プレミア12(1)
(いい加減、片付けなきゃならないわ……。寒くて外に出る気もしないし、こんな部屋じゃ智ちゃんが「寒いからちょっと暖まりたい」とか言ってきても絶対に上げられないし、何だか恥ずかしい気がしてきた……)
柴原がようやく動き始めたのは、十一月十七日の午前十時頃であった。
今日は彼も休みのようだったが、何でも「用事があるから、デートはまた今度にしよう」と言っていたし、柴原も寒い日が続いているもんだから、何だか外出するのが億劫だったので、「残念ね」とか言いながらも内心はラッキーと思っていた、相変わらずのダメっぷりだった。
そんな彼女は起床してからベッドの上でしばらくゴロゴロとしていたが、ペンギンのぬいぐるみを抱き締めながら七畳半程度の我が家を見渡した時に、あまりの汚れっぷりに嫌気が差したのだった。
まずもって汚い。寒い日が続くので、この部屋にはエアコンがないが備え付けのFF式石油ストーブはあるので、その周辺だけはとりあえず掃除したのだが、ブルドーザーでゴミを除けただけみたいな掃除の仕方だったので、一生懸命部屋を暖めているストーブの周りを除けば本当にゴミの山という以外、表現のしようがないくらい汚かった。
本人がパンドラボックスと呼んでいる備え付けのクロゼットの奥に、灯油用のポリタンクを置いていたのだが、そのポリタンクを取り出すのですら困難で、一時間近くガラクタと格闘してようやく確保したが、入っていたのは半分未満の灯油だったので柴原をがっかりさせた。これでは早急にガソリンスタンドへ買いに行かねばならない。
先日両親から送られてきた救援物資の中にゴミ袋と半纏が入っていたので、ストーブをエコモードにして灯油を節約し、いつものグレーの上下スウェットの上に濃紺の半纏を羽織り、このゴミ袋でさっさと掃除をしろと親が言いたいのは何となく伝わっていた。両親を家に上げたことはないが、恐らく感づかれている。
(智ちゃんにこんな姿見せたらどんな顔するかしら……。半纏に寝ぐせのついた髪に、スウェットにすっぴんの顔に、この部屋……。「もう無理だ。別れよう」なんて言われたりして……)
自らの格好と部屋を見て乾いた笑いが出た。しかし笑っても部屋は綺麗にならないし、さっさと綺麗にしないと、青木が家に入りたいと言ってくる機会があるかどうかは別にしても、彼のように「誰を上げても恥ずかしくない部屋」には程遠い。
やれやれ……と、柴原はようやくベッドから降りた。何かが右足に当たった。昨日の夜に食べたスーパーの弁当の空の容器だった。柴原は自分のだらしなさに絶句した。
食べ終わって濯ぎもせず、テーブルの上にあればIFを書く邪魔になるからと適当に落としたのだろう。ありえない。いくらお酒を飲んでいたとはいえ、こんなことはあってはならない。
そう思うと次は缶ビールの空き缶が転がっていた。そう言えば夕べ、結構飲んでしまった気がする。青木が社長の誕生日だかで飲み会だったもんだから、なまじ自由な時間を過ごしたばっかりに、部屋の汚れ方が悪化している。柴原は頭痛を感じたがこれはきっと二日酔いのせいで、汚さにやられたわけではないと自分に言い聞かせた。
流しへ向かうとおびただしい数の洗い物が放置されていた。柴原はクラクラするのを感じた。このまま発寒中央駅へ行って、札幌都心にでも逃げようかと思ったくらいだった。半纏にスウェット姿にすっぴんだけど。
亜麻色の髪を掻く。掻いたところで部屋は綺麗にならないし、洗い物は打ち捨てられたままである。
「もう! ほんっとにだらしないんだから!」
柴原はつい声に出た。だらしないのは手前のことであるが、どこか他人事に聞こえるような言い方で彼女は洗い物を始めた。なかなかお湯にならずイライラが募る。
「何なのよこのガスは! 早くお湯になりなさいよ!」
一人でうるさい。ヒステリーでも起こすのではないかと思うが、いつもの光景である。次第にぬるま湯になり、柴原はスポンジに洗剤を付けてコップや皿を洗い、拭いて、あるべき場所へしまった。
シンクの汚れが若干気になったので掃除を行った。幸いにも少量の水垢と赤カビ程度だったので、手遅れになる前に処置ができた。
ようやく台所の掃除が終わった。次は小さい冷蔵庫を開けてみた。
すると缶ビールや酎ハイに紛れて、いつ買ったのか覚えていないコンビニスイーツやら、腐ったお漬物やら、自分でもいつ茹でたか覚えていないパスタが入っており、忌々しいそれらを片付ける必要があった。明日はゴミの日なので、今日中にこの生ゴミたちを始末せねばならない。
一通り片付けると、冷蔵庫の中には梅干しと、まだ賞味期限が切れていないキムチと、今日が消費期限のコンビニサラダと、缶ビールと酎ハイだけになった。とても独身女性が使っている冷蔵庫とは思えないラインナップである。
(とりあえず今晩も飲めるわね……)
呆れたことにまだ飲むつもりである。お菓子だけはストックしてあるので、サラダとキムチをつまみにお菓子でも齧りながら飲むつもりなのだ。飲むのは勝手だが、本人は一応病人であるという自覚が足りていない。
水回りと冷蔵庫の掃除を終えたので、次は風呂掃除を始めた。風呂は日常的に掃除しているのでさほど汚れていなかったが、カビが若干目立ち始めていた気もしたので、カビ用の洗剤をばら撒いて十分程度放っておき、洗い流すとすっかり綺麗な風呂場が戻ってきた。ついでにシャンプーとコンディショナーの補充もした。
トイレも同様に綺麗だったが、トイレ用のウェットシートで丁寧に便器を拭き、もう一枚使って床と壁を入念に拭いて、スリッパの裏側も拭いた。便器の黒ずみが気になり始めたので、同じようにカビ用の洗剤で掃除をした。これでようやく柴原家の家訓である「風呂とトイレは綺麗にせよ」は達成できた。
(お腹空いたわ……)
時計を見ると十一時半だった。朝から何も食べていないし薬も飲まなきゃならないので、このままではいけない。柴原は仕方なくコートを羽織り、すっぴんだったので意味もなくマスクを着け、近所のスーパーに朝食兼昼食を買いに行った。ついでに夕飯に何かおにぎりでも買って、月曜からまた作り始める青木の弁当用の食材を買ってこようと思った。
買い物を終え、帰ってくると迎えてくれたのは小汚い部屋である。そうだ、水回りは掃除したが、肝心の部屋なんて全く手付かずである。仕方なくゴミやファッション誌やら何やらガラクタを寄せてスペースを作り、愛用のラヴィを退けて白いガラステーブルの上に弁当を乗せる。
「いただきます!」
ちゃんと手を合わせてお辞儀をした。
この辺はしっかりしているのに、彼女の住む小さな部屋は全くしっかりしていない。柴原は薬と、一緒に買ってきた小さなペットボトルの緑茶を準備して食べ始めた。
特別美味しいわけではなかった。普通の幕の内弁当みたいな内容で、煮物はなかなかだったがそれ以上の感想はなかった。
食べ終わり今度はちゃんと片付ける柴原。こんなのは全然褒められる内容ではない。やって当たり前である。割り箸を燃えるゴミの黄色い袋に、濯いだプラスチックの容器と薬の空はプラ用の透明な袋に、ペットボトルは濯いで資源物の袋に入れた。
さて、ようやくスタート地点に立った気がした。柴原は再び半纏を羽織り、この膨大なゴミの山を相手にしなければならなかった。
まずファッション誌。適当にコンビニとかで買うのは良いが、ほとんど活用されていない哀れな彼らを始末しなければならない。このまま放置していても絶対に読まないし、仮に読んだところで「ふーん」としか感想を漏らされないのだから、可哀想である。
これを紐で縛り古紙として指定のゴミの日に捨てなければならない。ファッション誌の他には、なぜ買ったのか全く記憶にないコンビニの漫画だったり、IFを書くために勉強したい……と思い買った古いスポーツ新聞と、次から次へと紙ゴミが発生した。柴原は無言でそれを片付け続けた。
何となく無音の中で作業を進めるのは寂しかったので、テレビを点けた。日曜日の昼のテレビはゴルフだったり競馬だったり、あまり柴原が興味を示す内容ではないが、何も音がしないよりはマシだった。
とりわけダイレクトメールは面倒だった。住所と氏名をいちいちハサミで切って、燃えるゴミとして捨てなければならなかったからだ。手動式のシュレッダーでもあれば楽なのだろうが、無駄な物は腐るほどあるのに、そういった役立つ物はこの家になかった。
チラシは単にそのまま縛れば良いのに、こんな面倒な物を送ってこなくていいと柴原はメーカーを呪ったが、ダイレクトメールを受け取りますと契約したのは彼女自身である。
紙ゴミの片付けが終わった。想像していたよりも凄まじい量である。自分はこんなに無駄遣いをしていたのか……と柴原はうんざりした。
「なして読みもしないファッション誌とか買うわけ? スポーツ新聞だって結局読んでないじゃない。バッカじゃないの?」
自分で自分を嘲笑した。それがいかに愚かな行為か彼女自身心得ているつもりだが、そうでもしなければやっていられないほど酷かった。
紙ゴミが一段落したところで、柴原は一服……とばかりに缶ビールを開けた。おいおい、まだ昼間である。
「ぷはーっ! もう飲まなきゃやってられないわ、こんな作業!」
親父のような声を出す半纏を羽織った二十九歳、独身女性。いろんな意味で彼女は残念である。
柴原は続いて、再び炎を燃やし始めたストーブ周辺に転がるガラクタ類に目をやった。
昔付き合っていた男からもらった財布だの、何となく集めていた飲み物のおまけのフィギュアだの、普段は着けもしない電池の切れた腕時計だの、何だかいろいろな物が散らばっていた。なぜこんなになるまで放っておいたのか……と後悔したが、仕方なく片付け始めた。
昔付き合っていた男を思い出した。
確かほっぺたを思い切りビンタされて別れた気がする。あまりにもだらしなくて、呆れ果てた男が「片付けてやるから家に入れろ」と言って、仕方なくやってもらったが「勝手に掃除しないでよ!」文句を垂れると男は激高し、ビンタして出て行って二度と連絡を寄越さなかったし、柴原は男が暴力振るうなんて最低!と泣いたが、今となったら何となく彼の気持ちも分からないでもないかも……と思ってきたのだった。
当時の部屋もこれくらいかこれ以上に汚く、それをせっかく片付けてくれたのに「勝手なことをしないで」なんて言われたらイラっとするだろう。同じようなシチュエーションがあったとして、青木は殴ったりはしないだろうが、それでも怒りそうである。
財布は燃えるゴミに出すことにした。この時計だって確かその男からもらった物だ。売ればいくらかになるだろうが、何だかそんな物で得たお金で食い繋ぐ気になれなかったので、燃えないゴミとして捨てることにした。
テレビ台の上を見るとピングーのフィギュアが埃を被っていたので、一つずつ丁寧に拭いてあげた。「ごめんね……」と漏らしながら、そっと扱った。
テレビ台本体も埃が酷かったので掃除して、青木から「画面は液晶用のウェットシートで拭くんだよ」と教わっていたので、先日家電量販店で買ってきたシートでテレビを入念に拭いた。自分でも引くくらい埃まみれだった。
ついでに液晶シートで愛用のラヴィを拭いた。白い本体はより一層輝き、液晶画面も綺麗になった。
ラヴィは先日青木がウィンドウズ10にアップグレードしてくれたのだが、柴原は7と10の違いに慄き、使い方がイマイチ分かっていなかった。
OSが変わっても柴原のやることと言えばメモ帳を開いて小説……IFの続きを書くことくらいなのだが、そのIFを青木に見つからないよう、デスクトップからマイドキュメントの奥深くに隠していたものの、そのマイドキュメントを開くまで「うーん……」と腕組みして悩むくらい、ユーザーインターフェースが変わっていた。
(オシャレになったけど使いにくいわね……慣れるのかしら)
ラヴィを拭きながら柴原は思った。キーボードの手垢も綺麗になった。新品のようにキラキラして、ウィンドウズ10の画面を表示するラヴィ。柴原は愛おしくなり、ラヴィを撫でた。
思えば長い付き合いであるが、こんなにしっかり掃除してあげたのは初めてかもしれない。
テレビではバラエティ番組がやっていた。特に興味をそそる内容でもなかったので、掃除を継続することにした。缶ビールの一杯目が空いた。
二杯目を飲みながら、次はパンドラボックス周辺を掃除し始める。ここは異次元への入口とも言える汚さだ。
(古くなった下着、要らない。でもそのまま投げるのは恥ずかしいから、ちゃんと切って袋に入れて投げてと。これは何? いつのゼリーの入れ物なの? 風邪引いた時じゃないでしょうね。それだったら一ヶ月も放置してたことになるんだけど、まさかね……)
まさしくゴミだらけだった。先述した以前付き合っていた男からもらったペンダントだったり、鞄だったり、「もうこんな物は要らない」と思う物が次から次へと出てきた。ゴミを捨てるという行為は、過去を捨てる行為にも繋がる。果たして幸せだったかどうかは別にして、過去の記憶をどんどん捨てているんだと実感した。
以前付き合っていた男の顔を思い出そうとしたが、はっきりと思い出せなかった。それよりも青木の顔が浮かんだ。青木に見せても許される家にしないと、と義務感みたいなのが生まれ、必死になって片付けた。
(はっちゃきこいて頑張ろー! さあ、三杯目いっくぞー! カシュっと! んーたまんない! さ、続き続き……あ、お菓子でも食べよっと)
まだ昼過ぎなのに、彼女はすっかり出来上がっている。
飲みながら部屋の片付けを続け、テレビ台の横に置いていたジェンツーペンギンとキングペンギンのビニール製のオブジェは綺麗に拭いてあげた。柴原はよしよしと二羽を撫でた。
昼下がりになった。日は落ち始めているが柴原は気付かず、パンドラボックスの中に手を付け始めた。パンドラボックスは異次元だった。カオスそのものだった。いつ買ったのか覚えていない服、もう着ないであろう物がわんさか出てきた。
他にも古いスマホ、壊れた電卓、インクが出なくなったボールペン、園児からもらった似顔絵……いろいろな物が出てきた。
似顔絵は大切な書類を入れているクリアホルダーに入れた。「りえせんせい」と書かれていた。柴原は保育園で働いていた日々を懐かしんだ。早く戻りたいと思った。これは柴原に特別懐いてくれた女の子が描いてくれた物だ。捨てるなんてできなかった。
(壊れてかなり昔に捨てたプリンターのインク、要らない。懸賞で当たったお皿……うーん、要らない。使わない。こんな服もあったわね……売るのも面倒だし二束三文よね。だから投げよっと。これは何かしら……ラヴィの取扱説明書かあ。要るのかしら? 読んだこともないんだけど。これは? 電卓の取扱説明書……投げる! オシャレ眼鏡……全然似合わないって言われて、すぐ掛けるのやめたのよね……。智ちゃんには……見せなくていっか。投げよ)
彼女が一人で暮らすようになって何年も経つが、こんなに夢中になって片付けや掃除をしたことなんて記憶になかった。パンドラボックスの床が見え始めたので雑巾で拭いた。汚かった。あまりの汚さに苦笑いを浮かべるしかなかった。缶ビールは四杯目に差し掛かっていた。お菓子は食べ尽くしてしまっている。
(ああ……ずいぶん酔っちゃったけど、綺麗になってきたわ……)
柴原は酒が回っているのを感じたが、あれだけごちゃごちゃしていた部屋はすっかり綺麗になり、パンドラボックスの中もようやく本来あるべき姿……床が見える程度には綺麗になった。
廊下には大量の古紙とゴミ袋が並ぶことになったが、それでも達成感を得られたのだった。
一通り掃除が終わり、半纏を羽織ったままやれやれとクッションに座り、四杯目のビールを飲む柴原。すっかり暗くなっていたのでカーテンを閉め、灯りを点けた。
時刻は十八時を回っていた。こんなに時間が掛かったのか……と思ったが、たまにはこういう日だって必要だろう。
この部屋なら青木を招いてもとりあえず恥ずかしくないし、これを維持できるようにしっかりしなければならないと柴原は思った。




