IF(1)
澄み渡った青空の下、札幌円山球場では、夏の甲子園大会への切符を懸けた戦いが繰り広げられていた。
ワタルが所属する札幌西野高校は公立で決して強くない学校だったが、七月十五日に始まる南北海道大会への出場権を勝ち取ると、勢いそのままに初戦を四対一で勝利し、第二戦も八対六で打ち勝ち、準決勝は延長十一回を三対二でサヨナラ勝ち。
北海道のメディアは「公立高校の快進撃」とざわつき始めた。基本的には私立高校が勝ち残る高レベルな南北海道大会で、西野高校はまったくのダークホースであったからだ。
そして迎えた決勝。ワタルにとって初めての甲子園を懸けた戦いだったが、ワタルにとっても相棒のアツヤにとっても、準優勝に興味はなかった。彼らが目指すのはあくまでも優勝。甲子園への切符である。
決勝は北洋高校との一戦だった。去年も甲子園に出場した歴史ある強豪で、当然私立高校である。白いユニフォームに赤いアンダーシャツが特徴的で、同じく白いユニフォームに濃紺のアンダーシャツである西野高校とは対極だった。
主将を務めるワタルは燃えていた。三番ショート、背番号6。既にこれが西野高校におけるワタルの代名詞となっていた。
試合前、円陣を組むナイン。西野高校は主将ワタルが檄を飛ばす。
「みんな! 今日勝てばいよいよ甲子園だ! だけど、甲子園のことよりも今日勝つ! これだけを考えるんだ! 西野の野球をすれば北洋なんか敵じゃない! いいな!」
「うすっ!」
ベンチ入りした六名を含めた、計十五名全員が気合を入れた。西野高校は一年生を含めても、たったこれだけしか部員がいないのである。
だが、かつて甲子園出場経験もあるタカシマ監督を招聘し、ワタルが攻守に支えたチームは、一年生の頃は南北海道大会など夢のまた夢だったが、二年生の時に札幌地区Bブロック準決勝まで残り、そして三年生の今、南北海道大会決勝戦まで上がってきた。
タカシマ監督の手腕と、一年生からショートのレギュラーを務め続けているワタル、そして二年生からサードのレギュラーに就き始めたアツヤが、このチームを支えていた。
ワタルは完璧主義者だった。どんな相手でも決して手を抜かず、勝つための努力を惜しまない。だから他の仲間から疎まれることだってあったが、アツヤがそれを丁寧に宥め、ワタルにはワタルの考えがあるからみんなで一生懸命頑張ろうと、潤滑油のような役割を果たしていた。
一年生が三人、二年生が四人、三年生が八人の計十五人。スタメン出場する九人を除けば、ベンチ入りできるのはたったの六人だけ。定員割れを起こしているにも関わらず、西野高校は勝ち進んできたのだ。
今日も投げるのは三年生のエース・リョウタだ。リョウタの右腕がチームを支えている。リリーフには左腕の三年生ミツヒロと、右腕の二年生ヨウイチ、そして一年生左腕のレイジがいる。スクランブルがかかれば、ワタルだってマウンドに上がる覚悟は出来ていた。
今日もワタルは三番ショートで、そしてアツヤは六番サードでスタメン出場していた。試合は緊迫した投手戦となった。
相手の北洋高校エース・左腕シンノスケも鬼気迫る表情で西野高校を四回までノーヒットに抑えると、リョウタも負けじとヒットを浴びながらも粘りのピッチングを見せ、ワタルのファインプレーもあり四回まで三安打無失点と好投。四回終わって〇対〇だった。
五回表の攻撃前、西野高校ベンチは円陣を組んだ。たった十五人の弱小野球部がここまで勝ち上がったんだ。だから絶対に負けられないんだ。
「みんないいか! シンノスケが変化球を投げる時、一瞬一塁を見る! その癖を見抜け! 一塁を見なければストレートかツーシームだ! 一塁を一瞬見たらスライダーかカーブが来る! これを見極めろ!」
ワタルが言った。そうだ。ワタルは二打席凡退したが、粘りに粘っていた。
一回表の第一打席、初球を見逃しストライク、二球目も見送ってツーストライクとなったが、三球目、四球目とボールが続き、五球目はファウル。六球目はボール。七球目、八球目もファウルで粘り、九球目で空振り三振。
四回表の第二打席は初球を見送りボール。二球目を打つも強烈なレフトライナー。二打席で癖は見抜いた。
他のナインが「うす!」と続く。この回の先頭は五番・三年生セカンドのテツトからだった。
テツトが右打席に入る。サウスポーのシンノスケが振りかぶる。テツトは見送る。
ボールだ。変化球だった。カーブだ。テツトは確かに一瞬、シンノスケが一塁を見やったのを確認し、小さく頷いた。二球目。テツトは振る気がなかった。確認したかったのだ。ワタルの言った癖が本当なのかを。
直球が内角のストライクゾーンに入る。テツトは確信した。シンノスケは一塁を見なかった。ワタルの言うことは正しかった。
(行ける!)
テツトは思った。ワンボールワンストライクから、シンノスケが振りかぶる。一瞬一塁を見る。テツトは変化球……スライダーを上手く流し打ちライト前に運んだ。チーム初ヒットだ。
一塁上で小さくガッツポーズを見せるテツト。首を傾げるシンノスケ。おかしい。西野高校に自分の変化球を対応できるはずはないと、疑問に思っているのだ。
ワタルはベンチで頷いた。そしてタカシマ監督に言った。
「これ、勝てますよ。間違いないです。シンノスケは変化球をワインドアップから投げる時、一瞬一塁を見ます。だからそれさえ見極めれば、四球を選ぶかヒットにできます」
タカシマ監督は小太りの腹を触りながら、「大したもんだ」と小さく唸った。このワタルには感心させられっぱなしである。一年生の頃から彼は明らかに打球の質が違った。身体は小さいが肩も強く、アツヤは下手くそなりにチームをまとめる力を持っている。チームのエースがリョウタならば、チームの大黒柱はこの二人だとタカシマ監督は思った。
続く打者は六番サードのアツヤだ。アツヤにタカシマ監督はバントのサインを出した。ここは手堅く送る。下位打線は捕手の三年生アキラ、次いでエースのリョウタ、そして二年生でレフトを守るヨシノリだ。
一塁に牽制を送るシンノスケ。テツトは俊足なので、エンドランを仕掛けてくると読んでいるかもしれない。これはチャンスである。テツトに単独スチールをさせるのも一手だったが、タカシマ監督はやはり、ベンチを見るアツヤにバントのサインを確認した。
アツヤがバットを横にする。セットポジションからシンノスケの左腕が投げる。ファウル。
セットポジションになったシンノスケは、変化球の見極めが難しくなっていた。セットになれば必然的に一塁を向くから、変化球を投げてくるのか直球で勝負してくるのか、その癖も見極めなければバントは決められないだろう。
二球目は外れてボール。これは明らかに外角に外した球で、アツヤは冷静にバットを引いた。もう一度ベンチを確認するアツヤ。何かを言いたそうな表情だとワタルは感じた。
(アツヤは何かを見つけたのではないか?)
ワタルは思った。シンノスケの決定的な癖のような何かを発見して、バントするか否か迷っているのではないか?
アツヤはバントが上手い。だからこそタカシマ監督も自信を持ってバントのサインを出している。しかし名手のアツヤが何か言いたげにこちらを見ているのは、何か発見があったとしか思えなかった。
タカシマ監督はしつこいくらいにバントのサインを出した。頷くアツヤ。
三球目。これは内角に落ちるカーブでボール。アツヤは冷静に見送っている。ファウルにするか空振りしかねないコースだったのに、アツヤは完全に何かを察したようにバットを引いて見送った。
ロジンバッグを触るシンノスケの表情をワタルは見た。何か少し動揺しているように見えた。「なぜ見送るんだ?」と言う顔をしている。そしてワタルにも分からなかったが、何か決定的な癖みたいなものを恐らくアツヤは見抜いている。だから変化球に釣られず、バントの構えをするが冷静に見極めているのだ。
四球目。これもボールになった。ワンバウンドのストレートだ。これはアツヤが読んだと言うよりも、シンノスケが力んだ感じが強い。カウントを悪くしてはならないが、何か不気味な見極め方をされている……そのためシンノスケは力んでコントロールミスをしたのだろう。
シンノスケが五球目を投じる前にアツヤがタイムを取った。もう一度、念入りにサインを確認する。タカシマ監督は少しイラついた感じにバントのサインを出すが、ワタルは確信した。アツヤはバントをする気なんてないということを。
五球目。セットポジションからシンノスケが投じる。内角への直球だ。アツヤはバントの構えからヒッティングに変え、バスターで三塁線を破った。バントシフトを敷いていた北洋高校ナインは隙を突かれ、結果的にバスターエンドランとなり、俊足のテツトは外野手が打球処理にもたつくのを見て三塁へ到達し、アツヤは一塁を大きく回ったところで戻った。
無死一、三塁と最高のチャンスメークをした。バントではなかったことにタカシマ監督は動揺しているようだったが、結果的に良い方向へ転んだのは事実である。
捕手のアキラが右打席に入る。タカシマ監督は迷わずスクイズのサインを出した。これがベストだとワタルも思った。俊足のテツトなら、バットに当たりさえすればギャンブルスタートでも還って来られる。
問題はスクイズを読まれている可能性が非常に高いことだった。アキラの次はリョウタだ。リョウタも右打者だ。アキラにしてもリョウタにしても、普通には打ってこないと北洋高校バッテリーも見抜いている。
初球だった。シンノスケの投じた球は外角高めに大きく外れ、アキラは懸命にバットを伸ばしたが届かず、スタートを切っていたテツトは三本間に挟まれ、アウトになってしまった。
テツトが粘る間にアツヤは二塁を陥れたが、一死二塁。併殺の可能性は減ったにせよ、ヒッティングしかない場面に変わってしまった。
「くそっ! 俺がちょっとスタート切るのが早すぎた!」
「気にするな、テツト。あれは仕方がない」
ワタルは悔しがるテツトをフォローした。アキラはノーボールツーストライクと追い込まれ、三球目を空振り、三振に倒れた。二死二塁と変わりリョウタが打席に入る。
リョウタはじっとシンノスケの表情を窺った。同じ投手として、こいつは西野打線を五回に入るまでノーヒットに抑えてきた。ワタルの言っていた癖が本当だとして、セットポジションでは何かが異なるはずだと、投手目線での考えをしていた。
シンノスケがセットポジションから投げてくる。直球だ。見送ってストライク。
(今のあいつの動きに特徴はなかったように思えるが、二塁のアツヤは何かを見極めた様子だった。なんだ? 一体何があいつの癖なんだ?)
二球目をシンノスケが投じる。スライダーに空振り。ツーストライクと追い込まれる。二球目を投じるシンノスケを見ていたが、何も変化はないように感じた。だが、何かがある筈なのだ。
三球目を見送る。これはボールだった。アウトローへの直球。恐らく、意図的に外してきた。だが、リョウタにとってはボールカウントよりも、シンノスケの癖が見極められないことに焦りが生じていた。
四球目。リョウタは見送る。カーブがボールゾーンから大きく変化しストライクとなる。見逃しの三振。最悪の結果に違いなかったが、どうにもリョウタは納得がいかなかった。ストライクだったことにではない。走って三塁ベンチに引き上げてくるアツヤに、何を見て判断していたかを聞かねばならないと思った。そしてそれは他のナインも同じだった。




