとなった。

 追い込んだところでリョウタは一旦マウンドから離れた。ロジンバッグを触り、焦る気持ちを抑える。

(落ち着け。落ち着け。打たれてたまるか。打たれちゃダメだ!)

 胸の中で自分に言い聞かせる。あとアウト三つだ。そしてそれは俺が取るアウトなんだと、自分に言い聞かせていた。

 そんな時、マウンドにワタルがやって来た。


「リョウタ」


「どうした?」


「アウトはお前が取るもんじゃない。みんなで取るんだ。打たれたら……とか余計なこと考えずに投げちまえ。死にはしねえよ」


 ワタルの言葉にリョウタは笑った。

 そうだ。負けたところで死にはしない。何を自分一人で抱え込んでいるんだと笑った。

 イワムラが左打席に入る。リョウタはセットポジションから四球目を投じる。ストレートで押した。イワムラのバットが空を切る。空振り三振。ワンアウト。


「しゃーおら!」


 リョウタが吠えて審判が再び注意した。その様子を見てタカシマ監督は苦笑している。続く打者は二番のカワシマだ。右打席に入るカワシマ。

 初球、リョウタが投じた直球をセンター前に運ばれた。一死一、三塁のピンチだ。カワシマに代わりダイタが代走に送られた。

 再び内野陣がマウンドに集まった。


「走られるな」


 ワタルが笑いながら言った。


「走らせちまえ」


 アツヤが続けた。


「走られても良いか?」


 アキラが確認する。


「走らせろ」


 テツトがにこやかに言う。


「俺もそれで良いです」


 ソウタがニコッと笑みを浮かべる。


「じゃあ走られるわ」


 リョウタが満面の笑みを浮かべる。

 この場面、捕手が悪送球でもすれば確実に一点が取られる上、俊足のダイタを代走に送るという采配は九分九厘走ってくるということだ。

 ならばいっそ走らせてしまえと、全員が一致した。走らせて、三番のオオムラを歩かせて四番のキヨノと勝負するか、それかオオムラと勝負するか、もうどう転んだってピンチはピンチだし、リリーフに託す気もリョウタにはなかった。

 そしてベンチで腕を組むタカシマ監督もそれは一緒で、リョウタの右腕に全てを託そうと思っていた。

 リリーフのミツヒロ、ヨウイチ、レイジも、肩を作らずベンチで見つめている。見ているしかできない。

 宣言通り一球目から走られることにしたリョウタは、敢えて牽制球を挟まず外の直球を投じた。百三十球を超えても、ストレートのノビはまだ健在だった。

 スタートを切るダイタ。投げる構えだけ見せるアキラ。これで一死二、三塁。内野はバックホーム体制を取った。

 ベンチを確認するリョウタ。「歩かせろ」。タカシマ監督は腕を組みながら、そう言っているように見えた。しかし何かリョウタは納得がいかなかった。

(俺が本当に勝負したいのはキヨノじゃない。こいつだ。この俺から二安打しているオオムラを打ち取りたい)

 タイムを取り、おおいとリョウタは内野を呼んだ。集まる西野高校内野陣。


「俺は勝負したい」


 リョウタは言った。全員頷いた。


「分かってる。全員、前進守備に就けよ」


 司令塔のアキラが言った。ここは勝負するしかない。ゴロを打たせてホームで刺す。それしか考えていなかった。

 全員が守備位置に就く。しかし一人だけ……ショートのワタルだけが通常の位置にいた。アキラが「前進しろ」とサインを送るが、それを見て「不要だ」と首を振る。

 確認のためもう一度タイムを取り、内野が集まった。


「なしたんだよワタル。ここは前進守備を取るしかないだろ」


 アキラが少し怒った様子で言う。リョウタが苦笑する。


「分かってる。アキラの言いたいことも分かるし、前進守備がセオリーなのも分かってる」


 ワタルは頷く。


「じゃあどうしてですか?」


 ソウタが聞く。


「いいかみんな。よく聞いてくれ。俺は中学からずっと弱いチームで部活をしてきた。そして今日、弱いと言われた西野高校の部活で、南北海道大会の決勝に立っている。俺はこれが奇跡だと思っていたが、奇跡なんかじゃない。みんながみんな力を出し切ってきたからだ」


 ワタルの言葉を受けて、内野は全員頷き合う。


「俺は第六感みたいな勘が働くことがあるんだ。リョウタ、お前はオオムラと勝負するんだろ?」


「ああ」


 その通りだとリョウタは頷く。それを見てワタルも頷き、ニヤッと笑った。


「みんな信じてくれ。オオムラの打球はショートへのライナー性になる。打球は前進守備では捕れないところに飛んでくる。俺はそう感じている。それを信じてみようと思う。去年、同じような場面で、俺は自分を信じ切れずに逆転されて負けた。だから今年は信じてみたいと思うんだ。俺を信じてくれるか? もし信じられないってやつが一人でもいれば、俺も前進守備に就く。どうだ?」


 ワタルが言った内容を受けて、皆、少し困惑した表情を浮かべた。だがアキラが笑った。


「お前がそこまで言うなら、好きにしろよ」


 笑みを浮かべて捕手のアキラが言う。


「そうですね。ワタルさんを俺は信じます」


 一塁のソウタが頷く。


「俺が投げるんだから、絶対アウトになるコースに打たせて見せるさ」


 投手のリョウタが笑う。


「俺だってお前を信じるよ」


 二塁のテツトが笑みをこぼす。


「お前はどうだ? アツヤ」


 ワタルが問う。


「ワタル。俺はお前を中学時代から知ってるけど、お前の第六感は当てにならん」


 真顔で三塁のアツヤが言う。他の選手たちの顔が引きつる。ワタルはじっとアツヤを見つめる。


「だけど今日だけは信じてやるよ。俺は前進するけど、お前はいつもの場所にいてくれ」


 ニコッとアツヤは笑った。全員「よっしゃ!」と声を上げた。皆、良い笑顔だった。

 リョウタが第二球目を投じる。ボール。これでツーボールナッシングだ。ふう、と息をつくリョウタ。「落ち着け」とシグナルを出す捕手のアキラ。

 わあってるよ!と頷くリョウタ。守備位置を確認するアキラ。北洋高校のブラスバンドの応援も、既に彼らの耳には入っていなかった。

 ワタルは何か、光を見た気がした。導かれている気がした。少しだけ守備位置を左に……二塁方向へずらす。アキラからのサインに頷くリョウタ。

 セットポジションからリョウタが第三球目を投じた。オオムラが放った鋭い打球がワタルの目の前に来た。ノーバウンドで捕るワタル。


「アツヤ!」


「おう!」


 三塁に入ったアツヤに矢のような送球をする。三塁ランナーは飛び出していて戻れない。


「アウト! ゲームセット!」


 ショートライナーゲッツー。試合終了。

 西野高校野球部が、創立以来初の甲子園出場への切符を手にした瞬間だった。







 ミカは号泣していた。リョウタくんが勝った。お兄ちゃんが勝った。甲子園に行けるんだと思うと、胸が一杯になった。

 ミカの両親も抱き合って喜び、母も涙していた。父はうんうんと何度も頷いていた。

 西野高校のブラスバンド部は数が少ないなりに一生懸命演奏を続けていたが、何度も何度も勝利のマーチを流していた。

 教員たちも皆、「信じられない」と言う表情だった。弱小の西野高校が強豪の北洋高校を破って甲子園出場など夢物語だとみんな思っていたが、野球部は諦めてなんかいなかったのだ。

 試合後の校歌斉唱が終わり、三塁側スタンドの前に挨拶へ来るナインを、ミカは涙ながらに見た。

 ワタルが満面の笑みで手を振っていた。他の選手たちはみんな泣いているのに、ワタルだけは笑顔だった。泣き崩れているアツヤくんの肩を「しっかりしろ」とバンバン叩き、二人の様子を見てリョウタくんも笑いながら泣いている。

 心なしかタカシマ監督の目も潤んでいるように見えた。


「勝ったぞ! 見たか、ミカ!」


 兄の声がはっきりと聞こえた!


「見てたよ、お兄ちゃん!」


 ミカが叫ぶ。それを見てワタルは笑う。まだ泣いているアツヤくんを抱き締める。そして抱き合って二人は泣いた。ワタルも泣いた。ミカは初めてユニフォーム姿で泣く兄を見た。

 十五人しかいない選手たちが、みんな抱き合い涙していた。タカシマ監督も泣いていた。いや、それだけじゃない。

 スタンドも泣いていた。北洋高校ナインと北洋高校側のスタンドは悔し泣きをして、西野高校ナインと西野高校側のスタンドは嬉し泣きをしている。


「西野高校、バンザーイ!」


 誰かが叫んだ。


「バンザーイ!」


 誰かが続く。いつの間にかスタンドの皆がそれに続いた。


「西野高校、バンザーイ!」


「おめでとう!」


 万雷の拍手が送られた。一塁側、北洋高校のスタンドからも拍手が送られた。ミカはスポーツマンシップを見た。

(お兄ちゃん、カッコいいよ。世界一カッコいい)

 ミカは涙を浮かべながら思った。

 西野高校野球部が遂に夏の甲子園大会に出場するのだ。その日、北海道新聞の号外が配られた。


「弱小公立高校の快進撃! 西野高校が甲子園出場決定」







 ふう。こんなところかしら。一段落ついたと思うし、そろそろ智ちゃんに、この「IF」を読んでもらおうかな。

 あ、もう少しで発寒中央駅に行かないと。智ちゃんが帰ってくる時間だ。お弁当、明日も作らなきゃね。

 ん……そろそろ地毛が伸びてきちゃってるわね。亜麻色の髪は維持するの面倒だなあ……。いつまでこうして染めてるんだろ、私。

 でも智ちゃんも「綺麗だよ」って言ってくれるし、もう少しこのままでいようかな。

 それにしてもすっかり寒い季節になったのに、IFはやっと夏の甲子園が始まるんだから、私ったら遅筆ね……。

 だけどプレミア12で感動できたから、この話が書けたと思う。

 さ、着替えてっと。うんうん、これは我ながら力作だ、うん。

 こんな小説、誰も読まないだろうけど、智ちゃんにだけ読んでもらえれば良いんだ。ワタルが小学五年生の頃からだから、ずいぶん長い話になっちゃったし、ラヴィをしばらく貸さなきゃならないかなあ。

 今日は何日だっけ。十一月二十五日かあ。あと一ヶ月でお兄ちゃんの誕生日か。智ちゃん、これを読んで何かを感じてくれるかな?

 私のお兄ちゃんの存在とか気付かないよね。鈍いし。まあいつか話せる日が来るよね、きっと。

 あーあ、これからはホントに寒くて嫌だなあ。ストーブ焚くのだって灯油代が結構バカにならないし、早く冬なんか終わって欲しいなあ。

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