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亜麻色の彼女  作者: 藍月ゆう
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プレミア12(2)

『……さあプレミア12! 決勝戦まであと三十分となりました!』


 ローカルニュースをやっていたテレビが切り替わった。プレミア12って何だろう?と柴原は思った。すっかり酔っていてぼんやりとしていた。

(そろそろご飯の準備をしなきゃ……)

 そう思い昼に買ってきたおにぎりと、冷蔵庫に入っていたキムチとコンビニサラダを出した。ビールで膨れたお腹にはこれで十分である。

 一通りガラステーブルの上に準備してラヴィを床に置き、もう一缶ビールを持って来た。テレビの画面には東京ドームのグラウンドが映し出されていた。


『決勝は宿敵・韓国が相手です! いやーやはり日韓戦は燃えますね!』


『そうですねえ! 韓国は打つ方も守る方も隙があまりないチームですから、何とか先制して逃げ切りたいところですね!』


 どうやらプレミア12とは、野球の世界大会のようだった。

 情けないことに柴原は野球小説を書いているにも関わらず、この日まで野球の世界大会が開かれていることすら知らなかった。

 実況が話す内容を酔った頭でぼんやりと聞いていると、どうやら前日の韓国戦でも日本は勝ち、首位で通過したらしい。十二ヶ国が参加しているからプレミア12と呼ぶらしいことも知り、日本はアメリカにこそ惜敗を喫していたが他は競り勝ち、台湾で行われたグループ戦を全勝し、東京と千葉で行われたスーパーラウンドを四勝一敗の首位で終え、因縁の相手であるらしい韓国との決勝戦に臨むそうだ。

(どうして韓国が因縁の相手なんだろう……。私がまだ短大に入る前、WBCって大会でイチローが打ったのも韓国相手だったっけ。韓国も強いのかしら)

 キムチを食べながら柴原は思った。平成二十一年の三月に開催されたWBC決勝は日韓戦となり、延長十回表にイチローが試合を決める二点タイムリーヒットを放ち、原辰徳監督率いる侍ジャパンは見事、連覇を果たした。


『二〇〇九年以来、十年ぶりの世界一を狙う稲葉監督率いる侍ジャパンです! 奇しくも四年前、プレミア12でこの韓国に屈辱の逆転負けを喫し、日本は三位に終わりました。そんな宿敵、最大のライバルである韓国と、東京ドームで日本はぶつかります!』


『堂々と戦って欲しいですね! 日本の野球ができれば必ず勝てますから!』


『ええ、そうですね! さあこれから両国国歌の斉唱です』


 実況と解説が話すのをぼんやりと見つめていた。酔って「ひっく」と少し声が出た。

 韓国国歌が斉唱された。韓国の選手は皆、神妙な面持ちだった。韓国の選手、スタンドにいる韓国のファンが映し出された。斉唱が終わると場内には拍手が響いた。

 続いて君が代が流れる。稲葉監督も、選手たちも、スタンドの日本のファンもみんな歌っている。柴原はそれを見て、酔いもあってかなぜか涙が出そうになった。胸が熱くなるのを感じたのだ。

 自分は全然追っていなかった、存在すら知らなかった大会だけど、そんな大会で日本が世界一を懸けて戦おうとしているんだ。そう思うとジーンとするのだった。

 きっと全員、日本の選手も韓国の選手も緊張しているのだろう。両国国歌の斉唱が終わると球場は万雷の拍手に包まれた。


『さあ、いよいよプレイボールです!』


 実況が興奮気味に言う。柴原は五杯目のビールを開けサラダをつまむ。ジャイアンツの山口投手が先発らしい。

 スワローズの山田哲人選手もいた。可愛い顔をしていた。

 あの琴工(きんこう)の博樹くんって子も山田選手のファンと言ってたっけと、柴原は高校生の顔を思い出した。

 試合開始早々、山口投手は四球を出してしまった。柴原はビールを飲み、キムチやサラダ、おにぎりをつまみながら見守った。何か嫌な予感がした。


『ああーっとこれは! キム・ハソンの打球は……スタンドに入りました! 韓国先制です! 二対〇です!』


(あちゃー。入っちゃった。山口投手、首を傾げてるわ……。調子が良くないのかしら……)

 韓国が先制した。その次の三番打者はセカンドゴロに、四番打者はショートゴロに倒れ、山口投手は調子を取り戻したかに思えたが、左打ちの五番打者が打席に入った。


『このキム・ヒョンスも一発があるから気を付けなければなりませんね』


『そうですね。彼はかなり振り抜いてきますから、甘く入ると……』


『ああ! この打球もライトスタンドにホームラン! 韓国三点目! なんとどうしたのか山口俊! 二発のホームランで三対〇です!』


 解説者が言っている傍からホームランを浴びてしまった。

 これで〇対三。いきなり三点もビハインドを背負ってしまった。

 柴原は呆然としていた。試合開始で早速三失点である。満塁ホームランでも出れば逆転できるが、そんな簡単にはいかないだろう。


「何してんのよ! シャキッとしないと!」


 つい声に出ていた。すっかり酔っ払っていた。今食べているキムチすら韓国の物だと思うと、ちょっと因縁を感じてしまった。キムチには何の罪もないのだが。

 その後、山口投手は後続を打ち取り何とか三失点で凌いだが、日本は初回から〇対三と厳しい試合になりそうだった。

 一回の裏、ワンアウトから坂本選手が四球で歩くも、続く丸選手がファウルチップで空振り三振。野球音痴な柴原もファウルチップで三振になるのは理解していたので、「あちゃー」と頭を抱えた。

 続く四番はカープの鈴木誠也選手だった。右打席に入る。

 ワンボールツーストライクから鈴木選手が放った打球は、レフトフェンス直撃のタイムリーツーベースとなり、日本は一点を返した!


「やったやった! どーだ! あはは!」


 パチパチと手を叩きながら応援する柴原。もう酔っ払い親父と何ら変わりはなかったが、とにかく日本には絶対に勝って欲しかった。

 後続が倒れて一点止まりだったが、一対三となり試合はまだまだ分からなくなってきた。

 二回の表から投手が交代となった。高橋礼というホークスに所属する選手らしい。アンダースローの独特なフォームをしており、四球を一つ出したが〇で凌いだ。韓国の選手は明らかに打ちづらそうにしていた。

(高橋か……あの高橋っておじさんとたまに駅で会うけど、仕事終わりは手稲の方から来るみたいね。いつか焼鳥屋さんで会ったひろむくんは元気かしら)

 柴原はそんなことを考えていた。

 高橋と親しいわけではなかったが、発寒中央駅で帰宅する彼を見掛けたり、通勤途中の姿を見掛けたり、自ら話し掛けることはないにせよ、時々顔は見るので名前を覚えていた。

 二回の裏、日本の攻撃が始まる。先頭の外崎選手は惜しくもショートゴロに倒れてしまい、いつか青木の家で見た近藤選手も三振に倒れてしまう。ツーアウトランナーなし。

 これでは反撃が……と柴原が思っていると、會澤選手が四球で歩いた。ここで流れが変わった気がした。


『このフォアボールは大きいですね』


 解説の言葉に柴原も大きく頷いた。

 韓国の先発ヤン・ヒョンジョン投手は初回に三点の援護をもらったが、すぐに一点を返されてしまっているし、何よりも球場の雰囲気が異常だ。

 東京ドームで開催されているのもあり、球場のほぼ全てが日本のファンだ。韓国のファンだっているだろうが、韓国の攻撃時は静まり返った球場が、日本の攻撃時は大声援に変わる。ファンの力が侍ジャパンに勇気を与えている。五杯目のビールを飲み干し、六杯目に手を付けた柴原は思った。

 続くカープの菊池選手が粘ってヒットで出た。これでツーアウトながら一、二塁のチャンスだ。一発出れば逆転の場面で打席が回ってきたのは、先ほど一回の裏ではフライに倒れてしまったスワローズの山田哲人選手だ。

 球場が大声援に包み込まれる。「やまーだてつと!」という特徴的な応援歌を柴原もすっかり覚えてしまい、ついつい口ずさんでしまった。


「やまーだてつと!」


 キムチをつまみながら山田選手に声援を送る柴原。

 山田選手はボール球をきっちりボールと見極め、微妙な球はファウルで粘っていた。なかなか決着がつかない。韓国のヤン投手と日本の山田選手の我慢比べみたいになってきた。

 そしてヤン投手が投じた八球目だった。山田選手はフルスイングし、日本全国の夢を乗せた打球は一直線にレフトスタンド中段へ飛び込んだ!

 大歓声が鳴り止まない東京ドーム。柴原も「きゃー! 入った! 入った! やまーだてつと!」と大はしゃぎし、壁越しに隣の部屋の若い大学生の「よっしゃあー!」という雄叫びも聞こえた。彼も観ているらしい。

 続く坂本選手の打球は強烈なライナーとなり、韓国の三塁手がダイビングキャッチでこれを掴み、日本の二回裏の攻撃は終わった。四対三で日本が一点のリードに代わった。

 三回の表。高橋投手が続投だ。先頭をヒットで出したが続く選手をレフトフライに打ち取り、タッチアップを狙った一塁走者をレフトの近藤選手が刺した。これには柴原も「カッコいいー!!」と痺れたし、隣の大学生も「おっし!」と手を叩く気配がした。

 試合はそれから膠着した。ヒットは出るが得点には結びつかない。韓国の選手がヒットを打つも日本の守備に阻まれる。日本も同じでヒットは出るが得点には結びつかず、試合は四対三のまま七回の攻防になっていた。

 柴原はビールを飲み干して酎ハイに手を出していた。かなりお酒が入った模様で、アウトを一つ取る度にパチパチと手を叩き、ヒットを一本打つ度に「やった!」とはしゃいでいた。

 七回の表。韓国のラッキーセブンの攻撃。日本は甲斐野投手にリリーフした。ホークスに在籍しているらしい。まだ若い投手だということは酔っ払いの柴原にも分かった。

 先頭打者を空振り三振に切って取る。「いいぞー!」と手を叩く柴原。続く打者もゴロに打ち取り簡単にツーアウト。そして三人目の打者もライトフライに打ち取り、いよいよ世界一までアウト六つとなった。柴原はドキドキしているのを感じた。

 思えば生まれて初めて自分が野球に熱中していると気付いた。日本に勝って欲しい。韓国との因縁はよく知らないけど絶対に勝って欲しい。そう願った。

 七回裏。先頭の坂本選手がフェンス直撃のツーベースを放つ。ノーアウト二塁の大チャンスを迎える。ここで追加点を取れれば日本の勝利はぐっと近付く。

 続く丸選手は浅いセンターフライ。これではタッチアップできない。

 ううん……と唸る酔っ払いの独身女。続く四番の鈴木選手もセカンドゴロに倒れるが、ランナーは三塁へ進む。これでどんな形でもヒットになれば追加点だ。打席にゴールデンイーグルスの浅村選手が入る。


「ここよ! ここで打って! お願い!」


 柴原は酎ハイを飲みながら祈った。

 初球だった。真ん中付近に来たストレートを浅村選手は華麗にライト前へ運んだ。追加点のタイムリー。五対三となった。


「きゃー! やった! やった! 浅村さんすごい!」


 隣の部屋からも「よおし!」と声が聞こえる。柴原は何か一体感みたいなものを覚えていた。

 そうだ。日本中が今、侍ジャパンを応援している。稲葉監督を胴上げして欲しいと思っている。そして韓国では、韓国の人々が韓国代表を応援している。

(これだ。IFに足りなかったもの。この空気だわ。絶対に負けられない試合。意地と意地のぶつかり合い。プライドを賭けた大勝負。緊張感!)

 八回表。バファローズの山本投手がマウンドに上がった。先頭打者を簡単に空振り三振、二人目をセンターフライ、そして三人目も空振り三振とあっと言う間に片付けた。カッコいい……と惚れ惚れした。

 八回裏。この回は韓国も必死にリリーフで踏ん張り、日本は三者凡退に終わる。勝負は九回の攻防に移ろうとしていた。

 九回表。ベイスターズの山崎投手がマウンドに上がる。「ヤ・ス・ア・キ!」と球場が一体となって応援している。柴原もそれに倣い、「ヤ・ス・ア・キ!」と言ってみた。酎ハイは二杯目だった。おつまみは食べ尽くしてしまったが、もうそんなのはどうでも良かった。勝ちたい! 勝て! それしか頭になかった。

 先頭打者のパク・ビョンホ選手を迎える。初球ストライクを取り、二球目を引っ掛けてサードゴロ。あと二人。

 二人目、キム・ヒョンス選手。今日ホームランを打っている強打者だ。しかし初球を引っ掛けてセカンドゴロ。あと一人!

 球場が異様なムードに包み込まれる。あと一人コールがどこからか湧いてくる。一球目。見逃してストライク。柴原はパチパチ!と拍手を送る。二球目はボール。三球目は打ってファウルで、これでワンボールツーストライク。あと一球! あと一球!

 四球目を山崎投手が投じる。空振り三振! 會澤捕手がガッツポーズする! ナインがマウンドに集まる! 優勝だ! 日本が世界一になった瞬間だ!

 ベンチから日本の選手たちが飛び出す。球場が歓喜に沸く。稲葉監督が涙を浮かべながらゆっくりとグラウンドへと歩んでいく。その姿を観て柴原も涙した。酔っ払っているからかもしれないが、侍ジャパンの虜になっていた。

 敗れた韓国チームが一礼をしている。その姿にもスポーツマンシップを感じ涙した。美しかった。こんなに美しいのかと涙が止まらなかった。

 稲葉監督が胴上げされる。柴原は無意識の内にスマホを手に取り、青木に電話を掛けた。


『もしもし? なした?』


「智ちゃん! 勝った! 勝ったよ! 世界一になったの!」


 涙声の柴原に、電話越しに彼が困惑しているのが伝わった。


『勝った? ああ、プレミア12か……今日だっけ』


「そうよ! もう! なして観てないのよ! すごく良い試合だったのに! はっちゃきこいてたんだよ!」


『あはは、そっかそっか。日本が優勝かあ。良かった。嬉しいな』


 青木が笑っている。

 考えてみると野球が好きなはずなのに、彼は観ていなかったのか。だがそんなこともどうでも良いくらい、柴原は興奮していた。


「うん! 良かった! ほんとに良かった……うう」


『もしもし? おいおい泣くなよ、梨恵。良かった良かった。素直に喜ぼう。ね?』


 優しく青木が言った。

 柴原は彼に会いたいと思った。こんな飲んだくれで、テーブルの上には空き缶が沢山散らかっているが、これは今から片付ければ良い。部屋はもうすっかり綺麗になったんだから。


「智ちゃん。私ね、お家のお掃除頑張ったから、今度は……あの、遊びに来ても大丈夫だよ」


『お、偉いぞ梨恵。よく頑張ったね。ありがとうね。したら今度、お邪魔しようかな』


「うん……あの、夜遅くにごめんなさい。明日からお仕事だよね。明日、駅でお弁当渡すからね」


『ああ。ありがとう、梨恵。したらね』


「うん、おやすみなさい……」


『おやすみ』


 電話は切れた。こんな夜遅くに迷惑だったかしらと、少し反省した。

 フラフラと酔った足取りで缶を片付ける柴原。もう彼女の家は汚くない。

 廊下に大量に置かれている袋たちは、ゴミの日にどんどん出していけば消える。

(これでいつでもお嫁に行けるわね)

 何を考えているんだか、と自分で自分を笑った。そして米を研いで小さな炊飯器に入れ、明日の朝に炊くようにセッティングした。明日も早起きして、青木に弁当を作らなければならない。

 弁当を作る行為が苦ではなかった。楽しかった。これからもずっと作りたかった。柴原は本人も自覚のない内にだが、彼女なりに人生を変える準備を進めていた。

 そしてIFの続きも書けそうな気がした。物語では既にワタルは高校三年生になっている。中学三年生の妹であるミカと喧嘩をすることもあるが、ミカは野球に打ち込む兄を見て、密かに応援している。両親も「本当にプロに入れるかもしれない」と期待している。

 高校三年生、春の選抜には出られなかったが、夏の甲子園大会出場へ向けワタルたちは猛練習中だ。南北海道大会で優勝すれば夢の甲子園への切符を掴める。ワタルの在籍している高校は弱いが、ワタルと相棒のアツヤが三年間掛けて、強いチームを作りつつある。初めての甲子園行きを懸けて最後の夏、強豪相手に挑む。そんな話になるだろう。

 柴原はプレミア12と侍ジャパン、そして韓国代表に感謝した。この人たちが自分に感動を与えてくれたからIFはきっと書ける。どこまで書けるか分からないが、夏の甲子園を目指す緊迫した戦いを書ける。一戦も負けられない、絶対に負けられない試合を私は書いてみせる。柴原はそう誓った。

(ああ、誓ったはいいけれど飲み過ぎたわ……早くシャワー浴びて寝ないと、明日寝坊しちゃうわね。もう、こんなんじゃ伊藤先生に怒られるわ。でも部屋は綺麗にできたし、今日の私は頑張った! 偉い!)

 自分で自分を褒めるホメ療法を行い、柴原はいそいそとシャワーを浴びに行くのだった。点けっぱなしにされたテレビでは、侍ジャパンのハイライトが流れていた。

 令和元年、記念すべき年に世界一に輝いたナインたちが誇らしげに映っていた。

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