縁(2)
「お前らなかなか肝が据わってるな。あの玉本課長に質問するなんて」
山岡と岡本がジュースを飲んでいると、先輩社員の宮田が話し掛けてきた。
身長が高く彫りの深い顔をした宮田は、札幌駅で勤務するバリバリのエリートで、今日も忙しいなか、この講習会に呼ばれて後ろ髪を引かれる思いで来た人だ。
以前チラッと話した機会があったので顔は知っていたが、向こうが岡本のことを覚えているかは微妙だった。
「ちょっと気になったもんですから。あのアプリが実用化されたら、宮田さんにとっても助かりません?」
ジュースが半分くらい残っているペットボトルを鞄に入れて、山岡が答えた。岡本もうんうんと頷く。
「そうだな。まあ確かに札幌駅のお客様はいろんな人がいるからな。外国人でも+何分って表示なら見ればすぐ分かるし、わざわざ慣れない英語や中国語でアナウンスしなくて済むのは助かるな」
「ですよね。今は札沼線だけだって聞いてちょっと残念ですけど、札沼線でできるなら函本とか千歳線でも行けそうですよね」
「だな。そろそろ函本とかでも走らせるって言ってたし、どんなもんだか試してみたいもんだよな。本当に役に立つアプリならお客様にどんどんダウンロードしてもらって、遅れたらスマホなりタブレットを見るようにしてもらえれば、俺らがあと何分待たされるんだ!って怒鳴られることも減るだろうしな」
言い終えると宮田も自動販売機でお茶を買い、口にした。
岡本は話す二人を見ながら、青木のことを思い出していた。
細く頼りなく見えた彼が、この会社の駅業務を大きく変えるかもしれない。そんな大仕事をしているのかと思ったからだ。
「君……岡本くんって言ってたけど、奥津軽だって? 奥津軽なのにアプリの会社に知り合いいるんだ?」
宮田が聞いてきた。
まあ確かに気にはなるだろう。なぜこんなところで知り合いがいるのかなど。
「ええ。実は俺は札幌の出身なんですけど、たまたまお盆に帰省した時に知り合って、新幹線でも使えないか聞いてみたんですが、それはまだ難しいかもしれないと言われまして」
「へえ、そうなんだ。札幌出身の岡本くんが奥津軽で、函館出身の山岡が手稲なんてねえ。逆な気がするんだけど。言ってる俺も留萌出身だけどね」
言い終えるとワハハと宮田は笑った。彫りが深く身長も高い宮田は、まるでハリウッドスターみたいだと岡本は思った。
この人ならラブレターをもらうくらいはあるだろう。結婚指輪をしていないところを見ると、独身なのかもしれないが。
それにしてもあの玉本課長と言うからには、おっかない人なんだろうか。自分たちは何か失礼なことを聞いてしまったのではないかと、岡本は不安に思った。
「あの、宮田さん」
おずおずと岡本が宮田を呼ぶ。
「ん?」
お茶を飲みながら宮田は返事をした。
「あの、玉本課長っておっかない人なんですか?」
「ぶっ。何だよその質問」
ハハッと宮田は笑った。
単刀直入というか、突然過ぎるというか、どストレートな質問には違いない。
「怖いって言うか厳しい人だよ。俺の前の上司だったんだ。札幌駅の駅長やってた人だから。岡本くんにせよ山岡にせよ、顔くらいは見たことがあったろ?」
「いえ……それが、俺は函支社管内ばかりうろうろしてるもんですから、知らなくて」
「ああ、そうだったのか。まあそうだなあ。鬼とは言わんけど、なかなか厳しいね。工務の人には優しいし協力的な人なんだけど、堅物っていうか、新しいもんとかあんまり好まないタイプの人だからな。ああ見えてもう五十近いんだぜ。若く見えるけど」
意外だった。穏やかな口調といい細い身体といい、どことなく若いエリートに見えたからだ。
「へえ、そうなんですね。そんな人があのアプリを紹介するなんて」
山岡が相槌を打った。
確かにそうだ。新しい物を好まないのなら、ああいうアプリなんか、特にまだ未完成の物なんかは紹介したがらないだろうし、仮に存在を知っていてもわざわざこの場で発表しないだろう。
「そこなんだよな。珍しいなって思って。俺もあのアプリの存在は知らなかったんだけど、誰か……それこそ電気部の人に頼まれたのかね? よく分かんねえや。あ、そろそろ時間だな。戻るべ」
時計を見ると二十八分だった。いかんいかん、すっかり話し込んでしまったと、三人はそそくさと大会議室へ戻った。
その後、予定より若干遅れて講習会は再開した。こういう大規模な講習会は、必ず遅刻する者がいるもんだが、ご多分に漏れず、タバコやトイレが長引いて少し遅れる人間がちょいちょいいた。そんな失礼な社員たちに対しても、玉本課長は笑顔を崩さず待っていた。
(あの人を本気で怒らせたら怖そうだな)
岡本は直感的にそう思った。ああいう普段は物腰が柔らかい人ほど、本気で怒らせてしまった時が怖い。
奥津軽いまべつ駅の東駅長なんかもそうで、普段は若い社員相手にも優しいが、本気でやばいことをしてしまった時……それこそ、手を抜いた確認で触車事故に繋がりかねない危険な仕事の仕方をすれば、手が付けられないくらい怒った。
しかし、それはお客様と社員を想ってのことであると、皆が知っていた。
普段は絶対にそんなことしないし、理不尽に怒られたことなど一度もない。東駅長の逆鱗に触れるのは、そういう安全を軽視した仕事をした時だけだ。
だから岡本らは怒られたくないから安全を守るし、結果的に社員の安全が守られれば新幹線の運行にも支障を及ぼすことはないし、誰も怪我をすることなくダイヤも乱れない。
鉄道とはお客様の安全を守るのが最優先である。東駅長はいつもそう言っていた。そして今日開かれている講習会も、同じような内容を玉本課長が話している。
なので岡本は眠くはなったが、居眠りをしようだとかサボろうだとか、そういう考えには至らなかった。それは隣に座る山岡も同様らしく、興味があるのか「さっきのアプリについてもっと知りたいな……」なんて呟いていた。
講習会は予定通り終わろうとしていた。まもなく時刻は予定の十七時だ。
今日の講習会についての簡単なテストを行い、それを玉本課長が回収し、各々そろそろ帰るかと背広のジャケットを羽織ったり、鞄に資料を詰め込んだりしている。
「そろそろ時間ですね。今日の講習会の全体を通して、最後に何か質問はありますか?」
玉本課長が全員に聞いた。「はい」と遠くから声が上がった。宮田だった。
「では宮田くん。どうぞ」
にこやかに玉本課長は言った。両者は確かに面識があるらしい。
「はい。私は札幌駅で勤務している宮田と申しますが、単刀直入に伺います。玉本課長が札幌の駅長をされていた際、あまり新しいシステムを好んでいらっしゃらなかったと記憶しておりますが、本日我々にあの新しいアプリを紹介してくださったのはなぜでしょうか?」
本当に単刀直入だった。あまりに直球過ぎる質問に、岡本と山岡はお互い見つめ合い苦笑した。
確かに先ほど疑問に思っていたようだが、それは本人に直接聞けば良いのであって、こんな場で全員を前に聞く内容ではないだろうと感じたからだ。
「ふっふっふ。なかなか切り込んだ質問ですね」
玉本課長は不敵に笑った。ナイスミドルだと岡本は思った。
「宮田くん。確かに君の言う通り、私はあまり新しいシステムだとか、新しい設備に好意的ではないかもしれません。ですがこのアプリ……列車追跡アプリと呼んでいるそうですが、これはJR北海道の在り方を変えるかもしれないと私は思っているのです」
「それはどういった意味で、でしょうか?」
宮田がさらに質問を続ける。
「そうですね。皆さんお帰りの列車の時間は大丈夫でしょうか? まだ大丈夫ですか? お急ぎの方はいらっしゃいますか? 大丈夫ですね。では続けさせて頂きます。今、当社は非常に厳しい状況にあります。それは経営上の赤字を抱えている事実も勿論ですが、他にも社員の不祥事であったり、事故であったりと、多くのお客様から心配されている。これが現実です。お褒めの言葉や励ましの言葉を頂くこともありますが、当社が頂くご意見の多くはお叱りです。駅員の態度が良くなかっただとか、タバコを吸ってる作業員がいただとか、そういう軽度な内容でも、お客様からの視線は大変厳しいのです」
ここで一旦、ふうと玉本課長は間を置いた。
会場は静まり返っていた。皆、じっと玉本課長を見つめている。岡本と山岡も同様だった。




